2022年9月16日(金)

「籠と三角みかん」Chromogenic print,printed 2022 © KYOHEI SAKAGUCHI

 午前5時に起きて、アオに朝ごはんを作る。今日も白ごはん、お吸い物、卵焼き、昆布、キムチ。今日は僕も腹が減って、一緒に食べる。アオのテストは今日まで。よく頑張ってるなあ。

「通信の高校に行ったら、受験とかないんだよね?」

「ないよ。だからそこまで根詰めなくてもいいんじゃない?」

「そうだよね」

「勉強と占い、どっちが楽しいの?」

「もちろん占い」

「小さい頃からずっと人名辞典2冊両手に持って、読み込んでたからね。テストはほどほどにして、自分が本当にやりたいことに夢中になったらいいよ」

 アオは最近、本当に楽しそうだ。中学生の頃、僕はさっぱり先が見えていなかったなあ。ジム・ジャームッシュのパーマネントヴァケーションを深夜、一人で観たりしてた。ホワイトアルバムを120分テープにダビングしてウォークマンで聴いてた。なんかこういうことしたい、作ることしたい、とは思っていたけど、どうすればいいのかさっぱりわからなかった。作ることに関して、一緒に話をする友達はいなかった。でも将来、何か作品を作る人になるんだろうな、と思っていた。14歳の時もやっぱり思っていたと思う。絵を描くのかなあ、と思っていた。ギターももうはじめてたから、音楽も作るのかもしれないと思っていた。文章は全然かけなかった。本は弟が読んでいるのを、貸してもらう程度だった。弟は本をいつも読んでいたから編集者になるんだろうなって思っていた。今、弟は東京の出版社で働いていて、編集者をやっている。

 アオは今、中学2年生で、ゲンは小学4年生。どちらの時も、自分が14歳で10歳だった時の記憶がある。僕は親というよりも、つい、僕はすぐに自分を変化させることができるので、僕は本当に柔らかい液体金属みたいな人間なのだ、すぐに僕は14歳になって、ついついアオの同級生になって、話そうとする。そして、今ではアオは僕にとっても、大事な相談相手だ。仕事で迷って、どうしたらいいかわからない時も、アオに聞くと、すっと決まる。

 今日はゲンはずっと寝てた。さすがに早く起きすぎて、学校で眠かったらしい。寝坊したゲンも一緒に僕とアオとゲンの三人で、フーちゃんに手を振って、出発。ゲンは金曜日であれば、とにかく元気なのでよし。

 車に乗っけて送り迎えもとりあえず今日まで。

「パパ、1週間、送り迎えしてくれてどうもありがとうございました」

 アオはいつも素直に言葉で相手に気持ちを伝える優しい人だ。後部座席でナッチャソと問題を出し合っている。

 アオとナッチャソと手を振って別れたあと、車内で二人が聴きたがっていたAdoじゃなくて久しぶりにフランクオーシャンのアルバム「Blonde」を聴いた。爆音にして「Solo」を一緒に声を出して歌った。なぜかこの歌をステージを英語で歌っている自分の姿が脳裏に浮かんだ。へえ、そういうのもいいねと思った。人前で歌を歌うことはやめないでもいいな、と思った。でも音楽祭は一つ断った。年内は一つで充分だ。あとは寺尾紗穂ちゃんが熊本に来るからその時に、もしかしたら一曲前座でフーと歌おうかなと思ってけど、これはそんなに決めないで、気持ちが乗ったらでいいよ、って主催のエリナが言った。この企画も僕とエリナで進めていたのだが、たぶん、僕は一瞬、この企画は立ち上げることができるけど、鬱になって参加できなくなっても問題がないように、エリナも一緒にやってくれとお願いしてはじめている。たくさんお客さんきてくれるといいけどなあ。でもきっと大丈夫だと思う。

 紗穂ちゃんからメール。

「今も聴いてる。こういう力の抜けたのを葬式に流すのもいいなとふと思った」

 僕のニューアルバム『海について』の感想を送ってくれた。繰り返し聴いてくれてるって。こんなに嬉しいことはない。僕は音楽は素人であるから、紗穂ちゃんとか音楽家から励まされるとほんと大袈裟だけど救われるような、元気をもらえる。音楽家の前野健太もいつも真剣にメール書いてきてくれる。あ、そうだ、マエケンにまだ送ってなかった、と思って、アトリエに帰って、手紙を書いて、何人かにまた送った。親しい友達から、ニューアルバムという手紙を送ったので、返事がきてた。紗穂ちゃんの長女もアオと歳が近いのだが、彼女は占星術をやっているらしく、二人とも娘たちがどんどんシャーマンになっている。なんかわからんでもないけど。とにかく自由で好きにいればいい。それが一番難しいけど、やり方のコツ知らないわけではないんで、困ったらいつでも聞いてください、って思う。

 町を歩いて、知り合いと会うと「いのっちの電話、おやめになったそうで」とよく言われる。ずっとやめないつもりだった。でも、やめようと突然思ったからやめてみた。もちろんまたやるかもしれないけど。おかげで毎日、すごく体は楽だ。毎日、とんでもない状態で生きていたことがわかった。今も生きてます、あの時、電話出てくれてありがとうございました、という声が何人かから届いた。なんだか、それだけで、ほっとする。でもこれからは知らない人たちのことを助けるのではなく、目の前の人、僕が大事にしている人、たちとの時間が始まるらしいので、それも一つの流れだから、素直に従うことにする。

 今日は、ゆっくりする日。僕は猫の日と名付けている。というわけで、家に帰ってもソファでゴロゴロ、布団を畳まずにゴロゴロ、1時間ゴロゴロして頼んでた写真のプリントを受け取りに坂梨へ。なんかいい感じに仕上がってた。キュレイターズキューブの旅人くんに送ったら「売らなくてもいいから、写真展しよう!」って返事がきて笑った。この時代で、作品売らなくてもいい、って言ってくれるのは旅人くらいだ。そういう人と仕事を続けるのが一番。彼とは2011年からの付き合いだから、もう10年以上か。僕の友人たちはみんな今もずっと続けている。必死こいているってより、飄々と仕事を続けている。今は楽しんでやっている人たちの方が、元気だし、仕事自体もうまくいっているような気がする。お金のためにやりたくないことやってきた人は元気がない。金になろうがなりまいが関係ないじゃん。中学生の時の僕はそんなこと1秒も考えなかったんだから。ただ、こういうことをやりたい、やっている時間を過ごしたい、とただ思ってただけだから。とにかく、目の前の生活を、時間を、襞を歩くみたいに、複雑に、見たい。

「まりちゃん」Chromogenic print,printed 2022 © KYOHEI SAKAGUCHI

 詩を書きたい、と思ってきている。ゆっくり熟成しよう。今、この日記を書いているのは、作品を、ささっと作ってしまう勢いを、少し遅らせるための作業なのかもしれない。今日もゆっくりの猫の日だし。ニムスパに行って、3時間スージーにマッサージをしてもらった。やっぱり、僕はこの人のマッサージが一番体に合っている。マッサージも3時間、何もせずに過ごす、というためにやっている感じだ。僕はたくさん作品を作ってしまうけど、それはそれでいいんだけど、何もしない、何も考えない、時間にも興味が出てきている、興味を持てるようになったのは、不安と向き合った結果だと思う。空っぽの場所には不安がドバドバ流れ込んでくるが、その不安と向き合うのが鬱なのだが、そこで逃げずにしっかりと恐るべき底にいることができたら、恐怖に打ち勝つとかそういうことではなく、その不安の流れそのものになることができる。それはそんなに悪いことか、僕はそうじゃない道を見つけている。「その先に何かあるよきっと、こんなに苦しんでいるんだもん、きっと、何かあるよ」とフーちゃんが言った言葉が、頭の中にある。またアウトプットが完了したら、底に行くかもしれないけど。

 そんなわけでお昼ぎまでマッサージ台の上でぼうっとする。終わってから、スリランカカレーを食べて、museumに寄る。今日は僕の親父が店番の日だ。最初の理解者は親父と弟だと思う。この二人には本当に助けられた。親父は今でも僕の絵が飾ってある美術館で、毎週一日店番をしてくれている。お礼に親父と母ちゃんを青柳の鮨に招待することにした。ということで、電話で予約した。月末行くことに。両親との時間も実は限りあるわけで、家から徒歩5分のところにいるけど、そして、僕は母ちゃんとの間で何か解決できない問題があると感じていたけれど、でもそういうことを超えていこうと思った。母ちゃんとも最近は、なんだか悪くない関係だと思う。彼ら二人は今は僕の会社の役員をしてくれているので、同じ仕事の友でもある。そうやって、家族とは別の関係を家族と結び直すことによって、また新しい関係を生み出すことができる、とは最近思っている。それにしても、我が家フーちゃん、アオ、ゲン、と僕の心の一つさ、は、本当に心強いなと思う。全員違う方向を見ているし、それぞれ好きなことやっているのに、心は一つ、という感じがする。ここでの関係が、僕に良く作用し、他の関係の修復の力になっている。で、親父と別れて、3階のFUへ。フーちゃんが今日は店を開けている。

 フーちゃんは、僕が鬱になると、お店を休む。ただでさえ、週に二日、金曜日と土曜日にしかお店ができないのに、その二日もオープンできない週もあるから申し訳ない。でも、そうやって、私たちは生きのびていくんだからいいよ、とフーちゃんは言う。次に、僕はフーちゃんが担当していたことに向き合いたいと思っている。だからこそ、いのっちの電話とtwitterをやめたんだと思う。これまでの僕は、力を出せる時に出して、それで倒れても仕方がない、その時は周りの人が助けて欲しい、というやり方で、そのやり方は悪くはなかったし、それなりに結果は出せたと思う。しかし、それではいつまでたっても僕が自立できないままなのではないか、周りの負担もこれからさらに大きくなるのではないか、と僕は感じたので、そうじゃない方法を探ってみたい。できると思う。今のこの生活の感触はとてもいい感じだ。無理がない。僕の中の溢れ出るものをさらに素直に楽に流れのように出す方法が見つかると思う。そうすれば、僕は鬱になるとかではなくなるはずだ。上流、下流、流れはその高さにしたがって、それぞれ別の動きをする。あの川のようになればいい。海に流れていく水のようなイメージで。フーちゃんがもう少し楽になればいい。フーちゃんはよく一緒にいてくれるな、と思う。別に嫌々一緒にいるわけじゃないから、楽しいからいるんだよ、とフーちゃんは言った。

 歩いて橙書店へ。久子ちゃんの写真をまた撮らせてもらう。こうして、僕のまわりにいる人たちのポートレートを撮影したい、僕が育った懐かしい風景の写真を撮影したい。写真をやる時の撮る対象はなんとなく定まった気がする。久子ちゃんは僕が描いた水墨の猫の一筆箋を発売しようとしてて、そのデザインを見せてもらって、意見をくれ、と言うので、自分なりの提案をしてみたら、なんとなく、それが通過したような気がする。僕はこういうパッと意見を言うことなら得意。じっくり議論を重ねるのが苦手。それは僕の仕事じゃない。僕は一人でふらっと寄って、ちょっとだけ話して、また一人になって散歩するのがしっくりいく。久子ちゃんにコーヒーテイクアウトを注文。お代はいらない、と言うけど、それもこれとはまた別で、昨日ニューアルバム完売して、またしっかりお金が入ってくるから、お金もらっておいてと払った。自費出版のニューアルバム『海について』は制作費70万円かけて150万円になった。音楽は自分にとって仕事ではないから、ただの楽しみなので、損しなければ全然問題なし、なんなら損しても問題なしなのだが、その音楽でもこれくらいの結果になると、とても楽だし、継続できるなと確信した。僕はいつも、アキンド精神が底には流れているので、遊ぶだけ遊んでも、なんとなくそれが仕事になっているような仕組みを考えちゃうけど、そのおかげで、継続することができるので、それは長所だと思っている自分では。いのっちの電話が10年も続けることができたのもその精神があったからだ。

「家に着いたゲン」Chromogenic print,printed 2022 © KYOHEI SAKAGUCHI

 コーヒーを持って、もう一回、フーちゃんのところへ。フーちゃんにコーヒーをあげる。フーちゃんびっくりしてたけど、むちゃくちゃ喜んでいたからよかった。3時になったので、家でゲンを待つ。ソファでゴロンと寝る。気づいたら、眠っていた。5時頃にアオがテスト終わって、帰ってきた。気持ちが楽になっていたのでよかった。今日はアオのギター教室送って、そのあとは家族四人でサイロで焼肉を食べた。焼肉はやっぱりどこで食べても最後はサイロが一番いいってことになる。霜降りの肉とか僕には重い。サイロの一番安いカルビが一番美味い。みんなで食べている途中で、僕は眠くなり、車に戻って寝かせてもらって、フーちゃんに送ってもらって、家についても布団にすぐ入って眠っていた。調子がいいのに、休むことができる、これができたら、体がずいぶん楽になると思う。それが今日はできたので嬉しい。

「かおると僕」Chromogenic print,printed 2022 © KYOHEI SAKAGUCHI