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Journal -坂口恭平の毎日-

2009年3月31日(火)

午前6時起床。原稿チェック昨日の続き。そして、送信。シケモク仙人の写真も送信。東京は本当にパラレルワールドなのである。僕はそういう人たちとしか出会っていない。そりゃ、平日の朝っぱらから歩いていても、子供は皆学校に、大人は皆会社に行っているわけで、時間を持て余しているのは、僕か、パラレルワールドの住人しかいないわけであるから、当然でもあるが。昨日の帰りのバスの中で、フーと話していて、突如春秋社用のタイトル案が思い浮かんだので、一日寝かせて、まだいけそうだったので、表紙画像も勝手に作って、タイトルも描いて送る。残りの写真画像も一緒に送信。ようやくタイトルのところまで辿り着いた。後は、絞り落ちてくるのを待つだけだ。いつかきっと出てくる。出てこい。タイトル。今回の案はその序章だと思う。でもいい感じになってきた。太田出版の方も、タイトルの中のキーワードが今回は非常に重要になっている。それがどううまく表現できるか。難しいけど、がんばろー。北尾さんからすぐ返信が返ってくる。その後、ホカリから届いたFUの写真画像を元に、58ページの本にするために構成案を一人で考える。面白くなってきた。午後12時頃、尾道から来ているディレクターの三上さんとロージナ茶房で待ち合わせ。初顔合わせ。打ち合わせ。8月1日から15日までの二週間、尾道に滞在して、古民家の中で現地制作、展示するというAIR ONOMICHIというレジデンスに参加する予定。その話をする。今回は民家の襖絵を描いてみたいというのを初期案として提出。なかなか良い感触。その後、尾道の隣町に「家船」という船の上で生活を続けていた漂流漁民たちがいたことを聞き、非常に興味をそそられた。宮本常一も調査したことがあるらしい。これはまた新しい仕事にも発展するかも知れない。二週間の滞在では、フーアオも一緒に連れて行く予定なので、尾道にいる大将始め、仲間と楽しくワイワイやりながら、昼間は民家でシコシコ巨大ドローイングに着手する予定。9月頃、0円ハウスを作るワークショップもやりたいとのこと。もう何でもやります。打ち合わせ後、一人でやっぱり「いんでぃ庵」に行き、チキンカレー大盛。ここのカレーが僕にとっては一番旨い。サクラが凄い。国立駅南口はとんでもないことになっている。幸福な気分。スタバで珈琲飲みながら、FUの本を制作。完成。ホカリに送信。トントントンと仕事を終らせていく。だから、あんなに半年も動きが取れなかったのだろう。その後、本屋でNewtonの時間とは何か?を立ち読みし、精神的な病院笑へ。ここの病院は完全におかしい。今日も、なぜか電話がかかってきて、時間変更してもらっていい?とのこと。僕は何でもウェルカムなのでオッケーした。医師と話をしたいが、今日も、僕の本の感想について。しかも、病室で自分の財布をあけて、千五百円だして、買ってくれた。そして、絶賛してもらった笑。もうほぼとりあえずは完治。受付で待っていると、受付のおばちゃん三人組が「先生が本にサインしてくれって」というので、サイン。ここにはプライバシーの欠片もない。なんでこうもミラクルが起きるかね。いつも。一旦卒業することに。また困ったらいつでもいらっしゃいとのこと。先生と僕がやっている仕事について色々と話し込む。無縁の場所が現代には無い。そのことに若い人間たちが悲鳴を上げている。それをどうしていくか。そんなことに思いめぐらした。人を鈴木さんに会わせた時の解放した顔。ここには何かがある。シケモク仙人は今日もJRの高架下で寝転がりながら絵を描いている。I shall be released。デュランに、僕はノンフェクションの感覚を教えてもらったと直感的に思っていたのだが、その意味が少し分かったような気がした。いつもお世話になっている、相談役の石田さん、佐久間さんに御礼の電話をする。夜はフー母が来てくれて青椒肉絲。夜は「隠された記憶」DVDを観る。これ凄い映画なんじゃないでしょうか。僕はヒミズやシガテラをふと思い出した。もっと入れ子状態の映画である。これはもう一回観ないといかん。さらにあと3枚も借りて来た。

2009年3月30日(月)

午前6時半起床。朝日を浴びる。午前中、考え事。ホカリから早速昨日撮った写真が送られてくる。こういう早いリアクションは人を高揚させる。その後、ノノカから電話があり、「オジ、早く来て」と催促を受けたのでフーアオと三人で外出。国立駅南口の桜並木を歩きながらアントルメにて無茶苦茶うまそうなストロベリータルトをホールで買って西巣鴨の美帆ノノカ宅へ。今日は美帆の誕生日なので誕生会をしようとするが、ノノカはケーキがやはり自分のものと思ったらしく、「ハッピーバースデー、DEARみ、、、」で、「みほ」のはずが「みんな」と言っていた。さすがである。ランチは美帆が作ったピザと沖縄黒糖蒸しパン。美味。午後5時頃まで千と千尋やママゴトなどで遊び、代々木駅へ。注文していたFUのアクセサリーを取りに行く。今年はフーにガンガン作ってもらって、FUの作品を売る気満々なのである。家に帰ると、太田出版北尾さんから、圧縮原稿届く。「はじめに」と「第一章」。読む。これはやはり面白いかもしれない。その後、微妙に手直し。夜は、やっぱりSASUKEを観ちゃう。僕には解像度の高い風雲たけし城に見えて、その冒険感についつい観てしまうのだ。しかし、今日はノノカと遊び疲れて、1stステージが終ると居間で知らぬうちに眠ってしまっていた。

2009年3月29日(日)

午前7時起床。メールの返信。その後、ヤフーオークションで様々な画集に入札。たぶん誰も買わないから獲得。部屋の掃除をして、午前11時に写真家のホカリがVWポロで来訪。今日フーのこれまで作り溜めているジュエリーの写真撮影。年に数個しか作らない、知る人ぞ知る超レア作家になっちゃっているのだが、作品はとても良いので、こうなったら仕方が無い、と僕が営業を行うことにした。そのためにはやはり作品集を作らないと、ということでホカリに撮影を依頼。とても良い天気で、その光でブツ撮り。アオ、興味津々。そうそう、現場を見とけよー。昼過ぎに、JUNが駅に着いたので、迎えに行く。モデルをやってもらう。その前に、うちでお昼ご飯。ホワイトシチューとサラダとパン。腹が減って三杯もおかわり。麦酒。撮影再開。無事午後4時頃終了。次いでにDig-Italシリーズも撮ってもらう。二人ともありがとう。その後、仕事を少し進ませ、夕食を食べ、映画を見る。夜から、原稿を元に、またドローイングの作業を始める。そろそろ多摩川生活のための準備をやっていく必要がある。とは言っても、もう材料などは準備されているらしい(笑)。太陽光発電で、12ボルトバッテリーに蓄電し、インバーターで変換し、mac動かしながら、ネットもできるといい。調べていたら、e-mobileを一ヶ月から契約できるe-caという会社があった。明日聞いてみよう。

2009年3月28日(土)

午前8時起床。今日は一日ゆっくり休む。朝食、納豆ご飯を食べてゴロン。図書館から電話があり、新潮二月号を取りに行く。「巡礼」読み始める。午前10時過ぎに、フー姉、メイ&ユメ、フー母が来訪。さっそく盛り上がる。で、僕の部屋に入って、なぜか創作意欲が湧き出してしまった小学生1年生と3年生が開口一番「工作したい」と言うので、部屋にある大量のダンボールを使って、何か作ろうとした。まず、大鋏を作る。その後、楽器がいいと言うので、三線をダンボールで作ってあげたら、それが結構良く出来た。その後、合奏をしたいから、もう一つパーカッションを作ってくれというので、ダンボールで筒状のものを作り、それに茶封筒が入っている固めの透明ビニール袋を開いて、そこにピンと張ると、太鼓ができた。バチも欲しいというので、ダンボールで棒状のものをつくり、そこにティッシュを丸めて先っちょを作製。これで完成したので、合奏などをして、マイクの電源もオンにしたりして、こちらも完全体で臨んでいたら、ダウン。ランチは行きたいと思っていたイタリアンを予約。車でイル・ジラゾーレというお店へ。店内の雰囲気は西荻のFBPにも似ていて好感触。白ワインを飲んで、グリーンサラダと、トマトとツナのサラダ。ドレッシングが美味しく、野菜も色々と入っている。塩だけでも4種類使い分けているようで、すごくこだわっている。パスタのメニューも50種類以上あって、モントリオールのリトルイタリーの店を思い出す。子供二人のリクエストでカルボナーラ、ボロネーゼ、そしてツナのペペロンチーノ、ピザはマルゲリータと、ベーコンの二枚を注文。どれも絶品。値段も良い感じ。ここは通うことになりそうだ。目の前には枝垂れ桜。まだまだ。その後、家に帰ってきて焼きアップルパイにアイスクリーム乗っけて食べる。またメイユメと遊び、休みのはずが、普段より運動。夜は鳥の唐揚げを食し、ゆっくり読書。復刊された新井英樹氏の「宮本から君へ」を三巻分再読。凄い、コマがゾクゾクしている。ポール・マッカトニーを聴きながら、寝る。

2009年3月27日(金)

午前3時半まで起きていて、8時起床。朝食を食べて外出。山手線で一つ乗り過ごし、常磐線で間違って快速に乗ってしまい、待ち合わせの時間より30分遅れて綾瀬駅にて光文社の山川さんと待ち合わせ。連載第二回目のための取材。まずは法務局へ。土地について色々と調べもの。こういうのが、やっぱり面白い。法務局には人がたくさんいたのだけど、あの人たちは一体それぞれ何をしに来ているのか気になる。って、自分たちもそう思われているのか。それが終わり、マイホームと化している北千住へ行き、明治から続く古いそば屋でカツ丼とわんこそば。その後、先日印鑑屋を見つけ、勢いに乗って、手彫りの印鑑を注文していたので、それを取りにいく。こんな店、まだ残っているのは凄い。一万円の印鑑を作製しちゃったのだ。フー唖然。でもカッコイイやつが仕上がる。その後、物件を探しに遊郭街などをふらつく。色々と面白い物件が見つかる。これを後はどう料理するかだ。本連載もこの先どうなっていくのか分からんが、楽しみでもある。午後4時頃、山川さんと別れ帰宅。ドローイングを描き上げた後に大体いつも発生する、偏頭痛が痛い。小学館の村山さんから電話。面白い展開になって来ている。とにかく一歩ずつなんでもやっていく。どんな仕事でもやっていく。僕の考えでは、音は音だけでなく、空間を伴っていて、文字も文字だけでなく、空間を伴っている。空間を見ていると、画像も伴っていて、これが絵に発達してくる。と訳のわからんこと言ってるからか、頭が痛いのが治らん。薬飲んで寝る。

2009年3月26日(木)

午前6時起床。ドローイング続き。ペン先は乗っている。僕はゼブラのカブラペンを使っているのだが、一つのペン先をずっと使っていくと、その人の癖が付く。それにより、また描くスピードが上がるし、線自体もいきいきしてくる。軸とペン先二つで500円もしないどこの文房具屋にも売っているセットであるが、このシンプルさがいい。午前中に一点。そして、午後に二点仕上がり、これで春秋社用の絵は全て終る。画像を送信し、電話で確認してもらい、今後の進行の話をする。後は出版社に任せる。僕の作業はここで完了。依頼のメールが来たのが、去年の3月18日だったので、丸一年かかったことになる。やはり、何でも作ろうと思えば一年はかかる。以前より、進歩したことは、そのことに焦ることが無くなったことだ。それは自分の仕事をさらに潤滑に勧めさせてくれる唯一の方法だ。焦らない、黙々と少しずつ、自分の中で狂っているところを真剣に突き進める。そして、それを無数の同時進行にする。この方針でやり始めて数年だが、それが少しずつ形になっていっているのかもしれない。午後6時、一人で作業を終えたことを祝うために、酒場に行き、恵比寿麦酒とスコッチを飲み、そしてツタヤで映画を借りてくる。今日はbar HEATHは閉まっていた、と思ったら、午後7時からだった。そりゃそうである。映画は「善き人のためのソナタ」を借りてくる。夜、テレビを見ていたら、ゴミ屋敷を小島よしおが片付けるという番組をやっていて、そのゴミ屋敷に住んでいる老婆の精神に深く入っていこうとする小島よしおの姿に興味を持った。その姿勢はこれまでのテレビとは違うものを感じた。むしろ、僕の仕事にも通じるものを感じた。ゴミ屋敷は僕も気になっていて、この前、コヨーテの取材で訪れた高知県の家の中に楠が育っていて、一番てっぺんが鳥の巣になっているゴミ屋敷のような家があり、入口だけで10数カ所あって、ハードコアなシュヴァルのようで、どのドアを叩いても住人は出て来ないし、でも家の中ではラジオが鳴り響いているし、近隣の人に聴いても、もう何年も会っていない、怖い、というし、もう一度行って話してみたいと思っていた。で、ネットでゴミ屋敷についてあれこれ調べていたら、小説家の橋本治氏が「新潮」の2月号で「巡礼」という小説を発表していて、それがゴミ屋敷の住人がどのようにしてゴミ屋敷を作るに至ったかを描いたものであるということが、出てきて、気になったので、国分寺図書館に予約した。夜、映画を見る。1984年の東ベルリンの徹底した監視社会の実像を描いている。これが面白かった。しかも、この監督は33歳で、さらに大学卒業制作なのである。それがアカデミー外国語映画賞をもらっている。四年間徹底的に取材して脚本を練り上げ、それが素晴らしかったため俳優たちが超格安で出演してくれたのだそうだ。さらに、映画の中に出てくる調度品、音楽もかなり秀逸で、刺激を受ける。僕も、今、取材を続けている「もう一つの東京」を自分の手で、どうにか映像化できないかと考えている。素晴らしいヒントになった。しかし、この映画を見ていると、今の日本もいずれこのような方向に走ってしまうのではないかと、思った。ある意味、今でもそうなのかもしれない。とりあえず、春秋社の仕事を一段落できてホッとしている。次は、止まることなく、太田出版の原稿圧縮&ドローイングである。多摩川生活は4月10日前には始めたいと考えているので、後、二週間弱。やれるところまでやってみよう。

2009年3月25日(水)

午前6時起床。そのまま机に向かってドローイング。夜、考えて答えが出なくても、大体朝になってやろうとすると描きたい形が浮かび上がってくる。前にも書いたか、これ。というように、僕にとっては睡眠は自分の考えをシャッフルし、REMIXしてくれるのでとても大事なのである。これは小学生の頃から変わらず、大体作業は朝にやっていた。今、早く起きて書いている生活も、幼い頃に同じく朝早く起きて、漫画を描いたり、勉強をしている時に「いつかこんなことをずっとやり続けれる生活を送りたい。学校はつまらないから行きたくない」と思っていたら、やっぱりそういう人生になってしまった。僕の場合想像したことはほぼ後に現実化されていくので、たまに良いこともあり、たまに怖いこともあるが。。。でもこの早起き仕事は気持ちよいし、捗るので、絶対会社とかでもやった方がいい、と思っている。 会社が朝4時頃から午後12時までだったら、午後2時頃から飲み会なわけで、それはそれは気持ちのよい社会になるだろう。というか、そのような生活は明るくなったら起き、暗くなったら寝るということだから、つまり十万年以上も人間はそういう生活を送ってきているのである。むしろ今の生活の方がおかしいのである。夜中になって元気になるというのはやはりおかしいのである。だから、僕は築地の果物屋で働いていたのかもしれん、と今思った。あれは朝3時起きの、4時スタートだった。きつかったけど、夜が少しずつ明けていくのを毎日体験していたのは本当にエネルギーになっていた。あのおかげで0円ハウスが産まれたのだから。しかも、幼稚園頃、果物屋になりたいと書いたことがあった。また現実化しているのである。たまたま現実化しているのではないと思う。自分の頭の中に、まるでリモコンの裏の電池入れ部分のようなものがあり、そこに電池をはめ込むように、自分の未来の姿をセットするのである。そうすると、後は、そのことを忘れてもいいことにしている。というか決まって一度完全に忘れてしまう。すると、気付いたときには大体そうなっている。ここで僕にとって重要なのは、セットした後どう動くかではなく、どれくらい具体的に、綿密に、手で触れるくらい創造し、セットするかなのである。僕にとってそれは想像でも空想でもなく、創造なのである。いわゆる完全にでっち上げて作り上げる。しかも、ヴァーチャルリアリティどころではなく、本物としか思えないほどしっかりとセットする。それさえ出来たら、後は無理せず生活を送ればいい。ただセットするのが大変なのだ。毎日、夜、夢に出てくるようにし、朝早く起きて、当時やっていた労働をする前に、自分の在りたい姿で二時間ぐらい過ごす。金がないとかは気にせずに、高貴に仕事に励む。そうすると、気持ちよく労働ができる。それをやっていくうちにセットができてくる。今、やっているセットはまたちょっと時間がかかりそうだ。しかし、確実に動いてはきていると実感する。たくさんの人が、仕事の話を持ちかけてくれている。さらに、その横の繋がりも、偶然が必然となり、連鎖反応を起こしている。そこで、なんでこんな僕のところになんて考えては駄目だ。自分がセットしたからこうなっているのである。僕はただ感謝して、突き進む。セットしているのだから、あれこれ考える必要は無い。この時のセットは、僕が本を初めてだした2004年ごろだったと記憶している。しかし、その時はそのセットのやり方を理解していなかった。セットしたらすぐ実現できると思っちゃっていたのだ。で、どん底へ落ちたわけであるが、そこで学んだ。とりあえず「五カ年計画」をと。だからこそ、今、面白くなってきている。そうやって考えると、睡眠というものは筋書きのまだ決まっていない3Dの映画を見ながら、監督して、作ることができる遊びなのだ。そう考えると、楽しくなって、みんなももっと早く寝ようとするのではないか。それはそれでいいとして。幻冬舎の竹村さんから、偶然としか言いようのない内容のメール。近々お酒飲みましょうとのこと。小学館の村山さんから、明日、漫画雑誌二誌に僕の企画を売り込んできます!と気合いの入ったメール。僕が送った絵に感激してくれて、大プッシュしてくれている。これは何かが始まるでしょう。何でも受け入れる体勢にしておく。みんな多摩川行きたいです!と言ってくれている。一度、多摩川でK大学のプレ講義をやりたいと思っている。そこには、あらゆる人間が集まる。講義と言っても、誰かが教えるのではない、全員に発言権があり、全員が同じ土俵に立って議論するという場にしたい。ドローイングは進み、春秋社の篠田さんに追加画像を送信。スウェーデンのウェブマガジンで取り上げたとの連絡。もう何でもやっちゃって下さい。夜も、また二枚ドローイング仕上げる。アオはハイハイしてから、完全に花開いたようだ。僕は水木しげる氏の描いた「猫楠」の中では、熊楠が、息子の熊弥を懐に入れて寝転がって粘菌の絵を描いているシーンが一番好きだ。ああいう親父になりたいものだと思う。上智大学の日本文学者アンジェラからメールがあり、上海で行われていた学会での日本近代文学と立体読書の発表が大成功を収めたとのこと。そうそう、人は開いていれば、何でも大成功するのです。アンジェラは大学教授であるにもかかわらず、僕の意見を本当に尊重して聴いてくれ、しかも希望を持って接してくれた。書籍化に向けて協力者もたくさん見つかったらしい。素晴らしいことだ。僕の絵も数枚紹介したら好評でかなり興味を持たれた様子。これもまた素晴らしい。やっぱり人間なんでも続けてやってみるものだ。今度、6月に上智大学でこの立体読書についてのWork-In-Progressワークショップを開きたいとのこと。なんだか凄くなってきたな立体読書。もちろん参加を即快諾。あらゆる方面から仕事が蠢いてきている。なんなんだこれは。マグマがふつふつと沸き上がってきているのを感じる。僕の回りの人たち全てがうまくいっている。そして、それは自動的に僕をもっと高く上げてくれるのである。

2009年3月24日(火)

午前6時起床。挿絵に取り組む。本を書き終わっても、僕の場合、挿絵があるのだ。小学4年生の時に、学級新聞係に入ったはいいものの、基本的団体行動ができない私は、学級新聞が新聞を名乗るかぎり、挿絵付きの連載小説がないことには始まらない、と言い、他の人々は、おいおいそんなにマジになるなよ坂口、的な当然の小学生らしい反応で、これは話にならんと、僕は謀反を起こし、というか孤立し、一人で学級新聞とは別に坂口新聞を作ることにしたのである。だから、もちろん連載小説を書いたのである。挿絵付きで。なんか地底探検をするジュール・ヴェルヌをバリバリ無意識にパクったような冒険小説であった記憶がある。記憶があやふやなのは、僕が小説を書きたくて書いたのではなく、新聞というんだから、連載小説がないと形にならんと思い込み、ただそのためだけに書いたからであった。むしろ挿絵の方に力を入れていくのである。と、話は完全に脱線したが、というわけで、挿絵には力が入ってしまうわけで、本になるまでまだ時間がかかる。気が遠くなるが、とりあえず下書きを進める。横ではハイハイ三日目にして、もう既に怪獣と化したアオが僕の仕事場に入って来ようとして、ついに入ってきた。僕の本棚の前で至福な顔を浮かべ、本を取り出しては食べている。楽しいんだろう、放っといてこちらは仕事に集中。途中で、大家が家に入ってくる。仕事場の床から変な黒い液体が漏れ出てきているので、修理してもらう。うちの大家は何か変で、何が変なのか分からなかったが、そういう勘だけは鍛えているので、僕は顔を見ただけで大体分かる。だから、大家さんと時間が取れた今日、一緒に修理をしながら聞いてみた。「大家さんって、何か面白いことやってるでしょ」「はい。剣術やってるよ」「剣術ってもしかして、真剣でやってるんですか?」「はい。しかも、自分で作り出した流派です。だから、僕、師範です」「なんで、また剣術なんて、真剣なんて使うようになったんですか?」「国分寺のこの辺りは、昔武士たちが住んでいて、剣術の稽古場が多かったんですよ。うちは代々、ここの土地を持っていて、だからご先祖様が剣術をやってたわけですよ。だから」その他、何もないと思われていた建物の中には剣術練習場の他にロッククライミングの壁まであるそうで、またしても、僕の大家は変人なのであった。「こんな話聞いてくれるの、坂口さんぐらいですよ」「だって、僕、それが仕事ですもん」というか、剣術にというか、真剣を使うということに興味を持ち出している僕であった。そういえば、祖父の家に真剣があったことを思い出した。何で僕のまわりには変人ばかりなのだろうか。最近、本当に多くなってきた。まあ僕は楽しいからいいけど。。。挿絵は疲れる。今日も一日かけて二点しかできない。ので、もう一点ぐらいやろうとまた夜から動き出す。でもいいのが出来たよ。で、最近、また新しく実現してみたいことが増えたので、それに気をとられている。それはノッポさん、ワクワクさん、みたいな仕事をしたいなということである。子供の前で、0円ハウスに住んでいて、ギター持ちながら、踊りながら、絵を描きながら、ダンボールで何でも作りながら、最後には紙の都市を作って、そこで遊ぶというような、レーモンルーセルのアフリカの印象の演劇のように、とんでもないものを、子供たちの前でやりたいなと思っている。すぐ怠けて、たまに塞ぎ込み、外に出て来ないと思ったら、いきなり、飛び出してきて、踊りまくって、何語かわからない歌を、雄叫びをあげるような、とんちんかんな人で。越境し続ける人間でやってみたい。顰蹙買いそうだけど、ノノカ見る限り、それぐらい真剣にやらないと興味持たないもんなあ。NHKに売り込んでもさすがにNGだろうから、YouTubeで放送局作れば面白いかもしれない。しかし、一体僕は何をやろうとしているのだろか。

2009年3月23日(月)

午前4時起床。春秋社単行本用の挿絵ドローイングの構想。そして、下描き。考えて、考えたまま、ベットで寝て、ガバッと起きて始めるとやはり少し進展してくれる。ということで、下描きの方は大体終る。朝日が突っ込んでくる。気持ちよい。さあ、次はペンで描いてみようと、珈琲の飲みながら、始める。が、全然進まない。あれれ。原稿は進むのに、ドローイングもアイデアと下描きまでは進むのに、手でペン入れしようとすると止まってしまう。そして、気付いた。たぶん、自分の家の机でないと、絵だけは描けないということに。絵は体全体を使って行う仕事である。そういうものは部屋全体の環境が非常に重要なのか。原稿は僕はMacで書いている。それはむしろ、家よりも場所を変えるほうがうまくいくことが多い。ホテルなんかの気持ちの良いところだとさらに良い。しかし、絵は違った。がっくり。まあ、でも勉強になった。早く描きたいという焦りがあったので、午前中にホテルを出て家に戻ることに。もう三日分払っているので、勉強代だと思っていたら、キャンセル料は一切発生致しません、と全額戻ってきた。やさしい三井ガーデンホテル。ということでただ週末をホテルで、というようなOLのような気分転換を終え、すっきりして国立へ。やっぱり自分の机だと絵は進む。その後、春秋社の篠田さんと挿絵について最終的に数を決定。出来上がっているものを第一弾として数点送信。その後、念願のアオのハイハイを拝見。ハイハイしてよ、と言うと、バイバイと毎回勘違いしてくれ、手を振っている。ての振り方が皇族様式なのでそれはそれで興味深い。で、ようやくハイハイしてもらう。出生後、すぐに入院し、なんでも何万人に一人の確率で遺伝子染色体の特徴を持っているらしく、今までに診察をしたことがある医師もいない状態で、医学書を読みながらの治療。フーと二人、不安に襲われた。僕も高校一年生の時に、骨肉腫と診断され、足を切断しても二十歳まで生きるのは難しいと言わたが、手術して足の細胞を調べた結果、奇跡の誤診。良性の腫瘍であったため生き延びた。さすがは我が子である。体、内臓が本当に微妙に左右非対称であること以外は元気に育っている。強運の持ち主としかいいようがない。今では元気にハイハイしているではないか。その赤ちゃんの成長の過程では当然のことも、僕にはアオの作品に見える。苦しんだ人間は強い。アオの強さにオヤジ、気合いが入る。と、ただハイハイ見たさに帰宅した疑いもあるが、作業続行。光文社、山川さんからメール、原稿オッケーとのこと。さあいよいよ新連載も始まる。新しいことを始めるときはいつも緊張感があるが楽しいもんである。新しいことばかりをやり続ける今の仕事は自分にとって合っているなと思う。太田出版の北尾さんからもメール。これで原稿は揃った。後はこれをどう、うまくまとめていくかである。須川さんから電話。京都のパーティーについて。4月18日にトーク&ライブ。近場の人はぜひ。久々に京都に行くので楽しみだ。キュレーターのヒコちゃんから、myspaceいいねとのありがたいメール。美術の人から音楽について反応が来たりするのが僕のやりたいことだ。人は実は複雑性に満ちている。夜、仕事場が作業できないほど、本やプリントや下書きの紙で溢れかえってきたので、絵も進まず、仕方が無いので、部屋を綺麗にすることにした。完成。

2009年3月22日(日)

午前7時起床。午前中はぼうっと過ごす。午前11時外出。四谷駅へ。喫茶店でしばし原稿を書き、三井ガーデンホテル四谷へ。新しくオープンしたばかりのようで綺麗で気持ちが良い。窓を全開にして作業開始。光文社新連載用の原稿10枚。二時間半で書き終わり、送信。その後、太田出版用の家の作り方についての原稿17枚書き終わり送信。うどん屋で夕食をさらっと食べ、また戻ってくる。今、原稿は全て頭の中にイメージとして具体的に立体的に浮かび上がっているので、自動的に書ける。問題はドローイングだ。最近思うのは、僕にとって文章というのは頭の中の映像を文字に置き換える作業なのだが、このドローイングというやつは、頭の中の映像をそのまま具現化していく作業とはどうも違うらしい。だから、使うソフトが違うらしく、文章を書いた後に、ドローイングをやろうとすると、連続的には行えない。ので、一度全て遮断する。フーから電話があり、アオが初めてハイハイをしたとのこと。祝。しかし、なぜ僕が出掛けている時に。まぁ気にせず次に進ませる。春秋社のドローイング。後、少なくても12点ある。できるかな。とりあえず、ドローイング前の苦悶を始める。

2009年3月21日(土)

午前7時起床。まだ残っていたテープを編集。これはちゃんと止めないと永遠に続けてしまいそうだ。で、止めて、仕事の確認。何をあとどれくらいする必要があるか。まとめる。春秋社は原稿はとりあえず完成したので、後はイラスト15点ほど。太田出版は後残りの一章分&イラスト数点。光文社の新連載用原稿。これを明日からの四谷三日間で完成させる。そして、その後月末まで太田出版の原稿圧縮作業に取り掛かり、終り次第、多摩川へ飛び込む。この予定で行く。何でも決めれば終るのだ。決めれば始められるのだ。お昼頃外出。久々に「いんでぃ庵」のチキンカレーが食べたくなり向かう。大盛りで750円。この値段が嬉しい。美味。貴金属拾い名人の佐々木さんに電化製品について質問しにいかなくちゃな。しかも、今、金の単価が上がってきていて、グラム2300円になったらしい。佐々木さん、40グラム拾ったらしく、それだけで8万円。月収がもうすぐで20万円行くのだそうだ。いよいよ本格化してきている。これは話を聞かなくては。とか色々と考えながら、アルミの相場をネットで確認するとどうやら少しずつこちらも上がってきている。まあどうせ、現場の隅田川ではまた単価が低いまま取引されているんだろうけど。鈴木さんに伝えなきゃ。ということで、隅田川へ。黒霧島持って、今度の本のために新しく家の作り方について話をしてもらう。また面白い話がポンポン飛んできた。いやあ、楽しすぎる。ここの社会は。豊かなんだよな、本当に。新時代の集落が形成されているのである。完全に個人でありながら、いざとなれば協力し合う関係性。それは以前の村とはまた一味違う集まりである。ここには何か今の時代が次にいくためのヒントが隠されている。地震になったら僕たちはどうすればいいのか、という質問に答えてもらう。飲みながら。午後5時まで。今日、ポストを開けたら講談社現代新書の川治くんから本が届いていて、先日飲んだ時に話していた本だった。電車の中で読んでいたのだが、これが面白すぎて帰る前に読んでしまった。内山節氏による「怯えの時代」という本である。新潮選書。これは僕が無意識で体を動かしてやっていたことを、ちゃんと言語化してもらったような、すっきりとした感覚がある。現代を読み取りながら、少しずつ後半の新しい時代、社会へのヒントを見つけ出そうとする冒険のようにも感じられた。最後にはちゃんと代替案が示されていて、そこが良かった。すぐ川治くんに電話して感想を述べる。今度内山氏と会いませんかとのお誘い。実現したら話したいことがたくさんある。この本は鈴木さんのことを言っているのではないか、と考えられる箇所もたくさんあった。とても参考になった。

2009年3月20日(金)

始発で帰ってくる。久々に吐きそうだ。その後、ちょっと寝る。10時頃起床。朝食、スープを飲むだけ。昨日、DJ KOZE見たかったなあ。ちょっと原稿を書いて、今日はもう執筆の仕事を終了。全く関係無いことすることにした。音楽に専念。昔録ったカセットテープの音源をMTRで鳴らして、それをDIGIROLに繋いでMACの中に入れる作業。馬鹿みたいに曲作ってるなほんと。素人だけど、やる気だけは満々なのである。ということで作っていたら、myspaceやろうと思い立ち、アップしてみた。一日そんなことしながらボーっと過ごす。こういう時はJ-POPを聞きながらテンションを上げる。倖田來未のD.D.DとBENNIEのサンライズミックスやばい。夕方からフーアオと出掛けて、葉々屋でフーが紅茶の葉っぱとジャムを買う。西友の一階でアオと二人でフーがおむつ買ってくるのを待っている間、帰りのバスの車内でも、アオの回りにとにかく人が集まってくる。人を呼ぶ人である。とにかく笑い顔がすごい。あんなに笑う人、見たことない、っちゅう顔している。とこういう日は親バカになる。「幸福だから笑うのではない、笑うから幸福なのである」そのままの人だ。哲学の勉強になる。家に帰ってからも、またJ-POP。KICK THE CAN CREWのsayonara sayonara聴きながら作業。こういうバックトラックが僕は大好きなのである。ゴリの顔、カッコ良すぎる。中国語の字幕も良い。仕事の物々交換について考える。鈴木さんは僕にお酒を惜しんだことがない。実はそんな余裕はないのかもしれない。ただ、そんなことよりもギブするのである。ギブし続ける。それだけで仕事がうまくいくのか、そんな実験をしているような気もする。鈴木さんは僕にそれでないと、うまくいかないよ、と教えてくれた。夜、従兄弟の19歳のソウが依頼していた原稿をきちんと〆切と言っていた今日送ってきてくれた。すぐ読む。19歳なのによく20枚も書いた。内容について、こちら真剣に答える。もっと改良した方がいい。で、またお願いした。十代の人間に今の30歳の僕のモチベーションでぶつかっていくということが重要だと思う。僕はそうやって回りの人間に育てられた。今まで何をやっても、上には上がいるということを、いつも僕は目の前で見せつけられた。そして、自信喪失し続けてきた。やっぱりそれこそエネルギーなのである。そこで凹んでもいいのだ。止めなければ。そこで止める人間は、その仕事は向いていない。すぐに違うのを探さないといけない。向いていないことをすると人は鈍る。向いていることだけをすると、人は鋭敏になる。それは針のように小さい穴も通る繊細を持ちながら、絶対に折れない強さを同時に持っている。僕に合っている仕事は何か。面白いことにまだ僕自身も分かっていない。素晴らしいことだと思う。人がなんと言おうと、僕は作品を作る中で、その作品の中で、探索したいと思う。成長したいと思う。それさえできれば、自分がどうなっても全てそれは探索なのだから、変化を恐れないことに繋がると思う。つまらない、という前に、そんな風景、音、物体の中にも何か自分のアンテナに引っ掛かってくるものがないか。それだけに焦点を当てる。それができれば、どんな大きな舞台でも、どんなに偉い人の前でも、臆すること無く本当のことが大きな声で言える。元気なJ-POPを聴きながら色々と考えた。午後11時に就寝。

2009年3月19日(木)

快晴なのでReclooseのDust。午前7時起床。朝のオスカーピーターソンを流すと、アオが踊っている。頑張れ0歳。この人耳が良い。朝食を食べ、すぐ外出。順天堂病院にアオの定期検診。鉄分がやはり少ないらしい。もっとレバーとかヒジキとか食べさせた方がいいようだ。その他は完全に良好。薬も一日に一回だけで良くなった。この人、いっつも最後はしっかりと持ち直す性質のようだ。そこは僕に似てる。始め出遅れても何も気にするな。むしろ、そのことに意味があったことを、感じ取れるぐらい、自分をチューニングしていく。これさえできれば大抵のことはクリアできるのだ。僕の若い頃のほとんどの馬鹿な作業は、今ではしっかり自分の作品の一部になっている。だから、重要なのは、その瞬間に、あっ、これいつか使えそうだ、とほくそ笑むことだ。と自分に言い聞かせる。それが一番面白いのに、なぜか人は早く結果が出ることを望む。そして、恵まれていない自分の状況を嘆く。しかし、それはもったいない。そこに気付いてようやくスタートラインなのにな、と思う。順天堂病院内の子供遊び場で他の子供も入り交じり、遊びまくる。午後1時に終了。駅前の中華料理屋「中國飯店」へ。前から気になっていたが入ったことがなかったので、行ってみることに。中は綺麗で僕の好きな中華料理屋の雰囲気。チャーハンを大盛で注文。美味。フーアオと別れて、電車で浅草へ。太田出版の北尾さんと待ち合わせ。今日は北尾さんとデート。まずは、前から北尾さんが行きたがっていた我らが鈴木正三邸へ。黒霧島一升瓶を持っていく。相変わらずテンションが高い鈴木さんと乾杯。アルミ缶は1キロ50円だよ。でも、そんなのにへこたれていない。カッコ良すぎる男である。僕もこんな60歳になりたいと素直に思った。プロフェッショナル仕事の流儀にいつか出ちゃうんじゃないだろうかと、勝手にその絵を思い浮かべる。北尾さんは、鈴木さんがかけた演歌を聴きながら、焼酎飲みながら、バイクのライトを使った照明に照らされて、完全にぶっ飛んでいた。「東南アジアを旅行しているとしか思えません」と北尾さん。しかし、そこは浅草なのである。萩原朔太郎に教えてあげたい。一歩も東京を出なくても、旅を冒険を探検をできるのである。それを口で言っている人はたくさんいるが、実際にその場を知っている人はあまりいない。鈴木さんがえらく興奮して「この前も、また読者が来たよ。しかも、68歳の先輩。川口から電車で来たんだよ。その人が、本当に感動した、もうこれは行かなきゃいけないと思って、来てくれたんだよ」と言って、僕もブルッとした。なんだか確実に人に伝わっているのである。本の力を再認識。2時から飲み始めて、結局6時過ぎまで飲んだ。ミーコも最後は入り交じり、宴ってこういう瞬間だよな、と思った。酔っ払って、鈴木邸を出て、そのまま北尾さんと次の舞台へ。僕の大好きな芸術家集団Chim↑Pomの展覧会オープニングに北尾さんが誘ってくれたので行く。神宮前のVACANTというギャラリー。彼らは広島の空に「ピカッ」と飛行機雲で描いた作品を作り、非難され、謝罪した。僕は、あるテレビ番組に出演依頼が来た時に、サンプルDVDが送られてきてその中で彼らが出演していて、作品を全部見させてもらって、やられたなーと思ってファンになった。彼らのとんでもなさが、僕が目指しているとんでもなさと、共通するところを勝手に感じたからだ。(結局その番組はなぜかノーギャラだったので、僕はノーギャラでは働いたことが無いので、出れませんと断ったのだが)で、その広島の作品が一体何だったのかを展示するというので行ってみた。問題になったその飛行機雲の映像を見る限り、あれの何が問題だったのかは、僕には理解ができなかった。なぜなら、飛行機雲の文字がよく見えなくて、一体何を描こうとしていたのか、普通に見てたら分からなかったからだ。しかし、新聞やネットなどで出ている画像を見ると、くっきりピカッとなっている。これはどう考えても写真を撮った人が画像を処理したとしか思えない。だけど、そんなことはどうでもいい。展示として、もっとこうやったら面白いんじゃないかということを、勝手ながら彼らに伝えた。とんでもなさが、そこにはなかったからだ。彼らは世界へ行ったほうがいい。日本なんかで留まっていても、何も始まらない。彼らの作品は万国共通だと僕は思っている。彼らに話を聞くと、どうやって海外へ売り込んでいけばいいのか悩んでいた。僕は自分が体験して得た小さな知識をとりあえず伝えた。世界へ行ったほうが彼らは上がると思う。そして、彼らもピンでやった方がいいんじゃないかと思った。ギャラリーに囲われているんじゃなくて、独立独歩で作品を作っていったほうが、やはり強度が粘りがとんでもなさがある。と僕はいつも思う。ピンは恐怖のド真ん中に立たされるが、やはりそこには鈴木正三のようなカラッとした気持ちよさがあるのだ。とか、なんとかかんとかとにかく喋った。こういうのは本当に面白い。久々にミズマさんとも会った。10年前に当時まだあったクラブ、Milkで人間覚醒剤と化していた僕が吠えまくって、お前おもしろいじゃん、と言われた一回の出会いであったが、何か最近頑張ってるらしいなードンドンやれよ、と励まされた。目の前に見たことある人がいるなと思ったらなんと、今本を一緒に作っている春秋社の篠田さんだった。彼女もChim↑Pomが好きなんだ。こういう場所でばったり会って僕はしみじみ、この人と一緒に仕事をして良かったな、信頼できる人だな、と思った。なかなか人間というものは体が動かないのである。僕は動く人が大好きだ。僕はただ動くことでだけで、ここまで来れた。それはやはり真実だと思う。その後、とにかく至るところで吠えて、北尾さんと一緒にタイ料理屋でまた飲む。途中から太田出版の梅ちゃんも来る。梅ちゃんとは今日初めて会ったが、初めて会った気がしないくらいツボが合って、話していて、こちらはドンドン構想が湧いてきた。こんな男がいるのである。嬉しかった。その後、やはり話は盛り上がり、三人でまた別の飲み屋でも飲む。梅ちゃん、途中で帰り、北尾さんとまた二人で話す。男二人で十時間も飲み続けた。この人ととにかく良い本作ろう。12時過ぎまで飲む。その後、タクシーで渋谷駅まで行って、北尾さんと別れ、渋谷のWOMBヘ亮太と待ち合わせして行く。完全に酔っ払って吐きそうだったが、ここまで来たら朝まで踊るしかない。しかし、DJ KOZEはなんと空港で失神して病院に運ばれてしまい、この日DJができないとのこと。まあ、そんなこともある。ならば、朝まで飲むしか無い。亮太と高校の先輩がやっている「国境の南」というBarで麦酒を飲みながら話す。その後、始発までスターバックスラテを飲みながら、寝て待つ。今日はさすがに飲み過ぎた。相対性理論の四角革命を亮太のiPodで聞きながら家に帰る。家に帰って落ち着こうとMatthew HerbertのVerveのremixを聴く。なんだろうこの抑制の創造。珈琲飲みながら聴く。今日も必然性が連続した日であった。

2009年3月18日(水)

午前6時半起床。同じく寝起きの良いアオと戯れる。その後、ホットケーキを食べて今日は一日仕事に専念する。午前中、エココロの四次元ガーデン16回目。残りの原稿を書いて完成。写真データと一緒にエリちゃんに送信。その後、春秋社の最後の章とあとがき部分の原稿。さらに10枚書き足して、春秋社篠田さんに送信。これで第一稿は完成である。これで、印刷所に一度行ってくれるそうだ。また久しぶりに印刷の仕事が始まる。しかも、二冊同時にこれは楽しみである。お昼は自分で焼きそばを作製。美味。バンクーバーのセンターAを主宰しているハンクの誕生日だということで、誕生日カードを送る。多摩川ロビンソンクルーソーの絵を添えた。ディクショナリーからゲラが来ていたので、即返信。あまりにも天気がいいので、フーアオと三人で外出。まず図書館に江戸のリサイクル事情についての文献を借りに行って、その後、北町公園というところで遊ぶ。気持ちよい。その後、畑を抜け家に帰ってくる。資料をもとに、太田出版都市狩猟採集生活入門の原稿。さらに20枚書いて、こちらも十万字を超えてしまった。予定より増えている。ここで第一稿とすることにして北尾さんに送信。北尾さんとは明日、一緒に鈴木さんの家に遊びに行くのでその電話も。とにかく、一つずつ終らせていく。コヨーテの原稿オッケーとのこと。さらに、次号の新企画の話。面白そうだ。今は、一つの仕事は他の仕事へと無理なく繋がっていっている。こういう時は身を任せて淡々と過ごすだけである。夕食は、自家製餃子。これまた美味。その後、光文社での新連載に取り掛かる。四枚分くらい試しに書いてみる。書いたノリは良い。面白くなるかもしれない。明日は夜、WOMBにDJ KOZEが来る。がんがん踊るよ。

2009年3月17日(火)

午前8時起床。トロントの写真家から1999年に貯水タンクに棲んでから10周年でおめでとうとの突然のメール。彼女は0円ハウスにインスピレーションを受けて、自分でも香港の屋上小屋の写真集を出版したとのこと。こういうのは本当に嬉しい。しかし、僕に関わる人は皆さん成功していきますなあ。僕も頑張らないと。そうなのだ、自分で表現を始めてから今年で10年なのである。10年前にはこんなことやっていても駄目だよ、とよく人に言われたのだが、やっぱり何事も10年やればなんとかなるもんである。というか、その時に「これを貫けばお前は生きていけるが、変に勉強なんかしたら野垂れ死ぬぞ」と吐いた石山先生をふと思い出した。まだ19歳だった馬鹿野郎にこの言葉はきつかったが、やはり心強くもあった。そんなことをトロントの人に気付かされる。ウィニペグのオークションの結果の報告。なんだかやっぱり不況らしい。僕が自分で売れば全く不況とは関係ないのにと、少し悔やまれたが、これはギャラリーを救うため。やったことは間違いではないだろう。昔、記事を書いてくれたイタリア人からメール。皆色々と頑張っている様子。また0円ハウスの画像を使いたいとのこと。即承諾する。何でもやって下さい。どんどんビッグになっていって下さい。小学館の村山さんから返信。何か思いついてくれた様子。漫画雑誌に持っていってくれるとのこと。面白くなりそうだ。春秋社の篠田さんからメール。原稿このままで良しとのこと。嬉しい。さらにもう少しやってみたいことがあるので、それでこの本はまとまりそうだ。後はスケッチ。これをきちんとやれば良い本になるだろう。と、メールで色々と励まされ、外出。午前11時に川崎駅で高校の同級生、エトゥーと待ち合わせ。この人は可愛い女性なのだが、熊本の野菜や米をネットで販売したり、自給自足して生きたいと実行しようと試みたり、何かと活動的で、今回は多摩川のロビンソンクルーソーにぜひ自給自足のために借りた農地の先生になって欲しいとの依頼。面白そうだから、連れて行った。こんなことが起こる世の中である。完全に変革が訪れているんだろう。多摩川のロビンソンクルーソー、こと船越さんはもちろん快く引き受けてくれた。菜っ葉も貰う。さらに、僕が来月から棲むことになる場所も決まった。テレビディレクターの津金さんとも電話し、僕が多摩川に住むところから撮影を始めたいとのこと。うまく企画が通ってくれればとっても面白い番組なると思う。その後、川崎駅でエトゥーにタイ料理屋ビュッフェを御馳走になる。美味。帰ってきて、また外出。午後6時に西荻駅で講談社の川治くんと待ち合わせ。久しぶりに「のらぼう」へ行く。本の企画の話。川治くんとは一緒に仕事がしたいと思っているのに、まだずっと書けずにいる。4月の多摩川生活が終わり次第、銀座を始めてみようと再度思う。銀座はなかなか手強い。でも、書けば面白くなるはず。世の中が萎縮している中、何かが蠢いているのを感じる。とにかく一つずつ終らせていこう。

2009年3月16日(月)

新幹線で旅行から帰ってくる。午後2時ごろ新宿にてフーアオと合流。カレーライスを食べて、国立駅へ戻る。何か甘い物が食べたくなり、はらドーナツを買いに歩く。タクシーで帰宅。帰って来て、いきなり団子食べながら喫茶する。アオと遊ぶ。夕食は、ミートローフとホッケの干物、大根の味噌汁、玄米。アオに離乳食を食べさせる。鰹節ご飯とかぼちゃと大根のホワイトソース和え。よく食べる。お風呂に入れた後、仕事開始。コヨーテ0泊3日連載14回の原稿。ずっとイメージしながら歩いてたので、速攻で書き終わる。写真と一緒に送信。その後、小学館の村山さんに企画案を提出。大人も子供もどちらも楽しめそうな絵本の提案。その後、エココロの請求書を書いて、四次元ガーデンの連載16回を書く。ほとんど仕上がる。今日は早めに寝る。

2009年3月15日(日)

温泉旅行。完全にリラックス。鍼灸院にて6人で語り合う。果物などを購入し、酒を飲む。

2009年3月14日(土)

種子島取材旅行。やばかった。横馬場さんありがとう。

2009年3月13日(金)

午前8時起床。ゆっくりして昨日から泊まっているフー母と四人で朝食。今日はアオの病院だが僕は外出し取材へ。北千住駅で光文社の山川さんと待ち合わせ。「本が好き!」で連載予定の珍貸物件を探しに行く。北千住駅は以前、須川女史と一緒に魚居酒屋で飲んだくらいで後はほとんど行ったことが無かった。南千住には何回も行って隅田川に行ってたが。なので、どうなるかわからない状態だったが、歩いてみると瞬時に事が起こり、しかも、それが連続し、ちょっと二人で変な世界に入ってしまったようになった。北千住を愛する親子にラーメン屋で実にディープな北千住情報を聞いたり、やきいもを買うためにずっと誰もいない無人の売り場で待ち続けているおばちゃんと出会ったり、色々と変なこと起こる。気になる物件を一つ見つけたので調査を続行することに。5時間弱歩く。その後、佐々木さんと連絡し、屋久島、ぎりぎりでやっぱり行けないことが判明し、がっくりするが、じゃあ種子島があるじゃないか、ということでとにかく鹿児島南端へ向かうことに。フー母に親子丼を夕食に作ってもらい、それを食べ、すぐに外出。新宿駅へ。深夜バスに乗って岡山経由し、目指すは種子島!

2009年3月12日(木)

午前7時起床。原稿。最近、日記まで原稿みたいになってきている。10日のなんか原稿用紙20枚書いちゃっている。何かここには意味があるのかもしれない。ちょっと引き続き様子を見てみよう。確定申告の書類を書く。僕、こんなのできません、と書類嫌いの癖が出るが、自分が一年でいくら稼いだかということを把握するのは、この分裂した仕事していたら逆に大事かなと、思うことにして書いた。この人、集中したら早いので昼過ぎに終了し、立川税務署の別館へ行き、提出。みんな来てるなー。昨年の仕事のまとめ終了。この立川税務署までの道は、なんだか古い店が残っていて、電気屋、自転車屋、額縁屋など魅力的な店が並んでいる。自転車屋に入り、仕事開始。おやじとしばし話す。僕が今見つけようとしている、昔流行ったブリヂストンのモンテカルロの話をしたら「あんなの、今なによー」といいながらも嬉しそう。その横の古本屋にも入って仕事開始。地球堂書店という店で、古いが綺麗な内装。全ての本にパラフィン紙がかけてあり、丁寧な仕事が伺える。「これ、全部自分でサイズに合わせて切ってんだよ」と自信の一言。初めて知った。本は民族学から禅、哲学、海外文学と何やら映画に出てきそうな書店。凄い重厚なウェルズとハックスリーの講談社から昔出ていた世界文学全集が気になるが、2500円。財布に入ってなかった。大丈夫か?30歳。オヤジと話していたら、柳田邦男が責任編集していた当時の雑誌などを見せてもらう。しかも非売品と書いてある。なんかここ凄いかも。何か買いたいと思ったら、岩波文庫の哲学書の横になぜか筒井康隆氏の「霊長類 南へ」があったので、300円で購入。それを持って労いのモスバーガー。で、ここのモスバーガーがまたおかしい。壁に色タイルでホットドッグとモスバーガーが描かれている。で、驚いていると「あっ、これね、バイトしていた美大生がやってくれたのよ」とオバちゃん。さらに「今日はモスバーガーの日だから、ペパーミントの種あげる」と言われ貰う。何なんだ。ここは。二階に上がるとどう見てもモスバーガーではない。しかも、かかっている音楽が変だった。なんでJames Taylorかかってんだろ。一人照り焼きバーガー食べながら聴く。このモスいい。そして、この講談社文庫「霊長類 南へ」を読む前に解説読んでいたらこの小松左京氏の解説が的確にある空間についてのことを書いていて良かった。僕は、本の解説に衝撃を受けることがよくある。中沢新一氏が赤瀬川さんの路上観察の本の文庫本の解説で書いたことは、僕の都市狩猟採集生活を具体的に立体的に浮かび上がらせてくれたし。最近の本で、あんまり解説で泣くことはないなあ、と思う。「傑作解説集」という本を編集したいなとか思うけど、そんな本もうすでにあるのかもしれない。というように今は歩いているそのもの全てが自分の興味の対象になっていて歩いていもなかなか前に進まない。でもようやく駅へ着き、そこから原宿へ。NHKへこの前の収録で当然のように忘れた傘を取りにいく。プロデューサーの吉田さんが傘を持って来てくれた。感謝。で、目的は傘を取りにいくというよりは吉田さんと飲みたかったわけで、当然一杯どっか行きましょうかとなるわけで、一緒にいた今度新しくBSブックレビューのアシスタントになる小説家の谷口さんと俳優の金井勇太くんと四人で渋谷の怪しい上海食堂へ。で、色々と話す。話しまくる。これでこそ人間の日々だと思う。出会って話して何かを作り出す。谷口さんはとても魅力的な女性。抱えているものを正直に喋ってくれてそれでまた盛り上がる。金井勇太くんは日本アカデミー新人賞を受賞もしていると後で、家で知ったけどすごい頑張っていることが話しているだけで伝わって来た。福生出身だということで、マジカルパワーマコの話。彼はパーカッションも何でも出来るらしく僕はいつかセッションしたいなと思うのであった。二人が出るならやはり僕もBS見れるようにしなきゃね。一杯のつもりが当然4時間ぐらいになってしまう。NHKでとにかく僕に話させて下さい。とお願いした。吉田さんも理解はしてくれているが、やっぱり電波にこの抽象的な思考をどうやって表現できるかについて考える。それはやはりなかなか難しいんだろう。でもいい。何でもいい。面白い番組のアイデアを企画して吉田さんに送ることにした。今、みんなテレビは嘘ばっかり言っていると完全に思われているので、ここで一発本当のことをぶっちゃけてやれば人々に元気がでるのは一目瞭然なのである。それをやりたい。プロフェッショナルな人を取り上げるのも重要だが、僕は市井の人々の内奥に潜んでいる複雑な思考こそ、今僕たちは自覚する必要があるからだ。それを見れば、実は自分たちにも可能性があるんじゃないだろうかと思えるのではないか。今のように、派遣切りだの不況だのといった作られたニュース、ドキュメンタリーだけでは駄目だ。現に、僕が落ち込んでいるときにバイトを探してしまって、電話までしたのだが、すぐ来て下さい。足りませんので、って言われたよ。そこ時給1500円だったよ。何でもできるだろ。不況といいながら、そのおかげで好況の人もいるわけで、やっぱり今特集するのは、社会状態よりも個人の内奥なのだ。と僕は思っている。しかし、それがどのメディアもできない。人の揚げ足を取る作業、人が苦しんでいるところしか、捉えられていない。本当は希望を与えないといけないのに。オバマはチェンジといいながら何を変えるかは言わない。僕は、変えなくていいと思っている。気付けばいいのだ。しかも、それが自分が駄目なのだと気づくなのではなく、自分に可能性があることに気付くのである。しかし、それが本では出来ることは自分で体験して分かった。しかし、もっと多くの人に何かを伝えたいと思って来ている。メディアの攻め方について僕ももっと戦略をたてないといけない。ということで、盛り上がりに盛り上がって、皆さんと別れ、タクシーでリトルモアへ。タクシーのおじさんに「おじさんが一番得意なことって何ですか?」と聞いたら、「私は昔、テストドライバーをやっていたんですよ。A級ライセンスも持ってますし。その前は機械の設計もやってました。でも今は車会社も不況だし、それを作る機械も必要がないし」景気は関係ない。やはりこのタクシードライバーにも複雑な思考と技術がある。僕は確信した。今、光を当てないといけないのは全ての人である。特別な人ではない。というかむしろ、その特別だとメディアに言われている人は実は作られた存在である。それは同時に自分のクビも締めることになる。でも、それでいい。僕には力がない。だからこそ、街を歩き僕は人々と会話をしたい。そして、その人の可能性を見つけて、もっと自分も鍛錬しなくてはいけないと思いたい。そして、いつかは、そんな複雑な思考と技術がそれぞれ交換される、新たな物物交換の時代へと向かうのではないか。と僕は思っている。その時にお金はもちろん無くならない。でもそれはただのギフトになるはずだ。そんなことを夢想しながら、リトルモアで0円ハウスを買い(もうくれません、、、、)、下の階で仕事をしている0円ハウスのデザイナー宮川さんと話す。この人は初めて会ったときからこの今の状態を予言していた人だ。宮古島の変人が南青山のド真ん中で毎日Macと格闘しているのである。僕も坂口くんみたいに、毎日外を歩いて人々と話して生きたいな、それは夢だなあと言った。頑張りなさいとも言ってくれた。大丈夫だ。僕は強い理解者に囲まれている。何かが本当に起こるかもしれない。僕は興奮のまま、親父に電話して、その旨を伝えると、親父は「最近飛ばし過ぎだからゆっくりやりなさい。でも面白くなって来たね」とのこと。「でもそんなに簡単には物事は変わらんよ」とも言った。とにかくじっくりいこう。まずは二冊の本を書き上げることが先決だ。家に帰って、飲み会で一切物を食べていないことに気付き、カレーを温めて食べた。

2009年3月11日(水)

午前7時起床。そのまま作業続行。フリーペーパーディクショナリーのためのドローイング。はっぴいえんどの明日あたりはきっと春聴きながら。これ、今の時期聴くとぐっとくる。よってインクとペンも乗ってくる。部屋を閉め切り全開体勢。文字の場合は1000字ぐらい書いたら、一度休憩せずにはいれないが、絵というのはずっと描けちゃう。なんか違うんだろう。体の中では全く違うのが分かるが、言葉では何とも言えない。しかし、このバランスが僕の仕事であると思う。これには幼い頃のエルマーのぼうけんなどを中心にした挿絵付き、地図付き、装幀が素敵な本への憧れがそうなったと思う。エルマーのぼうけんとか、コンチキ漂流記とか、家には無かったのに、学校の図書館で借りて読んでいたのであろうか。よく覚えてない。午前中までに仕上げる予定だったが、お昼頃完成。自分としてはかなり面白いものが描けたんじゃないかなと。漫画のコマ割りのようなことも素人なりにやってみたし、亮太に言ったら、今度は細密画ではなくなって、線画だけになっていくのをみたいねとの感想。なるほど。参考になります。データを編集の西野入さんに送る。すぐ返答があり、テンションが上がってくれたようだ。これがこちらの醍醐味。絵を見て人が興奮するのはいつ体験しても嬉しいのだから、やはり絵は芸術と思っているのではなくエンターテイメントだと考えているのだろう。これは幼稚園の頃に、友人たちに絵を描いていた頃から変わっていない。つまり、何も成長していない。というか何も変わることができないはずだ。それを自覚することができれば次が見えて来た。僕はそう思った。西野入さんは絵を見て、ギャラの話をしたら、もう少し何とかならないか編集部に相談してみます、と言ってくれた。こんなこと初めてだ。作品を見てさらに高く払ってくれようとするなんて。僕としてはそうなったら凄く嬉しいが、もうその態度だけで感動しているので、無理でも何でもいい。昨日も書いたように、これは仕事だからだ。そうやって渡した編集者の創造力を噴火させることが僕の一番最初の仕事ナノである。まず、この方達を興奮の中に飛び込ませなければ仕事が成立しない。まっ、とにかく一つ仕事が終ってほっとした。ディクショナリーは僕が特に高校生時代好んで読んでいてその東京が詰まっている本を読んで興奮というよりは気が遠くなっていたように思う。そんなところからの依頼。だから真剣に描いた。その後、ブレイクにノノカに電話したら、美帆の家がスカイプと購入したということでスカイプをした。すると、大変なことが起こった。僕の愛する姪ノノカは画面上で、自分の歌を歌い出したのである。今、彼女、3歳ですよ。その子が即興で、メロディをつけて、日本語の歌詞をつけて、「トランプの歌」という歌を歌っているのである。最近、完全に脳が開かれている僕の頭にはオーケストラのように響いて、ついつい自分のデスクトップ上ですぐGRAGEBANDというmacに付いてる音楽ソフトを起動し、録音。「あー、できなかった。もうすぐできる、もうすぐできる、わたしの世界」というフレーズが出てきて、ぶったまげる。アルバム一枚すぐ出来そうである。こういう子供の才能はもうどんどん伸ばそうなんて考えずに、ただただ付き合うことが必要だと僕は思う。僕はとにかく、子供に教えるためではなく、何かこの子たちがしたいことがある時に「時間がないからだめ」と言えないようにしたいのだ。とにかく飽きられるまで付き合う。甘えっ子無しで、真剣に音楽とか一緒にできたら子供とかいうより僕が幸福である。だから平日の昼間だろうがなんだろうが、付き合うのである。アオもそれ見て嬉しそう。一瞬私設保育園になった。すると、メールがあり、昨日の狂ったような長い日記をなんと読んでくれたそうで、それが今日の産經新聞の記事についてだった。自尊教育かー、僕はちょっと違うことをK大学で考えている。「自尊」なんてどうやったら出来るというのか、親に虐待されたり、ひどい仕打ちをされた子供はどうやっても自尊することは難しい。もちろんそこまで酷くなくても、無関心な親に育てられた子供は必然的に無関心、無気力になる。それをどうやって自尊させるのか。僕はできないと思う。だけど、「自覚」することはできるんではないか。こういう状況で育ってきたが、ココの中のココだけは、他は全部どうしようもなくなってしまったけど、ココだけは光があるかもしれない、と、自覚させ、それに気付く、ということだ。そこには自らをリスペクトする感覚は無いと思う。むしろ、そういうことに気付かせてくれた回りの人々たちに感謝するのである。昨日の僕の祖父の話じゃないが。やはり、じいちゃんが、お前は凄いと自信を持て言ってくれたから、僕は、ちょっとヘンテコな思考をしてきたが、ここまで来れたなーと思うのである。僕が最近気付いた単純なことは、何かに自信を持つということは、自分一人では無理だということだ。誰かが自分に対して自信を持ってくれた時に、人は自分なんかどうでもいい、とにかくこの仕事を進めようと自信を持って進めるのでだ。自分の中にあるものを出すというよりも、自分の中に何か光があることを自覚させてくれたことへの恩返しが、僕としての表現である。そこに気付かないと、学校でどれだけやっても、「ゆとり教育」と言って休み時間だけ増やしたあの方法の繰り返しになる。もっとそういう現場に創造的な閃きと発想を持ち、実行できる人材が必要なのではないか。小中高と、年齢を重ねるほどに自分のことに否定的であるそうだ。「K大学の何かの参考になれば」と教えてくれたのだ。感謝である。東京都教育委員会の皆さん、一度、僕の本とかウェブサイトとか見てくれないかな。何か面白いことが起きそうなんだけど。鈴木さんとか多摩川のロビンソンクルーソーたちは、いつ、自分たちが子供に物事を教えるときがくるのかを心待ちにしている、と僕は勝手にそう思っている。そして、彼らはK大学の名誉教授である。こういう講義が実践講義、哲学的講義が、本当に幼稚園に入るぐらいの子供から100歳のおじいちゃんまで、とにかくやりたいことがある人なら誰でも無料で受けることができる。場所は僕の家でも良いんだけど、今は遠いから、都心に場所を提供してもらおう。そういえば、博報堂の方が以前に本デザインフォーラムに僕が出た時に「坂口くん、銀座に誰も住んでいない古すぎる家があるんだけど、もし使いたかったらいつでも言って」と言われたのを思い出した。そこを本拠地にするのもいいかもしれない。銀座かー、いいなー。そういうところでかなり原始的なことが講義として行われているというのは夢だなー。とにかく、色々発想しました。匿名の方、メールありがとうございました。最近、そういった励ましのメールがいくつか届いてとにかく僕は救われています。どっかに絶対にいるし、いつかは多くの人が気付いてくれる。もちろん反対意見もあるだろうけど、そういうのもひっくるめて、たくさんの人と議論したい。佐々木さんは、「何で坂口君が朝まで生テレビに呼ばれないんだ」と言っていた。呼ばれりゃ出て喚いて叩かれる気満々だけど。K大学は楽しみだ。別館は、隅田川だし、多摩川だしね。そんことを妄想している。昨日の蓮根団子を使って蕎麦を作ってくれた。その後、トロントの祭りに向けてのアイデアスケッチ再び送る。バンクーバーのギャラリストにデータ送る。とにかく、本、0円ハウス、ドローイング、展覧会、全てをごちゃまぜにしてごろごろにタダ前に倒れて転がっていこう。10年後の姿は僕ははっきりと見えている。完全に細部まで詳しく絵にかける。これさえあれば、大丈夫だ。しかも、今回の落ちた体験は10年じゃ足りないと言われていることに気付いた。もっと長いスパン。自分が死ぬまでの人生をどこまでクリアに30歳の時点で創造できるか。これは想像するのではない。頭の中で創造するのである。それさえできれば僕の場合、必ず実現するのであるが、これがなかなか難しい。暇な人はぜひ試して下さい。そのかわり、触感があるくらいに立体的に頭の中に未来の姿を創造するのである。夜は、思考をストップさせて確定申告の紙に書く。って、僕は当然のようにこっちが苦手なのである。それでも一回自分でやってみよう。終って、ピンチョン短編を読みながら寝ると、大体変な夢を見る。

2009年3月10日(火)

(1)昨日遅くまで興奮してしまっており寝不足であるが、自分の体には早起きは三文どころか大変な得であるという小学生以来の修正が染み付いておりつまり早めに起床。で、ディクショナリー用の原稿を描く。と勢い凄くてどんどん進むのであるが、進み過ぎて、これではまた〆切に間に合いそうな分量ではなくなってきたので、すいません、再度伸ばしてもらう、とまだデッドラインまでは十分だとのことで安心して狂ったドローイングに徹する。朝食はハムサンド。最近のお気に入り。昼はスタ丼を家で作る。スタ丼を食べていた、完全にヒッピーまがいの不審人物だった時代の僕を思い出した。ギターをどんな場所にいくにも背中にからっていたな。今の自分が見たら、張り手をするどころかあまりのその人生の棒の振り方に握手を求めるだろう。で、昨日佐々木さんと話していて、僕が何かやろうとおもった一つのきっかけは、亮太から「なんか唐十郎が、人生は棒に振れ、って言ってるらしいよ」という情報を得たからであった。その他の人間が一番おそれているであろう、人生を始めから棒に振るつもりで生きていくという反転した思考は、その当時のまだ開き直り方が不十分で中途半端に学問とエンターテイメントをやろうとして、いつも自分を否定していた僕には救いの言葉に聞こえた。で、佐々木さんから、それどこからの引用なの?と言われても、わからない。知っている人がいたら教えて下さい。で、積極的に人生を棒に振り始めたわけである。そうすると、見えてきたことがあった。それは「まとも」であると言われていることが、どれだけ「狂って」いることだ。人生を棒に振ってるわけだから、我慢することは何一つ無いし、話しかけたい人がいればたとえその人と全く面識が無くても話すし、やったことがない仕事も自信がないと言う前に、平気で「はーい。やりまーす。しかも〆切前に確実に終らせマース」なんて言えるのである。だって棒に振ってんだもん。ということで僕は唐十郎さんが言ったのか書いたのかはたまたただの亮太のデマであったかは知らないけれど、人生は棒に振れということが座右の銘なのである。あと、出る杭になるくらいだったら叩けないところまで出ろ、である。村上春樹さんは壁と卵と例えたが、僕は杭ってことかと思った。杭、しかも、叩けないところまで出る杭なんで、自動的に伸びていく杭である。僕は自分のことを卵と思ったことが一度もない。かと言って別に筋トレしているわけでも、ケンカに強いわけでもないが、卵ではない。佐々木さんと昨日話していてそう思った。壁と卵と杭があって、杭は叩けないところまで伸びている。そこからの眺めはいいなあ、と杭は思うんじゃないか。よく分からんが、佐々木さんと話しているとどんどん発想が生まれるのだ。ありがたいことに。それで全て自分の手柄にしようとするのは表現者の悪いところ。僕にはたくさんの媒介者がいる。それこそが、ここ最近僕がいつも言っている「仕事」というものと、接点を持つそうな予感がする。仕事と労働について書いたら、日記を読んだ方から熱いメールと質問がきたので、こっちも負けて入られないので、長々しいメールで対応した。こういう交信は面白いなと思う。しかも、それがこの国分寺の僕の家では、カナダから、ベルリンから、チェルシーのギャラリーから、ノルウェーで自給自足している人から、バーニングマンで自転車に家を載っけて走る人から、たまたま飛行機で赤ちゃんが離ればなれで乗っていたので変わりますと言って変わった席で出会ったアメリカ人兄弟とはいまだに付き合いがあるし、タイ人の映画監督で自分で自ら0円になってホームレス体験をしながら映像を撮ろうとした人から、とにかくあらゆるところから発信受信が行われている。これこそが新しい時代の生き方であると僕は実感し、確信する。その複雑な状態のままをそのありのまま受け入れること。これこそが重要なテーマなんだと思う。ネットを介し、知り合い、今度はそれがアフリカだろうがなんだろうが、直接自分の足で出向く。この二つの相反するものを同時にこなしながら、遊び続ける。これこそが仕事である。そんなときの空港は、普通の旅行で行く時の空港とは風景が違って見える。自分がSF小説の登場人物のような気分になれる。ギリアムのラズベガスをやっつけろという映画の、主人公二人の旅行しているときの独特の雰囲気はもろにそのことを伝えている。仕事をしろ、労働を捨てることができるほど稼いで仕事に徹しろ。僕はこの映画はサイケデリック映画のように一見思われるが、実は全く違うと思っている。あれは「仕事」というものについてのギリアムの考え方である。あの映画とギリアムの映画のドキュメンタリーである「ロスト・イン・ラ・マンチャ」を同時に見るとよく分かる。彼は自分の働き方に興味を持っている。イラストレーターをしながら、雑誌社に行き、そしてテレビで、漫画からコメディへ、そして映画へ、その「仕事」というものに対しての感覚はブラジルでもそうだと思う。ラズベガスのデュークとゴンゾーの仕事の働き方は僕の憧れでもある。路上を練り歩きながら、そこに冒険を見出し、新幹線のグリーン車に乗って、大学の講演会で無茶苦茶なことをわめき、歌い、CANを聞きながら、宿泊していたホテルのラウンジで、また訳の分からないとんでもない企画の企画書を自分勝手にイラストレーターでしっかりと画像も合わせて作っている。で、K大学がある多摩川河川敷の僕の事務所に戻ると、また変な人間が訪れてきて、、、、ととにかくそんな分裂症の生活をこれからも送っていきたい。とまだまだ朝なのに、こんな調子で大丈夫なのか。お昼はセレブな美女が遊びに来て、フーに結婚指輪の依頼。なぜか僕も入りこんでしまって、ディレクションし始める。本当にこんなやつが横にいたら気が狂いそうだ。偉いぞ、フーちゃん。で、夕食はエビ蓮根団子。これが美味。棒が料理をするのは、もう完全にストップした。この男は、もう仕事だけに完全に集中してくださいと命令が入ったのである。というか、僕がフィリップKディックのエッセイ集の中の文章を読んで聞かせて、そうしたのであるが。ということで指は止まらない。夕食後、精神的なクリニック笑へ。二週間前の状態があんまりで生まれて初めて行ってみる。そこの話が面白すぎた。先生の方がどう考えてもおかしいのである。僕の話に興味を持ってくれたはいいが、僕に本をもってきてと言ったので渡すと、いきなり笑いだし、完全にいっちゃっている。先生、何がおかしいんですか、と訪ね返すと、「ああっ、ごめんごめん。いや、この本面白いね」と楽しんでくれている様子。「というか僕の症状の話を、、、」と思ったがやめた。もう何でもいいなと思えた。先生には立体読書の絵もあげたら、自分も修正ペンを使って絵を描いていると作品を見せられる。マジで面白すぎる。二人で盛り上がる。ここ病院じゃないんでしたっけ?すると、「ちょっと出てて」と言われ、なぜか一度診察終了。そして、次の人が入っていったのであるが、その人はなんと二分ぐらいで出てきたのである。それで薬を処方されて帰っていた。あちゃー。すると、また呼ばれ病室に入って。本を読みながら話をする。話したいだけじゃん、と突っ込みそうになるが、そこでさらけ出すと面白くないので、そのまま話をして帰る。ソファに本が置いてあって、プラド美術館の本だったのだが、「どうぞお持ち帰り下さい」と書いてある、しかし、その下に「でも、下の階の古本屋には売らないでね!」と書いてあるところに、人は不安になるだろうが、僕は信頼した。このオヤジできるな、と。なんだか、変なオヤジばかりに会う毎日だ。最近北尾さんに渡された「ヤバい社会学」というのがあって、フィールドワークをしたい人は必読だと思う。その著者が僕と同じ心意気だったので、僕は50ページだけ読んで弟に渡したのであるが、この人はコカインの密売をするアパートの中に入り込んでフィールドワークするのであるが、コカインというのは当然違法なので、悩むわけである。しかし、それを社会学者だからこそそれをするのだ、と自分を納得させ調査を始める。そこに共感し、僕もこうなったらどんどんやっていこうと思った。どんなものと向かい合っても、全ての既成概念を捨て去り、意識的にも無意識的にも捨て去り、まんまで見る。見入る。そして、懐へ一気に入る。カウンターなんて狙わない、懐に入って、しかも、パンチを打たない。すると、相手は驚く、そこで本質的なボイスを発する。そうすると、相手から、本当の言葉が聞けるということを僕は今までの体験から学んだ。それをもっと追求していこう。今、会わなければいけない不確定で複雑系で超個人的な多様性を無限大に含んでいる人間は実は、無数にこの東京、日本中、世界中にいる。それを全て、レコーディングするのだ。それをまるで、ブライアン・ジョーンズのジャジュカのように空間立体物として表に出し、自分でそれが一体何を意味しているのかを考えたい。そして、それをフィルスペクター化してどのようにポップに本という商品にするのか、そこが一番興味があるところだ。しかし、最終的に自分がやりたいのは、自分というメディアだと思う。自分が動いているということが、そのままメディアとして情報を発信しているような状態。僕はそれを今は、友人や、または知り合いの編集者、そしてギャラリスト、コレクターにやっているが、それをもっと多くの人々に対して、本を持ちながら、話しながら、歌いながら、空間を作るという作業とは一体何なのだろうと、クリニックの帰りに、一人で焼き鳥屋「角屋」で恵比寿生麦酒を飲みながら考えたのは、そういう一人ショーようなものをやれば面白いんじゃないだろうかと今考えている。この前、アートディレクターのミネちゃんと興奮して話していたのは、こういうことだった。「坂口恭平ショー」そんなサーカスのような講演会のようなライブコンサートのような子供劇のようなのっぽのようでもあり、ヴァンモリソンのような、レーモンルーセルが上演した「アフリカの印象」のようでもあり、琵琶法師でもあり、明石家さんまのようでもある、全天候型歌って踊れるエンターテイメント建築探検家としての活動を、これからは大きな視点でもって、海外全ての国で上演できるように考えていきたい。まずは、国分寺市の公民館から始めたいと思う。K大学も設立しようとしているというのに、また新しく自分のやることをつくりだそうとしている。一体これは何なのか。頭の中は確実にSF化されている。佐々木さんとSF書けばと言っていたことを思い出すが、もうこの生活自体がそうなのかもしれない。(2)K大学について。これについて考えていきたいと思う。この大学は、何かを勉強する場所ではない。なぜなら、勉強なんて自分でするものだからだ。僕が大学に行って一番良かったことは、とにかくレールから外れることを恐れ、どうにかルールの中で人と同じように、でも人より少しだけ自分の方がいい状態にいれるようにと教えられて大学にきてしまった他の人たちと全く違うことをすれば、僕はいつかは仕事が成立すると思っていた。それくらい人々の思考が単純であった。つまり、持っている物は無限大に複雑であるように、僕には見えるのに、その人はどこどこへ就職した、こういう課題でこういう設計をしてみました、なんて言うのである。僕からしたら、君はこんなに複雑なんだから、それをそのまま表現して社会にアピールすればいいじゃないかと思えるのに。その時から、K大学の構想はあった。これはただ一つである。あなたは何かの才能がある。だから、それだけをして生きていけるようになるために背中を押すためだけの場所。人間は実はその人しか持っていない複雑な思考を持っている。それだけをフル活用すればじつは一番効率よくそのマシンである自分の体を動かすことができる。それができれば、つまりできないことは何もないのである。しかし、人間はそれが出来ないと早々と納得し、単純な労働に従事する。しかも、その単純な労働の少しでも複雑なものをしたいなどというあまりにも非論理的なことをする。複雑でやりがいのあることをするなら、自分のもっているものに気付けばいいじゃないか。そして、それはたぶん兄弟や近しい友人に聞けば一発で出てくるような超単純なことであることが多い。しかし、それができない。なぜか。答えは単純である。それは他人がその人の持っている複雑な知性に気付いていないからである。僕が考えているのはそれだけである。芸術家や作家が死んだあとに評価されるのはそのためである。つまり、死という多くの人が興味を惹くようなイベントがあれば、その人の持っているその人しかできない複雑な知性に触れることができるからだ。僕がK大学でやっていきたいのはそのことの研究、実行、実現である。まず入学試験は、その人が自分の特性に気付けるか。気付ければ合格である。次に、ではそれをどのようにして広めていくか。単純にその複雑な知性に気付きさえすれば、あとはそれを多くの人が認知することで、それが仕事となっていく。それは今の僕の仕事を見れば一目瞭然である。僕は言っていることは、多少の洗練はされたが、18歳の時から、言ってみれば、小学生時代から一切変化がない。しかし、大学中には僕がやっていることは教授も学生も理解することができなかった。しかし、本が出て、海外で展覧会をして、また本が出て、新聞が取り上げ、テレビに出て、映画化もされ、となってくると、人は気付くのである。それは僕はあまりにも単純すぎて、悲しくなるのであるが。大衆とはそういうものである。僕がいう大衆というのは人がいいというものを、良いと思い込む人である。しかし、人間にはそうではない人が実は無数にいる。僕はその人たちのおかげで、小学生時代に一人で学級新聞をつくることを許してくれたり、親に建築家になればと教えてもらったり、高校時代にシャガールの展覧会を見に、授業をさぼったら、英語の黒田先生から、いいねえ、でもブラーのベーシストもロンドン大学のゴールドスミス・カレッジ出てるんだよ、お前も芸術と学問を同時に進行させろと持っていたPARKLIFEを見ながら言われたり、大学には石山修武氏が、僕がやっている無茶苦茶な破壊活動をやはり未来的であると褒めてくれたし、リトルモアは僕の本を初めて出してくれた。これはホント300万円ドブに投げ捨てるようなものだったのではないか。しかし、何か希望を感じてくれたのである。その後、僕は本を持って新聞社にどんどん殴り込んだのだが、朝日新聞の矢部さんだけが有楽町のふかふかの絨毯の上でインタビューして、そういうところがあることを教えてくれたし、しかも、あなたは絶対に大きくなる、いつか何かをしでかす、と言ってくれた。その人が、食事しようと誘ってくれて話した、内容が鈴木さんの話で、その場でAERAの特集で5ページ分もくれた。それがもとでまた本になり、それが今のこの広がりのまた発端にもなっている。こんなこと労働していたら永遠に会うことができない。もちろん、そのとき、僕は早稲田大学理工学部建築学科という普通に考えたらとんでもなく良いところを卒業をしたんだろうけど、僕は築地市場で先輩に本気で頭叩かれながら教えてもらっていた。ああ、さすが棒に振った人生だなと思って、死にたくもなったが、そんなことならやるしかないだろうと、とにかく出版社を回ったのだ。それは本当に、自分を理解してくる人を探す旅で、それにより、自分に気付いてきた旅だった。そして、それはまだまだはじまったばかりで、僕の壮大な構想は、もっととんでもないところにある。それはまだ口にしないほうがいいだろう。でも、少しずつ実現していく。必ず。僕のもう無くなったリスペクとし続けていた祖父は二人で車に乗っているときにいつも言ってくれた「お前は才能がある。何かを変える才能がある。だから、学校の成績がいいんだ」がいつも頭をよぎる。それを僕は学校の成績がいいのは問題ではないんだ。やはり、その先があるんだ、と言われているように感じていた。というように人が気付くということだけが重要なのである。勉強はすべて私淑で十分なのだ。だから、K大学では、とにかく自分の特性に気付き、それを実行する時に、ただ背中を押し、それが実現すれば卒業、というものにしたいのだ。しかし、こんな学校ないだろ、ばかやろー、と世の全ての教育者に対して僕は言いたい。気付くのは、「生きているだけで幸せ」なんてことじゃないのだ。「お前には何かを変える複雑な知性がある」ということを感じさせないと。だって、僕はそれをいつも感じさせられてきた。それが僕の自信なのである。だから、本が売れなくても、関係無いのである。読んでくれた人は僕に直接的な反応をくれた。それだけで十分だ。こちらは湧き水のごとく永遠に回転を止めないのだから。K大学では、僕が今まで受けて来た数々の自分が複雑な知性を持っているんだと感じさせてくれたことを、それをむしろ教育のド真ん中にできないかという僕の無数にある実験の内の一つだ。一体いつまで書き続けるというのか。誰が読むとかというよりも、自分のためのスケッチとして、今日の日記は書く。というかこれからもずっとそうやっていこう。書いていけないことなどない。全てを書こうか、と思い始める。ドローイングの方は乗ってます。とんでもないものができるかもしれない。

2009年3月9日(月)

年明け早々行くところまで落ち込んで自分では再起不能と思い込んでいたのが、くるりと反転して今では24時間時間が過ぎるのが惜しいほど活動的になっている。一体オレはどうなってるんだ。しかし、そのことを巧く利用していかないことには、この自分の体がもったいない。ということで、今日もまたやはりどんどんと突き進むのである。朝はゆっくりと起きてアオをずっとタカイタカイしてた。このタカイタカイ、なんで子供は好きなんだろうね。それが高い高いじゃなくて、他界他界ってことなのかなんて妄想も走る。で、他界って言葉を見てみると、山上他界、海上他界、地中他界というのがあって、それぞれ山は羽衣伝説、海はニライカナイ、竜宮伝説、地中は黄泉などのキーワードが出てきて、一人でアオをタカイタカイしながら考える。なんでこんなに笑ってるんだろう。最近教えているベビーサインの「もっともっと」を意味する。手と手を胸の前で合わせる動作を繰り返している。いやいやこれは考え過ぎだな。しかし、乞食、いや違う古事記にもイザナギがイザナミを黄泉の国に行って連れて帰る話があるらしいじゃないか。なんだかあらゆる言葉が頭の中で混ざり合っているが、とりあえずフーが作ってくれたハムサンドと珈琲をタンゴも引き続き四人で食べる。今日はDICTIONARYのための漫画の作製に取り掛かろうとするが、やはりアオが気になり、まるで仕事にならない。もう仕方が無いので昼まで仕事中断。やきそばを食べ再開。新しいアイデアは僕をもっと創造的にさせてくれたのでシャープペンは進む。カリカリとやってはフーに確認してもらう。今はフル回転すぎて自分だけではなかなか判断ができない。他者の意見をとにかく貪欲に取り入れる必要がある。午後6時頃2ページ分の下書きが出来上がる。これは時間がかかりそうなので、編集の西野入さんに電話して〆切を少しだけ伸ばしてもらう。あと2ページ下書き描いて、全部のペン入れも含め明日の午後4時までに仕上げる。明日の確定申告は延期かな。午後7時にコヨーテの佐々木さんはハロー!ワークス第6回目のドローイング原画を取りにきてくれたので駅前に行く。ちょっと一杯飲みますかということになり、初めて行く居酒屋まっちゃんへ、かなり名物居酒屋のようだ。中に入って一目瞭然。なんか今の僕の直感とシンクロし、嬉しくなって瓶麦酒大で乾杯し、ゲラも渡される。0泊の屋久島の打ち合わせ。行けるかどうか。30分だけ足りない。どうしようか、ま、鹿児島でもいいか、もう何でもいい。どこかとにかく遠くへ行って、見て掴んで帰ってきますと言う。ただ今回は新幹線に乗りたいのだ。そういうワガママもたまには許してもらおう。帰って仕事するどころか盛り上がり、追加注文していると、一人の良い顔したオヤジがこっちへ来て、「兄ちゃん、あんまり年上の人をいじめちゃ駄目だよ」と言う。それが冗談でいっているのが分かり、このオヤジただものではないと直感。で、「おやっさん、面白すぎるんですけど、どこで働いているんですか?」すると、奇跡的な言葉が躍り出た。それを人はボイスというのだろう。「んー、610m」「610mって一体何ですか?店の名前ですか?」「新東京タワーだよ。あたしは鳶だよ。東京タワーのライトもあたしが交換してるよ」とのこと。ハロー!ワークスの次なる刺客が向こうから飛び込んできて、僕と佐々木さん同時に絶句笑。「あの、連絡先教えて下さい」「んー、国立のキタさんって言えば、誰でも知ってるから、また会えるよ」「610メートルに僕も行きたいんですけど」「おれが何とか言えば何とかなるかもね」「これこそ社会っすね」と僕は興奮した。人間と人間が完全に偶然に必然に了解して出会う。そこに説明はいらない。やっぱり開いている時は僕の場合こうなるのである。顔に出てるんだろうな。オモロい人間に会いたいと。で、佐々木さんとはついついもう一軒行きましょうということで当然BAR HEATHへ。ラガウ゛ーリンのとんでもないの下さい、とオーダー。7年ものの樽買いしているものをストレートで飲んで、二人で唸る。美味。荒々しい。けど甘い。その後、もう一杯、ラガウ゛ーリンの上質な方も飲んだ。こちらはまだ僕には早いかも。佐々木さんととにかく話し込む。ここまで真剣に語り合えるというのも僕は幸せもんかもしれん。よくも僕の回りにはよき理解者がいるものだ。とにかくこれは本気で僕も仕事をしなければ、したい、したい、と佐々木さんの思うツボかもしれないが、思う。どこかには必ずいるのだ。自分しかできないことを表現した時に、きちんと反応してくれる人が。すいません、今日もまた熱く長くなっている。しかし、今回は本当に気付いた。年明けから考えて悩んでいたことは実は次のステージのための準備期間だったんだろう。ハザマの言った通りになった。ジャンプする前にしゃがめ。しかし、それにしても落ちるまで落ちたがね。家族にはえらい迷惑かけたから。80歳まで生きようと思った。で、表現は枯れるまでやり切り、それで枯れたら、それでいいじゃないか、あとは日雇い肉体労働でもしながら、気合い入れて労働しよう、それまではとにかくやり切ろうと思った。誰も考えつかない、しかも自分も考えつかない、ところまで行ってみようじゃないかい。そして、それはとても楽しい作業なんじゃないかと、今回の落ち込み作業を経て、ようやく自分は気付けたんじゃなかろうか。作ることは実はそんなに苦しいことではない。それを体感できたのはデカイ。今回は結果オーライ。佐々木さんと別れ、立ち小便をしていたらその木は桜で、しかも、雨は降っていたが、花が咲いていて、まあ酔っ払っていたのであろうが、というか今も酔っ払っているが、妙に嬉しくなった。サクラの語源が、咲く、ではなく、裂くで、花びらの先っちょが裂けているからであると、赤瀬川さんの無言の前衛という本に書いてあって、その日本人の花全体を見るのではなく、花びら一枚を見ている縮小感覚を、どこかから引用されていたのであるが、それを引用するということに、やっぱり僕は何か心強いものを感じ、家に帰ると、フーがまた24を見てた。僕はもう完全に乗り遅れてしまったが、彼女はまだCTUの中にいるらしい。

2009年3月8日(日)

午前9時起床。漫画描こうとするが、どうにも進まない。やっぱり立体読書的に書いていったほうが自分の力を巧くだせそうな気がしてきたので少し方向転換。ってもう時間がない。9日まで。間に合うか。今日は一日それをやろうとするが、音楽が頭から離れない。いつもそうだ。一番早く終らせたいのに、それをしようとすると他の発想が浮かぶ。もうこれは仕方無い。で、トミーにこの前教えてもらった、カリンバ奏者のHIROYUKI氏凄い。それと、相対性理論。地獄先生とかバーモントキッスとか。いつもやっぱり遅いな僕は。だけど、これが売れているというのは楽しみな時代だと思う。僕はWIREの12XUとかはっぴいえんどの氷雨月のスケッチとかThe SlitsのTypical girlsとか23skidooのCOUPなどを勝手に思い浮かべ創作意欲が増す。ポップミュージック作る人はやっぱり凄いな。フィルスペクターも頭をよぎる。一方裏にはこのような狂気があるもんな。と、こうしてはいられない。4ページ分の絵を描かないと。アオが紙をくしゃくしゃしてリズム作り出すので、カリンバを弾いてセッションしてしまう。いやいや戻ろう。アイデアは固まる。午後7時半に西荻窪へ。光文社の山川さんといつもお世話になっている不動産業者の人と三人でジョナサンで生麦酒飲みながら新連載についての取材。色々と構想を得る。不動産を通さずに自分の空想するような賃貸物件をどのようにして見つけることができるのかということを連載の芯にして、面白い事例をいくつか見せることができればいいと思う。面白くなりそうだ。賃貸というのはほとんどの人間が関係あることなのでそういうサイトを作ったらいいかもしれない。その後、亮太の家に寄って自己紹介して帰ってくる。タンゴがアオに会いに遊びに来ていた。LOVEずっきゅん聞きながらウィスキー飲みながら話す。午前2時ごろ寝る。

2009年3月7日(土)(後半)

午前7時起床し、ベーコンエッグサンドを食べ作業。光が気持ちいい。午前中原稿の直し、チェック。どうにか進ませようと必死になって書いているところは、やはり読みづらい。もちろん、それがうまくいく時もある。その辺のバランスが難しい。しっかりと、書こう言おうとしているものがはっきりしているとやはり文章もシンプルになり、しかも的確であることが多い。僕はやっぱり分かりやすい言葉で書き続けたい。回りくどくなっているところを直していく。その後、新しい動きについての考える。自分が企画したことはこのご時世、難しいとの返答が帰ってくる。大企業はやはり今、大変なのである。逆に何も初期費用がいらない、個人というものが一番強い時なのかもしれない。もちろん、しっかりとしたアイデア、実行力が必要だろう。僕が提案したのは東京のド真ん中で路上生活の達人である東の鈴木さん、西の船越さんを迎え、東京中の解体業者と提携し、廃材を集め、0円で家を作りそこで自給自足、雨水を利用し、ソーラー発電し、12ボルト電化生活を実践し、人々が自由にそれを見学、体験、さらには区画を区民農園のごとく借りてそこに集められた廃材で0円で住宅を作ることができるという実験都市を作ろうというもの。そこは生活についての研究所でもあり、学校でもある。とにかく自力で生きていく方法を見つけ出す場所である。こういうことは学生の時から考えていたのであるが、最近は少しリアリティが出てきたように思える。50歳ぐらいになったら本当に実現するんじゃなかろうか。とりあえず、一足先に僕自身だけで多摩川に実験住宅を作ることにした。それを記録し、映像化、書籍化して、それをもう一度世に問うてみよう。簡単には諦めん。しかもその企業の方も何か見つかったら連絡してくれるとのこと。ありがたい限りである。人間が土地というものを所有するということが、どれだけナンセンスか、そして人間に一番必要な家というものが一番高い商品であるということがどれだけ人間の本質から外れているか、どうして僕の先人たちはそれを疑問視し、考えていこうとして来なかったのかが不思議なのだが、僕はやはりそこれこそが一番考えていきたいことなのだ。この二つのナンセンスから解き放たれたとき、人はようやく自分が生きていくのにどれだけのお金が必要で、エネルギーが必要かようやくわかるんじゃなかろうか。そして、自分にしかできない仕事をやり始めるのではないだろうか。まあもう焦っても仕方がないことだけは先日がっくり落ち込んで理解できたので、今度はゆっくりする。黙々とする。しかし、確実に前に進ませる。大学で一緒に建築を勉強してきた人たちで、こういうことを考えようとする人間が全くいない。それが今の現状を物語っている。しかし、数人の書籍編集者、映画監督、海外の美術館と全く違う分野の人たちが反応してくれている。つまり、今までのカテゴリーではない仕事の繋がりが何かを変えるきっかけになるんだろう。僕は今、面白くなって来ていると実感している。ようやく、10年前に吠えていたことが、幸か不幸か現実に起こってきているのだから。お昼からはフーアオと散歩。歩きまくる。アオは乾杯、もっとちょうだい、おっぱいなどを意志表示して、サインを送っている。それを見ていると、アフリカで言葉も通じないのに、何だか面白くなっちゃって、みんなで歌い始めたり踊ったりしたことを思い出した。そういうグルーヴで会話をしようとすると、赤ん坊は反応する。一拍遅らせたり、裏打ちで行くと乗る。音楽に近いのかも知れん。まッ自分の娘しか分からんが。ひょうたん島という喫茶店に行く。本当にひょっこりひょうたん島の人形を操っていた女性がやっている古い喫茶店。居心地がよくて長居する。国立の煙草屋がいつも気になっていたので入る。おばちゃんにスコッチ好きなら葉巻よ、と押しに押され、葉巻初心者セットを購入してしまう。帰ってきて、すきやきが食べたくなったので牛肉じゃなくて鳥団子でやってみた。大当たり美味。夜はコヨーテハロー!ワークスの挿絵。完成。なかなかこの連載も育ってきて面白くなってきた。その後、DICTIONARYの漫画を考える。また新しいアイデアがでてきたのでそっちで行ってみることに。しかし、もう午前4時になっている。時間が足りん。

2009年3月7日(土)(前半)

徐々にしょこたんブログ化しようとしているこの0円ハウスseason2。国分寺のジャックバウワーはただいま午前7時起床しました。昨日考えたことを寝ている間に色々と新規フォルダに名前を付けていれて、デスクトップを一応まっさらにしました。僕は脳で記憶はしていると思うんですが、体に古傷が結構ありまして、そこが記憶の引き出しになっている。左手の昔誤ってカッターで切ったところ、左足の幼稚園のお遊戯の時間に輪になってみんなでグルグル回っていたのだが、ハイテンションになり過ぎて他の園児の三倍速で回ってしまい、案の定、滑ってしまってママゴト用の木製キッチンの角に膝が激突。そのまま原外科に連れて行かれ、縫われた傷。あのときの手術台の上の映像は今も忘れられん。右足の良性ひ骨腫瘍の時の手術で切られた傷。下腹部右のその腫瘍の手術の時に腰の骨を削って移植したのだがそのときの傷、その横には腹が痛くて野球部の先生にじゃあ正露丸だと言われ飲んで試合に出たけどどう考えても正露丸で効くような痛さではなく、くたばってしまって、でベンチで休めばいいものをランナーコーチやってしまい、「リーリー」とか言っていたら恵みの雨、ホント幸運なことにそこで試合中止になって病院いったら盲腸破裂して腹膜炎になっていた。その時の手術の後と、膿を出すために開けられた穴。またこの病院の看護婦さんたちは素晴らしかったのだが、医者は少しヤブでその後病院は潰れてこちらはその廃墟を見てしばし冷や汗が出た。幼少期にとって傷、それも手術ばりの傷というのはおそらく印象的なのだろう。そのためにそこが記憶管理部になっているのである。しかし、そこには傷に関わる記憶だけでなく、その周辺、もしくは何らかの関連性を持つ記憶などが、詰められているような気がする。だから、やっぱり脳より、体なんだよなと今起きて思った。だから、僕がとにかく街をアジェに憧れ歩き続けたいと思うのもそれだと思う。傷だけでなく、指にも皮膚にも足にもお尻にもおそらく体験を記憶する引き出しがあるんだろう。それを忘れて脳を鍛えるためにDSとかQさま!とかばっかり見てたら駄目だぞ、少年少女。指の関節にも知覚があるぞたぶん。僕、科学者じゃないからわからないけど。さて、今日は今から春秋社の原稿をまとめて、二日後に迫ったクラブキングDICTIONARYのための漫画5ページを仕上げる。後は、ハロー!ワークスのための挿絵。この三点セットをやって下さい。ハイ、朝の会議終了。仕事はじめっ。定時に起き、定時に食事が出て、それ以外は仕事をして、夜は少し休憩して、また寝るという完全にルールに縛られた生活を繰り返したい。それじゃルーセルじゃないか。彼は着ている服も靴下もネクタイも曜日ごとに決め、数回着ると捨てて新しい同じ物を買っていたと記憶している。僕はそんなにリッチじゃないからできないけど、できることなら、それもしたい。あっ今目標が出来た。それを実現するように頑張ればいいのか。ルールだけに従ったルーティンの中でしか創造の火起こしは出来ない。さあ書こう描こう歌おう。それと、今度四月に京都でトーク&ライブします。京都精華大学の講演会に僕を奇跡的に呼ぶことに成功させた須川女史たちが活動しているhanareの三周年パーティーにて。詳細はトップに上げました。それとデビットバーンの今月のラジオはヤバいですよ。old school gospelって。それかけながら仕事しましょう。

2009年3月6日(金)(後半)

ということで、日記初の前後半で一日を分けるという荒業に躍り出たわけでありますが、やり過ぎです。と客観的な自分が伝令を伝えるためにマウンドに駆け寄る。「半ば自動筆記的になって来ていると思いますが、どうですか、まだいけますか?」「しかし、全く机の上から動かずにいて疲れないというのもおかしい」「分かりました監督に伝えておきます」ということで、リリーフ入れていきます。冷静なやつを。過去に描いた絵をまとめる。アオと遊ぶ。アオは本と遊ぶのが好きなのだが、といっても僕の部屋で仕事しながら付き合っているので本しかそこらへんにないのだが、中沢新一氏の「森のバロック」を加えて、カバーをむしり取っている。そして内ジャケを初めて見てビビった。粘菌が凸凹に印刷されていた。アオに感謝。今、彼女はよく、物を剥ぎ取る作業を繰り返しているのだが、それを見ながらよくはっとしている。知らず知らずのうちに自分たちで知ったものと分かったものと思い込んでいるものを、彼女は剥ぎ取ろうとしているように思えてならない。キン肉マンがマスクを剥ぎ取る瞬間の、そこだけいきなりシリアスになるゆでたまご先生の意味深な一コマはなんだか今でも記憶に残っているもんな。そういえば、あの時のシリアスなシーンは、僕は岩明均氏のヒストリエの中の空気感と共通点を感じるがそれは考え過ぎだろうか。ということを考えながら、とにかく執筆を続けていたら、どんどんアイデアが浮かんで来ているのでこれはとても収拾がつかない。とにかくこういう時はノートに箇条書きである。しかも、ちゃんと罫線の中に書くことがポイント。そう言う小さな作業に丁寧さを持ち込むと僕の場合、思考がまとまる。で、立体読書の新作を欲しいと言ってくれた人にまた送り、さらに次の作品の構想。アンジェラとメールで連絡し、今度は横光利一の「街の底」じゃないですかねえとなる。これもまたいいんだよね。って、話が良いとかよりも空間が、ですからね。よし、決めた。次はこれで行こう。三月にはアンジェラは上海で僕の立体読書の絵を学会の発表で使用するらしい。面白い反応が来るといい。立体読書もやりたいとおもっていたのは2004年だから、ホントに馬鹿みたいに時間がかかってようやく今、自分の中で人格を持って付き合えているような気がする。その後、コヨーテ「ハロー!ワークス第6回」に取り掛かる。今回はまた凄い人にあったので、その人との出会いの興奮の先走りしてしまっていると思う。しかし、原稿はやはり自動的に出来上がる。どうかな。佐々木さんに送信。5500字。日記だけでも相当な文字書いているんですけど、一体僕は何をそこまで書きたいのだろうか。僕は今まで、作家の人がよく言う、「本を読まないと、本は書けない」という言葉にコンプレックスを感じていた。だった、僕には幼少のころからの特別な読書体験もないし、小学生時代はずっと漫画だし、そりゃ芥川とルパンだけは両親が文学集買ってくれたから読んだけど、中学生、高校生に至ってはほとんど読んだ記憶が無い。弟が楽しそうに読んでいて憧れたものだ。僕も本とかを一丁前に一人でゆっくり味わいながら読める人間になりたいと思って来た。で、それが今でもできずじまいで、先ほど書いた「本を読まないと、本は書けない」というよく言う言葉に結構うなされる。でも、本当にそうなのかと考えてみると、いや、そうではないのではないかと思えるのである。それよりも、必要なのは、机の上で本読んでいるよりも、体全体使ってTAKIMI KENJIに反応して踊っている方が、隅田川で鈴木さんと焼酎飲み過ぎてふらふらになって森進一聞いたりしていた方が絶対に書けるはずだと思う。僕は。だから、それで突っ走ることにした。興味の無いものを知識としていれるよりも、興味のあることだけを完全に、そして、自分の言葉で受け入れ、そして書き記す方が、僕のやり方としては合っているな、と今さら考えている。どうやったら自分の才能を完全に開放系にできるのか。最近のテーマはそこに限る。しかし、そこにはじつはただ思っていることを全部吐き出せば良いというのではないはずだ。何らかの抑圧が必要のはずだ。ホースの水を遠くに飛ばすときにちょっとホースを押し潰す感じか。懐かしいバンクーバーのポールからメールが来て、なんとなくほっとした。信頼できるアーティストから連絡が来るとほっとする。エココロ校正。送信。光文社賃貸の連載が決まる。馴染みの不動産に電話して協力をお願いする。別に家を借りるわけでもないのに、どんどん協力してくれるTさん。本当に涙ものです。明後日西荻で打ち合わせまでしてくれることに。やっぱり戎かな?ということで、音楽的に閃き、しばし、考え、友人たちにアイデアを聴く。最近さすがに長過ぎる。もうちょっと短くしていきたい。

2009年3月6日(金)(前半)

午前3時からまた原稿書いていたら朝になったので、とにかく寝てまた午前9時に起きて朝食を食べて思考。だからー。駄目ですよー。そんなにまた激しく熱くなったら。と自分に声をかけるが、しかし、とまらない。フーに常に、今、これやり過ぎではないかと、尋ねてながら作業をしている。どんどん発想が浮かんでいる。これはどうしたもんか。フーに後ろに立ってもらいながら、浮かんだことを書いている。口に出して読み、一つ一つ確認してもらっている。日記は一人で自由に書いてますが笑。何を書いていたのかというと、ある壮大な計画の企画書。本当、最近企画書作家になってしまっている僕ですが、昨日の取材での体験を元に、やはり一番やりたいと思ってきた企画を、大企業の以前一度だけ会って語り合った役員の方にメールで送った。いや、この時代ではまったく肌の合わない、場違いな熱さかもしれん、これは。しかし、宮本から君へを北尾さんにまたまたもらって盛り上がっている僕は、叩かれても叩かれても前に倒れ込む彼の姿勢に共感し、とうか、勝手に、「宮本から君へ」じゃなくて「宮本は、実はオレだ」と勝手になっている。この計画実現すれば奇跡が起きるはずである。今、派遣社員が解雇され、次は正社員がたぶん解雇されははじめるんだろうけど、僕なんてずっと解雇状態だからなあ。仕事は自分で企画して、人に見せて作るものである。労働というのは人から頼まれてするものである。その二つは実は似ているようで全く違うのである。だから、解雇された人が新しい労働を見つけたとしても、僕としては解決になっていないということになる。それではなく、自分自身の「仕事」が一体何なのかということに気付き、そしてそれを向上し、進ませて、一生止めずに突き進むと言う思考にならない限り、また景気が良くなったら、派遣労働し、不景気になったら、切られて落ち込むという思考になるのだ。それは、自分の「仕事」に気付いていないのだ。では「仕事」というものは何なのか、それは僕の弟を例に挙げて言えば、亮太は、現在出版社で勤務している。それは労働である。しかし、彼は僕の家に彼が読んで気に入った本、音楽などをどんどん持ってきてくれる。そして、何より、ファッションセンスが天才だと僕は思っているのだが、亮太が来ている服は僕の創作意欲を駆り立てるもので、僕の服は全て亮太からのお下がりならぬ、お上がりなのである。僕は自分のファッションセンスを全く信用していない。というかそんなセンスがあったら文章や絵なんか僕は作れない。それは僕の仕事じゃないのだ。しかし、亮太は違う。あいつの選ぶものは、控えめで、でもそれだけでなくちょっと強くで、色の選び方が絶妙で何色となかなか言い当てられないものを持ってくる。で、それが僕の考えている「仕事」なのである。彼はものを選別、調達してくるというクリエイションを日々行っている。だから亮太は既に自分の仕事を持っているのである。僕が年収がたくさんあれば、彼に月百万円で選別調達を仕事としてやってもらうのである。それは労働ではない。しかし、仕事というのはこの社会ではなかなか経済的に成立させるのは難しく、労働というものをしなくてはいけない。でも、それはそれでいいのである。自分の仕事というものをしっかりと自覚して、向上させることを目的に生きることができれば、どんな労働でも楽しんでやれるだろう。だって仕事という創造的なものは何がヒントになるのか分からないのである。亮太で言えば、会社での仕事全てが、自分の選別調達のためのヒントとなり、しかも給料まで貰える。つまり、自分に合った仕事ができてない、などというのはまず論理的に間違っているわけである。仕事というのは探すものではなく、もう既にあなたにあるものである。人に聞いてみればいいのだ。僕の得意なところって何ですかね?って、そしたら簡単に答えてくれると思う。料理が美味しい、とか、困ったときに相談してもそうだよねーとか適当に言ってくれるから気が楽になれる、とか、初めての人と会う時には絶対連れて行きたい人、とか色々あると思うが、それこそが「仕事」である。僕の中の考えでは。自分に合った仕事を見つけようとしているのはメガネをかけたままメガネを探しているようなもんである。さらに、自分に合った労働なんて見つかる筈がない。と僕は思う。というかそんなの関係ないじゃないか。自分が持っている、生まれた時から宿命的に持っている「仕事」が何であるかさえ気付くことがでいたら、後は、それで稼げなくても、どんどん労働して「仕事」を潤滑に研究できるようにお金を稼げばいいのではないか。何でも楽しいはずである。だって、自分が一番追い求めていきたい仕事はもう既に頭の中にあるのだから。どんな過酷な労働の中にも人はヒントを見つけようとする。よく作家や芸術家で肉体労働をしていたという人がいるが、それはそのままそういうことである。仕事を持っているのだから、後は労働は何でもいいのである。ただちょっと食っていける金があれば。そこで重要なのは、じゃあそのままでいいのかというとそうではなくて、「仕事」は定年などなく、永遠に進歩させ続ける可能性を持っているので、それはいつか必ず花開くのである。稼げるということを言っているのではない。花開くのである。それは完全な充足である。しかし、なかなか「仕事」というものがそういうポテンシャルを持っていることは気付かれていない。だって、すぐ結果が出て来ないもん。というわけで労働に向かってしまう。そこで自分の「仕事」を見つけようとしてしまう。そしていつのまにか労働という社会的な構造に巻き込まれてしまう。それで解雇になって、もう駄目だと言ってしまう。そんなところには「仕事」はないのである。だって、探すのではなく、自分の中にしかないのだから。胸のうちに「仕事」をもっているハッピーな人間は金がなけりゃ、ちょっと寂しくなるが、ならまた労働をさがすのだ。フロムエーのウェブにある無数のバイトでもしながらでもいいのだ。仕事に気付いた人間は、労働はどんなものでもモチベーション高く素直にできるのである。全部仕事に結びつくのだから。しかも、そういう完全に開放された状態で労働の世界にいると、隣の人間との比較が無くなるために、必然的に労働というチームワークの中で知らず知らずに重要な役になっていく。だって無欲だもん。上司に好かれる。だって、対抗心ないもん。よって給料が上がる、かは最近の会社じゃ分かりませんが、そんな人をクビにはしない。必要な人材は会社は絶対にクビにしないはずだ。人はすぐ夢を描く。しかし、夢なんて無い。現実の中で自分に与えられた仕事に気付き、それを最大限に向上させていくという行為こそが、これからの複雑で多焦点の世界で生きていく方法なのだと思う。今度は、そういったことを書いてみたい、いや、これは一瞬にして書いてみたい、さらに太田出版も書かなくちゃいけないので、どうにかどこかで集中して書きたいと思っていたら、そういえば僕は労働としてヒルトン東京で働いていたので先輩に電話して聞いてみた。よく考えたら、僕はヒルトンに配膳で入社した時から、自分は仕事を持っていますと吠えていたもんな、ただの馬鹿だ。それで、平気で一ヶ月も休んで海外の展覧会とか、執筆してた。それでも仕事に気付いていたから、労働も無茶苦茶楽しんでやっていた。そしたらチップが凄かった。チップというのは面白くて、労働に対して払われるのではない、それは僕がここで言っている「仕事」に対して払われるのである。つまり、人から依頼されただけの労働ではなく、自分の内的必然性から生まれてきた行為に対して。これが仕事の本質かもしれない。チップ論。労働は働いた時間に対して払われるが、仕事はそうではない。そこにこそ希望がある。しかも、それが希望ある最大の理由は、今現状の自分の状態を何一つ変える必要がない、ということだ。どんな労働をやっている人でもいい、今、無職の人間でもいい。自分に与えられた仕事に気付き、分からなければ人に聞いて教えてもらい、それを向上しながら、人間の義務である労働を開放的にやる。これは僕は何で発想を思いついたかというと、それは路上生活者である鈴木さんなのである。彼は生活をしていく事自体が、仕事だと気付いたのである。それが面白くてたまらない。だから毎日向上する。常に自分はエッジの部分でいる。だから、労働であるアルミ缶集めもモチベーションが高いのである。しかし、端からみたら、みっともないとか言う人もいるのである。しかし、そう言う人たちは仕事と労働が同一線上にはないことに気付いていないので、あれが、仕事なんだ、ああいう人生なのだ、と思ってしまう。ところが、仕事というのは労働と同じレイヤーにはいない。それは人の心のもっと奥深くにあるそれでいて親しみやすく、回りの友人であればすぐに気付ける、その人の特性のことなのだ。それを無視するからいけない。三月中旬にホテルを予約した。自ら勝手にカンヅメになることにした。自ら誰からも頼まれることなく突き進むもの、それこそが仕事であり、それはどんな人にも備わっている唯一のプレゼントだと僕はそう思うのである。そこに気付けば、今問題になっている、雇用、経済、精神的疾患の問題などもよく理解できるようになってくるのではないか。あれは仕事を与えたり、景気を良くしたり、仕事を休ませたりして、治るようなものじゃない。人間の根源的な本来誰しもが持っているエネルギーに気付いていないのだ。ということを、僕は路上生活者である、鈴木さんや多摩川のロビンソンクルーソーに気付かされたのである。僕自体もそのことに気付いていたが、うまく言葉で言い表せなかった。なぜなら誰も今までそれを身を以て教えてくれなかったからである。というか誰も知らなかったのだろう。そういうシステムから、抜け出すことに成功した人々だけが、もう一度東京の川沿いで文明を起こしているように思えてならない。現在、映像化をしたいとある監督から申し入れを受けてはいるのですが、それだけでなく、なぜか今自分が映画作りたくなっている。テーマはもちろん都市狩猟採集生活だ。そこで、昨日映像担当主任のタローに電話したら、タローは映画フェスティバルの最終選考の15作品にノミネートされてるっていうじゃないの。やっぱり、幸は幸を呼ぶ、ノリはノリを呼ぶ、笑いは笑いを呼ぶのである。今日から、毎日、とにかくタローが授賞式でスピーチして帰りに賞金30万円使って酒飲んでいるイメージを僕も寝る前にすることにした。実現より先にイメージの方が重要である。むしろイメージを立体的に浮かび上がってくるほどできたら、もうこっちのものである。そうやって、僕は試験や、コンテストに落ちたことが無い。中学受験だけはイメージできなくて失敗したが。で、四月からの映画の撮影の依頼。快諾してくれた。頑張れタロー。こうやって自分が関わっている若者が何かやろうとしているのは盛り上がる。だって、やっぱり社会は難しいからね。なかなかやりたくても、うまくいかずに諦めるってパターンになってしまう。でも、そこで諦めないと前に進めるんだけど、それをやっていては社会の外れものになるから、そんなの怖くてできないってなってしまう。それで諦めることはそれはそれで素晴らしいと思うが、突き進むのは素晴らしくないかもしれないが、楽しい。でも、そこ突き抜けると、僕なんか何も賞なんてもらったことないのに本が書けているし、金も相変わらず貧乏かもしれないが、何も欲しくないし、どこかのフランス料理屋で出ている野菜よりうまいもの自分で(というかフーが)作って食べてるし、音楽なんか買えなくてもギター自分で弾けるし、アオにオモチャ買ってあげられないけど、作るのうまいし、この前も「いないいないばあ」漫画作ったら、絶賛してハマってくれてたし、ということは十分今の生活で満足しているわけか。と今、気付いた。向上したいのは、人間の思考についてだけであり、最近ではそれは社会を少しでもよくしたいという思いになってきている。一生やっていくというということだけを設定した。でも、やり方はそれぞれでないといけない、人の真似では駄目で、もちろん、何事も模倣から始まるのだが、最終的には自分でなにかしらの方法をそれぞれで見つけないといけないのだろう。これからの世界は、自分の職業自体を発明していくような人が増えていくのだと思う。複雑な社会になるはずだ。でも何も難しくなるのではなく、さっきから言っているように、漫画と服が好きで独自の考えを持っている人が例えばいたら、それがそのまま仕事なのだと自覚できるようになるということだ。僕には絵だけで食ってことはできないし、本を書いてだけで食っていくことはできないし、テレビに出て吠えまくるだけで食っていくことはできない。でも、それらが混ざり合い蠢いていると言う運動自体を仕事とすることに方法を見つけた。それは自分が一番やりたかったことであるし、自分が一番コンプレックスを感じていたことであるし、また自分が一番気付いていないことであった。ということに、どん底に落ちたときに閃いたのである。閃いたというか、当然のことなのかもしれない。どの時代でも読める、今でも読める。仕事の話でもある、哲学でもある、建築的な思考でもある、生き方の話でもある、今日から使えるHOW TO本にも見える。でも何度でも読み返せる冒険小説のようでもある。そんなものを表現してみたい。

2009年3月5日(木)

午前7時起床。朝食を食べて、すぐ外出。満員電車に嫌々乗り込み西荻窪へ。亮太の家へ行く。そこで聞いたのってこれじゃなかったけな。Sufjan Stevens朝起きて煙草吸いながらインスタント珈琲飲みながら聞くととても気持ちいい。最近、家でインスタントコーヒーにハマっている。っていうかフーがタンポポ珈琲になってしまったので、自分だけドリップするのもあれなんでとインスタントにしたらこれが旨い。あれどこのだろう。ネスカフェの香味焙煎でした。で、亮太にスネアドラムを借りる。ってか貰う?それを持って、川崎駅へ。以前、テレビディレクターの津金さんと一緒に多摩川の取材に行った時に、出会ったジャズドラマーの路上生活者の家へ行く。スネア持っていないっていうから、亮太のラディクを持って行った。そしたら、コンさん、カメラの三脚でシンバルはめて、タンバリンはめてハイハットみたいにしてるし、僕には拾ってきた三本の弦の切れたギターを渡して、それをコラージュして一本の六本弦が揃ったギターを作製し、コンさん、しかもトンガリ帽まで被って、ネイティブアメリカン状態。で、二人でセッションした。気持ちよすぎる。多摩川の河原で。ああー、こんなところに僕は住みたい。こんな幸せなところがあるんだろうか。ハロー!ワークスの取材もさせてもらう。コンさん最高。津金さんはあのとき、圧力鍋が欲しいんですけどとリクエストしていたが、しっかりと二つも拾い集めていたから、この人もう天才です。何故拾えるかって、彼の家には大黒様の置物が置いてあって、いつも一緒にご飯を食べているのです。そのおかげなんだって。ゲンは担げと言われました。はい。三階建ての家に住んでいるのだが、この三階には窓がついていて、そこから多摩川が、星が、草原が見えるのである。って、僕は入れてもらえなかったけど。こういうのを建築っていうんでしょ。人間って、寝ているところから川が見えたりしたら、それがやっぱり一番気持ちいいのだと思う。コンさんと本当に色々話す。僕は今、本当に大事な時間を過ごしているんだなと思った。平日の昼間から。社会の外れものでしょうけど、そんなこともう二度と気にしないことにした。コンさんと別れて、川沿いのケモノ道を歩いていると、おじさんが畑を耕していた。多摩川でだからね。本当は駄目ですよ。その人は家を持っていて、でも回りはカラオケ行って、居酒屋行って、酔っ払って、他には趣味が何も無いオヤジたちばかりの年金暮らしの人々ばっかりらしく、それが退屈で仕方がなかったそうだ。その時に多摩川に来たときに田舎を思い出してそれ以来ここで野菜を作っているそうだ。元々工芸デザインでガラス細工を作っている繊細な職人だった。金なんかいらないよ、こんな場所が欲しいよと嘆いていた。僕は何とかこれはしなくてはいけないと思った。今の60歳代以上の人たちの中でも創造性の格差が出てきているようでそれはある意味深刻なのかもしれないと思った。会社が終ってからも、人間の仕事は終っていない。僕は会社に入ったことが無いから分からんが、人間は一生仕事をするんだ。労働は終わるかも知れんが、仕事は一生続くのだ。事に仕えるんでしょ。事というのは南方熊楠で言えば、「心」と「物」が混じり合うことを言う。それに一生仕えるのが仕事である。だから、なぜか僕は0円ハウスに向かうのだろう。そこには本質的で根源的な意味での「仕事」が存在するのである。その後、川崎駅近くの歩道沿いにも0円ハウスは建っているのでまた声をかけると、またそのオヤジが気さくな人なのよ。本当に、こっちが気持ちよくなってくるぐらいに。色々と話す。そしたら、「飲む?水?」といって、コップに水を入れてくれた。旨かった。水道水。話をしていると、ポトスライムの舟とか言うから一瞬訳が分からなくなったけど、そういえば、この前NHKの収録で聞いたなその名前、えっ芥川賞作品じゃん、というと、おれ高卒だけど、小説が好きでさーといいだして、「罪と罰」が一番好きだなと言われ、僕読んだこと無いので愕然。ヘミングウェイとかもよく図書館で読んでいるのだそうだ。小説を書きたいというので、勝手に執筆を依頼した。どうなるかわからんが、出来たら、なんとかしようと思った。なんだなんだ今日も一日。大変だ。そして、多摩川のロビンソンクルーソーに、今度高校の同級生の女の子が会いたいって言ってきたんですけどいいですかって許可を取りにいったら、即オッケー。やっぱFさん、開いてるなー。本当にここは村だな、しかも、江戸時代とかじゃなくて、縄文時代頃の村だなーと思った。Fさんの取材を4月から徹底的に始めるのだが、それならいっそのこと、多摩川に住みたいと言ったらこれまた即オッケー。ということで、4月から僕が実際に実験的に一ヶ月家を建てて暮らしながら、ロビンソンの脅威の生活を取材することにした。予定だけど。でも、アオの保育園が始まるしなー、いや、子育ても頑張っていきたいけど、やはり東京のド真ん中で漂流し自給自足しているオヤジを後世に残すことはやらないといけない。やる。とフーに伝える。で、ようやく国立に帰ってくる。アンジェラから芥川の短編の絵褒められた。この歳になってもまだ褒められてうれしがる自分である。人から批判されても全く耳に入れないのに。長島監督もカレンダーの勝敗表に白星は大きな丸で黒星は点だったっていうからね。それで行こう。バンクーバーからも朗報。来年の動きになりそうだ。しかし、絵はしっかりと売って次の制作に繋げたいのも正直なところ。こういう正直な心情は早めに伝えておいた方がいいだろう。でも英語でこういうことメールするの難しい。集英社のノンノで編集やっている稲さまから久々メール。勝手に少女用の企画を考える。みなさん、元気になったことを知り、メールしてきてくれます。感謝。立体読書の画像を送ってと言う人もいて、嬉しくなって送る。でも、内容は狂っているから気をつけて下さい。夜は僕の思考の相談を唯一する岐阜に住む林さんと電話。なんだか凄いことになってきて、話は広がり、展開し、新しい概念を発見し、結局三時間ぐらい喋っていた。これは完全に止められていない。このまま新しいことについての原稿を書こうとしている午前3時。今日も長文、おつかれさまです。今日は何もありません。

2009年3月4日(水)

朝起きてLean on Meかけて原稿の直しの続き。なんで、こんなに音数少ないのに、オーケストラみたいに聞こえんのかい。これがアンフラマンスかいっ。ほどほどで止めて戸塚を旅立つ。転地療養が完璧に効いて体調はほぼ万全の調子に戻った。フーアオと三人で電車に乗って東京へ。新宿で降りて別れて僕はそのまま曙橋へ。太田出版にてhon-nin編集長北尾さんと新作の単行本についての打ち合わせ。ずっと書けないと嘆いていたのが、ぱっと目の前に視界が広がり一気に2万字ほど書いた。これでこの仕事を終らせることができると確信を持った。終始興味深い話をする。面白い本に絶対にする。そして、安い本にする。誰でもすぐ買えそうなものにしたいっすね、との話。話の中で太田出版が今年、実はかなり思い切ったことを試みようとしていることを今頃初めて知った。遅っ。それは印税アドバンス制。つまり原稿が完成した時点で印税が一部支払われるというのだ。大体、僕は書き下ろし野郎なので、書き下ろしといっても半年以上は必ずかかり、それで出版されたとしても、印税の支払いは三ヶ月後とかになる。っちゅうことは仕事をずっとやっていても9ヶ月はお金が入って来ない。それをどうにかしようとしてくれているのである。これはとにかく頑張らねば。と素直にモチベーション上がる。三月中に原稿を完成させることを決めた。とにかく今年は狂ったように仕事をすると決めたのだ。一度、知らない間にどん底に落ちてったからね。春秋社も4月を目標に作っているので、春先は大変だろうが楽しみでもある。光文社の賃貸本、そして幻冬舎の多摩川のロビンソンクルーソー。この四冊は絶対に仕上げる。って口にして文字にしていかないと自分はやらないので。でも具体的に言葉にすると、実現するというのもまた真実。もう金が無くなってきていて、資料集めのためにネットしていたら、ついついフロムエーとかanとか見ちゃってた。おいおい何やってんのよ。もう見ないことにした。それよりもやることがある。そっちをとにかく進める。どうやって生きてきたんだろう。本当にここ二年ぐらいの懐具合の記憶が無い。まっいいか。生きてるんだから。誰でも出来ることやるくらいだったら、僕しかできないことをやる。それしかないな、たぶん。鈴木さんも困ったら、フーアオも連れて隅田川来なよ。裏に小屋作ってやるからって言ってくれたし。それよりも今しかできないことをやろう。帰りに、北尾さんから、本人の新刊と以前、福田和也さんに僕が勧められたのに読めずにいた本「ヤバい社会学」を北尾さんは買っていてそれもくれた。何だか買わせたみたいですいません。感謝。本人、特集は2ちゃんねるのひろゆき氏です。電車の中で読み込む。これからはやはり完全な個人でしか考えつかないことをそのままダイレクトに仕事にしていくようになっていくんだろう。インタビューを読んでいたら、原始人のようにも思えたから不思議。ある意味、隅田川の鈴木さんとも通じました。必読です。それで、昼飯を食べていなかったので、曙橋駅近くの蕎麦屋「長寿庵」にて「かき玉うどん」と麦酒を飲みながら一人で書き物。ここうずらの卵食べ放題なんですって。内装も素晴らしく感動していたら、どうやら店長のおやじさんがそういう趣味なのだそうだ。平日昼間のがらんとした空気にはやはり何か詰まっているな。以前、森岡書店でやった大竹昭子さんとのトークショーで出会った雑誌AXISの編集者神吉さんへ向けて、蕎麦屋で企画案を勝手に練る。そして、帰ってきて送る。即レスが来て面白そうだとのこと。リーペリーのブラックアークスタジオから発想を得た、音楽と建築についての長年温めていた企画。うまくいけ!何もしないより、何かしろ。いつもそれだけ考えている。アオが最近、名前を呼ぶと、挙手をするので、面白くなってアオ!アオ!と連呼する。帰ってきて、夕食。おじや、塩鯖、恵比寿麦酒。家の中で桃と雪柳が満開に咲いている。バンクーバーのギャラリストに新作の絵を送る。上智大学のアンジェラにも絵を送る。やばい、エンジンが全開になってきてしまっている。後頭部をまた打たれるが、三月は振り切って突き進むことにした。高校の同級生である女史から連絡。自給自足を本気でやりたいんですけど、多摩川のロビンソンクルーソーに会いたいんですけど、って。素晴らしいじゃないですか。はいはい、いつでも連れて行きます。何だか、こんなみんなつまらなそうな顔している時代に見えて、案外、皆楽しくやってるじゃないですか。ウィニペグで僕の絵がオークションにかけられている。といってもこれはギャラリーを救え!というオークションなので幾らで売れてもたぶん僕が請求しないかぎり一円も貰えません。でも、いつもこうやって作品をあげると、そこでまた新しいコレクターとの出会いがあるので、それはそれで素晴らしいことなのである。もしも、参加したいという人がいたら、ぜひ参加してあげて下さい。とてもいいギャラリーなので有益に使ってくれると思います。で、最近はジョニーキャッシュが気になります。彼はただのカントリー歌手だと思って僕は全くノーマークだったんですが、これってカントリーとか平気で飛び越えてますよね。しかも、歌っている場所がSan Quentin Prisonって。サンクエンティン刑務所ですか。ジョニーの何があろうと突き進むぜこの野郎という突き抜けた顔とギターのカッティングには、クラゲになっちまった僕たちにはいい薬になります。この刑務所では他にもチャールズマンソンもライブをしていて、ライブ盤も出ていて、そのジャケットがペットサウンズのモロパクリでビビりました。Take Me To The Summer Roadという曲は良かったです。ということで、今日も長文。もしも、最後まで読むことができた方がいましたら、最新の立体読書のJPEGを送ります。

2009年3月3日(火)

午前6時起床。起きて原稿。春秋社の直しを既に送っているのだが、もう一回見直している。二月はかなり頭の回転がおかしかったので、少し落ち着いた状態でもう一度見返してみると、やはりもうちょっとこうしたいという箇所が出てくる。今日は半分やってみた。後、半分は明日やろう。とにかく、今は頭が映像と文字と合体してくれている。こういう時は勢いに任せて動いてもらうに限る。お昼まで作業。その後、ちらし寿司をお昼に食べて、また一人でゆっくりする。戸塚に来て5日間。意外にもこんなに長くフーの実家にいたこともなかったらしい。なんだか遠くの国に旅行に来ているような気もする。そういうわけで、どこかいこうかなと思って、昨日は横浜行ったから、今日は川崎に行くことにした。まずは南武線で武蔵小杉まで。南武線、今まで全くノーマークだったが、ちょっと空間的に気になる物件多し、新しい企画が思いつく。無名建築たちのドローイング。それで歩いて川崎市民ミュージアムまで。美術館の中には人がほとんどいない。二人ぐらいだった。ヨーロッパの片隅の美術館みたいな雰囲気である。何をやっているかというと粟津潔展がメインの展覧会なのだが、そこではなくて無料の企画展示室へ。なんとここに、つげ義春氏の原画、草稿が展示されているらしいので行ってみた。畑中純の版画もあった。つげさんの、「ヨシボーの犯罪」「コマツ岬の生活」「必殺スルメ固め」の鉛筆で描いた草稿が展示されていて感動した。しかも、誰も他に見ている人がいない。おいおい、見に来いよ~。自分の進んでいる道でどんどんいけと、励まされる。今回の戦後美術の紹介コーナーは無料にしては充実していて、森山大道氏の「にっぽん劇場写真帖」の中のオリジナルプリントも見れた。良かったです。でも本当に客がいない。休日はさすがにいるのかな。その後、走ってバスに駆け乗り、川崎駅まで。ミューザ川崎というクラシックホールへ。ここでもまたマイナーな展覧会が、小さな誰も来なそうな場所で行われていた。アジェ写真展である。ここにもまた人がいない。なのでゆっくりと見れた。やっぱりたまらんアジェ。僕はアジェを知ったときに、ああこうやって、僕も毎日路上を歩きながら記録しながら生きていきたいなと願っていたら、いつの間にかそのような人生になっているではないか、と久々にアジェの写真を目にして思い出した。というか本物のプリントを50枚も見たのはもちろん初めてであるが。新聞の地方欄に小さく載っていたのだ。アジェとつげ義春と今和次郎とケルアックとチャックベリーが一つに繋がって、そのまま突き進めと言っている。僕も一生、路上をただひたすら歩き続けようと思った。そのうちギターでも抱えながら、歌でも歌って小銭稼いで、インクとペンで絵を描いて、それを売りながら、歩きながら、生活をしたいという欲望がある。とか言っていたら、アオの顔が浮かんできた。まあ、そうやって歩きながらも夕方には帰って来よう。アジェも日が明ける頃から仕事をスタートしてたらしいからね。高校の同級生のオータケに電話。新しく始める賃貸探検記についての協力要請。快諾してもらう。気合がまた入り過ぎているのではないか。後頭部をまたペシっと打たれる。ゆっくり進んでくれ。スペクテイターのケイちゃんにも賃貸情報のプロを紹介してもらう。なんだか面白くなるかもしれない。帰ってきて、スペアリブのトマトパスタを食べる。マネックスの方から、NYの投資家がDIG-ITAL-CITYに興味を持っていましたよ!との丁寧な連絡を頂く。何か起きるかもしれん。コヨーテの佐々木さんと電話で打ち合わせ。やっぱり屋久島言ってみよーぜーということに。日帰りだからね、夜行バス使って、滞在一時間ぐらいだと思うよ。たぶん。でも行ってみよう。それでこそワープじゃないか。と、まあ、興奮すると日記が長くなるのは僕の悪いクセ。ペース配分を考えて欲しい。

2009年3月2日(月)

朝五時半に起きようと思ったら目が覚めた。やっぱり思ったら覚める。最近思わなかったから。で、起きて、そのまますぐに原稿に向かう。太田出版用の都市狩猟採集生活についての原稿。これはじりじりと進ませている。のだが、今日は何だか乗りまして、午後12時まで7時間ほぼノンストップで書き続け、43枚書いた。ここ最近では一番書いた。久々に書きたくなって書いた。これで9万5千字を超えて予想より分量が多くなったのでとりあえず送信した。これはもうちょっと詰めていく必要があるだろう。とにかく最近、ようやく創作の意欲が湧いてきた。湧くといつも湧きすぎるので、ここでまたゆっくりさせる。今回は。とにかく毎日少しずつ力を使えるようにしなくては。お昼は焼うどんを食べる。伯父さんから電話。それと大学時代にお世話になっていた工務店の藤田さんなどから電話。やっぱりNHKは皆見ているのですね。僕の家にはBSがないのだが。概ね反応も良いので安心。伯母さんの卒論のテーマが萩原朔太郎だったらしく少し盛り上がる。そして、今日はもうゆっくり過ごそうと思い、一人で外出。横浜駅まで行って映画でも見ることにした。何も考えずに、チェンジリングというクリントイーストウッドの映画にした。で、ビビった。良い映画だった。画質の線が気になった。こりゃ相当こだわっている。満足して帰ってくる。戸塚で高校時代の同級生のカナヤンと奥さんのマリボーと待ち合わせ。皆で戸塚の実家でアオの初節句。鯛の丸焼きとちらし寿司。久々にカナヤンとも会って話す。アオもご機嫌であった。夜9時頃解散。その後、ジョニーキャッシュとかビル・ウィザースなどを聞きながら考える。今頃、ジャックタチの事を思い出したりする。ジャックタチが高校生の時、とにかく好きでああなりたいと思っていた。サンナザールで展覧会をした時、ここで撮影されたと聞いて興奮した。でも、ずっと忘れていた。なんだか、また色んな関連の無い物同士が結びつこうとしているような気がする。こういう時はトイレの時のようにとにかく力を入れない、焦点を合わせないことが重要なのだ。ただ黙って見過ごす。夜は、今度の旅行のアイデアを寝る。屋久島でも行ってみるかと思って時刻表を元にタイムテーブルを作っていた。意外と行けるかも。ゆっくりしすぎていたのでやらなくてはいけないことが多い。でも、もう急がない。淡々ととにかく少しずつ前進させる。歩みを止めずに淡々と進ませる。

2009年3月1日(日)

朝起きて、ゆっくり朝食を食べる。ピザトーストとカレーパン。珈琲。午前中はアオと遊ぶ。午後、戸塚のロイヤルホストへ向かいドリンクバー飲みながら、春秋社単行本用の挿絵に取り掛かる。20点近くあるので、早くやらないといけない。でも、これ一つやり始めちゃうとついつい性格で細密画になってしまうのでなかなか進まない。カフェラテとカルピスを交互に飲みながら進ませる。三点完成。ここは居心地が良くそれなりに作業が進んだ。この挿絵が今やっているぐらいのテンションで描き切れば絶対いい物になるはず。どうにか保とう。その後、ゆっくりしてユービック読む。時間が入れ子状態になってきて頭がこんがらがってきた。しかし、これはある意味でリアルな文章である。夕食時に帰ってくる。夕食は鶏の唐揚げ。恵比寿麦酒。アオも離乳食を大量に食べてた。最近みるみる変化してきている。音楽についてアイデアを練る。アコースティックなんだけど、ミニマムなもの、そして歌もの、で録音してみたい。こんながあった。イメージは遠いようで近い。3月19日にWOMBに僕の好きなDJ KOZEが来るらしい。これはぜひいかねば。これかけてくれるかな。このHEIKO VOSSという人のTWO SIDEというアルバムも良さそう。やっぱりドイツ気になる。来年のベルリンビエンナーレは誘われているので、ぜひ実現させてケルン、ハンブルグにも行こう。夜は早めに寝る。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-