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Journal -坂口恭平の毎日-

2005年5月31日(火)

下北沢のレコーディングスタジオへ。エンジニアのツカダさんにMANの音源を聞かせに行った。さっそく高品質レコーディング機材が立ち並ぶスタジオでMTRをとりだし、再生。
おー。とはツカダサン。おっ気に入ってもらえた。特にドラムの菅ちゃんの音に興奮していた。
そのとき、偶然に誰かが入って来た。紹介されたのは、LEYONAやDRY&HEAVYなどのエンジニアをしている内田サンという方。内田サンも僕の音を聞きながら、これが一万円もしないタスカムのMTR で録音したのが信じられない様子。「いい」といってくれた。ありがとうございます。プロから言われるとほんと自信がつく。もともとから十二分に自信持っていたケド、さらに倍!!
そのまま久しぶりにもみじ亭にいって広島お好み焼きたべて一人で最近の色んな事に対して乾杯。
この音源は今度、NYにも持っていく。多分何か起きるでしょう。

2005年5月30日(月)

今日は朝から眠れず、ずっと興奮状態でおかしいな~と思っていたら昼頃、リトルモア浅原さんから電話。なんと、イギリスはロンドンの新聞社ロンドンタイムスから連絡があり、0円ハウスについて僕にインタビューをしたいと申し込んで来たそうだ。
頭で考えるがよく分からない。ロンドン?タイムス?インタビュー?これか?朝の胸騒ぎ?でもこの新聞の名前、僕でも知ってるもんねぇ・・・。「100万部位出てるらしいですよ。」と、浅原サン。こりゃあ凄い事になって来たな。おいおい。しかも、来週さっそく取材したいらしく、早々と日程が決まる。これホントに紙面にでたらヤバいんじゃあないの?ようやく興奮してくる。ロンドンだから少し、タイムラグか?その後、スペクテイターけいちゃんに打ち合わせの電話すると、ちょうどさっきケイちゃんにメールがきたらしく、それは、オーストリアのテレビ局が日本人のアーティストのドキュメンタリーを撮ろうとしていて、色んなジャンルを飛び越えていて、建築に強い関心を持っている人を探しているらしいので僕を紹介しようと言う事だった。
なんか今日は凄いぞ。おいおい。
なんか今日は眠れなかった。結局寝たけど。なにかの始まりか?おいゲルマン民族!僕の分身が色んな国で頑張っている夢を見た。孫悟空か?

2005年5月29日(日)

亮太とNOVが来る。もうすぐ高円寺ともこの4畳半ともおさらばなので飯作った。
モロカンサラダ
うまっ
歩いていると後ろからお尻触られ、誰かとおもったら第三宮下湯の番台のおやじだった。このおじさんとももうじき離れる。お世話になりました。

2005年5月28日(土)

いつものように新宿DOINGへ。今日はレコーディング最終日。今日は二時間しか借りてなかったが結局4時間借りちゃった。でも完璧なマスターテープ完成。
最近はこのスタジオでの生活が、僕にとって非常に大事な要素。4人のメンバーのズレが見当たらない。凄い時間を過ごしている事が全員分かっているため、全員がどうにかしていい物をつくろうと必死である。素晴らしきかな この必死。
今回の曲は「霧」という曲でバラードなのだが、途中の2部では全く違うグルーウ゛のあるヴァージョンが追いかけくる。みんなで出来上がったのを聞いて熱くなる。最近ホントにみんなの顔が変わって来た。いい音をだせるという確信がみんなに伝わった。これはいける。来週は橋本の家でMIX DOWN。そして次はどうやって売り込んでいくかを音楽忘れてでもやっていく。創造仕事と事務仕事。
2つは対極ではない。
創造仕事では常に事務的に効率よく続けていく事
事務仕事では常に創造的に効率悪くても攻め続ける事
この2つはどちらも同じ人間がやる動作なのだから。

2005年5月27日(金)

今日はフランス人哲学建築家セバスチャンを呼んで家で肉じゃがと水菜と豆腐のサラダとミソスープとワイン。彼はポンピドゥーセンターで僕の本を買ってくれたらしい。彼の持っている僕の本にはいっぱいPOST ITが貼ってあり、なんかフシギな気持ちになる。彼も0円ハウス研究家である。様々なプロジェクトの進み具合を聞く。色々彼もやっているようだね。その調子!ワインは弾み、そのままセバスチャンの家へ。 そうです。彼は高円寺に引越して来ていた!!梅里!!彼の家は6畳一間だがとても良い部屋。日が良く当たりそうだ。そこで彼が僕に見せたいとDVDを取り出す。その映画はクリス・マッカーのものだった。「LA JUTTE」を作った人だ。12モンキーズの元ネタでもある。その人が作った「ソンソレイユ」つまり SUNLESS
その映画は絶対僕がハマるんじゃないかと彼が言った。なんか知らないが、彼は僕がハマる感覚を良く知っている。今度日本語字幕をかりよう。クリスも写真や映画やドキュメンタリーの全てを越えようとしている、越境者だ!エルメス!!僕はそこに敬意を払い、さらに僕も続きたい。
帰りに歩きながらフランス人なのに僕と完璧にシンクロするセバスチャンを思い、やっぱり人同士きちんと話せば国境、人種はぶっ飛ばせるのにな!とふつふつと沸き上がる。
やっぱり僕は何かをやるために生まれて来ている。

2005年5月26日(木)

スペクテイター事務所へ。久々に編集長の青野サンにも会う。ケイちゃん遅れて登場。
今回はコラムを書いてくれとの依頼。それで僕が今考えている事を話す。
そこで昔から僕が考えていた、江戸川乱歩の「パノラマ島奇談」の主人公がつくった大世界を図面化するというアイデアが浮かび上がる。よしっ!人間普段から考えて居続けるもんである。
そのアイデアにケイちゃんも乗る!
そのあと東京芸大の講義の話もするとそれの講義録を書いても面白いんじゃないかなといわれた。やっぱり会話は創造やね。どんどん出てくる。まぁあんまり出てきても収拾つかなくなるから、この2つを来週までに提出する事で決定。6月か7月に出るそうだ。
これでスペクテイターも続いている。色んな事が続いている。とにかく続けよう。やめちゃ駄目だ。
ケイちゃんの友達でもあり、僕がロンドンに行ったときにあったケンケンがロンドンからEXHIBITIONをしに東京に来るらしい。韓国ダブ野郎ユンキーも一緒に来るらしい。1年ぶりだ。彼らがどうなっているのか非常に楽しみ。ケンケンはロンドンでMISO SOUP というバンドでデビューした。さらに映画も撮っている。ユンキーは知っている人もいるだろうが、日本でもCDを出した。来週会えそうだ。こうやって身近な人間が頑張っていると本当に嬉しくなる。 まだ自分が何も出来ていない時の頃に熱く喋っていたのが嘘じゃなかったんだと!また熱くなるのだ。だから動かなくちゃ行けない、壮大な無茶な空想を持って それを具体的に、現実的に、もっとリアルに。

2005年5月25日(水)

イイちゃんから電話があり、ホームページを見てくれたようでしかも、本を買いたいといってくれた。驚き。音楽で知り合ったのに、本にも興味を持つなんて・・。というか僕はそうなるのが目標だったので最高です。いよいよそうなって来てます。キテマス、ハンドパワー。
AERA見たら、なんとティムホーキンソンのことが特集されていた。BECKのMUTATIONというアルバムに使われているアーティスト。この人は本当にやばい。ようやくホイットニー美術館で回顧展が開催されているという。でも僕が行く頃には終っちゃうらしい。残念。
この人は拾って来た電子機器の屑をコラージュして新しい変な機械を作ったり、切った自分の爪で鳥の化石みたいなのを作ったりする。あきらかに今のアートの世界の表現とは正反対を突っ走る。オリジナルなもの。デジタルとアナログで二分化するこの世界を、「そうじゃないよ、どちらも人間にはあるんだよ。」とばかりにぶった切る。それがベックにも触れてしまったんだろう。
そして彼のテーマには僕が表現したい領域でもある。だからちょっとくやしい。もっと僕も頑張らんと!しゃきっとせんね!!

2005年5月24日(火)

久々の下北沢。今日はいつも僕の髪を切ってくれるクミちゃんの彼、イイちゃんのライブ。NANO RECORDSというところ。最近出来たのかな?知らなかった。昔、下北に住んでいたので、街が懐かしい。不思議なもんで引越したら全く行かなくなった。でも高円寺は引越してもいくかな。
イイちゃんに会う。クミちゃんがとにかく僕に会わせたかったらしく、ようやくその機会ができた。彼も熊本人。さっそく話す。一言話すと、だいたい感じれた。彼もグッドセンスの持ち主。そして何より大事なのはリアルに物を考えていた。ちゃんと音楽でやっていこうと思っているように見えた。僕の音の話をすると興味をもってくれ、ぜひ家に遊びに来なよと誘った。他にもクミちゃんは僕にとにかく人を紹介する。 僕も人がいっぱいいるととにかく喜んでしまうのでテンションは高い所に飛んでった。芋焼酎飲みながらイイちゃんの音楽聞く。静かに僕の体揺れる。いいね。あっ井田もきてる。
僕は今日はいつものように喋りまくり、そのまま二軒目へ、井田、土井ちゃん、クミちゃん、鹿児島の前原の5人。いやぁ素晴らしい夜。

2005年5月23日(月)

今日は1日自宅でMIX作業。DELAYをヴォーカルに少しかけるとグッと曲の中に空間ができた。PIANOにも少しかける。そして、多重録音でアコギの音をホントに少しだけいれる。おーいい感じ。大体これでいいかな。弟に聞かせる。亮太も聞いて「いいね!」
こいつがいいならいいんだろう。
晴れた日。ただ歩くだけで気持ちいい。今日はMIXだけ。後は何もせず過そう。
曲名が思い浮かばず、亮太に尋ねると「あのこえ」はどう?と言った。いいから、それに決めた。
この曲とももう長く付き合っている。はじめのトラックを聞くと、ホントに変化している。これはいつも嬉しくなる。曲も成長する。口ずさめば口ずさむ程変わっていく。
0円ハウスもそうだった。やればやる程変化し、僕にいつも新鮮な空気を吸わせる。いつやめるかも大事なんだけどね。

2005年5月22日(日)

朝、森永のホットケーキミックスでホットケーキ作る。なんでこんなにおいしいの?ホットケーキ。6枚ぐらい食べる。ちび黒サンボの世界に浸る。ジャングルに覆われる。サンボの家、いいよね。そうゆう絵本の中とか、シャーロックホームズの家とか調べてみたいなぁとまた思考が発展する。今日は休日ですよ。ゆっくりゆっくり。そのまま吉祥寺に行く。ROUNDABOUTで家具を物色。ここは最高の店。やっぱり店の特集したいなぁ。
無印良品にもいく。久々にいってビックリ。MUJI気合いはいっている。いいね 僕もがんばろうっと。
そのあと神楽坂くるみへ。ここはおいしい広島お好み焼きや。みんないくべきです。こんなにうまいの初めて。お世辞ではありません。神楽坂通りの飯田橋と神楽坂駅のまん中ぐらいにあるよ。
そのあと上島珈琲屋で一服。
亮太が訪れる。僕が言っていた会話が空間であり音楽であるというアイデアを伸ばしてくれそうな本を見つけたそうな。彼は最高の編集者である。僕専属の。こいつがいれば何事もうまくいく。そうやって27年間やってきたもんね。とにかく僕たち二人の出版社はもう27年目なわけです。
帰りに、この前ベースの橋本が「ジョンの魂」今聞くともっと最高だと言うのでツタヤが半額なので躊躇せずかりる。
凄い!ISSOLATION!!!!!
というか僕たちがやろうとしている事がわかった。サージェントペッパーではないということだ。でもサージェントがなかったらジョンの魂も生まれないという事だ!
なんちゃって。

2005年5月21日(土)

INAXでこの前いった時に本を何冊か貰ったんだけど、その時の一冊に「イガヤクニオ・スタイル」という本がある。その人は、自分で家を作り、スキー板を作り、便器を作り、子供の遊具を作り、窓を作り、靴下をつくり、キッチンを作り、全てを作った人である。僕はまだ見てないんだけど、フウがみてハマっている。そして「全部自分たちで作りたいね」と言っていた。よくぞ言った!えらい!
僕の妄想はこうである。東京のど真中に自分で建てた小さな家に住む。食べ物も出来るだけ作ってみる。そこで音楽も作る。絵なんか毎日書く。本もそこで作る。印刷機なんか買っちまえ!作った音楽もそこでレコードにして、しかも、レコード屋にまでする。しかも、本も並んでいる。しかも、僕が作った本や音楽達ばっかり、さらに僕が影響を受けて来た本やレコード、モノならなんでも並んでいる。しかも、売ってなかったらもっと面白い。 図書館みたいに借りれるけど、見れるけど、売ってなかったりする。よく来てくれる人の為に貸間を作る。それが増えちゃってホテルになる。一階は安い定食も食えるカフェ。これはパリのサンド二の香りを失っていない。そうやって増殖していく空間。まさに僕。ガンダムみたいにパイロットである僕を巨大化した様な場所。それを作る・・
とまぁその本のおかげでそこまで考えちゃった。
夜は新宿DOINGでレコーディング。また新しい曲が生まれた。「霧」という曲だ。これをシングルの二曲目にして完成か?

2005年5月20日(金)

この前、STADIO VOICEの小濱さんからメールがあり、スタジオヴォイスで連載をしませんか?という依頼だった。しかも、僕のホームページや日記も読んでいてくれていたみたいで何か面白いアウトプットがないかなぁと僕が思っている時だったのでタイミングが良すぎて、気合いが入っている。何をやるのかはまだ決まっていないけど面白くなる事必至である。
今気になっている事は、人の会話とそれが行われている場所。である。それで色んな人と対談するのと、所謂、建築とは見なされていない商店建築(カフェや居酒屋)を同時にやったり出来ないかなぁとか創造する。
うーんでもまだまだ色々練ろう。これは僕が考えている空間認識についての考察ができる良い機会になること間違いなしである。しかも、読んでいるだけで面白くしたいし、ね。

2005年5月19日(木)

バイトの同僚が本買ってくれたのでリトルモアに本取りに行く。一階でデザイナーの宮川さんと会ったので話す。宮川さんは僕の事を良く言ってくれるので嬉しくなる。これからの面白い事の事を話すと本当に喜んでくれた。そして「いよいよだね」と力入る。
編集の麻原さんとこれからの本の売り方を考える。やっぱり沢山の人に見てもらいたい。AERAにのったのは大きかったがもっと波にしていかないと。なにか書店での企画を考えてみよう。

2005年5月18日(水)

今日は夕方、熊本から遊びに来ている母ちゃんと西荻探訪して、そのままふうの母さんとふうと僕の親父と、やっぱり荻窪ル・クール・ピュへ。夕飯。のっけからワインボトルおかわり。パスタも最高。なんでここは店にいるだけで気持ちいいんだろう。こういうのを名建築と言います。僕の中では。
会話は盛り上がり、結局また僕がいっぱい喋ってしまったけど、それでも抑えたんだけど、よかったよかった。

2005年5月17日(火)

銀座で母ちゃんと親父、妹と集合。プロントでパスタとビール。僕はまたまたとにかく喋る。母ちゃん「でも恭平最近落ち着いて来たね」ふーん。なるほど。なんとなく良い午後のビール。
そのまま気分も乗って来て、京橋のINAXビルへ。INAXギャラリーの9月の企画展でアイデアを提供して欲しいとの依頼があったので、とにかく会ってみる事にした。企画している筧さんと会う。しかし、僕の話しはココでも止まらない。とにかくブレインストームさせてみることにした。いろんなアイデア浮かぶ。本の出版まで企画しているようだ。これは!これは!面白いかも!
そのまま会話は盛り上がり、近くの美味しい中華料理屋に連れて行ってもらい、また話。話。会話は止まらない。終わらない歌。時間は12時をもうすぐさす頃。お店の人が「閉店です!」。・・・・ご苦労さん。気付いたら6時間近く話していたんだね。筧さんも喜んできいてくれたので嬉しい。
またまた面白そうな事がはじまりそうだ。今はいくつもの方向から僕が試せそうな企画が舞い込んでくる。全部やると決めた。それでも倒れない確信がある。
母ちゃんには気付かされた。今は僕は落ち着いている。(人にはそう見えないかもしれないけどね)

2005年5月16日(月)

夕方、高円寺に原さんと小倉さんが来てくれた。今日は展覧会のプレゼンの日。僕は今日で完全に決定して欲しかったので、昨日徹夜でプレゼン用のブックを完成させる。それはもう展覧会をしたと勘違いして作った展覧会用のカタログを作った。我ながら最高の出来。武者震いして原さんに渡す。原さん興奮。横で小倉さんもふふふと笑う。来月の頭頃にはきちんと決定するらしい。 この仕事はこれからの僕にとって絶対外せないものになりそうなので本気で取りに行く。
そのまま今度NYに行く事を話すと、人を紹介してあげると原さんが言った。
しかもMOMA!のディレクター!!!!それと僕が前々から気になっていた書店PRINTED MATTERのディレクター!!!!
なんでこうも面白くなって来るのかねぇ。もう僕もよく分からない世の流れに翻弄されている。それでも操縦だけは正気を保ってせねばならぬ!!
M O M Aで展覧会できたらいいなぁとは今まで妄想してなかったのでそれを修正して「いつかやってやる!!」シフトに変更!!たぶん会って話しさえ出来たら面白い事になるだろう。
このシフト変更する事が自分にとって最大の武器だからねまってろよ N Y!!! 高円寺の小さなカフェでとても壮大な計画を思い描く。これは夢ではない、五カ年計画だ。ふふ。コーヒーおかわり!!

2005年5月15日(日)

借りる物件をもう一度下見。ここは本当に良いと思う。また新しい自分の本拠地ができる。みんなも楽しめる場所。
屋上もある。杉並が見渡せる。ここはこれから事務所としても利用していく予定。

音楽レーベル MTR RECORDS
出版社    兄弟

この二つがまず近いうちに産声を上げる。
最近は2、3年前に妄想していた事が現実に起こせるようになっている。もうその時は来るでしょう。
夜はバンド会議。家でこの前の録音聞きながらこれからの事を話す。いい。いい!!この前のレコーディングは歴史に残るでしょう。勝手に残すでしょう。
また曲が浮かんでいるので、これで終わりにせずにもうちょっと録音してみる事にする。曲が生まれまくっている。
僕は中学生のときから曲を作っているけど、こんなに曲がひらめいている時なんか今までなかった。今27歳。やっぱり曲を作れるようになるには10年ぐらいかかるんだねと、時間の重みを感じながら、それでもやめなくてよかったと、ただひたすら思う。
気持ちだけは勝手にベテランである。何でも好きならやめない事。これ、僕のモットーであり、支えでもあるわけで、これを言い続けられたらどんなに良い事かと思う。でも最近は言ったら絶対叶ってしまうから、適当に念じないようにしている。本当にやりたいことだけをやる。他は全く手をつけない。そこにだけこだわる。ぞ。

2005年5月14日(土)

ふうとふうのお母さんと僕とで中野で集合、そのまままっすぐサンモール、右に曲がって路地入り、階段上って「あしびなー」へ。ここはいいとこ、沖縄料理、オリオン飲んで、泡盛ね。ふうの母さんのっけからエンジン全開、泡盛飲んでぼくもつられてまた飲んでやっぱり久米山ストレート。飲めば飲む程、気持ちは高ぶり、涙を流して、また飲んだ。終電終るのわかってて振り向き頼んだストレート。お願いしますと僕叫び。 フウの母さん「しっかりしてね」こりゃ一丁やったらないかんね。ますます私は気合いが入り、ふうはただただ笑ってて三人肩組み家路を辿る。

2005年5月13日(金)

武蔵小山の九龍茶房という飲み屋で、東京芸大ソカベ研の皆さんと飲み会。曽我部さんも来る、助手の田中サンもいる。マスターは昔、ダムダンという石山修武氏がやっていた事務所にいた人だった。
僕はのっけからしゃべりまくり。みんなも僕の映画を見て来ていたらしく、なんかいい反応が返ってくる。そして話はもっと盛り上がり、大爆笑がはじまる。何人かの学生にキラリと光るものを発見する。その気持ち忘れてくれるなよと願う。ずっとやり続ける事、それでしか自分の本質は見抜けない。自分が自分の本質の片鱗に触れる時、周りの人間は驚きと歓喜に包まれる。・・はずよ。

2005年5月12日(木)

新宿DOINGでレコーディング作業。今日で録音は終了だ。二曲録音。終った後、みんなで感動。というかこうやってみんなで手作りしてる事が表現なのね。見た目がプロでも、録音がダサイのは駄目よね。と、勝手に粋がる。
とにかく出来上がった。あとはミックスダウン。そして市場流通!!!っ。

2005年5月11日(水)

近所の西友がおかしい。一階部分が書店みたいになっている。異常に品揃えがいい。立ち読みしてる人も異常に多い。これは異常だ。RELAXなんか横に二列並んでいる。なんかバイヤー雇っているのかなあ。それは言いすぎか。
なんかそれを見ながら、昔、実家のある熊本の外れで見たLAWSONが思い出された。そこでは、手作りのサンドイッチが売っていた。近くで取れた野菜を使っているのがウリらしい。あり得ないと思った。でも素敵だなと思った。
企業という縛りの中でのフリーダム。僕もそうゆう気持ちを常に自分の中で持って行きたいと思った。縛られる事に凹まず、ただ自分の考えている事を実現するためにやって行く事。凸凸シテ生きたい。

2005年5月10日(火)

今日は家に帰って来てから、ずっと作曲。また2つ新しい曲ができた。どんどん生まれている。凄いもんだ。
BERGで乾杯。

2005年5月9日(月)

バンクーバー美術館の展覧会のプラン思考。来週には原さんに提出出来るようにしよう。
基本は、0円ハウスを僕が実際に東京で拾ったもので創り、それをバンクーバーまで分解して輸送出来るようにする。
カナダの各地を巡回する予定らしいので、そこでもまた移動出来るようにする。それを中心に写真の展示、僕が作っている自作本の展示、奥の部屋で昔作った映画を流す。写真は大きく引き延ばして、写真だけでも充分伝わるようにしつつ、さらに横にヘッドフォンを設置して、僕の声による解説もつけて、また違った思考を伝えられるようにする。他の作品は今回は展示しないで0円ハウス関連に絞ってみようかと思っている。
それ終わって、ぶらぶら歩いててコンビニでAERA立ち読みすると、僕が載ってた。来週だと思っていたのでビックリ。
なかなかの記事。でも自分の考え方を伝えるにはまだまだ難しいな。でも親父がよろこんでいたので◎でしょう。

2005年5月8日(日)

僕の家が解体される事になったので、不動産まわりしてみる。不動産の社長とウマがあったので、車に乗せてもらって物件を見る。うーん。まだまだ面白いのがみつからない。
そのあと西荻の物件をふうと電車で見に行く。グリーンマンション。見た。やばい。
僕が求めていた場所だ。これは。そのまま物件の部屋へ。ん?日が当たらない、全く。でもその奥の6畳間には小庭がついててそこの雰囲気は銀閣寺。うーん。住みたい。でも日がねー。
そのあともう一件不動産行ってみる。そこの従業員がまたウマが会って、いろいろ面白物件をみせてくれる。そこで見つけた一件に行ってみる。
西荻駅から徒歩1分。商店街ゾイの二階。部屋見る。広ー。6畳間、6畳間、4畳半、キッチン4畳半、風呂トイレ別。なんか廊下もあるぞ。それで8万5千円。同居人と折半で4万5千円しない。よし、これだ決まり!!
僕の事務所ができるぞ!と興奮しつつ西荻商店街を歩く。胸は高ぶり、そしてもっと自分の仕事に気合いを入れて行かねばね!

2005年5月7日(土)

新宿DOINGでレコーディング作業。これはやばいですな。うん。
アルバムを作るのが待てないのでシングル盤を発売しようということに決めた。そうそう決めれば全てがうまく行く。
それを自費で1000枚作る。安かったら2000枚作る。そして小レーベル流通センターみたいな取り次ぎを見つけて、そこから全国のレコード屋に並ぶようにする。そして、一軒一軒営業してまわって、どこのレコード屋でも試聴出来るようにする。聞いてもらえれば絶対に人は買いたくなるはずだ。そして、いわゆるメジャーの世界と同じフィールドに立つ。インディーズとは決して自分たちの事を呼ばない。プロとしてやる。 宣伝もポスターもジャケットも自分たちで手作り。でもチープにはしない。本物を作る。いいよ!のってきている。はやく人に聞かせたい。目標は7月発売。
ジャケットのデザインも進む。タイトルはSING AND DANCE MANだ。これは、ボブデュランが新聞記者からあなたの職業は?と聞かれた時に答えた言葉だ。詩人でもミュージシャンでもない。歌う、そして踊る人!なんです。
彼はわかっている。言葉だけでなく、音楽だけでなく、それが同時に結びあって生まれたのが「うた」なんだって事を!
バンド名は MAN でいく。
よしよし、色々決める事が出来た。ここまでヴィジョンが見えてれば完璧に遂行する事が出来る。ホリエモンよ!まずはヴィジョンだぜ!

2005年5月6日(金)

ルーリードという人がいる。60年代にヴェルヴェットアンダーグラウンドというバンドをやっていた人だ。アンディーウォーホルに見いだされた。そのバンドはあまりにもやっている事が時代を先取りしてしまい、誰も追いつく事が出来ず、そのためレコードも売れず、解散する。
その後、ロンドンに移った彼は、デヴィットボウイと出会う。彼はヴェルヴェットの研究家でもあった。そしてルーの初ソロアルバムをプロデュースすることになる。
それがTRANSFORMERというレコード。
これを最近また繰り返し聞いている。やばい。彼がバンド時代に夢想していた、頭の中だけに鳴っていた音が、現実に表現されている。バックに入っているストリングスが恐ろしい。これミックロンソンというアレンジャーの作業。このレコードを聴いていると、ルーの良さをボウイやロンソンの方がフォーカスされている事が分かる。それはもうルーの良さとかじゃあないのかもしれない。単純に世界が求めていたのだ。
僕も勝手ながら同じ事を考えている。今は、自分より人の方が自分を分かっているんじゃないか?そのことによって僕の知らない僕しか出来ない事がどんどん現実化している。自分自身を人の流れに身を任せる。でもその操縦は異常に難しい。僕はフォーカスされていないために、ここ!というポイントが確実にわかっていない。それを人が見つけれるように目隠しのママ、意識的にやる。もう言っている事がなんなのかわからない。

2005年5月5日(木)

読者が遊びに来た。僕は本を読んでもなかなかその人に逢いたいとか考えないのでフシギになった。これまた頑張っている人だった。僕もうれしくなった。しかも、日本酒もってきてくれた。日記もよく読んでくれているようだった。

2005年5月4日(水)

仕事終って、昔、一緒の研究室にいた木内が明日からニュ-ヨークに修行に行くというので、餞に僕の家に招待。四畳半に招待。いろいろみんながんばっているわけですな。こりゃこちらもしっかりやらんとだめですな。のどごし生おごる。安っっ!!!!!!
その後、この前芸大で講義やったときの生徒がもっと話したいと家に遊びに来た。またいろいろ考えてんだなあとか思った。
世の中安泰だなと勝手に思った。

2005年5月3日(火)

荻窪のル・クール・ピュでランチ。ここはいった方がいい。すぐパリにいける。日航ホテルのグランドシェフだった人が奥さんの実家がある、荻窪で低料金で食べれるフレンチを作っている。ココとにかく凄い。最近こうゆう雰囲気にハマっている。コース食べて900円でおつりが来る。シャレになりません。
そのまま井の頭公園、森を歩きまくる。ジブリ美術館が見えるまでの公園の道がいい。宮崎駿さんさすが。
今日は妹夫妻の上京の餞に、一緒に食事をする。弟とノブも参加。またまた荻窪ル・クール・ピュへ。そうです、ココはディナーもヤバい。コースで1000円払ってオ釣りが来る。ワインもボトルで2400円。こうゆう所が近くにあるというのは幸せ。こういう場所の事を僕は名建築と呼ぶ。建物だけの問題じゃあ無いのです。
そこで大満足になって僕も乗って来て、もちろん高円寺イワンにも連れて行く。今日は、はじめてテーブル席に!カンさんは、僕の講義がどうだったか心配だったみたいでさっそく聞いてくる。最高でした!とリアクション。カンサンもやっぱりね!だそうです。
もう会話も盛り上がり、ワインもまたボトル空け。今日は茄子とトマトがすごい。
とにかく一日中マッサージ状態。こういうところが日本に、自分の近所にあるんだよな。素晴らしい事です。妹達も大満足の様子。
こうやって人を案内するのが僕の本業でしょう。

2005年5月2日(月)

世間はゴールデンウィーク。僕は毎日ゴールデンなので、普通に冷やし中華食べる。
最近の自分の動きを振り返る。0円ハウスの波は少しずつだが起きて来て、芸大で先生もやった。来年は個展ができるかもしれない。音楽も順調で、近いうちになにか結果が出せそうだ。雑誌にも色々出せている。 作品作りも、少しずつだが出来ている。これは時間がかかるからゆっくりとね。でも全然物足りない。
なんか全体で動いていない。自分の力を一つに集められてない。まぁそんな急には無理だろうけど。
この前の講義の時に感じた、全体性のある快感。あそこに絶対ヒントがある。自分自身が動くだけで何かが起きる瞬間。何かを作る人ではなく、その人そのままの瞬間。あれを僕はやらなくちゃいけない。色んな事をやっているけど、それを越えていきたい。歯磨きしてても、何かが起こる、そんな瞬間。おっとあぶないあぶない 入り込みすぎ!
でもそのためには、そんな日がいつか来ると信じて、毎日単純に今、自分ができることをやり続けるしかない。当たり前の事。でもどこにいても満足をしないで知らない自分を見つける努力を怠らない事だ。自分とは、そんな簡単に発見出来るような単純なシロものじゃない。
すべてのものを初めて見たときのように見る、知る。

2005年5月1日(日)

佐藤さんからTEL。翻訳に詰まっているようなので酒でも飲むか!と新宿BERGに誘う。今日はカエターノウ゛ェローゾかかっている。いいねえ。
佐藤さんの翻訳を見る。今回は、彼女の好きなソニックユースの詩集をやっている。どこまで彼女のセンスを出すか、忠実に訳していくか、難しい所。僕はセンスを出した方がいいんじゃないかと思ったのでそういった。佐藤さんのおじちゃんは僕と異常にウマがあう。一緒にいるとなんでも出来る気になる。向こうもそう思っていてくれていると思っている。かっとばさなくちゃなぁ、と二人思う。おじちゃんは僕を変人呼ばわりしない。分かる人である。
その後、また酒。ほろ酔いの僕は駅前のストリートミュージシャンを見つける。
午後九時。ブルース。いい音出してるので、勝手に乱入。休日で子供達も聞いてて、突然の僕の乱入に大人はビビるが、子供達歓喜!!そのまま、ミュージシャンの計らいで、僕のソロ!勿論口でサックス!いいメロディーが生まれたんで一発かますと周りの観客ビビって拍手!ついでにムーンウォークまでやっちゃう。
こうでなくちゃなぁと子供達と踊りながら頷く。
そうそう。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-