零塾

第6章 Shadows and Light

 2011年3月14日(月)。今日は名古屋へ行き、仕事をやる予定だったが、地震があり、フーアオが不安そうにしているので、行くのを取りやめた。家族が萎縮している。どうにか安全な場所へ運びたい。しかし、どこが安全なのか分からない。とりあえずずっと一緒にいることにする。アオが外に出るのを嫌がっている。そうだろう。直感が働いているのだろう。二人で絵を描いて気を鎮める。ジュンク堂新宿での石井光太さんとのトークショーが中止になった。こんなときだからこそ、みんなが集まって話をしなければいけない時に、なぜ中止にするのか。すぐに人間は萎縮する。顰蹙を買うことを恐れる。
 石川直樹は現地へ飛んでいた。無鉄砲な人間である。体当たり人生ではない僕にはとても理解はできないが、どうやら原発の状況が大変なようで、心配なので、とにかく携帯でしきりに情報を送る。頼むよ、大変なことにならんでくれよ。

 2011年3月15日(火)。朝、新宿駅でハザマと待ち合わせ。ハザマの車に乗せてもらって、名古屋へ向かう。途中でひつまぶしを食べる。美味。その後、新作の仕事場へ。初めての体験で興奮する。しかも、今は大地震で日本が揺れ動いている真っ最中。その中でも、この現場はすこしも怯まず、粛々と、ひたすら前を向いて突っ走っている。希望の光を感じた。
 そうだ、うつむいている暇はない。とにかく僕は行動する。次の手を打つ。
 素晴らしい人たちと一緒に仕事をしている。それぞれが自分にできることを精一杯やっている。地震で家族のことを心配になりながらも、ひたすら作品を完成させることに集中している。それは僕が描いてきた、0円ハウスの姿とも、全く理解されてこなかった僕の仕事とも重なる。僕は確信を得た。今回できるこの作品は、世界中へと旅立つだろう。そして、あらゆる人たちに、あらゆる方向性を持った思考を促すだろう。強い力を感じた。この前、岡田利規さんと話した時に僕がつい漏らした「力強い弱さ」を。
 深夜3時に無事終了。その後、震災、津波のこともそうだが、やはり福島原発が不穏な動きをしている。つい1週間前に、DOMMUNEで原発特集、エネルギーについて考えていた。DOMMUNEでやった理由は、上関原発の現場を見に行って、そのひどい現状に怒りを覚え、朝日新聞社とNHKにちゃんと取りあげてくれ直訴したのだが、「それはできない」と言われ、しかもそれが僕の信頼している人間だったので、さらに落胆は大きく、ならば、自分のメディアでやろう決意したからである。東京電力の友人とも話をした。彼も原発の危険性については十分検証していると言い放った。
 しかし、僕は大きな地震が来たらどうするんだ。計算している値を大きく超える地震が来たらどうするんだ。そうなってからでは遅い。だから、ちゃんと気付いて欲しい。そして、メディアで取りあげてほしい。取りあげないと、もしも大惨事になった時に、大変なことになってしまうと僕は警告した。
 そして、こんなことが起こってしまった。メールを見ると、直訴した人から謝罪ともとれるメールが届いていた。やむを得ないと大人の判断をして、取りあげなかったのは間違いだったと。遅い。遅い。もうマスメディアは完全に終わった。悲しくて、泣きそうになってきた。嘘に嘘を重ね、嘘を積み上げ、嘘を飾り付け、本物らしくではなく「本物」だと言い張る。何が中立公正だ。信じられない。やはり僕は会社の意志によって動かされている人間を信じることができない。大事な時には、僕を信じてくれよ。そうやって、いつも話をしてきたじゃないか。お酒を飲んできたじゃないか。夢を語ったではないか。そして、僕に大きな可能性を感じてくれたじゃないか。悔しい。本当に悔しい。いつでも、人は僕が必死に話をしても、ヘッヘッと笑う。僕はその笑いを忘れることができない性格になってしまった。そして、必ずや、その笑いを誤りだと認識させるべきだと誓い、黙々と仕事をすることにした。しかし、もう黙ってられない。
 朝5時まで、大事な人とワインを飲む。彼は同じく、一人で独立独歩で、生きている。行動している。だから、矛盾がある。しかし、その矛盾を恐れず、むしろ自然のものとして知覚している。だから、生々しい生がある。生きている。僕は30歳ほど歳が違う、その方に希望を感じ。今回の仕事の成功を確信した。

 2011年3月16日(水)。お昼までホテルでゆっくりして、再び名古屋市内を車で走り、仕事をする。というか、見てるだけだが。原発がもう本当に大変なことになっている。気が気で無い。フーアオのことを考えると、とりあえず居ても立ってもいられなくなり、大阪にいる妹の家に新幹線ですぐに移動しろと伝えた。そんな必要がないと色んな人が言っていたが、僕の直感としては何かむずむずとして気色悪かったので、とりあえず動いてもらった。フーも必要がないと思ったらしく、なかなか動きが悪かったが、最後には納得してくれた。用心しておくのに越したことはない。何にもなかったら、なかったで、大阪に行き、姪っ子に会えたと思えばそれでいいじゃないかと考えてもらうことに。
 なんだか、むずむずが収まらず、隅田川の鈴木さんや多摩川のロビンソン・クルーソーが心配になってきたので、僕も名古屋の仕事を早めに切り上げて、新幹線で東京に戻ろうとした。その前に、原子力について一番信頼している人に電話で相談する。すると、彼は一切好転せずに、このままいったらメルトダウンしかねないと言う。ならば、余計、彼らを大阪へ運ばないといけないと思うも、もう東京には戻るなと言われた。
 僕の直感はそれを信じた。よく分からんが、フーアオと一緒にいるべきだと強く思う。しかし、インターネット上の情報では、テレビの情報では、問題無いと言い続けている。しかし、マスメディア、情報に懲りている僕は、とりあえず人間の言葉をフィールドワークして自分の頭で判断することにした。すると、友人のおじさんが原子炉の設計をやっていたそうで、その家族も東京から西日本へ移動しているという。人の言葉だけを判断することに。
 しかし、一向にテレビやネットでは問題ない。爆発はしない。もし仮にしても東京は問題ない。などと言っている。
 そりゃないでしょう。どう見てもおかしいのに。計画停電よりも、むしろ計画輸送、計画脱出をしなくてはならない。何にも対策を練っていない。しかし、そんなこと文句を言っていても仕方がない。
 僕の判断は、もう東京には戻らず、大阪にいる妹の家へ行くことにした。友人に電話すると、東北の人たちは全く逃げることができずに、しかも東京の人が全て逃げることもできないのに、お前は自分のことだけ考えて逃げるのか、と言われた。しかし、僕の直感は全く揺るがなかったので、行動に移すことに。
 とりあえず、僕の信頼している人間に僕が感じていることを伝えて、逃げる必要があるように直感していると言うと、大半の人が笑った。それは考えすぎだと。いつものことなので、それは無視して、自分が獲得している最低限信憑性のある事柄をとにかく伝える。一番信頼している人間は逃げないと言った。僕のこの直感が杞憂であることを心から願う。
 隅田川の鈴木さんには電話が繋がらないので、貴金属拾いの佐々木さんの携帯に電話して、佐々木さんに鈴木さんの家に行ってもらう。そして、一緒に西日本に行こうと言うも、彼は家を守らないといけないと言う。タンゴにも行ってもらって、説得するも、駄目だった。あとは個人の判断に任せる。新幹線の片道切符を鈴木さんとみっちゃんの分渡してもらい、もしも何かあったら電車に乗ってもらうことに。どうせ、僕のこの直感はおそらく妄想だ。妄想なんだと、思い込む。
 多摩川のロビンソン・クルーソーにも電話。こちらも同じ返答。梅山景央に新幹線のチケットを渡してもらう。どうせ、僕の方が絶対に妄想なんだと再び思い込む。しかし、原発の状況は悪化している。くそ、悪転しかしない。直感というものは恐ろしい。
 フーの家族、フー母、フー姉、姪っ子二人も説得して、新幹線で大阪へ来てもらう。弟は仕事なので行けないという。僕の妄想であってくれと再度願う。
 たろうに電話して、空の一軒家を借りる。僕たちは妹の家へ行き、他の友人はこの避難所に来れるようにした。しかし、なかなか電話をしてもみんな動かない。そりゃそうだ。これは妄想なんだから。数日後、お前神経症だよ、と馬鹿にされることを願う。しかし、なんで煙とか出てきてるんだよ。警視庁高圧放水車が投入されちゃった。もう完全にブラックジョークだよ。こんなのでどうにかなるわけないでしょ。
 あまりにも馬鹿げた政府の対応、東電の対応、屑同然のメディアのモルヒネ的作用に、呆れ返って、涙が出てきた。
 本当に、きみたちは馬鹿なのか?そうではないだろう。いい大学でたんだろう。色んな本読んできたんだろう。なんで、会社や組織の中にいるときみたちはそんなに馬鹿なのか。頼むよ。頼むからちゃんと報道してくれよ。僕はもう懲りてるから、メディアや政府や東電に本当のことを言ってくれとはもう思わないから。できないなら、他にできる人にかわってもらってくれよ。
 もう本当に、心配になってきたので、眠らずに朝までustreamのTBSを監視することにした。朝4時ごろ、いっつも危険なニュースをちょろっとだけ出すからだ。案の定、午前4時半、アメリカ政府が半径80キロの避難勧告を出した。なんで日本と50キロも違うんだよ。NHKの井上さんが福島の90キロ地点にいるので、心配になってきて、とにかく電話をして、離れろと伝える。朝のニュースはやばすぎる。正門も前日と20倍ぐらい増加している。頼むよ。さらに、菅直人は「東日本がつぶれるということも想定しなくてはならない」と言い放った。僕はこれを彼が初めて放った「本当の言葉」なのだと直感した。こういう局面はもう個人的判断しかあてにしてはならない。あまりにも心配になって、午前6時に気になった人に電話をした。イノッチにも電話した。他の人も家族は移動していた。
 さらに、三号機が大変なことになっているという。放射線量が急上昇。しかも、理由が分からないというありえない発言。もう笑えない。菅直人の「本当」の発言と30キロの避難勧告出しながら、50キロ避難しちゃったという経産省保安院の「嘘」の発言を組み合わせ、僕は今、結構大変な状態なのだと直感する。しかし、これは僕の直感である。それだけだ。
 でも、これはあくまでも僕の個人的な見解で、しかも、科学的な実証は全くなされていません。つまり、直感のみである。

とても参考になりました。

 2011年3月17日(木)、18日(金)。
 朝起きて、僕は自分が感じていることを大袈裟だと思ってしまう。周りが平穏のように見える。しかし、状況は一向に好転していない。一度も好転していないと言ってもよいかもしれない。もしかして、始めから駄目だったのではないかと勘ぐってしまう。
 USTREAMで東京電力の会見を見ても、ほとんど答えていないし、曖昧な答えであるし、電源を持ってきてもポンプが仮設なので、うまく稼働しない可能性が高い、などというとんでもない言葉を何気なく言っちゃってたりする。しかも声が小さいので、ほとんど聞き取れない。一体、こんな非常事態なのだから、一つ二つだけでいいから、ちゃんと僕たちが一番欲しい情報を欲しい。
 youtubeで自衛隊ヘリから東電社員が撮影した画像がアップロードされているが、それを見ながら、戦慄が走る。
 もうこれ、がれき以外の何者でもないではないか。
 なぜ、誰もそれを言わないのか。作業員は一体どこにいるのだろう。考えるだけでゾッとする。
 死ぬような仕事をさせるのは、犯罪である。それでも働くのである。僕は彼らが使命感を感じて働いているとはとても思えない。というよりも働かされているのではないかと考えてしまう。現場で頑張っている作業員、頑張れなどとは微塵も思わない。それよりも、一刻も早く、作業を止めて欲しい。作業をやめると大変なことになるものなら、始めから建ててはいけない。東電の会見で、東電側は作業員の氏名と年齢を全く知らないという、これまたとんでもない解答をした。僕はそんな会社は一生信じない。ニュースになったのだろうか。
 東北、北関東の被災者の方たちは、避難所の中で原発から放出される蒸気や、ボロボロの建屋を見て、必ず不安になっている。
 しかし、それらがどういうものなのかは、テレビではなかなか放送されない。外部被ばくと内部被ばくの違い、放射性物質の拡散についてなど。
 とにかく、こういった情報が被災地にしかも広範囲に回るにはどうすればいいのだろうか。
 本当は被災者の輸送計画が必要だろうが、僕にそれを指揮する能力はない。こういった放射能、放射性物質などの言葉が飛び交い、混乱している状態では、なかなか困難なのかもしれない。放射性物質を避けるためにも防護服が必要だと思う。そのように、本当に具体的にちゃんとした正確な情報が必要である。
 避難所でテレビがあるところでは、NHKをよく見ているはずである。とりあえず、NHKのディレクターの方に電話して、とにかく今、緊急事態なので、正確な情報を与えて欲しいとお願いする。午前4時ごろに電話したにもかかわらず、出てくれた。
 情報を提供するのは飯田さんにやってもらいたいとお願いした。もう安心させている場合ではない。きちんと正確に事実を伝えないといけない。どうして、こんな緊急事態にもかかわらず、人は体裁を保つのか。ここで、ちゃんと事実を伝えられないマスメディアは潰れてしまうと思う。
 原発が全て廃炉になってしまったんですよ。普通ではない状態なので、とにかくお願いしますとディレクターに伝えた。
 もしも、駄目だったら、DOMMUNEでできないだろうか。思えば、3月3日にDOMMUNEで原発問題について飯田さんと映画監督の鎌仲さんと磯部涼と僕の4人で原発について、自然エネルギー、都市型狩猟採集生活のインフラフリー生活について話し合ったことから、この東北間等地震、福島第一原発爆発は繋がっている。自分でも恐いくらい、繋がっている。
 今はかなり緊急状態である。第1~3号機の事故が国際原子力事象評価尺度でレベル5に上がった。
 IAEAの天野事務局長は、「原発事故はウィーンでも大変関心が高まっていて、重大な事故だと、深刻な事故だと認識をしている。多くの国はもっと詳しい情報をいただけないかと常にいっておりますので」と言っている。
 こんな世界的にも心配な事故であるにもかかわらず、他国には情報が行っていない。とても心配だ。これを危険だと感じている。
 重大なはずなのに、それがなかなか日本人には伝わっていないのではないだろうか。
 環境エネルギー政策研究所の飯田さんと連絡を取り合う。
 飯田さんもとにかくこの現状をかなり危険な状態であると認識しているようだ。
 地震、津波の被災地に放射能、放射性物質、  しかし、人に伝えても、それがうまく伝わらない。みんな動かない。驚くべきことだが、会社に行っている人もいる。
 しかし、衣料ブランドのH&Mは関東地方の10店舗をすべて、営業休止にすると発表した。そして、社員の安全確保を最優先し、東京・渋谷の日本支社に勤務する社員と、休業する店舗で働くパートタイム社員とアルバイトなど計800人を関西地域のホテルに避難させる意向も明らかにした。避難対象はスタッフの家族も含み。最大で2000人規模になる。ホテルの滞在費用などはすべて同社が負担する。
 これが正しい決断だと思う。
 会社で働いている人々は、心配で不安になりながらも、会社があるので、欠勤するわけにもいかない。これで逃げ出したら、クビかもしれないし、周りの人間から何を言われるかと怯えているかもしれない。とにかく僕は心配である。
 上のような会社もあるのだ。不安ならば、それを伝え、西に避難するべきだろう。
 妊婦とこどももとにかく西へ南へいくべきだ。
 関西広域連合が数万人規模で福島県民の震災者を受け入れするニュースが流れている。

 2011年3月19日(土)、20日(日)。午前中、放射性物質についての説明がNHKでもほとんどなされていないことに、勝手に不安を感じた僕は、ディレクターの人に専門家を出演させて詳しく分かりやすい説明をしたほうがいいと伝えた。でも、結局それは実践されなかった。人体に直接的な影響は「直ちに」はないとのことで、問題はないのだから、説明する必要もないのだろう。もう、僕は納得することにした。問題はないというのだから、それでいいではないか。しかし、それも首都圏だけの話なのだろうけど。福島県や宮城県はとんでもないことになるのではないか。データでもこの二県だけは鬼才されていない。水道水の中から基準値を上回るヨウ素とセシウムが検出されたらしいが、そういうことを色んな人に伝えても「今のところ、問題はないと国が発表しているから、問題無いのだ」と言われたので、僕はもうそういうことを伝えるという行為そのものをやめることにした。そんなことをやっても、変わる当事者が変わらないと何も変化することはない。久々に感じた無力感であった。もう、僕はこの原発に関して、何も言わないことにした。それよりも、自分が進めている仕事をもっと突き進めていくしかない。内部被爆の恐怖も、放射性物質のことも、原発で働く作業員たちの安否、氏名などの情報も、やりたいとは思うのだが、それをやり続けていくよりも、僕は僕の仕事に集中すればいいのだと思った。僕は東京電力のどうしようもない行動によって、放出されてしまった放射能に当たりながら生活する気はさらさらないので、当たらないところへ行こう。そして、東京を静観していくことにした。
 僕は大阪の妹の家にいるのもなんなので、この際、働き方自体を考え直してみることにする。僕は、とにかくどこにも属さず、常に自分自身でイニシアチブをとれるように仕事を作り続けてきたつもりである。そのため、仕事の場所を選ばない。海外でも地方でも東京でも、どこでもできるのである。新幹線のチケットを購入し、実家のある熊本へ行くことにした。今回、感じたことは、東京で働いている人々のほとんどが、東京という大都市のシステムそのものに完全に寄生していることであった。寄生している限り、どんなに危険であろうとも、東京という場所を離れることはできないのである。また東京は正常な日常らしさに戻るだろう。そうしないと、経済活動ができずに、大変なことになる。しかし、子供たちのことは今でも心配である。とにかく心配である。でも仕方がない。固まったシステムは変えることができない。
 3月12日に開通されたという、九州新幹線「さくら」に乗って、新大阪から熊本へ。これが乗り心地が良くて快適であった。しかし、携帯電話がほとんど繋がらない。なぜなら、トンネルばっかりだからである。山を掘りまくっている。げんなりするも、それを利用している自分は一体どうすればいいのかと、また考え直した。どこにでも、今回の東北関東大地震が示した問題点は潜んでいる。
 磯部涼に「お前は逃げた」と言われたのが、ずっと引っ掛かっている。後日、磯部涼は言いすぎたと言ったのだが、しかし、そう感じたことは事実なのだろう。フーも同じようなことを言われたらしい。うちの家族はまるで非国民のように思われている。僕は自分の家族を悪く言う人間は絶対に許さない。僕は何も気にはしないのだが、なぜそういうことになってしまったのかはちゃんと考えなくてはいけない。
 逃げたということは、その人たちは逃げずに何をしたのだろうか。東北の人々に家を開放して、避難させてあげたのだろうか。食料を送ったのだろうか。現場へ行って、助けてあげたのだろうか。寄付をしたのだろうか。僕は何もできなかった。なぜなら、僕は自分自身が「被災者」だと認識していたからである。地震という天災の被害は受けていないが、「原発爆発」「放射能漏れ」という「人災」にはとても大きな被害、恐怖を受けた。そんな自分に人を助けることができる余裕はなかったというのが事実である。
 僕は、東京電力というくだらない会社が、欲望のままに原発を作り出し、当然のことながら、巨大な地震によって破壊され、そこから、放射能が漏れてしまうという考えたくもない、つまらないことで汚染されたくない。汚染されてまで、人を助けようとは思えない。まずは、自分の愛する人間を安心な場所へ届けるということが先決である。人間にはそれぐらいしかできないのではないかとさえ思っている。しかも、あれだけ放射能が放出されている中、東北にボランティアに行くというのは危険なことでもあるので、それも心配している。そういうところにこそ、自衛隊が投入されなくてはいけない。原発のところばっかり行っている場合ではない。原発よりも、まずは人命を助けてほしい。それができなかったのにも僕は問題意識を感じるし、今後もすっと考えていきたいと思う。
 平穏を取り戻して、東京電力の問題をさらっと忘れるのではなく、原発作業員の安否、死亡者の発表。自衛隊、消防庁、警察官という原子力に関して完全な素人であるはずの職員たちの死亡者、被爆者たちの発表などもしてほしい。やらないなら、自分でやりたいとも思う。彼らへの賠償金もちゃんと払われることを願う。こんな、人命よりも、原発というお金を生み出すものを守らせるような、まるで戦争のような状態というのは異常である。しかし、テレビの報道や、インターネットでのリアクションは英雄扱いであったので、僕にはとても違和感を感じた。僕は日本国民とは全く考え方が違うのかもしれないとも思ってしまった。
 僕は、とりあえず東京から仕事の拠点を熊本に移そうと考えている。もちろん、東京にも行くが、今回感じたのは、海外、九州、関西にも僕は強いネットワークがあるので、どこでも仕事ができるし、落ち着ける。それならば、それをもっと実践して、もっと本格的な狩猟採集民のような仕事をやっていくべきだと思った。熊本で東京からの避難所も作ろう。避難してきた人が携われる仕事も作ろう。そうすれば、ただ会社から命令されて、本当は脱出したいと思っている人々たちには協力できるかもしれない。しかし、東京は人々を離さない。東京でないと仕事にならない人々がたくさんいるのだということを今回の被災でまざまざと知らされた。僕にできることは、東北の人々を救うことではないのかもしれないと感じている。それは政府や地方自治体や自衛隊や医療団体がする必要があるはずだ。原発に取り憑かれて、東北の忘れていた政府の犯したミスは忘れ去られそうで、不安である。
 しかし、こんな状態の中で素晴らしいことも起きた。「ゼロから始める都市型狩猟採集生活」が重版されることが決まった。これはとても嬉しい。今回の被災でも何らかの形で寄与できたことを考えると、書いた意味があったと思い、フーと二人で喜んだ。さらに、地震の最中、名古屋で実行されていた大きなプロジェクトも奇跡的に無事に完成することができた。これがこれからの復興の大きな力になるはずだと確信している。バンクーバーでの個展もオークションをやって一部を寄付することができたらと考えている。これからこそ、僕の仕事が重要になってくるはずだ。そのためにもとにかく仕事に集中しよう。僕はこの困難な状況に置かれているにもかかわらず、とてつもなく大きな希望を抱いている。自分にはできる可能性があると思っている。モバイルハウスも、0円ハウスも、都市型狩猟採集生活も、12ボルトのバッテリー自家発電システムも、今だからこそ、説得力がある。そして、現代建築の限界も、今回の地震で完全に表出してしまった。
 熊本は、何事もなかったかのような平安な場所で、僕は心の底から落ち着いた。温泉にも入り、一週間の疲れを落とす。アオもようやく不安がなくなったのか、笑いながら遊んでいる。しかし、外出する時は、地震が恐かったらしく、タオルを頭の上から被って歩く。それを見ながら、子供たちが負ってしまった心のケアもちゃんとしなければと思った。それには、まずは僕が仕事に集中し、軌道に乗せないといけないなあ。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-