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Journal -坂口恭平の毎日-

2008年9月30日(火)

午前8時起床。朝から、作曲。「はなす」「かたあし」というのをサンプリングと即興で作る。午前中、部屋の整理整頓。仕事部屋完成。ジョルジ・ベンと共に。ブライアン・ウィルソンが新しいアルバムを出していた。片付いた部屋で乱歩の軌跡の続き。読了。色んな読み取り方が出来る本であった。それともう一つ、こちらは絶版なのだが、安岡章太郎の書いた佐藤春夫の書斎についてのエッセイが載っている本がある。ちょっと図書館で探してみよう。壁に頭一つギリギリで入るくらいのおそらく世界最小の書斎であったらしい。換気扇付きとの事。気になる。色々また新しい展望が見えてきたところで、ちょっくら国立を散策してみようと思い、ふーとアオの三人で、引越前日にたまたま車で通りかかって見つけたシエル・ド・リヨンへ行ってみる事に。北口の静かな住宅街にひっそりとある店構えを見てすぐにピンときた。こういうわざわざ古くしていない、かといってただ新しいだけではなく、変に洒落過ぎてもいないのがいいのである。中に入ると、もう既に満席。駄目かと思ったが、カウンター席が三席だけあるのでそこに座る。こういうカウンターってなかなか無いけど、僕がパリのマレで行った亜鉛製の無茶苦茶かっこよかったシュバルというカフェの雰囲気が感じられた。横には、フランス人のおっちゃんが座って、バゲットの上にスープの具材を乗っけて美味しそうに食べている。若鶏のローストを注文。1000円。値段が嬉しい。これがまた美味すぎた。こういう店がひっそりとあるのは凄いかもしれない。店員さんも良い感じ。こりゃ常連になってしまうでしょう。満足のまま店を出て、西荻窪へ。不動産へ行き、書類などを書く。前の家の大家さんに挨拶。この人、午前5時頃にドンドンと戸を叩いて、わざわざキッコーマンの醤油を西友で買ってきてくれる、というエピソードがたくさんある。普通だったらおそらく警察沙汰になっていたであろう。それでも、僕はそういうところが面白いなと思った。さすがに、朝4、5時台の訪問が連続したときは、娘さんに電話してやめるように言ったのだが、その時に「坂口さんに心開いちゃっているので、すいません」と言われてしまったので、付き合えるだけ付き合おうと決めた。おかげで僕も家でステレオのボリュームを最大でも何も言われないという、キングストンのゲットーのような自由な風が吹いていた。とんでもないけど、面白い所だった。で、次はどうかと言うと、大家さんに会ってきたのだが、これがまた、仙人のようなロンゲの人。なんでこんなに特徴のある人ばかりなのだろう。大家さんたちのポートレイトなんか撮ったらとんでもないもん出来上がるんじゃねーか、と思う。西荻の後は、下北沢に行って、現代の生業のための取材。下北のハズレにあるヘンテコアパートの大家さん。今度も凄い大家さんだと思うが、まだ会っていない。しかし、その人がやっているアパートが凄いのだ。入居した初日に部屋に入ると、ペンキが入ったドラム缶が置いてあるらしく、部屋の中を好き勝手に塗れってことらしい。そんな馬鹿な。雨が降るので、次の機会に訪ねる事に。帰りに、子供服屋を見つけたので、アオ服を購入。その後、ホカリに電話してジャズ喫茶マサコで会う。二人で昼間っから麦酒大瓶三本飲みながら、話す。二時間ほど話して、吉祥寺でついつい、カナダ産の松茸を買わされそうになったが、食い止め、代わりに干し椎茸などを購入し、国立に帰ってきて、夕食はボロネーゼを食べて、原稿。明日から10月に入るので、次の新しい書籍の原稿を書き始めることにした。マネックスから、会社の一年間の報告本が送られてくる。その表紙にもDig-Italが使われている。部屋の床で寝そべってインクとペンでただただ自分を落ち着かせるためだけに描いていた絵がそんなところに掲載されるようになるとは、人生は本当に分からないものである。

2008年9月29日(月)

午前8時起床。朝から原稿。お昼過ぎに、国立駅へ出て買物、ランチ。その後、新宿へ行き取材。紀伊国屋で書物を購入。国立に戻ってきて、ネットカフェに行く。家で、乱歩の軌跡を読む。やはり面白い。この本は、推理小説家としての乱歩の側面は脚力避けられている。貼雑帖からとにかく丁寧に乱歩を読み取ろうとするやり方なので、父と息子の関係性ではない。それにしても、自分が住んできた全ての家の図面、いくつかは、断面図まで、どんなものが置いてあったのかを考現学的に考察しているものもある。さらには日本初のレコード鑑賞会を企てたり、そのチケットまでガリ版で作ったり、映画の原案を執筆し、映画監督として売り込みをかけたり、ラーメン屋台をやったり、少年新聞の刊行を試みたり、こちらがゾクゾクするようなことをとにかくどんどんやってくれる。僕が考えている、多焦点を持つ職業というものにかなり近い感覚である、と思った。夜まで読む。プロコフィエフのシンフォニー第一番を聞きながら。これもまたいい。少しずつ引越も落ち着き、制作に没頭しようという気になってきた。ニフティから何だか面白そうな仕事の依頼。モントリオールから連絡事項。夕食はすき焼き。泡盛を飲みながら食べる。自分の部屋の掃除。大分片付いてきた。今度は、執筆と絵画の制作を同時に行えるように、書机と、ドローイングテーブルも作成。って段ボールで。また夜は虫が鳴き、朝になると、鳥が鳴き始める。

2008年9月28日(日)

午前8時起床。朝から原稿。お昼から、荷物を開けて整理、アオのベッド作製、オーディオ接続など家庭の作業。カンちゃんから電話。日本の祭りを研究し、それをドラムの楽譜に置き換えている作業が進んでいるようで、そろそろ音を合わせてみようと事。来月、久々にいつものメンバーでスタジオに入ってみる予定。亮太が言っていた乱歩の息子である、平井隆太郎氏の「乱歩の軌跡」が気になったので購入。面白そうな予感。貼雑帖をもとに乱歩を探っていく本。立体読書的視点を考えるきっかけになるかもしれない。佐藤春夫の頭しか入らない極小の洞穴的書斎、萩原朔太郎の下北沢にあった不思議な家、この三点で説明するのはどうだろうか。新居はのどかなだ。夜になると、虫が鳴き続けている。夕食は牛肉炒めを大根おろしで食べて、久米仙をロックで。賃貸情報の規格外だけを集めた珍情報誌がCHIN-TAIと並んでいたら楽しいだろうなと夢想する。ネットはあと二週間ぐらい繋がらないので、国立のBookmarkcafeというネットカフェでようやく更新。翼の王国香港特集、エココロ四次元ガーデンのゲラチェック、送信。国立北口側にあるリヨン料理屋が気になる。

2008年9月27日(土)

午前8時起床。午前9時、2トントラックが来て、マコが来て、引越開始。その後、亮太、ソウ、デンまで来てくれる。宇田川さんはアオを預かってくれた。感謝。二時間もかからずに荷物はトラックに積み込まれ、4人で国立駅へ。少し散策し、ロージナ茶房にて昼食をとる。シシリアン、コスモポリタン、シーフードピラフ、ナポリタン。生麦酒。喫茶店の食事だから少ないだろうと安心していたら、凄い量が出てきた。嬉しい味。しかし、腹一杯になり過ぎて途端、眠くなる。午後1時半から、業者の人が乗った2トントラックが到着し、第二部開始。今度は階段の無い四階。これはちょっとヤバかった。最後は全員汗だくになり、皆のおかげで一時間半で終了。新しい家で果物を食べながら、いましろたかしの「ハード・コア」について談義する。この漫画の泥臭くなりそうなところをギリギリで抜け出ている感覚が気になる。夜は三浦屋の総菜を食す。久々に築地時代を彷彿とさせる疲労感。風呂に浸かり、眠る。

2008年9月26日(金)

午前5時起床。起きて原稿。8時まで10枚。その後、少しまた寝て、引越の荷物詰め。何だか次から次へと荷物が出来上がっていく。コンパクトにしているつもりだが。夕方までかかる。これでほぼ終了。明日、トラックで運ぶだけである。

2008年9月25日(木)

午前8時起床。午前10時に国立駅の新居へ。ふー一家勢揃いしてくれて、皆で二時間ほど雑巾がけをする。今度の家は目の前が小学校なので、体育祭の練習が熱くなっていて変な感じである。やはり引っ越す時というのは、自分がどこの誰だか分からなくなるので、いつも不思議な感覚である。掃除が終わり、皆で国立駅近くの石釜ピザ屋でマルゲリータとマリナーラ、パスタなど食べる。美味。国立、やはりレストラン充実している様子。マダムたちが多すぎる感ありだが。家に帰ってきて、仕事をしたいところだが、さらに引っ越しの準備。光文社山川さんよりエッセイ依頼。幻冬舎の竹村さんより企画についての連絡。引っ越し後のインターネットについて電話するが、どうやら二週間ほど繋がらないらしい。どうしようか。久しぶりにネットカフェに駆け込むことになりそうだ。2004年から二年間は毎日高円寺の駅前のネットカフェでホームページを更新していた。パソコンも何も持ってなかったからである。そっちの方がモバイル生活と言えるのかもしれない。何も持たなくてもいいというのが、デジタルの良さであるわけであるから。掃除は夜までかかる。

2008年9月24日(水)

午前8時起床。朝から探検。今日は荒川。堀切という東武伊勢崎線で降りたのだが、この駅、山奥にぽつんとあるような佇まい。こんなところ、東京にあったのか。そこから緑が濃い地域に歩いていくと、仰天。多摩川よりもさらにジャングル化された地域に橋の上からしっかりと見える川沿いのヴィレッジ。おっさんが煙草をくゆらせながら布団を干している。その八ヶ岳ばりの雰囲気にこちら何も考えず、また近寄って話を聞かせてもらいにいった。草は束ねられ、緑のトンネルのようなものが作られていてそこに花が飾られている。そのうちの一軒を訪ねる。アクリル板で作られた窓が三方向取り付けられており、光が入る室内。内壁には白ペンキが塗られ現代建築風。単管で組まれた直線的な家はミッドセンチュリー。雨樋もお洒落で洗濯バサミを使っていた。10年住んでいるという。現代の生業というテーマでは違ったのだが、東京においてのヴィレッジという視点はやはり可能性があるのかもしれない。その後も何軒か訪ねる。家に帰ってきて、原稿。夕方から東急吉祥寺店9階の中華料理屋にて、メイの誕生日を祝う。ここの中華、美味である。帰宅後、とにかく最近眠くて眠くてたまらないので、午後11時アオと戯れながら先に寝てしまう。

2008年9月23日(火)

午前8時起床。朝から原稿。昼過ぎにNOVが来訪。5時頃まで話す。ソウから電話。11月に高円寺にダモ鈴木が来るらしい。一緒に行こうとのこと。昔、行ったホルガーシューカイは凄すぎた。CANを初めて聴いた時の、一番求めていたのに、どこにも見つからなかったという感覚は、いつも自分が何かを吐き出そうとする時に思い返すことである。未知な既知ということ。夕方から散歩。帰ってきて、翼の王国の原稿。完成、送信。現代の生業のアイデアを練る。さらにモントリオールでの展示の企画を考える。今まで作り上げてきたものを、さらにもっと具体的に押し進めたい。現在は日本用と海外用の仕事ではまだギャップがあるのだが、それを融合させ、もっと大きな動きにするにはどうすればいいのか。考えるが、それはやはり難しい。ドローイングの仕事と、0円ハウスの仕事をどのように出会わせるか。今年出した本も翻訳し、説明をしていけば面白くなってくると思う。とかなんとか。11月と2月。カナダでの二つの展示は冒険したい。

2008年9月22日(月)

午前9時起床。昨日のウィスキー飲みまくりで頭はぼーっとしている。フー母も来てくれて、終日引っ越しの準備。途中から頭もすっきりし、捗る。ほとんどが終了したかも。今度はエレベーター無しで四階なので少し心配ではあるが。アオが生まれてきて、百日が過ぎたということで、はんなちゃんが作ってくれた陶器の赤ん坊用食器セットを使って、お食い初めをした。西荻オビ屋のお頭付きの鯛と味噌汁と赤飯と煮物。箸を持たせて、口まで鯛を運んでパチリ。夜はゲラチェックに、原稿。

2008年9月21日(日)

午前9時起床。午前中四次元ガーデン原稿。完成し送信。その後、調査。昼飯後、引っ越しの準備。荷物詰め込み。午後3時に宇田川さんが車で家の前まで迎えに来てくれる。亮太、ふー、アオと4人で宇田川さんの家へ。今日はお茶でも飲んで、話して、と思っていたが、酒亭宇田川は開店中であった。サンドウィッチ、枝豆が並び、まずはプレミアムモルツで乾杯。今日も、ヒロミさんのお手製豪華な料理が次から次へ出てきて竜宮城状態。西荻、萬福食堂からインスピレーションを受けたらしい、牛肉とエリンギとセロリとカシューナッツ炒め。これがまた絶品。お酒は宇田川さんが最近ハマっているというハイボールへ。まずは、ボウモア、その後、竹鶴、その後、ヘーゼルバーンと次々に宇田川ウィスキーセレクションがソーダで割られて登場してくる。ぼくは普段、絶対ロックなのだが、試しに飲んでみると美味であった。ハイボール。お昼から飲むには絶妙である。その後、鯛とカボチャとアスパラガスと椎茸とホタテのクリーム煮。昼とは思えないメニュー。アスパラガスとチーズを豚肉で巻いて揚げたものも登場。ウィスキーも気付いたらストレートで竹鶴、ヘーゼルバーン、さらにバーボンにも行きまして、亮太とぼくと宇田川さん皆酔っ払う。時計を見たら、午後8時。アオは最初、挨拶がわりにニコニコして、後は始めから最後まで爆睡状態。帰りにまた車で送ってもらう。引っ越しても西荻にはまた頻繁に来ることになるんだろう。そのままベッドの上でバタンキュー。午前2時頃、バッと起きて、風呂に入ってまた寝る。

2008年9月20日(土)

午前9時起床。四次元ガーデン原稿。昼頃外出。国分寺駅で契約完了させ、鍵をもらって国立へ。ここにも支店があるというので夢飯へ行ってみてランチ。海南フライドチキンライス。食後、新しい家に行き、測量などをする。いい空間である。午後3時頃帰ってくる。フーの友人のアミさんが来訪。午後5時に西荻駅改札にて、いまじんの竹本さんと初対面。それいゆへ行き珈琲飲みながら話をする。今週、それいゆ行き過ぎかも。面白いことになるかもしれない。帰ってきて、原稿。夜は、亮太とアフターグロウ。生麦酒、ラガウ゛ーリン、ラフロイグ飲んで帰ってくる。

2008年9月19日(金)

午前8時起床。午前中、原稿。コンパクト空間後半戦のアイデアなどを寝る。一つ動き出すと、そこから変なものが二、三個滲んでくる。それらを無視せず付き合ってみると、意外な方向が実は自分が求めていたものであると気付くことが多い。ぼくが路上で出会うものはほとんどがそういう瞬間である。だから、と思って滲んでくるものをメインに焦点を合わせるとうまくいかない。なんか不思議なもんである。ステレオ写真を見ているときのような感じだ。昼過ぎにマユミンが来訪。三人で話す。アオは爆睡。午後4時過ぎに外出。茅場町にある森岡書店へ。12月に行われるドローイング展などの打ち合わせ。ノックをするが、誰もいない様子なので、こりゃ日にちを間違えたかと思ってしばらく待っていると、入口から人が出てきた。森岡さんお疲れで就寝中であったらしい。雰囲気のある古いビルの一室にある古本屋。空間が素晴らしい。マルセルデュシャンのグリーンボックスが本になったものがあり、驚いて見る。ここで大竹昭子さんとトークもすることになっていて、楽しみである。打ち合わせが終わり、じゃ、一杯飲みに行きましょうとなり、森岡さんが面白いところがあるというのでそこに連れて行ってもらう。冒険居酒屋という赤ちょうちん。そこは45年も続いているハードコアな立ち飲みやであった。名前は「ニュー茅場」。生を注文し、焼き鳥を頼むと、生の串にささった鶏肉とネギが出てきた。立ち飲みテーブルに炭火がセットされている。自分で焼きながら食べる。森岡さんに出身の山形の話などを聞く。マスター、いい味出しまくっていた。一時間半ほど飲んで帰ってくる。夜、ようやく引っ越しに向けて作業を始める。本、漫画などをまとめる。

2008年9月18日(木)

午前8時起床。朝食後、原稿。アイデア出し。翼の王国から原画が戻ってきた。漢字などの訂正を三箇所。次の取材に向けての資料集め。いつも新しいものが見つかるわけないと、諦めそうな時に出てくる、というギリギリなのであるが、まだ出てこない。これを煮詰めて、また歩けばいいっか。とりあえず、ここ最近のイベント的な仕事が昨日の講演会で終わり、これからは11月末のモントリオールでの展覧会までは執筆に集中する時間があるので、ごりごりやってみようと思っている。コンパクト空間、銀座、そして都市生活マニュアル。どれも出来上がれば面白くなるであろう企画なので、手を抜かず遅れてきた夏期講習のごとくやってみよう。午後5時、それいゆにて、春秋社の篠田さんと打ち合わせ。前半戦原稿107枚についての感想などを聞く。概ねオッケーで、このまま突き進みましょうということで別れる。20人の在野的路上的普通的無名的創造者の物語。とりあえず11月下旬第二次〆切で。家に帰ってきて、夕食はたまにはしっかりと肉を食べようということでハンバーグ。夜は、また調べもの。調べものしている時は、鬱蒼とはえた草むらをただ歩いているようで、気が遠くなる時もある。が、やはり宝探しは楽しいわけで、しかも、それがただの宝ではなく、内的必然性との共通点を持つものであれば、なおさら、やめられなくなる、はず、とか、自分を鼓舞しながら、ひたすらやる。

2008年9月17日(水)

午前8時起床。朝食後、少し原稿。その後、スライドを再度見直す。NHK出演依頼。返信。お昼過ぎに外出。午後1時20分に練馬駅近くの練馬公民館へ。寿大学当日。担当の丸山さんと会う。今日話すホールは、僕が小学生だった頃を思い出すような、小ぶりながら感じのよいホール。MacBookを接続し、準備万端。何やら重厚なテーブルに大きなマイク。そうそうこうだったよなあと思い、そこで僕が話すことが異様すぎて、逆に面白い。楽しみになってきた。舞台横の楽屋でごろっと横になり、時間が来るのを待つ。そして、午後2時、丸山さんに紹介されて、壇上に上がる。参加者は後ろの席までしっかりと入っていた。いつものように喋り通しで50分。しかも、ここでまだ終わらず一回休憩後、さらに40分。こうやって話すというのは、自分の仕事を見直す意味でもとてもよい。質問もいくつか飛んだ。かなり真剣に話を聴いてもらったようだ。館長も喜んでくれていたようだった。その後、事務室でお茶を飲んで、報酬も戴き、帰ってくる。いつも話しすぎると、興奮で落ち着かなくなるので、フーアオを西荻駅に呼び出して家族でそれいゆに行き、タイ麦酒で乾杯し、チーズスコーンも食べて一服。今日はまた違う話ができたように思う。人間の家に、資本主義を介入させないで出来ないかと本気で思ってきた。それは教育もそうだろう。マンションが売れなくて余って困っているなんて馬鹿げているわけで、もしも本格的に全ての家が0円で提供されるようになってきたら、一体人は何にお金をつかうのだろうかと一人で夢想する。面白いじゃないか。オリンピックを東京に呼んで、一体何をやろうとしているのか。建築家は、そういう声を掛けられて、はい分かりましたと言ってデザインをし始めるのではなく、もっと本質的な問題を見る必要がある。それが今の建築家たちには全く出来ていない。ここに今、それを建てる必要はありません、なんて誰も言わないわけだから。こりゃ、もっとがんばらないかんなと改めて思った。お城は、今でも見ることが出来るが、昔の町人の住まいはもう見ることは出来ない。しかし、僕はやはりどうにか保存しようと必死になっているお城なんかより、市井の人々が暮らしていた空間の方が重要に見えてならない。そこにはリアルな人間らしい生活が詰め込まれていたはずだ。だからこそ、今も僕たちは、身の回りの空間にこそ、焦点を当てる必要があるんじゃなかろうか。物体として歴史に残るものではなく、この現在に蠢いているエネルギーをどうやって次に繋げていくか、だと思うのである。夜は、机に眠っている、カセットテープの山を漁り、音源の整理。忘れていた曲などを多数発見。MUSICコーナーをそのうち作りたいと思う。

2008年9月16日(火)

午前中、調査。海底ハウスについて。面白そうだけど、今は魚の家になっているらしく、水が室内に入ってしまっているらしい。それでも、昔は家族で生活をしていたらしく、その希望をまだ失っていないようだ。電話口でやる気に満ちた声。昼頃外出。新宿タワーレコードで、イーノのアンビエント3と、ペルトのアリーナの二枚購入。その後、鬼太郎の家を調べに南新宿へ。どうして、南新宿とか北新宿とか南池袋とか大都市のエッジには何ともいえない空気が漂っているのか。四次元ガーデンも下町に多そうに見えるが、意外とこのエッジ部分の方がパンクな庭は多い。昔会った、クアラルンプールのハードコアグループとも関連があるのではと妄想。取材の後、リトルモアへ行き、浅原さんと会う。今度、リトルモアがパリの写真フェアに出展するらしく、0円ハウスにサインしてとの依頼。0円ハウスも、いまだに地道ではあるが、ちょこっとずつ動いている。今から4年前の本だが、これがもっと多くの人に伝わるためにも、こりゃ一丁気合入れんとなと思う。ただ出して終わるのではない。それを持続させ加速させていかないと面白くない。厳しい世界だが、だから燃えるわけだ。その後、一階で仕事中のデザイナー宮川さんとも話す。宮川さんのナム・ジュン・パイクに対する考え方が面白く、発想が浮かぶ。その話をしていたら、去年、フランスのサンナザレでやった展覧会で、河原温さんの1950年代のドローイングと一緒に展示をしたことを思い出した。あれは非常に貴重な体験であったが、あの絵が今、フランスにあることと、僕がちくま文庫で知った読売アンデパンダンやネオダダのような動きとが、ぐらんぐらんと、揺れた。そこを宮川さんにちょこんと押された気がした。午後5時に家に帰ってくる。午後6時再び外出し、西荻駅改札にて光文社新書編集部の山川さんと待ち合わせ。それいゆにて色々と話をする。立体読書に関する話と、窓について、などまた自分の中で次にやりたいことを話す。一回試しにやってみましょうかということに。僕も調子に乗ってついつい二時間ほど喋りまくる。帰ってきて、夕食。鳥つくねハンバーグ。アオの便秘が5日目なので、いちじく浣腸を半分だけやってみた。ぶりぶりと出る。一人で壁に映る人形の影と会話をしている。こちらが入り込める余地無し。夜は明日の準備。明日は講演会。頭の中でイメージトレーニング。高揚するような話ができたらいい。難しいことだが。

2008年9月15日(月)

朝から、昨日の絵に少し付け足す作業。今回は色鉛筆での彩色をしてみた。これはまた新境地かもしれない。よくよく考えると、僕は元々色をつける事ばっかりやってきていた。クーピーの60色セットとかも持っていたなそういえば。あんまり白黒にこだわらずに色々とやってみても面白くなるかもしれない。昼前に完全に完成。メールでデータを編集部に送信。昼食は冷やしうどん&たまご焼き&もずく。最近、もずくが美味い。食後、三人で散歩。途中「のらぼう」の店主、牧夫さんにばったり会ったので挨拶。西荻在住三年なのだが、なんだかどっぷり浸かったので、まるで生まれ育った場所のごとく。ま、僕の場合はそれがナイロビでもそうなっちゃうのだが。タカにも再び会いに行く。その後、善福寺にあるタカの家にもお邪魔して、サツマイモのタルト、モロカンミントティーで喫茶。アオとタカの娘、チーちゃんと遊ぶ。夕方、歩いて家に帰ってくる。連載用の調査など。0泊3日、4次元ガーデン。月三本連載は、大変ではあるが、高いモチベーションが保てるからそれは非常にいい。今日は、海底に沈む家についてを色々と調べる。そんなものがあったのである日本に。一つかなり気になる所があったので明日電話してみよう。海底ハウスはなんと二つ見つかった。これは、ハウスシリーズにも繋がる可能性大である。自分の周辺に全てのものが転がっているのである。何も遠くに行く必要は無い。もっと近隣の画像解像度を上げていこう。デビットホックニーの言葉が頭に沁みる。彼の絵は、ほとんどが自分の家、もしくは庭、もしくは近所を題材としているのである。変化しない空間で毎日が変化していく、螺旋状の日常。気になるテーマである。明後日に、いよいよ寿大学があるのでそれの準備も。今回は65歳以上という年齢が限定されている。それがどう影響してくるのか、考えると楽しみだ。以前だったら緊張して、不安だったことが、最近はその緊張と戯れることを覚えてきたような気がする。昔、自分が憧れていたような作家や芸術家たちが、おそらく相当忙しいはずなのに、毎回斬新な新作を出し続けている姿を見て、とても自分ができるとは思えず、お先が真っ暗になり、気が遠くなり、頭が痛ーくなっていた。今は、それをまだ実感してはいないが、小さい感覚なら感じることができる。限界の先は、鋼鉄の穴ではなく、柔軟なゴム状の穴の向こうにある。ゴムは少しずつ伸ばしていくことで、広げることが出来る。でもゴムだから、放っておくと、知らぬ間に元に戻り、閉じ込められてしまう。だから毎日、筋トレ的に広げていくことが必要なのである。そのためには休みを毎日取る。そして一日も休まない。矛盾するこの二つをやることにしている。毎日やるべきことを決めたら終わるまでやめない。でも終わったらその時点で終了し、それがお昼前だろうが構わず仕事を中断する。前農業社会では、家族を養っていくことができる分量の採集ができた時点で、その日の仕事を終了させるらしい。それはそれ以上取ったら自然に悪いという考え方からではないと思う。かといって中庸というのも違うと思う。単純に適度に充実し楽しく、適度に休息を取りたいからだと僕は感じる。好きなようにやっているだけということだ。Spiegel im Spiegelをかけていたら、アオが激しく反応した。いい耳だ。しかも、合わせて体動かしている。この曲は普通の大人が聴いたら静かなアンビエントミニマムクラシックなのであるが、もしかしたら、何か巨大な物が動く寸前の激動の静止状態なのかもしれないと閃かせてもらう。曲は鏡の中の鏡という意味。やっぱりこれとJUDEE SILLはいい。

2008年9月14日(日)

昨日、描きまくって脳味噌が疲れたのか、午前11時まで寝ていた。その後、フータンゴと三人でブランチ。お昼から作業に取り掛かる。もう一枚の大判イラスト。これがまたいつものごとくスタートしない。そこで気分転換に、タカの家までフータンゴアオと4人で歩いていくことに、途中で仕込み中の「のらぼう」にお邪魔して挨拶する。タカは外回り中で店に居なかったので、骨董屋などを覗きながら帰ってくる。ケーキ屋で洋梨のクレームブリュレなどを買う。帰る途中で、DENに遭遇。DENはこの前、有隣堂で催されていたブックフェアのようなもので、隅田川のエジソンをプッシュしてくれていたので御礼。何かのきっかけになってくれるだろう。帰宅後、クレームブリュレを食べて、アオと戯れて、ようやく午後5時にイラスト開始。また歩いたのがよかったのか、がんがん進む。なんかこういう流れらしい。そのまま描き続けて、夕食は中華丼を家で食べて美味。午前1時半、皆が寝静まった後、彩色まで完成。やっぱり8時間。一人で嬉しくなる。やっぱり絵が出来た時は一番自分が嬉しいのである。イラスト大判2枚、小判8枚の10枚を3日間で。やっぱりマネックスの死闘を繰り広げてから、手の力が伸びたような気がする。もうちょっとというところで粘りが出てきた。とりあえず翼の王国が終わりホッとする。次は、横長1メートル大のキャンバスにマジックドローイング一枚描く予定。執筆も忘れてはいかんぜよ。頭が沸騰したまま、寝れないかと思ったが、体力が果てていたらしく爆睡。アオ、午前4時頃爆笑し、目をカッと見開いていた。

2008年9月13日(土)

午前8時起床。カナダからINFORMAL ARCHITECTUREのカタログが届く。こうやってそんなに大きくないギャラリーなのに、展覧会に合わせて200ページ強ハードカバーのカタログを作るって凄い。テレビ番組制作会社の方から連絡。早稲田学報という雑誌が送られてくる。僕が書いた原稿が載っている。coyote最新号も。新連載「ハロー!ワークス」第一回目が載っている。これは毎月続けれることが出来ればすごいと思うが、実行するのはハードかもしれない。まあ、とにかくやってみよう。翼の王国用のスケッチ開始。今日は香港の鳥瞰図。いつも日記に書くが、やはり今日も描けない。そこで、インスピレーションを求めて図書館へ。しかし、空振り。と思って家に帰って諦めて描くとあら不思議、なぜかスラスラと手が動く。本当によく分からん手である。図書館まで歩いたりしたのが、よかったのだろうか。そんなわけで午後3時からスタート。午後7時頃タンゴが遊びに来る。4人で夕食。豚味噌炒め。白ワイン。食後、僕だけすぐ仕事に戻る。途中でアオを風呂に入れる。午後11時に彩色も終わり完成。いいものが仕上がった。終わると疲れも吹き飛ぶ。ゆっくりして寝る。

2008年9月12日(金)

午前8時起床。スケッチの構想。いつも大きな画を描く時は一日何にもしない日が必要になってくる。次の日になると、パタッと始まるのにその日は全く手が動かない。これは何かの意味があるのだろうか。というわけで今日は二枚の絵のラフ画を描く。大体のイメージは掴めたので、それと昨日描いた絵らを編集部へ送信。さらにもう一枚追加の絵の注文。〆切が少し伸びた。午後12時に中野ザッツバーガーにて美術評論家の小倉さんと待ち合わせ。佐世保バーガーを食らう。美味。プレミアムモルツと共に。小倉さんはバンクーバーに二ヶ月ほど行っており、原さんからのお土産などを頂く。感謝。原さんもカナダで随分凄くなっていっているようである。こうやって昔からの知り合いがどんどん大きくなっていくのを近くで感じれるのはとても刺激になることである。来年は原さんとトロントで大事な仕事を一緒にするのでこちらも対応できるように気合を入れる必要がある。こうやって切磋琢磨することが一番重要なのだろう。小倉さんと原さんは0円ハウスが出来る前からの付き合いで、その時から、今やっているようになると、宣言していた二人の直感はやはり凄すぎる。ピンで生きるモチベーションを与えられているのはこういう直感によってである。一時間半ほど話し、家に帰ってくる。その後、フーが病院へ行ったので、アオと二人で、ゆりかごを揺らしながら仕事。幻冬舎の竹村さんから連絡。企画面白そうだとのこと。このまま進めてみることに。夕方、吉祥寺に行き、銀行、ヨドバシカメラ。僕はバックアップというものを一切したことがなく、やっとけというのでLACIEというところのポータブルHDDを購入。これ黒一色でモノリスみたいでよかった。しかし、こうやってコンピューターというものは壊れること前提というのもなんだなーと思うが。帰ってきて、夕食は大根の肉そぼろかけ。美味。午後8時に寺尾くん来訪。カメラマンの五十嵐くんが仕事で遅れていたのでその間色々と話す。午後9時過ぎに五十嵐くんが来て、4×5のカメラで西荻の家を撮影。やっぱりいい、4×5。始め、撮影に積極的ではなかったが、カメラ取り出してからは、こちらも興味津々で最後はノリノリでフーアオと三人で記念撮影までしてもらう。こうやって家の記録を4×5で残すというのもなかなか無いことなので逆にいい経験させてもらった。感謝。ポラを何枚か貰ったが、いい仕上がりだった。本を買ってくれた人が、こうやって仕事をするようになって、こちらにいい才能をぶつけてくれるのはありがたく、刺激になる。午後11時まで。途中でアオはお風呂に入ったり、寝たり。寝顔撮ってもらったのでいい記念。こちらがその写真

2008年9月11日(木)

午前8時起床。朝食後、部屋の掃除。その後、翼の王国用スケッチ資料集め。明後日までに仕上げるのでさっそく取り掛かる。お昼は焼きそば。食後、電車に乗って三人で国立国際医療センターへ。アオの三ヶ月検診&予防接種。検査の結果は良好だったようで今のところ心配なし。入院病棟にも行って看護婦さんらに挨拶し、入院しているタックンの見舞い。夕方、家に帰ってきてスケッチを開始。大物二つを置いといて、それ以外の地図やカット絵6点を午後11時までに完成。明日、明後日は見開き2箇所の色鉛筆ドローイングの予定。幻冬舎の竹村さんに本の企画を提案する。練馬区公民館の丸山さんにメール。来週は練馬区公民館で行われる寿大学という講演会がある。題は「21世紀的な家の在り方」。65歳以上の練馬区民の人を対象とした講演なので、どうやって話すか考える。やっぱり熱く乗り上げたいなーと思っている。かなりたくさんの人が聴きに来てくれるらしく、面白い話、そして議論ができるといい。モントリオールから連絡。そろそろ11月下旬の展覧会の準備も始まってきた。しかし、まだ何も出来ていない。最近、自分がやっている仕事はまるで漫画のようだなと思うことがある。漫画は、絵と文字で作られている。そして一つの物語を持っている。それと同じ構造なんじゃないかなとついこの前感じた。しかし、漫画のように一つにまとまっているものではない。僕の場合は、本は本、絵は絵と、分離している。「隅田川のエジソン」と「Dig-ital」は、端から見たら全く違う作業である。それでもやっている過程、成り立っている構造は、一緒なんじゃないかと。じゃあ自分にとって漫画の物語にあたるものは何なのだろう。それは自分の行動そのものである、と考えると、ケニア、ナイロビでギター持って歌ったり、マネックスで熱唱したりしちゃっているよく分からない未知の作業も納得できるんじゃないか、などと訳の分からないことをゆらゆら頭の中で回転させてみる。

2008年9月10日(水)

午前6時半起床。朝食を食べて、戸塚の荷物を車に乗せて、西荻まで帰る。Micheal MayerのMIXを大音量でかけながら。途中で、東京駅のマネックス本社へ寄り、レセプションで展示した作品を受け取る。その後、巣鴨にも寄り、ノノカ嬢と会う。次いでに、お下がりのベッドなども貰って積み込む。そして、西荻に帰ってくる。亮太も来て、皆でお茶をする。午後6時過ぎに外出。骨董通りにある鴨料理屋にて、マネックスの金井さんのお別れ会&打ち上げ。松本社長も登場し7人で。美味であった。松本社長おすすめの「りゅうぐう」という黒糖焼酎も美味しかった。その後、長雲、ワイン、ラフロイグ二杯と久々に飲み続け、喋りまくって、大爆笑のまま、宴は過ぎ去った。この仕事を無事に終わらせることができ、次のステージに行ったような感覚がある。酔っ払って電車に乗り、気付いたら国立駅だった。まだ引っ越してもないのに。12時過ぎに帰宅。

2008年9月9日(火)

今日は久しぶりに終日休みにした。アオととにかく戯れる。スカイプなどをしながら実家との連携プレー。アオはもう歌いだしている。相槌を打つとノリノリになって喋ってくるし。何事も気にせず、全体性のまま成長し、しかし、細部も生き生きしていく過程は、創造の瞬間と同じような気がして、そもそも人間元々はこうだったじゃないか、どうしたんだよ一体、と思う。上智大学のアンジェラ先生からメール。僕が提出していた立体読書の企画案のリアクション。二年後をメドにして海外の出版社から出る予定で進むことに。これは面白くなりそうだし、ちょっと有り得ない展開でもある。1920、30年代の日本近代文学の短編小説を紹介するというのはとても意味のあることだと思う。光文社編集部の山川さんから連絡。Tくんから引っ越す前に西荻の部屋を撮影したいとの依頼。彼はたぶん初めて僕の家に訪ねてきた読者である。あれから四年近く経っているが、色々と頑張っているようで、それは嬉しいので承諾した。幻冬舎の竹村さんからメール。新しく考えている企画について考える。と、休みのはずが蠢いているので頭の中では色々と考えをめぐらす。昼過ぎに名物コンビ、スミコさん&ミチコ伯母さんが来て喋り、手作り寒天を使ってあんみつにしたり、香港土産銕観音烏龍茶などを飲む。凄く頭の切れるコンビは文学的。夜は、近所の美味イタリアン、タッキーにて、ワタリガニのトマトソースパスタや、イベリコ豚のグリル、イサキのポワレなど、久々に豪快に食べる。デザートのミルクレープが美味。って、乙女でもないのに、一日に僕は何回スイーツ食べてんのか。やりたいことは日が経つごとに増えてくいる。どこまで出来るかわからんが、止まらずに放出し続けたいと思う。どうせ、僕には温存できるような脳内ストックは無い。その都度、全てを出してゼロになって、そこからもう一度、道(未知)を歩(有る)いて見つ(蜜)ける行動をやり続けるしかないんである。でも、いつもその先には自分が予想もしてなかったような、知識だけでは作り上げることができない、新しい感覚(勘描く)と出会えているような気がしている。20年ほど隠遁していたスライストーンが出てきて、10分ほどでまた消えていった映像を見ながら衝撃を受ける。今日で、戸塚の実家暮らしが終わる。明日から、西荻大移動が、さらに二週間後には国立大移動が始まる。

2008年9月8日(月)

午前6時半起床。午前7時集合し、タクシーで空港まで。そこで荷物を一旦預け、再び山へ。ランタウ島での山登りは一度雨でやられてしまったので、リベンジ。今日は晴れており、晴れた山は最高であった。その後、山を降り、最後の食事を皆で食べる。皿うどんが美味かった。しかし連日の食べ過ぎであまり食べれず。空港へ戻り、コーディネイターのウメさんと別れ、飛行機に乗り込む。映画は「ブレードランナー」と「歩いても歩いても」の二本を観る。午後8時に成田着でNEXに乗って戸塚まで帰ってきて、久々のアオと戯れる。ゆっくり風呂に浸かり、寝る。

2008年9月7日(日)

午前7時起床。ホテルの朝食を食べて、午前9時、コーディネイターの香港人ケネディと待ち合わせ。NORTH POINTと呼ばれる古い市場へ向かう。そこから街のビル群を抜けてトレッキングが出来るようになっている。ケネディも初体験らしく、二人で珍道中。そのうち結構本格的な山道になって来る。これは面白い話が描けそうだ。頂上付近まで二時間かけて登り、その後、降りてきて、市場にて飲茶。ここ地元の人しかいないようなローカルポイントで、美味。その後、ケネディと別れて、一人で街をぶらつきながら撮影&スケッチ。香港島の漢方や、骨董通りなどの小道もチェックし、ホテルに戻り、エリちゃんとウメさんと合流。スターフェリーという船にのって、九龍島へ渡り、撮影。そして、九龍を歩き、卓さん、アキさんとも合流、四川料理の名店へ。美味。太りそうなくらい食べている。糖朝でスイーツも食べるが、香港スイーツは僕にはあんまり合っていない。最後に歩きまくったので、エリちゃんと足ツボに行き、50分マッサージ。ホテルに戻り、即寝。明日はもう帰国。

2008年9月6日(土)

午前6時起床。メールなどをして、午前8時から一人で外出。香港島のキャットストリート(ガラクタ市)などを覗く、屋台の焼きそばを買って朝食。その後、かわいいベーカリーも発見。クロワッサンとアンコパイとエッグタルトの焼きたても購入。焼きそばも合わせて15香港ドル、ってことは二百円ぐらい。下町は安い。写真なども撮る。その後、午前9時半にホテルのロビーにて、また皆と待ち合わせ。そのままタクシーと地下鉄を乗り継いで、香港島から離れて、隣のランタウ島へ。今日はここのトレイルを歩くことに。ロープウェーで上へ登る。大仏を見て、ネイチュアガイドと一緒にトレッキング開始。のはずが、いきなり土砂降り。木の下などで雨宿りするものの、雨の勢いとどまらず、断念する。ガイドの一人と話し込む。彼は大学で哲学を専攻して、さらに卒業後この山登りガイドをやっているそうで、何か匂うので、ウォールデンの話をすると、ソローが大好きなようで興奮して色々と話し出した。こういうの嬉しい。その後、地元のバスに乗って、僕が行きたいと思っていた、TAI Oという水上集落が立ち並ぶ地域まで向かう。ここ、当たりです。全く観光地とは違う。普通に水上集落の住人が住んでいる。ボートに乗って周遊までする。ここもイイ絵になりそうだ。そこにもトレイルがあるので、海沿いをずっと歩いていく。すると、まるでハワイ島のパワースポットのような海岸が見えてきた。あまりにもアンダーグラウンドだが、ここいい所です。それが終わると、フェリーでまた香港島に帰ってきた。シャワーを浴びてリラックスした後、卓さん、アキさん、エリちゃんと僕の四人で九龍島へ。ここが香港のメインなのだろうが、僕たちは取材なのでほとんどを香港島で過ごしているので、なぜか新鮮。素晴らしいレストランを見つけたので、そこでディナー。とんでもなく美味かった。五穀チャーハン、酢豚、空心菜の腐乳傷め、鳥の唐揚げ特製ソース和え。サンミゲール三本飲んで、気持ちよくなり、帰宅。明日は僕だけ個人行動。北角という場所にある地元密着市場を図解しながら、山を登る予定。そこからは、香港のシュバルの理想宮、噂のタイガーバウムガーデンも見れるらしいが、どうやら無くなってしまったかもしれないとのこと。明日が鍵である。イイ絵を描きたい。

2008年9月5日(金)

午前5時半起床。ご飯と鮭と味噌汁と納豆を食べ、タクシーに乗って戸塚駅へ、成田エクスプレスにて成田空港。午前8時半に集合。体調の翼の王国編集部卓さんと、カメラマン、アキさん。で、ライターのエリちゃんと、僕の四人。取材で海外行くのは初めて。翼の王国なのでもちろんANAで香港まで、機内の映画はインディジョーンズとアフタースクール。到着後、空港でコーディネイターの梅原さんと待ち合わせ。まずは、ラマダホンコンホテルにチェックイン。部屋からは古いホンコンビル群が見え、のっけから興奮。しかし、今回の旅の目的は山なので、さっそく皆でホンコン島の山の頂上へ向かう。そこで撮影等。明日の打ち合わせなどもする。二階建てのトラムに乗る。ホンコンやはり凄い。Dig-ital的にも色々と参考になる。夜景も見て、今日は下見なので終了。夜は、80年以上もやっているホンコン独特の古いスタイルの料理屋。チャーハン、蟹コロッケ、青菜、皿うどん風、白身魚のオイスター和えなどを食べながら、チンタオとサンミゲール。腹一杯になり、夜は少し散歩をしながら今日の仕事は終了。明日は水上集落、明後日は香港らしい北角にある市場街の取材とスケッチをする予定。街を歩きながら、全てを記録したい欲望にかられる。

2008年9月4日(木)

午前8時東京に帰ってくる。そのまま家に直行。YO LA TENGOのアルバムを爆音で鳴らしながら私は眠りません。そのまま仕事へ突入。スペクテイター新刊に向けて原稿、800字完了送信。BRUTUS原稿チェック送信。コヨーテ0泊3日、帰ってきたそばから原稿、1500字完了、写真のデータもまとめて送信。そしてコヨーテ新連載第二回目現代の生業。今回は兼業農家を路上で行う仙人の特集。5000字完了送信し、その後、ケント紙を切り、挿絵を描き始める。挿絵4点、勢いで自動的に終了。今日の自分、動きいいです。そんなこんなで出発前に〆切だったもの全て完了。ご褒美に靴を買ってあげることに決定。と言っても無印の2000円の靴だよ。その他雨合羽など結局旅行用のグッズ購入と化す。吉祥寺から帰ってきて、フランス軍のリュックに荷物詰め込んで、戸塚駅へ向かう。午後7時に高校の同級生カナヤンと奥さんのマリボーと待ち合わせ。バスで一緒に、アオの待つ実家へ。フー母がミートローフを作ってくれていたので、皆で食べて飲む。色々と話す。帰ってきて、ようやく会えたかと思ったら、またアオとも離ればなれ。タクシー会社に予約を入れる。明日は朝6時から出発。香港です。TRAVEL JOURNALは今回は短いのでやらないか。面白い話がまた一つ飛び込んでくる。

2008年9月3日(水)

午前5時岡山着。そこから新幹線で長崎まで。綺麗な海が近くにあるのどかな所にエスパーはいました。そんなところなのに、MEGUMIとかAIKOとか藤岡弘とか写真。とんでもないところでした。詳細は来月10日のコヨーテで。新幹線の中で、とにかく原稿原稿。現代の生業はほぼ終了。カナヤンから電話。久々に会うことに。岡山午後11時に夜行バスに飛び乗り、帰京。今回はゆったりシートでなんだか快適。今回で10回目。なんやかんやで一年間ぐらいやったことになる。あと3年(笑)。全国制覇まではまだまだ遠い。次は香港です。

2008年9月2日(火)

午前7時起床。アオは便秘気味。マッサージなどを施す。午前中はゆっくりする。読書など。「人生はデーヤモンド」篠原勝之著。これたぶん大学一年ぐらいの時に亮太から教えてもらったと思う。最近久々に読み返していたら、やっぱりこれ面白い。しかも相当影響受けていることがわかった。ある意味、これは哲学書である。しかし現在絶版になっているはず。こんなに面白いのに。持っているのは角川文庫版なのだが、ジャケットは横尾忠則氏、デザインは杉浦康平氏。しかもそれっぽく見えない。冒険している。焼きそばをお昼に食べて、午後は原稿。現代の生業第二回目。昨日会った現代の方舟の話。勢い余って二時間で五千字完了。後は明日の新幹線の中でチビチビ手直しすればいい。仕事は、このズバッと2、3時間でやる機敏さと、その後のジトッと粘って手直ししていく作業が自分にとっては重要なんだが、ジトッという作業が始めではいつもいい仕事にはならない。まずはズバッと、やってみる。どうなってもいいから、まずは無心で終わりまでいく。でも、それがあんまり適当では駄目で、ジトッという手直しは、そんなにやれないのだ、という自覚のもとでやる。少しずつ重たい物体を持ち上げ立てることは難しい。いきなりグワンと持ち上げるしかない。そこを面倒くさがらない時は大抵うまくいく。その後、スカイプで親父たちに孫の姿を見せるなどして、午後6時外出。午後8時新宿駅。コヨーテ0泊3日の旅。夜行バスに乗って、まずは岡山へ向かう。

2008年9月1日(月)

午前5時半起床。再び午前6時外出し、玉姫公園へ取材。しかし、今日は7時を過ぎたらほとんどの店が閉店していた。なので仕方なく帰ろうと思ったが、まだ足りないので、じゃあ今度は川崎にでも行ってみるかと久々に多摩側沿岸へ。橋を渡っていると、眼下にジャングルのような場所発見。しかも、そこには村のような共同体まである。つい魅かれてそこへ向かう。道はケモノ道になっていて、はっきり言って怖い。歩いていると、人がいた。いい人たち。さらに道は奥へ続いているので、進んでいくと、そこでまた新しいすごい人に出会った。動物40匹くらいと自給自足しながら共同生活している現代のノアの方舟のような空間。家自体も無茶苦茶でかいし、電気系統の配線も素晴らしい。取材を申し込むと、快く受け入れてくれ、家の中まで案内してもらう。鈴木さん級の衝撃。しかも15年もそこに住んでいた。これはちょっと凄いかもしれない。どうにか歩いていれば、自分が出会いたいとおもっている瞬間と出会うもんである。再会を約束し、別れる。しかし、それにしても歩き過ぎた。疲れて家に帰ってくる。お昼からゆっくり過ごす。その後、午後3時再び外出。渋谷駅へ。カフェで今日の朝一の取材を元に原稿。その後、青山出版社村上女史がカフェに遊びに来る。しばし歓談。預かり物を渡す。その後、またちょっと原稿を書いて、午後6時にエココロ編集部前でエリちゃんと待ち合わせし、近所のカフェで翼の王国編集部のワタナベさんと三人で5日から出発する香港取材の打ち合わせ。僕はやりたいと思っていたプランを伝える。オッケー出る。今度はカラーで緻密な地図を作ってみたいのだ。急ではあるが、いい仕事したい。巻頭の第一特集になる模様。これは頑張らんと。夜は戸塚に久々に帰ってきて、アオと戯れる。また大きくなって笑うようになって歌うようになった。しかし便秘気味。トンカツを食す。夜、明日から行く予定のコヨーテ0泊3日の取材場所を変更することに、やっぱりずっと行きたいと思っていた長崎の超能力喫茶店へ行くことにした。ここホント凄そうだ。バスに新幹線になんだか長旅になりそうである。移動し続ける毎日である。アオと布団で寝る。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-