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Journal -坂口恭平の毎日-

2005年3月31日(木)

喫茶店七つ森でハートランドビール。ふうはタコライス。新庄が電話してきて、高円寺にいるというので呼ぶ。貸していたレコードを返してもらう。ホワイトアルバム、ファラオサンダース、そしてボブデュランのブロンドオンブロンド。
家に帰ってから弟が録画してくれたビデオ見る。矢野顕子さんとくるりが一緒にやっているコンサート。ぶっ飛ばされた。何ジャこれ。というか矢野さんのオリジナルはあんまり僕にはピンと来ないんだけど、彼女がカバーする曲はどれもヤバすぎです。彼女は編集能力が圧倒的にすごい。想像力というよりは、どれが本当の音楽を鳴らしているかが瞬時にわかると言う感じ。
島崎藤村作詞のヤシの実という曲が、突如スマッシングパンプキンの曲に変形していく。こんな曲聴いた事がないよ。
くるりの岸田君との絡みも良い感じ。
僕はますます音楽にのめり込む。今はまだまだだけどね。
ファラオサンダースTHEMBI聴いて昇天のまま熟睡!!!

2005年3月30日(水)

ふうとBERGへ。やっぱここはいいね。しかも、店内に流れている音楽はジョルジベン。僕の為にかけてくれたのだとすてきな勘違い。妹は僕に向かっていつも「恭平君はいつもすてきな勘違いばっかりで幸せそうね。」と笑う。ココ最近ふうとも色々合ったので一緒にビール飲みながら、とにかく話す。ふうは僕の興奮状態を異常と言わないので救われる訳です。そのまま新宿で別れる。僕は家に帰って作曲。
素敵な勘違いしてみようじゃあないですか!そのまま突っ走れと自分を鼓舞して熟睡。アルコールの周り具合はまさに春。外は寒い。
妹が誕生日。23歳になった。メール送る。

2005年3月29日(火)

夕方リトルモアギャラリーへ。0円ハウスの本のデザインをしてくれた宮川さんのドローイングの展覧会。沖縄のひとなので、つまみは勿論、海ぶどう、島らっきょう。はじめて宮川さんの絵を見る。デザインだけでなくタブローにも向かっているんですね。そのままオープニングのラストまでいたのでリトルモア社長孫さんとリトルモア軍団、翻訳の佐藤さん、そして僕と宮川さんで蕎麦屋さんへ。孫さんはのっけから僕をいじくる。 それでもっと凄いのをつくって、凄い奴にならなきゃイカン!と叫んでくれる。話しを聞いてこっちも目が覚めた。僕は亜流ではない。もっと本筋の所で戦わないといかんなと。これは良い刺激になりました。

2005年3月28日(月)

坂口安吾の「新日本風土記」古本屋で見つける。1955年の作品。死ぬ直前のものだ。
日本の歴史を探偵のように探る。つまり現場での物的証拠だけで探る。文献は証拠を更に裏付ける資料でしかない。
高千穂(宮崎)のバスガイドの声に安吾魅了され、その声から、高千穂に古来から伝わる神楽などの音楽で培われた文化を評価する。そのフィールドワークの新しい視点に僕も頭の中は高千穂の丘にいた。
高千穂の国見の丘という神聖な場所に宮崎でも一番近代的な建築が立っているのを彼は発見する。しかも、それは公衆便所だった。古事記などのもとになっている神聖な場所に公衆便所を作る。そこにかれは宮崎人特有の、呑気でおおらかな性格を見抜く。横ではカッポ酒を飲ませている。
神話と小便と近代建築デザイン。九州人と本州人のルーツの違い。音楽が神話とは異なる構造を持っているというようなストロースばりの探偵!
僕のフィールドワークと表現の間に巣食っている吹きだまりを一掃してくれる!
何事も現場あるのみ、事件は現場で起きている。青島の言っている事は真実だよ!
坂口安吾の日本史ノンフィクションミステリーフィールドワークストーリーは3部作あり、これは真剣に読み解く必要がありますな。じっちゃん!

2005年3月27日(日)

今日は朝起きて、久々に実家の飯。普通に実家の卵焼きがうまい。なんで自分の家で作るのと違うんだろう。思い出す弁当の味。
そのまま親父と母ちゃんと3人で辰頭温泉へ。見た目は普通の家のようなところ。中もとても温泉とは言えず、おじいちゃん家と行った所。でも湯がいいんですよ、ここは。ぬるぬる。露天も最高。実家グルーヴに浸る時間。こんないい温泉なのに、いるのはおじちゃん、おばあちゃんばっかり。これが東京にあったら、渋め好きな若い人なんかもいるだろう。そこがいいやっぱ九州。 おじいちゃん達はあっけらかんと、ただお湯に浸り、そこが素晴らしいんだよみたいな声はきこえてこない。みんな無言で口開けて動きの遅い体洗いしている。田舎デリック!気持ちよく出る。
そのあとは新婚妹夫婦さそって焼肉屋へ。僕のアルコールも乗ってきて、もうマッサージ状態。
いやいや一泊二日の熊本。幸せでした。
飛行機で羽田へ。

2005年3月26日(土)

朝6時起床。羽田空港へ。10時に熊本着。オヤジが迎えに来てくれた。そのまま披露宴会場。僕は受付する。妹が僕の本をいろいろ見せてくれていたらしく、妹の友達から「よかったよ」との声。感謝。僕の歌も無事終わり、なぜか新郎の会社の上司達と二次会へ。芋焼酎飲みながら、おおいに盛り上がる。三次会はまっちゃんと妹、新郎、司会のハタちゃん。場所は僕の大好きな「よこばち」。 そのままそれが終わったら僕はふらふらと上通りうろつき、ルミちゃんのところへ。ちょうど彼女がやっている店が閉店したのでそのまま喫茶店へ。珈琲のみながら話す。彼女とはもう10年ぐらいになる友人だ。彼女が紹介してくれた人達のおかげで僕は建築に対し、新しい感覚を手にすることになる。とかいろいろお礼をいった。24時間営業の喫茶店「中川」オレンジジュース飲んでそのまま歩いて家に帰る。

2005年3月25日(金)

スタジオ練習。今日はセッション止まり。でも終わり頃、上山君が凄いピアノリフを編み出す。それが出てきただけでも最高。これは続ければおもしろいことになるぞ。そうそう、ただ続ければ良い。

2005年3月24日(木)

0円ハウス読者からメールがあり、京都から遊びに来るのですが会えませんか?ということで、僕は基本的に暇人なので、会えますと答える。
新宿のVERUGで乾杯。この店は新宿駅の東口に面している、いわゆる駅ビルの中にあるのだが、そんなところは大体が退屈な店ばかりだが、ここはまるでパリだ。ハーフ&ハーフ注文。彼女の話しを聴こうと思ったのだが結局僕がしゃべりまくる事に。 彼女は学生なのだが非常に興味深い視点を持っており、頑張って欲しいなと。自分が学生だった時を思い出す。そんなに前じゃないけど。とにかく考えている事を少しでもいいからしゃべっているばかりではなくてリアルに表現して行こうというところで、別れる。こりゃ自分も一丁やったらないかんなと。本を読んで会いにきてくれるんだもんな。感激。最近本の力をまじまじと体感している。 孫悟空みたいに自分の分身が世界中に散らばっている感覚。これは本体である自分より賢い事もあるのよねぇ。

2005年3月23日(水)

最近体が軽すぎて創るのには苦労。とにかく外出してしまう。歩くだけなんだけど。ぼくにはやっぱりスイッチONの時とOFFの時があり、何かをひらめく時は絶対OFFになってしまう。それである程度それが完成したときに、ONとなり人に発表する事になる。不思議なものだと思っていたが、これが僕にとっては必然なのだろうと自覚する事にした。

2005年3月22日(火)

今度の妹の披露宴で歌う事になったのでくるりの「坂道」という曲を練習する。一見、ただの緩ーいバラード。でもそこには不思議なコードチェンジが組み込まれていて。人を少しだけ違う所に連れて行ってくれる。
深夜NHKで北条政子の特集。尼将軍だ。良い刺激。というかNHKのたまにある歴史物は、観点が斬新で想像力を駆り立てる。
そのあと美輪明宏が人間講座で「色」について語っている。話しもヤバけりゃセットヤバいし、髪型もいっちゃっている。こりゃ私もガンバランバ。玉虫色の説明が凄すぎた。

2005年3月21日(月)

昨日採った音をちょっと修正。完成。サンプリングはCANの「soundtrack」とコルトレーン「Mr.KNIGHT」から。
今まで聴いていて何も感じなかった音楽が突然気になり出すときがある。僕はその時に生じる「新しさ」というか「発見」に次の作品をつくる衝動を与えられる。自分の知らない自分を自覚する瞬間。自分というものは分からない。自分が考えているよりもずっと複雑な感覚を持ちあわせている。だから面白い。だから次をつくらなくちゃと思えるワケである。だから創造は永遠に止まらないワケである。

2005年3月20日(日)

今日は曲作り。二曲制作。MTRに録音。九州で震度6弱。実家は大丈夫だそうだ。MTRというのは、市販のカセットテープに普通だったら、A面、B面と録音して行くのだが、この機械を使うと片面だけに、4つの音が多重録音することができる。勿論最近はコンピューターを使っての録音が主流なのだが、僕はこのカセットテープというものに可能性を感じている。 というか一つ200円もしないような代物に音楽が詰め込まれていて、その4つの音を自由に変化させることができるだけでたまらない。僕はこうゆうものを空間と思う訳である。何も建物を建てる事が空間を作る事ではない。音楽も空間である。タバコの煙も空間である。好きな子との喫茶店での距離感も空間である。 飲み会ではじめはなんかよそよそしいが、だんだんみんなが馴染んできて途中からはもう誰も盛り上げようとしなくても平気なときも空間であり、さらにそうゆう雰囲気にさせる古ぼけた飲み屋は僕にとっては名建築であるわけです。ちょっと話しが脱線したけど、その様なものにこそリアルさを感じる。

2005年3月19日(土)

夜8時から前ちゃん、菅ちゃん、上山君そろって家でのむ。バンド結成の話し。途中から橋本も参加。のっけから踊り出す。

ジュラッシク5
シュギーオーティス
CAN
SANTANA
RIP SLYME
コルトレーン
マイルス

何でも流す。凄いバンドになりそう。それをJポップとしていかに昇華するか?それがテーマですね。
芸大から素早いリアクション。こっちも乗ってくる。スライドを中心に話しをすることになりそうだ。僕が書いた図面もプレゼントしようと考えている。

2005年3月18日(金)

BECKの新作を恵比寿の新星堂で試聴。聞く限り、あんまり面白くない。そこらへんの西海岸のおしゃれミュージシャンにだけにはなるなと願いながらヘッドフォンを取る。次回作に期待する。
RIP SLYME「MASTER PIECE」聞く。こちらはいい。5曲目のON OFFが最高。今時こんなリズムで歌える人がいるだろうか?しかも、メジャーで売れてる感覚がいい。
メールチェック。
みかんぐみの曽我部さんから突然のメール。0円ハウスを買ってくれたらしい。それでメールを送ってくれたみたいだ。内容は東京芸術大学で4月27日に、一日講義をしてくれないか?との依頼。信じられないけど、待ってました!即返事。いよいよアカデミックも反応してます。これは面白くなってきた。ギャラもでるようだ。自分がやっている事へのリアクションが増えてきた。本を出して本当によかった。これからなんか始まるぞこれは。 でも先端芸術学科は茨城にあるそうだ。なんか今はハワイ効果がでてる。いま乗っているので今のうちにいろいろやっておこう。

2005年3月17日(木)

夜、Nとご飯食べて、そのまま終電に乗って、武蔵小金井まで行っちゃう。家まで送る。それで帰れないから、しょうがないので歩いて帰ろうとして駅前のタクシーの運ちゃんに道を聞く。
運ちゃん「いや、高円寺までは歩いて帰れないよぉ」
僕「イヤ熊本から東京まで参勤交代した事もあるので大丈夫です。」
それで青梅街道ひたすらまっすぐ歩く事2時間。クラクションが鳴る。振り向くとサッキの運ちゃん。
運ちゃん「坊主、早く乗りな。家まで送って行くよ。」
もうなんだかよくわからない。無賃で乗せると会社から罰金なので僕は車内でしゃがんで身を隠す。
運ちゃん「別れる前に、おっちゃんも頑張ってと大声で言われたのが気になって、逆方向から歩道見ながら見つけてたんだよ。」
そんな事も起こってしまいます。高円寺で下ろしてもらう。どっかの会社の社長さんだったらしい。
運ちゃん「そんなに元気でいれば誰かが反応するからとにかくしゃかりきでやればいいんだよ。」
もちろんタダで。ありえないのでしばらく呆然。でも頑張ろうと思った夜。

2005年3月16日(水)

仕事終って、神楽坂に行く。ノブとふうとハンバーグ屋へ。タバコ吸いたくなってヤンキー風のウェイターに一本くれませんか?と尋ねると、なんの躊躇なしに「赤マルでいいですか?」と返答。君すばらしい。それがホールの良さ。
食べ終わって神楽坂うろうろ散歩。そしたら、スナックのママと会って、意気投合、今度遊びにいこう。

2005年3月15日(火)

講談社群像の村上さんから原稿が送ってきた。読む。コブケ君との対談の原稿。面白い仕上がり。大満足。これが発売されたらまた予想もしない人からリアクションが来るんでしょう。もうそんな事が起こることが不思議ではなくなった。僕に出来る事はもっともっと面白いものを次々と作るだけだ。次回作も楽しみにして下さいな。やればいい。ただやればいい。続ければいい。人は見ている。これからどんどん凄い事が起こってくるんでしょう。 確信している。
家に帰ってブライアン・イーノ「ANOTHER GREEN WORLD」聞く。その5曲目BIG SHIPが一番いい。電気グルーヴの「虹」はこれからインスパイアされたのではないか?そう思った。爆睡!!!!

2005年3月14日(月)

僕は作家活動ではまだお金が稼げません。そのためバイトをしています。今までは新宿ワシントンホテルのラウンジのボーイやっていました。しかも、そこでホテルのボーイさんの仕事にやりがいを感じてしまい、史上最高のボーイになるという夢を持ってしまいました。そして、今度は向かいに建つ新宿ヒルトンで働く事にしました。ワシントンより高級なホテル。仕事始めた瞬間、これだ!と思ってしまいました。楽しすぎる! いつかは日本で一番ハイクオリティなホテルの名物ボーイになってやる!と夢を作りました。何事もゴールを設定するのが私のやり方。そうすれば叶う事でしょう。本書くのも面白いけど、ボーイも楽しいのです。
仕事終ってからは、タカと新大久保で会う。韓国人の友人を連れてきていた。グァンとフォン。グァンは鍼灸師と音楽家だ。みんなで勿論いきつけの韓国料理屋「カボチャ」へ。話しは多いに盛り上がる。グァンとは親友になった。どこにでも凄い奴はいる。もっとどこへでも歩いて行かなくてはと思った日。素晴らしい日。

2005年3月13日(日)

昼過ぎに起きる。そのまま亮太の家に行く。昼間から呑む。北海道産のワイン「オホーツクの海」呑む。うまい。夜は亮太とインドカレー「ボビサン」にいく。うまい。路上の店の写真集を作っているのだが、デザイナーの宮川さんが非常に気に入ってくれて、出版した方がいいと言ってくれているのが非常に気になる。これも本腰入れて出版化出来るように努力しようと思った。

2005年3月12日(土)

昼飯、トマトとツナ買って、パスタつくる。このパスタが一番好きだ。しかも自分で作ればやすくて一杯食べれる。
夕方、友人の個展を見に行くため六本木に。
夜は、高円寺抱瓶で乾杯。なんか隣りで飲んでるウチナンチュとなぜか盛り上がる。久しぶりの抱瓶 いいね。

2005年3月11日(金)

今日は終始曲作り。夜は、4丁目カフェでパスタ、グラタン食べる。白ワインの飲む。でも白ワイン足りず、そのままイワンへ。
イワンに入ると、カンさんとヨーコサンがいる。「恭平君」何だろねこの落ち着く場所は。赤ワイン、ズブロッカ飲む。また食器の話しとかカンサンと盛り上がる。ボクの本の事も気にしてくれたらしく、常連さんが知っていたよと教えてくれた。ありがとうございます。

2005年3月10日(木)

お昼に代官山に行き、ふうとSIGNでオムライス食べる。お土産渡す。17時に原宿へ。リトルモア浅原さんと久しぶりに会う。最近作った庭写真集を持って行き、見せる。更に、0円ハウスの時のゴールデントリオの一人、宮川さんにも見せる。みんなまた新しい作品が出来て、喜んでくれた。3人で多いに盛り上がる。これはまた面白い本が出来るかもしれない。そう感じさせた。またこの3人で新しい作品を生み出したい。2時間喋りまくる。
帰りに富士川食堂に寄って焼肉定食480円。この前あげた熊本の新種の果物「はるか」をとても気に入ってくれたらしく、話しが弾む。このなんでもない幸福感がいいよ。

2005年3月9日(水)

ハワイ最終日。朝七時にみんなに起こされて、そのまま海沿いを家族で散歩。昨日の喧噪が嘘のような静かな通り。マジックも今日まで。
一時間歩いて、そのままビュッフェで朝食。
いよいよ帰国。帰りは飯も食わずに寝る。途中で三谷幸喜の「笑の大学」の映画がやってたので、見る。もっとドタバタしてもらいたかった。タイ人のスチュワーデスと非常に仲良くなる。笑顔が素晴らしい。小泉八雲は昔、日本人のことを微笑みの人種と呼んだ。今は日本人はどうかな?タイ人は笑っているよ。
帰っても、暖房26度に設定して、一日アロハ着ていた。くるりの「ファンデリア」聞く。坂道は名曲だ。

2005年3月8日(火)

今日は朝からショッピングセンターでアロハシャツを購入。その時に乗ったオリオリバスのオリオリ運転手がボクの心を完全にオープン状態へと導き、風邪がここで治る。
二時にホテル一階で集合。ウエディング姿の妹。とにかく写真撮りまくる。そのまま12メートル位はありそうなリムジン登場。全員で乗り込み、教会へ。
140年前の教会で挙式があるそうだ。親父はバージンロード歩くので緊張中。いよいよ結婚式スタート。生パイルオルガンの音が鳴り、シンガーがハワイアンウェディングソングを歌う。これがまたいい。普通に泣く。感極まる。とにかくいい結婚式だった。いいもんだ。そのままサンセットが近づき、みんなでサンセットが見えるビーチに面したレストラン、ミッシェルへ。そこではもうみんなほっとしてくつろいだ雰囲気。ボクのアルコールも乗ってくる。 新郎のお父さんと話がシンクロしてくる。新しい家族出現の瞬間。
新郎新婦はとてもきれいだ。
日は沈み、夜になり、僕たちは一旦部屋に戻り、二次会へ。ココからはもう自然とボクが幹事になってました。サルサをみんなで踊りましょうというと老若男女賛同(笑)もうみんなおかしくなってます。しかし、昨日の店は今日はやってなく、やっぱりROYAL HAWAIIANN BARへ。生ハワイアンに乗せて義父が踊る。ボクも踊る。それに触発された他人も祝福のダンス。ダンス、ダンス、ダンス。もちろん新郎新婦が真ん中でダンス。
その後も踊り続けてると、一人の女性がボクの所へ。話しを聞くと、その人はボクと踊りたいらしい。だからダンス。もうすべてがいい方向にしか向かわない。こういうときは身を任せるのみ。その後その女性ジュリが人に会わせたいとボクをカウンターに連れて行く。そこでは日本人がいて、話しをきくと彼は作家らしくてまあ色々話した。もう何が起こっているんでしょう。大満足でバーを出る。
帰って、部屋でクールダウン新郎新婦も交えて話し呑む。でもやっぱりボクは盛り上がってしまい、ここでもハメ外しちゃってちょっと大変な事に。でもダブルオッケーでしょう。ということにした。
今日は忘られない日になった。明日は帰国。マジックも終る。

2005年3月7日(月)

朝起きて立つとフラフラ。風邪まだ治らず。というか寒い。しかし、昼頃起きるととたんに熱が引いてる。喜び、下のABCストアで水着買って初泳ぎ。気持ちよ過ぎ。ついでに砂浜で焼く。ウイルスも焼く。ハワイ凄い。JTBのセッティングも凄くコテコテで外してなくていい!目の前にはブラジルから来たような褐色の美人。というかその水着がいい。その水着にアートのようなものを勝手に感じてしまう。
その後、TAXIでハワイ大学通りの古本屋へ。いくつかお土産用に古本購入。RAINBOWBOOKS&RECORDSというお店。
帰宅後、父母婆も帰って来ていたので妹も呼んでROYAL HAWAIIAN でディナー。ここのホテルもいいねえ。どこも外さない、直球ど真ん中。その意気込みがいい。ディナーはすごくいい味。しかも結構安かった。ハワイアンビールがうまい。どうもこの辺りからハワイマジックが始まったようでこれはこれからボクが帰るまで続くことになる。
ハワイマジックは僕たちを隣りのBARカウンターへ。そこでやっていた生ハワイアン演奏がまた大変な事になっていて、というか、それらの音は僕が日頃思い浮かべていたとろとろのハワイアンミュージックではなく、アコギとエレキベースの2ピースのファンクにも似た音楽だった。ボクはそこで完全に楽園状態に突入し、その後、次はシェラトンワイキキのサルサバーへ向かう。そこでは生サルサが聞ける。ボクぶっとんでダンスホールへ。 結婚式前夜の妹も爆笑。帰ってくると私も踊りたいと一言。明日に取っておきましょう。こうしてハワイマジックは頂点に向かい、いよいよ明日は結婚式!兄貴はやってしまうかもしれないよ、明日。妹と家族が明日おったまげるだろうと思うよ。

2005年3月6日(日)

ハワイは正月に芸能人が行く変な所という認識しかもっていなかった。まあ確かに日本人は多い。だけどこれはすごいね。全体がナチュラルハイテンション。僕たちはハイアットリージェンシーワイキキホテルに向かう。というかそこもやばい。ロケーションがホントに凄過ぎます。体調はしかし治らず、ボクはベットに寝転がる。妹の夫の家族も登場。なんか変な感じ。みんなは観光に行っちゃった。ボクはベットでとにかく寝た。 しかも、大きな窓からはオーシャンビュー。妹達やってくれています。感謝。しかもボクは完全ご招待状態できています。海見ながら、テリーギリアムの「ラズべガスをやっつけろ」のあの雰囲気がボクの周りに漂う。風邪の熱がボクをフシギな世界に連れて行き、ボクもキツいというより半分気持ちよくなり、ハワイのベットで毛布に包まり、汗をかく。他の家族はみんな満足しているようだ。ボクはとにかく寝る。結婚式は明後日だ。

2005年3月5日(土)

体調はほぼ治らず、成田空港に夜8時、弟と向かう。今回のハワイは妹の結婚式。ハワイは初めて10時に日本を発つ。
今回、初めて日本の航空会社で海外に向かう。機内食は鶏肉のからあげ。美味いよ!これ。
映画は「RAY」を見る。いい。
そんなこんなでハワイ、ホノルル国際空港に到着。

2005年3月4日(金)

終始寝る。全然良くならないよ。明日はハワイ。

2005年3月3日(木)

今までホテルでバイトしていたのだが、ちょっと気分転換でホテルを変わる事にしたので、紹介してもらった所に面接に行く。すんなりOK.
その後ツカダサンが車で高円寺まで来てくれる。ボクが作ったCDをまたレコード会社の人に持って行ってくれるそうだ。有り難い。
しかし、この辺から体調完全に崩れる。風邪か?インフルエンザ?よく分からないが。寝込む。
明後日はハワイですよ!だいじょうぶですか?
どうもあやしい。

2005年3月2日(水)

朝からcanの「FUTURE DAYS」聞いて、布団から出られず。昼まで寝る。
起きて、レーモン・ルーセルの「ロクス・ソルス」の挿絵を3枚書く。これを今月一杯書いて完成させる予定。そしてまたどっかに持って行こう。
その後、録音。3曲完成させる。

2005年3月1日(火)

昼前に起床。撮り貯めてあった写真の整理。昼食食べて録音。
二時半に四谷駅でスペクテイターの青野さん、ケイちゃんと待ち合わせ。ロイド・カーンのことで御世話になった小松義夫さんに挨拶に行く。その四谷の事務所にはなんとあの「グレートジャーニー」の関野さんと共同で使用しているらしく、関野サンもいてビックリ。いつもの小松節の会話。この人はパワフルすぎる。
夜帰ってまた録音。また音楽がキテマス。その後林サンと久しぶりに電話する。寝る前にボブ・デュランの詩の研究書読む。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-