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Journal -坂口恭平の毎日-

2008年6月30日(月)

午前7時起床。朝食後、午前9時半外出。中野駅へ。小倉さんに教えてもらった四次元ガーデンの取材。そして、今年中に書き終える予定の次の新刊に向けての取材も兼ねている。アオが一ヶ月前に誕生し、ちょっと大変だったので色んな作業が一ヶ月止まったのであるが、これも今後の練習でもある。今後は流動的なスケジュールになってくるんだろう。それは案外いい方向へと向かわせてくれるのかもしれない。受け身の感覚がさらに高まる。で、庭の取材。ここ、本当に凄いかも。お母さんに遭遇し、話をすると、明日また来てもいいと言ってくれた。ありがたい。その後、近所に住んでいる小倉さんに報告し、小倉さんの家で一服。万能茶を飲む。「アメリカの革命」という気合いの入った本を借りる。60年代の動きのドキュメント。お昼を一緒に食べようということで、中野駅前のザッツバーガーへ行き、佐世保バーガーを食しながら、生麦酒を味わう。小倉さんは74歳。今日は最近のドローイングを見せてくれた。いやあ、気合いが入っている。最近気合いばっかり言っている。その後、大久保駅でフーとフー母と待ち合わせてタクシーで国立国際医療センターへ。アオの見舞い。今日、鼻からミルク用のチューブを通していたのだが、それが無事に取れていた。と、いうことは口から十分な母乳を飲めることになったということである。安心。退院の光が見えてきた。しかも、今日、初めて直接母乳を50mlも飲んだ。なんか尻上がりに調子を上げているアオを見て、人間の止まることの無い生命力の開花ぶりに衝撃を受ける。やっぱり凄いな。帰りに、「ラテン区」という有り得ない名前の古い喫茶店に入り、一服し、家に帰ってくる。隅田川から携帯に電話があり、現代の生業の取材OKとのこと。勝手に日本が盛り上がってんなー、と勘違いする。友人からあるメールが来て、ついついそれに従ってボタンを押していたら、なんとアドレス帳に載っている人々全てに招待メールのようなものが送信されてしまい、少々焦る。で、すいませんメールをまたみなさんに送る。ボタン一つでこうなるから大変だ。しかし、そのおかげか知らないが、色んな人と久しぶりに連絡が取れた。いいのか悪いのか分からない。まあよかろう。午後11過ぎから、スカイプを使って、ネット上でテレビ講演会。やっぱり凄いかも。イタリアの学校に行っている須川女史の企画。たくさんの参加者が集まってくれた。一時間喋りまくる。英語はまたアンマリ巧くなかったはずだが、須川女史が巧くサポート。かなり濃密な一時間の講義だったんではないか。今後も色々と動くかもしれん。もう何でもやっていこう。ホント、最近自分の幅が広くなって行くのを実感する。もう何でもどうなってもよくなってきた。そういうカオス状態でも一定の感覚でいれるようになってきた証拠だと思う。さらに前進していきまひょ。

2008年6月29日(日)

午前7時起床。やはり眠い。なので眠る。ようやく10時頃起き出し、ちょこちょこと作業。お昼、外出し国立国際医療センターへアオの見舞い。沐浴を僕が初めて担当する。もうすっかり元気な様子で授乳もいい調子。明日の検査結果が出れば退院が見えてくれると思う。午後4時頃病院を出る。家でゆっくりして、ふー母の定年祝いの夕食会をナモさんのところで。いつも定食ばっかり食べていたのが、今日は初めて色々とアラカルトを注文してみた。スズキと夏野菜のグリル、昔なつかしハンバーグ、タコライス、冷静野菜とトマトとルッコラのサラダ、豆腐ステーキ、などなど。野菜も肉も厳選されたもので美味。マリ音楽を聞きながらゆっくり。それいゆでチーズスコーンをお持ち帰り。

2008年6月28日(土)

午前7時起床。原稿に手をつける。なかなか進まない。いつも自分のリズムが気になる。現在、一番フル回転で頭が働いていないとまずいなーと思える瞬間になぜか動きが鈍くなる。それで毎回焦る。で、次いでに無茶苦茶眠くなる。不思議で仕方が無かったのだが、最近一つの仮設を考え出した。むしろこの眠い時というのが重要なシグナルなのかもしれんということだ。いつも、一番動いて欲しい時にまず、眠くなって、始めは諦めきれずに眠くても目をこすって作業を続けるのだが、次第にしんどくなって、最後には何もせずに眠ることを決め、ベッドに向かう。そうやって、2、3日寝ているとどんどんエネルギーが飛び出してくるのだ。ということは、眠くなるのを我慢すればするほど、エネルギーが活発になることを妨げているのかもしれんと。だから眠い時は、焦ってでも早く眠るという方法で行ってみよう。寝ているときが人間一番スムーズに摩擦無く脳味噌をフル回転で動かしているらしいので、それも一理あるということなのかもしれん。というわけで、眠くなり次第即仮寝する毎日。やらなきゃいかんことは結構山積みなのですが...。スタジオボイスに絵を送付。午後国立国際医療センターへ。アオの見舞い。今日はなんと会話した。勘違いかもしれんが。日に日に元気になっている。首の力が強く、しっかりこっちを見ている。母乳も直接で30mlぐらい飲めるようになってきた。その後、世界堂へ行き、マネックス壁画用の五メートルの長いキャンバスを購入。帰りに、タワーレコードで、Michael MayerのIMMERというMIXCDを購入し家に戻る。隅田川の鈴木さんより、なんと電話があり、現代の生業についての情報提供。感謝。夕食は夢飯でフライドチキンライス。鈴木さんの知り合いの路上生活者に電話。路上でも携帯を持っている人はいるのである。話をする。彼はアルミ缶をいっさい拾わないで生きている人だ。ではどうやって?それが今回の調査の目的である。自力で仕事を生み出し、それによって自分にとって十分なだけの金銭を得ている。それだけでいいのである。本当はね。で、そんな人たちの特集。うまくいくか?わからんが、やってみよう。建築の今日は広がり、やはり生活というものへと変換していっている。夜、ターミネータ-2がやっていたのでついつい全部見てしまう。ある意味で、隅田川周辺の生き方とも僕の中では通じているサイボーグの思考回路はやはり面白すぎる。

2008年6月27日(金)

午前8時起床。イタリアの須川女史とスカイプで打ち合わせ。ビデオ講演会は30日に行われる。僕としても初の試み。面白くなりそうだ。ワタリウムからポスターが送られてくる。こちらも面白くなりそうである。鈴木さん、よく了解してくれたな、ホント。雑誌、スイッチから来月号の著者インタビューのゲラがFAXで送られてくる。村上女史に電話で伝える。昼食を食べて、午後、国立国際医療センターへ。アオの調子は良い。授乳も今日、少し伸びてくれた。午後3時まで。僕だけに先に病院を後にして、家に帰ってくる。世界堂に問い合わせて、マネックス用のキャンバスの調査。どうやら世界堂オリジナル商品で、五メートルのキャンバスがあるそうで、それでいくことにした。大和書房の増渕さんより連絡。毎日新聞の福岡版でまたまたTOKYO0円ハウス0円生活が紹介されたようだ。記事を見ると、結構でかい。感謝である。隅田川のエジソンも最近、いい反応が相次いでいるので双方、頑張って欲しい。アオさんも仲間入りし、なんかたくさん子供がいる気分。午後6時に東京駅へ向かい、マネックス本社にて施工打ち合わせ。キャンバスに両面テープを貼り、壁に直に貼る方法にすることでほぼ決定する。ここにきてぐんぐん色んなことが決まる。そろそろ描き始めないと。7月7日をドローイング開始の日に決めた。そこから二週間。無事に完了することを願う。無印で無地の絵本サイズのノートを買ってきた。なんか描こうかと考えている。執筆の方もそろそろ朝方にやっていくようにしていこう。気持ちは高ぶってきている。

2008年6月26日(木)

午前8時起床。朝からドローイング。スタジオボイス、細野さんの夢日記用イラストレーション。ちょっと大変。しかし途中から筆が乗ってくれた。勢いづいて描く。大分形が見えてきた。今日中に終わりそうだ。お昼は、カレーライス。その後、国立国際医療センターへ。アオの見舞い。今日は、遺伝科の先生が来てくれて、アオを診断してくれた。そんなに心配はないようだ。元気に暴れ回っている。よしよし。帰りにふーと新宿伊勢丹に寄り、ベビーカーの物色。なんだか色々あるようだ。僕はそんなのカンボジアの折り畳み椅子みたいに作ればいいと思っていたが、やっぱり若いママたちに大人気のマクラーレンだって。デザインはいい。いくつか見せてもらう。元々航空機の車輪のデザイナーだった人が作ったものであるらしく、そういうプロダクトデザインが日常の家族に浸透している姿は非常に興味がある。イームズとも近い。しかももっとリアルに浸透している。新しい体験はこのように全てまた未知の知覚を提供してくれる。こりゃ見逃せない。僕だけ早めに切り上げて、新宿の反対側にある小田急サザンセンチュリー20階にて、マネックスさんとAITさんと契約の話。出来上がった契約書を読んで了承する。これでようやく作業に入れる。こういう事務作業というのは、作る側としてはとかく非創造的であると思われがちだが、僕はそうは思わない。こういう創造性が溢れていない箇所ほど、逆に創造の光は隠されている。だから僕はいつも好んで出掛ける。無事完了の予定。それよりも5メートルの壁画って。Dig-Italでだし。できんのか?で、家に帰ってくる。元コヨーテ担当編集、稲さまより、アオの誕生祝いが届く。感謝。電話して近況を聞く。現在、休憩中の稲さまに、そろそろ現場に戻っておいでと、手招きする。早く一緒に仕事しよーぜ、と。イタリアから須川女史よりメール。ビデオ講演会の詳細。ワタリウムから「建築探検家VS隅田川のエジソン」のトークショーについてのメール。もうじきフライヤーをアップできると思います。伝説になるであろうトークショー(笑)。乞うご期待。読者とメール。僕ももっと気合いいかねばと気を引き締める。とにかくそれは励みになります。幻冬舎の竹村さんという方からメール。本のリアクション。感謝。近日中に話をすることに。そして、夜はカレーライス#2。その後、ドローイング。午後11時に完成。スタジオボイス中矢さんに送信する。夜12時過ぎに亮太と一緒にアフターグロウへ行き、乾杯。亮太もなんかモチベーション上がっている様子。その調子。エーデルピルスとラフロイグロック。今日のキッシュはまた格別。午前2時に帰ってきて風呂入って寝る。

2008年6月25日(水)

午前8時起床。朝から、ドローイングの構想練る。昼頃、方向性が決定、予想図を描く。いいかもしんない。昼食はそうめん。その後、国立国際医療センター。アオのCTスキャンの結果は何の異常も無かった。一安心。授乳はなかなか難しいそうだが、徐々にうまくいくだろう。ケイちゃんよりメール。営業活動に協力してもらった。図書館流通センターが隅田川のエジソンをたくさん購入してくれた模様。感謝。イタリアに修行に行っている元京都精華大のディレクター、須川女史よりメール。イタリアと西荻窪間でビデオカンファレンスできないかとの依頼。即承諾。6月末日に行うことに決定。ヨーロッパでの活動を活発にしていきたいと思う今日この頃なので、何でもやってみよう。楽しみ。家に帰ってきて、またドローイング。7月はかなり厳しいスケジュールなので、やれる仕事はとにかく6月中に終わらせる予定。夜12時までノンストップで描いた。ようやく形が見えてきた。明日で終わらせれるか?大久保からタクシーに乗っていたら、クロネコヤマトの店が見えたのだが、それがどうもおかしい外装で、よく見ると、元々スナックだったのを何も変えずに、看板だけ緑色に塗って、クロネコが描いてあった。なんというか、その自分たちの理想をごり押しするのではなく、元々の形状をうまく再利用している柔道のような、隅田川の0円ハウスのようなスタイルが気になる。銀座のヤマトも昭和初期の建物をそのまま利用していて、看板は江戸文字になっていたもんな。気になるぞ、ヤマト。店舗設計チームを訪ねてみたいと思案する。やればやるほど、新しい気になることが飛び出てくる。これでは時間が全く足りない。

2008年6月24日(火)

午前8時起床。午前中は細野さんの夢日記用スケッチを考える。構想は固まる。下書きをしながらやる。Dig-italと立体読書の間のようなものになれば面白いかなと思っている。BGMは昨日、太田出版の北尾さんにもらった、CONGOTRONICS 2のKasai Allstars。これ、完全にツボでした。朝から爆音でかけ、踊り狂う。これでなくっちゃ。仕事の日程表を再び書き記す。午後、国立国際医療センターへ。アオの見舞い。今日、人生初のお風呂。気持ちよすぎたようで風呂桶の中で爆睡してしまっている。頭にタオルを乗っけて、もう往年の風格すらシミ出ている。授乳後、僕だけ午後二時半頃病院を後にして、フィールドワークに出掛ける。そろそろ仕事もエンジンかけていかんと、ということで。浅草へ行き。今日は鈴木さん以外の家を中心に回る。また凄そうな人発見。ミッチャンのような人だった。で、OKAMAです、と言っていた。不思議名人だった。その後、鈴木さんのところへ行く。現代の生業という次のテーマについて話をしていると、そんならオレ知ってるよ、とのこと。来週の金曜日に来なよ、と言われた。さすが現場。どんどん進む。ノリノリで、西荻窪へ帰ってくる。途中、写真評論家の大竹昭子さんから電話が入り、トークの詳細を聴く。やはりカタリココというトークイベントに参加するようで、これはついこの前、美術家の森村さんの時に僕は見に行ったぐらいなのでよく知っていたし、よく僕に依頼してくれたもんだと思った。時期はまだ結構遠く、12月の上旬予定で茅場町にある素晴らしい古書店、森岡書店というところにて開催される。7月、8月、9月、そして12月と、トークが続きます。話すのは本当に楽しいので嬉しい限り。日常生活でも熱心に僕は身近な人々に喋るのだが、なかなか耳を傾けてくれないこともあり、たまに寂しくなるんだが、こうやって話して下さいと言ってくれる人もいらっしゃるので、世の中不思議なもんである。やるだけやろう。で、西荻駅にてベルリンのジャーナリストCOCOと夫の二人と初対面。僕の家で0円ハウスについての説明。なんか凄い熱心で盛り上がる。ベルリンでも0円ハウスは建築関係の人にはよく知られているそうで、嬉しい限り。日本語でしか書かれていないTOKYO0円ハウス0円生活も持っていて、驚く。こりゃあ、翻訳しないといかんな。これも。翻訳をするという体験も面白いかもしれない。どんな翻訳者がいいのか?版権を売る作業も勉強になるだろうし。TASCHENに行きなよとしきりに言っていた。ケルン!だし。ふーが日本の菜食料理をもてなしてくれた。ドイツ人二人興奮して全部平らげていた。途中、キースジャレットのケルンコンサートをかけたら、「おい、キョーヘイ、キースが好きなのか?」「うん」「私は、このケルンコンサートに行ったんですよ」と爆弾発言。みんなで、PART2を聞きながら至福の一時。行ったんだあ、、、、。すげーな。ベルリンに来年絶対にアオ連れて行こうというプランがあったのだが、そうすると、こうやってベルリンの人が、しかもベルリンから訪ねてきてくれるから凄い。僕は最近、人間の持つとてつもないエネルギーに痺れてきたよ。ベルリンのある街で行われている画期的な試みが興味をひいた。それは隅田川の公共化みたいなもんで、それぞれの人たちが自分だけもっている技術でもって物々交換のごとく経済活動として運営しているらしい。こりゃすげーな。ベルリン。やはり来年絶対行かないとね。cocoは元々アートと写真のジャーナリストでもっと勉強したくて、現在は大学で建築を専攻している気合い入りまくっている女性で、夫がケルンコンサートにいってるんだもんな。こりゃ、力強すぎる味方がつきましたな。彼らが帰った後、NHKでプロフェッショナルを見て、最近病院に毎日通っているから尚更胸を打ち、オンオン、泣く。自分にしかできない生を生き抜く。それしか無いと思う。色んなことが繋がってきた、今日であった。

2008年6月23日(月)

午前8時起床。午前中原稿。早稲田校友誌用。その後、東京都建設局の方と熱く話す。そして銀座にいよいよ土地が見つかってきたようだ。なんかいけるかも。でも、ちょっと無茶かも。昼食後すぐ国立国際医療センターへ。アオの見舞い。行くと、なんと点滴が取れていた。血糖値88!アオさん、ここにきてやってくれてます。ブドウ糖注入も終了したようでいい感じである。明日から念願のお風呂にも入れるようで、誕生後初のお風呂を早く味わってもらいたいものである。今日は僕も初のおむつ替えを体験し、うんこと触れ合う。午後二時、ハザマとりっちゃんがお見舞いに来てくれて、出産祝いにアオの服を貰う。感謝。その後、小笠原伯爵邸にて生麦酒飲みながら話す。ハザマが立体読書の絵を買ってくれた。気合い入る。リトルモアの浅原さんから電話があり、写真評論家の大竹昭子さんとのトークショーの依頼があったとのこと。承諾。詳細はまだ。午後4時に太田出版社の北尾さんと山下さんと初打ち合わせ。色々と話す。本、CDなど色々とインスピレーションを受けるそうなものを頂く。感謝。で、企画の話。ホールアースカタログの東京、現代版を作ろうではないか、そんな有り得ないけど、無茶苦茶有り得る、実用書のようなものを作ろうじゃないか、と盛り上がる。ダブルエスプレッソ。その監修を担当しませんか?とのこと。ん~やりたいっす。とりあえず、7月中旬に僕なりに章立てを考えてみることに。こりゃ面白くなりそうだ。少しずつやってみよう。家に帰ってきて、蕎麦屋でカツ丼などを喰らい、家に帰ってきて、残りの原稿。完了。送信。一つずつやっていこう。しかし、皆さん色々面白い企画を立ててくれて本当にありがたい。こちらも何も惜しまずガシガシやりたいっす。本を読んだ感想もきている。そちらもありがたい限りである。もっとみんなで意見をぶつけて話し合いたいものだ。僕ももっと仕事のキャパシティーを広げていきたい。まだまだである。これじゃ、まだ転換しない。もっと実質的に分裂的に同時に動かんと。気合いを入れ直す。

2008年6月22日(日)

午前8時起床。朝食後、早稲田大学校友誌のための原稿。9枚分もあるので結構な分量。その後、細野晴臣さんの夢日記のための挿絵の構想。送られてきた夢日記を読みながら妄想する。なかなか難しいし、緊張する。どちらも〆切はまだ先だが、今後の状況を考えると少し早めに取り掛かっておいた方がいいのかもしらん。昼食は、親子丼。食べ終わって、国立国際医療センターへ。アオはもうぐんぐん育っている。体重も増え続け、血糖値は一番低い時で77。いい。母乳にブドウ糖を注入するのを卒業。来週頭には点滴も卒業できそうだ。授乳もいい勘しているかも。フー母とタンゴが見舞いに来てくれる。その後、タンゴとフーと僕とでタリーズ珈琲で雑談。アイスも注文。家に帰ってきて、雑務。午後6時過ぎに再び外出。午後7時新宿駅のベルグにて、MANのメンバー、久々に集まる。僕と菅ちゃんと神山くん。麦酒で乾杯。菅ちゃんはブラジルに11ヶ月行っていて、そこから帰国しまた新しいことを思いついたようで話を聞く。日本各地の祭りのリズムをドラムに昇華させるために、旅をして回るそうだ。そういうことを今やることはとても意味あるので頑張ってくれと伝える。バンド再開はまだ先の話になりそうだ。とりあえず僕も一人でやれるところまでやってみたいと今は思っている。途中から菅ちゃんと二人で話す。最後にうどんを食べて帰る。盆踊りを回るそうだ。そういう誰もやれないようなことにもっともっと費やして欲しい。中途半端にならないことだけを願う。人がチビッちゃいそうな勢いでやっていきましょうよ。こちらも引き締まる。ブラジルの現状と熱い音楽を教えてもらう。ブラジルのあの崖沿いの集落を図面化、地図化したいとはずっと思っている。

2008年6月21日(土)

午前8時起床。モントリオールからのメール。11月の展覧会について。まだどうなるかわからない。展覧会をやる時に、こういう前の準備段階の時、やはり色々と問題は発生する。原さんにアイデアを貰う。そして対応する。Jackにメール。昨日の話で発生した件を進める。ケイちゃんにも一つ依頼する。午後12時に外出。国立国際医療センターへ。アオさん、血糖値が80を超してきた。授乳も今日はうまくいった。二時間ぐらい起きていた。来週、点滴から解放されるらしい。毎日少しずつではあるが、確実に進歩している。その後、世界堂へ行く。万年筆を買おうと意気込んでいくが、結局買ったのはドイツのペリカン社の子供用万年筆。世界堂カードで千円。僕にはこれぐらいがちょうどいい。しかも、無茶苦茶書きやすい。スチャダラパーの彼方からの手紙って曲があって、それがなんか今ぐっと来ている。僕も今自分の回りにそんな手紙を書きたい。平日の昼間っから住宅街を歩いて一人で調査していると、本当に人がいないのよ。じいちゃんとばあちゃんと猫と僕。ピンピンした若い奴は一体どこの箱に籠ってるんだよ。そうやって考えると、平日の昼間ってみんなどこかに引き蘢ってるわけだ。そんなのおかしいよ、たぶん。とてもおかしな光景。ナイロビは違ってた、それは高度な社会だと思う。野生を忘れてはいかんぜよ。暴れ回らんと。実家から生で食べても甘いというとんでもないトウモロコシが送られてくる。ばあちゃんから、桃が送られてくる。伯父さんである、アキちゃんからアオの服が送られてくる。三連チャン。感謝。夜、亮太とアフターグロウ。エーデルピルス、ラガウ゛ーリンをロックで。

2008年6月20日(金)

午前8時起床。東京財務事務所に電話。その後、東京都の財務局へと移動。など、いろんな部署に回される。しかし、意外にも優しく対応してもらう。もうちょっと付き合ってもらう予定。午後12時過ぎ外出。国立国際医療センター。アオはなんだか調子がいい。少しずつ点滴が無くなっていく予定でいくようだ。来週もしかしたら...とも思うがまあゆっくりでいい。母乳も22cc飲む。美帆とノノカが見舞いに来てくれる。その後、4人で小笠原伯爵邸で喫茶。ノノカと店の中でおもちゃ屋さんごっこに興ずる。止められなかったらしい。その後、備後屋へ行く。午後4時半みんなと別れて、新宿駅へ。中村屋地下一階の喫茶店にて、講談社現代新書の川治くんと打ち合わせ。一度、350枚書いたのに、止めちゃっていたので、続きの話。少し方向転換して、もう一回挑戦してみる旨を伝える。ワガママを聞いてくれてありがたいのでこりゃ、次はちゃんと書かなくてはいけない。一ヶ月前は先が見えなかったが、今はぼんやりと見える。書けるかも。その後、恵比寿駅にて午後6時50分待ちあわせ。青山出版社の村上女史、友人のまゆみちゃん、今回の著者写真を撮ってくれたホカリ、僕とフーの五人で遅いですけど出版完了の打ち上げ。小説は結構反応もいいんだから、こりゃしっかり売らんといかん。士気高める。恵比寿のイタリアン、タベルナにて。料理、本当に美味であった。マルゲリータ、旨かった。午後11時半まで話す。小説、漫画家したいもんだねと盛り上がる。面白くなるかも。電車に乗るが、信号機のトラブルで中野でストップしているもんだから、待ちきれず、タクシーで帰ってくるが、運転手があまり上手ではなく、すんごい時間がかかり家に帰ってくる。

2008年6月19日(木)

午前8時起床。色々と連絡事項など。原稿喜ばれる。遠慮せず、嬉しい。そういうの一番力になります。というぐらい、何かを常に示していきたいもんだ。常に問題に向かいたいもんだ。日本文化デザイン会議の当日の模様がアップされたらしい。詳細はウェブサイトにて。最近また仕事がパラレルワールド化してきておるので、得意の朝の計画表作り。僕、よく考えたらこれを小学校の時から繰り返し作り続けている。一番好きなのは日曜日の朝。これがまた早く起きるわけ。んでもって机に走り、今日一日のプラン。そして、今後作りたいと思っていた漫画や手作りゲームの制作計画を長いプランで組み立てる。こうやっているときは一番幸せな妙な子供であったことよ。あっしはね。でも、面白いもんだから、それはずっと止められない。そのうち、僕には毎日が日曜日のような、怖いくらい暇な時間が登場してきてしまい、んだもんで、計画表を作り続ける毎日となっていったのである。少しは忙しくなってきて、いよいよ計画表が活躍するようになってきたんで、やる気になっているんであります。いやー、暇な時でも不安を解消するために、とにかくあっしは、到底やれないだろうというような類の計画なんかも妄想入り交じりで組み立てていたのだが、その妄想を捨てるのは勿体無いということで取っておいたら、最近は少しそれらを思い出している。で、今も、5~10年後を得意の妄想で組み立てて計画表を立てているわけであるが、こうなってくると、もうこれを道楽とは言えなくなってくる。必死だもん。なんか。そんなことしながら朝は過ぎていく。カナダの奇跡的に現れたコレクターから連絡があり、今度は写真についての依頼。なんだか色んなことが起こるのね。お昼を食べている時間が無かったので、セブンで冷やし中華を購入後、国立国際医療センター。で、食べると、無意識に訴えてくる美味で。なんだか一杯薬品入ってるんだろうけど旨い。どうすればいいかを直観的思考だけで考える。アオと会う。未熟児室に入ると、いつもと様子がおかしい。アオがいつも居るはずの保育器の中にアオがいない。もしや、何かの問題があって、どこかへ運ばれているのかもしれないと焦ったが、目の前にぼーっと眠りこけているアオさん。なんと保育器を卒業したようだった。医師も、僕らが喜んでいるのを見て、嬉しいです、と言ってくれた。なんだか、毎日、許容の幅が広がっていく。なんかこれ強いかも。今日も母乳の訓練。今日は25cc飲むことに成功。いいよいいよ。毎日一歩ずついきましょうよ、アオさん。血糖も安定している。薬が少量であるが、効いているようだ。点滴の量は次第に減っていっている。今日は二時間半一緒にいれた。安心した。家に帰ってきて、ケルン周辺を探る。KOMPACTというレーベルがあるらしい。有名なのかもしれんが僕は全く知らん。で、そこのオーナーであるMichael Mayerという人がいて、インタビューを読んで考え方に共鳴する。現在、僕もコンパクトというテーマで次の本を今年中に書き終わらせる予定なので調べていたのだが、結局は全然違うものだったんだけど。映像が凄い。なんか、これ今後のヒントになりそう。監督不明。その後、口だけの音を使ってミニマムミュージックを作る。今度、これでアルバム一枚作ろう。そうこうしてはおれず、午後6時に外出し東京駅へ。PCPの一階のPAULというパン屋にてスイッチの李さんと待ち合わせ。青山出版社の村上女史も一緒に。書籍紹介ページ用のインタビュー。生麦酒二杯頂き、いつものごとく怒濤のトークをしてしまう。二時間ほぼ喋りっぱなし。疲れませんでしたか?と心配になる。しかし、今日も喋っていて色々と自分でも発見があった。何より、自分の小説をそこまで読んでくれたことに対して感激してしまった。マーコがお好きだったようで、そんなこと言われるとほんと嬉しいっす。家帰ってきて、今日もイチローカレー。コヨーテのゲラチェック。返信。今度は新連載も始まるんで、頑張れねば。

2008年6月18日(水)

午前7時起床。ちょい仕事。午前9時過ぎ外出。午前10時に新宿駅。小田急サザンセンチュリーの20階にあるブレードランナーみたいなラウンジでAITのスタッフの方とマネックスの方と待ち合わせ。またみんな女性。五人でアート・イン・ザ・オフィスの契約についての話し合い。うまく着地点が見つかりそうで安心した。早く仕事にとりかかりたい。五メートル以上の絵なんて描いたことないのでできるかどうか分からない。ってそういいながらいつもなんだかんだでやっているので大丈夫でしょう。一時間ほど話して都営新宿線に乗って九段下の法務局へ。不動産登記の申請等。銀座の不思議な土地の所有者をやっぱり探そうということで色々と調査を行う。公図を入手するが、やはり狙っていた土地には番地が無い。ということは国有地になるのでそうなると財務事務所へ行ってくださいとのこと。なんだかまたミステリーみたいな作業を行っています。面白くなってきた。午後12時に早稲田へ戻り、メーヤウでいつもの通りカレーを食べて、国立国際医療センターへ。アオは今日も元気です。今日初めて母乳を与えた。もちろん僕じゃない。頑張ってな。今日は頑張って45分ぐらい起きてくれていた。感謝。家に帰ってきてエココロ四次元ガーデンの原稿。途中、夕食。夜は家の手作りカレー。これじゃイチローじゃないか。食後、また原稿。書き終わり送信。DJ KOZEというドイツ人の曲を聞いている。あー、ケルン行きたい。

2008年6月17日(火)

午前中、作曲。午後、国立国際医療センター。アオは相変わらず元気いい。一時間半後家に帰ってくる。少し原稿。その後、午後6時頃外出。渋谷駅へ。久々の渋谷。センター街。そのセンター街のあまりに五月蝿すぎる雑踏の中に、静かな欧風料理屋「ワゴン・リ」はある。打って変わって落ち着いた雰囲気で驚く。朝日新聞出版書籍編集部長の矢部万紀子さんと久々の会合。生麦酒で乾杯。思えばAERA紙上での0円生活の方法という5ページのルポを矢部さんに書かせてもらったのが最近の活動の全ての始まりである。全く無名の人間に大型の原稿依頼をするなんて信じられない行動だと思う。そして、それはいつも僕の感覚をいい意味で裏切ってきた。いつも話をすると、全く予想もしなかった新しい方向に舵を切るのである。最高の編集者だと思う。赤ワインを二人で二本開け、最後にラフロイグをロックで。会話は今回もまたすんばらしく、有り得ない方向へと飛んでいき、また新たな依頼を受けた。自分にできるのか?不思議な気持ちで帰ってきた。さらに、銀座の家についての事でも、一つ面白い視点が飛び込んできた。色々と頭の中でぐるぐると回っている。この緊張感である。それがまた自分の中の知らないものと出会える合図なんである。しかし、それははじめは慣れず、自分ではないようで、恥ずかしく、脈絡がないようにみえる。ところが、きちんと考えてみると、実は自分が一番表現したいと思っていたことがそれだったことを知る。いつもそうやって変化してきた。恐れずただ毎日変化し続けていきたいものである。予定の無い人生は無限である。

2008年6月16日(月)

午前8時起床。午前中、雑務。どんぐり舎で今後の計画を寝る。ほろ苦ブレンド。カナダの原さんからアオ誕生おめでとうプレゼントが届く。嬉しい限りである。午後、国立国際医療センターへ。アオの見舞い。太田出版社北尾さんから電話。その後、マネックスから電話。まだ何やら問題も残っている。それがあまりにも僕のこととは関係がない一方的なもので困惑している。スタジオボイスの中矢さんという方からメール。何と細野晴臣さんの夢日記に絵をつけるというありがたい依頼。即承諾。モントリオールのATSAからメール。11月に展覧会にいくことになっているが、グラント等をどうするかの相談。中部大学からの研究会依頼の詳細。また、以前一度付き合ったテレビ制作会社からの依頼。今度はうまくいくか。早稲田大学が発行している雑誌の寄稿依頼。なにやら曼荼羅。一つずつクリアしていくべしである。たまに、驚くのが無賃で働いてくれという依頼である。僕は創造ももちろん仕事であると考えているので、タダでは働きませんよと、そういった場合は丁重に断らせてもらっている。そうすると、ではコレぐらいでどうでしょうかと、突如報酬の話が湧き出てくる。非常に興味深い展開である。しかし、何も言わずにウンと言ってしまうとタダ働きになってしまったわけだ。おそらく、タダでも喜んで仕事をする作家やアーティストたちがいるのだろう。だめだよー。依頼者は何も悪くないのである。そういう矛盾のある仕事を受ける作家やアーティストたちのせいで、その卵たちもそうなってしまうのである。口でちゃんと言わないといけない、という一番初歩的な行動ができていないのだろう。しかし、大事なことは、本気で仕事を依頼してくる人たちはそんなことを言わないということである。これだけを念頭に置いて僕は仕事をしている。夜はスタジオに3時間も入って録音作業に専念する。何か忙しくなってくると、全く関係無いことに力を注ぎたくなる癖がここんところまた出てきている。10曲デモ作る。

2008年6月15日(日)

午前5時起床。なにやらつらつらと書いたりする。昨日の酒で少し頭が痛い。いかん、最近あんまり酒を飲まないので少し飲み過ぎるとすぐ頭が痛くなる。そして、そうだと、仕事が捗らないので、嫌になる。とにかく仕事がしたいのだそうだ。今の自分は。朝食後、部屋の掃除。便所掃除。その後、購入したソファが届く。よい感じに部屋に合う。昼食は萬福飯店にてフーとフー母と僕の三人で食べる。五目チャーハン、五目焼きそば、湯麺、豚肉とキクラゲと卵の炒め物。全部、美味である。そして、国立国際医療センターへ。昨日のお礼をアオに述べる。あんたのおかげだよ。すると、また目を見開いて、こちらをカッと見つめておる。血糖値も安定してきて、優等生風のアオ。なんだか、見舞い組もようやく安堵の顔。亮太も来てくれた。その後、四人で小笠原伯爵邸にて喫茶。話。家に帰ってくる。SOに電話すると退屈そうにしていたので呼び出す。音楽プロデューサーを目指す十八歳の従兄弟。じゃあ、作ってくれよと注文する。一ヶ月後に持ってきてもらうことに。素晴らしかったら、賞金とさらに僕が売り込みに奔走することにした。なんか分からんけど、こちらも本気で付き合わなくては、ガキはなかなか本気にならんからだ。SOは完全にビビっていた。それぐらい緊張感がないと人生つまんないから、それでいいんだよ。定食屋で二人で夕食を食べながら語る。勝手にK大学の第一期生と自動的にさせられているSO。可哀想だが仕方が無い、僕の目の前で夢を語っちゃたんだから。そんなやつも昨今はもういないから、たまたま見つけたら僕は絶対に逃さない。それが本気なのか気になるのだ。完全におせっかいでもあるのだが。まあ何でもいい。しかし、完全に具体的な目標さえ、初期設定さえやってしまえば、全て叶ってしまうのである。それを人はなかなかできない。忙しいからだと言う。自分のやりたいことに忙しくならないでどうするんだ、一体? 何だか昨日の会議の話もオーバーラップしてくる。言い訳無用。とかなんとかかんとか。二人でFAUSTなどを聴く。おれは説教オヤジか? そうではないことを祈る。

2008年6月14日(土)

午前6時半起床。コヨーテの原稿。次第にまとまってくる。その後、ヨドバシカメラで本日の会議のための備品購入のため吉祥寺へ。その後また戻ってきて原稿と写真を選んで佐々木さんへ送信。午後12時すぎフーと国立国際医療センターへ出向く。今日は、すぐ赤坂へ行かなくてはならないというタイトなスケジュール状態をアオは確実に感じ取ってくれていた、というのはただの親バカの可能性もあるが、そうでもないのかもしれない。アオは、15分間だけしかない面会時間目一杯、文字通り両目を見開き、凝視。初めての全開開眼。なんか、私、興奮しまして、こりゃ父ちゃんガンバらなといかんとなりまして、意気揚々とタクシーに乗り込み、赤坂へ。午後2時50分、赤坂Bizタワーというまたとんでもなくデカイ、ビルディングにて日本文化デザイン会議。みかんぐみの曽我部昌史氏、アートディレクターの寄藤文平氏、建築家の小泉さん、博報堂の方、TBSの方たちと打ち合わせ。今日は僕たちの会議の前に、しりあがり寿氏、西原理恵子氏などの漫画家も勢揃いしていることこともあり、120人以上の大盛況だという。なのに、今回はテーマが直前まで僕たちにも知らされないというギャンブル的な会議のため、私、緊張する。亮太とNOV、フーとフー母も来てくれて、会議開始。僕のプレゼンテーションの時、意外にも結構反応があり、なんだか面白くなるかもな、と思った。会議もどうにか乗り切った。その後、参加者との懇親会。その時に、みなさん熱く語りかけてくれまして、なんだかこちらも盛り上がる。季刊「本人」の編集発行人北尾さん、理論社の浅井さん、博報堂の林さんと話す。仕事の可能性。なんだかこういう場だとやはり来てくれてる人たちも気合い入っているので仕事の話も楽しそうで俄然盛り上がる。舞踏家の大須賀勇さんは会議の最後の話でかなり印象に残る言葉をおっしゃっていたのだがその話と隅田川の持つ可能性などについて熱く話す。なんかこういう場があると、喋りたくてたまらない病的な僕みたいな人間は幸せである。喋っても嫌がられないから。その後、会議に出席した方達とBARで第二次懇親会。日比野克彦さんとこれまた熱く話す。アーティストの八谷和彦さんともたくさん話す。みなさん、鈴木さんの話についてとても興味を持ってくれたらしく、とても充実した会話ができた。祖父江慎さんに挨拶。東大教授の原島さんも同じく建物を建てない可能性について勝手に喋っていた僕の話を面白いと言ってくれた。途中から、三井不動産の上席主幹というもう僕にはその役職が一体どんなものなのか分からないんだが、多田さんと話す。この人がまた非常に変わった方で、創造的に興奮した。多田さんは来週の会議のモデレーターである。多田さんと止まらない話を延々とし続ける。どう考えても相反しそうな、三井不動産と0円ハウスなんであるが、なぜか完璧にシンクロ致しまして、これは何かが起こるかもしれないと予感させる。十年後にはあなたが言っているようになるよ、と言った多田さんの言葉が忘れられない。今回は凄いメンバーが集結しており、僕も萎縮しちゃうかなと思ったが、ちゃんと話が通じるのかもしれないと自信を持った。帰りに、博報堂の日本文化デザイン会議事務局長の長崎さんが銀座の家の構想に興味を持ったと言ってもらう。しかも、長崎さんは銀座に空き家を持っているらしい。!!!!。興味があれば、いつでも連絡しなさいと言って下さる。こりゃ大変なことになってきた。口で喋った後は、やはり動いていかないくてはいけない。体全体で行くしかないね。ただ今日はなんか嬉しかった。ちゃんと言いたいことが伝わってきている。そう簡単には世界は変わらない。しかし、こちらは一生諦めないわけだから、そのうちきっと少しずつ重い石も動かしちゃうのだろう。随分飲んだが、帰りにまた酒屋で恵比寿hopを三缶買って帰って、フーとフー母と話し合う。

2008年6月13日(金)

午前8時起床。朝食後、原稿。マネックス証券より電話があり契約についての話。何だか少し応募規約にはない提案が出てきたようでこちらも困惑する。少しこれは落ち着いて状況を見ていく必要がある。色んなことがあるもんだ。その後、国立国際医療センター。アオちゃん、これまでで最高の血糖値。日々少しずつ前進しようとする我が子に、こちらも鼓舞される。家に帰ってくる。いくつかの依頼がまた来ている。ベルリンからのメール。そして、日本のBSのテレビ制作会社から企画。とにかく自分のアンテナに引っ掛かるところと仕事をし続けたい。それは全て見てからでは分からない。とにかく会ってみることが重要である。明日の日本文化デザイン会議用のデータを整理する。と言ってもテーマとか前もって決まっているわけではなく、僕たちの会議の直前に行っていた会議の内容で変わるらしいので用意するものもわからんのだが。自己紹介的なものを作る。で、外出。原宿駅から外苑前まで歩き、TWIGGYへいく。くみちゃんに髪を切ってもらう。夕食は高野豆腐の鶏肉詰め。美味。夜、コヨーテの原稿。書こうとするが、まとまらず。〆切近し。

2008年6月12日(木)

朝6時浜松町に到着。家に帰る。少し横になる。青山出版社の村上女史からメールがあり、昨日の日経新聞の夕刊と今週のSPA!に隅田川のエジソンが紹介されているという連絡。少しずつではあるが、こちらの方も盛り上がってきている。本を読んでくれた方からも反応があり嬉しい限り。こりゃ、もっともっと頑張れないかんです、はい。以前、川崎の演劇公演の後に一緒にトークをした長島くんから連絡があり、中部大学での研究会の講師の依頼。本当に様々な依頼というものがあるものだ。とにかく何でも見てみます。やってみます。というわけでありがたく返信。その後、国立国際医療センターへアオに会いにいく。アオの調子は安定してきた。まだ症状が確定してはいないのだが、元気ならもう何でもいい。見舞いをした後は、僕だけ電車に乗って浅草へ。隅田川の鈴木さんに会いにいく。相変わらず元気だった。ワタリウム美術館で企画されている僕と鈴木さんのトークショーの話をする。なんとオッケーしてくれた。8月23日の土曜日だったらなんとか出来ると言われ、忙しいところ、時間を取ってもらうことに。さらに、昨今の四川大地震などについて言及。なんで、テントばっかり送っているんだと言っていた。あれだったら、地べたに寝なくてはいけないわけで、おれだったら、瓦礫の材木なんかをあつめて高床の小さな家を作ると言っていた。これはどうにかしなくてはと、自分のことのように心配していた。鈴木さんはある意味、サバイバルの天才であるわけで、災害時の対策にかんしては誰よりもプロである。うまく彼らが救助に行くという可能性もあるのかもしれないとふと思った。どうやって動く?か。トークショーの時にそれをぜひ話しましょうと提案した。それが仕事になったら素晴らしいかもしれない。午後6時頃家に帰ってくる。夕食はハンバーグを食べる。食後、ふーとそれいゆへ。夜、亮太も仕事帰りにそれいゆに寄ってきた。まだまだ大変な毎日ではあるが、創造的に乗り越えれば、それは力になるだろう。

2008年6月11日(水)

午前8時鳥取の倉吉駅到着。投入堂道中記の詳細はコヨーテ次号で。温泉にも浸かり疲れを癒し、いつものように日帰りで東京へ向かう。

2008年6月10日(火)

午前7時起床。読書。夢飯でミーゴレンを食べ、国立国際医療センターへ。アオの調子は大分よくなって来たようだ。昨日の夜にインターネットで出来る限り調べてのノートを作った。若い主治医と二人きりで話す。自分が気になっていることを全部質問する。その結果、やはりそんなに心配する状態ではないことが徐々に分かって来た。まだ完全に確定したわけではないが、今、ゆっくりといい状態へと戻っていっているらしい。ここはこちらもじっくりと待っていく必要がありそうだ。時間をかければきちんと良好になるとのこと。これで気になっていたことは全て質問したので落ち着く。家に帰ってきて、練馬公民館での講演会の書類、ワタリウムでの鈴木さんとのトークショー企画書。提出。なんだかトークの話が色々とある。今週土曜日は赤坂博報堂で日本文化デザイン会議がある。それらのデータ作りもせんといかん。映画プロデューサー神さんよりメール。こちらも面白い流れになれば大変なことになりそうだ。夕食を食べて外出。今日はコヨーテの0泊3日。今回は鳥取の国宝投入堂へ。品川駅からバスで向かう。

2008年6月9日(月)

午前7時起床。読書。海底二万里のネモ船長が鈴木さんに見えて来た。てことはアロナックス氏は僕か。初めて真剣に読んだのだが、会話のやり取りが、まさにTOKYO0円ハウス0円生活海底版という感じであった。驚いたし、共感した。もっと先へ進みたい。午前12時過ぎに夢飯に行き、フーと二人でランチ。その後、国立国際医療センターへ碧に面会。今日も元気。いいぞ。まだ検査結果が完全には判明していないため、なんだかまどろっこしい感覚は否めないが、焦っても仕方あるまい。医師との会話。しかし、治療法など気になる点があり、東京都の電話相談室にも電話してみてセカンドオピニオン的なるもの。話をきくには、現在の様子は、現時点で出来る限りのことをやっているから安心していいんではないか、ということだった。色々と助言を受ける。こういう施設があるというのは非常に頼もしい。家に帰って来て、コヨーテ編集部佐々木さんと西荻駅前にて待ち合わせ。明日夜から出発になる0泊3日の打ち合わせ。立ち話。仕事はしっかりしないといかん。明日は鳥取県。その後、カナダの来年の仕事についての企画書制作。トロントでのフェスティバル用。ケニアの自転車の発展版を提案してみた。送信。そして、コヨーテでの連載の企画書を制作。現代における生業についての調査。うまくいけば面白いかもしれん。この話は。それも送信。夕食は餃子、切り干し大根、おでん。その後、コインランドリーの乾燥機へ。洗濯物乾燥。その合間に、どんぐり舎でほろ苦ブレンド飲みながら、また海底二万里。ハザマから壁に展示する絵の依頼。7月から制作開始予定。色んなことがぐるぐると巻き起こっている。とりあえず前に進もう。そろそろ仕事のエンジンがかかって来ている。

2008年6月8日(日)

午前7時起床。読書。朝食。部屋の掃除。午後12時に外出。国立国際医療センター。碧に会いに未熟室へ。血糖値は点滴の効果もあり、大分安定に向かっている。少しまた安心した。碧は見る限り元気に溢れている。娘が出来て、本格的に心境の変化が起こっているのを感じている。とにかく生のエネルギーに満ちている。思考がクッキリしている。親父からメールがあり、今日の朝日新聞の朝刊に「隅田川のエジソン」の書評が掲載されているらしい。いよいよ来たね。喜んで病院地下の売店で新聞購入。いい感じに書いてくれている。少しずつ少しずつ進んでいきましょう。青山出版社の村上薫女史にも電話して知らせる。今日は、大学の同級生である、マコとハラちゃんが、見舞いに来てくれた。NOVも来てくれた。タンゴは遅れてしまったので碧に会えずじまいだった。その後、マコ、ハラ、タンゴ、フーと僕の五人で小笠原伯爵低へ。生麦酒二杯飲む。今日は、イダの結婚式の二次会へ。飯田橋のCANAL CAFEへ。予想外だったのだが、僕も人のギターを借りて歌ってしまった。その後、神楽坂のガレット屋、ル・ブルターニュへ行き、クレープアイス載せとシードルを飲んで、今日はお利口さんに早めに帰宅する。

2008年6月7日(土)

朝から雑務を終わらせて、午前11時外出。早稲田へ。メーヤウでキーマカレーを食べて、国立国際医療センターへ。早めに病室に入り、退院の準備。完了。その後、未熟児室へ碧との面会に。午後1時45分から午後3時15分まで。今日も一時間半だけの一時。親戚の関根さんとマサヨお姉ちゃんが見舞いに来てくれた。とげぬき地蔵にお参りに行って、お守りまで貰う。気持ち高ぶってしまう。碧は今日も大変元気で手をふりふり、足蹴りまくっていて、調子が悪いようにはとても思えない。少しだけ、薄く目を一瞬だけ開けた。頑張れ。挨拶を済ませ、ふーだけ退院する。ようやく一人、家に帰って来た。もう一人、早く来い来い。三人集まったらこりゃ感動もんですな。家に帰って、マッサージを施す。夜、フー母が家に来てくれて、おかずまで持って来てくれて、さらにミチコおばちゃんも来てくれて、四人で夕食を食べる。ふーも大分安心したようだ。海底二万里上下巻岩波文庫を購入。読む。やっぱ、こういうドキドキワクワクの小説が面白いのである。本当に書きたいものを素直に言葉だけを使って表現する。それこそが僕が読みたいものである。そういうものを書いてみたい。またまた小説への思いもある。自分が考えている構想とジュールウ゛ェルヌがゆらゆらと重なっている。しかも舞台は東京。自分の家の近所。そんなことを考える。夜、今日が「お七夜」ということで、碧不在ながらも、紙に筆で「命名 碧」と書き下ろした。壁に貼った。

2008年6月6日(金)

午前8時半外出。武蔵小金井駅からバスに乗って免許センターへ。免許更新。失効してしまったので二時間も授業を受ける。5800円。おいおいなんか高くないか、これ。ただの適当な授業でこの値段。で、午後二時頃免許が更新される。これじゃ、碧に会えないじゃないのよ、急いでバスに乗ったり電車に乗ったり、乗り換えたりして国立国際医療センターに到着するも、すでに面会時間は終了。愕然としていたら、医師が話があるというので未熟室へ呼ばれる。思わぬところで碧と再会。で、話を聞く。まだ完全には回復できていないようで引き続き入院になる。フーは退院が決まった。僕は大丈夫だと信じている。あんなに蹴ったり泣いたり動いたり手をぎゅっとしたりしているんである。我が子も同様、気合い入った子供に育つ、かな。しかし、僕たちは何もできない。現代医療に任せるのみである。頑張れ碧。一瞬だけの面会に、幻を見ているよう。早く家に連れて帰りたい。その後、病室でフーと見舞いに来てくれたミチコおばちゃんと三人でゆっくりする。夜は二人で。午後9時頃病院を出て家に帰ってくる。恵比寿HOPを一本買って帰る。飲む。全てはうまくいくはず。

2008年6月5日(木)

なんだか今日も色々とあった一日だった。午前6時起床。バックトゥザフューチャー3を見る。朝から何やっている。その後、午前9時外出。練馬駅下車。練馬公民館で打ち合わせ。9月中旬に開催される寿大学という65歳以上を対象とした講演会に出ることになった。300人くらい集まるらしい。凄いことだ。簡単に説明を受けて、会場を見る。懐かしい公民館の香りが漂う。ううっ、早く講演したい。これまでの演目を見ると、結構固めのが多い中、よう僕を呼んでくれました。これはとんでもないものをやってみようという意気高まる。興奮したまま家に帰る。その後、WATER BLUE FLOWERにて母から頼まれた花を作ってもらい、病院へ持って行く。国立国際医療センターへ。午後1時、碧との面会。医師が「また、血糖値上がりました。心配無いです」とのこと。一喜一憂。フーは安心顔。もうこうなったら、しっかり一喜一憂するしかないな、こりゃ。フー母も来る。おにぎりを貰う。食べる。午後7時までいて、家に帰ってくる。メールを返信などを繰り返す。コヨーテ編集部の佐々木さんから電話。「今から西荻に帰ってくるのでAFTER GLOWで一杯やりましょうよ」とのこと。もちろん快諾し、乾杯。0泊3日の話と、様々な話をしていると、企画のアイデアが浮かび、秋頃からやるのはどうでしょうか?とのこと。もちろん快諾し、早めに企画書を送ることにした。その後、佐々木さんの知り合いらしき人が来店。紹介してもらう。その人は、野生時代の編集長の吉良さんだった。僕の名前を名乗ると、「坂口って、どこの坂口さんですか?」と訊かれたので、さらに名乗ると、えっ!?と言われた。なんと、僕のTOKYO0円ハウス0円生活を読んで感動してくれたらしく、編集後記で熱い文章を書いてくれたそうだ。こっちが感動もんである。こんなことってあるんです。そう、あるんです。鈴木さん言っていたもん。ちゃんと人は分かっているって。で、色々と話は盛り上がる。小説も送ることにした。午前2時まで飲み続ける。生、ラガブーリン、ラフロイグ、生。なんだか嬉しくなった。これからもどんどん面白いことを書いていきたい。描いていきたい。希望のあるものを。勇気が湧いて来て仕方がないものを。しかも、それが現実に存在しているってことを。しかも、近所にごろごろ転がっていることを。そして、僕たちはやはり立ち上がって見つけようとしていかなくてはいけないということを。全ての常識をとりあえず一回振り出しに戻して自分の直観で再構成してみる必要があることを。次いでに気付いたら即実行できるように常に自由な時間を持とうともがくことはそんなに無駄ではないという確信を。はっきり言って僕には枠にはめられた芸術談義なんかやっている暇は無い。誰しもがもっている創造の源が今でもしっかり耳の裏あたりで蠢いているということにそろそろ焦点を合わせてみたいよ。

2008年6月4日(水)

午前6時起床。午前8時半外出。出生届、保険証つくったり、碧関係の申請をしに、杉並区役所へ。午前11時までその後、阿佐ヶ谷に来たので希須林小澤でチャーハンランチセットを食べる。美味。で、その後、国立国際医療センター。午後1時45分からまた一時間半の碧との面会時間。まだ血糖が低いみたいだ。頑張れ。体はガンガン動かして泣きまくっているみたいで元気ではあるみたい。でも、面会の時に限っては毎度熟睡している。まだ目を見れていない。明日は起きてくれ。その後、二人でゆっくり。フーは少し不安そうでもある。午後6時半ごろ面会時間も終わるので一度帰る。ワタリウム美術館のワタリさんに電話する。では今から会いましょうとなり外苑前へいく。途中、ツィギーに寄って碧誕生の報告をみんなにする。午後8時ワタリウム美術館にて初対面。近著二冊をしっかり買って読んでくれていて嬉しかった。とても興味を持ってくれているようで話が弾む。その中で、隅田川のエジソンこと鈴木さんと僕のトークショーなるものができたらそれはとても面白いのではないかという案が浮かび上がる。いや、それ、凄いんじゃなかろうか。本を読んでくれて興味を持ってくれた人も多いようだし。実現したら面白いことになりそうだ。細かくつめてみよう。午後10時まで話す。早めの消灯で時間を持て余しているらしく、再度、医療センターに戻りふーと話す。落ち着いたようで午後11時半ごろ家に帰る。青山出版社村上女史からFAXが届いている。スミセイベストブック書評のゲラチェク。とても良い文章だった。感動。ありがたいものである。雑誌スイッチから著者インタビューの依頼。小説の方も少しずつ広がっている。またこれは違う動きをしていきそうで期待している。小説は次もまた機会があったら書いてみたいもんだ。楽しかったもんなー。色んな方から出産おめでとうメール届く。感謝。

2008年6月3日(火)

午前7時起床。読書。午前10時外出。東京駅へ。駅近くにあるパシフィックセンチュリープレイスというフォーシーズンズ丸の内が入っているビルで待ち合わせ。AITの肥田さんと会う。コンペで取った企画の打ち合わせ。これはアート・イン・ザ・オフィスという試みでギャラリーではなく、企業のオフィスの中でアートを発表しようというもの。で、今回はマネックス証券株式会社内のプレスルームの壁画を作る。で、そのでっかいビルの20階にあるプレスルームでマネックスの方たちとAITの方たちと施工会社の人と打ち合わせ。予想通りの気合い入ったオフィスで、盛り上がる。その後、松本社長とも対面。いくつか提案を貰う。面白いものが仕上がりそうだ。オフィス内にはトーマス・ルフや松江泰治などの現代美術が並んでいる。僕にとっては新しい方向性が見えてくるかもしらん。がんばろっと。施工会社の藤沼さんもおもろそう。午後12時ごろ終了し、新宿駅へ戻り、ベルグに行ってカレーを食べて、大江戸線で若松河田。国立国際医療センターへ。ふーの見舞い。そして碧との一時間半だけの面会。幸福のひととき。小児科の先生と話す。昨日まで心配されていた血糖値がなんだか調子が良くなったようで、もう異常はありませんとのこと。他にも何も問題はないようで、昨日の歌が効いたのだと勝手に一人で喜ぶ。ふーも安心しておった。なのでもう大丈夫です。病室で二人でゆっくりする。永井豪の描いた漫画で「キッカイくん」というヘンテコな漫画がある。ヘンテコな発明品ばかりが暴れ回る狂った漫画なのであるが、その中で出てくる、キッカイくんの家がキュビズムやら江戸川乱歩やらシュバルの感覚が入っていてヤバい。で、買って、病室で読む。午後7時に家に帰ってくる。上智大学の国際教養学部の海外の教授の方から僕が描いた佐藤春夫の「のんしゃらん記録」の画像を使いたいとの依頼。教授は日本の近代文学の研究者のようで、佐藤春夫ののんしゃらん記録についての論文を書いていてそれをまとめる際に僕の画を挿入したいとのこと。あんまり面白すぎる依頼なので即答で承諾する。こういうの、こういうの。やっぱ動いておったら何かが起きる。それがやっぱりたまらんよ。この立体読書で僕が言おうとしていることが少しでも伝わったことに喜ぶ。今頃佐藤春夫を研究している日本人なんかどこにもおらんもんね。たぶん。嬉しかった。なんだか仕事のステージが変化している感覚がある。最近。ドラクエでレベル20になって転職して僧侶を賢者にした感覚。危険な道を歩いているが、少しだけ心強いみたいな..。よくわからんが。碧が元気だと分かったのでとにかく今日は何でもうれしいんだろうけど。午前中と夜は仕事をしよう。

2008年6月2日(月)

朝起きると、筋肉痛。知らないうちに体に力が入っていたらしい。朝はゆっくりする。午前10時外出。午前11時に国立国際医療センター。ふーの見舞い。洗濯。昨日の夜から何も食べてなかったので腹が減っていたらしく、病院地下の食堂で茄子とベーコンのアラビアータ大盛注文。ハイチュウゴールデンキウイ味。これ旨すぎる。この病院は母子同室なんであるが、碧は血糖が低く、そのため未熟室に入って保育器の中で治療中。だから見れない。碧との面会時間は午後1時45分から3時過ぎまでの1時間半しかない。その時間になり、二人で手を洗い、未熟室へ入室。心電図のパット付けて、ミルクは鼻から管で入れて、腕にはブドウ糖の点滴。頑張れ。今日はだっこも出来ないとのことでふーは多少不安気ではあるが用心をしてとのことなのでそんなに心配はしていない。保育器に両手を突っ込んでとにかく触る。柔。触ると元気そうなのが伺える。一週間ほど入院の予定。明日はだっこできるそうだ。その後、また部屋に戻り、ゆっくりする。午後4時頃、小倉さんと病院の近所の喫茶店ストークで待ち合わせ。ばりばり70年代の生き残り的喫茶店でぶっ飛ぶ。碧ちゃん誕生の知らせと、今後の美術的展開についての展望について話し合う。小倉さんは僕に現代美術の道を開いてくれた父ちゃん的存在なのだ。70歳を超えているはずだが、元気満々で気合い入っていて、こちとらウカウカしていられない。生麦酒を飲む。なんか一息つきたくてドラムを一本巻いてもらう。近況を話す。なんで二十歳そこそこの完全な世間知らずの馬鹿野郎でいつ死んでもおかしくないような半分ノリノリ半分自暴自棄だった僕を見て、頑張れと言ってくれたのかいまだに理解に苦しむが、それだけが希望であった頃を思い出す。感傷に浸っている場合ではないんだが、何か今そんな気持ち。そんな僕が何をすればいいのか路頭に迷いながら生きていたときからヤレ!ヤレ!と言ってくれた人たちというのは一体どんな頭をしているのか?僕もそうやって人と接してたいと思ってはいるが、そんなの難しすぎてできねえ。なので、とにかく僕はやる。もっと衝撃的なことをやる。まだまだ足らん。もっと自分の中を革新したい。生活どうすんのなのか、二の次だ。とにかく自分の中の知らん自分と会い続ける。自分の複製は作らん。知らんことだけを知ろうとする。一番自分が怖いと思っている出来ないと思っている世界にだけ飛び込む。そしてビビってやる。獣道も無いような、誰も無視した、直観でもちょっと行かないような草むらに向かいたい。業種はもう無視だ。何者であるかを永遠に逃げ続ける。自分を信じないことだ。そんなことを高速で考えながら、小倉さんと別れて、病室へ戻る。フー母も午後6時過ぎに来室。三人で話す。碧頑張れ。そして、家に帰ってくる。何か歌いたくなり、励ましの意も込め、一人で歌う午後11時。ナイロビで覚えてきた歌、ドゥワモレダーラ、オモレダーラと電気グルーヴの虹を歌う。恵比寿HOPを飲んで寝る。

2008年6月1日(日)

午前7時起床。ふーからメールがあり、少しずつ陣痛が始まってきたようで、午前9時半国立国際医療センターへ行く。しかし、また陣痛は落ち着いたらしい。破水してもう24時間経ったので、医師の判断で促進剤を投入することに、そうすると少しずつ陣痛が来始めた。助産院で産みたいと言っていたが、もう完全に医療介入。だがそんなこと言ってられない。おかげで少しずつ分娩への動きが出始める。午後から少しずつフーは痛み始める。腰さすりまくる。午後3時頃、松ヶ丘助産院の宗先生が来てくれる。呼吸法と、足のマッサージを伝授される。おかげで二人ともリラックスできた。午後5時、陣痛室から分娩室へ移動する。僕はパジャマに着替えて立ち会い参加。教えられた呼吸法でとにかく落ち着かせる。その呼吸法のおかげもあってリラックスした状態のまま少しずつベイビーは出口へ向けて動いているようだ。しかし、一ヶ月早産では陣痛の力がやはり弱い。促進剤入れていてもやはり弱いようだ。で、最後は切開&金具によってベイビーを引きずり出す。午後9時32分。第一子無事誕生。2008年6月1日、2930グラム、女の子。二人で泣く。カタルシス。結構切ったのでフーは縫う。ベイビーと対面。やばい。可愛い。いや無事に産めてよかった。フーもホッとしている。よくやったよ、ふー。僕も立ち会えてよかった。その後、フーの母もベイビーと対面。実家にも電話。タンゴは新大久保で飲んでいたらしく、速攻で見舞いに来てくれた。早産、しかも体重が重いので我らがベイビーが小児科へ入院することになったが別に異常はないようだ。その後、フー僕ベイビー、三人水入らずで分娩室で会う。スゲー、とにかくスゲー。子供が授かった。瞬間に命名。坂口碧(あお)。あかちゃんではなく、あおちゃん。満足し、恵比寿HOPを購入後、家に帰って、一人で祝杯をあげる。新しい生活が始まる。こりゃ仕事も精いれていかないかんね。終日一緒にいながら、仕事は家で狂ったようにやる。吉田謙吉の赤ん坊考現学が頭をよぎる。あっ、そういえば、帰りの地下鉄の中刷り広告を見てたら、古谷実氏の新作始まるようですね。色々、産まれてるわけですね。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-