坂口 恭平 エッセイ

茄子ゴッドファーザーを見た夜

 僕の祖父がまだ生きていた時、彼が住んでいた町でお祭りのようなものが開催された。熊本の河内というところで蜜柑で有名な所。勿論、祭りはデッカいホールのような「蜜柑選果場」で開催された。普段は静かな場所。あまりにも田舎で、大学生になっていた僕はもうあんまり祖父の家へ行くことがなくなっていた。なんでその時に行ったのかは憶えていないのだが、でも祖父が出し物をやるというので楽しみにして行った。普段は夜になると、真っ暗で静かな通りがキラキラしている。人もおじいちゃんから子供まで集まって来ている。よくある祭りとも雰囲気が違う。明らかに慣れていない。出店などもプロは出ていない。手作り感覚満載の祭りだ。メイン会場までは細い路地になっていた。その路地を見た時に僕はインド、ベナレスの路地を思い出した。

 そのベナレスは僕にとって初めての海外旅行で、その反転で出されるもの全部飲んで食ってやるという意気込みで旅行していた。ベナレスのゴードリヤ交差点にあったラッシー屋に入った時になんだか怪しい空気を感じ取ったが、そんな意気込みだったので、一緒にいたオーストラリア人が僕にくれたラッシーとは思えないほどの緑色の物体を一息で飲んだ。その物体は後で聞くと大変なものだったらしく、僕は酔っぱらったまま2日間ホテルのベットから起き上がれなかった。
しかし、旅行をしなくてはと焦っている僕は、2日目の夕方フラフラになりながら町に出た。というのも到着した初日にインド音楽のコンサートがあるというビラを手にしていたからであった。頭はボーッとしているまま、狭い路地に入って行くと裸電球が一つだけ光る場所があった。どう見てもコンサートホールには見えない。行ってみるとやっぱりそこが会場だった。ただのコンクリート打ちっぱなしのドアも窓もないような所に布が敷いてあり人が集まっていた。
しかし演奏は素晴らしく、あぁこんな場所こそが演奏する場所だなぁと僕は興奮していた。

 話は脱線してしまったが、そんな路地を抜けながらメイン会場に向った。会場内の椅子は勿論プラスティックのオレンジ蜜柑カゴ。そしてステージはブルーシートで覆って作られていた。ステージ上の祖父は、何だかヘンテコな演劇をやっていた。途中から大変なことになってきて、終いには祖父は股に茄子を挟んで、おばあちゃん軍団扮する女の子たちを追いかけていた。僕は勿論大爆笑だったが、「もしかしたら、これは未来の風景なのかもしれない」とも思った。
でも、周りを見渡すとお尻の下には蜜柑カゴだし、ステージは青色で覆われていた。まったくもって未来でも何でもなく平成の田舎だった。しかし耳の裏側ぐらいにもう一つの世界が垣間みられた。今でも忘れられないクリエイティブな瞬間だった。

 しかし、なかなか河内のメイン会場やベナレスのような体験はできるもんではない。掴もうと意識したら逃げてしまう領域にあるからだ。その後は代々木八幡宮で行われていた祭りの露天群の中にあった「亀すくい」というお店で遊んでいた時だった。金魚すくいのように亀が浮かんでいる。
しかし、その亀には輪ゴムで1万円が挟まっているのだ。チープな露天と1万円というリアルなお金が自分の中でなかなかダブらずに、集中しようとしていたらいつの間にか夢の中みたいな気分になっていた。 今年の1月にナイロビへ行った時の夜は毎日がこの感覚だった。普段駐車場になっている所は夜はダンスホールと化す。教会は夜はディスコより激しく朝まで生ドラムとキーボードが鳴り響き、ダンスのせいで床は揺れビルごと揺れている。僕が感じるこの感覚は何だろう。やはり「祭り」ということなんだろうと思う。
しかし、今日本にある祭りには本来の祭り的要素は少ないのだろうと思う。だからこそ亀すくいにはリアルなスリルがあり僕の心を踊らせた。河内のじいちゃんばあちゃんフェスティバルには定型化された祭りとは逆方向に行こうとする人間の本能を感じた。壊れたがっている姿があった。

 定型化されてはいけない。人間はそんなものはすぐに退屈になってしまう。定まることから常に逃げ続ける、剽軽かつしたたかなもの、それが祭りの原型か。そういうことを考えると、自然とボクはまたまたデュシャンを思い浮かべてしまう。デュシャン=祭りなのか?
ナイロビの夜は、そんなことをずっと考えることが出来る場所だった。あの子供のときのように会いたい人となぜか約束しなくてもいつもすぐに会える。始めは静かだなーと思っていたら知らない間に熱狂に包まれている。そして次の日の朝はきちんと倦怠が出迎えてくれる。
それは洗練されていないものだということも出来るだろう。アマチュア感覚だと。僕はそう考えない。洗練されていないというのは技術世界のことでの話である。僕が感じてきたこれらの事例には技術は関係ない。

 僕が河内の祭りで「未来」の世界と感じた瞬間。いつもあの目で町を歩きたいと思いながら歩いている。スーツを着たシャーマンだっているかもしれない。靴の底を見ると裸足だったりする。

2007年10月25日(木)

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-