坂口 恭平 エッセイ

舌が会う場所

人と会話をする時に、ふとそれは「音楽か」と思った。会話。本来は言葉を使って人と人の意思を疎通させるものなのだろう。しかし、会話とはそれだけではないような気がするのである。口という楽器を使う音楽のように見える。人は意味もない言葉ではない音で反応する。例えば、相づち、又は笑い声もそうかもしれない。そうやって考えると不思議に会話をする自分の家のテーブルがホールのように見えてきたりする。指揮者はその時々で変化する。なんともアヴァンギャルドな演奏方法である。楽器も口だけである。たまに、缶麦酒を開ける「クシュアー」という音とか、屁の音とか入るんだろう。拍子もかなり曖昧なものである。でも何となく息づかいで分かる。会話のBPM。一人がソロを歌う。そして、相づち二人「ふーん」、そこに一人不協和音「違う」。とか考えると、もっと広げて考えると人間の生活自体が音楽ということでもあるかもしれない。それはとてもゾクゾクしてくる視点である。ひとと話していてなにか分かったときも言葉を理解したということではなく、その音を感じたということではないだろうか?そうなると今度は何も話さないという「間」もかなり重要なポイントになるでしょう。次の一音を大事に丁寧に出せる人は、いい演奏者だ。

人の動きには幾つもの意味があると思う。ただ怒っているだけでも、それは言葉の意味では怒っているのかもしれないが、実は音楽と捉えてその音だけを感じるとまた意味が違ってくるだろう。「音楽」という目に見えない劇場はいつも僕たちの目の前に広がっているんじゃないか。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-