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Journal -坂口恭平の毎日-

2008年5月31日(土)

午前10時頃起きて、家の掃除をして、外出。お昼過ぎに再度国立国際医療センターへ。ふーの体調はいい。破水しているが、陣痛はまだすぐには来ない模様。フー母と姉ちゃんとメイとユメが病院に来る。いなり寿司などを食べる。その後、帰り際に備後屋へ行き、入院用の湯のみと箸を購入。で、みんなで小笠原伯爵邸にてカフェ。生麦酒とホットサンドとプティング。美味。横で食べていたご婦人たちは、さっきの備後屋で見かけていた人たちだったのであるが、なんだか話すことになって、出版関係だったっぽく、意外なところで話が盛り上がる。なんか思いも寄らないところで話しかけられるパターンが多い。これはいつも楽しくなる。ただ僕の声がデカイだけという話もあるが。で、その後、僕は病室に戻り、なんかフーと喋ったりしながら、面会時間が終了となる午後7時に帰宅。炊事と洗濯。眠くなってきたので寝ていたら、高校時代の同級生から電話。が、名前を聞いても記憶が無く、しかし、僕はよく喋っていたらしく、不思議な感じで話が続いていった。謎のような時間。僕は映像ではかなり鮮明に記憶し続けている自信があるが、こと文字とか名前とかの記憶はまるでと言っていいほどダメである。ふーからメール。まだ陣痛は来ていないようだ。明日もそのままなら、促進剤を投与しますとのこと。なんにせよ、明日か明後日にはベイビーが誕生するのである。

2008年5月30日(金)

午前7時起床。午前中原稿。その後、講談社の川治くんと電話。現在書いた原稿が納得いかず、急いでやっても仕方が無いので一度置いてみることにした。自分としても残念だが、ちょっと落ち着いて考え直すことに。最近あまりにもポンポン行き過ぎたので、どちらにしようかと迷ったが。なんだか色んなことが蠢いている。京都の須川さんから電話。往復書簡みたいなものの企画の依頼。その後、音楽にのめり込む。hato on the tatami完成。コレで僕は何をやろうとしているのか。わからんからいい。そして、隅田川のエジソンの紹介をしてくれるスミセイベストブック用の原稿。書き終わり送信。スタイリストの猪塚慶太氏から電話。何か一緒にやれたらいいねーとの話。ファッション誌で何かやるというのも有り得ないから面白いかもしれん。快諾。来月のドローイング用のアイデアを練る。これができればまた新しい新境地になるような気がしている。仕事はこれだからいい。やらないといけないし、終わらせないといけない。〆切もある。自分のいつもの作業とは大違いだ。いつもの仕事は〆切も無ければ、やらなくても誰も困らない。それでも作業を行うというのは、自分の中で有能なマネージャーを発生させる必要がある。今日はなんだか眠いので午後11時頃には布団に入る。すると、午前3時半頃、ふーが起きて、ちょっとお腹の変化が見られたので、タクシーを呼んで二人で国立国際医療センターへ。まだ予定日より一ヶ月早いが、破水した模様。もしかしたらもうすぐ産まれるかもしれん。午前4時半に病院に到着、診断。やっぱりここ一、二日で産まれるようだ。入院。僕は一度家に帰ってきて仮眠。母子とも体調は非常に良好である。

2008年5月29日(木)

午前7時起床。朝食はハムサンド。その後、原稿。お昼に、それいゆへ。昼食食べて珈琲飲んで構想練る。家に帰ってきて、ぼーっとしていると電話が鳴った。電話先はつい四日前に〆切ぎりぎりで提出したコンペの運営事務所。なんと一等賞だったらしい。びっくり。コンペの内容は大手証券会社のミーティングルームの壁画制作なんてある。それにDIg-Italが横伸ばしにパノラマのごとく描き込まれる予定。4メートル近くの大作になる予定。美術館とかギャラリーとかよりも、そういうちょっと変な場所の方がなぜか燃える。やっぱり、無いと思っている油断している場所に、ヤバいものがあると、何か頭がブレるもん。それをやりたい。賞金もゲット。それよりも絶対に落ちてはいけなかったので、とりあえずよかった。しかし、製作期間は10日間でお披露目会が7月頭なので、ちょっとタイトなスケジュール。その後、ワタリウム美術館よりメール。最近は少しずつではあるが日本でも美術の話が来ている。それはいいことである。夜は、亮太とアフターグロウ。エーデルピルスとラガウ゛ーリンロック。本のアイデアについての意見交換。午後1時半帰宅。

2008年5月28日(水)

午前7時起床。サンジェルマンでパンと珈琲。原稿。構成し直しながら色々と変えていこうとしていくと、なんだかたくさん変えたくなってきて、ちょっと収拾がつかなくなってしまう。タカ・イシイ・ギャラリーの山口さんよりたくさんの写真集、カタログ、葉巻などが送られてくる。大変ありがたい。感謝。読む。漫画のためのアイデア練る。ののかとSKYPE。原稿。朝日新聞の矢部さんより久々に電話。たまには会って話でもしようと誘ってもらった。よく考えたら、現在のこの怒濤の流れは、2006年の年末に同じように会って話そー、と築地の謎のカレー屋に連れていってもらったことがそもそものきっかけである。あの時、ぽろっと、鈴木さんの話をしたら「それって凄くない?」と言われ、AERAの記事を書いた。それが全ての始まりである。今や書籍編集部長となられ、相当忙しい毎日のようだ。僕も頑張らんと。こうやって、人と会うとき、僕はこんな話でもしようかなと思っていたものよりも、話を続けていくうちに発生した一言からやりたいことが見えてくることが多い。だから、自分の意志を半分しか信じていない。話をしなくては、本当の姿は見えてこないし、それはほぼ永遠に自分では分からないものだ。しかし、何か染み出てはくるんだろう。それを話し相手は突っついてくる。始めは、自分がやりたい方向と違うため、躊躇したり、話を反らしたりしてしまう。しかし、家に帰って反芻してみると、ヒントが溢れてくるのである。自分が認識できていない自分の思考を掴み取ることが、新しいベクトルを作り出す。が、なかなかそれが難しい。

2008年5月27日(火)

午前6時起床。カード使って目次作り。様々と命名。この命名がいっつもポイントなんであるが、とにかく最後まで浮かばないことも多い。名前や熟語を作り出すという作業で今まで書いてきたものが一気に立体的に現れてくる。なんか久しぶりに従兄弟と会ったら、すんごい大人になっていた時みたいな感覚になる。お昼まで続ける。昼食は明太パスタ。わさび入れてみた。美味。その後、散歩。買物。帰ってきて、ドローイング。三十二番職人歌合という歌留多に当時存在していた様々な生業の姿が絵になっているものがあるが、これがやたらと気になる。これで現代の日本バージョンとかできないかな。鈴木さんに話を聞くところによると、シケモクを拾って煙草を独自に製造し販売している人もいるらしいし、競馬の予想だけで食っている人もいる。小物拾いといって指輪などの小さい貴金属だけを拾って売っている人もいる。世の中にはどんな職業があるんだろう。もっと知らないものがたくさんあるはずだ。そんな絵巻物を作りたい。とか色んなアイデアだけが湧き水のごとく。夕食はチキンカツ。夜は勉強。今度の公募展で企画案を出したものが、自分の中で増殖している。こういうことがないと考えつかなかったわけで、それだけでもありがたい。Dig-Italをパノラマのように引き伸ばした作品なんだが、早くそれを作ってみたいと決定する前から思っちゃっている。自分の家でさっそく始めるか。僕には結果はいらない。きっかけだけでいい。後は、自分で誰から求められなくてもやるから。きっかけを求めるためだけに人に会い、海外へ飛び、東京の裏側へと行く。あとはベルトコンベアーであるから心配無い。

2008年5月26日(月)

午前5時起床。新書原稿。これまで書いてきたものを断片に分けて、構成していく。カードに分けて、バラッとしたり、訳の分からんこともやってみる。午後10時まで。ノルウェーの新聞社からメール。7月に来るらしい。ヨーロッパには向かっていきたいので、こういう反応はきっといいきっかけになる。返信。ハムサンドを食べて、その後、散歩。西荻図書館へ行く。その後、あしかホテルへ行こうとしたが、また閉店。なんかそんなこと多いな。なので、坂本屋でカツ丼。食べて、家に帰って、午後の打ち合わせ用に資料をまとめる。午後1時半それいゆにて春秋社の篠田さんと新しく作る本の打ち合わせ。今年、これで4冊目である。なんちゅうことだ。企画はしっかり通ってくれたみたいでほっとする。おおまかな章立てのことなどを話す。なんだか面白くなりそうだ。来年の年明け発行ぐらいの予定でじっくり取材して作ることにした。その後、雑談して家に帰ってくる。午後3時半ごろまた外出。ハザマの家へカナダ土産を持って行く。BC産の赤ワイン。頼んでおいた書類を受け取り送付する。企業の一室の壁面のドローイング案。そういえば応募するなんて初めてかもしれない。僕はコンペが性に合わない。なぜなら落ちる可能性があるからだ。僕は落選という体験をしないということを信条としている。だけどたまにはやってみるかと挑戦してみることにした。ハザマの家で、山崎ロック二杯。最近会って話してなかったので色々と話す。ハザマとは完全フリーの仕事をしているということで同志である。それは高校時代に一緒に夜間走っていたときから変わらない。全くやっていることは違うが、二人とも自由であることが同じである。属しないで原始人のごとく、ただの一匹の人間でいるということがどんだけ強く、喜楽であるかをこれまで話してきた。中途半端にしていては即死であるから大変だけど、何者でもないことを楽しむ、それは爆発的なエネルギーだ。安吾が飲んでいた酒じゃないけど原始爆弾として日常を送りたい。で、リッチャンも来たので、三人で桔梗へ。瓶麦酒五本ほど飲む。茹で餃子、チャーシュー、〆につけめん塩。やっぱりここは旨い。午後8時頃帰宅する。なにかこれまで積み重ねてきたことを全く無視したようなことをやりたくなってきた。マッサージ&お灸師と化した後、早々と寝る。

2008年5月25日(日)

午前5時起床。タカ・イシイ・ギャラリーの山口さんから教えてもらった公募の資料作り。またDig-Italも違う方法を見つけようとしているようだ。こうやって、別に評価も何もされていないものをどこまで自分で育てていくかが、面白すぎる。と思う。もちろん人から評価されることを求めることはやっぱり止められないところもあるんだが、そんなことよりももっと突き抜けていく気持ち良さというものだけを僕は追っている。そんなの関係ないんだと、誰が無視したとしても、僕はただ黙々と作業を続ける、という自覚の方が強い。だから、それで食っていくという気持ちよりも、もっと強い動機こそ僕は気になる。そして、そういうやつは、死なないはずだ。と一人で朝から盛り上がる。三日間寝すぎたせいだ。落ち着かない力が漲る。危険。で、午前9時頃完成。原稿の手直しも行う。言いたいことが少しずつある一つの球体のようなものになってきたかもしれない。そんなこと分かっていたら、面白くない。分からないからやりたいわけ。知らないものへ突っ込む時のスリル。一人でビビって、一人で楽しむ。それでいいじゃんと。一生狩猟していくと決めた。いつかマンモス仕留めたる。すると、KDDIから光復旧しましたとの電話。彼らも分かっているのかもしれん。で、お昼をヴィレッジヴァンガードで食し、電車で早稲田へ。国立国際医療センターにてふーと一緒に両親学級。再び。しかし、ここの両親学級は今まで受けてきた中でキングである。素晴らしいホールで、綿密な計画、ディテールもいい、実践もある講義。とても勉強になる。三キロ分の重りをお腹につけて、おっぱい的なるものを胸につけて母体養成ギブスをはめたりする。久々の学校感覚。終わって、若松河田駅に帰る途中、周辺を散策。すると、駅裏に看板も何も出ていない洋館を発見し、カフェがあったので入ってみる。ここいいかも。小笠原伯爵邸という場所で、僕は全く知らなかった。東京とは思えない気持ち良さ。しかし、ランチは7000円じゃね。カフェで満足しよう。が、満席で入れず。次回。その後、タリーズ珈琲でアイスクリームを堪能し、その近くにあった民藝店「備後屋」へ。こんなとこまたまた知らなかったが、三階建てを東急ハンズ渋谷店的に五階建て風に仕立てた民藝九龍城。全国最大規模じゃないだろうか。若松河田、なかなか渋いです。で、地下にある郷土玩具コーナーで昇天してしまい、開眼。無茶苦茶変である。その中で鳥取県の「ぬけ」(黄色の変なお面)と呼ばれる張子に魅かれてしまい、購入。お面かー。僕が昔から作りたいと思っているものである。こりゃ一丁、自分でも作ってみようかと思っている。あー、こうやって、自分がインスピレーションを受けるとは思えないところでビンビン感じてしまう時、本当に歓喜してしまうね。人はやっぱり、技術を向上することより、一番身近で一番遠いものから度肝を抜かれて目の焦点が反転することの方が刺激的なんである。家に帰ってくる。住友生命の発行している本で隅田川のエジソンを紹介してくれることになったので、その紹介文を少し考える。双子の弟、頑張れ。コヨーテゲラチェック。返信。

2008年5月24日(土)

DVDと本。午前中、KDDIのスタッフが来訪。光回線復旧作業。なんだか変な機械を持ち込み、何かを測っている模様。僕は読書をしている。すると、その機械が反応を示したようで、呼ばれる。「えーっと、ここから50メートルほどの地点で問題が発生しています」とのこと。じゃあ直してよ、というと、その人は内側担当なので、家の外はまた違う会社なのでとのこと。あれれ。明日また来ますだそうだ。昼、萬福飯店でランチ1セット。無性にタランティーノを観たくなったので、二枚借りてきて、連続的に観る。その他、ドキュメンタリー一本、SF一本と結局四枚も観てしまう。ゆっくりするつもりが、意外にもハードなムービー三昧。しかし、最近ほぼ全くインプットしていなかったので、ちょうど良かったのかもしれん。とも思うが、いつものようにやりすぎの感、あり。あと、適当に家にある文庫本を乱読。しかし、その中でいくつかアイデアも発生。この自分が探していたものと会うときの不思議さは心地よい。全く興味も無いような本の文章からヒントが得られる時がある。一回ある程度まで作り上げたら、やはり一度放っとかないといかん。しかし、考えるのを止めるのではなく、ただ頭の中でぼんやりと転がしておく。そして、様々な無駄とも思える情報を無作為に突っ込んでいく。そうやっていると、たまに芯を捉えたいい音が鳴るときがある。それが自分が会いたいと思っていたのに、形は想像できていなかったものだ。とか、そんなこと考える。自分が今、掘り出したいと思っていることは、惜しいがまだ手の届かないところにいる感じがずっとしている。ま、やるしか無いんだが。3D ステレオグラムと一緒で、分かるときちんと焦点が合うんだけど、ちょっとの弾みでブレてしまう。すぐ善悪や上下や成否とかに寄っていく。でもホントはそんなんじゃない。雄叫びをあげたい。さあ、そろそろ体も動いてきたかな。

2008年5月23日(金)

寝まくっているので、午前5時頃起きる。しばし、作業。読書。で、朝っぱらから久我山の病院に行って、薬貰ってくることにした。午前10時前には家に帰ってきて、寝る。録音図書依頼書、日経アーキテクチュア届く。光回線が調子が悪いらしく、さらにインターネットまで調子を狂わせ始め、通信不能となる。それに従い、今日も休みを取ることにした。やらねばいかんものもあるが、とりあえず、置いておくことにした。こういう時間も必要なんかもしれん。告白は読み終わる。たまげる。さらに深沢七郎の楢山節考文庫本読み始める。その中の短編「月のアペニン山」に再びたまげる。ただ、好きなように無為の日々を送る。KDDIに電話。

2008年5月22日(木)

午前5時起床。新書原稿。一番始めの書き出し部分。お昼まで。その後、読書。そして、いくつか提案がきたので、それの返信。他にもアイデア、企画書等、送る。うーん、天気はいいが、体調良くない。ドローイングしようかと思っていたが止めた。今年になって休まずにぶっ飛ばしていたら、そろそろ疲れてきたのかもしれん。どうにか一日で直して、仕事に戻ろうとするが、いまいち乗らず。ここは一丁、ストップさせることにする。とにかく好きな音楽かけながら寝まくる。

2008年5月21日(水)

午前4時起床。原稿読みと、エココロ連載原稿。4次元ガーデン。二時間で終了、送信。その後、いくつか出すことになっている企画を考えている。カナダのフェスティバル、出版物、など。無い頭で考えている。で、やっぱりやったこと無いことをやりたいと思う。そうやっていかないと、自分の知らない自分の力とは出会えない。午前9時に出掛けるまでやる。その後、ふーの定期検診のため、早稲田の国立国際医療センターへ。色々紆余曲折あったが、最終的にここで出産することになりそうだ。しかし、総合病院はなんでこんなに時間がかかるのか。町田康「告白」が読み進む。しかも、今日、盆踊りのシーンが登場し、完全にこれは現代の音楽の視点で、人の祭りの際の心理、肉体を書いていて、こちらは興奮するばかり。まだまだ序盤だが、僕の中で一度目のピーク。で、長かった待ち時間を終え、昼飯を食べにタクシーに乗って、喜久帆という和食店へ。美味しいという事だったので試しに行ってみた。店構えも内装もなんか好きな感じ。目的だった喜久帆弁当は売り切れてしまっており、コロッケ定食にした。新鮮な刺身が5種類ぐらい入っていて、コロッケも揚げたて、味噌汁も旨い。いい店を見つけた。どこから行っても遠いのがイタイが、病院行ったときはまた来よう。しかも、遠くから来てくれてありがとうって、お店の人から絶品ほたるいかを貰う。なんか開いている人がやっていた。こういうの嬉しいもんである。早稲田界隈には、気になる和食屋が結構ある。その後、歩いて神楽坂へ、麦丸で一服と思ったが、生憎お休み。ドイツパン屋で、バタールとクルミ・レーズン・オレンジライ麦パンを購入後、仕方なく帰宅。滋賀県で今年の始め展覧会をした時に一緒に参加した中山さんという女性から手作りキューピー寿司が送られてきた。これは中山さんが編んだ服を着せたキューピー人形が寿司パックの中に飾られているという、説明しても不可解な作品。もうかなり年配の方でありますが、創作意欲は毎日続けているおかげで日々溢れ出ている模様。感謝の手紙を書き、送る。夜、Dig-italについてのアイデアが色々と勃発。

2008年5月20日(火)

午前9時起床。気分は幾分マシになってきた。すかさず曲作り。そうやっているとまた調子悪くなってきた。こりゃいかん。ということで少し休養。昼飯を食べ、午後1時すぎ外出。清澄白河へ。TAKA ISHII GALLERYへ。山口さんと企画の打ち合わせ。自分の作品についての話。さらにそれ以外にも色々。むしろその色々が何かを喚起させてくる。面白そうな企画を提案されているので、こちらも何かやってみたいと思う。所属アーティストであるわけでもないのに、こうやって一緒に仕事をするというのもまた自分にとって新しい風になるかもしれん。常にフリーな状態で、全てのものと対面する。しかし、肩肘張らずに、何でもとりあえず見てみて、体験し、体感する。これが今、やはり興味があることだ。その後、現場となる場所を一人で下見に行く。調子は良くないのでほどほどで帰る。家に帰ってきて、今日の話を元に、企画を考えてみる。一つアイデアがいきなり出てきた。またこれまでやったことがない事。完全に思いつきだがちょっと進めてみよう。ダミアン・ハーストの新作なのかなんか分からんが、フランシスコ・ベーコンの絵を立体に起こしたような作品を見つけてビビる。その後、曲作り。軽い運動を兼ねて小踊りする。今度はIntoThe Tatami。もう何をやってんのかわからんくなった。普通に日常を過ごしていて、時折感じる、体の疼き。あれが今気になる。振動か痙攣か。

2008年5月19日(月)

朝起きると嫌な予感。体が重い。久々の体調不良。しかし、最近、ちょっと動きすぎ、飲み過ぎ、踊りすぎの三本立てであったので納得。これはいかんと、無理をせず一日耐久睡眠を取ることに。熱っぽい。羽毛布団にくるまってとりあえず汗を出す。3時間ぐらい入っていると完全にサウナ状態なんだが、とりあえず一回出て水をがぶ飲みしてまた耐久。食事は朝昼夜、鳥雑炊。ほぼ24時間寝転がる。寝るのは好きじゃないが、熱っぽいまま寝るのは不思議と気持ちがいい。

2008年5月18日(日)

午前7時帰宅。新書用原稿読む。その後、喫茶店でも読む。それいゆにてチーズカレー。その後、帰ってきて作曲をGARAGE BANDにて。夕方すぎに突然、NOVとユミちゃんが遊びに来る。白ワインを持って来てくれたので飲む。その後、亮太も来訪。さらにもう一本白ワインを買い、麦酒を買い飲む。JONI MITCHELLのBLUEを再びかける。本当に最近、こればっかり聴いている。その後、亮太と二人でクラワンカカフェに行き、サングリアを飲む。その後、のらぼうにまで行ってしまい、閉店ギリギリにも関わらずお邪魔する。るりかけすをロックで最後にエーデルピルスを飲む。今日はゆっくりと思ったのに以外にも深夜まで飲み続けることに。

2008年5月17日(土)

午前7時帰宅。読書。午前9時頃睡眠。午後12時起床。起き抜けに五月のスイカを縦に3つ切り、水のように連続して食べる。明太子で明太パスタを作製。美味。シーフードカレーは嫌いなのに、明太パスタは何でこうも旨いのか。昨日の昼も全く同じ献立だった。やめられん。読書。執筆。一通り済んで、作曲。いつも帰ってくると一曲作りたくなる。ただ記録をとっているような感覚なのだが。で、メモを取ったら終わりかと思っていたら案外長引き、なかなか止められなくて午後10時頃まで結局4トラックで多重録音をしてしまっている。午後10時、マッサージ。その後、ドローイング。考えなくてはいけないことが増えてくると、それとは全く逆方向のすぐにはどうにもこうにもいかない代物への興味がふつふつと湧いてくる。しかもそういう時にいつも次の作品の何かが見えることがある。DIg-italというその後ずっと続くことになるドローイングもそうだし、立体読書のシリーズもそうだ。二つとも自分が一つやろうと思っている時に、突如横から邪魔するように入ってきた方たちなのである。しかし、僕は違う別件を構築し、終わらせたいと思っていた。そうすると、この意味も無く理由も無くただ面白そうなモノ、が横から顔を出してくる。しかし、こちらは作業を終わらせたい。ぜひとも形作りたいと願っているので、そういう直感的な作業は削ぎ落としたい。いやいや構築してどうするんですか?こっちの方が面白いでしょ、ほら、と言ってくる。ついには僕はその誘惑に負け、自動的に進めれば終わる案件を無視し、見た事も無い作品の作製を始めてしまうのである。しかし、その時に〆切ぎりぎりまで無視して、作り上げた、それとは全く関係無い、新しい作品たちは、理由の無い強さを持っている。ただやりたいからやったのだ、それ以外に何も無い、という潔さがある。で、今度はそれをまた描こうとする。でもまたそのうち横から邪魔が入るのだろう。そしてそれはいつしかメインの仕事になっていったりするのだから不思議である。しかし、構築する作業がゼロになればいいというのではない。その作業があればこその邪魔が入るわけで、しかもそれは意識していては絶対に現れてくれない。無意識を意識的に放っておく。で、次第、無意識に忘れてしまうのを待つ。ふくらはぎの筋肉の力を抜きながら括約筋に力を入れる感覚に似ている。力を入れて、抜くのではなくて、同時に力を入れながら抜きながら、尚かつ、それらが二つ独立したものであるという感覚でいる。うまく説明できやしないが、最近、この力の入れ方を覚えたように思える。何の役に立つかは知らないが。とか戯言に塗れてようやくできたOn The Tatamiという曲。

2008年5月16日(金)

午前8時起床。朝食。そのまま二時間書く。印刷されてきた現代新書用の自分の原稿を読む。また印刷されると印象が変わる。うちにはプリンターがないので、編集者が持ってきてくれるコレがいつも初めての紙面上の文章との出会いである。なんかそれがいいのである。ただ。僕はいつも物事の全容をあまり知りたいとは思っていない。そして、自分で決定したくない。これは作品を作る上で僕にとっては非常に強い力になっていると思う。もちろん知識は重要で、自分の力で判断する事も、時にはやらなくちゃいけない。そういうこともやることはやる。だけど、結局のところは僕は何が何だかわからない、行った事もない土地へ足を踏み入れた時のような、クラブでこれまで聴いた事のような類の音楽が鳴った時、絶対面白くないと思われるジャケットのDVDを人から強制的に手渡されて見て興奮しちゃった時、のような状態を追い求めて生きているように思える。そしてその瞬間の自分の精神状態、回りの景色、空の明るさ等を、全て克明に頭の中の3Dデジタルビデオで写し取るのである。それが僕のWORKと思っている。何か創造的な瞬間が消え去り、面白くなくなってしまって、頭が固まって、自暴自棄になっているときは、すぐこの脳内アーカイブをまさぐる。しかし、そういう時ほど、アーカイブ内でどれを見つければいいのか躊躇してしまう。そしてそれを再生しても、モノクロになってしまう。実際はこちらは何百万画素の細密な極彩色で記録を取っているはずなのに。アーカイブ内でローラースケートを履いたアメリカングラフィティのウェイトレスのような颯爽とした気分でいられるのは、やはり再度、前述したような何が何だかわからない瞬間が訪れたときだけだ。それは幼少の時から何も変わらない。しかし、それは少年時代が全て素晴らしかったというのではない。少年時代も同じく、ごく稀に自分にそのような瞬間が降り注ぐことがあったというだけだ。日常はいつの日も退屈さを演出してくる。しかし、ごく稀に、純ちゃんとコウちゃんの家に泊まりに行く時、子供劇を皆で見に行く時、正月の祖父の家での会合時、伯父さんが連れて行ってくれた霧島登山でのバンガローでの一コマ、もちろんテントの時、など、本当にごく稀に来るのだ、その瞬間が。それがとにかく忘れられなかった。それでも次の日にはすぐそれが幻であるかのように日常が始まって行く。僕はそれらの出来事に常に励まされていたと思う。見捨てるな、いつかまたこの瞬間は訪れるから、と誰かが言っているような気がした。それはあまりにもロマンティックだが、僕は本気で信じていた所がある。その瞬間が一体何なのか?それを僕は探求したいのだと思う。正解とか、発見とか、どうでもいい。新しいことなんかあるわけない。ただ、僕には焦点がいまだに合わせることができない、あの瞬間がある。あー出会いたい。とにかく片鱗だけでも。そんなわけで、今日も僕は、夜12時に西荻を出て、踊りに出掛けることにした。代官山UNIT。GODFATHER10周年記念祭。高橋透×MOODMAN×宇川直宏。タンゴとUNIT前で待ち合わせて、中に入る。今日はとにかく宇川氏のVJがとんでもなかった。バファリンのCMと三角錐の画像が合体していく。PJのモデル三人組とCADで描かれた都市のデジタル絵。モナリザの謎を追いかけるヨーロッパのドキュメンタリー番組のリミックス。有り得ない。こちらの欲望を全て裏返していく。ブラボ。DJ陣は踊れたが、感覚をブらすまでは行かず。ユッコと会う。元気な母。階下のSALOONへと降り、テキーラ二杯飲んで、瀧見憲司氏のDJを堪能する。やっぱ今一番好きかも。何のジャンルの音楽を流しているのか完全に理解不能になる。相当踊る。最後の、アフリカの民族音楽のような、アメリカの小学校のゴスペル部の練習風景のような、デビット・バーンとブライアン・イーノのブッシュのような、曲が凄かった。いや、途中のバリバリのロックが僕には演歌に聴こえたやつも凄かった。あまりにも凄いと曲名を聴く気も失せる。それは知らないままでいたい。その後、DJ 1DRINKの中でも一曲凄いのがあった。今日はむしろメインよりB3Fにて大収穫。この収穫は不思議なもんである。何一つ、それが一体どんな曲なのかは分からないのだから。ただその瞬間の空間と音楽と人を記録するだけなんである。午前6時まで踊り狂う。体を動かしながらじゃないと、自分が考えている事なんか何一つ形に起こせやしないし、思考も柔らかくぶつかり合う事はない。止まっていては駄目である。動き続け、旅を続け、踊り続け、時には歩きながらハミングし続け、キーボード叩き続け、ペンとインクでドローイング。って、これでは変人である。良い子は真似しちゃダメである。今ドローイングという言葉が気になった。ドローを名詞形にするためにINGを付けてるんだけど、やっぱりやり続けているということが名詞になるわけだ。英語のこういうところが好き。一人で納得。駅に着いてあまりに腹が減り、久々に松屋のカレー。なんでこんなに旨いんだ。最近大地宅配という無農薬無添加物中心の宅配システムを利用し始めた。どっちも旨い。

2008年5月15日(木)

午前8時に新宿駅に到着。まっすぐ家に帰ってくる。CANのFUTURE DAYSを久々にセットしながらゆっくりする。しかしなぜかハイテンション。熊本で見たものは本当に変だったが、ピュアで、衝撃を受けた。来月10日のコヨーテで書きます。朝食後、午前10時半頃銀行へ行き、それいゆへ。それいゆでコヨーテ原稿。1500字。今回は出会ったものがいい振動をしていたので素直に書ける。と、書いていると店内で人の動く気配がした。そして僕のテーブルの前で止まった。そしていきなり僕の名前を言ったのでびっくりしながら顔を上げると、憂鬱な顔をした青年。本を読んだというのである。たまたま珈琲飲んでいてSPA!を見たから顔を記憶していたのだという。とにかく覇気の無さが気になり、テーブルで彼の話を聞いてみることにした。僕と同年で、とにかく無気力なんだという。30分ぐらい話をして別れたが非常に心配になった。僕が具体的に何か言ってあげられる事は何も無いのである。本を読んで何か掴み取ってくれることがあれば嬉しい。しかし、無気力とは言いつつ、喫茶店で見かけた著者に声をかけるというのは非常に気力のいる作業だとおもうのだが....。エネルギーが実は腹の底にぐるぐると渦巻いているのではないかと思う。とか考えながらふーと駅前で待ち合わせして夢飯でフライドチキンライスを食べる。食後、家に帰ってきてコヨーテの中途の仕事を続行。午後4時終了。写真のデータと一緒に編集部へと送信。帰ってきて、即仕上げた。カナダ行っていたためにかなりギリギリのスケジュールだった。終わってホッとする。ホッとする時、僕はドローイングを始める。これじゃ完全にワーカホリック。ここ二日間ほど仕事の谷間ができで、なんだかリラックスできるのかと思っていたらそんなこと全然無くて逆に暇を持て余して廃人と化していた。水を求めて地面をくるくる回転しながら暴れ回る地上の魚状態である。クールダウンのドローイングの調子がいい。だってクールダウン。しかもこいつの方が僕の生活を支えているのだから不思議なもんだ。一体本業ってなんだろう。でも僕は建築と言っておきながら家を建てずに出版ばっかりやっておきながら作家とはとても言えずに海外では美術界と仕事しながらやっぱり結局は人とシャベルのが楽しいから旅行しているともいえる。It's meであるとしか言いようが無い。今日発売のR25で僕が変なダンボールハウスを作った記事が掲載されているらしい。何人からか連絡がある。僕はゲットしていない。やっぱり大きいドローイングはいいね。いつもはケント紙をフローリングの床に置いて座り込んで描いているので腰は痛いし、たまにフローリングの段差のところでペン先が引っ掛かって、線がずれたりしていた。まっ、それもいいんだが。今回はキャンバスを壁にかけて立って描いている。立って描くのがこんなに楽なのかと今頃驚いた。しかも、立っていると何となくファイティングポーズ。しかも、いつもの6、7倍も大きい画面にいつもより細かく描いちゃっている。終わるのかこれは?しかし、いつも不思議なことが起こる。ずーっと描いていると7日ぐらい経つと作業のスピードが倍なんかじゃなく驚異的に上がる現象。それは最高の快楽である。色んな悦楽の手段があるだろうが、僕は自分自身が変容していく瞬間を一瞬垣間見る事のできるこの創造ハイこそが0円で最大の効果をもたらすと思っている。だからなぜそれをやるのですかと言われても簡単なのである。それは僕にとって麻薬なのである。だから「三日坊主」と「明日やればいい」という言葉には僕は騙されない。その思考回路には快楽がない。ハイになりたい人間は御免だけど三日ではとてもじゃないが止められない。そして明日からじゃ我慢できない。今すぐやりたいのだ。さすれば5日もたてばしっかり効いてきて一週間でその状態をフルに体感できるようになり、3週間でその動きを自分のもう一つの目で客観的に直視できるようになる。ヨダレものである。.......とそういう風に全ての仕事に対して考え始めた時に何かが蠢き始めたことをふと思い出した。「継続は力なり」なのではなく、「快楽は止められない」という風に故意に思考を転換させてみたのだ。とそんな事ばっかり考えてばかりじゃいけないので、午後7時講談社現代新書の川治くんと西荻で待ち合わせ。食事でもちょっとお酒でも飲みながら打ち合わせでも....ということで私、しっかりFBPを予約しておりハートランド麦酒でまずは乾杯。前菜つまみながらさっそく原稿の話。概ねオッケーとの事。そして川治くんからのいくつかの提案を聴く。ゾクッとした。盛り上げてもらう。その後赤ワインボトルを空けまして、パンチェッタのピザ、クルダイオーロをスパゲッティで、カルボナーラをペンネで。いつからか話は転換していった。それはイメージでしか無い話だったのだが、僕としては非常にクリエイティブに打たれた。やっぱり話することだ。しかも音楽的に語り合うことだ。意味なんてものはあんまり信用しちゃいかん。でも無視しても駄目で、それが会話という形を現しているのではないかと思う。その後、ついつい二軒目も付き合ってもらい、AFTER GLOWへ。ラガウ゛ーリンロックで二杯、ラフロイグロックで一杯ごちそうになる。原稿はこれから第二期に入り、二週間かけて月末に仕上げてもう一度提出することにした。家に帰り、マッサージ&お灸を施し、寝ようとすると、懐かしの人から電話がかかってきたのでついつい二時間ほど電話で話し込む。

2008年5月14日(水)

今回のコヨーテの取材は熊本ということで親父と母にも会い、というか一緒に取材した。変な感じで4時間滞在。そのまますぐにトンボ帰り。0泊3日はなかなかハードな旅であるが、頭をこんがらせるにはちょうどいい。こうやってワープし続けた方が脳みその活性化には役立つ。来年の10月にトロントで仕事をしないかとの依頼。さらにジャックから、またもや作品についての質問など。海外がなにやらざわついてきている。バスの中ではトム・ソーヤの冒険を読んでいた。こんな話だったのね。読んで寝て、読んで寝て。

2008年5月13日(火)

午前9時起床。午前中からドローイング。まずまず。午後4時頃コヨーテの佐々木さんと西荻駅で待ち合わせ。ヴィレッジヴァンガードへ行き、打ち合わせ。その後、西新宿のロス・アプソンでマイルスのレコードを購入後、バスに乗り込み、いざ熊本へ。15時間の長旅。

2008年5月12日(月)

午前9時起床。朝食はツナサンド。食後、外出。半蔵門へ。麹町警察署で調べもの。その後、東京メトロにも。お昼はベルグでカレーライス。読書。お昼過ぎに、西巣鴨のノノカにカナダのお土産を届けにいく。ノノカ相変わらず、大興奮で、レジで一通り遊び尽くした後、棚の上に隠してあった粘土を取り出し始め、粘土で色々作ることに。僕がハンバーガーとかスイカとか作ってあげたら、箱の中に入れ始め、お弁当のようにレイアウトしている。時差ボケなのかいきなり睡魔も襲ってくる。ドライカレーを少し貰い、家に帰ってくる。夕食を食べる。明日から熊本に取材で行く事にした。その連絡等。ドローイング。ジャックからまたいくつかの依頼。どんどん作っていこう。しかし、今日は頭が働かず重い。まぁ一段落ついたところなので、休息も必要である。とか言いながらも、明日はバス旅だ。0泊3日。しかも今月もう一回行く予定である。

2008年5月11日(日)

午前9時起床。朝食後、杉並区中央図書館へ。新聞の縮小版を閲覧しに行く。資料室には今までの新聞の縮小版が何社分も保管されている事を初めて知った。2005年の年明けの記事を中心に今、調べている。その時にある事件が起きている。それはとても建築的に気になる出来事であった。なんだか宝探しのような探偵のような気分で仕事をしている。しかし、今日は収穫無し。諦めて新宿へ。世界堂へ行く。今度、Dig-Italの新作は大作を作りたいと思っているので、F100号のキャンバスを生地だけ購入する。枠を付けると輸送するのが大変なので、生地だけを壁に貼って描いていく事にした。これだったらどんなに大きな絵もどこにでも運ぶ事が出来る。3枚を3ヶ月で描く予定。日本のギャラリーから面白そうなアイデアが届く。一度見に行ってみる事にした。銀座の家が止まっているが、その動きの潤滑油になるかもしれん。世界堂の後、亮太と待ち合わせし、馬券を買って、メキシコ料理屋でコロナとテカテを飲む。NHKはまんまと外れました。鈴木さんたちはどうなったのだろう。気になる。しかし、たまには面白いな。家に帰ってきて、熊本から送ってきた旬の植木スイカを食べる。たいやきも。夕食は鶏肉のオーブン焼き。その後、100号ドローイングにさっそく取り掛かる。いや、デカイ。しかし、少しずつやっていこう。やれば終わる。5日も過ぎれば、それは快感になる。明日も朝から、探偵ごっこをやる予定。

2008年5月10日(土)

午前9時起床。朝食後、部屋の掃除。模様替え。仕事が複雑になってきたので、逆に机回りをシンプルにしてみることに。回りにたくさん物があった方が以前は色々と発想も出来たのだが、最近は、むしろホテルの机のように何も無い方がいいように思える。ので、本棚を全て隣の部屋に移動した。机の上にはなにも置かない。MacBookだけにした。壁にも紙が無秩序に貼ってあったが、それも全て取った。昼食は焼鮭。午後1時頃外出。南北線で東大前。文京学院大学にてインドの児童労働についてのレクチャーを受けにいく。今回、インドからきている人たちがふーの大学の同級生であり、さらに僕がアフリカで一緒になったラジャとも知り合いらしいので行ってみる。午後2時から二時間。大変な現実であった。その後、まっすぐ帰ってきて、それいゆで喫茶し、腹が減ったので、そのままナモでインドカレーを食べて帰った。夜は、カナダの人々にメールを送る。いくつか仕事の依頼。フランスからインタビュー、モントリオールの展覧会、海外でも少しずつ動いている。次は、やはりベルリン、そしてロンドン。カナダでもやはりこの二つが今面白いとの事。僕としても、なんかベルリンが気になっている。今年の終盤か、来年にでもとりあえずいくつか作品を持って行ってみたいと思っている。やはりドローイングだろう。ドローイングの作品をさらに進めてみる事に、もっと大きな絵を描く予定。100号ぐらいのものを。さらには滋賀の展覧会で方向性が少し見えてきた、彫刻も。混沌だが、とりあえずやるしかない。

2008年5月9日(金)

午前9時起床。家で呆然とする。頭の中でこれからの構想が蠢いていて、まとまりが効かない。外出し、それいゆへ。でも原稿は今は書くものが無いので、ゆっくり珈琲を飲み、カレーを食べる。その後、お昼に浅草へ。鈴木さんの家に久々に行く。カナダの土産とまだ渡してなかった小説を持っていく。ゲラを既に鈴木さんは読んでくれていて、面白かったと言ってくれた。今、鈴木さんの家は図書館のようになっているらしく、僕のTOKYO0円ハウス0円生活が色んな人の手に渡っているのだそうだ。そしてみんなしっかりと読んで帰ってくるんだと。嬉しい限りである。鈴木さんと酒をのみまくることに。なんだか、最近また稼ぎが上がってきたようで、二人ともいいっすね、なんだか盛り上がってきましてね、と酒も進む。こうやってお互いがお互いをうまく伸ばせている状態に僕もホッとし、勇気が湧く。近頃、バッテリーが拾えなくなってきているらしい。どうやらようやくガソリンスタンドもバッテリーの中に内蔵されている亜鉛が高値で取引されていることを察知したらしく、鈴木さんにあげる前に中国に売っているのだそうだ。おせーよ。それまで廃棄物処理のお金を払わなくちゃいけないから鈴木さんにあげていたのに、金になると分かるとすぐに自分で売ろうとする。まあ、でもそれこそが本当のリサイクルだから、気付いただけでも偉いね、と鈴木さんは言っていた。ホントのリサイクルは「やりたいことをする」ことである。で、それじゃあ鈴木さんはバッテリーが無くてはテレビ見られないじゃん、と質問すると、「そう思うでしょ?でもそこがオレは違うんだな」と勿体ぶり、棚の上に転がっている長い新聞紙の筒を指差した。「!!!」なんとその筒の中には1.5Vの単一電池が8本直列に並んで入れられていた。1.5Vが8本。そうである12Vになるのである。そしてテレビはついたのであった。「電池は逆に需要が無くなってきているから、よく捨てられてんのよ」もう、あんた、凄いよ......。僕は完全にノックダウン。そしてさらに鈴木さん、「そして、最近凄い人と会ったのよ」誰なんですか?こちらは興味津々丸と化している。「それがさ、路上の競馬の予想師なんだけど、今、会ったばかりで3レース分、言われた通り買ってみたんだけど、外れないのよ。先週なんか600円が1万オーバーになったからね」と、鈴木さん、ほくほく顔。どうやら、その彼が、一切、新聞も馬の名前も顔も見ないで、選ぶのだそうだ。なんだか眉唾もんだが、鈴木さんの顔を見ていると、まんざらでもなさそうだ。もう今週のレースも決まっているのだそうだ。数字を聞いたので、チェックしてみることに。「坂口さんに紹介したいよ」と言っていた。なんで、こうも路上には人間の個性が溢れているのよ。さらに、僕が最近見つけた人の話をすると鈴木さんはさらに興奮。「やっぱ、東京やばいね」というところで落ち着いた。僕も落ち着いてばかりはいられない。まだまだ調べるものが無数にあるのだ。僕は東京の別の地図を人間生態図を描き、あぶり出したいと興奮し、午後5時頃ようやく隅田川を離れる。電車で爆睡してしまう。毎日新聞の田中さんに聞きたいことがあり電話。快く快諾してもらう。夕食はコロッケ。食後、村上女史と電話。講談社川治くんと電話。その後、自分の仕事のスケジュールをずっと作っていた。僕の趣味。スケジュール作り。これやってるときが一番楽しいかも。まだ見もしない、将来の作品をあたかも作り終えたかのように、空想し、書き続けるスケジュール表。これってよく考えたら小学校の時の夏休みの計画表から何も進歩していない。いいのか悪いのかしらんが、楽しいことだけは確かである。午前1時頃眠くないが、寝る。夜、夢は英語で、カナダ人ばっかりが出てきて、さらには、おどろおどろしい、どう考えても悪夢に教われる。英語の悪夢。なんじゃこりゃ。

2008年5月8日(木)

帰国。午後6時頃、家に到着。ふーと久々の夕食。ののかと電話。二歳にして、かなりのおしゃべりっこへの道を歩んでいる。5分ぐらい普通に二人で会話が出来るまでになってきた。しかも、途中で祖父である親父の物真似なども炸裂しており、ユーモアも忘れていない。大物になる予感。夜は、亮太とアフターグロウで、麦酒とラガウ゛ーリンを飲んでクールダウンさせ、寝る。さあ、日本帰ってきたら、近日中にまた旅行である。なんだか慌ただしいがやるだけやってみよう。その後、講談社現代新書のまとめ、春秋社での新刊の打ち合わせ、そして、自分でまた一人でやり始めようとしている新しい東京でのアナザーワールドの住人についての本と三本立ての仕事が待っている。なんだか武者震い。ドローイングも今度は、100号ぐらいの超巨大キャンバスにDig-italの新作を描く予定。ただ一つずつ一生懸命にやっていこう。や りながら成長していこう。

2008年5月7日(水)

午前8時起床。午前9時にシャーリンがまた今日も朝食を用意してくれた。その後、タクシーに乗って、空港へ。とうとうカナダともお別れである。映画を見まくる。ディズニーのシンデレラみたいなプリンセスがニューヨークの実写の世界に迷い込んでしまうという映画が溜まらなく面白かった。今までだったら、えーっとか言ってみないであろう代物なはずだが、見ていると、なんか本当に面白かった。見入ってしまい、笑いまくり、泣いた。

2008年5月1日(木) ~ 2008年5月6日(火)

Winnipeg & Vancourver Journalにて記録。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-