Nairobi Journal

Vol14. WSFについてもの申す。

22th Jan,2007

WSF三日目の今日もカサラニスタジアムへ。カメラ忘れてしまい、記録できず。

今日は朝からいくつかのコンファレンスに参加。 いろんな国の作家やジャーナリスト、社会学者などが集まり、語り合う。 しかし、彼らの言っている事はあまり面白くなかった。 はっきり言ってまったくクリエイティブでなかった。 ただひとり詩人の人がいたのだが、その人だけが何も言わずに詩を読んでくれた。 ナイロビにさらりと風が流れた。

一緒に聞いていた、ケニア人のジャック、インド人のソクデウ二人とも僕と一緒の意見で、途中で退席する。 何も世界の国が一緒である必要性は全くない。違うからこそ面白いのだ。英語ばっかり使っていては駄目なのだ。 ケニアでやっているんだからスワヒリ語がどんどん出て来なくてはいけない。 それなのになぜか英語ばっかり、喋っている人も西洋人が主軸になっている。 もうちょっと政治的なものを無視して、創造的な方向でやっていかないと駄目だと思う。 その意味ではこういう講演会は失敗していると思う。 そして、僕らの展覧会は遠くの方に追いやられている。うーん。

その事について、ジャック、ソクデウと議論する。みんな意見は一緒だった。 僕たちはそういうことを言わなくても国が違っても、創造の世界では通じてくれるということ。 僕はインド人職人のシャムスルと日本語とヒンドゥー語で語り合って、ちゃんとコミュニケートできていることを今回凄く重要だなと思った。 WSFのまわりでは携帯電話の宣伝看板、ホテルのレストランだけがスタジアム内に出店できている事実を見ながら、怒っていた。 金ではない所から始めないとえらいことになるぞ! そして、僕たち創造に関わる人たちがもう少し頑張ってこういうところに入っていかないといけないんだなと思った。 そういう意味で、今回僕を誘ってくれたテュシャールには感激した。 彼はアーティストでもあり、さらにこういう行動もどんどんやっている。僕も見習いたい。

勿論WSF自体は意義あるものであると思う。 そのおかげで僕たちもアフリカ人インド人アーティストと関わる事が出来た。 しかし、企業などの関わり方にはかなり問題がある。 そこを直していかないと。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-