坂口 恭平 エッセイ

ホップ・ステップ

小学校1年生の時、同じアパートに住んでいたタカちゃんという同級生の家でよく遊んでいた。ある日、家で遊んでいるとタカちゃんの兄貴の机の上に何か絵のようなものが置いてあった。見てみると、手描きの漫画だった。きちんとコマがあって、鉛筆ではなくてペンで描かれていて、しかも、キン肉マンのパロディーであったのだがその主人公がブロッケンJr.を元にしたキャラクターで無茶苦茶うまかった。「マッスルマン」という題名だった。今考えるとキン肉マンを英訳しているだけだが、かっこ良かった。描いた原稿は20ページぐらいをホッチキスで止めてあり、まさに「本」だった。それに興奮を覚えた僕はそれからタカちゃんの家に行くと必ず、その漫画を見せてもらっていたのだった。それはジャンプより面白いものであった。当時、キン肉マン、銀河などジャンプは凄いことになっていたがそれより僕に必要だったのは「マッスルマン」だった。

こうなると人間は、自分でもそのめくるめく世界を再現したい思うようになり、僕は落書き帳を綺麗に破ってコマを描いて漫画を描きだした。題名は「ハッスルマン」にした。キン肉マンのマネをしているマッスルマンのパロディーというかなり複雑なことをしていた。とにかくそのハッスルマンは」スタートした。このキャラクターは今でも忘れることがない。そして、10ページほど描いてそれらをまとめてホッチキスを止めて本にしたときに今までただの紙切れだったものが「本」という立体的なものに変化する瞬間は未だに僕をとらえて離さない。

その後は、マネだけではなく小学校なりにオリジナリティーを模索し、そしてまた新しいマンガのテーマを考えだす。

それは「モノモノ」というマンガで、今度はまたプロレスを中心にしたアクションものというところは変わらないが、キャラクターを自分の部屋にあった消しゴムや下敷き、鉛筆など文房具にして、自分の部屋を広い世界と見た、ミクロキッズみたいなマンガになった。とにかく、その頃は自分が小さくなって部屋を探検するとかそういう妄想に取り憑かれていたので必然とそういうものも混じってきたのだろう。そのマンガは結構続いて、10ページで綴じていたものを集めて、かなり束の厚い増刊号まで作った。その題名はジャンプする前ということで「ホップ・ステップ」という名前にした。今考えると結構面白いことやっていたなと感心する。

とにかく僕は何かを買って、欲望を満足させるという方法が全く効かなかった。何か、自分で作ったりしないと満足しないのだ。タカラの大量製品のおもちゃより、トランプの新しい使い方を友達と考える方が好きだった。その後、小学校中学年になると、僕はサンリオに興味を持ち、また同じものを作ろうとするのだった。孫悟空を主人公にした便箋、下敷き、ノートなどいろいろ作ってはまわりの人にあげていた。さらに、ドラクエが人気になると、本物の方はレベル20ぐらいになると、だいたい飽きてしまって、さらに冒険の書が絶対消えてしまって、そう!僕はまた手作りのRPGづくりに向かっていくのであった。

方眼ノートを切って地図を作り、敵ノ情報が書かれているノートや、武器や呪文のノートなどをつくり、同級生にサイコロふらして遊んでいた。その遊びは今考えるとほんと空間的な体験だった。そんなことをするうちに僕は絶対自分が作った方がゲームなんかより面白いことを知ってしまうのである。

今日も、セブンイレブンのコピー機に付きっきりで二冊本を作りあげた。一体なんなのだ、この欲望は。でも、最近はこれは運命だと慰めることにしている。でも最近さらにここから抜けそうな気がしている。

今思っているのは、こうやって僕が作っているのを小学生時代のように、そしてさらに広い場所へどんどん出しちゃえ!ということだ。

ゴミがくっついていたり、セロファンテープで留めてあるような本を、本屋さんに並べたい。ホップステップという本は、今も僕に「この気持ち忘れてくれるなよ」と言ってくる。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-