2022年9月17日(土)

「一緒に帰ってきたアオ」Chromogenic print,printed 2022 © KYOHEI SAKAGUCHI

 朝5時に起きる。今日は週末なので、アオもゲンもフーもぐっすり眠っている。寝顔を見つつ、アトリエへ。書斎で執筆からはじめる。Beach Fossilsの『The Other Side of Life: Piano Ballads』を聴きながら。このアルバムのことはよく知らない。僕が聴く音楽の半分は自分で探すが、僕は自分で探すことがあんまり好きではなく、僕はいつも偶然が好きで、僕じゃない感覚が好きで、知らないことに囲まれている方が好きなので、とにかく音楽ってのは、友人から教えてもらうものだと思っているところがある。いつも僕に音楽を送ってくれるのは、DJ Shhhhhで、彼は本当に尊敬する選曲家なのだが、本当に自分の今の気分と近いものを、なぜそんなことがわかるのかわからないが、同い年だからかな、で、彼から教えてもらったアルバムだ。このアルバムが僕のニューアルバム『海について』制作中の大きな励みになった。このアルバムを聴いていると、何かが作りたくなる。僕もいつもそんな気持ちにさせてくれるものを作りたいと思っている。『海について』も最初はShhhhhに対する音楽を送ってくれた返事として作り始めた。曲がある程度、溜まった時、Shhhhhにまとめてデモアルバムの形にして送ったら「おい、これ、もう音楽作品になってるよ、これはちゃんとCDにして人が聴けるようにした方がいい」と言われたので、CDを作ることにした。僕は本当に信頼する人たちの言うままに動いている。彼らが、ふと感じたこととか、ふと口にしたこと、が僕には大事な偶然で、それは僕にとっての道標である。

 静かな朝の時間、誰もいない、誰もが寝ているこの時間、僕は小さい頃を思い出す。小学生の頃から、僕は家族の誰よりも早起きで、寝起きがよくて、すぐに自分の机に座って、机の上をまずは綺麗にする。この瞬間が、とても創造的で、それが好きで、何かワクワクするし、気持ちいいし、なんかかっこいいって僕は思ってた。そして、漫画を描いたり、その日の1日の計画を立てたり、どんなものを作りたいのかをぼんやりと考えたりしてた。勉強もこの時間にやると、3倍くらいに時間が膨らむので、小学生の時、中学生の時、僕に敵う人はいなかったと思う。でも勉強とかは本当にどうでもよくて、それよりも僕はこの早朝の時間を宝物のように感じていて、この創造の時間をどうにかして24時間に膨らませたいと思っていた。小学生のとき、僕は野球部で忙しかったが、本当はどうでもよくて、僕はこの机での早朝の時間こそ、自分の未来だと思っていた。でもまだ何をやるとかわかっていなかった、今もそれはわかっていないけど、早朝の僕はなんでもできるので、何をやるかとかはあんまり気にしてなかった。ただただ創造的だった。それが大事なことだ。何を作るってイメージが浮かんでいる時には、もう学校の時間の昼間の僕になっている。何かを完遂することに目を向ける僕は、もう国家の中にいる。そうじゃない、ふわふわと、何かイメージが浮かんでいるけど、焦点は合わずに、形は常に移り変わっている。それが僕だと思うし、僕がやってきたことだし、その瞬間はもうこの小学生の時に、9歳の時に、つまり、今のゲンと同い年だった僕の目に、しっかりと見えている。僕は一度も迷ったことがない。どうすればいいのかわからなかったはずなのに、それは当たり前で、そんなこと別に気にすることではなく、気にするのはいつも周りの鈍感な人だった、周りにいる僕が信頼している人たちは、僕に「何をするの? どうするの?」って一度も聞かなかった。「もう漫画できちゃってるじゃん」とか「それ歌でしょ」とか「物語は作るものじゃなくて、体の中にあるんだね」とかしか言わない。それで僕はいつも自分が気づいたら創造しちゃってるってことに気づけた。気づけたのは彼らのおかげで、信頼って本当に大事である、そして、気づかずに作っていたのはいつも僕だった。いのっちの電話とtwitterをやめて、信頼できる仲間以外にはもう誰とも会う必要のなくなった僕は、まるでこの時の僕だ。それは神様からいただいた、しばらくの宝物そのものに思える。5年はこの生活ができるらしいので(天の声によると)、本当に9歳の自分を取り戻したような気分だ。5年後は14歳になっている。それは今のアオの年齢だ。覚醒したアオのことを見ていると、5年後、僕もまた新しい目を開くのかもしれないと思う。それが何かはわからないが、わかることが僕の目的ではなく、僕はあくまでも、引いて見るのではなく、その体にそのままくっついてただ動く、動くということが大事。僕は今、これ以上ない心が穏やかな状態だと思っていたが、これは小学生の時の土日の自分の机の上で何かを作っているときの精神そのものだった。知ってたじゃないか昔から。ゲンが週末をあれだけ愛しているのが、僕は最初からずっとわかっている。僕が元々感じていたからだ。誰からも時間からも邪魔されない、あの時間。創造の時間。

 朝から10枚原稿を書いて、そのまま、POPEYEの連載原稿も勢いで7枚書いて、編集者の井出くんに送った。井出くんは、2004年からの付き合いだ。僕が生まれて初めて本を出した年。僕はまだ26歳だった。あれから18年経った。つまり、来年2023年の熊本市現代美術館での個展は、創造活動して20周年の記念の場にもなるのかもなあって僕の中だけで思う。20年も一度も血迷うことなく、スランプになること、延々と作り続けることができているのは、9歳の時の僕のおかげだ。9歳の時の僕に嘘をつかなかったから、今までずっと創造のイエローブリックロードを歩くことができている。人から評価されるとかそういうことではない全くそんなことはどうでもいい。でも信頼できる人たちはむちゃくちゃ増えたし、その人たちと自分の創造を介して対話し、彼らから批評を受けるのはとても大事な行為だ。そうしないと独りよがりになってしまう。僕が、自分で言うのも変だけど、独りよがりの人間にならなかったのは(鬱の時は、この独りよがりというものと戦うことになるのだが)周りの人たちのおかげで、彼らが甘やかさずにいてくれたからだと思うし、同時に、本当に感動した時はその気持ちを素直に僕に伝えてくれたからだ。

 9歳までの僕の親友はたかちゃんだが、たかちゃんと連絡が取れないまま25年以上が経過していて、それを探そうと、当時のもう一人の親友であるコバヤンと時々連絡を取っている。なんと、たかちゃんのお兄ちゃんがどこで働いているかまではわかったという。たかちゃん兄弟は空手にハマっていたのだが、今は空手教室の先生をやっているというのだ。そこでたかちゃんが働いているかはわからない。僕が最後に出会ったのは18歳の時、バイクで東京までいくときに、たかちゃんの家に寄ってみたのだ。インターホンでピンポン押しただけで「恭くん?」と読んでくれたたかちゃんは点滴を刺したままだった。不治の病にかかっていると言っていたような気がする。腎臓か何かだった。その後、僕とたかちゃんが暮らしていた、電電公社の巨大な団地群はすべて破壊され、小綺麗な新興住宅地になって、感じの良い通りと戸建ての家が立ち並ぶ街並みになった。僕とたかちゃんが歩いた道なのに、新しく舗装された道を一度、一人で歩いたことがあるが、クラクラして、目眩がして、方向感覚がなくなってしまった。ここでは米軍と電電公社が共同して、キャンテンシステム、つまり、僕たちが今、使いまくっている、インターネットが作られた場所だ。元々は朝鮮通信使、それが朝鮮戦争の時は、重要な諜報地点になった。そんな場所で何も知らない僕とたかちゃんが、鉄条網の奥に見つけた蟻地獄をもう一度、見つけに行きたい。僕がいのっちの電話をやっているのは、何か父親だけでなく親戚一同みんな働いていた、電電公社という、後にdocomoの携帯電話を生み出す会社と無関係ではないような気がする。これはこれで『電電』という本で書きたいと思って、まだ書き散らしている段階の原稿を適当に読み返す。親父が死ぬ前に、いろんな話を聞きたいと思っている。

 僕は子孫のために文章を残しているだけで、誰かのためって、最初からそう決まっている。それ以外の人には読んでもらっても読んでもらえなくても関係があんまりない。現世で少しだけ、食い扶持が見つかるってだけで、別にそれはそんなに問題ではない。僕は活動を止めることがないし、金がなくても、どうなっても手を止めることはないから。だから、この朝の仕事の時間は僕にとっては祈りの時間だ。

「夕方の明八橋から坪井川」Pastel on paper,  2022/09/17 © KYOHEI SAKAGUCHI

 原稿が終わったら、そそくさと絵を描く場所に移り、パステルを描いた。坪井川、明八橋からの眺めた絵。今日は消しゴムを使って、水面を表現する練習。僕は、いつも本番で練習する。それが僕のやり方。練習して本番を作るのは僕の中ではズルしてるってことになる。常に本番にして、その中で少しだけでも技術が向上できるようにどこかを練習する。でもそれは常に本番なのである。人に見せないから本番じゃないとかじゃなくて、人に見せても見せなくても関係なく本番。その中でいかに練習するかが、楽しい。いざとなった時、危機の時に、さっと動けるようにするための練習にもなる。準備してては遅いが、毎日本番の中で練習してないとそもそも話にならないのだ。

 で、午前10時に仕事が全部終わる。前野健太くんと翻訳家のマーゴリスにCDを送る発送作業をして家に帰ってくる。

 アオと一緒に二人でドライブしてアミュプラザへ。週末、アオと二人でドライブするのが好きだ。

「なんかすごい休みの日って感じがする」と僕が言うと、

「そうだね」とアオはお姉さんみたいな返事をして「なんか、すごい穏やかだよ、今、これまでにないくらい」と僕が勝手に感動していると、

「よかったね。何かが変わったのかもね」ってアオはまたお姉さんみたいだ。

 アミュプラザにあるメトロ書店へ。ここには僕の大好きな、アヤコ社長がいる。僕がアオと話してたら「聞いたことある声が聞こえたから見たらやっぱり恭平さん!」とアヤコ社長が近づいてきた。メトロ書店の社長なのに、長崎から熊本の新店であるこの本屋の近くに引っ越してきて、朝から毎日、普通の書店員みたいにして働いている素直な人、実直な人。アヤコ社長は、バイトの一人の方が、娘が中学生で『中学生のためのテストの段取り講座』を買いました!と伝えたいと言ってます、と連れてきてくれた。本の中の登場人物である中学生のアオを紹介すると、中学生には見えませんって言われた。アオには最近、アオがハマっている、秘数術の独習本を買ってあげた。テストが終わったら、買ってと言われてたから。ピタゴラスが作り上げた占いの術とのこと。僕はどうやらアインシュタインと全く同じ数字の並びらしい。ははは。

 その後、ホームセンターダイキに行って、ニホンヤモリのファーちゃんのために、ミールワームを購入。食べてくれるかな。とは言いつつ、とりあえず今のところは家の中で謎の大発生中のシバンムシみたいな小さな虫をつまんでは、ファーちゃんに食べさせている。帰りに、坂梨によって、出来上がったプリントを受け取りに行く。アオの写真がまじ透明で美しいと思った。アオ自身も喜んでた。ほんと写真面白いかも。よく考えたら、僕は高校生の時に、一番最初の創造として、写真をはじめたし、僕の一作目の本「0円ハウス」だって、あれは写真集なのである。実は写真家の一面もあるもんな、と思いつつ、今度の鬱になるまで、ゆっくり懐かしい写真撮影と戯れてみたいと思う。坂梨にはライカが時々入荷するらしいので、コンタックスだけじゃなくて、ライカでも撮影してみたいので、そのうち買いたい。フィルム36枚で1600円もするので、本当に贅沢な遊びみたいになっているが、それでもフィルム撮影はやっぱり面白い。アオもカメラが欲しそうだ。買ってあげようかな。 

「テスト勉強中のアオ」Chromogenic print,printed 2022 © KYOHEI SAKAGUCHI

 お昼に戻ると、フーちゃんが外出しようとしてた。金曜日、土曜日は、フーちゃんは自分のお店に出る日。フーちゃんにとって大事な一人の時間でもある。フーちゃんに手を振って、いってらっしゃいと声をかける。フーちゃんの体調も戻ってきたようだ。ほっとする。で、今日は僕とゲンとアオの三人で過ごす日。僕は猫みたいにぼーっとしたい日、アオもテストが終わって今日はどこも出かけずに友人と遊ぶこともなく家にいたい日、ゲンは毎週のことだけど、隅々まで家で休みを満喫する日、なので、ということで、みんなで家でゆっくりする。お昼は生協のインスタントラーメンにキムチのっけでいいって言ってくれた。その後、みんなでL字のソファに寝転んで座ってお菓子を食べながら、ゲームなどをして過ごす。夜、フーちゃんは幼稚園のママ友たちと夜12時くらいまで飲み会に行ったので、夜何食べたいと聞くと、ゲンが「ハンバーグ」と即答したので、肉が本当に美味しい「大栄」で合い挽きミンチを500g買ってきて、玉ねぎを炒めて冷やして、肉に塩を入れて木べらでこねて時々水を入れながらさらにこねて、また別のボウルで、パン粉、豆乳、卵を混ぜて、最後に玉ねぎの熱が落ち着いたら、それらを一つにまとめて、あとは片面強火で焦げ目がつくまで焼いて、ひっくり返して、さらに1分超強火で、その後、超弱火で10分蓋をして焼けば、恭平ハンバーグの出来上がり。今日は一日、アオとゲンといたし、家事もしたんだけど、しかも夜はフーちゃんが飲み会で、今までの僕なら、少し気張りすぎて疲れてしまってイライラしちゃう日。でも、不思議なことに何にも疲れてない。無理してないからか。電話してないからか。twitterしてないからか。体が全然嫌がってない。みんなでいると、ゲンも拗ねたりしないし、みんなで楽しく過ごせた。僕は鬱という地獄というか、死後の世界から戻ってきたので、この瞬間がとんでもなくかけがえのないことに気づいてる。今しか過ごせない時間。アオとゲンはいずれは大きくなる。この時は戻ってこない。でも、僕は過ぎ去った人の気持ちで今過ごすことができているので、後悔はない。ちゃんと向き合って、ずっと一緒にいたら、過ぎていっても、大丈夫。でも写真には残しておこうと、時々コンタックスで二人を撮った。

 深夜帰ってきたフーちゃんに「なんだか、今日は生まれて初めて、丸一日、子供たちの世話してたのに、疲れなかった」と伝えた。

「すごいじゃん!」

「なんでだろ、よくわからないんだけど、いつもだったら気張りすぎて疲れちゃうじゃん」

「うん、ちゃんとしなきゃって恭平思うからね」

「それが全くなかった。楽しいから一緒に過ごしたいってだけ」

「へえ」

 フーちゃんはそのままお風呂に入っていった。

 肉屋の帰りに、橙書店によって、久子ちゃんに会って、頼んでたみすず書房の『ゾミア』を読んでたら、なんと読書ができた。

 もしかしたら、僕の心は今までになく、落ち着いているのかもしれない。

 あの9歳の早朝の机に座っていた僕と44歳の僕がその二人の目玉がゆっくりと重なって一つになったような映像が頭に浮かんだ。

「アオの笑顔」Chromogenic print,printed 2022 © KYOHEI SAKAGUCHI