2022年9月19日(月)

 「リビングルーム」Chromogenic print,printed 2022 © KYOHEI SAKAGUCHI

 朝5時に起きて、ベランダから外を確認する。台風はたいしたことなかったようでホッとする。そのまま、エレベーターで降りてアトリエへ。原稿を書く。今日も気分は+6ってところだ。なだらかに下流へ向かって流れているんだと思う。今までは落ちるのが怖くて、どうにか元気なままで、それこそ+9、もしくは10点満点で過ごさないといけない、みたいなところがあった。それだと休むことができない。そして、電話とtwitterをやっていたので、常に外と接続している感覚が抜けなかった。家で家族とゆっくりしている時も抜けなかった。それも休むことができない原因だったと思う。もちろん、当時はやりたくてやっていたのだが。でも今はそう思わない。気分が変わったら、変わったまんまに動いてみる。それが僕の体としては一番の方法なので、やりたいだけやってみよう。これまでにない休息の感じがある。仕事をしているのに、休息の感じがする。昼までにほとんどの仕事を終わらせる今のやり方が、やっぱり僕には合っているんだろう。それで充分仕事もできている。僕は文章を書くのも絵を描くのもとにかく早い。早いから時間が余るから、他のこともしなくちゃ、って感じになっていたが、そうじゃなくて、早かろうが、むしろ早い分、使う体力は多かったりする。ようやくそのことに気づき始めた。僕は気づくのは本当に遅い。体が納得しないと気づかないし、気づかない限り、当然だけど知覚できないから人から、絶対疲れてるって言われてもわからなかった。でも、今はわかった。毎日、仕事を継続していくためにも、しっかりと休養を毎日、与えていきたい。1日のうちにも、躁鬱の小さな小さな波を起こさせてあげるようなイメージ。朝は元気だから、躁状態ばりに原稿を書き、絵を描く。お昼までなら、仕事が早く終わっても、体力が残っていると感じたら、さらに他の仕事を。でも昼過ぎからはクールダウン、少しずつ下山していき、午後3時には完全に手を止め、家へ戻り、ゲンの帰りを待ち、ゲンの親友として遊ぶ。夜ご飯は、フーちゃんと交替でやって、ゲンがもっと遊ぼって言ってきたら、ふーちゃんに完全に任せてこちらは遊ぶ。9月5日に鬱が明けたので、もうすぐ2週間が経過するが、いい調子だ。でもこの調子を保っていこう、って感じじゃない。そうじゃなくて、ゆっくり下山していこう。今、2週間で10から6に降りてきたからあと2週間かけて、6から0に向かっていく。その時の0、今までだったらそれは鬱状態でコントロールが効かない自己否定の嵐だったのだが、今回はどうなるのか。気になるし、楽しみでもある。なんかゆっくり三日くらい心地よく寝て過ごす休息が取れるんじゃないかと思ったりしている。そして、次の鬱では、アオとゲンと黙って過ごすという試みも待っている。できるかわからないけど、それができたら、すごいことだから、試してみたい。それくらい、前回の鬱ではいろんなものを乗り越えたような気がする。

 日課を見つけ出し、畑をはじめ、パステルをはじめ、自分なりにこれからやっていく道も見出していく中で、躁鬱の波は少しずつではあるが、それでも着実に操縦することができるようになってきていた。それが2019年から2022年までの3年でかなり進んだ。鬱になっても、数日で復活できるようになり、仕事のキャンセルもほとんどなくなり、文章と絵でも、自分なりの表現が、日課を進めていく上で形になっていき、自信になったし、仕事でつまづくみたいなことはなくなった。とは言いつつ、自分の中で、なかなか払拭できない不安がないわけではなかった。その不安はいくつかあった。前回の鬱はこのいくつか残っていた不安に関して、自分なりに決着をつける時だったのかなあって思う。そして、実際に自分が問題だと感じていたことに、決着をつけたと思う。かなり時間がかかったが、これまで生きる中で培ってきたことでもあるし、それによって生きのびてきたんだから、前の自分を否定しても仕方がないし、それどころか否定するところなんかどこにもなかったと気づいて無茶楽になった。この新しいヴァージョンの自分が楽しみだ。体のどこかにまだ潜んでいた、人にすがる感触、誰かに認めてもらいたいとか、甘えたいとか、その感じがスーッと空気に馴染んでいなくなったような気がする。今は一人でいると、落ち着く。家族でいる時も楽だ。家族は僕が変わったとはそんなに思っていないのかもしれないが、僕の中では大きく変化している。でも、アオとゲンだから、きっと気づいているか。彼らもずっと僕の躁と鬱を見てきているから。僕が鬱で苦しんでいる時、彼らが困っているような顔を見せなかったのは、フーちゃんのおかげだと思う。フーちゃんは僕が鬱の時に、落ち込むような顔を見せたことがなかったし、なかなか治らずに僕の心が荒んでいるような時にも、イライラしたり、何かちょっと文句を言ったりするみたいなことがなかった。だから、そのままアオとゲンも、僕が苦しい時には、大丈夫かな?って優しく心配してくれたんだと思う。僕が元気に戻ると「お前がいないと、退屈だから、頼むよ~」と冗談を言う、ゲンに何度救われたことか。アオとゲンは、いのっちの電話もよく一緒に聞いてくれて、死にたい人たちに優しく話しかけたりしてくれた。フーちゃんが僕に代わって電話に出てくれたこともある。坂口家みんなでやってきたってことなんだと思う。でも、電話に出なくなった今、アオとゲンがむちゃくちゃ笑ってて、ずっと一緒にいるのはやっぱりいいな!みたいに言うのを見てると、これからは、そして、家族四人でずっと生活する時間も実は限られていて、残りが少なくなっているのかもしれないとも感じるし、この時間をたっぷり味わおうと思ったし、大事にしたい。でもアオとゲンは我慢していたとかでもないと思う。そういうふうに後で、実は我慢してた、みたいなことがない。その都度、その都度、わからないなりに、最大限にやってきたつもりだし、それをフーアオゲン三人にも伝えつつ、今はこれが大事だから、これでいく、みたいな話をしてきたつもりだし、何度か僕も失敗はしてきたけど、でも、それも含めて、大事な時間だったと今では思える。ということで、今は穏やかなこの日常をじっくり味わっていこう。

「十禅寺、9歳の時の帰り道」pastel on paper  2022/09/19  © KYOHEI SAKAGUCHI

 原稿が終わったら、そのまま書斎からアトリエへ移動し、パステルを描く。今回は初めて、フィルムで撮影した写真をもとに絵を描いてみた。今まで、僕はパステル画を描く時は、iPhoneで撮影した写真をもとに描いていた。だからパステル画は絵ではあるが、僕としてはどこか僕なりの写真作品って感じでもある。僕がアトリエで写真をパステルを使ってプリントしてるようなイメージもある。で、試しにフィルムの写真でやってみたら、これが全然違ってて面白かった。こうやって、やっていることの中にまた別の全然違うことが生まれたり瞬間が本当に僕は好きで、そういうことが見つかると、嬉しくなって、また少し元気になるし、やってきてよかったと思うし、パステル画にもまだ先がどんどんあるなと思う。パステルも丸2年半になる。まだ1000日はいかないが、900日は超えたはずだ。今、700枚近く描いてきた。最初はゴッホが生前に860枚くらいの油絵を描いてきたのを知って、860枚描いてみようとふと思ったのだが、まだ到達はしていないが、まだ飽きていないので、嬉しい。飽きたら、次のことに移ればいいだけなのだが、飽きないこともまた嬉しいのである。そう考えると、本を書くことは、2004年以来ずっと続けているわけで、これはもう飽きるとか飽きないとかじゃなくて、鬱の時によくわかるのだが、書いていないと発狂しそうなので、大事な薬のような日課で、絵も今ではほぼそうなっている。だから、表現とかでもなくなっている。僕の場合は、自分が作ったものがなんなのかとか批評的に見るとか、そういう観点で作業をすると、すぐに窮屈になってしまう。ただやりたいからやるだけ、もしくはやらないと狂ってしまいそうだから、やるだけ、もうそれで今、やれているし、継続しているんだから、万事オッケーという感じが一番楽。そして、楽をしないと先には進んでいかない。僕の中で苦労しつつ、どうにか作り上げた、みたいなことはあんまり必要ない。だから、傑作を作り出せるとはそもそも思っていない。作ってみたいとは思うけど、どうしてもそういう頭は働かない。働かせると、体がぎこちなくなる。ということで、体でどんどん覚えさせる。体が進むままにやる。だから、僕は書いた原稿をなかなか書き直すことができない、絵も描き直すことができない。それはその時の今の僕とは違う僕が作ったものだから、他人が作ったものという意識が強いので、手を入れることに躊躇してしまうのだ。作家としてはどうかと思うが、僕が生きていく上ではとても自然なことだし、これでよし。人とは違うかもしれないが、自分としては納得してて、これでよし、と思えることが僕にはとても健やかな方法になる。

 日記を書くのは面白い。日記は何人読んでいるかってのは僕にはわかるようになっていて、今のところ毎日4000人の人が読んでくれている。僕が自費出版して『お金の学校』を出版したときも5000部が完売したのだが、僕の読者はこの4000人なんだと思う。twitterではフォロワーは12万人いたが、パステルの絵を目にする人は12万人いるわけだが、反応した人は4000人と表示されることが多い。4000人だとギリギリイメージできるような気がする。本を出版しても僕の場合、初版は売り切れることが多い。そこまで売れるわけではないが、4000人の固定の読者がいるのはとても素晴らしいことだと思うし、これ以上は望まない。あとは海外にも4000人見つけたいなというのが今後の目標かな、と。エージェントが見つからないと英訳の本はなかなか出ないし、英訳が出ないと他の言語に翻訳されることも難しいので、これまで何度かトライしてきたが、うまくいかなかったが、昨年、とうとう、エージェントが見つかり、僕の本を翻訳したいと思ってくれる翻訳者も見つかり、翻訳家の柴田元幸さんの継続的な励ましなどもあり、来年からは翻訳本もスタートするので、これは本当に楽しみ。まずは『現実脱出論』から翻訳がはじまる。現在、柴田さんがやっている雑誌『Monkey』で短編を連作で発表しているが、これらは書いた瞬間に、同時に英訳されていて、こちらも分量がたまったら、英語の本にしようと提案してもらった。柴田さんに送る小説は、いつも鬱の時、もう意識がなくなって、他の誰かが取り憑いて書いたものばかり送っているのだが、だから、小説なのかなんのか僕にはわからないのだが、ボツになるかな、と思っても、いつも掲載してくれるのは励みになるし、僕じゃない僕たちにもお礼を言いたい。僕の中にいるたくさんの僕が、いろいろ助けてくれている。アオにそれを言うと、変な顔ひとつせず、優しく笑う。みんなわかっているのかもなあ。わからないと慌てているのは僕だけなのかもしれない。

 お昼までに仕事を終えて、家に帰ってきて、しばらく横になって休んだあと、今日は、アオといつもの送り迎えメンバー、アオの友人ナッチャソ、さらにカンヌちゃんも加わって3人で、テストが終わったら、みんなを遊びに連れていくと約束していたんで、台風なんかへっちゃらで気にしてなかったみたいなので、カイエンでみんなを迎えに行って、イオンモール熊本へ連れていく。現地でみんなと別れて、彼らは3人で楽しみ、僕は一人で、シアトルコーヒーの喫煙室に『ゾミア』とグーランの『身ぶりと言葉』を持ち込んで、読書というのか、なんか書いたり、読んだりしてた。僕はトランジットの時間がとにかく好きなのだが、彼らが遊んでいる間、僕だけぼうっとモールの中で、モールには僕は何か欲しいものがあるわけでも見たい店があるわけでもないけど、いる必要があるので、いるだけ、という感じが、トランジットに似てて、こういう時間を潰すことがむちゃくちゃ好きなんだなと思った。これから書く本について、あれこれ着想イメージ。メモたくさんできたので、嬉しくなって、その後は一人でモール散歩。蔦屋書店に並ぶ本はどれも、面白いと思えなかったが、とは言いつつも、普段は見ないような棚に向かって、人はこんな本を買うんだ、と確認してた。それはそれで興味深いし、僕の本が売れないのもわかるし、僕の本の読者が4000人くらいいる奇跡も感じた。本当にありがたいことだ。またいい本書きたいなあって思う。

 小腹が空いたので、マックポテトに並びつつ、アオに電話したら、アオたちもそろそろ小腹がすいたと言うので、みんなでマックでポテトだけ食べて、その後、サンリオに行って、ユニクロに行ってアオに靴下買ってあげて、ZARAに行って、アオはウェブサイトで見てて、気になってた商品が40%オフになってたので、みんなは試着はしなかったから気を遣っていたが、試着しちゃいなよ、と言って、試着して買ってた。アオとよく二人で服屋に行って、試着して買ってたなあと色々思い出す。アオが好きなオーラリーからモデルの依頼が何故か僕に来て、アオが気になってた服のセットアップを着て出るという、謎の展開で、もちろん、僕も服がもらえるならノーギャラでもやりますと言って、ギャラも服ももらったなあ。で、そのかわいいチェックのセットアップは今、アオが着てる。鬱の時に、友人のシミがやってるWELLDERの新作が届いたのだが、むちゃくちゃいい赤のカーディガンを僕は頼んでいたのだが、アオが欲しがっていたので、あげた。僕は煙草を吸うので、一緒に使うってのにするとかわいそうだから、あげた。アオの服のセンスが僕は好きだ。似てるってことか。みんな大満足したみたいで、6時頃、みんなを送って、家に帰ってきた。モールにいる間、なんか無性にカレーが食べたくなって、僕はカレーが好きだから、それはちょくちょくあるのだが、フーちゃんに「カレーが食べたい!」とメールしてたら、夕ご飯はカレーだった。普通のカレー。子供たちもみんな好きなカレー。カレーを食べたら、僕だけもう寝ちゃってた。最近は夜8時になると、もう眠くなる。ゲンとフーは映画『オデュッセイ』を観てたらしく、無茶面白かったとゲンが興奮してた。ゲンはドラえもんも何周も全巻読破しており、とにかく体の中に無限大の物語が内包されているように感じる。僕は全然違うタイプなので、その状態が羨ましい。僕は幼少の時から、漫画を数ページ読んだら、すぐ自分なりの漫画が描きたくなって、漫画本はすぐにページを閉じて、自分で描きはじめちゃってた。だから僕の中には外から輸入した物語は一切入っていない。だから、僕は常に枯れている、アイデアなんか何もない。のはずだが、なぜか誰よりも書いている。それが昔は不思議で不安だったが、今では何にも気にしなくなった。僕の中にもゲンとは違うけど、物語が渦巻いていることにようやく気づいたからである。この物語と一緒に僕は死ぬまで生きていくんだと思うと、頼もしく感じるようにもなった。まだその物語は少ししか顔を出していない。この物語は僕は全貌を知らないのに、どこをとっても切っても、僕は知らない世界なのに、なぜか強い繋がりを感じ、見たことがないのに、いつも懐かしい。それは自分の巣のようなイメージだ。

Chromogenic print,printed 2022 © AO SAKAGUCHI