Vancourver Journal 2011

Vol01. バンクーバーへ

17th Apr,2011

 2011年4月17日(日)。朝8時に起きて、熊本駅へ。新幹線で福岡空港。そこから成田へ。いよいよバンクーバーへの旅が始まる。成田に人が少なすぎて驚く。あー、こりゃ大変なことになるなと思った。本当に海外から人が入って来ない。カルティエとかの免税店も死んでいる。そのうちここらへんの免税店が民芸品屋に変わってしまうのではないだろうか。しかし、空いていてモスクワの空港みたいで使う側にしては楽でいいけど。成田空港は潰れちゃいそう。。。
 JALに乗ってバンクーバーへ。こちらもガラ空き。三席分使って足を伸ばして寝転びながら、英国王のスピーチ、ノルウェイの森、ツーリスト、ソーシャルネットワークを連続的に観て、観終わるとバンクーバーに着いていた。空港に迎えに来てくれたセンターAのディクレター兼キュレーターの原さんと待ち合わせして、バンクーバー市内へ。
 三年ぶりのバンクーバー。春がちょうど訪れたようで、桜の花は咲いているは、快晴だし、無茶苦茶気持ちよい。やっぱりバンクーバーに住みたいなあと思う。今回は、こちらで住まいを確保しようとも考えている。春、夏ぐらいを毎年、こちらで暮らすのはどうかと思っている。そのように芸術家、作家は移動し続けないとこれからは生き延びていけないと思っている。どこで過ごしても、大丈夫なように人間同士の直接的なネットワークを強化する。これを徹底させたほうが良い。若い人間はもっとそうするべきだ。僕のネットワーク構築は22歳だった、2002年から始まっている。それから丸十年。その時の行動が効いて来ている。どんな状況でも萎縮せず、力強く生きていくことができるのは、こうやってどこでも楽しく活発に活動ができて、経済活動とも連関しているようなネットワークを作っているからなのだ。原さんは僕のその全てをサポートしてくれている。僕の作品、アイデア、思考の可能性を誰よりも一番始めに感受してくれたのが、原さんと小倉正史さんである。
 センターAで額装された自分のドローイングを見る。これがいい感じでびっくり。しかも、もうすでに買いたいと言ってくれているコレクターの人たちがいるとのこと。これは楽しみだ。これから数年間かけて実践しようとしているプロジェクトの資金として、今回の絵は販売する予定。義援金でもボランティアでもない、仕事として、僕は地震、原発事故にたいしての計画を実行したいと思っている。この展覧会は、そのための起点になるのだ。
 バンクーバーでは歩いていると、いつも誰かに会う。原さんの友人もたくさん紹介してもらう。そして、数日後にはコレクター主催のパーティーなどに参加する。僕は日本よりも、どう考えてもバンクーバーの方が性質が合っている。それは「理性ではない付き合い」が主流だからである。バンクーバーは60年代、ヒッピーたちの街であった。当時、ヒッピーだった若者のうち、もっと狂った人々たちがアーティストになっていった。彼らが今でも活躍しているのがバンクーバーだ。さらに、同じくヒッピーでバンクーバー産ウィードなどを販売していた彼らの中でも上手にビジネスを成功させることができる人間が、今のバンクーバー周辺のコレクターになっていることが多い。
 彼らは今では弁護士やデベロッパーやクラブオーナーなどをしているが、元々は筋金入りのヒッピーである。だから、あぶく銭の使い方を知っているし、その勢いが半端無い。投資の仕方が日本のフレームインされた萎縮した使い方とまるで違う。楽しく生きるために、お金の使い方も徹底している。それは、そういう自由な人間同士の繋がりが、60年代から今でもしっかりと根付いていることが根本にある。そういう理性を吹き飛ばした人間関係が、僕は一番好きなのだが、日本ではそういう人間は「キチガイ」になってしまい、萎縮してビビってしまう人が多い。それはそれで安定しているわけで、悪い社会ではないと思うのだが、やはりとんでもないことをしたい人間には面白くない。だから、僕は時折退屈してしまう。でも、バンクーバーの仲間たちは僕の行動に対して、いいねえ、面白いねえ、楽しいねえと笑ってくれる。さらにそれに対して投資してくれる。
 別に海外で活躍すればいいのとも違う。それぞれの国はそれぞれの国の良いところ、悪いところがある。自分がどこにフィットするのかをただ選んでいるだけだ。芸術、美術といえば、ロンドンだ、パリだ、ベネチアだ、とか言っているのは解像度が低い証拠である。ちゃんと現地で、現場で生き延びている人間たちをしっかりと直視する。そうすれば、自分がどこで行動すべきなのかがよく分かってくる。だから、移動しろ、飛びまくれ、お金がなかったら、お金を持っている人にお願いしてでも移動し続けろと僕は表現して食べていこうとしている人間たちには伝えたい。そういうことを教えていきたい。
 原さんと夜、ずっとこれからの計画について話し合う。僕たち二人の計画もどんどん面白いもの、広がりのあるもの、すごいことになってきている。でも、これは2002年からの継続である。ずっとやっているのである。そして、これからもずっとやめずに行動し続けるのである。

今回、滞在するWALDORFhotelは、コレクターのリックの親友が作ったホテル。

受付にはしっかりと僕の展覧会のフライヤーが。

原さん。ホテルのスタッフを紹介くれた。アーティストのポールも電話で、キョウヘイの世話をしっかりとしてくれとスタッフに伝えたよと言ってきた。手厚い歓迎を受ける。

ホテルのレストラン。気持ちよい空間。

ホームレスたちがドロボウ市を開いている目の前が、、、

今回展示するセンターA。最高の立地である。中華街と高級観光地とホームレス地帯の中心に位置するバンクーバーの臍のような場所である。元々駅だったところをリノベーションしている。

5メートルのドローイングも展示する。これはオークションに出品する予定。

コレクターたちが持ってきてくれたDig-Italシリーズも展示する。久々に会う。

2001、2年ごろに描いていた病んでいるときのドローイングも展示。

レーモンルーセル「アフリカの印象」の挿絵100枚シリーズも。

10メートルの特製キャビネットで展示。かっこいい。

センターAのすぐ近くの店。ここで普通に買えます。

ガスタウンの美味しいレストランで原さんとランチ。

その後、かわいい生活用品店で不思議なフランス製のスプーンとおやつフォークを購入。フーへの土産。

長いテーブルでダブルエスプレッソ。

再びドロボウ市へ。

アオから犬を買ってきてと言われているので、犬バックを二つで2ドルで購入。

坪井新居用にホーローのポットを購入。1ドル。

蔡國強キュレイションのすごい展覧会の図録。

中国の無名の市民たちによるブリコラージュ乗り物。これモバイルハウスにそっくり手作り飛行機。やばい。

こちらは手作り潜水艦。本当に潜っているし。

本当に飛んでるし。

その後、アーティスト村のような通りであるキーファー通りを歩く。静かで気持ちよい。

カフェで原さんの友人と出会い、家に遊びにいく。ここはリンゼイのアトリエ兼住居。元教会の建物。

中が気持ちよいのよ。ビールを頂き、三人で原発について話し合う。

ディナーは、大好きな中華料理屋「又一村」へ。ここ知る人ぞ知る名店。バンクーバーに行った際には是非。

この混雑っぷり。辺鄙なところにあるのに。

ここ、夜12時になるとバンクーバーは店内で禁煙なのだが、ここでは吸える。さらに、このクロスを剥がすと麻雀もできる笑。フレキシブルな店。こういう自由なところが僕は大好きだ。店員も素晴らしい。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-