Vancourver Journal 2011

Vol08. 帰国

24th Apr,2011

 2011年4月24日(日)、25日(月)。今、飛行機の中である。バンクーバーでの旅を振り返る。色んな仕事が動いた。
 新しいコレクター二人とストレンジな出会いがあった。
 センターAのレジデンスを僕の熊本の坪井新居の庭にある小屋を改装して作ることにした。しかも、ここを映画館にもする計画が浮上。トロントのマーティンを呼んでサイレント映画ばかりを流す不思議な映画館にしたい。子どもはタダ。全部手作りの映画館。絶対やばい。
 バンクーバーで僕のキュレーションで展覧会をやることを打診された。帰国してからはキュレーターとしての仕事も実現させてみたい。楽しみだ。
 上海ガール、ヤンと一緒に2013年にトロントで再びドローイング展とインスタレーションをすることが決定した。これも楽しみ。
 もう一人の上海ガール、デボラからは中国での開拓に向けて重要な情報を頂いた。僕が全ての活動の元になった中国人キュレーター、ホウ・ハンルゥの第二世代、オウリンというキュレーターがいるとのこと。彼に会えと言われた。いつでも紹介してくれるとのこと。上海ではなく、ガンジョウというところらしい。中国にも活動の領域を広げたい。
 0円ヴィレッジ計画を徹底的に進める。
 8月のユトレヒト滞在では、ベルリンにも行くことを決めた。バンクーバーはベルリンと密接に関わっている。そのコネクションを頼りに、また新しい世界へと向かっていこう。
 日本だけで仕事をしていても駄目だということを徹底的に理解できた今回の仕事であった。英語で笑わせることはできた。それなら、今度はちゃんとテキストを書けるようにしよう。もっと、誰でもアクセスできるような人間になろう。一つの言語だけでしか受け入れられない仕事では足りない。できるなら、国境なんて軽く飛び越えて、色んなところで爆発したい。やらないといけない。そして、その拠点が熊本になることに僕はとても興奮している。もちろん、東京のモバイルハウスも重要な拠点になってくる。バンクーバーももちろん。ようやく裏面のRPGが始まったような感覚である。もっと大きく物を考えろ、そしてもっと細部に目を向けろ。
 リラックスして、でも感情はフリーにして、喜怒哀楽そのまま出して良いじゃない。無知であることを知り、人にどんどん聞いていこう。
 エネルギー問題にももっとぐっと取り組めるような確信があった。日本で一番自家発電している熊本はエネルギー的に言えば、かなり先進国なはずである。何と言っても、阿蘇山、元世界一の火山がある。マグマ。
 僕のマグマが蠢いている。で、ポール・ウォンがダンスしながら笑って寄ってくる。昨日、最後の最後、ポールがやっぱりもう一度会いたくてと、夜、車で迎えに来てくれたシーンを思い出し、僕は泣いてます。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-