House > Journal > Archives > 2004年 > 4月

Journal -坂口恭平の毎日-

2004年4月30日(金)

今日も1日中凄いことに!!
朝からバスチケットを購入。
ロンドンまで往復で57ゆーろ六千円とちょっと。安いです。
その後友人に頼まれている、ローランドMC909をみに楽器屋へ。
日本より安いと言われていたが、予想以上に高い。
パリでの僕の感想は日常必需品は安いのだが、電化製品系はこっちのほうが日本より高い。
2300ユーロもした。
その後、久しぶりに目的も無くパリの街をぶらぶら。
夕方6時からは、アナヤンシに誘われて、スイスセンターの展覧会のオープニングパーティーに参加する。
凄い数の人。内容はスイスの写真家の展示。
ゲイの写真ばかりだったが、カラー作品の色質にはしびれる。
あとで写真家本人と会って話したが、スバラシイ人間だった。
展示の方はまあまあだったが・・・。
今回、オープニングに参加したのは、スイスセンターのDIRECTOR、ミッシェル・リッターを紹介してもらうためだった。
人が多すぎてなかなか会えない。
しかし、色々他の人からも、アーティストですか?とか言われいきなり話が始まる。
みんなアーティストやキュレーターに会いに来ているようだ。
皆積極的に他の人に自分を表現している。
日本ではあまり見られない光景。
いつも日本では、私ばっかり売り込んでいるみたいで嫌な気も少ししていたが、こっちは全然違う。
こういうところはパリにあっているみたいです僕は・・。
ミッシェルらしき人を発見。勢い話しかけてみるとやはり本人。
自己紹介をするとちょっと前に送ったeメールの事を覚えていてくれたみたいで話もスムーズに進む。
出来上がったら彼のところに送ると約束する。
彼もホウやジェロームと同じように気さくな人で興味をもって話を聞いてくれた。
ブラボー!
他に、中国人アーティストのチェン・タン 陳坦とも仲良くなる。
彼は私のパリでの話を真剣に聞いていた。
自分ももっとパワーを出して頑張りたいと言っていた。
何人かこっちで知り合った人などを紹介する。
こうやって輪がひろがっていくってもんですよ!
ある程度でパーティーは引き上げ、今日のメインイベント、アート・リンゼイのコンサートを見に、いざNEW MORNINGへ!
とてもよい会場で大勢の人が詰め掛けていた。
アートの音はエレクトロと、生楽器の混成で成り立っていて、ああいう類のポップ・ミュージックはあまり聴きなれなかった。
思わず興奮。頭の中のいつもは使っていない場所をくすぐられる。
しかし、まわりの観客は賢そうにみんな座ったまんま。
僕はとうとうオルガニズムに達してしまい、いつものように(アッチャー・・。)踊りながら最前列へ。
アートへ向けてリアクションを送る。
またやっちゃいました。
観客もそれで少しずつ沸き始めステージは最高の状態でフィニッシュ!
アンコール二回もやってくれました。
その後、楽屋に入っていくスタッフを捕まえて、一昨日買ったブラジルのコンピレーションのカセットの歌詞カードを渡す。
なぜならそこにアートが文章を書いているからだ。全てが繋がっていく。
快くサインをしてもらった。アート本人とも話す。
その後からまた色んな事が始まっていく。
ゆっくり座っていると、感じのいい綺麗な女性が寄ってくる。
「あなたのダンス最高だったわよ。」といわれる。
「私たちも後ろで踊ってたのよ!」と。
そして、彼女の夫がフランスのラジオ局で音楽番組のブロードキャストをやっているから会ってといわれ夫アントニーを紹介される。
話をすると来週のデビット・バーンのコンサートにも行くそうで、さらにトーキング・ヘッズ、カン、ノーニューヨーク、日本のノイズ、インプロビゼーションの話などで信じられないほど共通項が見つかり、話は終わらない。
そのまま彼は次に行きたいところがあるから一緒に行こうと車に乗せてくれ、(その車もフォルクス・ワーゲンゴルフの旧式のセダン、濃い緑色。)ピガールへ。
初めてのパリでの乗用車。
映画みたいになってきたぞ。
BGMは僕の持っていたブラジル60,70年代コンピレーション。
アントニーと二人で絶頂!!
しかし、店に着くとそこは閉店。
そのまま2人とも別れる。
スバラシイ夫婦。嫁のヴァネッサは人権擁護機関に勤めているらしい。
二人のユーモアと、ぼろぼろのワーゲンとブラジルの音楽が混ざり、不思議な夜。
まだまだパリは私を楽にはさせないようです。
ハードな夜が続く!!スバラシイ出会いにチンチン!!

2004年4月29日(木)

昨日、近くのクラブが無料デー。
朝まで踊りまくる。休憩無し。
曲はエレクトロとエレクトロヒップホップみたいな不思議な曲。
無料だけど結構いい音なってました。
朝五時就寝。十一時起床。
一時に出発して今日はコレットへ。
着いて話を聞くと、サラが忙しすぎて本は見られなかった。
さらに1日かしてもらえると見れるのだが・・。
と言われたが、建築家協会に今日持っていくと言っていたのでコレットは来週に持ち越し。
ロンドン行きを遅らせたのでまだ都合があったので良かった。
その後、オデオンの新進ギャラリー、ギャラリーカメルメヌールへ。
ここはピータービアードがやっていたので持って行っちゃった。
本が完成したら送ってといわれた。
それから考えるそうだ。アラーキーもやっているらしい。
結構面白そうな場所だった。
そして、建築家協会へ。
また黒人のスタッフがいてくれて、展覧会をやりたいんだといったら、ダコー(分かった)と言ってくれた。
今回は大事なとこでスバラシイ人に会える。この人もそうだ。
結果は来週の水曜日。楽しみだ。
そのあと今日はチケット屋で、アートリンゼイとデビット・バーンのコンサートのチケットをゲット。
昨日この2人が作ったコンピレーションのカセットを見つけたが、なんか繋がっている感じ。ワオ。
夜は、マーボードーフを自炊。うううまい!!
中華料理はこっちでも美味く作れる。
日本食は作ってもちょっと怪しいアジがするが・・・。
本が水曜日まで戻ってこないので、これから4,5日はようやく休憩。
少しはパリの街を満喫しましょうよ。
土曜日はまた蚤の市、日曜日は動物の剥製がすごいらしい「ラ・ジュテ」の撮影現場としても有名な自然史博物館へ。
あとサーカスをみたいのだが・・。

2004年4月28日(水)

昼過ぎにホウから教えてもらった、パレド・トーキョーの最重要キュレータージェローム・サンに電話する。
なんと出てくれました!!驚き。
彼と拙い英語で会話すると、快く会ってくれるという返事が!!
いやあホウにしろ、ジェロームにしろスバラシイ人物は、相手が無名だろうと、有名だろうとピンとくれば会ってくれるものなんですね。
いやほんとに人間ナンにでも当たって砕けてみるもんです。
昨日のソローの言葉がまた現実に!
四時からは滝田さんと建築家協会へ。
すごい気に入ってくれたみたいで、さらに上の大ボスに見せたいから貸してくれと言われた。
渡したかったのだが、次にコレットにもって行く約束だったので、明日渡すことにした。
これも面白くなると思う。
そしてコレットに渡して、家に帰る。
帰る途中で、熊本のWOODSTOCK,LAのBENWAYという僕の大好きなレコード屋と同じ匂いを発する店を発見!
入ってみると、カセットテープの山!
掘り出し物を500円で見つけました。
ブライアン・イーノがプロデュースしたデビット・ボウイの「LOW」、そしてデビット・バーンがセレクトしたトロピカリズモ時代のブラジル音楽傑作集。
ブラジルの方は、未収録曲が4曲も入っています。
二つで500円ですよ。こんなアルバムのカセットなんて日本では見たことありません。
やりました!!
明日はピーター・ビアードが展覧会をしていたギャラリーに本を持っていきます。
どうなるかね。

2004年4月27日(火)

二時にバスチーユで滝田さんと待ち合わせ。
今日は建築家協会に行った。
中に入ると三階建ての広いスペース。すべて建築に関する展示。
書店の人と話すと責任者に渡してくれるとの事。
1日本を貸し出す。
その後、隣のcafeでビールを二杯飲む。
だいぶ気候も良くなってアルコールが気持ちいい。
しかし、やっぱり体調もまだ完璧ではない。
その後はゆっくりする。
かえってWALDENの下巻を読み干す。興奮状態。
ソローは言う、
「私は実験によって、少なくとも次のことを学んだ。もしひとが、みずからの夢の方向に自信を持って進み、頭に思い描いたとおりの人生を生きようとつとめるならば、ふだんは予想もしなかったほどの成功を収めることができる。」と。
「生活を単純化するにつれて、宇宙の法則は以前ほど複雑には思われなくなり、孤独は孤独でなく、貧乏は貧乏でなく、弱点は弱点でなくなるであろう。」とも!!
なんと勇気のでる言葉だろう。そしてこの言葉は私の本に対しても力になるものだ。
夜は和風パスタ自炊。鶏肉が少し生煮え。
でもうまかった。さあ寝よう!!

2004年4月26日(月)

朝、パンを買いに歩いている途中に焼きそば屋発見!!
ヨダレでまくる。明日買っちゃいそうです・・。
よくこっちの人は肉ばっかり食べれるよな。
午後イチ日本で知り合ったフランス人オリビエと久しぶりに出会う。
彼は、兄弟で日本とパリにオフィスを持ち、建築などのコンピュータグラフィックス制作の仕事をしている。
オフィスはバスチーユというきれいな町にあり、内装も自分たちで作っていて良い感じです。
一通り僕の本を見た後、彼の知っている書店に連れて行ってくれた。
通訳までしてくれて一生懸命書店のバイヤーに僕の言葉を伝えてくれた。
持つべきものは友。ほんとにありがたい。
その後、近くのcafeでビールで一息。仕事中なのに付き合ってくれた。
帰ってきてちょっとゆっくりして、夜はスイスセンターのアナヤンシというすごくキュートな女性と滝田さんカップルと同居人タンゴと私で会食。
ベルビルという多国籍地区でチュニジア料理。クスクス食べました。
ちょっと量が多すぎて全部食べられません。
アナヤンシはすぐに興奮状態に入って、次から次へとしゃべり続ける。
それを滝田さんが通訳してくれる。
さらに滝田さんの彼女のユーンも高速でしゃべり続け、さらにそれを滝田さんが訳す。
僕も負けじと英語で応戦!!それも変な英語だから滝田さんが訳す!!
食事後、今度は近くのcafeに移り、ワインも入り混じっての会話会話会話。
すごいよフランス人っていうかアナヤンシ!!
彼女の気合ばりばりの姿にはあっぱれ。
明後日には美術館にも連れて行ってくれるという。
いやあ今日は気分よく疲れました。
だけどこの本には、皆を巻き込んで話をさせるという力があることを強く感じそれはとてもスバラシイ事だなあと思った1日でした。

2004年4月25日(日)

昼頃起きて、午後二時半にmenilmontantへ、 Mr.Houとの顔合わせ、近くの洒落たcafeで話をする。
彼は私の本を食い入るように、1ページ、1ページ捲りながらじっくり見てくれた。
私の説明(つたない英語)を聞きながら、彼は「パリであなたは展覧会ができる。」と言ってくれた。
協力できる事はするとも。感謝。
彼は相当信頼のおけるフリーのキュレーターで一人でどこでもいって展覧会を企画している人物である。
彼の颯爽とした振る舞いに震える。かっこいい!
そして知り合いのDIRECTORを数名紹介してもらった。
よし、これでまた次に広がっていく。
その後は病み上がりなので、家で休憩。ベットで読書。
食事はトマトソースのパスタを自炊。
自炊できるから今回は非常に安く生活ができる。
同居人に感謝。
本棚にあった文芸春秋芥川賞発表号を取る。
「蹴りたい背中」読む。意外にもハマル。
中学校から高校生に変化する周りの環境描写のディテールに痺れる。
いいね。がんばれ。
久しぶりの読書が気持ちよく、さらにまた読書。
トマス・ピンチョンの「低地」。
またまたすごい。
いままでピンチョンは最後まで読めなかったけど、今日はなんか違う。
ぐいぐい読み進む。
ケルアックと石川淳を足してデジタルエフェクトかけたような小説。
こんな小説を僕も書きたくなった。
あらら。今日は日記も長い。
BGMは日本からもってきた はっぴいえんど「風街ろまん」これもやっぱりいいね。

2004年4月24日(土)

風邪で2日間ダウン!ようやく落ち着く。
今日、来週のアポ、二件取る。
明日は、中国人キュレーターHAU氏、スイス文化センターのアナンヤシとは来週アフリカ料理屋で食事の予定。
HAU氏はどこのウマの骨か知らない日本人の話を親切に聞いてくれる。感謝!
あとロンドンに住んでいる友達ナンペイとも連絡がつき、ロンドンも予定通り売り込みいけそうだ。
あとはもうちょっと体調直して気合いれましょう。
来週一杯パリで頑張って、次の都市に行きましょう!と。
夜、コレットというお店から、作品見たいというメールが届く。
いいねー。持って行きましょう。

蚤の市にまた行く。
今回はコーヒーカップとソーサーを3セット。
あとランプシェードを買いました。あとポットも。全部で8ユーロ。

2004年4月21日(水)

昨日のうちにマルセイユに着く。
午前中はコテコテ観光コースの遊覧船にのって地中海に触れる!!
そのあとマルセイユの街を少し散歩していよいよコルビジェの作った集合住宅‘ユニテ‘に向かう。
この感想は簡単にはかけない。
いつか写真、映像を使って表現したいと思う。

ゆっくり観た後は、3階のcafeで一服。
今日はなんとここに宿泊。ワイン飲んで寝る。

2004年4月20日(火)

今日は、一番楽しみにしていたシュバルの理想宮を観にいった。
オートリーブという小さな町に着き、小道を歩いていくと街並の隙間から理想宮が見えてくる。
彼は郵便配達夫をやっていて、まだ車が無かった時代にあるいて配達をしていた。
ある日、石につまづいた時その石を掘り出してみると、とても不思議なカタチをしていた。
彼は石に魅せられ、その時から石を拾い始め、若い頃から思い描いていた理想宮を独力で作り始める。
実際にそれらの石を見てみると、話の通りとても不思議なカタチをしている。
大昔、ここら辺は海に浸かっていたらしい。
ただの石ころを組み合わせた建築物に見えるが、よく見ているうちに石ころは、生きているかのような動物の姿に変形していき、鳴き声が響き渡る。
その瞬間にただの石ころは、動物たちがあつまるジャングルに変わる。
しかし、また目を離すとそれらはただの石ころに戻り、理想宮は静かに佇む。

2004年4月19日(月)

リヨン

早朝、TGVでリヨンへ。
そこからローカル線に乗り換え、コルビジェ設計のラ・トゥーレット修道院に行く。
修道院に着くまでにスバラシイ牧草地の風景が続く。
修道院は予想以上に荒いコンクリートの建築だった。
とくにそれが窓部分に現れていた。
窓枠は無くコンクリートに直接ガラスが埋め込まれている。
窓枠という概念を消そうとしていたように思う。
巨大な石を刻んだ彫刻のような仕上がり。
後は礼拝堂の入口が飛行機の機体のようなデザインになっていた。
金属の使い方に衝撃を覚える。
木材との絡ませ方もスバラシイ。
しかし、一番シビレタのは、そのような無骨なディテールが、このような巨大な建築物で施工されたことの奇跡ではないか?
日本の建築でこのような施工で仕上げられたものは今まで目にしたことがない。
全てが凍っているかのように収まっている。
修道院の細部は揺れ動いている。
細部が増殖して全体が構成されている。
はじめての感覚。やはり弟子であった吉阪隆正にもこの精神は貫かれていた

2004年4月18日(日)

今日は1日美術館巡り。
オルセーとポンピドゥーに行きました。一番興奮したのはルソーでした。
予想以上に大きいキャンバスに描かれたジャングルの絵は、3D画像のように浮き出てきて、見るものに襲い掛かる。
それとやっぱりゴッホにも同じ感動が!
ポンピではフランシスコ・ベーコンの三枚絵に圧倒されましたよ。
だけど歩きすぎでクタクタ。
今日も自炊でパスタ。
明日からは、リヨンとマルセイユの旅3日間。
シュバルとコルビジェのユニテを見にゆきます。
この2人に共通の精神性を感じる今日この頃。
この目で確かめてこなければ!

2004年4月17日(土)

朝からバンブという所の蚤の市にフランスとチェコの昔の文房具を買う(12ユーロ)。
そこで、フランスでアーティストをやっている知り合いの滝田さんと偶然出会う。すごい。
昼食はオデオンのおいしいビストロを滝田さんに連れて行ってもらう。
昼間っからワイン飲みまくる。
その後は今日も書店まわり。
今日は滝田さんが同伴してくれて、通訳してもらう。
滝田さんは日本で何回か会ったことがあり、僕の本もよく分かっていて完璧な通訳!!
書店はどこも反響があり、どこも買い付ける約束ができた。
その中の一つのスイス文化センターの女性が一番気に入ってくれて、見ているうちにだんだん興奮していた。
彼女の母親が書店をやっているから、そこでも買いたいといってくれた。
さらに、文化センターのキュレーターに来週会ってプレゼンしたらと言ってくれて、もしかしたら展覧会もできるかもしれないという可能性がでてきた。
この勢いでヨーロッパ中回ったらそれなりの成果がでそうだ。
今日はホントに滝田様様の日でした。

2004年4月16日(金)

昨日の午後10時に成田を出発。
朝一、4時にシャルルドゴール空港に到着。
外は真っ暗で何も見えず、空港を出た電車はひたすら前に進む。
目的地のストラスブール・サンドニに着いて階段を上がると、夜明けのパリの風景が!
初めて見るヨーロッパの風景。思っていたより感動的。
街灯と紺色の空のバランスに思わず興奮。
無事友人宅に着く。
今日は朝からいきなり書店まわり。
モンマルトルにある書店にまずもって行く。
反応はまずまず。その後も2,3軒持っていくが、買いたいといってる所もそこそこ見られる。
しかし、もうちょっと何かが足りない。
やはり、日本で紹介された人脈でさらに売り込む必要があるなと。
まぁ今日はこれくらいにして、2ユーロのワインでも飲みますよ。

2004年4月14日(水)

今日でバイトも終わり。
午後からリトルモアで、色校を切ってヨーロッパに持っていくための本づくり。
リトルモアの新人、カワイ君と一緒に作業を行う。
初めて見る自分の本の完成形。
いやぁーいい!。親ばかの心境。
息子はほんとにかわいいですよ。
そしてその本もって、翻訳の佐藤氏と目黒の紅邸へ。
紅氏は僕が本を売り込みに行く前から自分の作品をすごい評価してくれていた。
出来上がった本をみせると非常に喜んでくれた。
そしてヨーロッパでもきちんと評価されると言ってくれた。
彼女が言ってくれるなら間違いない!
あとは日本では浅原、宮川両氏に印刷を任せてお願いすることになっている。
私はヨーロッパへ。楽しみだ。
絶対形にして帰ってこよう。
早く向こうの人たちに見せたいものだ。

2004年4月13日(火)

誕生日です。
熊本で生まれ、すぐ福岡に移り住み、玄海灘のそばで九年過ごし、秘密基地と漫画を作り続け、その後また熊本へフィードバック。
野球を下手なのに続け、得意技はグローブで捕らずに腹でボールを受け止める「へそとり」!そんな技、本当にはありません。
それでも漫画、絵は描き続け、近所の風景と電柱に絡まる電線を描いた写生大会の時、誰も良いとは言わなかったが自分では過去最高の出来!
あの時の電線に対する姿勢は15年たった今でも変わらない。
その他はファミコンにあまりはまらず、方眼紙の上に巨大な地図を描き、手作りロールプレイングゲームをつくり、モンスターも100匹ぐらい自分でデザインしていた。
またコンチキ漂流記を読み、探検と称し空き家に忍び込む毎日。
とにかく既存のゲームや遊びではなく、とにかくDIYじゃないと興奮しなかった。
中学校に入ると、ギターを今は亡き祖父に教わる。
祖父はチューニングの仕方をわかってなく、5,6弦だけをなんとかあわせて、単音でドレミファソラシドと弾いた。
どうしようもなく下手だったと思うが、その単音のギターの音はまさにブルースだった。
ギターの音は上手いとか下手とかじゃない。
単音でいかに自分の音をだせるかだけだと今頃ようやく気付く。
感謝祖父!
ギターとビートルズだけの毎日。ほんとそれだけだった。
「みんなの歌」という小冊子に100曲ぐらい童謡系が載っていてそれも一日やりまくってた。
だって楽譜の上にコードがかいてあるんだもん。そりゃやるよ。
ビートルズの後はチャックベリーだけまた聞いてた。
ジョニーBグッドを延々2時間ぐらい。
「てれれ、てれれてれれれれててれれてれてれ、てれれてれれてれててれれてれれ」。
その時の録音していたテープには友達がドラムをえんえん8ビート。
僕は「てれれ・・・・」今考えても前衛的なセッション。
1コードだけでいいと思ったのはこのときからだ。今日はここまで。
来年の誕生日には、第二章「そしてボブ・デュランと建築との出会い編」をお送りします。
ホントカ?

2004年4月12日(月)

いよいよ色校が出来上がりました。
出来栄えは完璧。長い長い時間がかかりました。
これでヨーロッパで売り込みができます。
浅原氏もほっと一息ついていました。宮川さんも嬉しそうでした。
この後はいよいよ本番です。とうとう本になります。
明日は26歳になってしまいます。
この仕事にとりかかったのが22歳の時。4年かかりました。
これからもこれに続いてどんどん作品を作っていこうと思ってます。
自分の作品を真剣につくる作業はとても健康的だ。
今日はゆっくり寝よう。

2004年4月11日(日)

親父と弟と芋焼酎パーティー。
今日は終日ゆっくり。何もしないで過ごす。
明日はいよいよ色校が出てくる。色校というのは最後の印刷チェックである。
全ページ分印刷されてくる。
ほんといよいよだ。苦節一年。
ようやくここまで辿り着いた。これで心おきなくヨーロッパに向かえる。
親父もようやく本当に出版されるんだと思ったのではないだろうか。
酒は進む。昨日買った本も読み進む。
この本はいかに人類が時間と空間を手にしていったかの冒険活劇を見ているかのようだ。
夜、佐藤氏と電話。明日リトルモアで会えるそうだ。
彼女とはこれからも翻訳だけでなく、キュレーターとして付き合っていくことになるだろうとこっちだけで勝手に考えている。
展覧会も手伝ってもらうことになるだろう。
久々に通じ合える人と出遭ったと思う。
二人とも勿論無名のペンペン草ですが、結構気合入ってますよ。
話は盛り上がる。しかも理想論ではなく、現実として。よしよし。
寝る前はマイルスデイビス「オン ザ コーナー」聴く。いいね。

2004年4月10日(土)

「時間と空間の誕生」という本を購入。
ゲーザ・サモンという物理学者が書いた本で、現代物理と現代美術をあわせて物を考えていて、かなり興味深い。
アインシュタインとピカソを同列に並べて、どちらとも今までの時間や空間の概念を新しく考え直している冒険者、表現者と捉えている。
人間が「見る」、「聞く」、「感じる」とはどうゆうことなのか、空間をどう捉えていけばよいかを科学、芸術の両方の視点から(というか彼にはそれらを分け隔てる壁は無い)みている。
面白い。私の興味も今、空間を人間はどう感じているのかということなので、入り込んで読む。
弟:亮太は諏訪の御柱祭にいってきたらしい。
夜はフーのポストカード制作を手伝う。プリントゴッコを使用。
プリントゴッコの可能性については以前から興味を持っていたがそれがさらに深まる。
なぜインクジェットのプリントでは興奮しないで、プリントゴッコでは気持ちよくなるのか。
インクが紙に直接乗るのは一緒なのだが、偶然の要素は明らかにゴッコの方が勝っている。
この違いをきちんと文章で説明したいのだが、今はまだ力が無い。
しかし、ここ最近は日記によって訓練をしているが、これはかなりいい訓練だ。
いつか文章だけの本を書きたい。

2004年4月8日(木)

今日、銭湯から上がって更衣室で区役所だよりを読んでいたら、「太陽の恵みでエコライフ!16年度住宅用太陽光発電機器補助事業」と書いてある。
何だろうと思ってみると、太陽エネルギーを設置する住宅に費用の一部を補助してくれるそーだ。
新エネルギー財団というものが存在しているらしい。
ホームページもある。http://www.nef.or.jp
私のこれからの計画に区などに新エネルギーシステム住宅を提案して、土地を借りるなどして生活をして自分自身で実践してみたいと言う思いがある。
なんか時代もそうなってきているらしい。
うまく行政の人も納得するようなものを提案して都市での新生活のあり方を伝えたいと思う。
ヨーロッパには、友人にデジタルビデオを借りる予定だ。
シュバル、コルビュジェの建築を写真だけでなく、映像として残してDVDにして雑誌のようなものにするというアイデア浮かぶ。

2004年4月6日(火)

昨日、失敗したポスターは完成!
だけどこれを書店の人は飾る気になるだろうか。
なにせブルーシートそのまんまです。
ネットで南方熊楠の生家の写真発見!
今度は、南方の家を撮りたい。南方の生き方にはずっと影響されてきた。
彼こそ唯一人間のすべての要素を使って表現しようとした人である。
彼には肩書きが無い。ていうかそんなものあり得ない。
彼は全てに興味があったし、彼にとってはすべてが複雑に絡み合って一つの思想が成立していたのだ。
粘菌、仏教、科学、性、幽霊、超常現象、人の縁、・・・・・・・。
その全てを彼は、和歌山の片田舎で編集し続けた。
恐れ入ります。勉強になります。
中沢新一の「東方的」という書物には、デュシャンと熊楠が同じ「四次元」の本を読んでいた可能性があると書かれていた。
うーん。凄い。
私は前の二人を全く違うところで興味をもっていた。
それが繋がっていく。摩訶不思議!
何か一つの大きな道にぶつかっているという実感。
どうなっていくのかな。さらに勉強を続けましょう。

2004年4月5日(月)

午後から、島忠でブルーシートとスプレーを購入。
0円ハウスの書店用のポスターを製作。
本物のブルーシートでやろうとおもっているが、ちょっと失敗したので明日もう一回。夜、恵比寿でフーとまゆみんと会合。
パリの道案内を受ける。
帰ってきてからは、フィッシュマンズのライブビデオを鑑賞。
凄い。Jポップという枠組みを超越しながらもその輪郭を残しているようなバンドは他の日本人には見られないだろう。
そのバランス感覚には衝撃を受ける。
ダブがルーツであるが完全にオリジナルの音を出している。
オリジナルのものをつくるにはどうすればいいかという事で、ドイツのバンド「カン」のダモ鈴木がこう言ってた。
「自分たちが出来ることを、誰の真似でもなく全部出せた時、自分たちだけの音が発生する。」

2004年4月4日(日)

中野でバーズの「turn turn turn!」を買う。
今、ボブデュランのカバーをしているTHE BYRDSとTHEMのことが気になっている。
アシッドフォークもそうだが、ロックもまた違う角度から聴こえてくるようになってきた。
同じ音楽を聴いていても、日によって聞こえ方が変わってくるのはなぜだろう。
深夜、THEM"IT`S ALL OVER NOW,BABY BLUE"を聞いていると、それはいつも聞いているロックの音として耳に入ってくるのではなく、電気的な信号に変換されて脳髄を緩やかに刺激してくる。
その瞬間、何かに気づいた気がするのだが、また次の瞬間、その何かはフッと姿を消す。
そして、耳はいつもの耳に戻り私もいつものように音楽を聴く。
その何かはいつまでも掴めず自分をじらすのだ。

夜、NHKで空海の特集をやっていた。
私は密教にはそこまで興味はないのだが彼の行動、考え方、手法などには驚かされる。
彼は仏教という手段を用いて自分の思想を具現化していったように思う。
自分だけ修行を行い、一人悟りを開くような人ではなかったのだろう。
中国で大人数の人手を使ってすばやく仏典を写し、それを日本に持って帰り、高野山に一大仏教都市を作る姿は宗教人というよりは、編集者やプロデューサーのような印象を受ける。
仏教だけでなく、絵画、彫刻、音楽など全ての要素を高めることで、自分、そして日本人全ての感覚を広げようと言う考え方はこれからの私にも影響をあたえそうだ。

2004年4月3日(土)

0円ハウスで取り組んできたことを今後どのように展開していくかを考えている。
展覧会でそれを形にしていきたい。
実寸の0円ハウスを展示しようというアイデアが浮かぶ。
そして、0円ハウスの図面、製作方法を載せた取り扱い説明書のようなものを作って販売しよう。
0円ハウスの元になった東京と大阪、名古屋の路上生活者の記録図鑑「東京ハウス」、「ROAD IN 」の二冊の本も展示する。
写真、建築、本、図面と様々な角度からとらえた立体的な展示ができればと思う。
だけど、場所がなかなかみつからない。ちょっとあせりが出てくる。

2004年4月1日(木)

浅原氏と打ち合わせ。今日は、印刷の色見本が出稿されてきた。
まずまずの出来栄え。思わず興奮状態に入る。
本が出来上がっていくのはこうも興奮するものなんかー。実感する。
大体の印刷方針が固まった。
それに合わせてパリに行く前に自分でやれるところまでやっとかねば。
展覧会の準備、雑誌の製作、そして0円ハウス実寸模型。
やることが整理されていないので、パニックになってるが。
夜は行きつけのタイ料理屋が移転オープンしたので食べにいく。
内装は前のほうがよかったが、味は抜群でした。
阿佐ヶ谷の一番街にあるマニリンというお店です。
深夜、キュレーターの原サンと連絡をとった。
展覧会の会場探しのアドバイスを求める。
忙しいのに話をきいてくれ、感謝。
また雨降ってきた。桜散っちゃうのか。

BGM: THEM IT`S ALL OVER NOW,BABY BLUE

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-