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Journal -坂口恭平の毎日-

2007年1月31日(水)

 午前9時起床。朝から速攻でAERA用で矢部さんに渡す原稿を書く。どうなるか分からんがとにかく書いてみる。 日本に帰ってからもゆっくりはしてられない。やりたいことはたくさんある。そして、それはアフリカに行く前より 広くなったような気がする。つまり作品を作り続けるだけでなく、もっと大きなうねりのようなものを作りたい。 ナイロビのGODOWNのような自由な空気が溢れまくっている場所を作りたい。自分の家でも何でもいいから、 退屈な日本をぶっ飛ばすような基地を作りたい。そういう思考が始まっている。そういうこと考えながら0円ハウスの 原稿を書いている。結構かかった。朝飯は鮭掛けご飯と卵焼き。昼飯抜きで午後二時に執筆終了。書きたいことがいっぱいあったので 一日でやり終えた。よいよい。矢部さんに早速送信する。こういうのは速くないと駄目だ。僕の場合。
 それで、その後は今度は「料亭の家」の写真のエディションのための額縁の打ち合わせに祐天寺に行く。ここにある小林額縁というところは僕が必死になって探し、ようやく見つかった筋の通った額縁屋。でも行ってみるまでは分からない。でも行ってみて瞬間的に分かった。小林さんに僕の写真を見せて額縁のイメージを伝えると、小林さん、「うちに来れて良かったね。よく見つけたね。よかったよかった」と言った。とにかく色んな写真家、画家、版画家が注文しているようなところだった。額縁は全て白木一筋。凄いところが見つかった。しかも、僕の作品を気に入ってくれて、それがまた僕を興奮させた。額縁は8500円だった。僕の想像しているよりちょっと安かったのでよかった。これでエディションが作れる。かなりいいものが出来るのではないか。二週間後に出来るそうだ。試作品が出来てから、発表します。たぶん凄くいいです。
 その後、祐天寺から中目黒から代官山まで歩き、そこから恵比寿から目黒まで歩き、紅さんのところへ喋りにいく。 紅さんと熱烈トーク。焼うどん食べながら炸裂し、午後10時まで喋る。
 とにかく場所を作りたい。今はそれを考えているのだ。

2007年1月30日(火)

 朝から、ナイロビジャーナルの残っている回を全て書上げる。you tube も挿入した。しかもハザマ速いリアクションですぐさまアップされ、僕の速度に乗せてくれ、感謝。午後4時までまったり。まだ時間がおかしい。
 その後、池袋で美帆と母さんとノノカに久しぶりに会い。上機嫌。そのまま巣鴨の美帆の家に行く。ノノカと戯れる。ノノカは名前を呼ぶとハーイというようになった。幾つと聞くと指を一本にするようになった。素晴らしい。それで今日はその後ふうも来て、みんなで熊本の蜜柑を食べ、餃子を食べ、ノリの佃煮を食べ、鮭のちらし寿司を食べて、恵比寿麦酒を飲んだ。平和な一日。<

2007年1月29日(月)

午前11時からクミちゃんところで髪切ってもらうはずが、完全に時差ボケで午後1時半起きる。
クミちゃんに電話すると16時からでもいいというので、16時六本木TWIGGYへ。
嵐のようにアフリカの話を喋りまくる。クミちゃんはいつもこの僕のマシンガンを聞いてくれる人。
ある意味アフリカ的ともいえる。キーホルダーをお土産に持っていく。
今年の年賀状を気に入ってくれたみたいで、喜ぶ。ステェファンというフランス人カラーリストが
特に気にいってくれたみたいだ。彼とはキチンといつか話したいと思っていたのでいいきっかけになりそうだ。
でも彼はアジアを今旅している、さすらいの人。
その後、恵比寿に行く。ふうと会って、そのまま恵比寿の「ちょろり」でラーメン食べようと思ったが、
気が変わり、飯田橋に行き、やっぱり「くるみ」で広島焼き。あまりのうまさにやっぱり日本だぜと叫ぶ。
夜帰ってきて、弾きたくてたまらなかったギターを弾きながら数曲作曲。
とにかく今年の目標は何でも決めつけずにやる事なんで、音楽にも当然力を入れていく。
さらにテレビも見まくる。絶対ナイロビより日本の方が今危ないよ。

2007年1月28日(日)

昼過ぎに起きる。亮太を誘って、バルタザールへランチを食べにいく。
僕はパスタ。ふうはタコライス。亮太はお百姓さん定食。そしてハートランド。ケニアはタスカなら、日本はハートランドだね。
とにかく飯のうまさにびっくり。日本はこんなにうまいところだったけ。
その後、家で加賀棒茶をじっくり飲む。これやっぱりうまい。
とにかく今頭の中でいろいろこれからやろうと思っている事を考えている。
ナイロビから帰ってもナイロビのハードな毎日のペースに巻き込まれている。
頭だけがフル回転。
夜はボロネーゼ。笑の大学をもう一回見ようと思い立ち、見る。
なんか周防監督の「痴漢冤罪」の映画がすごいらしいじゃん。
帰ってきてみる映画あるというのも楽しいもんだね。
寝れずにいる。

2007年1月27日(土)

午後5時に関西国際空港に到着。
で、次の羽田行きは午後9時ってそりゃないよ。
関空ラウンジというところで自動マッサージ機と戯れながら3時間を過ごす。
もうマックの電源も無くなって、アダプターを預け荷物の中に入れていたので、
何も出来ずに週刊新潮を読みふける。あーとうとう帰ってきちゃったなぁー。
夜十一時三十分ごろ家に無事到着。ふうの料理を久々に食し、眠る。
そういえば、言ってなかったけど、僕のケニアの初日はなんとタレントの出川哲朗と
一緒の便で、彼は家族旅行に来ていて、何だか面白いなぁーと思ったのを思い出した。

2007年1月26日(金)

朝からジャーと一緒にローカルマーケットに行き、お土産を買う。
マタトゥの看板やら、その看板を描いた人の家にあったその人の肖像画や、
マサイの布、キーホルダー、絵はがき、ふうには現地人お手製のバックを購入。
今回はお金をほとんど使わなかったので、お土産を買う余裕あり。
12時過ぎにホテルに戻り、少しゆっくりし、麦酒で乾杯し、
そしてインド人の皆と空港へ。とうとう旅行も終る。
彼らはケニア航空、僕はエミレーツ航空だったので入り口で別れる。
今度はインドで来年会おうという事になった。また呼んでくれるそうだ。
今回は今までとは全く違う旅、素晴らしいたびになった。
ケニアやナイロビに行く人はぜひ僕に一言かけてほしい。
素晴らしい人々を紹介します。
なんかツアコンでもしようかなとか、色々考えたね、今回は。
とにかくケニア,ナイロビ、サンキューです。

2007年1月11日(木)~1月25日(木)

この期間はNairobi Journalを読んで下さい。

2007年1月10日(水)

朝7時に起床。シャワーを浴び、8時半に朝食。
朝食はホテルのレストランで、ブラウンブレッドとコーヒー。
ボーイたちと喋りまくりスワヒリ語を同時に学ぶ。
彼らは本当に人がいい。
その後、シュレッシュというインド人とアイダというエジプト人女性が集まり、
ワークショップの面々は出揃った。不思議な組み合わせだけど、、。
皆でタクシーでGODOWN ART CENTREに向かう。
ここが今回のワークショップの本拠地になる。
今日は材料を調達する日。しかも、とくに買う気はないらしい。
色んな所へ行ってどんどん拾おう!みたいなノリである。凄いよ。
で、目の前の工場などへ行ってお願いし、色々調達する。
今日はオールドマーケットにも行く。
闇市時代の新宿ってこうだったのかなぁと思わせるようなエネルギッシュな場所。
なんか直感が蠢いている。
夢中になり、昼飯の事をすっかり忘れて没頭。5時過ぎに遅い昼食。
帰ってからは詩人のバトゥも参加し、ミーティング。
詩的な言葉を使った会話はとても刺激的。

2007年1月9日(火)

空港に迎えが来ていた。直行。
初めて吸うアフリカの空気に興奮する。
特に危なそうな雰囲気というより自由を感じる。
よかった。しかも、毎日ケニア人と一緒だから安心だ。
ホテルも素晴らしい。6人ぐらいで同居するようだ。
コンピューターも使える。
トニーというケニア人と会う。彼は今回のワークショップの制作のサポートをしてくれる。
音楽、芸術、ダンス、全てに興味を持ち、すべてを表現手段としているようだ。
この企画のプロデューサーであるTusharにも会う。
みんなでケニア麦酒で乾杯。ケニアの麦酒は美味しいと評判らしい。
今日は特に作業はせず。

2007年1月8日(月)

出発の日。午前中は買い物をしにふうと新宿へ。
西荻駅で宇田川夫妻と偶然にばったり。
出発前に挨拶が出来て良かった。
帰国後、土産話を持っていく事を約束する。
世界堂で、色々買う。スケッチブックその他。
午後五時にハザマの赤い車が西荻まで迎えにきてくれた。感謝。
首都高で羽田空港へ。
初めて車で行ったが、やっぱり空港は車で行った方が気分がいい。
早く着きすぎたので、なんか食べようと言う事になり物色していると、
焼き肉TORAJIの看板が目に入る。よし、焼き肉を食っていこう。となる。
ガンガン食べちゃった。少し酔っ払ったまま、羽田から関空へ。
関空で、一時間待ち、EMIRATES航空でドバイに向け出発。
飛行機内でも麦酒を3本頂く。
エミレーツの機内設備が充実していて興奮する。
音楽は100ぐらいのアルバムが聞き放題。
ボクはヴァンモリソンのアストラルウィークスと、トーキングヘッズのりメインインライト(!)
そして、ジョニ・ミッチェルのブルーとかなり充実しているラインナップに興奮。爆睡。
起きて、Mr.インクレディブルを見る。
これ、始めてみたけど面白すぎる。しばし、入り込む。
そして、また爆睡。気づいたらドバイに着いていた。

2007年1月7日(日)

いよいよ明日はアフリカ行きだ。
買い物を済ませ、家でゆっくりする。
夕食は、荻窪のル・クール・ピュに行く。
相変わらず美味い。しかし、僕が好きだったホールの男の人がいなくなっていたので、
聞いてみるとなんと三鷹に居酒屋を開いたそうで、これは行ってみなくては。
帰りにビデオをレンタルシップで借りる。
今更ながら、攻殻機動隊。見た事が無かった。
感想は、面白いが、もっと話の広がりが欲しかった。

2007年1月6日(土)

鍋が家に遊びに来る。鍋は東京を離れ名古屋で働く事になった。
家具職人になるようだ。で、今日は壮行会&アフリカいってらっしゃい会。
家で、鍋、ボク、ふうの3人で鍋。ナベはMOET&CHANDONを買ってきてくれる。
シャンパンで乾杯。
鍋は水炊き。水炊き今年は何回したろう。相変わらず美味い。
で、その後、恵比寿麦酒を飲みながら、クラフトワークを聞いていたが、
何だか飲み足らない。鍋はボクの唯一と言ってもいい、ノンベ友達。
こいつと飲んだら止まらない。
そんで、ペルノを飲みたくなり、近所のBARに遊びに行く事に。
AFTER GLOWという所。前から気になっていたので行ってみた。
ペルノを置いているか聞いたら置いていたので、早速ストレートで飲む事に。
このペルノのストレートにボクと鍋はゴールデン街のボルチモアの秋葉系のジャズ気違いの若い女の子に教えられハマった。
今日は、それ以外にも気違い酒をいくつか飲んでみた。
そんな鍋もいなくなる。さびしいもんだ。
同じ熊本の男である。
健闘を祈る。

2007年1月5日(金)

バンクーバー展覧会の相棒である、原万希子が今年からバンクーバーにある、CENTRE Aというギャラリーのキュレーターとして勤務する事になった。
これは、凄い事で、CENTRE Aというのは北米とアジアを繋ぐような芸術の中心地に今後なっていくだろうスペースで、そこに原さんが行ったら大変な事が起こるだろう。
ボクのときのように。
原さんがついに、ガンガン世界で動き回れる場所にたどり着いた。
これで、原さんの思考がワールドワイドに広がっていく事間違い無しである。
それで、今日は高円寺のパラグローヴに集まり、原さんの壮行会。
12人ほど集まる。
小倉さん、フィリップ、タイ人のアナン、ヒコ、ボク、ゲンさん、伊丹さん、芹沢高志さん、、。
東高円寺駅近くのアジア料理屋で、パーティー。
ここ無茶苦茶美味かった。
原さんがいなくなるのはとても寂しいが、世界的に考えるといなくなったわけではなくて、
もっと面白い所で、活発に動いているというわけで、これからが益々楽しみだ。
まずは、ボクも6月に次はbanffで、原さんと関わるだろう。
パーティーは11過頃まで続く。
帰りは芹沢高志さんと一緒に帰る。
芹沢さんとは今日が初対面。
原さんが、会わせたい会わせたいと言ってくれていた。
芹沢さんは、いくつかのバックミンスター・フラーの書籍を翻訳していたので、
僕にとっては超影響を受けた当人にあたる。
興奮して、バッキーの話をする。
芹沢さんも喜んでくれる。
さらに話は吉阪隆正の話に、、。
芹沢さんはなんと、吉阪が設計したボクが高校時代に影響を受けた、
浦邸という住宅があるのだが、その依頼者、浦さんの教え子だったそうだ。
これにはぶったまげた。
浦氏は著名な数学者で、芹沢さんも当時は数学を専攻していたようだ。
それが、だんだんと建築に向かっていき、浦さんに吉阪を紹介されたらしいのだ。
もうそこら辺がシンクロしていたために、ボクは電車を降りたくなかったが、
丸の内線荻窪駅で再会を約束し、別れる。
原さんの今後の活躍を祈る、どころか、確信する。

2007年1月4日(木)

酒が抜けず、頭痛。
しかも、連絡を取らなくては行けない事多し。
さらに、溜め込んであった、色々な雑事に覆われる。
偏頭痛。
親父に、アフリカ旅行用に熊本の名薬、「毒消丸」を速達で送ってもらうように依頼する。
今日はもう寝る。

2007年1月3日(水)

ふうの親戚、つまりはボクの新・親戚に挨拶。
場所は吉祥寺。関根さん宅。総勢18人。
ボクは初めて会ったにもかかわらず、伯父さんたちが面白すぎて、
のっちゃって、日本酒、飲みまくる。
盆栽にはまる、おじさんや、川釣り、そして、スモークにはまるおじさんやら、凄いの大集合。
なんかエネルギーをもらう。
そして、おじさんたちには、ボクはとても不思議な、ということは、とても胡散臭い職業をやっているように見られたのかなぁとはじめ心配していたが、なんのなんのボクはお酒の付き合いだけが、エリート街道まっしぐらなので、ある意味乗り越えた。
よかったよかった。
でも、親戚が増えるというのはとても幸せな事だ、
としみじみ思いながらも、酔っ払いすぎて頭は痛い。

2007年1月2日(火)

ふうとふうの母さんとボクと三人で、毎年恒例鶴岡八幡宮初詣。
やっぱりここはボクは大好きだな。
今年はやってくれるという確信と共に恒例のおみくじ、、、、。
もちろんボクは「大吉」を手にする。
帰りに、横浜で、ふうの初売りバーゲンの付き合いをする。いろいろ買っていた。
夜は、ふうの家族の大親友家族、鳥海家のオジさんおばちゃんも参加して、
5人で、豚&蟹鍋。おじちゃんとは久々に会った。
この人はなぜか、ボクも5年ほど前にあったときからウマが合い、話しているととにかく盛り上がる。
素晴らしい人である。今年もおじさん、のっているようだ。ボクもその勢いを少しばかり頂く。
ボクはこのようにオヤジたちからエネルギーをもらう。
エネルギーをもらうというか、オヤジたちがボクと話しているのをみて、
(ボクはとにかくお酒をたくさん飲んで、かなり熱くなるので)
それにより、化学反応が起きたオヤジたちを見て、盛り上がっているオヤジたちをみて、喜んでいるなぁー、とか思いながらエネルギーをもらうのである。
あの人たちは留まらない何か突き抜けた衝動がある。
素晴らしい夜。

2007年1月1日(月)

ふうの母さんの手作りおせちを頂く。
今年も始まりました。
夜は蟹クリームコロッケも頂きました。
飲んでます。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-