零塾

第10章 新しい政府をつくる

 2011年5月9日(月)。昨日の夜、東京の海沿いにいた僕は大きな津波に飲み込まれた。しかも、ぎりぎりのところで生き延びた。そして、勝手に自分たちの手で政府を作った。という夢を見。
 で、朝食を食べて、書斎で仕事を始めようと思っていたのだが、ピンと閃いた。
 新しい政府をつくろう、と。
 岡田准一さんと一緒に対談したときに、将来の夢はなんですかと聞かれ「内閣総理大臣です」と言ったことを実現してみよう、と。勝手に。
 日本にもう一つの新しい政府をつくりあげる。
 別のレイヤーに政府をつくりあげる。
 こうすれば両者が争わずに共存できる。与党とか野党かが争うようなくだらない政治の中で戦うのは面白くない。
 初代内閣総理大臣に試しに僕がなってみる。
 そして、組閣して、憲法作って、スピーチライターと一緒に徹夜で作った原稿を持って演説してみる。
 そして、まずは福島・原発事故、震災への対策、情報公開、海外と連携をして最良の方法論を提示する。
 そのためにお金も集める。
 お前が首相になったらスピーチを書いてあげるよ、と初めて会って飲んだ時に言ってくれた佐々木中兄さんに電話し、この妄想をぶちまける。彼は意外にも真剣に聞いてくれた。お腹が痛いと言っていたのだが、彼は明治維新の時に、政府が出来たが、それ以外にもたくさんの政府案があったことなどを引き合いに出して、お前がやっていることは妄想でもなんでもない、むしろ正当な方法論だと言ってくれた。感謝。
 昨年末、ロビンソン決起集会で飲み過ぎて、殴り合いになってしまい、疎遠だったけど、声をかけてよかった。
 中江兆民たちもそうだった。自由民権運動もそうだった。
 チュニジア革命のようなことを日本もやってきたのだ、と。
 憲法草案だって、いくつもあった。
 代替案を示せと政府に言うのではなく、代替案を自分たちで作るのである。
 これをレイヤー革命と呼ぶ。
 同じレイヤーで戦わずに、違うレイヤーの世界で新しい政府を作り、提案する。
 これで文学と芸術と政治が一つになるのではないか。
 もちろん、まだ妄想段階である。しかし、中兄さんは妄想ではないと言う。
 どうせ変わらないと愚痴らずに、諦めずに、それなら新しいレイヤーを作り出す。
 今までは、既に存在している別のレイヤーに気付けと僕は言ってきた。
 それが「新しくレイヤーを作り出す」という行動に変化してきた。
 レイヤー革命とは、新しい社会レイヤーを創出することである。
 僕はそれこそが芸術だと思っている。
 ここには暴力は存在しない。
 智慧のブリコラージュが存在している。
 領土争いなんて必要ない。レイヤーが違うのだから。
 これこそ、次の僕のやるべき使命なのかもしれない。
 都市型狩猟採集生活から次のレイヤーへ。
   ゼロセンターはゼロ大使館なのだ。
 モバイルハウスはゼロ国会議事堂なのだ。
 あらゆることが繋がっている。僕がこれまで出会い、議論し、喧嘩してきた人間たちを大臣として呼び寄せよう。
 パスポートを発行しよう。
 各国の首相、大統領たちとも会談しよう。
 得意のジョークで笑わせよう。英語で講演するのにも大分慣れてきた。
 雑誌「ロビンソン」は、新政府の考え方を示す。
 そして、僕の給料は0円でいよう。
 本来、政治家は金なんて必要ない。社会を変えるのが使命なのだから。他に何も欲しいものなんて無い。
 そう言うと、中兄さんは、
「レーニンは、共産主義において政治家は労働者の平均年収よりも給料をもらうべきではない、と言っていたよ」
 と言った。(別に共産主義にしたいわけではないですからね。)ごもっともである。
 僕はお金なんて無くても、一生困らずに楽しく暮らしていける長所を持っているのだから、政治家になる必要条件は満たしているはず。
 よし、これで行こう。
 新政府の誕生。
 次にすべき行動を、政府に求めるのではなく、自ら政府を作り上げ、実践していく。
 今であれば、実践する力がある。昔、若い頃ではこんな考えても実行できなかった。
 講談社の川治くんに電話した。興味深い、協力します、とのこと。
 磯部涼に電話した。官房長官に任命すると言うと、福島から帰ってきたばかりで眠いから後で電話してくれと言った。よし、後で電話しよう。
 デザイナーのシミに電話した。カッコいいスーツをオーダーメイドで作ってくれと依頼した。快諾。12万円で作るよと言ってくれた。バンクーバーで稼いだお金をここでしっかりと投資しよう。
 エネルギー庁長官にはもちろん飯田哲也さんにやってもらいたいから今度電話しよう。
 バンクーバーの富豪の人たちには出資をお願いしよう。
 こんな芸術活動は僕は今まで見たことない。
 そして、これこそ僕が一番やりたいことでもある。
 昨日、神聖かまってちゃんのNHKのドキュメンタリーを観ていて悲しくなってしまった。なんで、この人たちは自分から社会に飲み込まれようとしているのだろう。菅直人首相を観ているようだった。メジャーのつまらなさに憤り感じるなんて、アイドルと何にも変わらない。というか、今のアイドルたちの方がその辺はクレバーだなと思った。
 一番戦わなくてはいけないところで、戦えていない。フレームインされた社会で安心の世界で、破天荒を行っている。
 それではいけないのだ。
 直接、自分のマグマを、社会に照らさないといけない。
 その恐怖をユーモアで乗り越えなくてはいけない。
 それが芸術なのだ。
 それが社会人であり、
 それが人間なのだ。
「人間自体を表出させる」ことに怯えてはならない。
 それではカントの言う未成年のままなのだ。
 人間に成ると書いて、成人。
 成人は人間なのだから、社会を変えなくてはいけない。
 それが自分にできるか分からんが、飲み込まれることはない。
 レイヤーが違うからだ。その津波には飲まれない。
 人々に光を当てるのではなく、徹底して自ら、そして仲間と協力して光を作り出そう。ピカピカに磨き続けよう。
 そのうち、知らぬうちに人々は気付くだろう。
 焦るな。そのことはこれまでの経験で覚えた。
 不安は感じなくなった。ただ恐怖心と対峙している。
 何が起こるか分からない不安ではなく、
 目の前の腹を空かせた虎ならば、対処の可能性がゼロではない。
 そんな時に、人は見たこともないが、既に持っていた本来の力を発揮する。
 それが、あらゆる人々の前に立ちはだかっている。
 それなら、可能性があるんじゃないかと僕は思うのだ。
 とりあえずまず行動。
 実践あるのみである。

 2011年5月10日(火)。新しい政府発足初日。僕は現政府とちょっと違って、3号機が心配です。みんなも心配だと思うけど。
 僕は科学者ではないので、分からないので、環境エネルギー政策研究所所長である飯田哲也さんに電話で問い合わせたところ、情報が全く無く、まだ分からないとのこと。僕のまたいつもの直感的胸騒ぎは収まらない。
 京都大学原子炉実験所の今中哲二助教授に電話で問い合わせてみる。飯館村はもうすでにチェルノブイリに一番近く、高濃度の汚染された地域よりも汚染は酷く、とても人が快適に暮らせる環境ではないと言う。しかし、現政府は「計画退避」としている。かと言って、現状のように保障が無いまま、村を離れてしまえば、村は死んでしまうし、彼らの生活も相当大変なことになってしまう。今中さんも女性と子どもはすぐに出なくてはいけないと言っていたが、年輩の男性に関しては何も言うことができない、がんばってほしいとのことであった。
 しかも、今もチェルノブイリよりも高濃度の放射能、放射性物質が飯館村には降り注いでいると言う。
 昨日、NHKのドキュメンタリーでチェルノブイリに一番近い村の映像が流れていたが、廃村になっていた。歴史を無視してはいけない。常に、僕たちは先人からのメッセージを痛くても受け止めなければいけない。歴史を無視して、家を建てたから、津波に襲われたことが証明されている今、僕たちは歴史に立ち返らないといけない。
 人間、動物、仕事、コミュニティ、などあらゆるものの計画輸送をやはり僕が前々から常々言っているように始めないといけない。
 僕は、今、両親によってやんわりと監視されているが(とほほ。。。)、別レイヤーでやるのだから、大丈夫だ。
 ゼロセンターこと新政府首相官邸で、これからのことを考える。
 磯部涼に今、電話した。昨日は眠くて分かっていなかったが、官房長官に任命すると承諾してくれた。
 DOMMUNEで都市型狩猟採集生活第8回目は「新しい政府」の発足式、所信表明演説、内閣任命式をやろうかなと思案中。
 宇川さんに提案してみよう。
 映画監督の鎌仲ひとみさんに電話。新しい政府の厚生労働大臣を打診する。快諾して頂いた。頼もしい限りである。
 鎌仲さんから、最新の福島での放射線量の計測の情報が入る。昨日の段階で飯館村役所前で455マイクロシーベルト/時とのこと。これはかなり危険である。現政府の法定では通報基準値が500マイクロシーベルトだから大変なことなのに、一時帰宅をさせちゃっている。これは殺人的行為である。一般人の年間被曝線量の限度は1000マイクロシーベルトだ。3時間もいればもうマックスになってしまう。これで健康に被害が無いとは新しい政府ではとてもじゃないが、言えません。
 新しい政府は、国民よりも臆病なんです。なんといっても僕が首相だから。僕は本当に臆病な人間である。公的に発表している数値が信用ならないので、それよりも1.5倍増で安全な方策をとります。ということで、新しい政府では一時帰宅は不可能です。辛いのは分かるが、国民が汚染するほうがもっと辛い。僕はより辛い方を避けたい。まだ新しいので、この政府はお金をたくさんは持っていないので金銭的な補助をすることが困難であることは確かだが、それ以外のことなら、補助できるように最大限の政策を作っていく予定である。ということで、お金を持っていて、使命を持っている人間は随時募集します。バンクーバーからはかなりのお金が集まった。今度は日本でどれくらいできるか。それが首相としての力が試されることであろう。
 飯館村でなくても、会津若松でも計測したが、雨樋などの放射性物質が溜まりやすいところで計測したところ、8.9マイクロシーベルト/時だったとのこと。こ8マイクロシーベルトとして、24時間で192マイクロシーベルト、365日で70000マイクロシーベルト。1000で割って、70ミリシーベルト。年間被曝が20ミリシーベルトどころではなくなっている。まずい。本当にまずい。
 しかし、鎌仲さんの情報によると、そんなところにボランティアの人々は防護服も着ず、汚泥をかいている。
 新しい政府としては、ボランティアはもちろん禁止しませんが、ボランティアをする人のためのガイドラインを作り、そして、危険地域をはっきりとさせ、フランスから送られてきた一万着の防護服、さらに大量の防護服の送付を各国に要請し、それを無料で配布します。
 人を助けたい気持ちは十分に理解します。しかし、同時に首相はあなたたちも助けたい。
 汚泥と遊ぶ裸の三歳児もいたそうだ。心が痛みます。新しい政府は、福島原発100キロ圏内で子どもが外で遊ぶのを禁止したい。しかし、子どもが外で遊べないなんて、死ねと言うようなものだ。つまり、外で遊べるところまで避難させなくてはならない。これは早急に対応しなくてはならない。組閣が急がれる。
 3号機やばいのに、福島のみならず、関東圏、もちろん東京にも10日から11日にかけて風が吹いています。雨も降るそうだ。
 子どもは外出禁止します。
 用心には用心を重ねたほうがいいと思う。現に、福島50キロ圏内ではかなり危険なホットスポットが存在していて、新しい政府としては、絶対に外出禁止なのだ。
 関東圏もそう変わらないと思った方がいい。
 臆病な新しい政府首相はそう考えます。
 僕は今、熊本の首相官邸にいますが、12日から16日まで東京の新国会議事堂(モバイルハウスのことですよ)に滞在します。そこで組閣、憲法作成、などの詳細について会議をする予定。開かれた政府なので、いつでも来て下さい。しかし、ちゃんとした質問を持ってきている人に限ります。僕は直接答えられないと思いますが、そのことに詳しい専門家に尋ねて、ホームページ上で報告します。だけど、外出していることが多いので、まずは必ずメールして下さい。
 原発だけでなく、震災のことも考えていかなくてはいけない。
 それは明日11日、福岡のトークショーで考えていきたいと思っている。
 まだ伝えていないけど、国土交通省に任命したいと勝手に思案している藤村龍至氏も参加するし、国際的な復興支援をしているHABITATも参加するので、色んな可能性が示せるだろう。藤村さんには明日、新しい政府について説明をしようと思っている。快諾してくれるとうれしいけどな。
 と、以上が新しい現状の様子。
 さあ、忙しくなる。勝手に自分で忙しくしているだけど。
 自ら作り出す。これこそ、真の仕事である。
 僕はこんな仕事をしたいと、小さい頃から思っていた。
 いじめっこは許さんよ。
 ほんと。

バックをいつもどこかに忘れてしまうので、コンピューターが手元に無い。更新遅れてすいません。新しい政府立ち上げているんだから、ちゃんとしないといけない。一気にここ最近の動きを書きます。
 2011年5月11日(水)。新幹線さくらに乗って福岡へ。イムズというデパートのホールへ行く。主催者の建築家の井手さんと打ち合わせ。その後、建築家の藤村龍至さん、国連ハビタット福岡本部長の野田さんもいらっしゃって、四人で進行を話し合う。でも、結局話は新しい政府創設のことを話す。
 藤村龍至さんを国土交通大臣に任命する。快諾(?)してもらえた。彼は田中角栄の日本列島改造論を本気で書き直そうとしている。とても頼もしい限りである。国土計画を本気で考えていかなくてはいけない。しかし、どこまでが国土として有効になってくるのかは、楽観できない。僕は日本全土が汚染されたとしても、新しい政府はレイヤーが違うので関係ないと考えている。土地なんかなくてもいいのだ。それぞれが世界中で動き回る。本当にそういう日が来るだろう。新しい政府はその時のことまでも想定して動くべきだ。徹底的に前もって、危険を多めに感じ取って、行動する。これが政府の本来あるべき姿である。
 国連の野田さんも共感してくれた。野田さんには顧問をお願いすることに。野田さんの専門は災害対策である。原子力も専門であった。国連ハビタットは、リオデジャネイロ、ナイロビ、そして福岡の三カ所にある。福岡にある。もうすでに拠点は九州にすっかりと移っているのだ。そのことをしっかりと自覚しよう。もちろん、九州が安全だとは言い切れない。この状態だと北半球はかなり危険だ。
 僕は、オーストラリアに行くことを念頭に置きながら、九州で活動して行きたいと思っている。フーももうほとんどキャパオーバーであるはずだが、納得してくれた。でも僕にはその前にちゃんとやらなくてはいけないことがある。いつでも動けるように、常に準備しておく。そして、所有の概念を完全に捨て去る。とにかく身軽に。そして、現金を持っておく。できるだけ、他者の指示にコントロールされないような環境に自分の身を置く。好きな人とは絶対に離れるな。ずっと一緒にいること。
 正しさや事実を追い求めても、信じ込んでもいけない。そんなものは存在しないのだ。テロの首謀者が本当に殺されたのか、何なのか。事実なんてものはない。確証できるデータなんて何もない。そこから始めるしかない。徹底的にゼロから考える。現在は、僕が今まで徹底的に伝えてきたことが、ここでいよいよ本格的に活用しなくてはならない非常事態である。
 ゼロから始める都市型狩猟採集生活。これはつまり、これから僕たちが直面する生き方のことだったのだと気づいた。これは別に路上生活ハウツー本でもなんでもない。もちろん、そんなことは分かってる読者ばかりだと理解しているが。太古のような狩猟採集生活にはもう戻れないが、これからは徹底的に移動し続ける生活をしなくてはならない。まずはその認識を高めよう。誰にもすがらず自分の判断で動いていかなくてはいけない。だからこそ、分からないことがあったら徹底的に先人に訪ねよう。あらゆるネットなどの情報も判断の決定的な要素にしてはならない。直接人間に会うこと。その人の目を見ること。そして、その情報がどのような価値を持っているかを判断すること。
 そんな行動が重要になってくる。
 僕は別に、このような事態になることを予測していたわけではない。もちろん、3月3日に福島原発が津波でやられる可能性があることをDOMMUNEで伝えたが、別にこれは預言でもなんでもない。ただ、当然の結果なのである。いずれ、そのような世界になることなんて、分かりきっていたことだ。ただ、今まではなかなか声は届かなかった。別にそれも気にしなかったけど。
 自分自身が毎日、とんでもないエネルギーによって核融合を繰り返し、変化し続けている力を感じる。世界が変わってしまったのではなく、自分自身がトランスフォームしたのだ。世界は何も変わっていない。原発から日々漏出している放射能ももとは自然物である。地球にとっては痛くはない。多摩川のロビンソンクルーソー、船越さんに言わせると、蚊に刺された程度である。つまり、世界は何も変わっていない。
 だからこそ、主義主張、イデオロギー、信仰などに振り回されずに、モノをブツとしてちゃんと凝視するような生き方が求められる。普通の考え方が求められる。
 気持ちよい風が入ってくるような、風通しの良い生き方が。
 納得出来ないことを許容するのではなく、まずは変えられないか考えてみる。
 風が入ってくるところは淀まない。出逢いもたくさんある。
 だから、木には花が咲き、実がなる。
 しかし、それが今は状況がおかしいことも確かだ。そんなところに放射能がやってきているのだから。
 ヨネにゼロセンターの庭のタンポポを確認してもらった。
 背丈が60センチ、葉っぱが30センチもあった。
 異様にでかい。鎌仲厚生労働大臣に電話で問い合わせると、可能性がゼロではないという。植物にまずは影響が及ぶとのこと。いつもと変わったことは無いか、チェックすることは重要なことだ。胸騒ぎというのも重要だ。なんとなく、気乗りしないことは絶対にしない。これが僕が徹底して行っている態度である。まあ、色々と調べて行こう。
 トークはとても充実したものになった。藤村さんからは坂口くんはジェーン・ジェイコブスだったんだ。君は超専門性、超アマチュアリズムなんだ。つまり、僕は勘という知性の持ち主なんだということを指摘され、とても共感した。
 その後は、建築家の藤原徹平さん、井手さん、藤村さん、柳原さんなどすばらしい建築の才能を持っている、才能の塊と飲む。激論する。そして、協力を要請する。変えなくてはいけない時は、とにかく動け、そして、人に会え。とりあえずは、高杉晋作のやり方をまねることに。でも頭には熊楠がいる。そんなバランス感覚でやろう。
 新しい政府は、別に現政府の内閣の名称を踏襲しなくてもいいのではないかという意見があった。それもそうかもしれない。あんまり、飛び道具のような言葉は使いたくないので、とりあえず現行の内閣を踏襲しているので、また変化するかもしれない。

朝まで飲んで、飛行機で東京へ。2011年5月12日。国立の家に帰る。引っ越しの準備。とうとうここを引き払う。なんだか、少しセンチメンタルになる。楽しい日々だった。まあいい。思い出は消えない。次へ進めと、内奥から命令が飛ぶ。自分の中の自分は本当に厳しい人である。僕にも悲しみはあるよと言うも、聞いてくれない。徹底している。それはそれで頼もしい。僕は自分の中の自分のディレクションに身を任せることにする。
 夜は零塾面接。小澤さんという19歳の大学生。人が飼育しているペットのことを調べたいという。なぜ人は動物を飼うのか。それを研究しながら、最終的には人間のことを書きたいと言う。それはとても重要な考え方である。どんどんやっていこうと言う。
 僕は今の社会はある種の奴隷制だと思っている。お金がないと生きていけないと思わされている時点でそれは始まっている。所有しているなんて幻であるはずなのに、土地を売買、家賃を払わされているのは、奴隷と何も変わらない。しかも、それが社会の中で何も不思議に思われてない。狂信的であるといっても過言ではない。それを知りたい、書きたいと思う若者がいる。ぜひ頑張ってほしい。厳しく見守りたい。
 夜、疲れて寝る。

2011年5月13日。引っ越し。引っ越しのサカイ国立店にやってもらう。ここは、僕が二年前ごろ数ヶ月働いていた。当時、僕は完全な鬱状態で、毎日、フーにこれからどうやって生きていけばいいのか分からないと泣いて叫んでいた。創造性も当然ながら、発揮できず、原稿も書けず、貯金は10万円を切っていたと思う。これじゃ、フーアオと一緒に路上生活だなと思っていた。つい二年前の話である。フーは、アオを育て、そして、僕の世話もしていた。大変だったろうなと思う。今も大変だけど笑。
 そんな状態でサカイでバイトをやっていた。とにかくまずは体を動かないと原稿は書けないとフーが言うので行ったのだ。もちろん、金も無かったし。その後、イニシエーションのような絶望的な状況を通過した僕は、すぐさま原稿を書き始めた。その時に書いた原稿が「ゼロから始める都市型狩猟採集生活」という本になった。僕は生まれて初めて本が完成して泣いた。
 それから、ずっと続いているような気がする。自分の鬱状態が、精神の病ではなかったことを今では認識している。あれは完全に創造の通過するプロセスだったのだ、と。
 ということで、サカイにはお世話になった。
 引っ越しは完了。僕とフー母の二人で最後の掃除をして、部屋を出る。
 フー母は今日が誕生日だ。おめでとうございます。
 東京にフーアオが行くことは、もう一生無いだろう。そう考えるとこみ上げてくるものがある。しかし、また自分の中の自分が声をかけてくる。
 後ろを絶対に振り向くな、と。
 引っ越しの間に、伽藍堂の僕の部屋で零塾面接をする。大学院一年生の男性。彼の話を聞きながら、いくつか質問をしていく。なんかちょっと気になるので、もうちょっと突っ込んで聞いてみる。どうやって自分がやってきたかも話す。そのうちに、彼は泣き出した。自分の無知、無力に気づくと、人は一瞬絶望的な気持ちになる。しかし、そこからしか、そのことに気づくことからしか、始めることはできない。
 彼はまだ心が弱い。これでは零塾での課題は遂行できないと判断したので、今回は見送ることに。それでも会ってしまったのだから、気になるから、半年後必ず連絡してくれとお願いした。人と出逢ったら、一生忘れてはいけない。それを分かってくれる若者がそんなに多くないことを僕は面接をこれまでずっとしてきて感じた。
 なので、もう一度言う。
 絶対に忘れてはならない。
 これまで面接をしてきた人々全て、僕は忘れることができない。
 ずっと気にかけていくのだろう。
 だから、お願いです。
 頻繁にでなくてもいいですから、なんか勘が動いたら、メールでも電話でも手紙でもいいですから連絡してください。
 簡単に人と出逢ってはいけない。興味本位で行動してはいけない。
 ちゃんと自分の頭で考えて、一番好きな人に学ばなくてはいけない人に会う。
 これが、一番の近道である。
 僕は遠回りはおすすめしない。
 徹底的に考えれば、ちゃんと一番行きやすい道が見えてくる。
 ねずみやとかげやゴキブリは、絶対に遠回りはしない。
 ちゃんとまっすぐ穴に向かって行く。
 だから、ちゃんとサバイバルできる。
 
 夜、外出し、渋谷へ。磯部涼官房長官とスピーチライターの川治豊成と三人で「さつまや」。今後の話をする。雑誌はロビンソンではないかもしれない、新しい政府公認の発行物にしようかと進めている。で、その前に、DOMMUNEの番組をすぐに単行本化すべきではないかとなり、それをまずは現実化することを決定する。
 DOMMUNEが僕にディレクションを与えてくれた。それによって、あらゆることが動き始めた。宇川さんとも電話で、話をして、次回のDOMMUNEについての作戦会議。
 しかも、横ではたまたま映画監督の山下敦弘さんが飲んでいた。いいねえ。初対面なので挨拶する。マイバックペイジのチラシをもらう。行動し、実現している人間の良い顔をしていた。頼もしい。いつか一緒に仕事をするんだろうと勝手に確信した。
 その後、パンピーと電話したら、恵比寿でDJやってるというので、磯部と恵比寿へ。酔っぱらって、ぐちゃんぐちゃんになる。
 真剣に議論し、真剣に酔っぱらう。
 それでいい。
 そのまま進め。

2011年5月14日(土)。モバイルハウスへ。映画監督の本田さんと。WSPEEDIがようやく動いているようだ。それでもムチャクチャ遅いけど。それを見る限り、東京も相当量被爆していることが分かる。モバイルハウスでの活動の限界を感じる。この連載もこれ以上出来なくなるかもしれない。福島西部よりも、東京のほうが汚染されていることを文科省がさらっと発表しちゃっている。
 しかも、東京の人間に焦って電話すると、その情報を知らない人ばかりだった。確実に危機感が低下している。大丈夫かなあ。心配だけど、かと言って、もう大声で話しても伝わらないことは経験した。だから、優しく。小さな声で。ちゃんと情報を伝えて行こう。
 これを見ると、熊本の状況でさえ心配になってきた。
 WSPEEDIは日本全土、そして、その周辺国まで拡げるべきである。
 熊本へ戻ったら、熊本大学放射線科へ行き、ゲルマニウム検出器で徹底的に調査してもらうよう要請することを決めた。行動しないと何も始まらない。ちゃんと考えて、ちゃんと人を選んで、行動すること。自分の中の自分のエンジンが良い調子になってきたようだ。大分、落ち着いている。冷静に行動できるような気がする。
 とりあえずは九州が避難することが可能な土地なのか。
 それを調べる。可能であれば、次に避難させる。
 もう戻れないことを知ってもらう。
 後で、強制移住させられても仕方がない。もうその時はかなり被爆している可能性が高い。3月25日までしか情報を出さないもんだから、分からない。ここは推測しよう。勘を使おう。危険に対して、対応する時、人間というものは安全であるはずだと思い込みすぎる傾向がある。これは災害心理学で普通に言われていることだ。だから、ここはあえて、1.5倍増しで警戒する必要がある。
 今の時点で、東京のほとんどの地域で、十万ベクレル~百万ベクレル/平方メートルのヨウ素が漂っているらしい。文科省の発表によると。今は5月。当然ながら汚染はひどくなっている。僕はこれはかなり危険だと思っている。だって、胸騒ぎがするのである。移動しろと自分の中の自分がディレクションしてくる。
 
 夕方、外出し南青山へ。花屋、アーティストである東信さんと会う。初対面。いつか会うことになるだろうと思っていたが、それが今だったのかと感慨深い。
 一緒に西麻布の居酒屋で飲みながら、話をする。
 彼と一緒に仕事をしたい。
 バンクーバーのことを伝えたい。教えたい。バンクーバーで一緒に仕事がしたい。そして、ゼロセンターの庭のランドスケープデザインもしてほしい。などを話す。
 信さんは、同じ九州育ち。気合いが違う。うれしくなって、僕の気合いも伝える。二人で完全に意気投合。これは大変なことになる。
 そう確信した。
 今、僕の周りには人が集まってくる。
 才能の塊が。
 細胞のように集まってくる。
 なんらかの生物のようなものを作り出そうとしているのかもしれない。
 なんだこの感覚は。
 とんでもない危機の最中にあるにもかかわらず、創造をしなくてはならないという思いが充満している。東さんと壮大なプロジェクトについて話を交わす。
 なんだこの男は。
 久々に人間にビビった。
 同時に、僕が東さんにアドバイスしたいところも見えた。偉そうだけど。こんなことばっかり言うからいつも人と喧嘩ばかりするのだが、この人はその言葉さえもちゃんと受け取ってくれた。こんなにうれしいことはない。
 僕はこういう時に嘘を言わずに、言いたい事を全部伝えるように、心がけているつもりだ。本当に思っていることを言語化して、人に渡そう、と。
 だから、いっつも嫌な顔される。
 でも彼は違った。磯部涼官房長官とも会わせなくてはと思った。
 パリに一緒に行くぞと言われた。
 本当に行くのだろうか。
 僕は予定は空いてないですけど、もし行くなら、全部キャンセルして行きますと伝えた。
 面白いことに体を向ける。
 これが都市型狩猟採集生活の基本態度である。
 あそこに宝物があるらしいと聞いたら、勘に聞いてみて、行けと言われたら、他のもの、ことほっぽり出して、行くしかない。
 そんな行為を動物たちがおこなってきて、長い長すぎる時間が経って、人間という不思議な生物が生まれた。
 人間というものはそのプロセスを経ている。
 だから、結構うまい。本当に実行したら、実は人間の可能性というものはとんでもない。
 そのことを信さんもわかってる。
 おーし、気合いはいってきた。
 東信さんも入閣を快諾してくれた。
 夜、磯部官房長官とリキッドルームへ。Pan Pacific Playaのリリースパーティーへ。ラテンクォーターとユニバーサルインディアンのDJ。やばすぎて、ぶっとんだ。午前4時に倒れた。朝7時に起きたらまだやってた。インディアンと抱き合った。
 すごい音楽を奏でる人間がいる。
 勇気が湧いた。
 でも、心配だ。芸術を奏でる人間は絶対に被爆してはならない。
 だから、帰り際、ちょっとだけ伝えた。逃げろ、と。
 もう強制はしない。ちゃんと気づいてもらうまで待つ。
 人間はかならず気づく。いつか気づく。
 遅くてもいい。
 気づく。

 僕は自分の生活、アイデア、話しあいを、全て公開するのはどうかと考え始めている。トゥルーマン・ショーのように。しかも、主人公が公開されていることに気づいている。むしろ、自ら公開している。
 このアイデアは、岐阜に住む僕の心の兄である、林さんが、数年前僕に伝えたものである。たぶん、日記にも残っているんじゃないかな。
 時は来た。
 そんな勘が動いている。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-