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Journal -坂口恭平の毎日-

2005年9月30日(金)

無事に作業は終了。みんなとお別れ。今度は講演会。頑張ります。
タクシーで京都駅まで。途中、東寺の餅が食べたくなって立ち寄る。お土産購入。今回は全く京都散策できず。また二週間後だね。
この模様はhttp://www.kyoto-seika.ac.jp/assembly/2005/p1013.htmlで見れます。

2005年9月29日(木)

体調は相変わらずよくならずも10時から作業開始。だいぶできてきた。ひとつは完成。最後の夜は、学生たちと、今回の企画をしてくれた職員の須川さんたちと近くの食事処で乾杯。

2005年9月28日(水)

朝起きて、出勤。緑あふれて、朝の散歩が気持ちいい。そうしていたら学校到着。朝から学生も集まる。みんな作りながら、アイデアが出てこなかったりして大変悩んでいる様子。みんな疲れてきてもいる。でもそういうときが一番いいときなんだけど。でも、僕もこんな形で学生たちと一緒に何かをやるというのは初めてのことなので。戸惑う。でも少しずつ役割分担もされてきた。昼飯はヒレかつ定食。夜はちょっと街まででてパスタ。
夜の帰り道、虫が鳴いている。こんなに真っ暗の道を歩くのは久しぶり。

2005年9月27日(火)

朝7時起床。9時の新幹線に乗る。新幹線なんて本当に久しぶり。のぞみだったら二時間近くで着いてしまった。いつもは京都まで鈍行でいっていたので。そのまま京都駅から地下鉄烏丸線でマイクロバス乗り継いで京都精華大学へ。そんなに中心から離れていないと思うんですけど、かなり静かな山の中にある。12時に学生も集まって、今回のワークショップの説明をして作業スタート。とにかくみんな初めてのことで戸惑っている。 僕も、今回講演会の宣伝を兼ねてやろうとはいったものの・・。うまくいくかは不安だった。初日何とか、進む。学生が一杯集まってくれたのが意外でうれしかった。
作業終了後、そのまま学生たちのよく行く店「無法松」という居酒屋でみんなと話す。僕もついつい飲みすぎ。寝床は大学側が用意してくれた一軒家。一人ではさびしすぎるくらい広かったので学生一名連れて帰る。
AP通信から連絡。取材の申し込み。

2005年9月26日(月)

明日から京都にもかかわらず、体調は最悪。しかも、熱も出ず、ただだるいだけ。もう一週間続いている。明日に備え、一日中ネル。

2005年9月25日(日)

引越した際に、テレビのアンテナのコードが届かなくて、買ってくるのを面倒くさがっていたらいつのまにかテレビを一切見なくなった。そして、ラジオの日々に変わった。ちょうどこの前、70年代ナショナルの巨大ラジオを拾ったのでタイミングも良かった。
それで今日、NHK FMを聞いていたら、槇原のりゆきのラジオをやっていてちょっと大変なことになっていた。最近色んな知覚の変化が生じているらしく、エクソシストの一場面の一言から中島みゆきに話がつながり、「ファイト」のカヴァーを生ピアノで歌ったり、サザンの「愛の言霊」を神主の言葉と一緒に評論したりと凄い。「ふるさと」のカヴァーも凄い。しかし、聞きすぎるとちょっと重すぎてお腹いっぱいになってしまった。最後は三輪明宏の「よいとまけの歌」

2005年9月24日(土)

中沢新一著「アースダイバー」購入。やっぱり想像のほうがよかったような気がする。面白かったが、都市はもっと自由でカオスなんではないのかなと思った。歴史にも何にも縛られないのではないか。

2005年9月23日(金)

中沢新一氏が新刊を出した話を聞く。 何でも、縄文時代の地図を持って、東京を歩く本らしい。これはちょっと気になる。想像するだけで楽しくなった。この新しい本が出たときや、こんな本があるぞ!とかを人から伝え聞くときの自分で想像して気持ちよくなる感じはなんなのだろう?このときはとても、創造的な時間が流れていると自分でもわかる。本だけでなく、音楽、映画でもそうだ。僕はそれで実際そのものを手にするより、このときの高揚感のほうが好きだ。そしてこれは自分でも何かを作らなくては!作りたいと!高揚するのである。

2005年9月22日(木)

新宿のサンニチ印刷に行く。できた立体の見本を持っていく。見積もりだしてもらったら、予算内だった。これだったらいけるかもしれない。
話をしていて、山梨のおじいさんが一人で印刷をして造本してやっている印刷所があるという話を聞く。
僕のイメージも自分でつくって、自分で印刷して、造本して、そこから発信するような場所をつくりたいと思っていたので、そのおじさんにシンクロする。立体はどういう風に売っていけばいいのか。

2005年9月21日(水)

この前、アサコに呼ばれてやったラジオが面白かったというリアクション。自分としてはどうだっかなと思っていたので、ほっとする。さらに、ラジオというものが持つ、空間性、秘密性を再確認。ボブ・デュランのもつオーラルコミュニケーションと三谷幸喜の「ラジヲの時間」、そして今度する、京都での講演会などが頭をよぎる。

2005年9月20日(火)

久しぶりに赤瀬川原平の宮武外骨についての本、学術小説「外骨という人がいた!」を読む。外骨は明治期に20歳そこそこで自力で頓知協会雑誌というのを立ち上げ、しかも、メジャー雑誌に見劣りすることなく売りまくる。しかも、腐敗した社会への風刺が中心にあるのだが、それを超越してしまって、また新しい表現へと突き進む。その勢いは入獄されても止まることなく、その後も雑誌の名前を変え、30年以上も出版を続ける。 寄稿者は折口信夫、南方熊楠などもいた。この本は、学術小説というところがいい。何かを匂わせる。

2005年9月19日(月)

紙買ってきて、立体一号の編集に取り掛かる。今回は、両面カラー4色、そしてすべて手描きで行こう。印刷会社に見積もりの電話。一軒脈あり。今週会ってみることに。

2005年9月18日(日)

夜、亮太、ノブ来訪。そのまま近くのピザ屋に行く。昨日から体の調子がいかん。しかし、アイデアは浮かび、寝てられず。

2005年9月17日(土)

7時からフーのライブ。大塚駅。久々に入った。ライブハウス。
前のバンドは、三人組のなんとも形容がつかないJPOPバンド。曲は全然いいとは思わないけど、無茶苦茶の量、作曲しているみたいで、その勢いには興味をそそられる。観客とはかなりの距離があるのだけど、そんなのを無視したギターのチョーキングにビールという組み合わせに、千葉のLASER BOYというラブホテル裏にある、スペースを思い出した。フーのジャクソンシスターはかなり分裂した曲で気になった。

2005年9月16日(金)

ナベとタムちゃんとベルグ待ち合わせ。乾杯。その後、西荻「戎」、「ハンサム3」に行ってさらに、シャンパン買って家で宴会。ハンサム3も3階の部屋はすごくいい。
この前東京に遊びに来ていたミウランから郵便が届いて、僕が見れなかった、BOBDYLANのニュージャージーでのライブのDVDだった。
ちょうどナベもBOBDYLANの自伝を読んでいたのでへんなシンクロ。DVD見る。
その後は今日はレゲエばかり聞いていた。

2005年9月15日(木)

夕方、セバスチャンと友人のカナダ人ブレントが遊びに来る。ブレントも建築と哲学を専攻しているフランスの学生。0円ハウスにもすごく興味を持ってくれていたようで、出会い頭から、質問が飛んだ。彼もかなり面白い発想。ドゴン族を撮りたいというと、彼はいったことがあるらしく、熱く語りだす。エジプトにもよくいっているらしい。そこで、昔の豪族の墓に人が信じられないほどの数棲みついている話を聞く。死の町という名前で呼ばれているらしい。今度は僕もアフリカに行きたいので、いろいろ聞く。
夜から高円寺のセバ宅で二次会。

2005年9月14日(水)

今度講演会で何を話そうかと考えて、0円ハウスだけではなく、いろんなことを話したいので、今までの写真をまとめて見る。二年前、フランスで撮ったシュバル郵便配達夫の理想宮の写真をきちんと整理してなかったので、やってみると面白くなって一日やっていた。これはアウトサイドアート、アウトサイド建築でもない。自分で創造し、自分で依頼し、自力で作った本当の意味での作品ではないか?しかも、シュバルの建築は、細部のみで作られている。 いわゆる枠を作ってから、そこを埋めていくという方法ではなく。小さな部分からすべてが発生している。この建築の方法は、奇抜でもなんでもない。まさにど真ん中の思想だと思うわけである。

2005年9月13日(火)

キリコの画集が面白い。占い師の報酬、聖魚の二点が気になる。ノスタルジーというものは懐かしさではない。見たことがない風景をはじめて見たときにも感じる何かだ。つげ義春の物語もそうじゃないかと思っている。それは、時代を遡って感じる懐かしさではなく、体験して体に残っているものというか、夢の世界にも通じるところがある。自分の夢の世界を口で表現することができないが、夢の中にいるときは、その世界をおかしいなどと少しも考えずに、なじんでいる。 夢の世界は、自分の記憶のストックを、時間列や上下左右、善悪、など二極のものを何も気にせず、昔も、未来もなくただその世界しかない。しかも、矛盾が当然の世界。
それで懐かしいと感じるときのことを考えると、自分の中でなにか架空の街、空間、のようなものを頭に作っているのではないかと思う。そして、それに現実の世界で見たものとが触れたときに懐かしさを感じるのではないか。
西荻のお気に入りのイタリア料理屋でピザ、パスタ食べる。

2005年9月12日(月)

リトルモアからロンドンタイムスに載った0円ハウスの記事が送られてきた。話に聞いていた通り、取材のときに撮影した写真は使われていなく、変な写真が使われていたが、記事そのものは良かった。実家に忘れていたWIREのDVDが届いた。これはドイツのテレビ番組のライブ映像。凄すぎる。ベースが無茶苦茶かっこいい。ドラムなんか一番端っこにいて潔い。夜飯、無性にグリーンカレー食べたくて、製作。

2005年9月11日(日)

フランスのランドスケープという雑誌から連絡。今回記事を書く哲学者は、建築と哲学をやっている人で、セバスチャンはよく知っていた。10枚ぐらい僕の写真が紹介される。

2005年9月10日(土)

夕方に駒沢大学駅。友人のアサコが車で迎えに来てくれた。今日はアサコがやっているネット上のラジオ
DEJIO BALANCE http://www.balance-web.com/dedio/
に出演することになったので、アサコの家でレコーディング。結構本格的。面白かった。ラジオかぁ。気になる。録音もうまくいって大満足。そのまま新宿いってスタジオ練習。

2005年9月9日(金)

三重県からミウランが鈍行電車で遊びに来た。ニューヨークで知り合った。冷蔵庫にビールがストックされていたので、早速田舎からもらってきた、祖母のラッキョウと、萩土産の河豚の干物を肴に乾杯。
その後、吉祥寺の公園前の「いせや」で続き。その後ハモニカ横丁で珈琲。そうしていたら、今度は博多から若者がきた。シンタロー。こいつが面白すぎて笑った。うちに来て、寝て帰った。

2005年9月8日(木)

最終日。朝から車で山鹿市に行く。ココには古墳時代のものがいろいろ転がっている。安藤忠雄氏も古墳館というものを作っている。僕が行ったのはチブサン古墳。ここの壁画を写真で見て、一度本物を見たいと思って。その古墳は小高い丘みたいだった。日本にもこういうもの、建築、空間を作っていたときがあったんだな。いわゆる日本建築からは大きくはみ出されているけど、こうゆうものが根元にあるかと発見。とても気持ちがいいところ。 帰りに、渋いところを知っていると、母と妹に連れられて、「亭の元」というダゴ汁屋さんに行く。うまい。その後、ケーキ屋さんでお土産買って。空港へ。とにかく食べて飲んだ帰熊でした。
羽田に着いて、夜7時に京都精華大学の方と恵比寿で集合。タイ料理やに行きたいというので久しぶりに駅近くの店に行ってみる。そこのオーナーのおばちゃんがシャツの着こなしが凄すぎた。ご飯もおいしい。タイよりタイっぽいんじゃないか?

2005年9月7日(水)

熊本4日目。ようやく外にでれた。 レコード屋「WOODPECKER」に行ってWIREのDVDを買う。やっぱりココにはある。お昼は中学の同級生と「芳文」という僕の好きな店で一杯飲む。その後、近くの古本屋で藤子不二夫A氏の「まんが道」一巻を買う。面白くて道端で読みまくる。
その後、オニと」待ち合わせ。Orangeという店でチキンカレー。夕方、シショウと会って、最近変わって面白くなってきたという河原町商店街に行く。本当に変わっていて驚く。そこでもまたカレー。今度は麻の実カレー。熊本の幣立宮という場所の話を聞いて興味を持つ。何でも一万五千年前から存在する神宮らしい。五年に一度の祭りでは世界各国から人が尋ねてくるようなパワースポットらしい。今まで知らなかった。
夜は「やまかわ」という新しくできたらしい店で食べる。うまくて安い。焼酎のんで深夜家に帰る。

2005年9月6日(火)

台風接近。風強い。しかし、テレビ見るとなんと杉並区の映像が流れ、大変なことになっているみたいだ。家にいて、暇になったので、みんなで「人生ゲーム」やった。しかし、昔からこの台風のときの家にいるときが僕は凄く好きだった。なんか、洞窟の中で過ごしているようでわくわくしていたのを覚えている。そのようなことを思い出し、パソコンに文章を書いていた。

2005年9月5日(月)

朝起きて、ロシア映画「動くな、死ね、蘇れ!」という映画見る。ドキュメンタリーのような画質のフィクションで、子供が見る戦時中のロシアの話。ドキュメンタリーのようでもあり、ファンタジーのようでもあり、その映像は抽象画のように拡散していき、つまりはフィルムの状態がとても悪いんだろうけど、それも結果オーライになっている。
お昼、今度は妹も東京から今日帰ってきていたので迎えにいく。そのまま腹減っていたのでイタリア料理屋でパスタ食べる。妹は大分お腹が大きくなっている。
しかも、祖母まで旅行から台風のため帰ってきており、夜はみんなで「香港苑」で中華料理。

2005年9月4日(日)

今日から5日間、熊本に久しぶりに帰ることになった。飛行機往復で2万円。セール中ではあるが、安い。空港には先に帰っていた亮太が迎えにきてくれた。帰ってきて、一服して、「やじろべえ」で焼きそばとモダン焼き食べる。うまい。
そのあと母連れて、勿論「辰頭温泉」へ。いつものようにぬるい、ニュルヌル。お客はおじいさんばっかり。そして、200円。東京の銭湯より安い。リラックス完成。帰りに、新しくできたカレー屋に行って夕食。
帰ってきて、ビール飲んで、近くに映画館が新しくできたというので行ってみる。夜九時でやっていたのがゾンビ映画と「宇宙戦争」。それで宇宙戦争見てみた。最新の設備が搭載されているのがウリのこの映画館。しかし、入ってみると人っ子一人いない。おいおいと亮太と二人で広い映画館貸切で見た。しかも、宇宙戦争映像は凄かったけど、内容無さスギで二人で気持ち悪くなった。
台風来ている。

2005年9月3日(土)

スタジオ練習。新宿DOING.。カフカの短編集を見る。というかまた繰り返して見る。「父の気がかり」いい。といっても2ページ足らずの短編である。これとWIREの「PINK FLAG」というアルバムが僕の中で今繋がっている。ストーリーを語らず、今この瞬間を表現している。何も起きていない波を拡大顕微鏡で見て、荒波のように見えている「感じ」。そういえば南方熊楠も顕微鏡だけあれば旅ができるようなことを言っていた。

2005年9月2日(金)

家に帰ってから、もうラッシュ。予告篇完成。見て、自分で笑っちゃったのでOKでしょう。
そのまま、吉祥寺に行ってレイトショー見る。エミール・クストリッツァの「LIFE IS MIRACLE」
この人は「UNDERGROUND」も「黒猫・白猫」も良かったので、楽しみにいく。全体的に見れば、前回までの過激さというか、どこで映画作っているか分からないような匿名性は非常に薄れていた。が、やっぱり面白かった。

2005年9月1日(木)

親父が仕事が早く終わったというので、新宿で待ち合わせ。そのままベルク。生ビール気持ちよく3杯。おすすめカレーをゆでたまごつきで。その後は、但馬屋珈琲で珈琲を飲む。
家に帰ってDVDまとめる。貯水タンクの予告篇完了。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-