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Journal -坂口恭平の毎日-

2007年3月31日(土)

 今日は横浜のZAIMにてトークショーの日。今回のお題は「Nairobi Report」と銘打っていて、つまりケニア、ナイロビの旅についてのトーク。今回は0円ハウスや庭の話、鈴木さんの話も何も出さずにナイロビだけでいくと決めた。全然違うことをしてみたかったわけだ。始めは僕の家族しかいない(亮太、親父、母さん、ふう)状態で驚いた(というかいつもと一緒でもあるのでそう驚かない)が、少しづつ人が集まり、麦酒を飲みながらのトークショーを始める。ナイロビだけでどこまで話せるかなぁと思っていたが、見ている人の食い付きもよく、質問も同時進行しながら皆でアフリカを体験するという、旅にも似た二時間だった。すごく限られた場所で、数人による不思議な夜だった。こういうのが僕には肥やしになる。見に来てくれていたひとは皆興味深い人で、年配の方もいたのだが、エネルギッシュな質問が飛ぶ。いいねぇ、こういうのだよなやっぱりと今日もしみじみ思う。こういう小さなスペースできちんとヴァイブレーションが発生する横浜という場所にも惹かれる。そして、常に参加する坂口家のノリにも客観的に関心がある。帰りに横浜の春の夜風にあたりながら、中華街を歩く。僕はあまり夜の中華街に来たことが無かったのだが、今日は休み前でもありまるで上海のような(行ったこと無いけど)怪しい雰囲気が漂う。そして、僕は中華街では「山東」にしか行ったことがないのだが、とてもおいしいのでまた同じ山東へ。親父と母さんとふうと4人。このメンツで食べるとこの前のバンクーバーの記憶が呼び戻され、旅をしている感覚。名物の水餃子をたべる。うまい。その後,チャーハン、ニラ玉、エビチリ、肉焼きそば、春巻き、またチャーハンと、何の変哲もないオーダー。しかし、それも味付けが絶品。ほとんど塩だけなんだろうけど、バランスが絶妙。ニラ玉とかホントおいしい。瓶麦酒。明日から4月。僕は仕事集中月間なので、気合いを入れる。ここの番頭のじいちゃんがかわいい。12時に家に到着。次は4月6日の地震EXPOだ。あと6日。

2007年3月30日(金)

 今日は美帆の誕生日なので、しかも最近少し忙しく、ノノカにも会えていないので、しかも、今日は親父の退職の日でもあり、しかも、母さんが熊本から来ているということで、そんなこんなで巣鴨の美帆の家へ。ノノカと久々に遊ぶ。全開は中耳炎だったらしく、調子が悪かったが、今日は調子がいい。夕食は、肉じゃがコロッケ、とんかつ、インゲン豆と京都から送られてきた椎茸、海老の天麩羅。麦酒。うまい。久々に家族揃う。ル・クール・ピュで、タルト・フロマージュ、洋梨のタルト、プディング、ジャスミンプディングを買っていく。やっぱりココのケーキはうまい。明日のトークショーの準備をするので、午後10時に帰る。

2007年3月29日(木)

 地震EXPO用の展示準備。どうしたら面白い展示ができるだろうか。考えあぐねる。夕食は焼うどん、パイナップル、昨日のスープ。今日から早く寝ようキャンペーン始めようとしてみる。午後11時30分就寝。なぜか赤瀬川さんの反芸術アンパンを読みたくなり、読む。

2007年3月28日(火)

 丹後が遊びに来る。アトピーの研究。

2007年3月27日(火)

 小林額縁に新しくできた分を取りにいく。小林さんは近況はどうだ?と聞くので、最近の動きを色々話す。よく考えれば小林さんと会ってから動いてきたということもあって、小林さんは親身になって話してくれる。とにかくもっと筋力をつけろという話に。色んな話はあるだろうが、きちんと仕事を見極めていかねばと考える。いつでも電話しろと言われ、額縁屋さんという枠に収まりきれない小林さんの姿に新しい仕事の形を見る。今日はNHKで宮崎駿さんのドキュメンタリーがあった。氏の創作が生まれる瞬間の映像だった。よくあんなところ撮らせたなぁと思った。そして、その創造の世界では、氏はホントに矛盾の世界に自分を浸らせて、そこから沸き上がってくるものを捕まえようとしていた。メッセージ性のあるものを作ろうと人はしがちである。でも氏はそういうものよりももっと自分の中にある矛盾に対面しようとしていた。そこが全てだ。とても刺激的な映像であった。夕食は、大きな鯵の塩焼きと、かぼちゃの煮物、サラダ、味噌汁とイチゴ。今、毎日、胃腸を整えるためにキャベツと大根を毎日材料として使っている。アトピー対策。地震EXPOのオープニングが近い。しかし、なかなか準備が進まない。うーん。また追い込まれないとやらない。まぁそういうものか。ケイちゃんより電話。次号のスペクテイターの打ち合わせ。今回、立体読書の他に移動式住居について数ページ書く予定でその話。うまく時間を取って4月上旬に仕上げる約束。これからは時間の使い方も重要になってくる。でも、こうやって色々同時並行に仕事をやっていきたいのも確かなことである。

2007年3月26日(月)

 午前5時45分起床。そのまま中央線に飛び乗って浅草へ。それでも鈴木さんの家に着いたのは7時5分。目の前に鈴木さんが見えたと思ったら、自転車で走り出した。これはまずい。僕は自転車に負けないように全速力で走る。坂を登っている鈴木さんに無事に追いつき、そのまままた鈴木さんの家に戻り、自転車を借りて、二人でいざ出発。昨日も書いたけれど、今日はアルミ缶拾いを同行取材することにした。鈴木さんは何時に誰がどこに空き缶を出すのかまでしっかり分かっていて、それを考えながら自転車を縦横無尽ではなく、計算に計算を重ねこいで行く。あっぱれだった。結局二人で2時間半で8キロ分の空き缶を拾う。もう鈴木さんのことを分かっている掃除のおばちゃんが空き缶をあげる姿などはまるでナイロビであった。新しい発見。見に来て良かった。9時半に家に戻ってきて、地震EXPOについての話し。この前とは一転、今度はちょっと新しい家を作るというのはしんどそうだ。でもとにかくここは鈴木さんの意思に任せるしかないので、今日は買出しと製作を中止する。そして、ぎりぎりの4月3、4日にかけて製作することに決まった。今日は僕も酒を飲まずに真っすぐ家に帰ってくる。そして、他の展示物についての考察。韮饅頭、水菜とキャベツのサラダ。南瓜。それをしっかり撮影。恥ずかしい。弓長さんと今後の打ち合わせ。地震EXPOをメインに持って行こうとしているようだ。もう近いのに、まだ何も出来上がっていない。他にもやることが目白押しでちょっと焦り気味の僕であるが、今までそうやってきた。今回もまた大丈夫だろう。午後7時から10時まで3時間撮影して、弓長さんは帰る。とにかく一つ一つ終らせていこう。

2007年3月25日(日)

 今日は昼過ぎまで寝る。久々の長い睡眠で気持ちいい。ゴッホの手紙を読みながら、寝ながら、読みながらまた寝る。ゴッホは本当に自分が描いているものを理解しながら、確信に包まれて描いていたのではないか。読んでいると自分の仕事を本当に楽しんで描いているように見える。勿論、絵は売れないのだからテオからの仕送りだけで生活は困窮しているのだが、自分独自の仕事だけを続けている充実感というのが文面から伝わってくる。昼前の光に幸福を感じているテオ宛の手紙は読んでいて清々しい。
 ふうとふうの母さんが家に帰ってくる。三人でルクールピュのケーキで紅茶を飲む。まだ寝ぼけている。その後、ナモさんの八百屋で、無農薬キャベツと南瓜、水を購入。西友で鰤を買う。今日は鰤鍋を作ることにした。夜、ノブが西荻に来る。今日はノブがふうのために作ってくれているウェディングドレスの完成披露会。イイ感じに出来上がっているようだ。本当にありがたい。こういうのはホント手作りが一番いい。店で見てもクリエイティブなものはなかなかない。ノブに感謝である。皆で鰤鍋を食べる。うまい。今日は鰤うどん鍋に近い。うどんをたっぷり入れた。熊本の醤酢に大根おろしを入れて、七味唐辛子、山椒、黒こしょうを入れたツユにつけて食べる。今日は薬局でビタミンCを買ってきた。これは粉末状の純粋ビタミンCで、これを風呂の中に1g入れるとそれだけで中和され、塩素がなくなり、お湯が柔らかくなる。アトピー対策の第一弾でちょっと試してみる。これは予想を超えていい。お湯が本当に変わる。これだと、一回10円ぐらいのコストで済む。病院で売っているアトピー用の入浴剤よりも安く、純粋だ。ちょっとこれを試してみよう。と、最近はアトピーに興味が向かっている。でもこれは本当に情報が錯綜していて難しいのだ。明日は鈴木さんと一緒にアルミ缶を拾いに行く日。午前7時に浅草集合なので早く寝らねば。

2007年3月24日(土)

 怜クンと新宿で会う。熊本からまた出張でやってきた。一緒にそのまま横浜へ。今日はZAIMのオープニング。展示を見に行く。途中で横浜日仏会館の館長フィリップと横浜市観光交流推進課の小林さん、そしてタイ人のダンスディレクターTUAと偶然に会う。僕たちの展示も見てくれたようだ。かなり気に入ってもらったようで、いくつかの仕事のプランを聞く。かなり面白そうなものだ。しかもナイロビで作った自転車に興味を持ってもらっているようで、それを横浜でも作ってくれという依頼だった。僕の新しい仕事も方もこういう動きを見せてくれると嬉しいし、楽しみだ。そして展示室である、ZAIM別館の404号室に行き、僕たちの展示を見る。客観的にはあまり言えないが、それでもまぁまぁ良いのではないか。いい空間に仕上がっていた。ヒコちゃんと岸さんががんばってくれたようだ。ありがたい。今度はここで、3月30日の午後6時からトークショーを行う予定である。
 その後、雨が降ってきたが歩いて近くの横浜BankART1929に行く。旧横浜銀行を改装した空間で、かなり良かった。ここで僕は4月30日(祝)に午後2時から建築家の宮本佳明さんとみかんぐみの曽我部さんとトークショーをする。これ楽しみである。いきなりモチベーションが高まる。そして、そこから歩いて赤れんが倉庫の方に向かい、今度は僕が地震EXPOで展示することになっている展示会場BankART NYKという倉庫を改装したスペースへ。ここが海の隣にあり、まるでニューヨークで、すごい。エントランスもいい。中を拝見すると、すぐ今回の地震EXPOの主催者であるプラス・アーツの百田さんと偶然に会う。横浜は偶然に会うことが多いな。で、図面を渡されてそれを見ながら僕の配置された現場を見る。凄くいい場所を割り当てられているよ。これ大丈夫かな?ちょっと緊張する。曽我部さんに電話する。がんばりましょうと激励される。その後関内駅近くの変なロック酒場で怜クンハイネケン。
 今日は夜は西荻に親父が来る。二人でバルタザールへ。魚定食と唐揚げ定食とハートランド。途中から亮太も参加。今日は最近の疲れもたまっていたので、親父も退職のため、連日送別会が開かれているようで、ほどほどで帰宅。バルタザールのオーナー、ナモさんから「えっ、熊本なの?」と言われる。なんとナモさんも熊本出身だった。やっぱりここは九州だったか。なんとなくほっとする。西荻の精神的ランドマークの店が熊本なんだもんな。東京の九州的な場所なのかもしれない。堤さんもしかり、最近は九州バイブレーションですな。
 原さんからメール。バーゼルのSwiss Architecture Museumはかなり凄いところらしい。これはチャンスだから条件が合えば、絶対参加した方がいいとのこと。これは楽しみだ。バーゼルに行きたい。でも6月9日は、バンフの10日前だからもしも行くことになると相当タイトなスケジュールになる。どうなるか。そこまで条件がいいのかバーゼルの件はどうなのか気になるところである。でもとうとうヨーロッパに0円ハウスで乗り込むことになる。それはとても面白くなりそうだ。

2007年3月23日(金)

 ハザマ宅へ。今日はハザマの従兄弟の来年から大学生になるショウが遊びに来ていて、ハザマがぜひ会わせたいと言っていたので、会いにいく。ショウは今年から大分大学で芸術系の学科を専攻するようだ。彼は、右脳の働きと、肉体の同時進行作業に興味を持っているといった。矛盾に興味を持っている。これはおもしろいと思った。僕が高校生の時はやはり答えなるものに反抗はしていたが、恐れを感じていた。矛盾自体を自分の中ではコンプレックスを感じて生きていた。でも彼は違う。その矛盾のただ中で、それでも意識して生活をする事で、さらに、様々な問題を同時に解決しようとすることで、一瞬無重力状態が起こり、自分の真の力を発揮できると考えている。非常に現代的な思考であると思った。こちらもちょっと本気になる。いやこれはちょっとビックリした。そうである、その矛盾を受け入れる場所こそ、オリジナリティだとボクは思っている。それは個性とか芸風とはちょっと違う性質のものだ。その後、お決まりの桔梗でつけ麺食べながらもまたその辺の話。おかげで、僕もまた最近置いていた思考が再び戻ってきた。すげーな18歳。
 家に帰るとメールが届いていて、SWISSのBASELにある建築美術館のDIRECTORのFRANCESCAからで、6月9日から3ヶ月間開催される「INSTANT URBANISM」という展覧会に出品依頼。6月22日から開催されるバンフの展覧会で現在もめている中での変なタイミングでの依頼。まずは詳細を知らせてほしいとのメールを返す。これはまたなにか動くな。何か予感がする。websiteのトップページのデザインが気持ちよく好感が持てる。

2007年3月22日(木)

 横浜は関内のZAIMへ。今日は展覧会の展示の日。展示場に行ってみると、まだ何もできていない。とにかく僕は自分の展示に集中する。ヒコちゃんと一緒にする。途中、このイベントの主宰者であるビアンカさんと話す。彼女は久々に会うエネルギー全開の人間で嬉しくなった。展示の方は無事終ったのだが、今回は僕だけの展示だけでなく、それらを会わせて考えたかったのだが、準備が遅れており、なかなか難しかった。

2007年3月21日(水)

 展示用の作業。無事完成する。原さんにカナダのセンターAで行われるオークションへの参加を求められる。僕は立体読書の江戸川乱歩のスケッチを出品する事にした。どんなコレクターの手に渡るのか楽しみでもある。ケイちゃんより電話。そろそろスペクテイターの季節が始まろうとしている。今回は立体読書第4回目とさらに、移動式住居について5、6ページ書いてくれないかという依頼。これは僕が書きたい事でもあったので話しに乗る事にした。4月は執筆もあるのだが、それ以外も仕事が色々入り込んでいる。キチンとできるか、でもどんどんやっていきたいのだ。ふうが豚汁とかぼちゃのサラダと、納豆、エリンギと豚肉の青唐辛子味噌炒めを作ってくれる。

2007年3月20日(火)

 カナダのアンソニーからメールがあり、今度のカナダはバンフで行われるInformal architectureという展覧会の事でちょっと変なことが起きていて、びっくり。やっぱり英語で仕事のやり取りをするのは難しい。原さんも心配してくれてメールをくれる。でもこれは譲ってはいけない。自分の意見を論理的にきちんと伝えていかなくてはいけない。怒りそうな心をしずめよう。こんな事もあるさ。でもそうやってマックと付き合うと、どうも調子が悪い。やっぱりコンピューターは人の怒りを感知する。不思議な機会だ。
 午後7時に東中野の酒亭「らく」にふうと行く。現地でゼロックスの宇田川さんと待ち合わせていた。今日は西荻会の出張。今日は東中野篇。ここの「らく」は僕が一度行って夢の世界に入ってしまい、その感動が忘れられず、僕が行きたいとこの前の西荻会の時に言ったのがキッカケで行くことになった。ココは日本の近海で捕れた魚を中心に出す。マグロはないのだ。そのこだわりが気持ちいい。まずは瓶麦酒で乾杯。まずは刺身の盛り合わせ。赤貝、とり貝、寒ブリは脂ののった背のところと腹の二種類。ホタテは身のところ以外に「ひも」と肝、あとは「そい」という食べた事がない、深いところに棲息している魚。こりこりしている。全部無茶苦茶うまいのよ。またあの感動が戻ってくる。ふうもビックリしている。その後、マスター得意の煮物登場。ふき、海老芋、たけのこ。たけのこはなんとまず揚げている。そして、それを煮るのだそうだ。そうする事で甘さが際立つらしい。とにかうまい。味はそんなに濃くないのに味がしっかりついている。僕と宇田川さんは福島の濁り酒に移る。最後の二杯だったらしく、ヨーグルトみたいにドロドロ。これがまた美味い。僕が酸っぱくなく、まろやか飲みやすい。そうこうしていると、鰤のカマの照り焼きが現れた。付け合わせにイワシの南蛮漬け。このカマが信じられん位美味い。宇田川さん教えてくれてありがとうございます。そして、僕たち勿論ここでは芋焼酎「風譚」。イワシの南蛮漬けがうまくて、単品で頼む。さらに山葵の花を頼む。空豆も出てきた。風譚が美味い。宇田川さんの家には時期によってはこの風譚の原酒35度がる。焼酎は進む。知らない間に一本空いていた。次は天ぷらと言って、いわゆるこっちの天ぷらではなくて、九州でいうところの天ぷら、魚の白身を平たくして焼いたもの。これも出てきた。薄ーくて美味い。さらにまるごと椎茸の傘の裏側に魚の白身のすり身を乗っけて和風グラタンみたいにしたものが出てきた。これがまた絶品。とにかく食べた事がない凄いもの、でも素朴な料理がどんどん出てくる。全部素朴なのだ。それがまたいい。水茄子も丸ごと出てきて辛子醤油で食べる。その頃、亮太が遅れて参加する。そして、カレイの煮おろしが出てくる。これは揚げたカレイに大根おろしと出汁を煮込んだもの。これがまた美味い。こればっかりだな。そして、最後に鰤大根が出てきた。もう風譚も二本目も進んで、完全に酔っ払った。12時過ぎに店を出る。帰ってバタンキュー。この最近の宇田川さんとの会合は舌の訓練になる。今日も宇田川さんにごちそうになってしまった。いかん。今度はこちらから何かしたいと思う。ありがとうございました。

2007年3月19日(月)

 午前9時に起床。そのまますぐ準備して、新宿の世界堂へ。今日は、今週末に始まる横浜ZAIMというアートスペースで3月24日から1週間開催されるフェスティバルの中で展示される作品の製作。僕のEXHIBITIONは横浜ZAIMの別館402号室で行われるWONDERLANDSCAPE VOL.00というもので、ヒコちゃんが企画をしている。僕以外にも、カツラ建築(?)の展示など、面白そうな展示になりそうである。僕は、DIG-ITALとナイロビ自転車のポスター、0円ハウスの図面、立体読書、そして料亭の家の写真の5点を出品予定。この詳細はトップページで紹介します。世界堂で、木製フレームと段ボールを購入し早速家に帰って作成。勢いで4点完成。あとは0円ハウスの図面を額装するのみ。
 12時に家を出て、神田まで中央線、そこから銀座線で浅草へ。今日も鈴木さんの家へ。来月の地震EXPOに鈴木さんの家を出品しようと思っているので、その旨を話し、鈴木さんの意見も伺う。鈴木さんはのってくれている。それで、新しくもう一軒作ってもらう事にした。僕は鈴木さんの家を博物館などに保存する事はできないものかと思っている。現に、アメリカのスミソニアン博物館の学芸員は非常に0円ハウスに興味を持っていた。人類学的にも非常に重要な資料だと彼女は言っていた。そのへんの僕が思っていることも全て話す。彼は僕の話を全て聞いてくれる。その理由を今日聞かされてビックリした。彼は今年の正月に夢を見たらしい。それは自分のやっているこの生活を認めてくれる人が現れるというものだったらしい。そしたら、僕が来たと。そういう意味で彼が僕に協力してくれているのである。僕もきちんとこの生活を調べようと思った。僕も路上に何かがある、僕が探していたものがあると直感だけを頼ってきた。そして、出会ったのだ。この二人の偶然と直感を信じてみようじゃないかと、僕は次の打ち合わせの事も気にしながらではあるが、でもやっぱりここは、、。焼酎を4杯ストレートで頂く。
 その後、浅草から上野で乗り換えて京浜東北線で品川へ。途中で隣に座っていたアフリカ人に声をかける。彼はジャクソンという人で、今はアムステルダムでドレッドグッズを売っているらしい。アフリカについて熱く語る。品川で彼は京急線にのって羽田に向かった。今日は以前、興味を持っているとメールを頂いた、映画監督の堤幸彦さんとクレッシェンド副社長神さんと初対面。のっけから話しは盛り上がる。九州トークも入ってくる。やっぱそうか、九州なのか。僕のAERAの原稿を気に入ってくれて、そこから映画ができないと考えてくれているようだ。その雑誌の記事から映画という発想の転換に僕はクリエイティブを感じる。何かが起きるような気がしている。鈴木さんにも伝えた。とにかくみんなが考えている事をひっくり返せるような事を、そして、将来の生活の仕方について何らか投げかけられないか、僕もまだ定まってはいないが、大分、その深い霧は明るみだした。堤さんは気さくで、気合いが入っている、やっぱり九州の血だ。作りたいものの話しを伺っても、こっちが武者震いした。気合い入っているなぁ。凄いな。これは面白い事が始まるかもしれない。今度、一緒に鈴木さんのところを訪ねようと約束を交わす。
 夕食は、ナモさんのところのバリウマ豚肉を使った生姜焼き、味噌汁、玄米、ざる讃岐うどん、伊予柑、新ジャガのオリーブオイル炒め。ふうのアトピーについて調べもの。これは家族全体で治さんといかんのかも。調べても調べてもどうやったら治るのかは分からんようだ。しかし、いくつか対策法を知る。実行してみよう。

2007年3月18日(日)

 朝は11時に起きる。今日はホットケーキが無性に食べたくなって、焼く。ふうはホットケーキを無茶苦茶美味く焼く。ホットケーキはうまく焼くとほんと無茶苦茶美味い。焼き方にムラがあると駄目なのだ。その後、ぼーっとする。最近ぼーっとしてないので、ぼーっとする。吉祥寺に遊びに行く。ROUNDABOUTに行く。兵庫県のアクセサリーと無茶苦茶かっこいいバックを作っている作家のバックをふう購入。この店のセレクトは、現代版ホールアースカタログの感あり。素晴らしい店と素晴らしい店主。この人といつか何か一緒にしたいなぁと漠然と思った。大体漠然と思う事は叶ってしまう運命にあるのだ。その後、カプチーノが飲みたくなったので、スターバックスへ入る。美味しいエスプレッソを気軽に飲めた、パリを思い出す。ああいう適当に美味いのを飲みたい。カフェっぽいとこで飲みたくない。適当な煙草がポイと店の中に捨てられているところで飲みたい。なんかうまく言えんけど。今日はかき揚げは作らずに買ってきて、熊本から送ってもらった蕎麦を食べる。ぼーっとする。オノ・ヨーコのダンスミュージックを聞く。Walking on the thin ice。オノ・ヨーコすげーな。

2007年3月17日(土)

 亮太が遊びに来る。いっぱいCDを持ってくる。そして、最近僕がハマっているインターネットラジオを聞きながら会食。玄米、味噌汁、豆腐サラダ、鯖の醤油みりん焼き、ひじきの卵焼き。亮太がKIRINからでた無濾過生ビールシリーズを買ってきてくれる。久々の音楽会食。僕の思考も最近また音楽と同時進行していく事が多くなってきている。デビットバーンラジオで今特集しているのが、ずばりPOPというテーマで、それ何を意味しているか言葉では説明が難しいが、感じることはできる。僕が昔ビートルズを聴いていた時に起きた、「ホワイトアルバム」を始めて聞いた時に感じた「なんやこれ?」という違和感。これが今でも僕の中でなんなのだろうと解明できずに残る。しかもそれは違和感であるにもかかわらず、僕には新しい近くの入口だから一生付き合えという頭の中からの指令が下されている。そして、時間を経て,今はむしろそれは違和感から快感へと変貌を遂げている。そんな話をする。Lispectorというパリ人の女の子の個人ラジオが面白い。無茶苦茶素晴らしい選曲である。亮太と最近の僕の仕事についても話す。そして、一つ発見する。これは面白くなりそうだ。家にある、佐々木さんにもらった相当年代物のバーボンを飲む。足りずにそのまま亮太と外出し、近所のBAR,「After Glow」へ。勿論PERNOストレート、亮太はトニック割り。ここはそこまでこだわりじゃないけど、お通しが無茶苦茶美味いし(奥でお母さんが肴を作っている。)、音楽がもっといいと最高なのであるが。で、二軒目行こうと思うが、なかなか西荻では難しい。家に帰って讃岐焼うどんを作る。美味。そのまま寝る。

2007年3月16日(金)

 鈴木さんの言葉が今でも引っかかっている。「隅田川追い出されても、追い出されんでもどっちでもいいや。追い出されたら、長年温め続けている計画をいよいよ実行できるのだ。それは、今持っているリアカーの上に住宅を作って、自転車で引っ張りまくって日本を一周するのだ。どんな状態に陥ろうと俺は生きていけるのだ。」それを意地はったり、勢いや、怒りで言っているのでもなく、何となく楽しそうな武者震いにも似たような、前向きなエネルギーで言っていたのだ。人は動いているときは、世間体がない。そりゃそうだいつもストレンジャーだもん。僕にはそういう人がそのうち何人か現れて、新宿付近にも10台ぐらいリアカー住居が動いていおるんじゃなかろうかと思えてきた。鈴木さんと話していたら、いつも僕が励まされ、楽しまされ。前向きになっていくのがわかる。生活に対して、非常にポジティヴなのだ。これはこれからの生活にとって非常に大切な要素であると実感すると同時に、僕にはあのよく分からずに突っ走っていた学生時代の時に、突如「やったれ!!」と興奮状態に陥り、ヒッチハイクや0円インド旅行を敢行してきた自分の精神状態が、その鈴木さんのリアカーで家を引っ張ってやる!という武者震いに似ていて、何らかの新しい生活に対する姿勢を出そうとしていたのかと今頃になって分かった。それはとても嬉しかったし、一直製に繋がっているのだともう一回思えた。酒を飲みにいくが、そのことが頭の中をよぎり、全く酔っ払わない。あの、人が軌道に乗っている宇宙船のような毎日の生活をぶち壊そうとする衝動が起こる瞬間に、可能性を感じ、日常が武者震いの日々に変わっていく、ロシアの科学者が発明した、ビッグバンのようなエネルギーは生活の一部なのだ。そして、それもまた加速が馴染むと、新しい軌道へと変化していく。僕はさらにそのビッグバンの構造を日頃の日常の中にも小さいスケールで表れていると思っている。その日常の中にも軌道があり、それをぶち壊そうとするエネルギーがある。James Taylorというシンガーソングライターはそこに気づいていると思っている。たまたま彼の曲を聞きながら書いていたら、最後はこうなってしまった。何が起きてもうまくいくのだ。あとは、自分の許容範囲が広いという自覚を身を以て体験しようと思うだけでいいのだ。

2007年3月15日(木)

 大学の同級生の上野の母さんの家に遊びに行く。久しぶりに遊びに行く。上野の母ちゃんは、貧乏な僕らにいつも飯を食べさせてくれた。今日は上野は台湾に仕事でいるので、僕だけ。まぁそれでも全然違和感無いのだ。おばちゃんもしっかり料理を準備してくれていた。ありがたい。今日もごちそうになる。手みやげに巴堂の草餅とうぐいす餅を持っていく。チキンカツ、ひじきの煮物、マグロとアボガドの和え物、サーモンのマリネ、大根の味噌汁。てんこ盛りであった。麦酒も頂く。ココ最近の僕の近況などを話し合う。しかし、次第に話し合うどころでなくなり、語り合う。僕も熱くなり、いつもよりまたヒートアップする。上野の母ちゃんも笑っていた。あなたたちは、就職もしない変な人ばっかりだから楽しみ、と言っていた。僕らは早稲田の建築学科の同級生。僕らは一体これからどうなるんだろう。まぁそんなこと今更気にしてもしょうがないが、楽しみな奴らはたくさんいるのだ。曽我部さんからメールがあり、今日どこかの大学の講評会で僕の師匠の石山さんと会い、僕の話をしたら「昔の早稲田には、ああいうカラーのやつがいたもんだ」と言っていたそうだ。どういう流れで言ったのかはわからんが、そんなこと言ってくれて、すばらしいじゃないかと興奮した。なんか今日は懐かしくも、あの頃馬鹿だったのを絶対忘れてたまるか、と誰に向かってというわけではなく、自分に怒った。あの時毎日感じてた違和感がいまだに僕の中に消えていない事に最近また焦点が合ってきた。いまだに違和感があるのだ。でも、それをなぜか消していこうとは今は全く思わないのだ。そんなのくっついたままでもええ。でも鳥の眼でだけで、自分を見てもつまらん。自分自身しか見えていないときでもいいのだと。そんなよくわからん、自己中心的な考えと、鳥の眼と、違和感と、何もかんもが、ぐるぐる回転しているのが自分か、それならそれでいいよ、と武者震いした。

2007年3月14日(水)

 午前0時30分に弓長さんと浅草駅銀座線改札で待ち合わせ。少し眠い。ちょっと早すぎるので浅草の24時間OPENのマクドナルドで珈琲を飲みながら今日の打ち合わせ。1時30分くらいに鈴木さんのところに着く。早く来たので、まだ準備は始まっていなかった。しかし、鈴木さんは乾杯をしようとする。大丈夫かなと思ったのだけど、ついつい乾杯する。それで、ついつい飲み過ぎて、3時に始める予定が5時半にまで伸びてしまった。これはいかんということで、そこからスパートかけて、まず荷物をまとめる。毎月引っ越ししていることと全く同じ事だ。これは大変な作業である。しかも、家さえも一階完全に壊して、また立て直すのだから引っ越しよりもさらに大変である。全ての荷物を隅田川沿岸から、堤防の上にあげる作業。これがしんどい。これを力仕事は普段は鈴木さん一人でやっている。ちょっと考えられない。家も壁を4つのパーツに分けて、そのまま上にあげる。8時半に終了。3時間かかった。ぼくと弓長さんはちょっと席を外し、小休憩。10時半にまた帰ってきて、今度は建設省が掃除をした後に、元の場所に家を建て直す作業。鈴木さんの家を0から全て見る子tが出来た。家ができる過程をここまで詳細に見たのは始めてかもしれない。自分でも作りたいと欲望が高まる。3時に作業終了。午前5時から午後3時。10時間の大仕事である。弓長さんは先に帰る。僕と鈴木さんとみっちゃんの3人で焼酎と熊本ラーメンで乾杯。ストレートで3杯飲んだら、疲れと寝不足で知らない間に僕と鈴木さんは寝ていた。6時半に気づいて家に帰る。撮影に関して、鈴木さんと話し合う。それよりもやっぱり僕がペンと紙だけでスケッチとインタビューをしていく方法の方がやはりいい。とりあえずそれに集中する事を決める。
 家に帰ってきて、ふうが飯を作ってくれていた。玄米、味噌汁、三陸直送わかめ(これがうまい)とナモさんところの最高のニンジンのサラダ。グレープフルーツ、魚久の、鯖と烏賊の粕漬け。豚肉とチンゲンサイの青唐辛子味噌炒め。かぼちゃの煮物。

2007年3月13日(火)

 TOWER RECORDSでFeistの「Let it Die」購入。これはいい。カナダ人のシンガーソングライター。ジョニミッチェルとオーケストラのセッションのような音楽。小さな音楽が大きな空間まで包括している感覚を抱く。文章書こう思うと音楽したくなる。なぜかいつもこういう相反する衝動に驚く。今日は鈴木さんの月に一度の隅田川一時撤去の日。午後5時に家に帰ってきて、そのまま7時から10時まで仮眠を取る。そして、終電で浅草へ。

2007年3月12日(月)

 午前中パソコン作業。Hotmailは諦め、新しいメールでやる事に。その修復作業。昼過ぎに外出。晴れて気持ちがいい。神田から銀座線で浅草へ。今日は弓長さんと鈴木さんの家にいく日。今日が撮影の初日である。弓長さん一緒に歩き出して、すぐにカメラを取り出し、回し始める。まぁあんまり気にせずやりましょう。鈴木さんの家にいく。鈴木さんビックリしたが、とにかく色々話し始める。今日は麦酒と熊本ラーメンを差し入れる。話は今日も色んなところに盛り上がりを見せ、弓長さんも3時間ぐらいぶっとうしで撮影していた。鈴木さんの夢みたいなものも登場してきた。これはすごいぞ。1時から4時半までみっちり話し合う。明日の深夜から毎月の行事である、一時撤去、通称「刈り込み」が始まる。それにも僕と弓長さんは参加する事にしたので、また14日の午前1時に会う約束を交わす。よくここまで鈴木さんもつきあってくれる。感謝である。そのまま、弓長さんとボクの家まで行き、家の中も撮影される。飯を作ってごちそうする。もちろんここも。で、また話していたら盛り上がってきた。ほんと、俺は話すのが何よりも好きだなと、諦める。その後、ふうも帰ってきて、ふうも撮影。もうこうなったら、とにかくやってみよう。弓長さんとはいいコミュニケーションが取れている。彼と映画について色々語り合う。松本俊夫のアヴァンギャルドとドキュメンタリーの本を弓長さんに貸す。僕の方からも押し上げていきたいと思う。
 その後、ふうと二人でバルタザールへ。今日はタコライスを注文。その後、それいゆで、いつものチーズスコーンを食べていたら、隣から声がかかる。見ると、「のらぼう」の店員の人だ。喋る。のらぼうにも最近行ってないので行かないと。明日の夜はまた鈴木さんの所だ。いよいよ始まってきたな。

2007年3月11日(日)

 お昼過ぎに古河林業へ。井田と打ち合わせ。今日は、古河林業の他の社員の方達とも面会。彼らが今回の珍しい催しにどうい考え持っているのか聞いてみるのが目的だ。その前に、井田が入稿してくれていた、今回のトークショーのポスターが出来上がる。またまたA!サイズのデカイポスター。素晴らしい出来映え。井田サンキュ。これを見てから僕としても俄然やる気が高まった。それは他の社員の方達もそうだといいのだが。昼食は今井さんと井田とボクと三人で食べ、その中で、色々議論をする。今井さんも面白い事を考えている人でほっとした。これはいけるかもしれん。その後、川隅さんという設計もやっている人とも話す。彼とは議論がヒートアップし、最終的には川隅さんは「なんだか、この話大学時代にやった事ありました。それを思い出しました。」と言われた。そうなんです。僕はまだあの議論していた頃のままなんです、と。彼も盛り上がり、将来やりたいと思っている事などをたくさん話してもらった。いやー先日の美学校の講義が役に立ったような気がした。なんというか、これからはもっと自分の中から何かを出していくだけでなく、人からどんどん引き出そうとこの間ふと直感したのでした。それを受けての今回。皆がやる気が無茶苦茶あるのが感じられた。これはたくさん宣伝して、たくさんの人に来てもらえるように気合いを入れよう。井田も喜んでいたようだ。
 その後、ふうと一緒に吉祥寺のROUNDABOUTに行く。ふうはバッグを買いたいらしい。色々物色している。帰ってきてからはふうが作り置きしておいたミートソースを使い、ボロネーゼスパゲッティを作る。それにベーコンときざみホウレン草のスープ、吉祥寺駅の地下で買ってきた、黒豚のソテー、肉じゃがコロッケを食べる。Hotmailがなぜか僕のパソコンから見れなくなるトラブル。その処理でたくさんの時間奪われる。パソコンに怒ってしますと、パソコンの思う通りになるのは分かっているが、怒ってしまう。そうするもっパソコンはうまくいかないように仕向けるのだ。しょうがない、寝よう。

2007年3月10日(土)

 新宿コパボウルで、ボーリング。坂本さん、小野氏、僕とヨネ。結局7ゲームして、アベレージ148のハイスコア173。そこから飛び越えがない。坂本さん、190台を二回出し,アベレージ165。疲れて、帰ってそのまま寝る。最近女性シンガーが気になっている。カナダ人のFeistとイギリス人のLilly Allenもそうだ。FeistのMushaboomとLilly AllenはSmileだ。全く知らなかったが、聴いていると何か嬉しくなってきた。なんというかこれからはこういう曲が人のところにキチンと届いていくのだろうという漠然としたものではあるが、確信。この二つは僕は聴きやすいが、非常に複雑な感覚の曲だと思う。Lilly Allenはスリッツみたいなんだよな。小倉さんから、フランスの展覧会の話。カナダの原さんからはセンターAのチャリティーオークションに僕のを出品したいとの依頼。

2007年3月9日(金)

 午後6時に東高円寺駅からパラグローウ゛に行き、伊丹さん、ゲンサン、小倉さんと会う。今日は美学校で講義なのでそこから車で神保町まで向かう。7時に着く。美学校に着くと、なんだか見た事のある人が。高校の同級生の衛藤だ。卒業以来ぶりに会う.昨日たまたまホームページを見たらしく、来たらしい。その勢いに参る。今は熊本の野菜をネットで販売する会社を立ち上げているようだ。元気な女性である。何と,僕たちが最近注目をしている幣立神宮の近くの水を使ったお米なども取り扱っているらしい。彼女は最終的には完全自給自足の生活を求めているようだ。そのために今は食に注目し、感性のある素晴らしい農家に会い続けているのだといった。熊本人いいね。そうこうするうちに講義がスタート。プロジェクターがうまくいかず、なんと僕のパソコンの画面を直接見せながらの講義。こういうハプニングがまた新しい軌道への加速へと繋がる。聞いている人は、8人。この美学校は、従来の学校というイメージというよりは、僕が最近気になっている明治頃のたまり場に似ている。ほんとそれぐらいのピンポイントの人のための学校。とにかく僕の事を話していくと、いつも僕は曖昧な世界に入っていく。そして、僕の矛盾に僕自身が無茶苦茶になる。そして、みんなはそれを見ている。これは面白い事でもあるのだ。僕はどんどんドロドロしていき、本当に僕が感じたい事を言葉ではなくて、体から漏れ出てくるもので出していく。今日面白かったのが、本当にそういう講義になったことだ。いつもは拡散していくのだけど、ある程度最終的にはまとまっていく。しかし、今回は聞いている人も拡散していき、最後は全員で曖昧な世界を共有していような不思議な空間が出来上がった。みんな解き明かそうとしているのではなくて、感じようとしてるのだろう。とても不思議な講義。その後、近くの居酒屋で藤川校長も参加して10人で飲みにいく。

2007年3月8日(木)

 ハザマの家に行く。今後の事を色々と話す。最近は本当に面白い状況になってきているので、ハザマも興奮していた。そして、僕たち二人に共通する事は、「思うようになる」ということなので、今後もどんどんやっていこうじゃないかと。これをしないほうがいいという思考が全く無い。それを超える可能性がある、面白い事をどんどんやっていこうという話に必ずなっていく。ここまで、楽観的思考で話し続ける事が出来る人間は他にはいない。それは分かるけど、そこまでやっては、、、。という感覚がない。そこまで分かっているんだったら、感じているんだったら、おそらく後は、やりさえすればいい。そうすると必ず思った通りになる。僕の場合、それが成功かどうかはむしろ関係ない。僕の場合成功というものはないからだ。常に面白くなればなるほど、あたらしい難しい議題が出てくるからだ。でもそのラッキー思考はその議題を喜ぶ。子供の時に似ている。僕が最近思うのは本当に小学校ぐらいの頃に戻っているという事だ。勿論やっている事は全く関係ないのだが、思考自体は問題自体と戯れているような気がする。面白すぎてたまらんのだ。ハザマとリツコと麦酒で乾杯。そして、その後僕がウィスキーにハマっているので、しかもラフロイグが好きなので、ハザマの好きなアイラ島のラフロイグとはまた違ったウィスキーを出してくれた。LAGAVULIN。これはラフロイグよりもまろやかタイプ。ジャケットも勿論かっこよく。飲み進む。その後、やっぱり桔梗に行く。しかもリツコがごちそうしてくれた。無茶苦茶食べた。この三人軍団も勢いを増してきた。なんかまたそのうち大変なことが起きそうな気がする。ごちそうさまでした。

2007年3月7日(水)

 4月一杯で「0円生活の方法」を書上げる目標を立てる。原稿用紙250枚が目安だ。そのために4月は生活費のための仕事を完全にやめ、執筆にとにかく集中してみようと計画を立てる。こういうのは長く伸ばしたら僕の場合駄目なので、完全に集中させて完成させる方がいい。小林額縁から電話。額縁追加分が出来たようだ。そのついでに「最近はどうだ?」と小林さんから訪ねてくる。「なんか色々ぐるぐる動こうとしているようです。」と話すと、「そうだと思っていた。」と小林さんは言った。そして、すぐ仕事に戻り、「いつでもいいから取りたい時に取りにきなさい。」と言った。小林さんは不思議な人である。でもいつも励まされる。家に帰ってきて、やらなきゃいかん事はあるが、ぼうっとする。ゴッホの手紙(中)を読む。やっぱりこういうのは覗き見なんだけど、覗いてしまう。で、僕が覗いてしまうところは、この人は果たして、その当時から確信を持っていたかということだ。ゴッホは○だ。この人はこの時からずっと変わらずに画家ゴッホの状態でいたように感じれる。売れるとか売れないとか本物とかニセモノとか関係なく、自分は変わらないでいれる。そこが僕にとっては一番見ちゃうところだ。ゴッホが弟に手紙を書くというのと、僕が色々する前にいつも弟にとにかく話して、反応を見るのとは、勿論全然違うだろうが、気になる。夕食は、神戸屋キッチンの無花果と胡桃のパンに、昨日の作り置き皮付き新じゃがいもの肉じゃが、そして、菜の花の青唐辛子味噌炒め。甘ーいパンと肉じゃが。でも美味かった。
 ネガティヴとポジティヴについて考える。でもその二つは相反するものではないのだろう。しかし、人間の頭ではそれを相反するものとしか捉えきれない。やっぱり、僕はポジティヴなモノの考え方でどうにか自分の体を動かしてきたと思っている。これをやりたいと思っていないのであれば、現在では一貫した考えに沿ってなくとも、僕の場合ではGOである。そしてある事項についても、こうあってはいけないとなるのではなく、こうあったら凄いかもしれないという思考から始まる事が多い。しかし、それは批評も何もしないで、なんでもいいというわけではないわけで、その「いける」と思っている瞬間にはネガとポジが両極の状態ではなく同じ空間に幾つも散らばっている状態であるように感じられる。そのバランス感覚とは一体ナンなのだろうかと考えた。そして、「それは駄目である。」とだけ言っているときにはその散らばっている空間は存在していないように感じられる。写真のネガは日常の空間ではただのネガであるが、暗室の中ではそれはポジの世界の入り口でもあるわけで、そのことと日本のパブリックとプライベートの空間の曖昧さにも通じるのではないか。今日は電話で少し長めのディスカッション。夜はゆっくり読書。

2007年3月6日(火)

 朝9時に起床。執筆。午後1時に浅草駅で弓長さんと待ち合わせ。ここの東武線と銀座線の乗換え口は不思議な空間。熊本のバスセンターの地下街と似た臭い。旅の空気が充満している。闇市の香りも。まず酒屋で僕の好きな黒霧島を買って、隅田川へ歩いていく。鈴木さんはちょうどお昼を食べ終えたところだった。弓長さんを紹介する。鈴木さん、僕が連れてきたなら大丈夫だと思ってくれたようで、撮影もオッケーが出た。皆で乾杯。またいろんな貴重な話が出てきた。また、僕がこの家と全く同じものを作るとしたらいくらかかりますかと聞いたら、二万円あれば十分と答えてくれた。僕が作るつもりで、それを4月の展覧会に出品しようと思っている旨を話すと色々相談に乗ってくれて、さらに鈴木さんも新しい家のイメージが固まっている事が分かってきた。それで、僕が「それじゃあ、鈴木さんの家を僕が買うということにして、製作費を渡せば、鈴木さんはその資金で新しい自分が作りたい家をつくれるのでは」と提案したところ、うんと頷いた。これはまた面白くなるかもしれない。僕がいつかやりたいと思っていた、本物の家を作品として買い取るということが実際に出来るかもしれない。どんどん変化していっている。午後4時までしっかり話して、その後浅草駅周辺のエクセシオールで珈琲とパニーニ食べながら、弓長さんと打ち合わせ。ちょうど矢部さんからも電話。今後の話。とにかく書こう。午後7時帰宅、熊本ラーメンのうえに、菜の花と鶏肉としめじを炒めたモノを乗っけて食べる。それにふうの肉じゃが、冷や奴、昨日のスープ。明日からふうは仕事で香港に行く。

2007年3月5日(月)

 11時45分に起床。大将も起きる。それぞれ朝風呂につかった後、「はつね」でラーメン食べに行く。大将は「はつね」のマスターの仕事の丁寧ぶりに驚き,ずっと見ていた。大将を駅まで送りにいく。本当に今回会えたのはよかった。少し経ってから僕も出発する。天気がよくて、気持ちいい。早稲田駅で降りて大和書房に向かう。僕の仕事に興味を持ってくれて話をしにいった。ここまで興味を持ってもらったのは、ある意味初めての体験でもある。編集部の増渕さん、局長の古屋さん二人と話をする。僕がこれまで言おうとしてきたことが、大分人に届いてきているように思える。自分が伝えたい凄い細かいな感覚を聴こうとしてくれているのを感じる。これはどう転ぼうにせよ、可能性が溢れている。編集室からの神田川の眺めが、僕にはこの前行った吉野の風景を思わせ、とても気持ちがよくなった。一時間ほど話したのち、編集室を出る。
 映画監督の堤幸彦さんの所属会社から、AERA記事良かったですとのメール。これにはビックリ。で、一度お会いできませんかとの事。返事を書く。これは何か面白い仕事が動くかもしれない。トリック劇場版2をエミレーツの機内で見てて、この人は「空間」に無茶苦茶興味があるんだな、だからその見えない空間を映像の中に感じさせているから人は堤さんの映像を見ていて気持ちよくなるのか、と感じたばっかりだったのでさらにビックリした。その後、恵比寿に行き、亮太とふうと会い、六本木へ。クミちゃんとこで髪を切ってもらう。また今日も信じられん位いっぱい喋った。このサロンは本当に気持ちいい。家に帰る。タンゴが飲みたいというので、家に呼ぶ。ふうが夕食を作ってくれた。チキンミートソースパスタ、水菜のごまサラダ、菜の花とベーコンのスープ、スウィートパイナップル。スパークリングワインGanciaで乾杯。飲んでいる最中に昔、本を読んで僕のところに会いにきたミキさんから電話。AERA記事良かったですとわざわざ電話かけてきてくれた。泣きましたと言われ、本気でビックリする。なんか嬉しいじゃないですか。読者が直に電話かけてきてくれる。こんな事滅多に味わえません。こう思ってるけど、うまくいかない、そりゃそうだな、でもどうにか変えていきテーな、コンニャロ、と思っている事を真剣にホントやろっと、後押しされた電話だった。今は変わってきている時でもあると思う。本当の事を言えるようになってきているし、それに反応してくれる人も出てきている。これはホントやらないかんですな。

2007年3月4日(日)

 亮太の家で朝10時に起きる。亮太図書館より本を借りる。高山なおみ「たべる しゃべる」、山田一成+佐藤雅彦「やまだ眼」、デビットバーンが影響を受けた「ブッシュオブゴースツ」、泉昌之「芸能グルメストーカー」。で、そのまま家に帰る。天気がよくて気持ちよい。家に帰ると、ふうが飯を作ってくれていた。かき揚げを揚げている。ブランチはかき揚げうどん。昼過ぎに外出。竹橋の東京国立近代美術館へ。ノブも参加してくれくる。今日は柳宗理の展覧会の最終日。しかも今日は無料の日。多くの人で賑わっている。展示はそこまでコンセプチュアルにしてあるわけではなく、そのまんま展示してあるという感じだったがよかった。もう少し、制作過程などが分かるような展示だったらもっと面白かったのになぁーと思いながら,となりのカフェアクアへ行く。ハーブチキンサンドと、オレンジチーズケーキ、スパークリングワイン注文。テラスが気持ちいい。そのまま神楽坂に行く。ノブの家で、ドレスを見せてもらう。ふうのウェディングドレスを今作ってもらっている。初めてみたが、これはいい!やっぱりなんでも手作りで作った方がええな。その後、神楽坂を散策、オーダーメイド革バック屋が新しく出来ていて、入って見る。何か色々話し合う。色んな人がおるね。麦丸で「よもぎつぶあんまんじゅう」を買う。いろんなカフェなどを偵察する。神楽坂といえば、結局やっぱり「くるみ」へ。広島焼きを食べる。
 夜、尾道から大将が西荻に遊びに来る。そのまま、北口の焼き鳥屋「戎」へ。麦酒で乾杯。その後、黒龜ロック二杯、もつ煮込み、手羽先、うまい。大将と色んな話。彼は、僕が19歳の時、原付で熊本から東京に帰る途中に台風に追いつかれ、尾道で寒いからあったまるものを買おうと古着屋に入ったときの、古着屋の店長だ。名前を山根浩揮という。その時は駅裏に一軒の店を持つオーナーだったが、今や彼は8店舗年商4億の社長だ。しかも、会社っぽくなく、そこで働いている若者はみんなエネルギッシュで、僕も憧れる仕事場である。これまで、ずっと二人で無茶苦茶これからやっていこうと切磋琢磨してきた仲。久々の再会に力が入る。大将は最近色々会ったようで、エネルギー全開の僕と会って、「ぶち(very much)うれしい」と言っていた。なんかいつもこういう出会いを不思議に思う。僕はこういう偶然に出会った人の方が友人が多いぐらいだ。そして、その人たちは若かった無名の僕を何も気にする事無く、かわいがってくれ、そして、いつも「すげーなお前」と言っていた。何もしてないのに、、。とにかくエネルギーを浪費していた僕を見て、「そのまま,育てよ」と言っていた。だから今でもみんな同じ感覚で話せる。しかも、それぞれ無茶苦茶成長している。みんななんか変えようとしている。大将はその中でも格別にかっこいい、馬鹿野郎である。
 その後、大将とボクとふうで吉祥寺に行き、尾道知り合いのシンジがやっているニライカナイという沖縄料理屋で飲む。黒珊瑚ロック。シンジは店長。色々出してくれる。イカスミの塩辛、マグロジャーキー、海葡萄、豚のたたき、うまい。こうやって大将と大将の友達と飲んでいるとアフリカを思い出す。人の付き合い方が尾道は本当にいい。高度な文化的生活の技術を持っているとボクは叫んだ。その後、ふうはタクシーで帰宅。僕と大将とシンジで3軒目。ハモニカ横町の親父がやっている、5時までやっている飲み屋。20歳ぐらいの男二人が絡んできたので、そのまま飲みに連れて行く。5人で、熱くなり、語り合った。今20歳の人間は無茶苦茶物事考えているな、すげーと思いながら、負けられんとムキになっている僕と大将がいた。朝4時頃西荻に帰宅。

2007年3月3日(土)

 ひなまつりなんで、ノノカの家で、皆で集合する。美帆が食事を作ってくれた。ノノカはさらに自己主張をするようになってきてきており、自我が完全に芽生えたね、これは。鯛の刺身、唐揚げ、胡瓜の酢の物、ちらし寿司。ノノカは本当によく食べる。食べると、テーブルで大人に混じって参加できるので、ある意味コミュニケーションでもあるのだろう。今日もずっと食べていた(笑)。親父が僕がナイロビのお土産であげた、ゲバラとアフリカの自由戦士が一緒になっている激しいアフリカイエローのTシャツを、ノノカがその黄色さに、熊のプーさんのぬいぐるみの黄色と一緒だったので反応し、プーさんと思っているらしい。ゲバラとプーさんを間違えるノノカ、可能性を感じる。ハートランド麦酒と焼酎は海童。
 夜10時前頃親父と亮太と巣鴨を出る。その後、亮太と二人で中野で飲む。二人とも宇田川さんのおかげでウイスキーにはまってますので、老舗のBar Brickへ。初めて入店する。亮太が気になっていたらしい。昭和のバー。白い制服を着た、バーテンが一昔の感覚がたまらん。僕はラフロイグ10年、ロック。亮太とこれからの事話し合う。こうやって色々話すのは最近はあまりなかったのでよかった。ボウボアロックに移る。最後にペルノー、ストレートのんでいい気分になったところで、外に出る。12時。じゃあ今日は踊ろうという事になって、東高円寺に行き、GRASSROOTSへ。中にはお客さんが3人ぐらいしかいなかった。でも、曲は素晴らしいのばかりかかっている。僕は興奮して、DJに名前を聞いた。そしたらHIKARUです。と言った。僕は顔を知らなかったのだが、いつもいい曲が流れているなぁと思って人に聴くとDJ HIKARUである事が多い。今日はこんなにプライベートみたいに聴けて得した。その後、深夜2時を過ぎたアタリから人が増え始め、狭い部屋に25、6人ぐらい集まって踊っていた。曲はどれも刺激的で、しかも僕が最近気になっている類いの曲調でうれしい。結局午前4時まで踊り、亮太の家に帰り眠る。

2007年3月2日(金)

 最近、頭の中のある部分が固まってきたイメージをぶちこわそうとはみ出してきている。自分の考えていた事が実現に向けて動き出そうとしているときに、それを破壊しようとするエネルギーが作用反作用のように飛び出てくるわけだ。これはよくあることなのだが、僕はこういうときに、1500キロ原付で走り回ったり、インドで無賃旅行をしてみたり、貯水タンクに無断で住んでみたり、寿司屋から安く買ったピザバイクを改造して家をくっつけたりしてきたのだ。 なんか最近それに似た空気が漂っているのよね。よーし、来い来い、とは間違っても思わない不可思議なでも必然的な気持ち。自分がまっすぐ歩き出そうと思うと、いつも出てくる矛盾した方向を求めないノーコンエネルギー。そういえば、僕は肩は無茶苦茶強いが、ノーコンだった。野球部のとき。だからハンドボール投げの時が一番好きだったのを思い出した。ノーコン状態。しかし、それは深層部分だけである。そういう時は表の世界ではかなり現実的に動いている時でもある。
  とにかく、飯を作ることにした。で、パクチーを無性に食べたくなったので、タイ料理コースを作ることにした。タイ料理は檸檬が肝心なんです。ライムだともっといい。パクチーと牛肉のオイスターソースたっぷりのチャーハン。サラダはヤムヌア。これはハンサム食堂で食べて以来病み付きのサラダ。牛肉とセロリ一本丸ごと、さらに生玉葱、トマトを入れて、檸檬汁とナンプラーと砂糖で味付け。というか、 僕はタイには行ったことがありません。でもパクチーとナンプラーを焼いた臭いが無茶苦茶好きなんです。甘党ならぬ臭党(クサトウ)と呼んでいます。それと手羽先を買ってきて、ナンプラーと大蒜おろしをぶっかけて、ビニール袋に入れて揉み下し、30分置いて、グリルでカリカリに焼く。ナンプラーは焼いて焦げると味は第2段階に突入する。で、檸檬をかけて、またまたパクチーをかけて食べる。 これは無茶苦茶うまい。で、日記書いている今、まだ檸檬とパクチーの混ざった臭いが取れない幸せ。
 で、こういう時はやっぱり南方熊楠に戻る。彼の家の中の彼の動きを妄想して、それいゆでコーヒーを飲む。ふうと。熊楠について一方的に語る。僕は彼の家の中での空気に僕自身が目指している空間との共鳴を感じている。しかし、それは感じることが出来るが、説明不可能なのでうっかりしていると、僕も忘れてしまう。で、こういう時に思い出して人差し指のパクチーを残り香を匂いながら考える。 チーズスコーン210円オーダー。ココのはなんでこんなにうまいのか。夜10時の珈琲タイムになんでこんなに一杯の人が溢れているのか。熊楠の名前の漢字を見ていたら「象」という字が出てきた。なんでかは知らん。でも、僕はこの前マサイマラで見た、象を見て、象だと思った。動物園で見たのは象じゃなかった。ゾウだった。で、その帰り道に見た、草原のキリンの群れは麒麟という感じではなく、ジラフだった。本物の動物に出会うということは旅をする事に非常に近いことが肌を通じて感じた。 あんなに肌を通じて感じたのは本当に稀だった。あの肌を通じれたのも、南方熊楠をもう一回考えろと言わせていた。
 リュウエンタープライズの弓長さんより、企画第一段階を切りクリアしたとの連絡。これはうまくいくような気がしている。来週は鈴木さんと打ち合わせの予定。
ふうと東京で、農地を借りて生活をしようとする計画について話し合う。僕のこの変な心の動きは、なんとなく、この自分で生活を実践するという計画にノリウツッテいきそうな気がしている。というかそれは間違いないだろう。先は見えないが、先を感じることが出来る。これは空間の持っている感覚と一緒ではないか。空間と未来は一緒の元素を持っているのか。

2007年3月1日(木)

 コミックガンボという見た事も無い漫画雑誌が落ちていて、拾って読んでいたら江川達也さんが、夏目漱石に今入り込んでいるらしく、坊ちゃんを漫画化するらしい。何となく、この前宇田川さんと話した事とも絡んでくるが、夏目漱石の時代というのはこれからの時代にとってなんらかのメッセージがあるのかもしれない。三四郎がなかなか進まない現在の僕ではあるが、読んでいる時はいつもあの三四郎の空間に入っていけるのである。 あれは終ってはならないような気がした。そういう庭としての小説。自分の意識を遊ばせるための庭のような紙の上の空間。
 ふうと久しぶりにル・クール・ピュに行き夕食。僕はとても気に入っていた木村さんというホールの人がいなくなって、違う人になり、サービスが変わってしまったので最近足が遠のいたのだが、行ってみると少しはよくなっていたのでちょっとほっとした。サービスで変わる空間というのも気になる。空間は人の気も重要な要素なんですよ。マサイマラの動物空間も不思議でしたが。ガーリックバジルトーストに南瓜のスープ、そして茄子のボロネーゼ。 デザートはオレンジケーキ、そしてラヴァッツァの珈琲。美味い。これで1000円を切るのはやっぱり素晴らしい。しかし、その木村さんが最近オープンしたらしい、三鷹の居酒屋も気になる。
 トークショー用のポスターデータ完成。メール便で古河林業に送付。このトークショーはどうやら来月に伸びそうだ。もう少しどういうものにしていくか議論がしたい。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-