坂口 恭平 エッセイ

リンク商店街

アジアといっても何の事かはわからない。日本といっても何の事かはさっぱりだ。東京といっても、それでもなかなか見えてこない。イマイチ街というのはわからないと思う。区といったら何となく感じる。世田谷と杉並と墨田は違うもんな。でも墨田と荒川だと難しいかも。でも杉並と中野だったらまたなんとなく説明がつくかもしれない。でも市だったらまたあんまり分からない。町も違うような気がする。でもこれはただの僕の感覚の話ではある。

はっきりいえばどこ行っても同じような街並だというわけである。東京もブリュッセルもカンボジアもインドも熊本も尾道もロスも基本的にはあまり違いを感じる事ができません。どこも一緒だなと。

しかし、尾道の大将の昔の3階建てのボロ小屋の近くの店の看板が名字が表札に書いてあるだけの広島お好み焼き屋や、高円寺南口の富士川食堂、インドはベナレスの交差点にあるバングラッシー屋、熊本の川沿い、カンボジア、プノンペンオールドマーケットの入り口のカフェ兼美容室、西荻のベーグル屋、ニューヨークの移民のおばちゃんが英語喋れないのに経営するチーズケーキ屋、ベニスビーチのセックスカウンセラー、サンフランシスコのコインランドリーとスーパースターカフェ、トンレサップ川の水上船着き場、カルカッタのタクシー運転手ご愛用のチャイ屋、ハウラー駅のタバコ屋、リヨンのマクドナルド、ヘイトアシュベリーのマクドナルド、サンドニのマクドナルド、チェルシーのイエメン雑貨屋、サンフランシスコYMCAのエレベーター、、たちは全部そこに建つ意味を持っていたように感じる。要は僕が感じたということでもああるのだが、どうもそれだけではないように感じる。

いつもそれらに会った時に僕は僕の頭の中だけにできている商店街を思い出す。そしてそこに焦点を当てると以前からその商店街にその店も会った事に気づく。「そうかぁ。ここにあったかぁ。」と納得するのだ。

その店はその周りにあ建物、空間とは異質だが、自分の中の空間では異質ではない。同次元には存在していないが、すべてリンクされている。

そのとき、本当にホームページのリンクのイメージがぴったりだ。その空間には存在していないが、無数のリンクが貼ってある。リンク先は世界中様々だ。

それらのリンク先同士で作られている商店街を、僕は一回でいいから体験してみたい。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-