House > Journal > Archives > 2005年 > 8月

Journal -坂口恭平の毎日-

2005年8月31日(水)

京都精華大学用にiMOVIE使って映像まとめる。BACK TO THE FUTUREの予告篇などを参照にする。予告篇も一つの宇宙だな。本編とは違う世界に入っている。
意外と簡単にまとまっている。いい感じ。ツイデニ曲も作った。でも、DEVOのストーンズのカヴァー曲(I CAN'T GET NO)SATISFACTIONを入れることにした。

2005年8月30日(火)

一日中、ネッコロがって過ごす。つげ義春ばっかり見ている。この人の絵がノスタルジックじゃあないと伝えるにはどのように説明すればよいのだろう。しかも、つげさんも作品のなかで梶井基次郎の「檸檬」に触れていたりと、かなり意図的にぎりぎりのラインに立っているのかななどと考える。それと僕の中では、「惑星ソラリス」のオープニングの池のシーンがシンクロしてくる。あれは、違う惑星の映像だと思っていると、普通の地球の田園風景だとわかってくる。そのわかった瞬間、見ている人はなんとも説明のできない不思議な気持ちになる。いつも見ている風景をはじめてみた時のように眺めているような気分。

2005年8月29日(月)

知り合いの劇団を見に行く。調布。小学校などを回っている劇団で、ちょっと幼少時を思い出す。僕も、小学校時代かなりの子供劇を見に連れて行ってもらっていた。
「エルマーの冒険」「かわいそうな象」などは今でも鮮明に映像が残っている。エルマーの冒険は、パンフレットも面白く、ソノシートまで付いていて、その立体的なやり方に子供ながら興奮したのを覚えている。レイモン・ルーセルは「アフリカの印象」という自分が作った荒唐無稽な物語を劇場を借りて戯曲化した。ユーミンの最近のサーカスなどを交えてのスペクタクルライブも気になる。なんとなく僕も、自分の考えを立体化して表現したいと思っているのである。
その後、近くの居酒屋で飲む。九州人ばっかりでちょっと飲みすぎた。タクシーで帰宅。

2005年8月28日(日)

昼、親父、亮太、ふ、僕で近所のイタリア料理で飯。
そのあと、近所のベーグル買って、タカの家に行く。タカはいつものようにお茶をご馳走してくれて、さらにアイヌの民具写真集を見せてくれる。かなり興味深い内容。ちょっと違うところの信号が鳴る。
夕方から新高円寺にいって、メイ、ユメとふのねえさん、母さんと阿波踊り見に行く。マシューバニー見てから行くとまた見方も変わった。
今日こそ2ドル。ここは祭りが終わったら、この店で踊りをやってくれるのだ。今年も見れた。
夜は、新宿でけいすけとまーりーんと集合。居酒屋で最後の別れ。けいすけはロンドン。マーリーンはニューヨーク。またどっちとも行こう。

2005年8月27日(土)

新宿DOINGで練習。今日はG4を使って録音してみる。しかし、いままでのMTRと決定的に音質が違うのでデジタルの使い方というものは何か束縛がないとどうしようもないと思う。録音の方法のアイデアが必要。
その後、新高円寺のセバスチャンの家に行って、プログラムを頂く。彼のコンピュータの使い方は非常に高度なアナログのように使うので面白い。友人のヴィクターというルーマニア人も遊びに来ていた。3人で深夜、高円寺のDOMというスタジオでやっているミニ富士ロックフェスのようなイベントに行く。それぞれのスタジオでまったく違うジャンルのライブをやっていて面白すぎた。引っ越したあとにいく高円寺がまた違って見えて新鮮。 2ドルにいくが、朝4時までに変わっていて行くと閉まっていた。

2005年8月26日(金)

原稿直して、メディアデザイン研究所に送る。昨日の続きを考える。捕まえたと思ったら、すぐにツルッと抜け出してしまう

2005年8月25日(木)

昨日の続きで、四次元に異様に興味を示していたマルセルデュシャンのインタビュー本を読む。彼はそこでいわゆる四次元の解明をしたいのではなく、そういうものがあるんだなと人が分かった時にかんじる「あれ」を表現したいのだと感じた。そうゆうものをかれは「アンフラマンス」(超薄さ)と呼ぶのだが、とても、シンプルに理解していて、インタビューを聴くこっちまでクリエイティブな思考にさせて、まるで音楽のようだ。インタビューミュージック。 彼はその中で「言葉」に対し、すごく興味を持っていることを話す。そして「ガラスの遅延」という言葉を見つけた時に、頭で考えても映像化されないその言葉に四次元を知覚するということのヒントを得る。それが「大ガラス」へとつながる。さらに、その大ガラスには「遅延」とは別に四次元的感覚である「エロティック」に対しても別の焦点として提示している。彼はそのような表現で複雑にしたいのでもなく、何かを解き明かしたいわけでもない。つまり、そうゆうもんじゃないのか?ということをただ表しただけだ。

2005年8月24日(水)

「東方的」で書いてある、四次元についてのテキストが頭をかすめる。僕は科学は全く駄目なので、完全には理解できないが、なんというか、音楽を聴いたときのように「いい」ということは分かっている。で、その四次元についての1900年初頭の考え方が、僕が「建築」という言葉では言い表せないというモヤモヤを解消できる何かになるのではないか?という期待を勝手に寄せている。 僕は建物に興味があるわけではなく、その周りの雰囲気、そこに集まっている人の息、アルコール濃度、温度、天気、電気の明かりなどをまとめた空間自体が一体何なのかを感じ取りたいのだ。

2005年8月23日(火)

朝から昨日の引き続きで音源まとめ。支離滅裂の自分の音にびっくりする。この人は何をしたいのだろうか?笑えてしまった。
昼間は新大久保で降りて、戸山ハイツへ。その中の箱根山周辺を撮影。ここは都心のジャングルだ。
夕方に馬場でメキシコの個展の書類を書きにいく。いきなり具体化してきた。はじめはグループ展だと思っていたが、なんと個展らしい。僕の友人と一緒にやることになっている。題名は「壊れやすい家、調子はずれの美術館」というものだ。友人がつけてくれた。0円ハウス以外の写真も展示される。どうゆう反応が返ってくるのだろう。別のところでは、都築響一さんも展示するらしい。 しかし、メキシコに行くお金は予算がないらしく、無理のようだ。まあそれはそれでいい。こうやって少しずつ動きが見えればいい。
夜、家に帰ってからはまたまた久しぶりに自分の雑誌についてのアイデアが浮かぶ。「立体」という名前だったが、それでは今ひとつ足りない気がする。今度京都に行く際に、千利休。そして、ついでに和歌山によって、南方熊楠の家を撮らせてもらえたらなと、予定をたてる。この計画も本当にゆっくり進む。進んでいればいいってことで落ち着かせる。

2005年8月22日(月)

ソフマップでiBOOK購入。これで漫画喫茶でのホームページ更新もしなくなる。それはそれでいいもんでしたけど。とにかく帰って、今までの音源をまとめる。僕が19歳の時から作り続けていたものだ。
カナやんが結婚した。熊本で結婚式。

2005年8月21日(日)

渋谷行って、香咲で一杯コーヒー飲んで、新宿行ってソフマップに行く。
ようやくパソコンを買おうとしている。何も分からないので店員さんに一時間以上も説明を聞く。そしたら本当に欲しくなる。物が欲しくなるのはホント久しぶりだ。というか、買いものなんてここ最近は全くしてない。マックのiBOOKのG4という機種を見ていたが、その隣の棚の昔の小さなノートパソコンに惹かれる。でもこのG4もいい顔してる。 僕のTASCAMのMTRと絡ませてデジタルとアナログの双子のように使おう!とか気分は乗ってくるが、テレビを最近止めてよかったなと思っているので。一日考えるみることにする。

2005年8月20日(土)

新宿DOINGで練習。帰りに細野晴臣氏のBOXCDを借りて帰る。帰って聞くが、やっぱり初期じゃないと僕はだめだ。

2005年8月19日(金)

キリコの画集をじっとみる。「都市住宅」の編集者、植田実の資料を見る。この雑誌を大学の図書館で見て、毛綱モン太氏の「給水塔の家」を読んで、ビビッテ学校行ってる場合じゃないとそそくさと家に帰った。帰っても何するわけじゃなかったんだけど。でも今も基本的にはあの時と同じようでもある。

2005年8月18日(木)

ささま書房で「森のバロック」が300円で売っていたので買う。あとソビエト現代美術という展覧会カタログ。

2005年8月17日(水)

原さんとまたベルクで待ち合わせ。カナダの展覧会の打ち合わせ。今回は予算もきちんとでるようです。ここは本腰入れていかねば、しかし、美術館でやるというのが僕はもちろんやったことがないので、正直分からないことがたくさんある。それはそれでいい方向に向いてくる要素でもあるのだけれど。0円ハウスを中心に発表する予定だけど、それだけではないたくさんの焦点が感じられるようなものにしたい。 立体を作る予定なのでそれの準備を早急につめる必要があるね。
その後、講談社の石坂サンが久しぶりに会おうということになって、原さんと3人で新宿のすき焼きやへ。昔の打ち合わせでよく使われていたようなところ。こういうところはスケールが気持ちいい。それは12時までオサマルことはなかった。しかし石坂サンにあうといつも僕はいつも刺激になって早く家に帰って作らなければと思うのでありました。

2005年8月16日(火)

熱帯のイメージが久しぶりに降りて来た。暑苦しい本のイメージ。でもそれが全部東京の写真から構成されている。でも本当に久しぶり。図書館で熱帯という単語で検索すると、子供用の図鑑ばかり。アマゾンとかパプアニューギニアとか、アフリカとか。なんとなく僕はアフリカだった。そしてそこのシリーズに並ぶような「トウキョウ」の熱帯図鑑を作りたい。 でも今自分のところにあるのではまだまだ。もう一回やろう。消えては浮かんで、このイメージもノートを覗くと二年半前ぐらいから出てきている。始めたら一気に出来上がるのがいつものパターン。でもそれが固まるのに時間がかかる。自分の家の裏に凄い熱帯地域がある。それがもう一回呼び起こした。

夕方、京都精華大学の学生二人(みきさん、めいさん) と会う。ベルクに行って再会を乾杯しながら今度の講演会についてアイデアを出しあう。それでもすぐ脱線して、違う話になって逆にそれが功を奏して、僕の講演会の予告編をヴィデオで製作して流すということになった。作らないと。でも、僕ははっきりいって無名の何をやっている人かよく分からない人なので、宣伝が難しいそうだ。そりゃそうだろう。 でも、なにか面白いことを探している人がまだまだいっぱいいるという希望を託して、とにかくやってみたい。
おじさんから「先生」!とメールがきた。そのメールには笑いが含まれていて、安心した。そこには何も今回のことは話してないのに、僕がやろうとしている意図を感じてくれているようだった。正月に祖父母の家でみんなで話していたのが僕の話のルーツである。場所は変わっても、喋ることは変わらない。

2005年8月15日(月)

ロクスソルスの絵、描き続ける。なんで最近こうも絵を描きたいのだろう。とにかくほっといて描く。でも何も影響を受けないで描くということはしない。本を片手にその情景を創造して描く。かなり自動的な時間。

2005年8月14日(日)

近くの古道具屋で、本棚、茶碗を購入。夜、「ゲンセンカン主人」の映画見る。漫画のほうがいい。ヒント。

2005年8月13日(土)

妹夫妻が遊びにくる。ヴェランダで育つミントをティーにして飲む。
夜は新宿DOINGでスタジオ練習。今日また変な新曲ができた。曲作りを続けているおかげでようやく最近のってきた。これは一度やめたら、取り戻すまで結構時間がかかる。
体疲れても、頭休めるな。「海馬」に書いてあった。それは本当だと思う。頭は使い続けてもヒートアップしない。体を適当に休めるだけ。でもアイドリングしすぎてもだめ。バランス。家も人が住んでないとすぐ埃たまる。

2005年8月12日(金)

MARK STUWARTのSOUL JAZZ RECORDSから出ている編集盤を買う。POP GROUPというロンドンニューウェーブのバンドのリーダー。彼らはPARLAMENTのようなファンクに惹かれていたそうだ。でもそれを真似しようとして音楽を作ったら、演奏が下手だから違うものができた。そして当時入ってきていたダブの要素も加わり、しかも、ジャマイカ仕立てではない奇妙な音が出てきた。 しかも、POPGROUPというバンドは中学生からやっていたのが元となっているらしい。昨日のHANAE*ともつながる。いわゆる新しい事をしようと表現をはじめているわけではないという事。ずっとやって、ずっと考えていたらこうなってしまって、それが人が聞いたらとてつもなく斬新であった。初期衝動のままで進み、それにピントを合わせようと試みる。直感の法則を探る作業。 うーんなんか見えているのだけどね。僕も、あの表現しようとか思う前の机の前で充実していた頃を再現したいのか。再現とはまた違う。あの時と今が繋がっていることを確認したいのか、それでもない。昔が未来で今はその過程になっているような。円になっているのだ。今僕が感じている時間の感覚はじつは「見かけ」の世界のような気がしてならない。 本当は同時に存在しているのに、時間というものがあると、錯覚をしているからそれを補うものとして、人は思い出すのではないか。ちょっとCD一枚で長旅をしてしまった。

2005年8月11日(木)

亮太、夜訪ねてくる。HANAE*の「小学生日記」を置いていく。読むと、恥ずかしくもなくジンとした。これは、小さいときの好きだったものは、大人になって確かめても、やっぱり好きなんだと分かって、小さいときにの自分に感心する時に似ていると思った。それを彼女は大人になってからではなく、毎日毎日瞬間的に感じているのではないかとか考えた。 小学校のとき、夏休みになると、一日自分の好きな漫画が描けると思ったら、なんとも言えない充実した気分になった時を思い出した。

2005年8月10日(水)

中沢新一氏の「東方的」買う。たまに無性に読みたくなるのでいっそのこと買ってみた。買うと、本の装丁がもっとダイレクトに感じられる。奥村氏の装丁いい。細野晴臣さんの「フィルハーモニー」の凄いジャケットも彼のデザイン。これがまたいい。そうゆうところがつながっていくのは神経に電気が走る。
夜は近所の「のらぼうや」で食事。ここは前から気になっていたので予約していった。野菜は三鷹から仕入れていて、うまい。沖縄のラムもあってうまい。芋焼酎たくさん飲む。
前の高円寺での富士川食堂、2ドル、イワンに匹敵するよな場所を見つけよう。でも最近は自炊のほうがどうもしっくりいく。

2005年8月9日(火)

まさに旅館の朝食!のような朝飯を食べて、一路、21世紀美術館へ。今日は朝から今やっているマシューバーニーの映画を見る。始めのシーンが印象的。石油工場の煙突が立ち並ぶ道を阿波踊りの少年少女が練り歩き、後ろにはタンクローリーが青の装飾をつけ、ゆっくり走っている。バックにはベース音が鳴り響き、それはいつしか展開して、エレクトロリズムとなり、阿波踊りの足音にシンクロしていく。
展覧会場もマシューバーニー。映画で見た世界がまた写真で映され、彫刻となって表現され、一つのものを複数の視点で展開されている。そのやりかたはいいと思う。すべてが等価なのだ。彼の中では!
過去の作品も並んでいたが、やはりその等価の精神に満ち溢れていた。
その後、兼六園に行く。僕が感じたのは兼六園もマシューバーニーも一緒のような気がしたことだ。いわゆる庭園も自然界から奪ってきたものを、等価に空間に並べる作業なのではないか。ここの視点はこれからの僕のテーマでもあるのでしっかり考えていこう。
帰りは飛行機。でも、飛行機だと距離が分からず帰った気にもならないねえ。時間に関して奇妙な感覚をもつ。飛行機と18きっぷ。

2005年8月8日(月)

朝から起きて、そのまま妙立寺へ。人呼んで「忍者寺」!!入ると、小ツアーみたいになっていて、他の観光客と一緒にまずはテープで概要を聴いてスタート。この忍者寺は外からみると、二階建ての普通のお寺に見えるが、実際は4階建て7層の超迷路建築なのである。しかも、階段が取り外せて地下に入る通路になっていたり、押入れのなかに階段が隠されていたりと本当に使えるか分からないが手が込んでいる。 先日、エロ建築といったが、見てみると単純に「エロ」だけとはいい難い。それよりも単純に建築を作るのを楽しんでいる印象をうけた。むしろ、シュバルなどに代表される素人建築ににているスケール感。とにかく空間が気持ちいい。写真がとれなかったので残念だったが、おおいに楽しむ。
その後、近江町市場で観光。勿論回転寿司を昼飯。
その後、東茶屋街といって昔の遊郭の名残が残っているところを散歩。「あ・うん堂」という古本屋に行く。そこの店長と馬があい、話し続ける。
そして、近くの潰れていそうな文房具屋に入る。そしたら、昔の文房具をしかも、むかしの値札のまま販売していた。そのパンク精神に感銘を受け、青と赤のインクと、小学校の知能指数を計る教材を200円ほどで購入。茶屋で抹茶ぜんざいを食べて、街歩いて、夜はビストロユイガという料理屋でフランス料理。そこが安くてうまくてよかった。
今日の宿泊は木津屋旅館。昔の町屋の建物。泉鏡花の過ごした界隈らしい。一泊朝食つきで和室十二畳一人6000円。安いし、感じもよい。ワインで酔っ払って寝る。

2005年8月7日(日)

朝八時ごろ金沢に向けて出発。行きは青春18切符でいってみることに。米原から北には行ったことがなかったのでちょうどよかった。しかし、鈍行はやぱり鈍行。結局12時間ほどかかる。しかも、金沢に着いたらお店全部閉まっているし。どこにいる?金沢人!韓国料理屋が開いていて一安心。食べて、新天地という新宿ゴールデン街みたいなところ歩いて、駅前のホテルで宿泊。

2005年8月6日(土)

ライブ当日。会場はボノボという千駄ヶ谷にあるおかしな場所。ライブは結局、僕一人でアコースティックライブ。マイク一本で全部拾って流してたけど、あれ聞こえていたのかな?しかも、お店はちょっと狭くて、ドア開けて、半屋外状態。警察とかきて大変だったらしいけど、無事終了。あっセバスちゃんも来てる。
その後、近くのモロッコ料理屋で飯食っていたら、セバスチャンがいて、しかも、店員さんがセバの彼女だったらしく、また狭い世の中。ここのモロッコ料理屋はいい店だった。でももうすぐ建て壊しするらしい。

2005年8月5日(金)

最近はよく新宿ツタヤでCD借りて帰っている。今日はPARLAMENTのOZMIUM。1STだ。このアルバムはファンクの芽が出る前の作品だが、芽が出る直前らしく、誰よりもファンクしてていい。
その悩み具合がいい。床屋のアンちゃんだった、クリントンがいい。床屋で働きながら、悶々と、でも自由に思考しながら音楽を作っている風景が目に浮かび、しかも、笑える。
酔っ払って、みんなで喋り捲って、終わりごろ、聴いたこともないようなJ-POP聴いて心底感銘を受けるあのときに似ている。

2005年8月4日(木)

今度の自分で出してみようと思っている作品に着手。一日汗だくで書き続ける。そう、家にはクーラーがない。でもクーラーにはとことん弱いのでちょうどいい。
BGMはもちろんWIRE「CHAIR MISSING」
うん、なかなかいいよ。

2005年8月3日(水)

茅場町で大竹伸朗氏の「ON PAPER」見に行く。入り口のポスターに痺れながら中へ。中には40枚ほどのA1サイズぐらいの絵が並ぶ。以前の日本色はまた抜けてきて、違う世界に突入している。しかし、作品は過去のものが多い。ということは氏の作品を選ぶ、選択眼、視点が変化しているのだろうか。変わっていることへの高揚感。しずかに感じて外に出る。
そのあと、四谷でメディアデザイン研究所の横田さんと待ち合わせ。近くのアトレの喫茶店に入る。原稿を渡してちょっと喋っていると、ついつい盛り上がってしまい、そのまま長々と話し合う。僕の考え方に共鳴してくれたのか、横田さんも少し声が上ずりながら熱くなっている。
そうそうこうゆうことから何かは始まる。いつものこうゆう時の走った後のような充実した気持ちで別れる。

2005年8月2日(火)

一日アコギ弾いて過ごす。なんとか、WIREのような音をSLITSのようなグルーヴを出したいと、アコースティックで出したいとか色んなこと考えながらやるが、なかなか難しいもんで。修行が足りません。

2005年8月1日(月)

POP GROUP、AFTERMATH、WIRE聴く。WIREは二枚目のアルバムを借りた。これがまたよい。彼らの口癖は「ロックでなければなんでもいい。」そしてその音は違うところからロックの核心に突進している。年をとっていくごとにこれらの音はさらに重厚に聞こえてる。終わらない歌である。
しかし、かれらの音楽はロック、いわゆるヴォーカルがいて、ギターがいて、ベースそしてドラムという編成なのだがどれもそれらの構造が壊され、剥き出しになっている。
なんとも説明しきれない。説明したい。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-