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Journal -坂口恭平の毎日-

2008年4月30日(水)

午前9時起床、そして二度寝。しばしのグータラ。その後、出国の準備。ふー母が来る。柏餅持参。食す。ふーのアクセサリーがバンクーバーでいい感じで売れているらしいので、新作をまた持っていくことにする。選別。そして午後3時出発。NEXで成田空港まで。今後のJOURNALはWINNIPEG&VANCOUVER JOURNALで書きます。4月30日~5月8日までの9日間の旅行。

2008年4月29日(火)

昨日の続きでなんか胸騒ぎで、眠れなくて、とにかくネットサーフィンしていた。僕の楽しみ、夜のサーフィン。バカと呼ばれてもぼくはやり続ける。そして、ある記事を目にした。それはまだここでは言わないけど、とにかくそれは僕が探し求めていた記事であった。カポーティの映画の時のような鳥肌が立った。東京での建築探検第二弾。新しい局面を迎えたようだ。僕は、講談社現代新書が書き終わり、その後は執筆よりも自費出版の本を作ると意気込んでいたけど、早くも路線変更。この企画は一瞬にして本になると直感。しかも大いなるものになる予感発生。まあ勝手な勘違いかもしれんが。でもそんなの関係ねえ。ってあの人最近服着てるね。僕はこれからどんどんパンツがちっちゃくなっていくと読んでいたので、軽くそれは外れた。そんなことはいいのだが、とにかく僕が次やりたいと常日頃考えていた企画が有り得なくもないことが判明し、その取材を帰国後、速攻で始めることにした。とにかく僕は世界の果てで冒険なんかしている場合ではないと思っている。自分の周辺で、ワンダーランドを見つけたいと思っているのである。そして、その入口を発見した。とにかく、五月から新しい仕事を始動させることを夜、とりあえず亮太に宣言し、有言実行しなくてはいけない状況を作り出す。これがまず僕にとって重要。それで、案の定、興奮し、眠れない。でもそれならそれで仕方が無いので、とりあえず、気の赴くままにぼーっと宙空で物事を考える。こういう時には大体題名を考えるに限る。そこでひたすらネーミングタイム。布団に入ってもネーミングタイム。何でも名前を与えられた途端に本は生きてくる。はずだ。だから、朝起きてもとにかく眠かった。でも、今日は原稿を書かなくていい。素晴らしい解放感。原稿は辛い。でも楽しい。この当たり前のことを当たり前に考える。とにかく妄想をし続けたくて、家を出て、いつもとは逆方向に、どんぐり舎へ行き、開店してない店の中に入れてもらって、ほろ苦ブレンド&本二冊。オークションで落とした雑誌が届くが、ブルースが欲しいといっていたものと違うことが判明する。でも仕方が綯い。珈琲屋で至福の時間を過ごす。その後、吉祥寺へ行き、ふーと美帆とののかと待ち合わせ。解放されたので、姪っ子タイムを楽しむ。井の頭公園。歩きまくる、さらに途中から走りまくる。色んな遊びを開発しないとノノカは満足しない創造力と記憶力豊かな二歳なので、こちらも大変だ。仕事より、創造性を重視される。真剣に対応する。昼飯は、井の頭公園のブルターニュ地方と僕が勝手に読んでいるガレット屋へ。サラミとルッコラのガレット&シードル。食後は、もちろんスウィーツ、メイプルクレープ。これがフランス、サン・ナザールでの毎日の昼食だった。しばし回想する。あー、ヨーロッパでも仕事が発展していかないかなーと念力を送る。僕は日本だけで仕事をしている人よりも、やはり世界で仕事をやっている人でいたい。それであれば、誰にも頭を下げずに生きて行くことができるはずだと思っている。ちゃんと必要とされる場所を知っていることは自分という職能だけでやって行こうとする人間にとって重要なのである。どこに行っても飢え死にしない力を僕は二十代で身につけるためだけにやってきたつもりだ。三十路は違うぞ、これからは、そこで作った土壌を元に暴れまくるのである。昔の自分をあざ笑うかのように暴れまくるのである。敵は世間知らずでぶっ飛ばしていた二十代の頃の自分自身である。あいつには負けたくない。それで、とにかく遊びまくり疲れ果てる。が、僕が描いたTシャツの展覧会が有楽町マルイで開催されているのだが、それが明日までということが判明し、フーが買いたいと言い出し、疲れ果てているにも関わらず、四人でそのまま銀座へ向かう。初めて有楽町マルイに入る。感想特に無し。6階で行われていたのでは、71人のアーティストによるオーガニックコットンTシャツ展覧会であった。僕は名前は出さずに、エココロ企画ということで竿にかかっていた。初めてみる自分のプロダクト。なかなかかわゆい。他には、石山修武師匠もいて多少びっくりする。その後、さすがにノノカも疲れ果て、ベビーカーの中で眠りの世界へ没入し、僕たちも家に帰ってくる。三ヶ月ぶりぐらいで厨房に入り、僕が夕食を作る。牛肉とズッキーニらの炒め物と大和芋の味噌汁とカボチャサラダとキノコのゆでものと玄米炊き込みご飯。美味。食後、ぼーっとテレビを見る。その後、午後9時頃外出し、中野駅で美術評論家の小倉さんと会い、青森酒場で一杯だけ飲む。彼は、僕が本当に無名で、何もやってなく、唯一卒論で作った東京ハウスという0円ハウスの前身である作品集を持ちながら、著名な方々の前で馬鹿みたいに吠えていたころから、お前はいい、と言ってくれた人だ。最近の活動を見て、ホントに喜んでくれている。もう六十歳後半であるはずだが、いやもっとか?わからんが、思考は常に新鮮で、いつも僕にアイデアを与えてくれる。彼と原さんがいなかったら、僕は美術の世界でやる術を知ることができず、どう考えても路頭に迷っていただろう。2001年頃に、美術と建築の間についてのかなり突っ込んだ視点を持っていた。だからこそ、僕の作品を面白いと言ってくれたのである。世間で動くのとは7、8年先の感覚が、いつもストリートには溢れているのである。そこで出会う人々は永遠に付き合うことになる。それだよ、それ。現在を見ていては何も始まらんよ。それより、夜、寝静まった後に路上で起こる全てのことに注目していたい。テキーラと共に。小倉さんに昨日のカナダの新しい局面を話したら喜んでくれた。それがとても励みになる。人が腐りそうになっているときに、声をかけてくれる人こそ、真実を見ようと必死になっている人である。どんな時でも、それは僕の頭の中でリフとなり、鳴り響いている。だから、腐るんじゃないよ。それだけだ。その後、家に帰ってくる。亮太が家に来たので、マッサージ&お灸をした後に、再度外出、もちろんAFTER GLOW。麦酒とラフロイグロック。亮太はまた最近仕入れた本を持ってきてくれた。この媒介者はよく考えたら、僕が一歳の時から理解してくれている人間なわけで、それは凄いよなと最近改めて思う。そして、一番近いやつが、衝撃を受けてくれることこそ、僕の一番やりたいことでもあるのである。全てを見せて、なおかつ、さらに、驚かせる。これが重要なんである。 家に帰ってきて、明日の出国の準備をしたいが今日はもう眠い。明日やる。

2008年4月28日(月)

午前8時起床。朝食はツナサンド。その後、すぐジョナサンへ向かう。執筆。二時間、午後12時まで書く。累計345枚書いたところで一応の終わりを迎えたかもしれないと思い、家に帰ってくる。そして、講談社の川治くんへ送信する。26日間書き続けたら終わってしまった。まだまだ変更などをしなくちゃいけないところもでてくるだろうが、とりあえずは、カナダ前に終わらせるという自分で作った〆切前には終わった。力抜ける。まだ解放感はないが、面白いものになったんじゃないか、とは思う。その後、本屋でカナダ行きの飛行機で読む本などを購入。家で調べもの。その後、午後二時に阿佐ヶ谷へ向かい、R25の取材。フリーの石原さんと待ち合わせして、タクシーで善福寺河川緑地へ向かう。今日の取材は、ダンボールハウスを作ってみるというもの。ダンボールハウスというのはやはり防水のことを考えると現実的でないので実際にはあまり見ることが無い。しかし、誰にも作れる家ということでは有り得ると思い、作ってみた。意外や意外、ノープランで始めたにも関わらず、なかなか面白いものができた。その中に入って撮影なども。麦酒も頂き、カメラマンの方とその友人と4人で、段ボールで作ったテーブルで小さな宴。いい公園だった。いやいや、出国までの仕事を全て終わらせる。落ち着きたい所だが、カナダに行ったら行ったで、展覧会の設営をしなくちゃいけないので、それが終わる5月3日までは気が抜けない。それが終わったら、5日間ほどバンクーバー。今回はそっちでは仕事はないので、そこでゆっくりしよう。夕食は炊き込みご飯と味噌汁と焼き鮭。その後はゆっくり読書。何だか知らんが、また次の小説を書きたくなっている。それを盛り上げるための読書。TOKYO 0円ハウス 0円生活の録音図書を探されている人がいるらしい。ネットで見つけたのだが、それが気になり、メールを送ってみた。ありがたいことだ。できることはしたいと思う。夜、カナダのモントリオールのギャラリーから連絡があり、11月に行われるフェスティバルへの出品依頼。なんだか過激そうな祭りである。State of Emergencyというタイトル。ギャラも旅費も発生するらしい。ありがたい。こうやって少しずつ展覧会が東へ向かっていく。この流れが素晴らしい。カナダでは、遠くのギャラリーもバンクーバーで起きていることをチェックしているのである。だからこそやりがいがある。日本でこんなことが起きた試しがない。別に日本だからどうのこうの言いたいわけではないが、やっぱりディレクターたちのモチベーションが違う。有名なものを持ってこようなんか考えてもない。たとえ無名でも面白ければ呼んでくれる。それだと若いアーティストが燃えるわけです。日本はそれが、美術よりも出版のほうが確実に熱い。面白い人間を欲している。だから、必然的に僕の仕事が、日本では出版、海外では美術になる。執筆が終わった途端に、美術方面からのアプローチ。こういうことが、とても励みになる。僕は常に自然に分裂していたい。ちょっと興奮した。なんだか、最近静かに熱が蠢いている。この静かさは気持ちがいい。何か世界が変わっているのをひしひしと感じる。日本文化デザインフォーラムの書類を送る。こういうイベントに僕みたいな馬鹿野郎を呼ぼうとしていること自体も前兆でもある。少しずつまた仕事が動いてきている。

2008年4月27日(日)

午前9時起床。部屋の掃除。その後、眠いのでまた寝る。その後、ぼーっとしながら読書などをしながらまた三度寝。確実に休日モード。午前12時すぎに、それならちょっくら井の頭公園でもと西荻の家から歩いて吉祥寺方面まで散歩する。途中、女子大前のアテスウェイという最近見つけたケーキ屋にて、パン・オ・ショコラを買い、パリを思い出す。ほんと、ここのケーキ屋は何でもうまい。駅から相当離れているのも関わらず、お客さんで一杯である。やっぱり、お店とはそういうもんなのである。オニオンパンも絶品であった。で、吉祥寺に到着し、ツタヤに返却し、また借りる。今、五枚で千円なので毎回五枚借りている。今日は、アル・クーパー、マイルスインザスカイ、ジョニ・ミッチェルのブルー、ビル・エヴァンス、ジョン・マクラフリン。そして、井の頭公園へ行き、一周歩く。人が多いがなんて気持ちがいいんだ。その後、ペパカフェで、タイラーメンとシンハ麦酒を頂く。ここも気持ちがいい。それいゆは完全に家となってしまったので他の空間を見つける必要がある。といってももうすぐ執筆は終わりそうだが。ここは、森の中なのでいい。今度、ここで書いてみよう。その後、無印へ行き、ふーの眼鏡を購入。途中で僕は、電車に乗って渋谷へ行く。TWIGGYに午前中電話したら今日大丈夫だというので、午後6時髪きり。最近韓流風カットが続いていたので、今回は短くしてもらう。その後、家に帰ってきて、夕食を食べる。豆腐ハンバーグピーマン包み。美味。食後、それいゆで珈琲。原稿は今日は書かずに、これまでのところを少し見直す。しかし、やはり横にあるウィリアム・ギブスンについての本を手にしてしまい。彼のエッセイなどを読み興奮する。そして、ベスターというSF作家を知る。読んでみたくなった。今度買おう。いつも僕に面白い仕事の話をしてくれる、みかんぐみの曽我部さんから、日本文化デザインフォーラムというなんだか名前からして僕と正反対のところにありそうな、会議に出ませんかとのメール。しりあがり寿さんが議長らしい。ますます謎。僕は曽我部さんと、他何人かの建築家やデザイナーの方と一緒に、テーマを決めずに話しまくるのだそうだ。そんな場所に僕がいていいのか、ますます分からなくなるが、いつものごとく即答で承諾した。こういうのは何でも体験してみないと分からないのでやってみることに。夜、マッサージ&お灸。その後、夜はゆっくり借りてきた音楽を聴きながら。ただぼーっとする。メールにてコレクターとの交渉成立。ネットオークションで、バンクーバー美術館が欲しがっていた雑誌イブニングを落とした。しかし、30日に出発してしまうので、受け取れるか微妙である。

2008年4月26日(土)

午前9時起床。朝食をいつものように大量に取る。最近、ふーの作る朝食は確実に量を増してきている。サバそぼろご飯。栗原はるみレジピをリミックスして作り上げているらしい。知らぬ間に腕を上げている。これは元シェフ番長として少々焦る。が、健康にはいい。ノンオイル生活が徹底されてきた。その後、すぐにいつものようにそれいゆで執筆。ホールの人たちも、もうミルクもスプーンも無い状態で持ってきてくれる。いや、これは慣れすぎか? いつものように本棚の横に座る。しかし、慣れてきた僕は、その本棚から本を取り出し、読みまくってしまっている。これでは家と同じ状況ではないか。まずいまずいぞ。朝の緩やかな喫茶店の中で一人、緊張感がほとばしっている。原稿だ原稿だ。僕の中の結果しか見てくれない鬼上司が叫ぶ。それでも注意散漫男の気持ちは揺るがない。本を読み続ける。坂口安吾を読み続ける。その中で、原始爆弾というお酒を飲んでいるという記述に目が行く。この言葉いいな。原始爆弾の精神で僕も取り組むことにする。そして、本を置いたのは一時間後。いかん、あと一時間しかないではないか。原稿7枚しか書けず。途中で、鍵を家の中に置いたまま足湯を浸かりに行ったふーがそれいゆに帰ってきた。これではまさに家ではないか。一旦、本当の家に戻ることにした。昼食。和風パスタ。久々のパスタ。でも和風。ベーコン無し、キノコたっぷりである。美味。そして、家化してしまったそれいゆを対策しなければと思い直し、次は反対方向にある変な喫茶店その名も物豆奇へ行ってみることに。慣れない喫茶店のトイレの場所もいまいち把握していないほどよい緊張感。執筆が進む。一時間半で10枚。素晴らしいペース。累計337枚に到達。12万字のメモリアル達成。そろそろ終わりが見えてきたかもしれない。ほっと胸を撫で下ろし家に疲れ切って帰ってくる。すると、海外からメールが届いており、Dig-Italを買いたいとのオーダーが入っていた。ご褒美。値段を書き、お礼を書き、返信する。常に即返信。ウザがられても、これは鉄則です。こうして、今月の懐が少し潤う。まさに僕の人生、原始時代さながらのマンモスを狙い続けるかのごとくの経済活動。そのうち収穫祭でもやり始めるんじゃなかろうかという感じだ。まあこれは生きている実感は確かに得ることができるが。でもねえ。いつも感心して、客観的にみている自分がいる。全てのホテルのボーイ的な仕事を止めて自分の書いたり、描いたり、旅したりという仕事だけに絞ってみてそろそろ一年になるが、よくぞ生きたね。二年目も生き抜こうね。でも誰からか頼まれて描くのは嫌なのである。それは多少首を絞めているのではないかと自分で思うときもあるが、時間が経つとそっちの方がうまくいくもんである。補助金とか色々あるよと教えてくれる人もいらっしゃるが、それではなく、やはり狩猟していたい。そうしないと、掴んだ時のヒット感が鈍るのである。芯を捉えるためには経験しかない。これは別にストイックなのではなく、そちらの方が後々効率的なのだ。と思っているよ。僕は人間には一人ずつ生業が備わっていると無条件に信じているので、それを見つけるために探求していくしかないのである。それを笑う人は、無視するしかないのである。しかし、それにしても何でこんなに仕事は楽しいのかねと僕は思う。僕は営業活動をこの三年間ほど一切していないので、全てホームページからのメールでのお問い合わせだけが生命線なのであるが、生きてます。依頼してくれた全ての人に感謝であります。さらに、このWEBを制作してくれたハザマにも感謝である。なんだかまとめに入っちゃったけど。食後、作曲活動。MOODMANが選曲した、MOTIVATIONのコンピレーションアルバムの中の一曲であるPANKANANDAの曲が良すぎて、それに影響を受けてというかモロパクっていえうのではないかと思われるような曲を作っている。この曲ホント気になる。一人で作って、一人でヘッドフォンで聞きながら踊る。近しい人に聞かせても、うーんとか言われるのがオチである。こういうのは一人で悦に入るだけで十分。そして、褒めてくれそうな人に投げ込む。その後、まだ体力が有り余っていたので、Firefoxで二つタブを広げて、どちらもmyspaceにして、テクノ作っているドイツ周辺の人たちを適当に選んで、一人DJして楽しんだ。次の曲は、下のほうにスクロールすると、FRIENDSコーナーがあるのでそこからリンクして曲を探す。これに最近ハマっている。と、このように家にいたらロクなことしないので、マッサージとお灸をいつものように施し、亮太とまた飲みに出掛ける。ここ最近で確実に灸師としての実力もアップしている。と思いたい。barはアフターグロウ。で、麦酒二杯。梯子してタウザーでラガウ゛ーリン。ロックで二杯。弟と確実に学生のように青春を語る。僕は今、大学を作りたい。と完全に血迷った発言を繰り返していたら、本気でそう思ってきた。名前はK大学にすることにした。近しい人たちが僕が馬鹿なことをした時に呼ぶ愛称、K。入学金もしっかり取る。ただ緊張感のためだけ。五万円ぐらい。そこでは何も教えない。僕が教えられるわけがない。むしろ色々教えてほしい。しかし、生徒には、緊張感のある仕事を与える。自分の仕事もそんなに無いのに、探してみる。そこで彼らは自分の名前で、仕事をしなくてはならない。責任度100%。しかし、仕事分の稼ぎは全て手にすることができる。稼げる大学。僕はピンハネしない。しかも、大学なのにクビ制度を発生させる。でも会社じゃない。一人の人間がそれぞれのピンでの仕事を得ることだけが目的の大いなる学びの場ってのはどうか? ピンピンした活きのいい20歳過ぎたばかりの可能性しか存在していないはずの人間がすんなりといきなり会社に入ってしまうのは惜しい。イギリスのギャップイヤーじゃないけれど、何か馬鹿をやることのできる場を作りたい。幸運なことに、僕の家はいくぶん広い。人間が10人は楽に寝ることができる。彼らが死にそうなほど金が無くても、寝る場所と野菜中心の食事はある。しかし、寝てばっかりいるとクビになる。しかも、ふーには了承を取っていない。しかし、狂っていて熱いのに、その向かう道が無い人間はどこかにいるはずだ。僕はそのキャラバンサライの場に興味がある。とか夢想に浸る。しかし、なぜ、僕は今こんなことばかり考えているのだろうか。自分の仕事をしろよ自分のを。まずは。午前1時に帰ってくる。髪切りたいのにTWIGGYに電話するのを今日も忘れてしまっている。

2008年4月25日(金)

午前9時起床。朝食は炊き込みご飯のおにぎり二個に人参の浅漬け。その後、午前10時半よりそれいゆ。いつもの通りに二時間原稿10枚。昼飯は、炊き込みご飯に、味噌汁、鯵の開き。午後二時に外出。銀座へ。シャンテシネでプルミエールという出産映画。んー、ちょっと演出しすぎかもしれない。しかし、イルカと一緒にやる方法は本当にいいのか知らないが、かなり自由な感覚である。メキシコの風景も良かった。その後、銀座をぶらぶら。そういえば、銀座の件が止まっている。それに本腰入れられる状態でないので、なんだか落ち着かなくもある。しかし、挑戦してみたいアイデアなんだけどな。たちばなでかりんとうを買おうと思ったら、生憎売り切れで、でも甘いものが無性に食べたくなったので、銀座の熊本館に行き、いきなりだんごを食べる。美味。ここのセレクトかなりいい。初めて来たが、もっと早く来れば良かった。その後も、八丁目をふらつく。八丁目の雰囲気がいい。雑多で上品で細かい店が微動している。夜は夜でまたいい顔しているんだろう。家に帰ってくると、リトルモアから新しく創刊された『真夜中』という雑誌が送られてきた。リトルモアが出来て20年になるようだ。あの感覚で、存在し続けていることがそれ自体でずばり可能性であると思う。どこの馬の骨とも分からない、僕の本を出そうと言ってくれたところである。中には、作家たちへ送る手紙が入っていた。独自に生きていける可能性を少しでも提示し続けていく態度こそが、人間を高揚させると思う。高揚させられたので、僕も高揚させ返していきたいと思った。感謝。僕は、画一化された世の中になってしまっているとか、多様性を持って生きようとかだけ言っている人たちの言葉なんか耳に入らない。だって、見渡せばちゃんと実物を提示している面白い人間がいるじゃない。もう既にとっくに吉阪隆正に言わせれば、世は不連続統一体なのである。僕は路上のおじさんにも、土地の無いところに庭を作る人たちにも、DJにも、悩む学生にも、衝撃を受けてきた。常に焦点をズラしながら自分をチューニングしていくことを忘れないようにいたい。今書いている本を書いたら、次は自費出版で何か変なものを作ろうと考えている。本とかCDとかポスターとかが詰まった便箋セットのようなものを。デュシャンの旅行鞄のようなもの。今のところのアイデアは、ボードゲームのようなものを全て手作りで作るのはどうかなと思ったりしている。五千部の印刷物ももちろん興味があるが、小さなものも同じテンションで発行していけたらどんなに面白いだろうと思っている。デュシャンだって、グリーンボックスを手作りで作っているんだからね。うまくいくかな。今まで本、ポスター、CDと三回こういうことをやっているが、しっかり在庫あるからね。とほほ。しかし、何人かの手に渡っていることの方が僕にとっては信じられないことだ。これは小学生の頃に、サンリオまがいの便箋セットを作ったときと変わらんな。あれは売れたけどね。食後、またむくむくと書きたくなってきたので、本日二度目のそれいゆへ。執筆進む。累計322枚になった。あと、四日書きまくろう。今年は一体何枚書くのだろうか。こんな生活を送ったことが無いし、こんなに書いたことも無いので、書きながら成長していくという過程の作品とも言える。昨年末から数えると千枚を超える。しかし、まだ書き足らないことがあるのである。とにかくすっからかんにするまでやってみよう。

2008年4月24日(木)

眠い。午前9時起床。朝食たっぷりめに取る。その後、ペットサウンズを大音量で響かせ、そして、アコギでカバーする。GOD ONLY KNOWSを弾きながら、そのコード進行の美しさに魅了されていると、午前11時になっていて、西荻駅へ向かう。青山出版社の村上女史、そして、佐々木伯父さんと待ち合わせ。なんと今年80歳になる伯父さんは、小説を書いていて、それを知った僕が女史に伝えた所、一回読んでみたいとのことで、この三者面談になった。もちろんそれいゆで。そろそろ行き過ぎかもしれん。一時間ほど、伯父さんの話に耳を傾ける。熱いよ、伯父さん。シルバー世代の光となることでしょう。完全にライバル視されている僕である。いい意味であるが。若いもんには負けられん、わたしもガシガシ書くぜだって。いいや私も負けられません。ガシガシやります、と僕もいい感じになる。その後、西荻で僕の本を一番大事にしてくれているブックスオオトリの店長に、女史と挨拶に向かう。なぜか今後のアイデアを色々と書店長から貰う僕であった。とほほ。その後、あまりにも腹がへり、ナモさんのところで昼飯。タコライス。その後、気を取り直して、原稿。再びそれいゆで。二時間かけて原稿10枚。とうとう300枚に到達した。ここが今回の到達点だと思っていたが、まだまだ書きたいことはあるようなので、続けることに。とりあえず、出国前の29日まで書き続けてみよう。思えば、4月2日から23日間。僕は一日も休まずに原稿10枚のノルマを守り切った。これは過去無いことであり、これはとりあえず、今後もできるだなと、一人でまたハードルあげることにする。こうやって原稿が書けたのもそれは全てそれいゆさんのおかげです。とそれいゆに黙礼をする。家で書いてたら、僕はすぐ、古谷実氏の漫画系統を押入れからまさぐり、寝っころがりながら読んでしまうし、クラブさながらのダンスチューン満載のBGMで踊ってしまうし、とかおもったらアコギを取り出して、ニックドレイクが乗り移ったと勘違いしながら歌い続けてしまうし、歌い疲れると、次は大好きなインク&ペンで変な絵を描きだしたり、得意のレタリングを始めてしまうというおそらくどうしようもないくらいの注意力散漫の、しかも幅広の散漫っぷりで部屋中を歩き回りながら、やるだけやって、おれは一体、今日一日何をやっていたのか、と一人悔い改めるふりをすることになる。って、何の話をしていたのだっけ? そこでとりあえず、僕は思い立ったのである。とりあえず、全ての情報をシャットアウトすればいいんじゃないかと。それを昨日の話ではシュタイナー教育とも繋がるかもしれんが。とにかくこの注意力散漫な人間もいいところもあるはずだ、と。散漫なだけで、集中力はある。その散漫さは部屋の中に情報が満ち溢れているからで、情報を取得できない場所へ行くと、もしかしたら自動的に原稿が書けるのではないか?という推測を基に、今回の出張執筆となりましたんでございます。結果的にはこれはうまくいくことが判明。散漫でも絶望する事なかれ。喫茶店に行ったら、うろうろするわけにもいかん。しかも、何時間も書き続けるわけにもいかん。やっぱり二時間が限度だ。これは僕がホテルのラウンジのボーイをやっていたから分かる。多分。二時間だったらオッケーだ。でも三時間はNGだ。水の注ぎ足しとかしたくなくなる。だから、二時間だけ無情報世界に没入する。持ってきているものは愛機MacBookとマイルスデイビス自叙伝下巻だけ。読むか書くかしかない。そうすると、注意力散漫な人間は仕方がないので、キーボードの中で、散漫になる。すると、文章が生まれる。ということに今更ながら気付いたのでありました。そして、二時間書くという一つのことに集中力散漫させて、二時間後は家でフリータイムを作ってあげる。僕は水を得た魚のように、喜んで注意力散漫になる。音楽聞きながら、カフカ短編集のひとつのそれも途中からを数行読んだ後、漫画を手にしたかと思うとギターを持っても、嫌にならない。一体今日は何を書いているのだろう。そして、今日は机の回りにも飾ってある、絵などを再編集し、額装し直し、新たに陳列、配列の変更などを行う。で、目の前にドデカイDIG-ITALという自分のドローイングを持ってきてみた。すると、夕食。炊き込みご飯に、焼きシャケに、茹できのこに、小松菜とわかめとじゃこの酢の物。美味。満足し、またもや、集中したくなり、ジョナサンへ。まずは、今日一日の疲れを癒す麦酒。横には、何人か鉛筆やパソコンもって書いている人々。彼らも同じ種族か?と思いながらもこちらも無言で執筆開始。二時間で10枚また書いた。文字数も10万字を超えてきた。こうやって、文字が配列され10万字になるという作業って、一体何をやっている人間なんだろうと不思議になる。その後、麦酒おかわりし、ジョナサンを後にし、家に帰って、午後11時。いつも通り、お灸とマッサージを施した後、メールチェック。カナダから、数々の依頼が届いている。みんな僕がバンクーバーに来るのを知っていて、いくつかの仕事の依頼。やはり、人に頼られると人は嬉しくなるものなのである。むしろそれだけなのかもしれないね。僕はよほどのことが無い限り、全ての依頼を受けることにしている。そうすることによって、注意力散漫な人間は初めて一つの目標物を手にすることができるのである。まあ何も依頼されなかったら、自分で自分に依頼するけど。とほほ。しかし、今日、途中に読んでいたマイルスの自叙伝、今、イン・ナ・サイレントウェイの製作にマイルスは取り掛かり始めて、ここのパートがなんとまあ人を高揚させることか。その後の、ビッチェズ・ブリューに至る話は最高であり、彼もまた散漫な人的な動きをしているなと思い、胸を撫で下ろす。彼はビッチェズ・ブリューは三日間、朝から晩まで、テオ氏に全ての時間を録音させて作り上げている。あのアルバムが3日間だけのしかも、創作の過程をそのまま作品化しているのである。僕もそういうインプロビゼーションな人間でいたい。粒子状の行動を取り続けたい。そこに書いてあった言葉は、「オレの関心は、ミュージシャンとして成長すること以外にないんだ」。自分を変化させることはとても恐怖だと思う。それを彼はこの感覚で反転させているわけである。自分もそう思いたいよ。とにかく、建築家でも芸術家でも作家でもなんでも無いのよ。ただ自分が生まれてこのかた、一度も離れたことがない、この目の前で体験し続けている空間という二次的に永遠に表現できないだろう、机があって、人がいて、音楽が鳴って、町があって、珈琲があって、本があって、麦酒があって、部屋があって、遠くのアフリカのキベラを想像できるというこの頭の中で起こっていることと、目の前に見える物体とがどうやって絡み合っているかだけを探っていきたいだけなんである。何かを最終的に明かしたいと思っているのではない。それを感じることのできる感覚を成長させたいだけなのである。これは単なる遊びであり、生き甲斐でもあり、仕事でもある。今はまだ、僕は1940年代にバードやディズに憧れている時代である。いつかイン・ナ・サイレントウェイみたいな誰も考えもつかな買った方法で表現してみたいものだ。と、完全にマイルス的に盛り上がってしまった本日でした。

2008年4月23日(水)

午前7時起床。すぐ朝食を食べて、そのまま外出。早稲田駅で降りて、国立医療センターへ。定期検診。超音波室へ向かう。僕とフーの決死の逆子対策大作戦は本当に効いたのか?お灸と、足のマッサージと足湯を毎日繰り返した、体全体暖め作戦は効いたのか?全国の冷え性女性へのエールでもあるこのとにかく足への僕たちの興味は最高潮へ達していた。今日ばかりは原稿どころじゃない。いや、原稿も最高潮に達そうとしているのであるから、無視はできないが。テンション高めで超音波室へ入る。何だか、最近、銀座で出産についての映画が公開されているらしいじゃないか。これもぜひ見ることにしよう。というか、超音波って名前やばいね。なんなの超音波って。そんな感じで、薄暗い超音波室に入る。エコーを当ててみる。あっ、本当に頭が下だ。これは普通のことなんらしいが、驚きだった。やっぱ足が肝心要だったのだ。ちゃんとひっくり返ってくれた。足こそ全て。逆子じゃなくなった、これで助産院で産めると盛り上がっている所に、女医さんの、「でも、まだこれからひっくり返るかもしれませんからね、ほほほ」というシンプルな一言。やるじゃないの、女医さん。いい感じにこちらも緩和される。グッドにもバッドにも動揺すること勿れ。それはまた真実であります。どちらにせよ、ちゃんと産まれてくればいいのよ。なるほど、そうである。いい感じの切り返しに唸る。そのまま、東西線に乗って、飯田橋へ。飯田橋と言ったら広島焼きのくるみ。早々とソース系解禁。それは早すぎるかと思われたが、やっぱり定休日。んーいい切り返しだね。しかし、飯田橋には、れもんや、もあるし、広島っこもあるもんね。負けないもん。と意気込んでいくが、ことごとく定休日。因果のごとく飯田橋周辺。いいよいいよ。きちんとしたご飯食べればいいんでしょと思い直し、定食屋で昼飯。しかし、食後は甘いものは外せない、と意気込んでいくと、麦丸の蒸しまんじゅうと思いながら行くと、こちらも定休日。ありがとう、神楽坂。そして、さようなら神楽坂&飯田橋周辺。西荻窪に戻り、それいゆ第一回目でチーズスコーンと喫茶で乾杯。その後、家に帰ってきて、CANの1973年のPARISはBATACLANDのライブ映像を眺める。やっぱいいよなBATACLAND。ここは現代のオペラハウスのごとく。僕はデビットバーンのライブにいったもんね。この前。一人で興奮し、そういえば、ステージに上がってしまったよなあと懐かしむ。すいません、バーンさん。その後、本日二度目のしかも連続的にそれいゆへ。原稿。ノリノリで10枚。新しい局面を見せてくれる。累計283枚。面白くなってきたか?家に帰って、夕食。もちろん菜食。きのこ、たっぷりめです。食後、今の仕事内容になぜか一人で苦悶した。次のステージに行った証拠だ。こういう思考は止めるな、と進ませる。その後、夜、仕事帰りの亮太とAFTER GLOWで宴。色々と話す。今日はただ麦酒が飲みたくて、麦酒三杯飲んで帰る。その後、テンションが高まった亮太が、家に一度帰った後、ジブリの機関誌、熱風を持って来る。そこには、水曜どうでしょうのディレクターである、鈴井さんの文章があり、彼は、北海道の地方番組を作るにあたって、自分たちが世界の中心であるとの勘違いを続けた経緯が書かれてあった。それは、つまりただ「楽しい」と思うことを、視聴率が重要であるはずの緊張感のある世界で実行するということである。撮影することよりも、カメラマンが食事することの方に重要性を感じるということである。これは僕が考えていた建築に対する思いとも重なっていった。僕は別に高層ビルを建てるなという思想なのではない。ただ、横にいる本当に大事な人間が心底いいよね、と感じてくれるような爆発を巻き起こしたいだけだ。ノーローカル。ディスイズセンター。それって、兄キもそうだよね?とのこと。おーよ。どんぴしゃり。しかし、人はそれじゃなく考えられるってのかい、えー。命ずる。勘違いせよ。そして情報サンクス。こいつは、こんなに素晴らしい情報を持って来る、最高のメディエイターなのに、自分は、「いや、まだまだっすよ」とかいってる。どんだけ、M男なのかい、弟よ。人々が夜毎、カウンターで酒と紫煙に塗れて繰り広げられる戯言は、そこが中心なんでしょうよ。そのスタンスは18歳のもみあげだけ残して後は全部カミソリで剃ってしまった阿呆の頃から変わりはしない。夜は、ずっとLOU REEDのROCK AND ROLL HEARTを聞いてたよ。これじゃ眠れないし、風呂入れないよ。LOUさん無茶苦茶いいっすよ。明日から隅田川のエジソンはいよいよ世間に送り込まれるよ。本屋は明後日かな。ひたすら次に進んでいく。それしかできない。タモリじゃないけど、反省できない。

2008年4月22日(火)

午前8時起床。朝食後、午前10時からそれいゆで執筆。二時間書く。10枚。家に帰ってきて、昼飯を食べて、また今度はジョナサンで執筆。10枚。累計で273枚。しかし、まだまだ。焦点はまだ完全に合っていない。なんか惜しいのだけれど。とりあえずまだ進めてみることに。やっているうちに岡本太郎を読みたくなる。午後5時過ぎに、広島市現代美術館学芸員の松岡さんが広島から作品の戻しにやってきた。でかい作品が家に戻ってきてしまった。はは。松岡さんから、今回の展覧会のカタログを頂く。かなり手の込んだいいカタログが出来上がったようだ。僕にとってはじめてのカタログでもあるのでそれも含めて嬉しい。カナダの巡回展もカタログができる。色々と印刷物とつきあうのは面白い。夕食を食べて、今日はゆっくりと読書をする。立体読書用。カフカの穴巣もよかったが、レイモンド・カーヴァー、村上春樹訳の大聖堂という短編がかなり立体読書的な世界観。目が見えない妻の友人が遊びに来る。主人公がスコッチをまず出し、そのあとに一服する。するとテレビで大聖堂のニュースが流れる。彼は大聖堂を見たことが無い。なので主人公は口で説明しようとする。そのうちに、口だけでは足りず、ペンで紙の上に書いて説明し始める。彼は主人公の指の上に指を重ねている。二人は知らないうちに酔っ払っている。そのうち説明していたはずの主人公が、彼に目を瞑ってと言われ、暗黒のまま二人で大聖堂の絵を書き続けるという不思議な話。面白いが、短いため立体読書としてどうやって描こうか。しかし、この短編に定着された空間はとても魅力的なものである。

2008年4月21日(月)

午前8時起床。午前中、コヨーテ連載用の調査。今度はどこへ行こっかな。よく考えればここ半年ぐらい、月に一回は夜行バスに乗って訳の分からない旅に出掛けていることになるわけで、それはまあ頭の発想を転換するにはちょうどいいともいえる。意外と大変だけど。その後、エココロの連載のこれも調査。しかし、調査していても一回は巧くいかない。そこで置かないといけない。しかし、毎回そうなのに、自分自身は分からずに、あーできない、これはまずいんじゃないかと意外と悩む。家でフーが相当不思議そうに見ている。だが、ここで悩むずに平然としていたら、どうなのかなとも思う。んなわけで、いつも分かりながらも悩むという変な精神状態で仕事をしているのである。昼飯にうどんを家で食べ、それいゆへ。とりあえず、朝の調査を置いておいて、新書用原稿。10枚。こちらは250枚を超えた。9万字。そろそろ見えてきたか。とにかく手を止めずに進めてみる。そうやって書き終わると、ほっとしたのか、連載の思考が活性化されてきて、コヨーテはア記憶を思い出し、それで行くことにしてみた。エココロは午後8時に原稿を書き終わる。そうしていると、今までに考えたことのないことを考え始めた。よくわからん、この思考の運動は。とにかく、悩んでも悩むな手を動かせ方式でやっていると、どうにか何かが顔を出すという流れなんである。それいゆへ再度行く。ふーと。ふーはどうやら逆子が治ったかもしれない。助産院でそういわれただけだから、まだ分からんが。ここ一週間夜、両足をマッサージし、冷え性に対応し、逆子体操という、まあ逆立ちに似た体勢を取り、最後にお灸を足首と足の小指にあるツボに3発ずつ、計12発、直接モグサに火をつけてやった。さらに、食事は油を一切使わず、肉も食わず、砂糖も使わず、いい野菜を教えてもらった料理法でフー自ら作っていた。すると、かなりいい効果が出たそうだ。どうやら病気なんてものは無いのではないかと思えてきた。それよりも、やっぱり食べ物。とにかく、いい材料で油も使わず、素朴に食べると旨いし、たくさん食べているはずなのに太らない。すごいなこれ。僕は健康のためというよりも、ただ旨いと思った。普通の素朴なご飯が一番旨い。喫茶後、一人で吉祥寺へ行き、アルバムをツタヤでレンタル。色んな音楽家のデビューアルバムを五枚。最近、奇抜なものや、革新的なものよりも、そういうことをしでかした音楽家が、一枚目に何をやっていたのかが気になる。

2008年4月20日(日)

午後12時に起きて、代々木公園へ。タカが店を出してるアースガーデンへ。なんか代々木公園横の通路のバンドたちの勢いが増していて面白い。やっぱこういう馬鹿なネルギーが出ていてもらわないといかん。最近はおとなしい人間ばっかりだから。よかった。しかし、音はいまいち。それより、いつも踊っているつっぱり兄ちゃんたちが休憩中に音のチェックで出した、ギターのリフの音の方がよかった。そんなもんだ。タカと会って、腹が減っていたのですぐレストランコーナーへ。トーフサンドウィッチと、雑穀おにぎり4個。美味。恵比寿麦酒と一緒に飲む。並んでいたら、ののこちゃんと会う。彼女は、今出ているWEB DESIGHNING という雑誌での僕のインタビュー時に写真を撮ってくれた写真家。保谷で築50年の一軒家を見つけて改装して住むらしい。賃貸話で盛り上がる。その後、タカと会う。カヨちゃんと八ヶ月のチヒロも来ていた。しばし話して帰る。原宿駅は人が多すぎるので、代々木まで歩いた。途中で、喫茶店に入り、一服し、韓国古道具屋さんに入り、編み籠を購入。家に帰ってくる。原稿を書きに喫茶店へ。10枚書く。コヨーテゲラチェック。エココロの連載も明日〆切なのでテーマを決める。二日連チャンで徹夜したら、さすがに眠たい。午後11時に就寝。

2008年4月19日(土)

その後、また少し睡眠。起きて、亮太を誘って、夢飯でフライドチキンライス。どんぐり舎でほろ苦ブレンド。家に帰ってきて、新刊を見せる。MIXCDをあげる。亮太が帰った後、原稿に取り掛かる。10枚書く。夕食後、読書。お灸。夜12時外出。亮太とタンゴと東高円寺で待ち合わせ。今日はGRASS ROOTSにMOODMANを聴きにいく。その前のミニマムなハウスばっかりかけているDJも良かったが、今日のMOODMAN、ヤバかったです。始めは、ゆっくり麦酒飲んで、座って話していたが、途中から腰が浮きはじめ、テキーラを飲みながら踊りまくっていた。3曲ぐらい歌ものが連続でかかったのだが、それがものすごかった。最後まで波は切れずに、気付いたら汗だらけになっていた。DJ終了後、あまりにも良かったのでMOODMANにお礼を述べた。あの3曲の話もして、なんだか、彼らは西海岸のHOUSEのはぐれもの的な存在でNEW WAVEも入ってきているという変なグループらしい。ROCK N ROLLと聞いたのだが、帰ってきて、調べても名前が名前だからなかなか届かない。聞き終わり、午前5時にGRASS ROOTSを出て、高円寺まで三人で歩いてマックで珈琲を飲みながら話し、家に戻ってくる。

2008年4月18日(金)

午前8時起床。今日は完全にオフにした。朝から読書。パソコン触らず。午後12時ごろ、新宿駅のベルグにて、青山出版社村上女史と待ち合わせ。印刷所から「隅田川のエジソン」の見本が届いた。初めてご対面。この瞬間は、本は三冊目だけど、いつ体験しても慣れることがない。新鮮な気持ち。今年二人目の子供が誕生。新刊の本の香りを嗅ぐ。いい仕上がりになったと思う。麦酒で乾杯。後で、打ち上げやりましょうということに。その後、電車で中野まで。松ヶ丘助産院にて、お灸のやり方を習いにいく。米粒半に細く伸ばしたモグサをワセリン塗った部位に直接接着し、線香の火でもって着火する。一瞬だけジリッとする。あるツボを押す事で、子宮の中の血流が活発になるらしい。なんだか面白い。意外に簡単でいい。家に帰ってきて、本を眺める。幸福。フーとそれいゆで珈琲と紅茶で乾杯。久々にチーズスコーンも食す。その後、外出。表参道のギャルソンの向かいのLOVELESSにてミネちゃんとショウちゃんが((STUDIO))として参加している展覧会のオープニングへ。ほやほやの本を祝いに持っていく。麦酒にて乾杯。色々と話す。いつものメンバーもぞろぞろ集合。スギちゃんという人間と遭遇。彼は、店を出さずに、友人周辺だけに自分で部品を世界中から集めて、自力で組み立てて自転車を作っている。僕はそれを一度見た事があり、それはとてもシンプルで鉛筆で描いたような理想の自転車だった。自分の部屋に、道具箱があり、そこで作っているのだと言う。こういう仕事こそ、これからは必要となってくるはずだと、互いに共鳴。彼は自転車屋ではむしろ、無い。そうではなく、自分ができることを自分しかできない方法でやっているのである。その人自身が職業自体になっているのである。ちょっと久々に独自の方法を模索している人間と会い、盛り上がる。そうでなくてはね。やっぱり。しかし、僕の回りには、これまでのあまりにも枠の中に収まろうとする流れに抗う、ジャンル分けなんかしてくれるんじゃねえ、と必死でやっている人間がいる。これは非常に勇気になるもんである。僕もさらに、何でもない人間になりたいと思う。自分しかできないことは人それぞれ、必ず持ち合わせており、それを100%使い切れるような関係を作るたいといつも思っている。子供のころに、異常にファミコンがうまかったり、ヨーヨーがうまかったり、ドッジボールで永遠にコートの中でボールを取り続けたり、ガンダムを陰影つけてあまりにもリアルに描けたり、小学三年生なのに休憩時間に「エジプト文明の謎」を読んで回りからドン引きされていたり、半袖で一年中いれたり、鉛筆をシャープにカッターで削れたり、していた人たちに僕は嫉妬していた。それが人間の必要「生」ではないか。僕は人と会って話す時、その人の可能性しか見えない。これを超楽観的すぎると人は言うが、それを見ないで何をやろうというのだろうか。人はよく、自分自身の不可能性を口に出す。不可能性は頼むから、思うだけにして口に出すなと僕は言う。意志を消せば、それは全ての事が不可能である。だからそれは当たり前。だから、数ミリでも可能性があるということは、それ以外全て不可能性だとしても、そこにはビックバンが紛れ込んでいるはずであると、僕は今のところ勘違いしているかもしれないがそう思っている。「これ駄目かもねー」「あーそうだね」「やっぱ駄目だったねー」なんて会話はやっぱりつまらないし、誰も口にしない。「これ来るかもしらんよ」「なんか、そんな感じするね」と言って、本気で来た時には麦酒がただの麦酒ではなくなる。落ち込んでいる暇など無い。ただやるのみである。駄作でもなんでもいい。そこに少しでも可能性があるのなら、とりあえずやってみようといつも僕は思うのである。昔、わくわく動物ランドを見ていて、まだ見ぬ草原を求めて草食動物が激流の川を通り過ぎるのを躊躇しているシーンがあった。行くとするが、怖くていけない。でも、ついには一匹がピョーンと川に飛び込んでいく。僕はあのシーンが好きだった。悩んでいる姿もたまらんかったし、やっぱり特攻隊長を成し遂げた一匹目はなんだか誇り高い気品が漂っていた。積極的な草食動物。なんだか気になるフレーズである。ただガツガツやればいいもんでもない。それは僕は18歳から四、五年間やってきて辛うじて学んだ事である。しかし、やっぱり川の向こうには草原が広がっているわけで、ここは一つ、積極的な草食動物的に動いてやろうじゃないの。で、話は戻って、家に帰ってきて、イワシの蒲焼きを食し、夜、再び外出。村上女史と作業完了の打ち上げ。渋谷ののんべえ横丁。ピアノがカウンターの店。昔、女史が働いていたBAR。おじさまに御馳走になってしまう。麦酒二杯。テキーラロック二杯。その後、タクシーで青山の手打ちそばしまだやで、麦酒と茄子味噌など。今回の長編小説はかなりの重労働だったらしくお疲れちゃんの女史を労う。もうかなり酔っ払っていらっしゃったが、もう一軒。渋谷にタクシーで戻り、BAR NOBORU。ここヤバすぎました。まるで、アンコールワットの近くか、ハワイの奥にある日本人スナックのような異常な内装。一瞬にしてトリップ。マスターNOBORU、いてくれてありがと的なピンポイントな人物。テキーラロックさらに四杯。女史はお疲れで、一回ソファで寝込む。僕とマスターでサザンオールスターズの1stを聞きながら、僕は初めて聞いたのだが、これが凄かった。はちみつぱいと通じる雰囲気がある。午前6時まで飲み、しっかり打ち上げを果たし、帰ってくる。しっかり、寝てしまい、八王子まで行き、新宿にも戻ってきてしまい、ようやく西荻窪に到着。あんまり寝たもんだから、そのまま仕事に突入したのでございました。さあ、仕事!仕事!

2008年4月17日(木)

午前8時起床。しばらく、読書などをして過ごす。午前11時半にそれいゆへ行き、執筆。途中でチーズカレーを注文。なんかこれ最近、僕の中でヒットしている。グラタンの容器にカレーライスが入っていて、さらにチーズを乗っけて、焼くというカレードリアのようなもの。旨い。サラダと珈琲とセットで。原稿の方は、もう7万字を超えたので、ある意味落ち着いて書くことができる。まだ1枚とか2枚とかの時はいつもそうだが、これからうまく書けるのかいつも不安であり、僕はその不安が大好きであるという、完全なM男なんであるが、その気が遠くなっているときがたまらない。気が遠くなるほど、大きい仕事をさせていただいてありがとうございますという、完全にM的発想である。おかげで体も快調である。健康的な事をやればいいのではないのかもしれないと最近強く思う。本能の赴くままにやった方が、自然で、一番近道で、仕事は徹底するから、おそらく誰よりも効率が良くなるのかもしれない。節度さえ守れば、人に、「やーねー、あの人はただの本能的な人間だねー」とか思われることは未然に防ぐ事ができる。はず。ちゃんと、顔洗って歯磨いて、服も皺の無い服を着て、喫茶店で静かに珈琲を飲みながら、ただただ本能的にMacBookと遊んでいても、誰も彼が原始人だとは思わないのだ。しかし、喫茶店に3時間もいる人は、少しずつ、「あれっ、こいつはもしかしたら本能の赴くままでキーボードを叩いているかもしらんぞ」と思われてしまうので、それいゆできちっと二時間で10枚書いて、僕は最近また発掘した駅前ジョナサンへと逃げ込むのであった。本当に、今、家で一行も書けないのである。日記は無駄に何枚でも書けるのに。朝、放っておいたら、この原始人は、何が珍しいのか、ギターと呼ばれる音の出る弦が張られた楽器を手に持ち、いつもの好きなD-D on C- D on G という3コードを永遠に引き続け疲れてベットに逃げ込むか、MacBookという黒い箱の前で永遠にデジタルな旅を続けてしまうか、ナショナルの60年代後期に発売されたセパレートタイプの大ステレオで、Aphex Twinの「4」という曲と「MILKMAN」という曲を二曲だけループにして、大音量でかけて踊り狂う猿と化してしまうわけです。しかし、ジョナサンで覚醒。さらに10枚書いた。累積230枚に到達。塵も積もれば山となる。これ、本当。こうやって、ある自分の目指している一日の仕事を終える事ができると、僕はようやく頭がすっきりする。こういう時は散歩に限る。散歩していると、古本屋。見つけたのは、ディーン・R・クーンツ著「ベストセラー小説の書き方」というとても軽卒な本。何か恥ずかしかったが安価だったため購入。帰ってベットに寝転びながら適当に読んでいたら、のっけから勢いに乗せられ、読み切ってしまった。これすごいのかも。ジャンル分けされない真空の「作家」というものになるための方法論。これはHOW TO本を見せかけながら違うことを言っているような気がする。内容は、しっかりとした構造を持ち人物の見た目よりも性格描写をしっかりとした物語小説を自分の文体で書く、そしてそれをどうやって出版の流通に乗せるか、というもの。小説の書き方というよりも、これは人間がいかに独自の仕事を発明していくか、ととも読み取れると思った。100円で不思議な体験をした。古本屋の100円コーナーはこれだから侮れない。ここにも、ブルーシートを転用する、人間の好奇心が現れていると思う。人は一番つまらないと思われるものからでも、何かを掴もうとする。むしろそれだけが楽しいかもしれない。無批判な場所での創作は永遠に好奇心が湧かない。誰も自分のことを知らない場所で、どうやったら彼らが笑うのか?僕が常にやりたいと思っていることはそれだ。それは毎日の行動において、どれだけ、自分の文体で動いているか?ということだと思う。アフリカでの体験は多いに勉強になったもんだ。ナイロビでは、それだけが重要だった。そのおかげで、僕は歩いているだけで、そこにいる人間と瞬間的に歌い出したりしたもんだった。節度のある本能的人間が無数にいたのだ。僕は滅多に落ち込まない人間であるが、たまに落ち込むとナイロビを思い出す。ナイロビでは、何をやっている人なんか関係なかった。だって、みんな仕事が無い。だけど、どういう文体で生きてるわけ?というのはとても重要だった。開いているやつは、目で見てわかる。それが普通なんだと思う。

2008年4月16日(水)

深夜3時まで起きていた。最近どうも、夜に一回盛り上がってしまう。日記は六枚分も書いてしまった。もったいない、何、ここで浪費しているのか。まあ仕方が無いが。原稿を書けない時は、日記も少なく、原稿が進んだ時は、日記も長い。書けば書くほど、書くエネルギーは増していくようだ。朝食は、全く入らなかったので、鍋に全部戻した。その後、すぐ、NEW MORNINGを聞く。ボブデュラン。これそういえば、昔、ヒロトが好きって書いてあったような気がする。そういうアルバムなのである。ってどういうの? それいゆに直行。今日はおばさんがいない。どうした? おばさんはいなくても原稿は進ませないといけない。10枚を二時間で書き終え、家に戻って昼飯を食べさせてもらう。最近、俄然菜食への志向を強めた、ふーさん。しかし、このささやかなご飯スタイルが一番うまいかも。それいゆのチーズカレーもやはり旨いし、坂本屋のカツ丼ももちろん旨い。ってか何でも旨い。フレンチもたまにはいいが。刑務所の中を久々に読みながら、やっぱりそうだよねと思う。食後、今週は立体読書強化週間ということに自分で勝手にしたので、中央図書館。僕の大好きな杉並区中央図書館。ここには、読みたい本は何でも揃っている。ここの閉架書庫の懐の広さには毎度参る。とにかく調査をして、見つけた、書物を片っ端から、閉架書庫より持ってきてもらう。偉いよ、閉架ちゃん(『刑務所の中』風)。今日の収穫は、カフカ全集2巻(『穴巣』収録)、イタロ・カルヴィーノ「見えない都市」、幻想の建築、ハインライン「第四次元の小説」、J・グラック「アルゴールの城にて」、レイモンド・カーヴァー「ぼくが電話をかけている場所」(『大聖堂』収録)、横光利一全集(『上海』収録)。島尾敏雄「勾配のあるラビリンス」。むしろ、どんな小説なのかわかっていない。「空間描写」、「細密」とか「立体的な小説」とかそんなことを混ぜ合わせながら検索し、ただ無作為に選んでいく。僕はあんまり詳しく知らないので、先入観がなくていい。とにかく立体読書が描ければいいのだ。小説の内容は、僕には興味が無い。中にどんだけ体感できる空間が表現されているか。僕にはそれが興味の対象である。色んな読み方があっていいじゃないか、ということなのである。それで、選びきったので、地下にある併設された喫茶店にて260円の珈琲を飲みながら、連れ添って歩いているMacBookを開き、また原稿。7枚書いて家に帰ってくる。その後、夕食。焼き里芋、味噌汁、昆布の和え物、春雨、など。僕だけ、牛肉を少量。大和書房からメール。どうやら、僕の誕生日に、NHKBSにて本の紹介されたせいで、最近のこの盛り上がりが起きているのではないかとのこと。これはキンゾウ伯父さんの協力のおかげかもしれない。感謝。BRUTUSから連絡、5月1日に0円ハウスが、さらに15日に隅田川のエジソンが相次いで紹介されることに。感謝。青山出版社にお伝えし、画像を送付してもらう。アートディレクターのミネちゃんよりメール。展覧会を行うそうだ。青山のLOVELESSというセレクトショップにて。4月18日がオープニングのようなので行こうかな。CENTRE Aもオークションに向け、着々と盛り上がっている様子。楽しみだ。なんだか、みんな盛り上がってきているように感じるのはどうやら勘違いではなさそうだ。僕は最近、自由な気持ちを一瞬だけ垣間見える時がある。完全に見えなくてもいいんだけど。チラリズム的に僕を興奮させている。よっしゃと、勢い余って、食後、ジョナサンへ。一つの喫茶店ばっかり行ってると、悪いし、頭の回転も冴えなくなるので、喫茶店をコロコロ変える必要がありそうだ。かといって、ソファ的なものがないところだと落ち着かないし。ジョナサンに行ってみたら。意外にも居心地がよく、17枚も書けた。どうやら今回もそろそろ脳内麻薬が分泌されるようになってきたらしい。本日、30枚。7万5千字を超えてきた。今むしろ、酒を飲みたくない。脳内麻薬は、頭の意識はしっかりしているのにも関わらず、陶酔感がある。街をふらっと歩いていても、旅をしている気分がする。書いていると、危険な人間のように見えてきたが、ご安心を。一応、普通に歩いているはず。ただ、眠れないのは困るが。籠の中のくるくる梯子を走り続けるリスのように、僕は快感を追い求めている。この作業、一円もかからないし、しかも、完成した暁には、銀行にお金が振り込まれることもある。これは、いい仕事なのではないだろうか?と少し希望を抱く。本書いて食べれるわけないでしょ、というあまりにもありきたりな、助言を数多く頂いた。もちろん、そりゃそうだろう。しかし、今、僕はそういう考えを少しだけ疑えるようになってきた。仕事と趣味を一括し、生活を表現へと転化するにはどうすればいいのだろうか。単に、必死に遊んで暮らしていきたい、ともとれるか。師匠である鈴木さんは、「だって、そっちの方が楽しいじゃん」と素朴に言った。彼の場合は仕事も趣味も、さらには家も一つの有機体として捉えている。現実にいるのである。そういう人が。既成概念というのは、人間をちっちゃくする。ただちに、知らない所へ飛んでいきたい衝動にかられる。知らないことを新しく知る、もしくは知っていることを知り直す。こういう遊びをやり続けたいもんだ。しかし、人は、自分の頭以外の世界の方をむしろ構築しようと試みる。僕が一番楽しいと感じる瞬間は、一度頭の中で構築し終わったものを、もう一回、ガッッチャーンと壊して新しく組み立て直す時である。頭の中で構築したことを基に、現実の空間で何らかのものを構築しては単純すぎるのではないか。壊せるものを、組み立て直せるものを、頭の中の志向も、外の空間での構築物も作ったらどうだと思う。それじゃ、高層ビルは組み立て直せないね、とは思うが、ダイナマイトでぶっ壊すことができるわけだから、物事は単純じゃない。それじゃあ、一体人間が作った爆弾とは何者なのだろうと考える。まあまあ、そこまではまだ考えても仕方が無い。少しずつ目の前の視界の霧を晴らさんといかん。どげんかせんといかん。と、酒は飲みたくないといったものの。この興奮する体をどうすることも出来ず、では何したいの?と自分に尋ねると、意外にも、「麦酒飲みたい」とのことだったので、すぐ亮太を引き連れて、AFTER GLOWヘ。エーデルピルスを二杯ずつ。色々と話す。午前二時に帰ってくる。その後、シードルを開ける。

2008年4月15日(火)

午前8時起床。朝食後、朝から、爆音で、Richard D James albumを聴いている。畳の上で一人で踊る。この家は日は当たらないけど、爆音が出せる。お日様は外に出ればいいのだが、爆音は手に入らない。しかも、たまに隣に住んでいる家族に会うと、「いつも、うちの子供が五月蝿くてすいません」と逆に言ってくる。そんなこと全くないのに。謝らなくてはいけないのはこちらのはずであるが。ありがたい。まあ、平日の昼間だから。僕のアパートには、大家さんと、僕ぐらいしかいない。しかし、平日の友人だからといって、朝五時に僕の家のドアを叩くのは勘弁してね、大家さん。昼間なら、こちらには余りある時間がありますので、いつでも話し相手になりますからと、娘さんには伝えた。だからこの家は午前中のうちは音箱へと変容するのである。幸運。一汗かいて、それいゆへ行く。えらくいい天気である。珈琲注文。一杯だけでは悪いので、その後、チーズカレーを注文し、昼飯に。その後、10枚を書き終え、180枚を超えてきた。なんだこの自動的な感じは。ちょうどいい頃に、講談社現代新書の川治くん来それいゆ。珈琲飲みながら、原稿の感想を緊張し聞く。着地点はまだ定まっていない。しかし、まずはこの調子で一回終わらせてみるとの方向。今年三十路の男二人が、とにかくあれこれ、子供の頃の空間体験、空間記憶のことなどについて話し合っている。いい遊びの時間じゃないか。あんまり深く考えずに、どんどん進ませることにした。つまり何も考えてない。ただ今まで体感し、記憶してきた、空間を早く紙の上に定着して、安心したいという感じでもある。音箱で、お酒も入ってきて、訳も分かんなくなってきた時に、限って、いい曲がかかっていて、その曲名をDJに聞こうか、どうしようか、でも今、彼、MIX中のようだし、ここで聴いたら、怒るかな(節度の無い僕は結構怒られてしまう)、じゃあ待っていようと思いながら、ついついまた入り込んでしまって、忘れて、いかんいかんと、DJが落ち着いた頃に、「この三曲前のズッカ、ズッチャっていうリズムの曲、何て名前ですか?」と聴いたのを、またまた入り込んじゃって忘れそうな感じなのを帰りの電車の中で思い出しながら、DJから聴いても、それが曲名なのか作曲者の名前なのか判明しない。たまに、これ僕も知らないんだよねといいながら、レコード盤を直接見せてくれる人もいるが、ダンスの盤は大抵、どれが曲名なのか作曲者名か分からない。なので、早く家に帰って調べたい!と思っている感じに似ている。いや、あんまり関係ないかもしれない。でも、いい曲を聴いた瞬間は、なぜあんなに閃きの実感があるのだろう。その後、連続して、解放感が訪れる。僕は永遠に音楽に詳しくならないでいようと、いつもその時に思う。旅行者と一緒だ。旅慣れても楽しいことなんか何一つ無い。旅をしていて、その土地の方向感覚が身に付いてしまった時ほど、がっかりすることは無い。ただ、聴いたこともない音楽を聴いて「気付く」という、引っ掛かりのための、繊毛だけは、詳細に無駄に永遠に増やしていこうと思うのである。情報としての知識ではなく、繊毛としての知識が欲しい。しかし、繊毛は体験なくしては無理で、体験をしている連続した時間の中で、自分が求めている次の知覚よ来い!と懇願しながら踊り狂った後に、狙っている獲物とは別の知覚が降ってくる。よく考えてみたら、風呂に全く入らず、ヒッチハイクを続けていた、二十歳の僕も、それはダンスだったのかもしれない。んなこたーない。繊毛としてのヒッチハイク的知覚とは、どの車が止まってくれるか容易に分かるようになった、ということである。その知識によって、またヒッチハイク・ダンスを続けていると、これまで絶対止まってくれる車リストに入っていなかった、白色の軽乗用車で若い女性運転手一人だけ、の人も止まってくれたりして、人間の多様性を感じることとなった。それとは、逆に、絶対勘違いして一度は停まってくれる人リストに入っていた、ボロい軽バンに乗るおじいちゃん、に当然のごとく乗せてもらったはいいものの、どうやら、そのおじいちゃんはこの車の中で寝泊まりを続けていて、どうやら食い物は得意の釣りをしながら食いつないでいる四国は高知のおじいちゃんで。そこはおじいちゃんにしては車なんではなくて、つまり移動式住居であり、いきなり僕の中の建築的知覚が寝ていたのに突如起こされたような格好で、ダンス効果により発生した繊毛の威力が証明されたと落ち着いていたら、なんと、おじいちゃんは末期癌で、そのため自分が好きな所を放浪しながら車で走り続けていたのであった。そのことにより、さらに僕の当初のダンス目的ではない、宇宙の彼方へと投げ出され、僕はここは、旅程を急遽変更し、おじいちゃんが行きたい所に僕も着いていきます。と言ってみた。おじいちゃん、無言で車を走らせ続け、高知にある岬や、男女の岩がある所などについていった。ヒッチハイクじゃ無くなっていた。今だったら、車の中に一緒に泊まるだろうけど、その時は、町中のアーケードで最終的に降ろしてもらった。そして、そのアーケードの並びのシャッターの前で野宿していたら、夜明け頃、なぜか誰かに起こされ、目の前には女性。と思ったらMANだった。どうやらデジカメで僕は部分を激写されたらしいが、知り合いのおばちゃんのような気がしたので、僕は怒る気にもならず、そのまま、バイバイと言って寝たら、「あなた、おもしろい!」と言われて、缶珈琲をもらい、さらにはよく見たら、昔、よく見ていた上岡龍太郎のニューハーフ50人とかの番組で出ていた人だったから記憶があっただけであった。知り合いのおばちゃんではなかった。四国にはこれを含めて二回、しかもほぼ一瞬しかいなかったが、強烈な体験だった。僕は「まだ変人がいるんだ」と安堵した。彼らは静かな人たちだった。僕は、いつも五月蝿い。文章を書くこともダンスなのか?

2008年4月14日(月)

午前8時起床。朝食後、午前10時から銀行。入金。枯渇。キャッシュバック。その後、それいゆ。原稿。朝のそれいゆに毎日いるおばちゃん。この人が、とてもおかしな人で、一人なのに、大爆笑している。すると、いきなり怒ったりしている。おれとおばちゃんと、店員。店員はなんだか仲いいみたいで、ちょっと困った顔しながらも、会話をしている。平日の朝っぱらから、やたらとアーシーな世界に原稿もやはり捗る。途中で入ってくるお客さんが、びっくらこいている。原稿170枚に到達。60000字。長い旅。13日目。ようやく中盤です。お昼はそれいゆでナポリタンを食し、その後、午後12時半西荻発、午前一時半ごろ小学館SAPIO編集部今川くんと銀座三越いつものところで待ち合わせ。この前、手紙を送ったところから一軒、無理ですとの返答。あと二つは音沙汰無し。まあ当然でありますが。これに懲りずにとりあえず進ませてみよう。五丁目から一丁目までくまなく歩く。また一軒、不思議な物件を発見する。ここも連絡してみよう。そして、球磨川という熊本居酒屋を発見し、そのマスターに情報を得る。その後、カフェで生麦酒を頂きながら小休憩&作戦会議。すぐにまた歩く。高速道路は、民営の道路会社だとか、この土地は中央区のものだとか、ここは東京都で、ここは国でとか、なんで土地がこんなに公共でコロコロ転がしてんだよ。まあまあそんなところ突っ込むのは今回の趣旨とは違うが、それにしてもよく分からん。しかも、やたらに複雑に取引が行われている模様。頼む、せめて分かりやすくしてくれ。午後4時頃、今川くんと駅で別れて僕は有楽町のプロントで、続きの執筆。二時間書いて家に帰ってくる。大和書房の増渕さんから連絡、R25から取材依頼とのこと。電話で編集の方と話す。青山出版社の小説紹介ページがアップされていた。がんばるよ。なんだか、またamazonにて少し盛り上がっている模様。何かあったのだろうか?夜、ツタヤへ行き、APHEX TWINの吉祥寺店にあるやつは全部借りてきた。イーノ繋がり。

2008年4月13日(日)

午前8時起床。部屋の掃除。その後、Arthur RussellのFirst Thought Best Thoughtを聴く。これ何て言えばいいんだろう。不思議な音楽。細野さんの「風の谷のナウシカ」を小学生の音楽クラブがカバーしている曲があるが、それにも似た世界。開放系である。その後、新宿まで外出。ののかと美帆と待ち合わせ。そのまま一緒に西荻に帰ってくる。ナモさんのところで亮太、フーも混じり、五人で昼飯。ののかに誕生日プレゼントを貰う。マティスのような、ちぎり絵に最近ハマっているらしい。恐るべき二歳児。今日、新日曜美術館でマティスとルオーのことをやっていたが、いい番組だった。朝から泣く。この展覧会は見ておかないと。その後、家に帰ってきて、ののかと、歌い、踊り、youtubeで「ただいま考え中」を流しながら、歌う。その後、段ボールをレジ台に見立てて、レジごっこ。こちらが勉強になる。マンプクになり、帰っていった。その後、午後5時から今日もそれいゆで執筆。10枚書いて戻ってくる。150枚を超えた。あと半分。編集の川治くんに送信。夕食は、鶏肉の酢醤油煮とトマトの煮込み、わかめ豆腐、かき菜の舞茸と椎茸とエノキ和え。夜はゆっくり。とうとう今日で30歳になった。二十代は色々山あり、谷ありあったが、どうにか乗り切った感じである。今年は子供も生まれ、心境も確実に変化している。いまだに危なっかしい人生ではあるが、それはそれで面白いではないか、と思っている。これからも、自分でセブンイレブンへ行ってコピーをして本を手作りする精神を忘れることなく、さらに具体的に動いていこう。形にならないものへのエネルギーもひたすら注ぎ込んでいこうと思う。夜、外出。気になっていたbar、タウザーに行ってみる。生麦酒、ラガウ゛ーリン、ラフロイグを飲んで帰ってくる。で、帰ってきて、心地よかったので、ロバート・フリップ&イーノの二作目である「イブニング・スター」を聴く。これ、本当凄いアルバムだと思う。たまたまレコード屋でイーノ関連買いたくなって、そこのイーノのコーナーで唯一あったレコード。ジャケットがヤバすぎる。イブニング・スターって、名前がいい。僕はこれを聞くと、海外に行った時に、トランジットで待合室で座りながら、綺麗に磨かれたガラス越しに見える夕方の空を思い出す。思い出すと言ってもどこのいつの夕方かは思い出せない。そんな曖昧な、自分がどこにいるのか分からなくなるようなトランジット。あーモスクワを思い出した。夕方に見える星って、なんでこういう微妙な感覚をアルバムのタイトルにできるのか、それを見せびらかさないところにさらにウイスキーが効いてくる。オリジナルは1975年。あー、MUSIC for AIRPORTより前なんですな。peter schmidtというイギリスの画家だった。しかも、彼は、イーノのテイキング・タイガー・マウンテンの絵も描いており、さらに、ビフォー・アンド・アフター・サイエンスの中の四枚の水彩画もそうだった。イーノの美術学校の先生だったようだ。ウェブサイトがあり、作品が見れる。水彩画に興味を抱き始めた夢日記が止まっているが、水彩画、やっぱりやりたいなと思い直す。

2008年4月12日(土)

午前8時起床。朝食後、今日もそれいゆへ。原稿を書き続ける。午前中で10枚。その後、昼飯。カレーライスを食す。その後、また書いて夕方まで10枚。今日も二十枚に達した。大分走りなれてきた。しかし、今回は自分のこれまで考えてきたことを中心に書いているので、なかなか扱い方が難しくもある。とりあえず、あまり無理に方向転換せずに粘り書きする予定。書けないと疲れるが、書けた日は全く疲れない。逆に頭がすっきりするのである。その後、家に帰って着替えて、白金高輪へ。今日は、ふーとふー母と三人でフレンチを食べる。もちろん、ラビラント。シャンパンで乾杯。その後、ガスパチョと春野菜のテリーヌを食べ、ボルドーを飲み、ここのパンが旨い。その後、二杯赤ワインおかわり。メインは和牛骨付きフィレ肉のグリエ。絶品。食後、ベイクドチーズケーキとエスプレッソ。最近、和風の野菜中心の家ご飯に切り替えていたのだが、やっぱりたまにはいい。今日の肉は最高。少しほろ酔いで出る。ここのギャルソンが素晴らしい。質問にすべて的確に答えてくれ、さらにワンポイントで創造的な発言も。前菜によって、おすすめで出す魚の種類を変えるなど、食事を、料理だけでなく総合的に提供してくれる。感謝。

2008年4月11日(金)

午前8時起床。朝食後、ふーと久我山病院へ定期検診。超音波も見せてもらう。どうやら女の子のようだ。元気な様子。そして、今日、助産院の紹介状を書いて貰い、病院からは離れる。お昼は駅前で蕎麦。その後、歩いて井の頭公園まで行ってみようと神田川沿いを歩く。これ、今まで歩いたことが無かったのであるが、こんなに気持ちがいいところ他に知らないぐらい気持ちがよかった。神田川沿いもいいかもしれない。そのまま井の頭公園まで。裏側から入るのは初めてだったが、吉祥寺から入るより、断然こちらからがよい。おすすめである。葉っぱの色がいい黄緑色をしている。家に午後1時頃帰ってきて、今日もまたそれいゆへ。珈琲を飲みながら、二時間半ひたすら書き続けた。10枚書き終えて、家に帰ってくる。様々なメールを返信し、ぼーっとし、夕食を食べる。なんだか今日は行けそうなので、本日二度目のそれいゆへ。午後8時から10時まで二時間で再度10枚。小説の時の勢いが少しずつ出てくる。累計125枚。ここ二日ぐらい、書きながら、どうかなーと思っていたが、ここに来てまたいい感じになってきた。こうやって、ただ前に進ませていくのみである。じりじり攻撃。帰ってくる。カナダから、僕がイメージを送った美術館のカタログが送られてくる。小さいけどこういうの嬉しい。隅田川のエジソンがamazonで予約ができる状態になったようだ。さっそくアップする。昨日の夜、デビット・ホックニーの文章を久々に本棚から引っぱりだして読んだ。今まで、読めていなかったところもポンポンと頭に入ってきた。自分が興味をもっていることも少しずつだが、変化しているのだろう。カナダのチケット取る。センターAのディナーにもぎりぎり間に合いそうだ。5月の頭にはご褒美が待っている。週末も書き続けようと思った。僕にもはや、週末も何もないが。

2008年4月10日(木)

午前9時起床。朝食後、銀行へ行き、今日も、それいゆで原稿。お昼はそこでカレーライスを食べる。喫茶店に置いてある、世界の終わりとハードボイルドワンダーランド新装判を懐かしく、読む。執筆の方もなんとか進む。数えたら、原稿用紙で105枚分に達していた。今日は11枚。喫茶店に長居していた。夕方、出る。出て、家に帰ってきて、講談社現代新書の川治くんに原稿パート1を送信する。すぐに電話がかかってくる。どんな反応か楽しみだ。楽しみか?多少不安もある。この一番始めに編集者に原稿を見せる時、いつもちょっと恥ずかしい。描いた絵でも、作った曲でも、買った服でもそうだが、ちょっと恥ずかしい。しかし、やっぱり、作った以上は見せたくも当然あるわけで、変な気分である。夕食は鳥の唐揚げ。家で久々に晩酌しながら。カナダの件の電話。エレキの曲を一曲制作。やはり音楽日記は難しいもんだ。その後、最近の動きには全く関係ないことの着想。こういうのが、またいつか気付いた時に発酵してくれるかもしれん。夜はゆっくり読書。

2008年4月9日(水)

午前9時起床。朝食後、4月30日からのカナダ行きの航空券の手配。今回は一週間ほどの旅になりそうだ。Winnipegで4日間。展覧会の準備をして、オープニング、ギャラリートークを行って、そのままバンクーバーへ向かい、センターAのオークション&ディナーに参加、その後、バンクーバーでゆっくり。という計画。4月一杯で、講談社用の原稿も仕上げる予定であり、これで三冊分も連続で書いたので、たまにはゆっくりもしなくては。スケジュールをもう一度アンソニーに確認する。カタログも楽しみだし。その後、五月にカナダから帰ってきて、執筆を始めることになる気がしている、春秋社の構成案、書籍イメージの作成。この間、赤瀬川さんとのトークの中で産まれた『コクピット的空間』が今回の本の着想のもとになっているが、この本の企画は、春秋社の篠田さんから単行本の提案がある、大分以前から、何かコクピット的な本を書きたいと、しきりにフーに言い続けていたのだが、それが実現できるかもしれないわけだ。といっても、またこれも企画を通す前の段階なので何とも言えませんが。僕としては、五月頭からさっそく書き始めようという勢いでいる企画である。お昼前にテキスト、写真、絵を使って、モデルも作り送信。どう転ぶだろうか。楽しみ。そういえば、青山出版社の小説だって、村上女史から、「東京を舞台に冒険する小説を書いてほしいのよ」と言われ、そんな無理言わないで、と思ったが、いや、これはどう考えてもありがたいし、書けるもんなら、書きたいけど、一体どうやって書けばいいのよ、とか代官山のラ・ボエムでスウィーツを頂きながら、夢物語のような気分で言っていたのを、思い出し、そういうことが仕事の発端である、出版という分野に、僕はこの曖昧さこそ希望を持っているわけである。お昼に玄米おにぎりなどを食べ、外出。渋谷のシネマライズ。ヘンリーダーガーのドキュメンタリー映画をふーと見る。やっぱり、この人の作った本と、ジャック・ケルアックが少年時代作ったと言っていた野球リーグは最高だね。僕の少年時代作った、手作りペーパードラクエと感覚的にシンクロしている。さらに、映画の終わりでまたシンクロが起こった。なんと、ヘンリーダーガーは、1973年の4月13日に亡くなっていたのである。4月13日。これは僕の誕生日。あんまり関係ないかもしれないがビビった。その後、エココロ編集部へ。マルイで販売が開始される、僕がデザインしたTシャツが出来てるかと思っていってみたが、まだ出来てなかった。そして、村上女史と渋谷で待ち合わせ、東急プラザ地下の洋食屋で打ち合わせ。小説用の表紙見本が出来たので見せてもらう。グッド!乾杯。さっき書いたようなことを振り返る。これで、後は本が出来上がるのを待つだけだ。ようやくここまで来ました。信じられません。小説を書くなんて思いもしなかった。しかし、終わった今は、また次の小説を書きたいとも思っている。不思議なもんだ。やっぱり何でも体験してみるべきですな。さらに、自分が柔らかくなったような気がした。自分が信じている、自分の姿なんかやっぱり仮の姿なのだなと。知らないところへ飛び込みたい。なんと、隅田川のエジソンをもう書店に注文してくれている方がいるとのこと。たぶん書店はびっくりしていることでしょう。ありがとうございます。なんか嬉しいです。家に帰ってくる。夕食を食べて、それいゆへ行く。昨日のそれいゆ執筆が調子がよかったので、また。二時間半で12枚書き上がる。閉店までいて、帰ってくる。恐るべしそれいゆ効果。明日も行くかも。94枚。さあ、あと200枚。先はまだ長い。

2008年4月8日(火)

午前9時半起床。そのまま、机に向かい原稿に行こうとするが、頭が重い。朝食。その後、ぼーっとする。何か頭を整理したい。昨日借りてきていた、映画を観る。「カポーティ」。「冷血」を執筆する過程の描写。ノンフィクション・ノベルを初めて書いた瞬間。しかし、彼はその後一つも小説を完成させることが無かったらしい。今回、僕が小説を書く上で、村上さんからカポーティの冷血の話が出ていて、当然のごとく僕は読んだことがなかったが、ノンフィクション・ノベルという名称は非常に気になっていた。少し、頭の整理になったかと思ったら、余計に混沌とした。それでもいいけど。ギャラクシー銀座を読む。その後、大和書房の増渕さんからメールがあり、講演会の依頼です、っとの事で話を聞くと、練馬公民館にて9月に行われる講演会らしい。なんと、65歳以上の方を対象としたものらしく、寿大学というのだそうだ。非常に興味深い。すぐに僕は電話して、担当の方と電話。やってみることにした。その後、家では書きたくなくなったので、それいゆへ行き、コーヒーとチョコビスケットを齧りながら、執筆。結局10枚書いた。累計で82枚。今日は駄目かなと思ったけど、意外に行けた。こうやって、毎日この調子を取り続けるのは綱渡りに近い感じだ。別に落ちても死にやしないんだけど。じゃあなんだろ、独楽か。夕食は炊き込みご飯、みそ汁、大根の煮物、キャベツの酢の物。夜、ふーとどんぐり舎へ行き、ほろ苦ブレンド。帰ってきて、一人で、MIXCD作ったり、過去の日記をまとめたり。今、2004年10月にいる。この頃、意気揚々ではいたが、全く先が見えてなかった。このまま、進んで大丈夫なのか?と毎日自問自答していたのを思い出した。恐怖心はほとんど無かったんだが、とにかく気が遠くなっていた。このままやって、自分の声が少しは外の世界へ届くことはあるのだろうか? 金は無いし、バイトは忙しいし、部屋は狭いし、日当り悪いし、本は出しても無名だし、仕事無いし、方向性定まってないし。しかし、それでも体は動かしていた。どうにか、重い体を軽く見せようとして必死に動いている軌跡が見える。どんな時も一歩前に進むことはやめちゃいけないんでございますね。とにかく作り続けるしかない。

2008年4月7日(月)

午前8時起床。そのまま机に向かいまして、新書用原稿。午後12時までに今日は14枚書いた。少しずつテンションが上がってきている。累計で72枚になった。いい調子である。何も考えず、このまま進めていこう。お昼ご飯を食べて、午後1時に西荻駅で、日経アーキテクチュアの副編集長、ライター、カメラマンの三名方と待ち合わせ。こけし屋に行くが、個室が取れなくて結局僕の家でインタビューを受ける。しゃべりまくって一時間ちょっとがすぎた。今回は、建築界への提言というテーマらしく、僕が何か言えるとは思わないが、好き勝手しゃべらせてもらった。どういう記事になるのか楽しみである。終わった後、家で30分ゆっくりして、その後、ヴィレッジで青山出版社の村上女史と待ち合わせ。初校直しを渡す。ほとんど訂正箇所は無し。最後の所を少し追加しただけである。もうこれで、小説に関して僕が手を加えることは終わりである。中旬には見本ができる模様。非常に楽しみ。その後、プロモーションの話。小説は初めてなので、どういう展開で宣伝をしていくのか、これもまた新しい体験ができる。人間、要は体験でしか、知ることはできない。何でもやってみよう。若いうちは。当たり前だけど、これが非常に重要であることを最近痛感させられる。何でも知ったようにして、体験しないでモノは言うもんじゃない。これはいつも自分に戒めていることである。具体的な知識と、具体的な体験。それによって抽象的な思考は色付けされ、極彩色の立体へと変身する。その後、感性日記の編集。これが大変な作業。そこで、見かけた日記に、林さんの事が書かれていた。久しぶりなので、電話してみる。彼は僕の良き、思考キャッチボールの相手である。これは十代の時からの付き合いで、もう十年以上になる。いつも斬新なアイデアを僕に提供してくれる、林さんは僕にとって、自分が今どういう状態でどういう感覚なのかを知る、バロメーターのようでもある。竜馬が行く、と老子を読んでみたらとの助言。彼は非常に面白いところへ突っ込んでいた。これだから、会話というのはやめられない。一時間ぐらい電話で話す。その後、亮太が熊本から帰ってきたようで、僕の小学生の時の卒業文集のコピーを頼んでいたので貰う。その後、ハートランドで乾杯し、外出、アフターグロウへ行き、ラフロイグロックを二杯飲みながら、近況などの話。亮太と漫画本を作ろうかという企画が浮かび上がり、ちょっと盛り上がる。これは実現したら非常に面白いかもしれない。店内では、ハービーハンコックのアルバムの中のジョニミッチェルのカバーを聞いて気持ち良くなる。その後、彼女の新作も聞かせてくれた。店を出て、亮太の家に行き、さっそく竜馬が行くを8巻全て、高野文子「黄色い本」、長尾謙一郎「ギャラクシー銀座」、を借りてくる。この私設図書館というもの、素晴らしいじゃないか。こうやって、林さん、亮太が、いまでも常に僕に色んなことを教えてくれる、媒介者であることを考えるといつも不思議な気持ちになる。僕は何も知らない人間である。ただアンテナ、受信機、レーダーでいたいのだ。

2008年4月6日(日)

午前9時起床。朝食はサンドイッチ。午前中、部屋の掃除。あんまり気持ちがいいので、フーが弁当を作成したので、善福寺公園まで行く。公園で弁当。何でこんな素晴らしい公園を僕は今までほとんど利用することがなかったのだろう。こっち側に視点が向いてなかった。しかし、ここすごい。人もちょうどいいくらいで、井の頭公園よりリラックスできる。さらに、この辺は高級住宅街と化していて、道の作り方も雰囲気がよく、バンクーバー的な空間の感じがした。また今日も、貰った図面を元に物件を見に行く。いい家は結構なお値段が。やっぱり今住んでいる家の条件がかなりいいことも実感する。途中で、タカの店に寄り、古本屋でつげ作品を購入後、家に帰ってくる。帰ってきて、ようやく原稿に手をつける。午後8時までに13枚書く。これで、原稿用紙58枚。文字数で2万字を超えてきた。いい調子である。今回は10万字くらいが目標だと思われるので、まあ、まだまだ道のりは長い。今、この2004年から書き続けている膨大な量の日記を単行本用でまとめ始めている。もちろん、こんな若造の日記を出版しようなどという冒険出版社はまだ現れていないが、いつか現れてくれとの願いを込めて、まとめ始めることにした。それで、自分が書いてきた日記の分量をチェックしているのだが、これが結構凄い量なのである。だいたい月に2万5千字程度。先月なんか3万5千字である。ということは、大体4ヶ月で10万字を超す、一年で30万字。丸4年間書いているので120万字を書いていることになる。一冊15万字にしても8冊分って。知らない間に書く体力をつける筋トレをしていたと思うと少し今のこの執筆しまくっている状態が分からんでもない。こうなりたかったわけではないはずだが、日記を書いていて、次第に何か巨大な分量のものを書いてみたいとは思うようになっていった。しかし、この無意識の行動に驚いている。それで、今、一月分ずつ綺麗に縦書きの書式でまとめている。四年前の状況を久しぶりに見返しながら、懐かしむ。色々と試している。でも、ことごとくうまくいかない。でもたまに、奇跡的に波が来ている。そして、それに調子に乗っている自分。とか様々。その気持ち忘れることなかれ。いい引き締めになっている。夜は、隅田川のエジソン、ゲラをチェックせねば。今から読み始める。明日までなんだから。

2008年4月5日(土)

朝、帰ってきて風呂に入って、外を見ると気持ちいい。朝も、普通に寝て起きる朝と、徹夜したときの朝は違う。明らかに違う。僕はたまには徹夜したときの朝が必要だ。それで、macの前に座り、電源入れて、recloose聴きながら原稿を書こうとするが、案の定、なかなか進まない。途中、昼飯を食べに、萬福飯店へ向かい、ランチNo.1を注文。この豚肉と卵とキクラゲの炒め物セット。やはり抜群に旨い。最近は麻婆豆腐の王座の位を奪取し、僕はいつもこれを注文している。変化球をあんまり投げない僕はいつも同じものを注文する。僕は変化を好んでいそうで、実のところ全く保守的な感覚のところもある。なぜなら、旨いものはいつ食べても旨いからだ。それはそうなんだけど、それで僕だけで生きていたら全く変化しない人生になるのであるが、そこが世の中素晴らしいところで、他人という人々がいるわけである。で、一緒にお店なんか行くと、この人たちは、結構注文で冒険しようとする方も中にはいらっしゃる。ふーがそうだ。で、僕からしたら、あーそれ美味しくなさそうだけど、大丈夫なのかなあ、と思うが、彼らは試そうとする。食事で試すなんて大したもんだ。と僕は思う。それで、ランチセット1も注文した。僕は当時麻婆豆腐一辺倒だった。しかし、これが旨かった。で、またそれを好きになるという流れである。僕は音楽なんかにしてもそうだが、基本的に自分の選ぶ物は信用していない。対してセンス良くないからだ。しかし、DJの中にはごく稀に信じられないMIXをしてくれる人たちがいて、それを聴くことによって、耳を鍛えさせてもらっている。それは思考を変化させることができるんだよ、という僕にとっての訓練だ。だから、僕はクラブへ行っても、ほとんど誰とも話すこと無く一人で朝まで踊っている。最高のDJMIXに出会えることはなかなか無いけど、会ったらたまったもんじゃない。僕の耳が発展するわけだから。耳というのは、人が一番始めに知覚する感覚でもあるわけで、僕が考えているのは、耳を鍛えると、直感、ならびに思考が鍛えられるのではないかということだ。これは何も実証してないから、真実ではないかもしれないが。僕にとっては、いい絵を見るより数倍効く。しかも、歴史で音を追っていったら駄目。これは自分に課していること。調べたいのはやまやまだが、そんなこと調べないで、クラブへ行きなさい。これはいつも自分に言い聞かせている。足を使って、お金を使って、時間を使って、体力を使って、睡眠時間を削って、踊りを踊って、踊り狂って、そうすると、体験と知覚が一緒くたになってくる。そうすると、直感の扉が開き始める。脳なんて言ってる場合じゃない。人間は脳だけで知覚するんじゃない。足の指先から、皮膚から、髪の毛から、耳から、それらも紛れも無く知覚機能である。僕は脳はミキサーだと思っている。要は、中身は何も無い。しかし、脳が無いとスピーカーからは音が鳴らない。だから手はギターだよ。顔はターンテーブルで、耳はマラカスで、足はバスドラですから。全部使わんと、オーケストラは鳴りません。しかも、人はやっぱりスピーカーじゃなく、生音がいいとか言う人もいるでしょ。ということは、脳はもういらないわけ。手で触るだけで、理解できたりすることもあるではないですか。などなどを考えていたら、知らぬ間に寝ていた。昼寝。午後4時頃起きて、執筆。午後9時に終了。今日は12枚。累計で45枚を超えてきた。まだまだ旅は終わらない。これをあと、25日間続けるだけでいいんです。もう、20代前半のちょっとやっても先が遠いと、気も遠くなる症候群が無くなってきた。どうせ、やれば終わるんだという自信がある。積み重ねることの、小さな興奮に気付くことができたら、やれないことなんて、この世には存在しないのではないかという希望的観測。それでも、いいや、何言ってるの、あんた。そんなこと言ったって、無理なことは無理なんだから!って言う人がいるから、こちらもやりがいがある。ヘンリー・ダーガーがやったことをアウトサイダー・アートなんか言っている場合じゃないと思う。彼は、本当に壮大なことを考えていたのではないか。もう作家性なんか吹き飛ばして、創作すなわち人生という、壮大な計画を何十年もかけて、ちょこちょこ、描き続けていたはずである。ある意味、相当の戦略家だったのではないかと僕は考えている。積み重ねると大変なことが起きることを知っていたのであろう。そういや、今、彼のドキュメンタリー映画がシネマライズでやっているらしいとの情報。行かねば。

2008年4月4日(金)

午前8時起床。朝食後、新書用原稿。午後1時まで、今日も11枚。長い物語を書いているような感じである。どうなっていくのだろか。うまく書けるといいが。その後、大友克洋氏の「童夢」を久々に読む。つげさんも読みながら、なぜか漫画熱を盛り上げようとしている。空間についての短編をいくつか描いてみたいと思いながら、大分時間が経った。まだやりたいと考えているようだ。立体読書用の下調べ。SF世界はあまり描く気が起きないが、現実の世界の空間描写を限りなくSF的手法で行っているもの。それが一番、描こうという衝動を駆り立てる。といっても、見つけるのは一苦労だが。佐藤春夫の「美しい町」もぜひやらねば。のんしゃらん記録は描いていて楽しかった。午後6時頃、青山出版社村上氏、来西荻。ヴィレッジで打ち合わせ。初校が出て来た。今回は文章の中に、小さい挿絵をたくさん挿入しているのであるが、なかなかいい。僕が描いた80枚のイラストから村上セレクション。僕は幼少の時から、新聞の連載小説の真ん中にある、挿絵がすごく気になっていた。小説読まないで、絵ばっかり見ていた。挿絵というのは、非常に空間的であると思うのである。それは部品しか描かれていないからである。これはなんかヒント。僕はさらに、日本盤のCDに入っているライナーノートにも同じ佇まいを感じる。その、チョコンとした何か。そこには無数の次元が紛れ込んでいる。一時間ほど後、家に帰ってくる。どんぐり舎へ向かい、ほろ苦ブレンドとクッキーセットを飲食しながら、初校チェック。誤字など発見する。その後、夜11時に外出。小田急線に乗り、終点片瀬江ノ島駅へ。タンゴと待ち合わせ。OPPA-LAにて開催されているイベントへ出向く。MOODMAN、DJフランキー、DJ YOGURT、等。DJ フランキーの最後の曲が気になる。曲名を聞く。ReclooseのDustという曲。デトロイトの人がニュージーランドへ移住するとこうなったらしい。ライブ版もあった。午前5時までいる。その後、電車で戻ってくる。お茶の水で信号トラブル発生し、新宿から丸ノ内線、荻窪駅からバスでようやく西荻へ帰ってくる。次いでだから、散歩までした。僕は旅行で一番好きな時間帯が、お店が開店しそうでしない頃。今日、ちょうどその感じで、なんとなく旅行しているような気分になった。たまにバスでいつもと同じ道を通ると、違った風景に見える。これは成田空港へ行く時に、自分の最寄り駅が、いつも使っている駅に見えないことと似ている。なんなんだ、この感覚は。そのまま、風呂へ入り、原稿へと連続攻撃。

2008年4月3日(木)

午前7時起床。朝食後、午前8時からcoyote原稿の直し。なかなか文字数内で収めるのが難しい。午前9時半に完成、送信。その後、すぐに講談社現代新書用原稿開始。午後1時までに原稿用紙11枚完成。今日は出かけるのでもうこれで終了。外出、新宿駅へ。高島屋で美帆とノノカと待ち合わせ。赤ちゃん休憩室で昼ご飯。その後、新宿御苑に遊びにいく。御苑は桜が満開でした。森を探索する。ノノチャン、ディズニーより、こっちの方が楽しいよ。多分。しっかり遊んで五時頃美帆たちは帰る。僕も家に帰ってきて、ゆっくり。夕食はざるうどんに、鶏肉のトマト煮、ほうれん草におひたし、わかめとキャベツのショウガ酢醤油和え。食べて、夜は作曲。今日から日記的アルバム制作を始める。毎日アルバムができるなんて夢のようだ。ジャケットもケースもケント紙とかで作ろう。絵も自分で描こう。原稿書きのテンションをこっちで引っ張る。そうやると、一見、集中できないように感じるが、逆に巧くいくことが多い。僕の場合。午後9時半までかかって、7曲入りのアルバムが完成。MacBookすばらしい。といっても特に目新しい音楽ソフトなんか使わない。Garage bandで十分。これさえあれば、机の上でギターかき鳴らすだけでどんどんできる、はず。明日は青山出版社の初校が出来上がる。

2008年4月2日(水)

午前8時起床。朝食後、机の上に座り、久々というか、またというか、とにかく新しい本の執筆をニューマシンと共に始めることにする。そんなにマシンごときで盛り上がるもんか、と自分自身思っていたのであるが、いやいや、だいぶ盛り上がっちゃいました。午前9時半より本格的に書き始め、午後1時半に原稿用紙11枚半書き上げる。初日にしてはなかなかのもんでございます。昨年末に350枚、先月、350枚書いてもまだまだ書き足らないようです。もうどんどん、やらせることにした。自分の中のシウ゛ァが騒ぐ。今日はこのくらいで終わらせて、吉祥寺に周辺機器を買いにいったりなどして、帰りにTSUTAYAが半額なので、マイルス自叙伝で今かなりタイムリーな1940年代後半から50年代前半までのJAZZを借りてくる。モンク、バド、ディズ、マイルスはDIG。なぜかフランクシナトラも。夕食を食べに、従兄弟のソウがやってくる。ソウは明日から、音響の専門学校へ入学するらしく、緊張していた。懐かしい、18歳の頃。僕はもう二度とあのときへ戻りたくない。自分は絶対に何かを成し遂げるという勝手な野望をもとに、何もできていない自己実現できていない自分に、絶望していたあの頃。はっきり言って、希望がなかった。ただ、勉強しなくては、学校の勉強とかじゃなくて、自分のための知識と体感の勉強をしなくてはと焦っていた日々。よく落ち込んでいた。それに比べると、ソウは不安げな顔をしてはいるものの、元気である。音楽なんか、僕の数十倍も知っている。こいつ、やるかもしれない。ふーのご飯で元気づけて帰っていった。イシマルー、とチャールズ・マンソンの音楽を僕に聴かせてくれた。こんなCD、どっから見つけてくるってんだ。恐るべき18歳。シウ゛ァの話をする。僕はいつも自分の頭に、破壊と創造の神、シウ゛ァ神を思い浮かべている。別に、ヒンドゥー教というわけではない。いつも何かやるとき、シウ゛ァさんに訪ねるのだ。これで、いいか?とか、これ破壊できてる?とか、でも破壊だけじゃなくて、代替案もちょうだいね!とか突っ込まれたり....。まあ何でもいいのだが。夜はゆっくり。データの移行など。間違っていろいろ消してしまったりした。まあいいか。去年、カシミアのセータを3万円以上も出して、一ヶ月もしないうちに無くした。そんなもんである。僕の目の前からはどんどん物が消えていく。それをみるのは、なんとも解放感がある。でも物欲もある。それでいいのだ。明日からは原稿のペースを少しあげた方がいいのかもしれない。20枚に設定してみよう。やるだけやってみよう。たとえ書けなくてもどうでもいいから、いいのである。さらに時たまきちんと書けるときがある。ふーはよくやるねえ~と感心する。しかし、こちらとしては元々駄目モトで、うまくいったら儲けものなのである。この儲けもの的感覚はなかなか気持ちがいいものである。どうせできないだろうと、僕は誰よりも自分のことをそう思っている。しかし、やはり人は失敗することを恐れているらしい。ということは、絶対自分は成功するんだと思っているのだろう。失敗なんてものは一つもないのに。しかも成功ということも一つもないのに。逆に思考すると面白くなると思う。どうせうまくいかないのが普通なんだから、もし万が一仮にでも実現できたら大変だよ、ヤバいよ。と、そして、そっち側に平気に飛び乗る。どうせ失敗ばかりしてんでしょ。だったらいいじゃん、と。そんなに人間すごくないはずだ。しかし、稀に奇跡も起こせるはずだ。奇跡を信じない人は、挑戦をしなくなる。そこに儲け話が転がっているから、僕は血眼になってでも作業に向かっていけると思っている。ちょっと最近若い人からの連絡が相次いだので、そんなことをふと考えた。儲け話だったら、人は聞くもんね。儲けといっても、お金じゃないから注意。金の儲け話は信用ならない。感覚の儲け話は損得ないから、話していて楽しい。次はそろそろDig-Italの新作にも取りかかりたい。立体読書をガーッと一気に5回分ぐらい書いてみたい。庭の本も進ませたい。何より、銀座が気がかりだ。音楽は毎日日記ペースでアルバムを量産したい。時間は五倍になるわけない。僕がいつもの五倍で動けばいいのか?もっと自動的に動きたい。時間ごとに机が自動的に変化し、仕事が変化するような。そんな感じか。感覚の儲け話についてでした。以上。

2008年4月1日(火)

午前8時起床。朝食後、午前9時半外出。吉祥寺まで散歩。今日から執筆を開始するのだが、その前に以前より考えていた、macのヴァージョンアップを行うことに。使っているマシンを、iBookG4から、新しいMacBookへ。ブラックを買いに、ヨドバシカメラ吉祥寺店へ。すぐさまブラックを購入。なんだかまたいろんな書類を書いたりしていたら二万円安くなった。けど高いことは高い。初期投資でございます。がんばって書いてよ~、と自分にプレッシャーをかける。しかし、iBookの中古も3年以上も持ったからね。よくがんばりました。フーがお下がりを受け取った。その後、feveというギャラリーへ行こうと思ったら、閉まっていたので横のTONEへと入る。すると、Spoken words projectのリュックサックがあり、その緑色の変なこと変なこと。思わず購入。その後、井の頭公園にて散歩。桜、今満開です。散ってると思ったのに。その後、気になっていたガレット屋で、ハムと卵とチーズのガレットとシードル。ブルターニュ地方の思い出に浸りたかったので行ってみた。しかし、シードルはやっぱり陶器のコップで飲みたいな。ここのはグラスであった。ちょっと違うんだよな~。その後、家に帰って来てニューマシンを起動させる。気持ちいい。今まで、メモリ200台で容量も少なかったので、あまりの違いに、勝手に未来にきたような気分になる。資料が欲しくて、恵比寿の峰ちゃんのところまで。ポールダンスの狂乱から久しい峰ちゃんたちの事務所。買っていったビールを飲み、DJブースをトンカチ作っている風景を眺める。よし、これで環境設定はバッチリ。後は、今月は休みなしで、酒もできるだけ抜いて、キーボード打ちまくる予定。スーパーマリオ3をクリスマスプレゼントに貰ったときと同じようなモチベーションになった。Web Designingから原稿が上がってくる。いい感じ。今までにない形での紹介になりそう。青山出版社から入稿後のスケジュールが送られてくる。coyoteから佐々木さんが原稿のリアクション。たくさん書きたいけど、文字数が...。フーの友人のシュクちゃんが、FM横浜でTOKYO0円ハウス0円生活が紹介されていたらしいとの情報が送られてくる。ありがとね。なんだか、もう僕の知らないところで、我が息子がちょこまか動いて頑張ってくれているようだ。amazon上でも意外に健闘してくれている。でもやっぱりブラック、かっこいいね。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-