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Journal -坂口恭平の毎日-

2007年2月28日(水)

 西荻窪でリュウエンタープライズの弓長さんと待ち合わせ。そのまま僕の家で話す。弓長さんはAERAを読んで関心をもってくれたようで、僕のドキュメンタリーを撮影したいといわれた。僕は隅田川の特集をするので、ついてきてくれますか?と依頼されるとおもっていたので少し驚く。弓長さんはそれよりも僕の視点に興味を持ってくれたようなのだ。それだったらなんか面白い事が出来そうな気がした。自分の仕事を紹介する。弓長さんも熱い。こういう話はイマイチ創造的ではないかなぁとか思っていたんだけど、逆に肩透かしされた気分。うまく企画が通れば長いスパンで撮りたいとの事。それぐらいゆっくり作ることが出来れば面白そうだ。まだどうなるか分からないが、何かのキッカケにはなる。話が終ると、弓長さんは足早と西荻を去っていった。夕食はすき焼うどん。と昨日のカレー。今日もグレープフルーツ美味しいの発見。

2007年2月27日(火)

 自分の頭の中の整理。こういう時はゆっくり料理するがよい。玉葱みじん切り3個をクミンとさっさとかけて、大蒜と一緒にオリーブオイルでゆっくり炒める。今日は特製インドカレー。ひき肉と茄子とエノキとピーマン。コリアンダーとターメリックとナツメグとガラムマサラ。チャパティも作る。フライパンで焼く。昨日の味噌汁は甘い味を醸し出している。今日はSEIYUでグレープフルーツを買ってきた。僕は築地で果物屋をやっていたので、グレープフルーツの見極めがうまいのである。まず、僕はシールを見る。今日はOCEAN SPRAYと書いてあった。店で売られているグレープフルーツはみんな一緒のように見えるけど、本当は無茶苦茶種類がある。それはシールで分かる。ブランド名が書いてある。最高級品はGOLDEN CROWNだ。でもこれはめったに売っていない。売っていても特売以外は無茶苦茶高い。だから、このブランド以外でうまいのを見つけなくてはいけない。同じ店ではいつも一種類のグレープフルーツが売られているように見えるが、この棚には毎日違うブランドのグレープフルーツが入ってくるのだ。その日によって仲卸が流したい商品が違うからだ。OCEAN SPRAYは有名なブランドではないが、味はうまい。ということは消費者にとっては味方だ。ブランドじゃないから安いけど、味はうまい。チェックするのは、全体の形。まずこれがバランスが悪いと味のバランスも崩れる。そして、一番大事なのはお尻。お尻部分をまず触って堅くてハリがあったら合格。そして、さらにお尻に中心部も押して、そこも堅かったらそのグレープフルーツは汁が一杯たまっている。もうでたくて堪らなくなっているのだ。そんなのを買って帰って切ると、ビックリするほど甘い。今日のも蜂蜜が入っているかのように甘かった。と、いうわけでグレープフルーツ講座でした。熱くなりすぎたが、本当に果物はこの選択で天と地の差がでるのだ。
 夕食後、仕事の話。防災展での出品の依頼。鈴木さんの家を作るというのもありかもしれない。うまく話がまとまればいいが。他の事も色々話すが、なかなか色んな話があるのは素晴らしい事だが、自分の感覚に合わないことは絶対やっては駄目だ。そのことにとにかく集中する。それよりも自分の次の作品、文章、思考を続けよう。今はとにかく書きたい。なんか面白いものが出てきそうだ。古河林業の件も少し考え直している。こうやっていつも引っ張っては縮めんとな。今日もスカンジナビア半島音楽。

2007年2月26日(月)

 朝起きて、書いてなかった日記の整理。その後、昼までは古河林業トークショー用のポストカードとポスターのデザインを考える。今回はぜひナイロビのキベラ自転車をポスターにしたいというもう一つの思惑もあるので必死こいてやる。午前中にイイ感じに仕上がる。井田より連絡があり、夕方に新百合ケ丘で打ち合わせとのこと。またデヴィッドバーンの北欧ラジオを聞きながらぼうっとする。飯を食べてなかったと思って、久しぶりに吉野家で豚の生姜焼き定食並盛を注文。ホールで働いているのは前から毎日働いている黒人の女の人。今や西荻の名物ホールでもある彼女の名札を見ると「カレン」と書いてある。この西洋風の名前はもしやケニア人?とナイロビ帰りの僕は思索した。そして会計の時、500円を渡したついでに「サワサワ」とスワヒリで挨拶をしてみた。すると「ムズーリ」と帰ってきた。「ケニアから来たんですか?」と聞くと、「そうです。」と返してくれた。西荻でナイロビを感じれなくて少し寂しさを感じていたのに、こんな近いところにスワヒリ語を喋る人がいたとは、、。ファーストフードの店内で起きた偶然に喜ぶ。東京に帰ってきて初めて会ったケニア人だった。「アサンテサーナ」「ポア」挨拶を交わし、店を出る。
 新百合ケ丘の古河林業モデルルーム二階で、井田と所長と打ち合わせ。今日は僕の作品を色々持ってきて説明をしてみる。そうすると所長は昔は生粋のヒッピーだったようで、ネパールの部族の家などの話で予想外に盛り上がる。井田も意外といった顔をしている。住宅メーカーで僕が喋る意味があるかどうか、どうなのかな、大丈夫かなと思っていたので、これはグッドニュースだ。面白いことが出来るかもしれん。しかも、今後も長く付き合っていけるようにしていきたい、といった話。長い目でこういう試みを試したいようで興味深い。所長は「サラリーマンの世界を今は旅していいます」と名言。
 家に帰ってきて、玄米を土鍋で炊いて、今日はなんだかハンバーグが食べたくなり作る。玉葱をざっくり粗めにみじん切りしたのを入れると美味いという栗原はるみさんの言葉を受けて、粗めのを入れる。残りの肉汁に、母さんがいつも送ってくれる、無茶苦茶美味い阿蘇の天然トマトケチャップと中濃ソースをいれて、絡めてソースを作る。これが、天然トマトケチャップの甘さが炒めることでアミノ酸全開でもっと甘くなり、美味い成分出まくり。サラダは水菜と熊本はオニツカの醤油ごま、新ジャガとチーズのオーブン焼き、ニンジンとジャガイモの味噌汁、キュウイフルーツ。新ジャガのオーブン焼きにはこれまた熊本から送ってもらった、実家の知人がブレンドしたハーブソルトが効いてうまかった。よくよく考えると、熊本の食材調味料ばっかりだな。塩も醤油も味噌もそうだし。熊本の食材や調味料たちは、よい音楽に似ている。とても心地よい。
 夕食後、テレビ番組制作会社から取材の依頼。とにかく会ってどういうものを作りたいと思っているのか聞いてみることにした。

2007年2月25日(日)

 朝10時に浅草でTEDと待ち合せのはずが寝坊。30分遅れで浅草に。TEDと初対面。真面目なアメリカ人。さっそく隅田川を見に行く。鈴木さんの家へ。僕もAERAが出てからようやく会いにいく。雑誌を鈴木さんに見せる。取り上げられ方がデカイので鈴木さんはビックリしていたが喜んでくれた。さっそくテレビ朝日が来たらしい。しかし、彼はテレビは嫌がっているので断ったそうだが何かのメディアを使って発表できないものかなとは思っている。鈴木さんも思っているようだ。ラジオだったらいいじゃんという話になる。声だけだったら大丈夫だなと彼も言う。黒霧島を持っていったのでみっちゃんとTedも一緒に4人で乾杯。肴は、クラムチャウダースープ、餃子、沢庵、法蓮草のおひたし、プチトマト、もつ鍋とてんこ盛り。今後は別府の立命館に鈴木さんを講師として呼ぶことも考えているのでそういったことの打ち合わせも兼ねての飲み会。さらに鈴木さんも色んな仕事の話が入ってきているようだ。ラジオの話をしていたら、自分のホームページでも今ラジオをやろうとしているので、第一回目で鈴木さんと対談するのはどうかなという考えも浮かぶ。
 その後、午後二時に横浜へ向かう。関内駅で降りて中区役所隣のアートスペースZAIMへ。今日はそこで小倉さんがトークをするというので見に行く。さらに来月はそこで僕の展示をしようということになっているので発起人のヒコに会う。スペースを見せてもらうと凄くいい感じ。ここでアフリカで作ったようなDIGITALの立体版を作ろうかなと考えている。来月はトークショーもあるのでスケジュール的に大丈夫かなというのもあるのだが、まぁ何でもやってみようかと。3月24日から10日間開催される予定。ZAIM一階のカフェで小倉さん、伊丹さん、菅井さん、僕、TEDで一杯だけ乾杯し、横浜駅へ向かう。久しぶりにお好み家(ハウス)にいって広島風お好み焼きを食べようかと思い、TEDを誘っていく。予約していなかったが無事に入れて、生ビールで乾杯。まずは牛肉の鉄板焼きもやしたっぷり付きを注文。おろし大蒜醤油で食べる。やっぱここは美味い。TEDもぼくと同じように建築の中で揺れている人。そこら辺について熱く話し合う。ロスアンジェルスにはサイモンロディアという偉人がいる。彼はシュバルと同じようにゴミを拾ってきて巨大なワッツタワーという作品を作っている。足下の土台には「FOR AMERICAN」という文字が刻まれている。彼は制作途中周りのアメリカ人から変人呼ばわりされていたのにだ。そんな話を。近いうちにLAにも行きたい。
 帰ってきて井田と来月の住宅展示場でのトークショーについての話。キチンと一つ一つ詰めていこう。

2007年2月24日(土)

 宇田川さんと「西荻の会」第三回目を決行する。今日は西荻のイタリア、「farina bianca .pizzeria」(通称FBP)で夕食。今日はヒロミさんは広島の実家に帰っており、宇田川さんとボクとふうの3人で。ハートランドで乾杯。前菜は茄子とベーコンのバルサミコ風味、ツナとトマトのフリッタータ、烏賊のアラビアータ風。そして、ジャガイモのオーブン焼。トマトとパンチェッタのサラダ。麦酒の後はイタリアワイン VALPOLICELLAをボトルで注文。すっきりしていてどんどん進む。これは酔っ払うな。料理はその後、豚肉のサラダ仕立て、そして鱸のハーブロースト、そして水牛のモッツァレアのマルゲリータ。やっぱりここのピザは美味しい。そしてパスタはカルボナーラ。パンチェッタが効いている。パンチェッタは豚バラ肉を塩漬けにし乾燥させたイタリアの生ベーコンで僕はこれが無茶苦茶好きなのね。食後は勿論Grappa。今日飲んだグラッパはMAROLAというブランドのカモミールテイスト。グラッパって、葡萄の搾りかすで出来たお酒なんですね。初めて知った。ただの酔っぱらいの僕はただただグラッパが好きだった。このカモミールテイストはハーブの香りが気持ちいい。これが美味い。で、ペルノーに似ているとも思った。イチゴのスフレも注文し、グラッパおかわりしてしまった。宇田川さんはジンを注文。食事が美味いと酔っ払った気がしないので、これが危ない危ない。
 宇田川さんは僕のエディションを購入してくれ、その作品も渡す。今日の議題は、最終的には「場所」の話になり、それを作りたくなっている僕の話をしているとそれは明治の頃あった自然発生的な夏目漱石周辺などで起こっていた「場所」と似ているなと宇田川さんが言う。僕は新しいと思っていたものが、宇田川さんにとっては懐かしいものでもあり興味深い。そして、僕が「将来、人間一人一人が誰にも使われず、自分自身を仕事にしている社会を作ることが夢です」と語った数学者であり哲学社である岡潔さんの言葉を出すと、宇田川さんはなんと高校生の時に岡潔さんに手紙を送り、奈良の田舎で生活をしていた岡さんに会いにいったことがあるらしくそのことに信じられん位ビックリした、が、安心したし、自信がついた。なんや、一番近いところにいる人が一番おもしろいやん、と。そうなんですよ。自分の手の届くところにいる人が、常に僕にとってはアヴァンギャルドだった。そのことを実感している、最近。
 僕は自分にとって憧れる社会は、自分の先にあるものだと思っていた。本当はそうじゃない、自分の身の回りにある。もう何も気にすることはない。日常を「深い遊び」と思って戯れるだけでいいのだ。ノルウェーのシンガーソングライターAnja GarbarekのMy Fellow Ridersを聞く。いいよ、これ。

2007年2月23日(金)

 小田急線で新百合ケ丘へ。ミスタードーナッツで、ハニーチュロとフレンチクルーラーとホットティー。井田かおり登場。今日は井田の会社、古河林業からの依頼で住宅展示場でのトークショーの打ち合わせ。現場下見。わっ、これは本当の住宅展示場だ。そりゃそうか、ははは。で、古河林業のモデル住宅のなかで所長に挨拶し、井田と話を進める。しかし、僕の作品と住宅展示場という全くミスマッチとも思えるイベントをよく井田は企画したものだ。凄い。ポスターやポストカードなど、そして宣伝でラジオなども使えるしれないなど面白そうな要素がたっぷりある。やりましょうやりましょう。3月17日と18日。この二日間トークショーをやる予定。

2007年2月22日(木)

 コカコーラのHappiness Factoryっていうのがある。昨日のコーネリアスじゃないけど、こちらも日常の瞬間の立体化といいますか、なんか凄い。それと、この前テレビ番組で、たまたま見た友近となだぎ武のコンビ「ディラン&キャサリン」っていうのがあって(有名?)それはビバリーヒルズ青春白書という昔NHKであっていたアメリカのテレビドラマの日本語吹き替え版の物真似をするコントをやっていて、ぶっ飛んだ。これは日本語吹き替えという目に見えない空間に焦点を与えたかなり画期的な作品なのではないのかと。デビットホックニーが劇の幕にずっと興味を持っていたのと同じ系譜の作品ではないかと思った。

2007年2月21日(水)

 コーネリアスからは定期的にメールマガジンがくるのだが、今日来たメールを読んでいてFit Songという曲のプロモーションヴィデオの事が出ていた。全然出たのを知らなかったのでYouTubeでチェックしたら非常に気になる映像だった。僕はこういう日常的な風景を元につくってある映像にかなり敏感に反応してしまう。この気持ちは一体ナンなのだろうか。僕も日常の自分の周りの空間の中にはこのような(でもちょっとやりすぎではあるが)直感が転がっていると思っている。それは目には見えない世界である。でも感じれる世界ではある。僕はその感じれる世界を具現化しようとする作品に非常に興味をそそられているようなのだ。こういうように好きなものがなぜ好きなのかという思考はそれ自体がこれからの課題になりうるような大きな可能性を秘めている。夜は今日は宮崎ラーメンとトマトとツナの卵焼き。カナダのレストランを調べている。どこがいいかな。

2007年2月20日(火)

 昨日のAERAの反響が届く。やっぱり部数の多い雑誌の影響力はすごいんだ。ただ載ったというのではなく、記事自体がよかったと言ってくれた人もいて、とても勇気づけられる。0円ハウスで言おうとしていたことがもっと詳しく伝わったところもあるようだ。とてもよい。鈴木さんプロジェクトはこのままもっと深めていく必要がある。現代の生活について何らかの提案が出来るのではないか。
 京都精華大学の須川さんから昨日に引き続きのメール。公開講座の依頼。現代生活学というテーマのようだ。熊倉氏という慶応大学の教授の方と一緒に行うようだ。内容を読むと最近僕が考えている「場所」をつくるということに触れてくるポイント多し。興味を持ったので参加をする旨を伝える。5月下旬から8月にかけて月に1、2回京都に行って講座を持つことに。こういう場所を変化させて動けるのは思考にとっても非常に重要なことなのでよい。
 夜は肉豆腐、小松菜のごま和え、魚久の京粕漬け「鮭」と「鰆」、カブの味噌汁、熊本の海苔の佃煮、そしてとちおとめ!今年のイチゴは本当に美味い。食後、ふうと喫茶店に行こうとするが、「それいゆ」が夜10時にも関わらず、満席!西荻の喫茶の底力を感じる、で、近くの日月譚という喫茶店でハワイコナ珈琲と今川焼を頂く。6月の結婚式の話。

2007年2月19日(月)

 朝起きて、セブンイレブンでAERAを購入する。「0円生活の方法」が載っていた。そりゃそうだけど。家に帰って記事を読み返す。今回は僕が最初の初期衝動で書いた原稿の勢いがそのまま残されている。ほとんど変更は無かった。それぐらい僕も自信があったのだが、勘違いとも思ったが(大体書いている時は興奮しているのでいつもイイと思いがちだからね)いいものができあがったと思っている。こんな大抜擢してくれた矢部さんに感謝である。鈴木さんに早く見せにいかないと。海辺の英文読書練習。昼過ぎまでぼうっとする。すると京都精華大学の須川さんからメール。5月から始まる公開講座の講師の依頼だった。何回か京都に行って一般の受講者にレクチャーをするようだ。いつも興味深い催しに呼んでくれてサンキュ須川さん。こういう前の講演会から広がっているのはとても気持ちがいい。経験の渦を感じれるのだ。なんだかわからん武者震いがする。すると次はカオリより、彼女が勤めている住宅メーカーで話をしてくれないかとの依頼。これも面白そうだから承諾した。3月中旬になりそうだ。これで3、4、5月と喋る機会が続きそうだ。でも僕は喋る方が好きだからそれはとてもありがたいことなのね。
 昼過ぎにエディションの注文が入る。日頃お世話になっている方から。それで小林額縁屋に電話すると、もう一つ既に作ってあるという返事。それで二時過ぎに東横線に乗って祐天寺に。小林さんにも雑誌を持っていくと本当に喜んでくれた。彼も最近の僕の流れに興奮してくれているようだ。これはもっと頑張らねば。そして、さらにエディション4つ分も勢い余って製作をお願いしてしまった。まぁよかろう。小林さんと会って自分の作品を初めてみたような気がする。それぐらいここで作るとしゃきっとするのだ。帰りに小林さんの弟さんを紹介してもらう。彼らは二人で店を切り盛りしている。弟さんのアトリエに入れてもらう。今は写真家石内都さんの巨大な作品を作っていると言う。見せてもらえた。顔が笑っている常雄さん。こりゃ楽しいんだろうな。やっぱり本物の仕事って楽しいんだろう。僕もそういう仕事だけを作らないと。ふとそう思った。喜んでまた出来上がったエディションを持って帰る。帰り道が気持ちいい。すきっとしている。祐天寺は僕の中学校の帰り道っぽい。夕暮れにすきっとしながら、とにかく前に進めと、もう一度しゃきっとする。人生は「がんばれゴエモン」の洞窟だ。足下しか照らされてない。次の一歩歩かんと右か左かわからん。中学校モードのようである。
 帰りに代官山でふうと落ち合い、新宿へ行く、文化服装学院内の生地屋さんで生地を見る。ここいいな使えるな。そして家に帰る。NOVが遊びに来る。就職活動のようだ。僕はしたこと無いから分からんがやっぱり大変なのだ。僕は就職だけが道ではないとしか言えない。誰からも依頼されずに、全くのゼロの状態から発生させるという作業はカンパニーにはありません。夜飯はそぼろご飯と南瓜の煮物と新じゃがとベーコンの炒め物。そぼろはきちんと九州仕立ての甘いやつが出来た。うまい。

2007年2月18日(日)

 昼過ぎまで寝てた。起きて、吉祥寺に靴を買いにいく。途中でUNIONに寄り、格安レコードを漁る。ソウルジャズレコードのブラジルコンピレーション400円、SADEのダイアモンドライフ100円、WATANABE SADAOメイシア100円、アフリカパーカッションコレクションフランス盤1000円。家に帰る。亮太も西荻に到着し、ふうと三人で宇田川家へ。僕の家から歩いて10分も経たないところにある。年末以来。家に入るとまた出た!宇田川さんお手製のお品書きの紙がテーブルの上に。2007年2月18日坂口夫妻&弟様と書いてある。僕はふと、レストランというものはこういう家でのおもてなしを真似したものなのだなと思った。友人に向けて集中して作ってくれる食事というものはレストランでは永遠に味会うことの出来ない世界なのだ。ここでは僕は普段では食べれない食わず嫌いなものでも全部食べれる。食というものはそういうものなのだ。まずはプレミアで乾杯。ポッサム(王様)キムチ。これは白菜だけでなく、白身魚、タコなど魚介類などもとにかく色んな食材が詰め込まれているキムチ。辛くない、甘い。アミノ酸が全開なのだろう。そして子持ち烏賊と小松菜のあっさり煮物。ホウレン草とトマトと大蒜のサラダ。そして、麦酒に合うといわれ出てきたのは海老の生春巻き風揚げ春巻き。これが信じられんくらい美味い。揚げてあるんだけどあっさり、でもかりっとしている。それを塩と山椒につけて食べる。山椒は宇田川さんが今日挽いたものらしい。恵比寿麦酒追加。このレシピはダメオヤジの作者である古谷さんの漫画「レモンハート」に出ているらしい。そんなリサーチに頭が下がりながらもヒロミさんの料理に舌鼓を打つ。そして、次に出てきたのはアルミホイルに包まれたもの。目の前には、宇田川さんの庭で取れた柚。ホイルを開けると中からは牡蠣が三つと鱈の白子。僕はこの二つどちらも本当はあまり好きではありません。でも柚をかけて、醤油を少しばかり垂らす。うまい。なんやこれ?牡蠣と白子に対するわだかまり解消。彼らはうまい。牡蠣と白子の下には昆布が敷かれている。味付けはこれだけである。僕は麦酒から焼酎に変化していく。今日は風譚はありませんとのこと。今日の芋焼酎のおすすめは「さつま無双”竃(かまど)”」ロックで頂く。そして次に出てきたのはビーフシチュー。この中の肉がまたうまい。おかわりしてしまう。肉は西荻の名店とらやのもの。宇田川夫妻は西荻の渋い食材を持っている店をよく知っている。とにかく探すのに必死なのだ。その二人のとにかく探す精神(西荻の店だけでなく、東中野の楽というハモを食べた渋すぎる居酒屋や、三浦大知というミュージシャンなども)はとても僕に刺激を与える。おかわりの間にお酒は焼酎からキャンティに変わっていき、お気に入りの日本酒まで頂く。新潟の「鶴の友」。これがまた美味。さらにキャンティをおかわり。チャンポンしてるんだけど、おいしい食事と一緒においしい厳選の酒を飲むと全く酔っ払わない。素晴らしい。次に、なんと手作りの「ちまき」がでてきた。笹のハッパもネットで購入してきたらしい。中には松の実と豚肉。この豚肉も以前頂いた叉焼のように手作り煮豚。味付けはその煮豚からしたたる汁だけ。三つ頂く。竃をおかわり。デザートはふうが作ってきた洋梨のタルトとイチゴ。そして待ちに待ったウィスキーに入っていく。まずは亮太が始めてなので宇田川さんお任せコース。サントリー響きから始まり、余市に行く。余市で亮太やはり反応を示す。そしてラフロイグはクオーターカスク。これもうまい。かなりよいお酒が続きます。ヒルランドパーク、バランタインも頂き、そして、僕はなぜか手にギターを持っていた(ギターを弾くのを聞きつけた宇田川さんが弦を買ってきていて、既にチューニングまでしてあった)。アフリカで覚えた民族音楽をギターの伴奏で歌う。そうすると宇田川さん凄く反応してくれて、ウイスキーも進む。肴は生ハム、サラミ、チーズとドライマンゴ。僕はドライマンゴにはまり、でも宇田川さんがまた歌ってとリクエスト。僕も歌いたいのですぐ応じる。素晴らしいかな食事会。料理を作ってくれたヒロミさんに感謝。そしてバーテンダー宇田川さんに感謝。帰りに白州12年の50mlのミニチュアボトルを頂くという特典付き。場所とはこういう力がある。そこでは空間と料理とギターの音色が絡み合い、遊びあい、皆がじわじわと幸福感を感じる。それはケニアで僕が一緒にみんなとダンスしている時と共通するような瞬間だった。そういう場所があることを伝えなければいかん。西荻の「酒亭 宇田川」はナイロビのラナロダンスホールと繋がっているのだ。

2007年2月17日(土)

 大学時代の同級生のシンジロウとチハルちゃんの結婚式。僕は二次会から参加する。六本木で皆と落ち合う。懐かしい面々。懐かしい面々と懐かしまずに熱く討論してしまう。そんなのもいいね。麻布のバーで二次会。みんな独立している人や、会社で働いているものそれぞれ。僕だけ違う方向に向かっているような気もしたが、いろんな所でそれぞれやっていることに幸福感を感じる。三次会は名古屋の赤から鍋屋。結局いつものメンバーに戻る。途中で台湾に行っている上野も帰国したので参加してくる。2時頃まで飲んで、最後は4人になり、白木屋でパフェを食べる。久しぶりに朝まで飲んだ。

2007年2月16日(金)

 ハザマの家で久々のウェブ会議。来週用のトップページの変更。エディションの販売用ページ、そして旅行記のまとめなど色々取り掛かる。二人とも感覚が開放されていたのだろう。作業はどんどん進み、もうちょっと感覚を伝えるだけで、ハザマによりページが更新されていく。AERAの後に僕のページに来る人が多いだろうからさらに更新に拍車をかけていこう。そういえばハザマと共同作業をしだしてから2月で丸5ヶ月になる。気づいたらまだそんだけしか経ってないの?とびっくりしたが、それぐらいウェブはハザマと会ってから異常に水を得た魚のように進化した。今や非常に充実したページになっている。3年かけたら大変なことになるだろう、と楽天家の二人はそう見る。とにかくハザマと二人でやっていたら全く不安がない。多分うまくいくだろう、で進んでいく。で、うまくいく。うまくいくとは、どっちだかわからんけど、賭けだ!とか思って進んでいても絶対にうまくいかない。これは経験でわかったことだ。それは成功するということとは違う。うまくいくというのは、直感で確信するのだ。不安が全くないわけではないのだけれど、うまくいくと分かっている。そんな状態。ハザマも今日同じことを言っていたので安心した。僕は人生というものはいつもうまくいくものと思っている。必要なのはよーく見ることだ。とにかくうまくいっている自分の状態を少しでもいいから見つけ出すことだ。すこしでもいい、僅かながら見つけ出した人はうまくいく。自分がやろうと思っている方向にきちんと歩めるはずだ。見つけて、それを実行しようと思った時には実はすべてうまくいくようになっている。後は、、、とにかく自分のどうしようもないところを出来るだけ無視し、少し突起しているところを明日ではなく今日から本腰入れて実行することだ。これは自分では分かっているつもりなのに、いつも言い聞かせていること。日記はたまにこういうことにも役立つ。人にいうのではなく、自分に言っているのに、人に言っているように言う。そうすることでより自分のなかに入っていく。夜は勿論ハザマと桔梗へ。今日は煮干しにやられた。新しいオーダーを覚えてご満悦になる。新しく作ったページをアップロードする。早速エディションの注文が入る。

2007年2月15日(木)

 駆け足で、東横線で祐天寺下車。駆け足で小林額縁屋へ。なんか学生の時みたい。小林さんよし来たなとばかりに奥から僕のエディションを出してくる。電話越しから結構興奮状態だったので期待していたが、ばっちりだった。とてもシンプル。質の高い額縁。僕の写真が生きているようだ。写真が無茶苦茶いいと褒めてくれた。僕はそのお褒めを無防備に受け取った。こんな額縁屋が他にあるだろうか?こんなモチベーションが高く、そしてちゃんと作家の作品を気に入ってくれ、喜んで作ってくれ、どうだ参ったか!と僕に威圧をかけてくる親父。そんな小林さんに僕は参ってしまった。僕の話を本当に楽しそうに聞いてくれる。そして、君は幸せだなと言ってくれた。そんなこと言って下さって、僕は幸せです。となった。でも、ふっと戻ると、「どんどん頑張って、自分の作品をどんどん作りなさい」とハッパをかけて下さった。そして、彼はまたいつもの仕事に戻った。本物の職人は芸術家よりも芸術的である。彼はまさにそんな人だ。家に帰って、デジカメで額縁をパチリ。ハザマに送る。そのうちshopがまたオープンします。夕食は梶原さんがくれた太宰府ラーメンを食べる。これが美味かった。麒麟麦酒。額縁を見て、喜ぶ。こういう時は一杯見た方がいい。ヒコちゃんからメール。ヒコは原さんの愛弟子というような存在。原さんがバンクーバーに向かったので、今度はヒコちゃんと色々やる機会が増えそうだ。彼もアートキュレーターである。横浜ZAIMでのトークショーの依頼。これは面白そうだ。しかも、アフリカの話をしようと。いいじゃん。自転車作りませんか?とのこと。いいじゃん。あと、サンフランシスコのウェブマガジンのTEDよりメール。この前0円ハウスを紹介してくれたひとだ。来週日本にくるらしい。ぜひ鈴木さんに会わせたい。来週会おうとのこと。みんな動いてるね。それそれ。それが一番よ。

2007年2月14日(水)

 ペーパーバック読書練習。やっぱり高校生の時に買えと言われたジーニアス辞書は本当に使いやすい。訳が直訳じゃなく、実用的に作ってある。小林額縁より電話。「額縁できたよー。」だって。しかも期待して下さいと言われた。小林さんもしっくりいったのは本当にうれしい。早速明日祐天寺に取りにいくことにする。AERAの発売とエディション発売を同時にやりたかったのでタイミング完璧である。さすが小林さん。毎年ボロ市で内緒で購入する幻の青唐辛子味噌。これがうまいのね。それで今日は豚バラとエノキとホウレン草を青唐辛子味噌で炒める。あと水菜のサラダと、魚久の京粕漬けの鯖と烏賊。恵比寿麦酒。やっぱり自炊が一番。いつも僕は自分で作った飯を外で食べたらいくらになるかという予想を立てて、今日かかった値段との差額を調べ、得した気になっているという貧乏根性丸出し状態。

2007年2月13日(火)

 来週頭にAERAに掲載される「0円生活の方法」の原稿を書籍化に向けてもうちょっと肉付けしていく。約20倍ぐらい必要らしい。これはえらい分量だよ。0円生活を軸に、日本の仮建築史や、ゴミの問題、リサイクル、エネルギーの問題、コミュニティ、住宅の作り方、60年代との比較、など多角的に追って行こうと思っている。ホールアースカタログの現代的意味合いも持ちたいと思っている。しかもグーグルとは違うやり方で、つまり項目に熱を持たせようと思っている。しかもただの建築本にならないように、隙間だらけのモノにもしていきたい。でもこれは時間を決めてやらないと延び延びになっちゃうよ。3月一杯で書くと決めて、一週間ぐらいはそれだけに集中する時間を作ろう。とにかく今年は具体的にどんどん形にしていきたい。ドトールで海辺のカフカペーパーバックの読書練習。10ページ30分。今度はこれを習慣漬けていく。DAVID MANCUSOのMIXを聞きながら読書。その後、作曲。ようやく音楽の力が出てくる。DJのMIXの中で気になるリズムトラックをサンプリングし、それにアコギでリフを加えていく。ナイロビで作った自転車の評判がわりかしよい。その流れの作品も日本で作ろうかね。バンクーバーのジョエルからメール。彼女の友人の企画する小さな展覧会への参加を求めるメール。どうなるのかな。でも最近は本当に話が多い。しかも、ジャンル問わず。講演、執筆、写真、展覧会、雑誌と支離滅裂。自分でそう仕向けたのだからそうなるのは当たり前。それをどうやってまとめるかが鍵かなぁーと思ったりしたが、今のところはそれらをとりあえず海原に投げやって何にも処理をせず、考えずにただ流れのママにやってみようかと思い返した。多分それが今の自分のやりたいことなんだろう。

2007年2月12日(月)

 朝早く起きて、チャーハン食べて、新宿へ。10時10分から周防監督の「それでも僕はやってない」を新宿トーアで見る。午前中なのに人は7割ぐらい入っている。気になっていたので早めに見に行った。とにかく前評判通り裁判の克明な記録。もうほとんど記録にしか見えないほど記録。ブレッソンの脱獄の映画を思い出す。そこら辺に向かっているのだろうか?映画とはまた違うような気がする。それともこれが映画なのか。自分の空間の興味もくっついてきて、色々と考えさせられる。しかし、周防WORLDが繰り広げられている感は薄い。ファンシーダンスみたいのをもう一回見たいのは見たい。でも面白かった。ベルグでカレーのランチ。麦酒。そして墨の繪でチョコレートパン、林檎パン、玉葱とエダムチーズのパン購入。サクラヤに一寸寄って、西荻に帰る。その後、家で製作。写真を10枚カラーコピーしてそれを立体分解して立体の街並を箱の中に詰め込めるという作品を作る。三軒茶屋の古い商店街の写真をもとにした。これは発表用でなくて、ユメ用だ。ユメは姪っ子だ。今日はユメの誕生日。ふうの姉ちゃんの家にいって、メイ、ユメ、お姉ちゃん、かほるおばちゃん、ふうとボクで誕生会。ユメは相変わらず不思議なエネルギーを持っている。将来が楽しみだ。僕の誕生日プレゼントも気にいってくれたようでほっとする。この作品を作っていたら、これは発展しがいがあるなと思う。誕生日のプレゼントから始まるのもおもろいね。

2007年2月11日(日)

 ホットケーキを焼く。そして映画「ホテルルワンダ」をDVDで見る。アフリカはルワンダの大量虐殺の事件を扱った物語。ケニアのすぐ近くで、しかもつい最近こんなことが起こっていたのを僕はほとんど知らなかった。これは恐ろしいことである。ルワンダ国内の二つの部族が殺し合いを始めるのである。恐ろしい。なんなんだ。一体。しかし、無知とは恐ろしい。知らない僕も恐ろしいが、殺し合いをする彼らは本当に無知すぎる。この映画はアフリカの人々の微妙な心の動きが感じられ、僕がケニアで感じたことにも共通していたこともアリ凄く入り込めた。網野善彦氏の「歴史を知るヒント」を読む。日本もまた不思議で曖昧で悲しいところもある国なのだ。日本の語源からせまる日本の言葉の歴史はとても興味深く集中して読む。「海辺のカフカ」ペーパーバック読む。やっぱりリスニングより、読書だなともう一度やり直す。

2007年2月10日(土)

 ベルグで一人で麦酒飲みながら、これからの考察。読書。ただぼーっとする時間をもっと作らんとね。ituneを空っぽにする決意。そんな決意いらんか。でももっと違う音に耳を傾けたい。自分の知らない音楽、音を常に聞き続けたい。2月は「0円生活の方法」の執筆を中心にやっていこう。立体読書も江戸川乱歩に絞って一冊の本になるぐらいの分量を書いていこう。とりあえずはこの二つを終らせる。三月一杯ぐらいに終らせればバッチリだろう。4月に岡山での芸術祭、そして横浜でのシンポジウムが入ってきた。これに合わせて日本の各地を喋りながら回るツアーというのを考えている。どうなるか分からんが、何カ所からか話も入ってきている。岡山行った際には尾道にも寄ろう。アフリカの次は日本ツアーだ!というのが次の旅の計画である。3月4月でぽつぽつ色んなところに行けたらなと思った。このまえ佐久間さんと新橋で話していた時、なぜか金沢の話になり、ぜひ21世紀美術館でやりましょうと言われ、それはとても面白そうだなぁと妄想している。しかし、最近の僕はとにかく妄想さえできれば、実現する可能性が非常に高いのでとにかく妄想する。構想とか想像ではないのだ。もう仮想現実の世界では、やった気になっているというのがミソだ。
 中野で亮太とふうと待ち合わせ。僕が前から気になっていたモントリオール風のハンバーガー屋に行きたかったからだ。佐世保バーガーというやつが出てきて、それはとても美味かった。しかし、雰囲気はやはりモントリオールがいいなぁ。UPSTAIRというジャズバー。そこの雰囲気が欲しい。そうだよなぁこういう場所があると素晴らしいよなぁと思える場所。でもそれは西荻では感じれる。でもそろそろ西荻も慣れてきて、僕は次のところに行きたくもなっている。もっと田舎へ。でも東京かなぁというのが今のところのイメージ。僕は家族、親戚、兄弟、そして外国人旅行者、そしてなにやら訳の分からん若者、オヤジなどがみんなで住みついているようなマジカルパワーマコが住んでいたアメリカンヴィレッジやスワノセのコミューンやモロッコのタンジールや、吉阪隆正のつくったU研究室や、チェルシーホテルや、ベックたちがアルバムを作ったKレーベルのスタジオや、リーペリーのキングストンのスタジオや、ホールアースカタログ事務所や、ネオダダたちの本拠地磯崎新設計のホワイトハウスや竪穴式住居みたいなものを作りたいのです。
 そんな感じで、そのまま高円寺に行く。高校の同級生スグルが駅前でティッシュ配っていた。ロックンローラー目指すスグルとしばし歓談。とにかく我らは前へ向かってやるしかないのじゃ。で、そのまま歩いて久々のイワンへ。寛さんと洋子さんに久しぶりに会う。アフリカの話で盛り上がる。隣はNOKIAのアジア担当のフィンランド人、で父島にずっと住んでいたらしい女性と、医療関係の女性と亮太とふうと僕と寛さんと洋子さんで話す。なんじゃこりゃ。ズレの応酬。白ワインボトルとズブロッカロック。3、4時間居座り、素晴らしい週末。父島が凄いとのこと。海外より遠い東京都。これは何だか気になるな。

2007年2月9日(金)

 坂本屋でオムライス大盛り。火力が素晴らしい。飯がかりっと炒めてあって美味。今日はいつもとは違う席で食べると風景が勿論違って見える。これはお客さんって得だなぁと思った。僕たちは店をたまにしか利用しない。その空間を少しづつ味わっているのだ。それはとても奇妙な空間の使い方であり、そこにずっと住んでいる人には感じることが出来ない新鮮さである。なんとなくこれは面白い感覚だなぁと思った.今日は気持ち良くなってそのまま古本屋でなんかぼーっと本読みたいなぁと思い、音羽館へ。コリンウェルソンが書いたユングの本と網野善彦さんの「歴史を考えるヒント」を購入。何となく今日買った時、飛行機に乗る前に買った時と同じ感覚がした。とても気持ち良かったのだろう。最近はとても不思議な気持ちだ。毎日が旅をしているような気持ちになっている。いつかナイロビみたいな街にしてやろうと思ってからだ。それは僕をとても新鮮にさせる。全てが無くなってもいいかなという安心感がある。

2007年2月8日(木)

 今日は新橋に行き、ヒューマン・フロンティアという会社の代表の佐久間さんに会いにいく。彼は産業カウンセラーといって企業を支援しているカウンセラーで現在非常に重要とされている分野,そして佐久間さんはこの世界のパイオニアでもある。で、僕は数年前、非常に悩んだ時期があり、これはどっかに相談に行かなくちゃいかんだろうということで、オヤジが自分の会社でお世話になっているカウンセラーを紹介してくれた。僕は自分の状態に不安を抱えていたので彼のところへ飛んでいった。そして腹の底から話し合ったのである。その時の自分は何も出来ずにどうすればいいかわからん、しかし、自分の頭の中に描いている未来は壮大すぎて、そのハザマに揺れて苦しんでいた。とにかく大変で、廻りの人間がキチンと仕事をし始めているのに自分だけ一人で何かやると言ったはいいが、独り立ちするにはほど遠い状態で失敗してしまったのかと思っていた。それで病気になったと思っていた。「鬱だー。」と一人で騒いでいた。それで佐久間さんとあったわけである。彼はある出来事がきっかけで、それまでのサラリーマン生活を止め、アメリカに飛び、心理学の勉強をし、これからは企業のなかにカウンセラーが必要だと考え会社を起こす。会社が始まってまだ間もないときだった。僕は彼の姿勢に刺激を受け、何らか感じるところがあった。そしてさらにこう言われた。あなたは鬱なんかじゃありません。ただ自己実現したいことが大きすぎてそのため実現していないと感じやすくそのため焦っているのだと。その視点の変更は僕を立ち直らせ、とりあえず本を出版して前に進むぞと、とにかく粘ってやるぞ、と燃えさせたのでした。
 まぁそんなこんなで今この状態にきているわけですが、佐久間さんにはそれ以来手紙は送っていたが会ってなかった。ナイロビジャーナルのお知らせを送ると、会いませんかと佐久間さんが言ってくれて今日会うことになった。久々に行く新橋の会社。あれ以来会社は拡張を続け、凄いことになってきているようだった。しきりに「これからは発信してかねば」と言っていた。僕がアフリカで感じたこととシンクロしていてビックリした。佐久間さんもエネルギッシュにやっておられる。若造の僕もこれはもっとやらんとね。とにかく佐久間さんは僕の立ち直りを非常に喜んでくれていた。彼も先を見ている。前向きに進み続けている。

2007年2月7日(水)

 今日はノノカデー。新宿でノノカと美帆とオヤジと母さんと会う。高島屋で買い物して、巣鴨へ。みんなで美帆の家で飯を食う。ノノカはもう自分の名前を呼ぶと返事をし、いくつ?と聞くと指を一本立てるようになっている。まだ一歳になったばかりなのにこれはすごいことなんじゃないかとオジバカ全開。
 夜、久しぶりに、みかんぐみの曽我部さんからメール。何のことやらとおもったら4月30日に行われるシンポジウムに参加してくれないかと依頼。しかも一緒に参加するのは建築家の宮本佳明さん。前から気になっていた方だ。これは面白そうだ。さっそく参加しますとのメールを送る。日本でも少しづつ動いてきている。それも全て本を出版した直後頃に奇跡的にお世話になった人たちから発生している。まだそういう繋がりが続いている。これはいいことだ。

2007年2月6日(火)

 AERAの初校ゲラ届く。係の方が届けてくれた。そして僕も見出し部分の手描きの文字を渡す。ゲラ見る。いい。文章も僕が直感だけで書いた文章をそのままにしたうえで、うまく再構成されている。恐れ入ります、矢部さん。そのまま一人でベルグで小さく乾杯。文章を読み、推敲する。いくつか直しもあったがほとんど一番始めのパッションがそのまま残ったのではないか。いい特集だと思う。家に帰るとまた矢部さんより幾つかの質問と依頼が入っている。よっしゃどんどんやりまひょ。夕食は魚久の鮭と鰆の京粕漬け、ヤムヌア、味噌汁、多古米の玄米ご飯。最高である。やはり自炊がいいんだ。そしてまた作業。夜11時半作業終了。メールを送る。発売が楽しみだ。何らかの提案、パッションが与えられるかもしれん。

2007年2月5日(月)

 都営大江戸線で築地市場。ああ懐かしき築地市場。しかし、今日は築地に行かずに、向かいの朝日新聞社へ。7階のAERA編集部へ。大枠のデザインを見せてもらう。いいねぇー。凄いホントに5ページだ。そして、いくつかの直しの話、さらに見出し部分を手描きで行こうぜ!ということになり持参したペンとインクで描く。そして矢部さんと築地と銀座の間で夕食。今日は沖縄料理屋「竹富島」。オリオンで乾杯。その後、残波に移る。今日は帰ってからまだこの原稿の仕事が残っているためお酒は控えめで早々と帰りましょうとなっていたが、お酒は我慢できたが、トークは結構ボルテージ上がる。新しい記事のアイデアも出て、これもまた面白くなるだろうからどんどん書いてみようと思いながら10時半頃銀座を出る。家に帰ってから少し作業。午前1時半終了。書いた原稿を送る。

2007年2月4日(日)

朝起きて、墨繪のチョコパンと林檎パンと玉葱パンで朝食。これらはいつ食っても美味い。そして出遅れたが東郷神社へ骨董市を見に行く。オヤジと母さんとふうと僕。途中より亮太参戦。東郷神社の骨董市、僕は初めて行きました。ここ無茶苦茶いいねぇ。品物良し。僕の今回の目標はかっこいいサングラスを購入すること。ナイロビでみんな無茶苦茶カッコいいサングラスはめていたから。まずはプラスティック製の凹凸の無い狂ったサングラス発見。500円。まずとりあえず購入してみることに。でも真っ赤っか。前が見にくい。これでは駄目だなーと思っていたら。中国人のおっちゃんがやっているお店で、ラストエンペラーの時代にイギリスから輸入されたという絶対嘘っぽい年代物のサングラス発見。7000円だって。しかし、これはかっこいい。真鍮の変な飾りが付いている。欲しかったので、エーイと思って購入。でも5800円にまけてもらった。他にも色々いいのがあった。籠も購入。
その後、青山通り沿いの中華料理屋「希須林」というお店でランチ。ここ前々から気になっていた隠れ家のような中華料理屋。雰囲気いいし、中華料理屋っぽくない。僕はチャーハン定食1050円、他の人は日替わり定食、担々麺定食も注文。味はなかなか。チャーハンちょっと味が薄かったが、でも美味い。なかなかここら辺で昼食を感じよく食べれるところがなかったのでこれはいいかな。
食後、僕だけ表参道から銀座線に乗り込み、浅草へ。隅田川の鈴木さんのところへ行く。再来週のAERAの記事についての話をする。写真掲載もオッケーしてくれた。見るのを楽しみにしてくれている。途中から酔っ払って散歩に行っていたみっちゃんも戻ってきた。皆で焼酎で乾杯。僕はマサイ族の布をお土産に持っていった。帰宅後、AERA用の追加で言われていた原稿書き終わる。夕食はバルタザールで鳥の唐揚げ定食&玄米おかわり。ビデオ屋で「ホテル・ルワンダ」借りてくる。「それいゆ」でチーズスコーンお持ち帰りで二個注文。
武田双雲さんのドキュメンタリー番組を見る。凄いな。彼も熊本市出身。しかも3つ上。みんな頑張ってんなー。俺もやろう。励みになる。

2007年2月3日(土)

 新大久保でオヤジと母さんとふうと集合。そのまま韓国料理屋「カボチャ」へ。ここはリーズナブルな値段でそして美味い。しかも、変に辛いものではなくてまろやかな味。久々に行く。相変わらず大盛況。ブルコギ美味すぎ。そしてここはチヂミが美味い。石焼ビビンバも美味かった。量は多いし。オヤジと母さん家に宿泊。相変わらず馬鹿話して過ごす。最近はこの終らない馬鹿話が僕の思考の原点だったのではないかという推測も出てきた。とにかく喋ってた。頭が痛くなるぐらい喋っていた。僕は。アフリカの体験が日に日に自分にボディブローのように効いてくる。今回の仕事は0円ハウスの事はほとんどしなかった。それで僕にとってはむしろ以前より充実した日々が送れた。0円ハウス以外でも仕事ができたという自分にとっての自信にもなった。そして、僕は部屋で作品作るより、人前でどんどん喋って、日本語でなくても英語でもスワヒリでもとにかく喋って、歌って、踊って、さらに作品を作り、エンターテイメントしていくことに喜びを感じるし、得意なのではないかということが分かった。これは大収穫である。つまりはもっといろんな舞台に立って喋りまくれ!ということだ。

2007年2月2日(金)

AERA矢部さん、僕の原稿バッチリだと言ってくれてさらに会議に出してくれたようで、なんと来週僕の原稿が入稿されることになった。まさに急展開。そんなことも起こるんですね。もう最近のこの流れでは僕は流れに流れて大海原にでも地球の外にでも飛び散ってしまえと気持ちのよい諦めモード。矢部さんからの返信に僕はとても勇気を得た。ナイロビにいる間は、書きたくても忙しすぎてずっとこの原稿が書けなかった。 それで帰国したら一目散で書いてみた。それで訂正も見直しもせずに出した。で、オッケーが出た。でも久々に無茶苦茶楽しく文章が書けた。こういうときは何かが起きるもんである。5ページ頂いた。これは大変なことである。なんだかワクワクしてきた。これは早速協力者の鈴木さんに伝えなければ!日曜日に隅田川に行こう。鈴木さんとみっちゃんも喜ぶだろう。僕の記事が載るのは2月19日発売号の予定。また近くなったら宣伝します。
今日はその後ハザマの家に行き、お土産を渡す。そしてナイロビで作った写真を出力させてもらう。ナイロビジャーナルが評判がよく皆から面白かったというメールをもらったことを話す。ハザマも喜んでいた。ハザマとはもっともっと面白いことをしていきたい。仕事にはとても見えないようなものを仕事としていきたい。僕らが高校生の時に想像していたようになってきた。もうちょっとだ。二人でお互いを鼓舞する。ふうも参戦し、初台桔梗に行き、塩のつけめん大盛りと瓶麦酒。うますぎて、替え玉注文。桔梗はやっぱりうまい。

2007年2月1日(木)

注文していた、WHOLE EARTH CATALOGの1969年秋版がアメリカより届いた。 amazon.comも使えるね。$54でした。とにかく欲しかった逸品。 日本ではまずお目にかかれません。かかれても無茶苦茶高いです。 中身も素晴らしいです。僕の小さなライブラリーに素晴らしい本が並んだ。 こうやって本が来る快感はやっぱりいつまでも残るな。 そして、この本は僕だけでなく、色んな人に見せていくべきだと思う。 ウェブ上でも紹介していこう。
アップルパイを食べる。 煮込みうどんを作る。
AERAの矢部さんから原稿届いたサンキュのメール。どうなるか楽しみだ。 昨日の紅さんとの話で、ジェームズタレルについて考えたのでこれは色々調べたいな と思う。僕の0円ハウスも一体これからどういう広がりを考えていくか、そして見せ ていくか。そこら辺が鍵なわけで。ちょっと調べものの季節がきているのかも。
ブルースにメール。次は6月にあるバンフの展覧会と合わせてまたバンクーバーに行 く予定があるのでその打ち合わせ。それは展覧会とは全然関係ないんだけどね。 立体読書も自分の中でもう一回キチンと深く探っていこうと思い直している。 今回は江戸川乱歩作品だけに絞って、何作品か描いてみたい。 後は、0円ハウスのミニチュアを作るというアイデア。これも進めねば。ナイロビ フィーリングが僕をもっと具体的な方向に進ませている。これは面白い。 今年はもっと人にもどんどん会っていこう。蠢いていこう。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-