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Journal -坂口恭平の毎日-

2009年1月31日(土)

午前8時亮太の家から出て帰宅。本数冊貰ってくる。朝食後、原稿手直し。昼になって外出。ひらよしでトンカツを食べて、アオを四谷にある東京おもちゃ美術館に連れて行く。小学校を改装して作った美術館。アジア各地のおもちゃを集めた展覧会が行われており、これがよかった。フィリピンのジプニーをブリキで作ったものや、タイの揺りかご、沖縄のお面が気になる。結局、自分の方が入り込んでいた。たっぷり遊んでいく。で、喫茶店で作戦会議後帰宅。夕食は秋刀魚と煮物と大根。食後も、原稿の直し。大分まとまってきた。

2009年1月30日(金)

午前7時起床。午前中原稿書く。その後、別の原稿の手直しを本腰入れてやり始める。夕方まで。夕食に牛肉を焼いて大根おろしで食べて、外出。西荻窪で亮太と待ち合わせして、久しぶりにアフターグロウへ。エーデルピルスで乾杯。この店が魯山という器屋の人が設計したことを聞き、納得。そうやって照明などを見ると、今まで気付かなかった電気の傘の金具などが古いことに目が行く。こういう視点の変化はその瞬間いつも見慣れている風景がザワザワ動き出す。その後、クレマンというラムが美味。その後、酔っ払って亮太の家に宿泊。

2009年1月29日(木)

午前7時起床。原稿。何かここに来て突破口が見えてきた。じりじりと。家で11時頃まで、その後外出し、駅前の喫茶店にてもう少し追加で書く。久々に20枚以上書く。フィリップ・K・ディックのノンフィクション集を読む。自分の生活などが書かれておりなんだか大変そうだが興味深い。芥川龍之介「不思議な島」を読む。やはりこれは立体読書化したい内容の短編である。なぜこの時代の人々たちは心情よりもむしろこのように風景を、ある物体の様子を詳細に描こうとするのか。その事が僕が今考えていることにも直結してくると思っているのであるが、それとディックのエッセイとが混ざって形にならない考えが浮かぶ。帰宅すると、フーの友人たちが来訪しており、一緒に喋る。夕食は、シチューとコロッケとオムレツ。アオが離乳食しっかり食べるようになってきた。色々と目覚ましい発展。小説の構想。

2009年1月28日(水)

午前7時起床。午前中原稿。進ませる。その後、現在進行中の構想をまとめる。もっとどんどん実現していこ。留まることなく、次へ次へと進みたい。頼まれても無い仕事にこそ、次の芽になる。お昼前に外出。四次元ガーデンのための取材。阿佐ヶ谷を歩きまくる。一軒気になる庭を発見。三時間歩く。翼の王国の卓さんより電話。面白そうな提案。二月中旬にアイデアを提出することに。香港での仕事はまた新しい展開だっただけに頑張りたい。文房具屋で画材を購入し、帰宅。カナダに新しく描いた立体読書のデータを送る。興味を持ってくれているのだが、何が起こるのか。まだ手探り状態。しかし、また動くんでしょう。バンクーバーから僕が卒業論文として提出した「東京ハウス」という0円ハウスの元になった手製の本が戻ってきた。二年以上も旅をしていたのだ。お疲れさま。その後、原稿の直し。スケッチのアイデア練り。夕食は、ホワイトシチューと水餃子。焼酎飲みながらとにかく話す。

2009年1月27日(火)

午前7時起床。午前中原稿。少しずつ進む。その後、スケッチをしていたら漫画のようなものを描くのはどうだろうかと思い立ったので、ケント紙に描いてみる。こりゃ、大変だ。しかし、やったら面白いかもしれない。ベルリンビエンナーレのキュレーターから連絡。かなり興味を持ってくれているらしい。来年で第六回目らしくまだ新しい展覧会のようだ。ビデオについて関心を持ってくれている。どんな展開になるか。全く予想できないが、こうやっていつも僕のところに何やら不思議な依頼が飛び込んでくる時は変化の兆しでもあるので、ただただ受け入れていく。夕食は中村さんのところの白菜の味噌炒めと、ブリの塩焼き。美味。

2009年1月26日(月)

午前10時起床。シャワーを浴びて、アオと戯れて、読書。昼飯に家で中華丼を食べる。美味。午後1時頃外出。浅草駅へ。吾妻橋派出所前で編集の方と文芸評論家の福田和也さんと待ち合わせ。歩いて、ホッピー横丁へ。居酒屋に入って取材を受ける。生麦酒とホッピーを飲みながら。二時間ほど話をする。楽しく、そして本当に勇気づけられた。立体読書の仕事も、面白いね、もっとやれ、と言ってくれて、こりゃとにかく進むしかないと思った。その後、電車で新宿まで向かいベルクへ。太田出版の北尾さんと待ち合わせ。完全に止まってしまっていた書き下ろし中の原稿についての打ち合わせ。非常に悩んでいたのだが、それを言うと北尾さんニヤリ。そこ進ませて下さいと言われ、僕も何かに気付いた。珈琲飲みながら、色んなことが久々に浮かび出した。どうにか書けるかもしれん。自分よりも可能性を感じてくれている人たちがいる。これは何とかしなくてはいけないと奮い立つ。帰りに北尾さんから頂いた太田出版の新刊、新井英樹さんの復刻版「宮本から君へ」第一巻を電車で読みながら、さらに奮い立った。とにかく動いて自分が考えていることを出さないかんとよ。とかそういうことを思っていたら、今回もがいているのは何か次へ向かうためのきっかけなのかとようやく気付いた。

2009年1月25日(日)

午前9時帰宅。腹が減ったのでカレーライスを食べ、風呂に入り。就寝。夕方頃、マイルスデイビス自叙伝2を読みながら起き出して、外出。午後6時に北千住駅まで。京都から来ている須川女史と待ち合わせ。北千住のストリートを堪能し、魚居酒屋で乾杯。近況などを話す。彼女は2005年にどこのどいつだかわからん、僕を京都精華大学の講演会に呼んだとんでもない女性。また色々と面白いことをたくらんでいるようだ。大いに盛り上がる。で、どんな状態であれ、とにかくそこから進ませろと言われ、気付く。ドゥアモレダラをまた4月に歌ってよと依頼。飲みまくる。感覚だけで開いたり、閉じたりするわけだから、人間の頭は不思議なもんである。当然、電車の中で眠り、山手線ぐるっと回って、品川で起き、ぎりぎり終電を発見し、家に帰ってくる。

2009年1月24日(土)

一月に入ってから、原稿が進まなくなってきて、あれ、おかしいな、あれれ、とか言っていたら、手が止まった。それなら、気分転換でもしてまた取り掛かれば良かったのだが、そのままにしていたら、調子を崩した。元々文章が書けない人間が、こんなことしてるから当然の結果とも言えるが。ということで数日沈殿していた。で、そのままでもいかんので、ギターを弾いて今日のライブの練習。午後8時過ぎに外出。下北沢にあるCITY COUNTRY CITYへ。DJ FUKUYOKAと久々に会う。また素晴らしいMIXで脳味噌に良い。お客さんも満員状態で凄い盛り上がり。DJ KOHTAという人を初めて聴いたが、これがまた凄かった。踊る。午前4時ごろようやく僕のライブ。五曲歌った。そろそろ新しい曲も作ろうかな。その後、マックでコーヒー飲みながらタンゴと色々と話す。というか話を聞いてもらう。とにかく動くことでしか変わらんからやるだけやってみよう。

2009年1月20日(火)

午前8時起床。四次元ガーデン原稿。この連載も、だんだん緑、植物の話というよりも、人が生活を送りながら、漏れ出てくるディスプレイ魂について考えるようになっているように感じる。今回のも不思議な、家の中に作られた庭。四次元ガーデンもさらに取材を進めてみよう。ベルリンビエンナーレを運営しているギャラリーから連絡がある。来年開催されるらしく現在企画を練っている段階で興味を持ってくれているらしい。ベルリンではやってみたいと思っていたのですごいタイミングである。バンクーバーから立体読書について作品の詳細を送ってくれという依頼。少しずつ何かが動き始めている。原稿は書き終わり送信。外出し紙を購入し立体読書に取り掛かる。

2009年1月20日(火)

午前8時起床。四次元ガーデン原稿。この連載も、だんだん緑、植物の話というよりも、人が生活を送りながら、漏れ出てくるディスプレイ魂について考えるようになっているように感じる。今回のも不思議な、家の中に作られた庭。四次元ガーデンもさらに取材を進めてみよう。ベルリンビエンナーレを運営しているギャラリーから連絡がある。来年開催されるらしく現在企画を練っている段階で興味を持ってくれているらしい。ベルリンではやってみたいと思っていたのですごいタイミングである。バンクーバーから立体読書について作品の詳細を送ってくれという依頼。少しずつ何かが動き始めている。原稿は書き終わり送信。外出し紙を購入し立体読書に取り掛かる。

2009年1月19日(月)

午前7時起床。すぐ外出。見学会。その後、駅前で角煮の丼を食べて、家帰ってきて四次元原稿。取材の依頼。快諾するも緊張しそうな内容。でもやってみよう。最近、またバーナード・ルドフスキーが気になっている。何か自分の仕事のヒントにもなると思っているのだろう。すると、昨年、Lessons from Bernard Rudofskyという回顧展が巡回していたらしい。その図版もあった。去年、本を書いているときは常に「建築家なしの建築」が頭の中にあった。そして、それが世界の辺境に行かなくても、実は東京の僕たちが暮らしている空間のすぐ裏側で実際に人間が独力で作り上げた人間と生活と家が渾然一体となっている揺れ動く造形があるのだということを示せればと思っていた。何か気になる、思い出し、である。夕方外出し、浜松町へ行き人と会う。この人がまた凄かった。近況などを話し合う。自分にしかできないことをどうにか見つけ出し、それをひたすらやってみる。それは何かの役に立つのかどうかは分からない。が、それでいいのだ。個人が突っ立って独自の思考でものを考える。やっぱりそれを押し進めていかんと。

2009年1月18日(日)

午前7時起床。午前中原稿。昼前に外出。川崎駅へ。多摩川の取材。以前、ここで貰った菜の花がとんでもなく美味であった。自前の肥料で作ったものである。ここの生活は酸素が多いから素晴らしいよ、と彼は言った。しかも、彼はそれらの植物たちをほとんど自分で植木屋をしている時にもらってきたものを直接植えているのである。つまり、ただの自然ではないのだ。天然ではなく、全部自分で作り上げているのである。竹林も苗を持ってきて十年以上かけて育てているのである。椿もそうだ。一体、この生活は何なのだろう。僕はもう分からない。彼は家も持っている。しかし、あんなところにはいれない、と言って365日のうちの360日はこちらにいるのだそうだ。なんだ、これは。家、生活の在り方について反抗し、自分なりの方法を探っているのである。色んなことが遠くへ吹っ飛ぶ。夕方帰ってきて図書館にて立体読書の資料集め、コピーなど。帰ってきて、イメージ描き。

2009年1月17日(土)

午前7時起床。すぐに外出。フーとアオを渋谷まで送っていき、その後、高田馬場へ。マコとハンナちゃんの引っ越しの手伝い。マコと僕は大学の同級生で、僕が3年生の時に弟と下北沢にある緑風苑という今でも忘れられないアパートに住んでいた時、世田谷代田にある離れに住んでいたのだがこの部屋が凄かった。あれは下北沢ではなかった。方丈庵のような空間。入口からではなく、柵を乗り越えて窓から入ってたもんな。そんなことを色々と思い出す。亮太と河原とゴンザとジュンくんの五人で助っ人。歩いて神田川沿いの四階建てのアパートまで運ぶ。久々の大量の汗。最近、こんな汗かいてないな。いかんいかん。10時から始めて午後12時過ぎには終った。その後馬場の大衆食堂で生麦酒と唐揚げ定食。学生的に。ゴンザのぶっとんだ生活の話を聞かせてもらう。その後、皆と別れて亮太と二人でBen's Cafeへ行ってもう一回飲む。恵比寿ビール。久々に仕事の話をする。ちょっと最近、感覚がブレているように感じていたので、そこらへんを突っ込んで話す。そうすると、少し気付く。二時間ほど飲んで昼間っから酔っ払って家に帰ってくる。54-71というバンドを教えてもらい聞く。トゥーツ&メイタルズの54-46を思い出すが全然違う音。むしろNO NEW YORK.

2009年1月16日(金)

午前7時起床。午前中原稿。昼飯に焼うどんを食べて外出。国立でディレクターの津金さんと会う。ロージナで打ち合わせ。自分の仕事の話をする。話をしながら色々と頭の中で動いている。いい運動になった。何かに繋がるといい。その後、額が出来上がったとの電話が入ってきたので立川の世界堂へ行く。1メートルの細長のキャンバスに描いたDig-italの額装。仕上がりは良い。持って帰ってくる。次の仕事のことを考えている。それをただ進ませるだけじゃなく、自分の先端に持って来れるか。完全に具体的にはまだ見えていないのだが、何かそこにある気はする。そしてそれはいつも全く予想もしない方向から気付かせてくれる。夏目漱石の永日小品の中の「印象」を読みながら立体読書の下書き。自分で移動式住居を設計して作っているアメリカ人からメールがある。

2009年1月15日(木)

朝から、アオの定期検診でお茶の水の順天堂病院へ。順調。しかし、ここはとにかく時間がかかる。昼過ぎまで。その後、四谷で降りて上智大学へ行く。日本近代文学研究者であるアンジェラ先生の研究室で立体読書についての打ち合わせ。今後、取り掛かる予定の小説を決める。僕がまだ読んでいないものもたくさんある。少しずつ進めていくことに。今では、あまり読まれていないと思われる時代の小説の絵を描いていてもこうやって興味を持ってくれる人がいる。これは本当に励みになる。面白いプロジェクトになりそうなので、しっかりとやっていきたい。その後、色々と話が盛り上がる。以前、バンフで会ったカナダ人から連絡が入る。Dig-italと立体読書への反応。なんだか不思議なものである。とにかく自分がこうだと思っている仕事を前に進ませていこう。

2009年1月14日(水)

午前7時起床。原稿。午前10時外出。西荻窪で春秋社篠田さんと待ち合わせ。それいゆで渡していた原稿の感想、提案。この後、さらに詰めて、そしてその中に入れていくドローイングもたくさん描いてみることに。いつものようにタイトルがまだ浮かんできていない。今までのどの本もタイトルはなかなか出ないが、最後にはうまく決まる。仕上げるまでにはまだもう少し時間がかかりそうだ。沖縄土産を頂く。その後、帰ってきて昨日のドローイングの続き。夜、完成。

2009年1月13日(火)

午前7時起床。ドローイングに取り掛かる。夏目漱石の「変な音」。日本近代文学の英訳用の挿絵のため。この短編も立体読書的に魅力のあるものだ。隣の部屋から聞こえてくる何なのか分からない音が作り出す空間。見舞いに来た友人が置いて行った鉢植えを見ながら、その友人が話していた夜店の空間を思い浮かべる。耳の作り出す空間についての話。イメージはすぐに固まり、ペンで描き始める。芥川龍之介のいくつかの短編も同じように描いてみる予定。僕は幼少の頃に読んだ「トロッコ」の中に描かれた空間がとても印象に残っている。

2009年1月12日(月)

中村さんのところへ行って大量の野菜を購入してくる。午後3時過ぎからうちで新年会。水炊きをする。タンゴ、原ちゃん、今北、栄吉、マコ、はんなちゃんが来国立。久々に会う。今では年末年始しか会う機会がないので、色々と近況について話し合う。

2009年1月11日(日)

午前7時起床。昨日の写真をまとめる。原稿。その後、蕎麦を食べて外出。午後三時頃浅草の鈴木さんのところへ。今日はいよいよ東京カルチャーカルチャーでの「東京0円生活ナイト!」当日。鈴木さんを迎えにいく。家に近づくと、みっちゃんが踊っているのを発見。なんだか嫌な予感がすると、鈴木さんの家の外に宴会場が作られている。で、やっぱり飲んじゃってました。赤ら顔の鈴木さん。なんでも旧友が訪ねてきたらしく、断れなかったそうで、午前9時からずっと飲んでいたらしい。珈琲飲んで酔いを少し冷ましてもらって、二人でゆりかもめに乗ってお台場へ。会場は広く、そして派手な印象に鈴木さん緊張していた。太田出版の北尾さんも到着。果たしてお客さんは集まるのだろうかと心配だったのだが、徐々に埋まっている。知らない人たちも多数来てくれているようだった。最終的に80名ほどの方が集まってくれた。結局は僕がやったトークショーの中で一番多くなった。感謝。そして、トークスタート。鈴木さんも前回より喋ってくれた。途中、酔っ払っているのか一瞬無言になるシーンもあったが(笑)、それもある意味でアクセントになった。鈴木さんの話と多摩川のロビンソンクルーソーの話をしたのだが、みなさん真剣に話を聞いてくれた。素晴らしい会になったのではないか。終って、たくさんの人と話し、その後、鈴木さん、北尾さん、テリーさんら8人ぐらいでヴィーナスフォートの中の中華料理屋で打ち上げ。ヴィーナスフォートって初めて入りましたが、大掛かりな文化祭みたいでした。ダムの話などをする。そして、みなさんと別れ、鈴木さんと二人で新橋まで戻ってくる。僕は12時過ぎに帰宅。昨日貰った菜の花をおひたしにしたらとんでもなく美味であったらしい。とりあえず、今日の仕事も無事に終わらせることができ、ほっとしてそのまま寝る。

2009年1月10日(土)

午前6時起床。原稿。午前10時過ぎに外出。南武線で川崎駅まで。多摩川のロビンソンクルーソーの家へ取材。おじさんの入口には賀正の文字が!インターホンを押すとすぐに出てきた。赤ら顔。もう既に飲み始めているようだ。コヨーテに書いているハロー!ワークスの文章を読んでくれたらしく、しかも気に入ってもらえたようだ。あんたなら、何でも書いていいよ、と言ってもらえたので一安心。いつもこの瞬間が難しい。やはりどうしても僕が扱っている題材は、その取材した当人にもうまく理解してもらえないこともある。そりゃ当然なのであるが。鈴木さんや、この多摩の方舟に住むオジさんのように、本当にやりたいと思っていることが通じてくれるとやってきてよかったなと思う。まだまだ突き進まなくてはいけない。今年はこのおじさんを完全密着して、本を書こうとも思っている。そのことを話すとオッケーしてくれた。無農薬栽培している菜の花を貰う。その後、とんでもない話を色々としてもらう。これは明日のトークショーで話したら面白いかもしれない。その後、持っていった焼酎で乾杯し、午後6時過ぎまでまた飲む。この人は雨水だけを飲んでいるし、今日は手作りの肥溜めも見せてもらった。自給自足しているし、鳩の卵も食べている。六月にはサクランボが大量に収穫でき、竹の子は近所の主婦に大人気、竹で黒鯛を釣る釣り竿を作っては釣り具に売り、捨て猫を30匹も保護して、近所に住む村井さんというおばさんと二人で育てている。これだけでもとんでもない。しかも、色彩の研究者で、その昔早稲田の理工学部で教えたこともあるというのだから、驚きである。こんな仙人であり、科学者でもある日本人が東京のド真ん中に生息しているのである。こんなこと誰が信じるだろうか。また面白いことが起きそうだ。一体何なんだ、この世の中は。どれだけ面白く、希望があるのか。最近のつまらない報道等にはがっくりだが、現場はこうだからたまらない。人間は今も生き生きと蠢いている。それを僕たちは感じないといけない。東京の中でも、近所でも、大冒険をすることはできるのである。帰ってきて、この前、高円寺のオーセンティックという奇跡的なベトナム料理屋で衝撃を受けた、ベトナム風角煮をフーが作った。これがまた絶品であった。ベトナム風は、ナンプラーとココナッツジュースで煮込むのである。アオを風呂に入れたら、もう疲れて仕事は進まず。明日はトークショー。話したいことは山ほどある。それをどうにかうまくまとめて、衝撃的な夜にしたいと思う。まだ当日券もあるようなのでどうぞ。

2009年1月9日(金)

午前7時起床。午前中は写真、画像の整理。お昼過ぎにアオを連れて小児科へ行き予防接種。帰ってきてからは、立体読書のドローイングに取り掛かる。夏目漱石の「変な音」にした。漱石も建築家を志したことがある作家。でもみんなそうなっていないから面白い。萩原朔太郎なども自分で家とアトリエと机と椅子をデザインしているし、佐藤春夫もそうだ。なのに建築家には誰もなっていない。自分の周辺のものだけは作るのだ。そして、その空間の中で、紙の上に建築を建てようとした。そこで浮かび上がってくる空間は、既存の建築という概念とは違ったものであった。それは「建てなくても、感じることができる」「ないのに、実はそこにある」「しかも、感じる人によってそれぞれ形、大きさ、雰囲気が違う」空間なのではないか。それは建物を建てて、ハイできあがりというような空間ではない。創造力によって、誰もが瞬間的に感じることができるもの。だから、彼らは注文をされ、実際に建てる建築家ではなく、文学者を選んだのではないか、と思っている。そして、もうひとつの空間の概念を示そうとしたのかもしれない。僕が興味を持つようになったのは、そのせいであると思う。僕には、それが鈴木さんの家とやはり密接に繋がってくるのである。現実に存在している空間の大きさではなく、自分自身が体感できる空間の大きさこそが重要なのだ。それは生活ということにも当てはまるかもしれない。しかし、なかなかそのことを伝えるのは難しいものである。デュシャンの言葉で言えば、空間についても「網膜的」に感じてしまうからである。そうではない方法で、空間を捉える考え方の具体的なやり方を、見つける必要がある。夜まで描いて下書き終了。ペン入れを始める。

2009年1月8日(木)

午前7時起床。コヨーテ、ハロー!ワークスとワープインジャパンのゲラチェック。コヨーテは今年から刊行ペースが変化する。二ヶ月に一度になる。次号は2月10日。午前中、図書館へ行く。何か鼓舞させるものを欲していたので、何か借りようと思った。で、スティーブジョブズの非公認ノンフィクションであるらしい「iCON」という本が気になり、借りてきて読んだ。たまげて、笑った。自分に安定しようと、安心しようと思う気持ちが発生した時はこれ読もう、という本が僕にはいくつかあるが、それに仲間入りした。仕事のやり方がハチャメチャのように書かれているが、この人の「不可能を短期間で実現させる」という方法は僕が思うに、それはかなり効率的に効果をあげることが出来るやり方である。まだ序盤だが、それだけでも十分であった。その後、外出し、立川の世界堂へいく。ハザマに以前描いた1メートルのキャンバスDig-italを額装する。担当者がモチベーションが高くて、非常に助かるし、盛り上がった。こういうところで僕だったら、この額かなとちらっと見せてもらった途端思ったんですけどね、と言われたら誰だって盛り上がる。創造性を日常にポンと出してくる店員が近所にいるのは嬉しい。しかも、結局その額は僕は選ばなかったんだけど。そういう問題ではないのだ。その会話が重要。その後、思考。で、一つ自分が考えていたけど、ちょっとありえないだろうと思っていたアイデアをもう一回引っ張ってきた。これちょっとやってみようか。そうするとたぶん面白い流れになってくるはずだ。上智大学のアンジェラ教授からメール。そろそろ日本近代文学短編集の本の製作も始まるのかもしれない。僕は挿絵担当なのだが、今年はこの立体読書関連について色々と喋れればと思っている。そろそろ年明けてきたので、みなさん仕事が動いてきたようである。春秋社の篠田さんから電話。昨年年末に渡していた完成した原稿の反応。概ね良しとのこと。自分が次に書きたいと思っていた方向がうまく書けたと僕は思っていたのだが、それは編集者が求めているものと違っているかもしれないと心配も同時にしていたので、喜んでくれてとても嬉しかった。春頃には出版されると楽しい。今年はとにかく誰から求められなくても勝手に怒濤の勢いで仕事をすることにしているので、その先陣を切って欲しい。その後、東京カルチャーカルチャーの植田さんと電話して11日のトークについての打ち合わせ。今回Kさんが出演することになっていたのだが、やはり鈴木さんのインパクトが凄すぎるので、Kサンに電話してまた次の機会にお願いすることにした。こういうぎりぎりの変更は非常に重要である。がつんとメッセージを送るにはどうするればいいか、を考えて変更してみることにしました。でも、Kサンもスライドで登場してもらう予定。夕食は一昨日の中村さんのところの大根などを使って、おでんをフーちゃんが作製。美味。黒糖朝日をロックで飲みながら。どんな状態であっても、難しいほうに挑戦したほうが楽しさがある。というか、どんな状態でも、面白いと感じて、楽しみながらやっている人間は、わざわざ難しい方をやりたがる。なぜならそっちの方が、楽しいからだ。という話を昨日の鈴木さんから話を聞いて、しかも、こんなつまんなそうなご時世に言うもんだから、衝撃を受けた。皆、仕事がない、どうしようと言っている横で、それはチャンスじゃないか、会社に頼らず自分自身で生きるチャンスではないかと言っている隅田川沿いの鈴木さんのモチベーションの違いは一体何なのだろう。昨日飲んでいて、この前の坂本政務官の失言のことを、「ありゃ、正論だよ。人前で言うなんてセンスが悪すぎるけどね。だって、毛布も布団も食べ物もくれる所は他にはないから、隅田川に住んでいる人がいったとしても何もおかしくないもの」と隅田川のほとりで言ってたのが印象的だった。鈴木さんだって、元はそのようにして路上に入ってしまった人だ。しかし、その一週間後には師匠となるウジイエさんと出会ったんだもんな。そして、今、本当に大変だけど楽しいよと言っていた。そういう意見を伝えようと必死にやっているメディアは今皆無である。多様性に溢れているように見せて、実は一つの価値観だけで、全てが動いているように見える。今の流れでは、また人間を一つの塊のように捉えてしまって全体的に伝えようとしている。それではないはずだ。もっとそれぞれの個人が持っている無限に広がる可能性を考えていかないと。人の気持ちが強くなるのは、金でも仕事でもなく、自分の持っている創造性に気付いたときだ。そこを僕は伝えていきたい。今度のトークショーは何かのきっかけになればと思う。とても強い言葉を聴けるはずだ。たくさんの人に集まってもらいたいと思う。

2009年1月7日(水)

午前7時起床。原稿。色々とアイデアが浮かぶ。今までの流れをがらっと変えてみる方法も面白いのかもしれない。こうやって書き続けているということの何が面白いって、変化する瞬間が訪れるときだ。昨年のTOKYO0円ハウス0円生活を書いているときも、とてつもないことを書いているという実感と同時に、こんなことを書いて鈴木さんは困ったりしないのだろうかなどと思いながら、それでも、そういったことを飛び越えていく、僕の確信があったので書き続けたのだが、第三章を書いたところで完全にキーボードを打つ音が消えてストップした。で、困ったが、次にではどうやって僕が隅田川に行ったのかを書いてみようとふと思い立ったのだ。でも、これはただの僕の幼少の頃からの話で読んでも誰が面白がるだろうかと思ったのだが、なぜかその転換のおかげでキーボードはまた勢いを取り戻したのだった。そのまま4、5日間で残りの150枚くらいを書いた。一番、自分が嫌だな、進みたくないな、恥ずかしいなと思っている方向こそが、実は自分が一番書きたいことだったりするのである、と学んだ。それがどう読まれているのかは関係ない。自分の中で変化が起こり、それによって自分が今までそれは無いだろうと馬鹿にしてしまっていた方向性に力が漲る瞬間を体験することこそ、仕事の醍醐味であるなと思った。自分の確信ある可能性をフル稼働させて、自分の不可能性を事実に生まれ変えることは、何度やっても興奮するし、しかも、それは実現された瞬間しかそれを頭の中で理解できない。考えて実行できるものではない。だからこそ、自分が信じてる可能性が非常に大事だとも言える。これらはちゃんと把握できるし、言うことも聴いてくれる。しかし、不可能性は見えないから手強い。だからこそ、挑戦する楽しみがあるってことだろう。今、僕に興味があるのは可能性よりも不可能性である。それといかに付き合っていくか、それを考えていると気持ちが高ぶる。昼前に浅草へ。鈴木さんに新年の挨拶に黒霧島持っていく。アルミのレートは60円にまで暴落してしまっていた。で、鈴木さんの顔を見ると、自信に満ち溢れていた。収穫量がなんと今週は180キロを超えたそうだ。僕が取材していた頃は100キロ強ぐらいだったのだから、その伸びは凄すぎる。だから、社会が落ち込もうがなんだろうが、関係ないのである。その不可能性こそ、可能性でもって突き破るのである。さらに、話を色々と聴くが、今日は僕は泣いた。なんだか、もう分からんが。凄すぎる、この男。11日にトークショーをするのだが、やはり今度は、ぜひこの隅田川の鈴木さん宅でトークショーが開かれたら凄いのではないかと思い立った。入場料はそのまま鈴木さんのギャラになれば素晴らしい。などと考える。で、結局帰ったのは午後7時。6時間ほど飲んでしまった。みっちゃんも混ざってみんなで大騒ぎ。家に帰ってきて、フーカレーを食べて、酔っ払ってしまったのでバタンキュー。

2009年1月6日(火)

午前7時起床。原稿。お昼すぎに外出し、散歩。で、歩いて歩いて最近お世話になっている無農薬農家中村安幸さんのところへ野菜を買いに行く。ここの農道はどうやら戦時中から変わっていないようなところらしい。気持ちの良い道である。中村さんのところへ行くと、今日はあんまり野菜が並んでいなかった。中村さんの野菜は「生活くらぶ」という厳選された食材を宅配するところに卸されていて、そこに出せない商品がここの無人販売所に並ぶわけだ。でも、キャベツと大根があったので買う。キャベツは一玉150円。無農薬の手塩にかけて育てた野菜がである。西友でも一玉180円強する。大根も太くて長くて100円。帰ろうと思ったら、中村さんがいたので「この間の野菜感動しました」と御礼を言うと、何か他に欲しいのはあるかいと言ってくれたので、ブロッコリーを一つ採ってきてくれた、なんなだ、この平和な光景は。畑では、なかよくなった三歳児エミリちゃんが駆け抜けている。野菜を作った人から目の前で直接貰った野菜を食べたのは初めてだった。しかもとんでもなく気合入っている農家。帰ってきて、ただキャベツを炒めただけでこれが旨いのです。塩なんかぱらっとかける程度でいい。なくてもいいかも。元気になる、この野菜は。

2009年1月5日(月)

午前7時起床。ドローイング。カナダのウィニペグからメールがあり展覧会についてちょっと渋い内容。もしかしたら展覧会に行けないかもしれない。これも経済の動乱の影響だろうか。行けないし、なぜかいつの間にかチャリティー展覧会に変わっていた。これはいつの間にかじゃないかもしれないが。チャリティーには積極的に参加したほうが、色々と広がるのでその旨伝える。しかし、こういう時こそどうにか必死に良い展覧会をやらないと駄目なのに、ただ作品を集めるだけではどうなのかなと思う。まあこちらは何も変わらず、自分の仕事を徹底してやるだけだ。でも、おかげでマネックスの壁画の展示を延長することができそうだ。何かが起きても、また次の何かに繋がるのだ。どう転んだって、面白いことが起きるのである。それを楽しめている限り。

2009年1月4日(日)

午前7時起床。原稿。ちょっと休んでいたのでなかなか進まず。年賀状を書いて、その後、ライブのための曲作り。エレキギターを弾きながら構想を練る。今回も五曲ほど歌う予定。音楽もなぜかちびちびとやり続けている。いつか、ペットサウンズのような本のような空間のようなものを作りたいと思っている横で、JBやフェラクティみたいに踊り狂いたいとも思っている。この二つの相反するものが、いつも自分のヒントになっているような気がする。それは音楽だけじゃなくて、自分の作業でもそうかもしれない。じっくり籠って、制作し、それを持って、次に色んな場所へ吹っ飛んでいって、回転する。あるアイデアが浮かんだので、試しにやってみる。これまた今までやったことがない分野なのでどうなるか分からん。でも、Dig-italというドローイングを始めたときもそうだった。何やっているか分からん時こそ、途中でやめずに一回形にしてみる。で、不思議なことにその時の一筆が、やっぱり一番エネルギーを持っていたりする。分からん方がいい。

2009年1月3日(土)

午前中、家族でヤマダ電機へ。フー母が色々と購入。なんだか、電化製品は凄いことになっているな。ほとんど見に行くことがないので新鮮であった。その中で生ゴミを乾燥させて処理する機械が売られているコーナーもしっかりとあった。そのうち、トイレも自動的に肥料になったりするものなんかも出来るのかもしれない。この辺のことは矛盾することも多いので微妙でもあるが、今、僕が路上で出会っている事柄とも妙に繋がっているので非常に興味深い。でも、もう多摩川では自分のトイレを自動的に肥料にして自給自足しているだよな、しかもオール電化ではなく無電化で。電気屋さんに来て、自分の今年の仕事をしっかりとやらねばと思うのは、なんだか面白い。帰りに、Bistro Takkiで昼食。僕は沖縄産の豚キムチパスタを食べる。美味。そろそろ正月も満喫したので、僕だけ一人で国立に帰ってくる。明日から仕事に戻ろう。今年の計画を立てる。とにかく今年は本を書く。絵も方もしっかりと力を入れたい。そして、今年はどうにか僕が0円ハウス0円生活について考えてきたことを実践できるような土壌を作りたいと思っている。

2009年1月2日(金)

昼前に外出し、みなとみらいへ。来月のウィニペグが極寒のため、ちょっと防寒用のジャケットを物色しにフーアオとセールへ。一番良さそうなものが、この前モントリオールでタダで貰って、帰る前にあげてきたものに酷似していて、しかも高かったので踏みとどまる。しかし、2月のウィニペグはモントリオールの比にならないくらい寒いらしいのでなんとかせねば。その後、タンゴも同じく繰り出して来ていたので、四人で昼飯を食べに行く。その後、子供用品売り場も物色、購入し戸塚に帰ってくる。帰ってきて、来月用のために読書をして、映画「オズの魔法使い」を見てあちらの世界へ旅立つ。DVDにはメイキング映像まで入っていて、そちらもかなり凄いことになっていた。ブリキの人は全身にペンキを塗ったままで撮影をしたために、撮影終了後亡くなってしまったという小学校時代からの勝手な記憶があったのだが、どうやらそれは違うようだった。しかし、メイキング映像を見ると、実はブリキの木こりは代役だったそうで、その前の人がペンキではなくアルミの粉を吹きかけて撮影していたため、肺に入ってしまって入院していたらしい。この映画にはそんな微妙な記憶と幼い頃の勘違いのようなものが僕の中ではあって、そこに生じている空間がいつも気になる。さらに、僕は映画もよくテレビで放映されている時に見ていた記憶があるのだが、同時に子供劇でもこれを見ている。そっちの記憶とも混ざっていて、ある意味オリジナルな自分の中のオズが出来上がっている。などをメイキングを見ながら考える。テリーギリアムのドンキホーテ映画のメイキングも、コッポラの地獄の黙示録のメイキングも好きだが、メイキング映像というのは、演じているものと、現実のものとの窓、枠、膜の部分に僕たちの目があるわけでそこがやはりたまらないのだろう。

2009年1月1日(木)

午前7時起床。原稿。朝日新聞に載っていた円周率を10万桁記憶する日本人男性の記事を読む。なんでも0から9までの数字一つ一つに複数のひらがな文字を当てはめて記憶しているらしい。そして、それを使ってまるで同時翻訳をするように壮大な物語が始まる。北海道の武士が全国各地を練り歩き、円周率に関する出来事に出会い、朝鮮半島を超えて、シルクロードにまで辿り着くらしい。これではまるでレーモン・ルーセルではないか。不思議の国のアリスも。この数学的なものと、文学的なものとの結婚的な結びつきは、マルセルデュシャンの思考とも繋がってくるように思えて、新年早々からもう始まっています。午前中、おせちを食べて、鎌倉の鶴岡八幡宮へ初詣。ここは混んでいるように見えていつもちょうど良い。お参り後、繁茂という近くの蕎麦屋さんで天丼とざるそばを食べる。で、ここが旨かった。円周率の話に触発されて、何か見たいな思ってビデオ屋に行ったら、ビューティフルマインドという映画があったので借りてみる。実在のノーベル賞を受賞した数学者の話とは知らずに見るが、良かった。数学的なものと文学的なものが二つをそれぞれ補完するためにあるのではなく、同時に存在するというのは、僕にとってはその時に空間が浮かび上がってくるように感じられる。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-