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Journal -坂口恭平の毎日-

2005年4月30日(土)

夜九時から、新宿DOINGでバンド(名前はMANです。)の練習。今日はレコーディング。すごい。その一言。7月にはアルバムが出来るなぁ。

2005年4月29日(金)

この前の講義でひらめいた事。
スライド ウッドストック 2005
リキッドル-ムなんかのスペース貸切って、ウッドストックみたいに、でも音楽ではなくてスライドライブをする。参加者は7、8人ってところか?

参加者
みうらじゅんさん
赤瀬川源平さん
大竹伸朗さん
中沢新一さん
岡谷公二さん
ヤマタカアイさん
そして僕。

これは完全に妄想ですけど、それを森美術館のゼネラルマネージャー高橋氏にメールで企画を提出した。多分笑われるだけだけど。
これは視点のライブ。そのひとがどこに注目して日常を送っているかが感じれる。面白いと思うから、僕一人でも現実化していこう。そうそう、まずは考える事。そして、現実化した時のヴィジョンを鮮明にイメージ出来る事。そして、そのために事務的に体を動かす事。これしかありません。
勝手に協力者大募集。

2005年4月28日(木)

仕事終って、ふうと渋谷へ。ジムジャームッシュの新作「COFFEE&SIGARETTE」見る。面白かったけど、もう少し、中で話している事がおもしろければなぁと考えてしまう。
高校生の時にパーマネントバケーションを見て、しかもそれが彼の卒業制作だと知って、嫉妬し、これから僕はどうすればいいのか路頭に迷った。そして卒業制作で0円ハウスを作った。だから、感謝。あと、スピルバーグの激突もね。
神楽坂のくるみでお好み焼き食べようと思ったけどやめた。

2005年4月27日(水)

講義当日。ふうが寝坊しないか心配して電話してくる。無事出発。
芸大の先端芸術学科は茨城の取手にある。駅に着くと、助手の田中さんが車で迎えに来てくれていた。現場に向かう。
みかんぐみの主宰者の一人、曽我部さんと初対面。この人が僕を呼んでくれた。感謝。ついてすぐ授業がはじまる。初授業!!!!芸大は生徒の数が少ないから、7、8人かと思っていたが、30人弱来てくれていた。さぁ僕の講義、いや!ライブを始めます!!!スライドを中心に話す。オッ受けてる。みんな注目。僕が見る限り、誰も寝てない。質問も飛ぶ。いいじゃない!そのままヴィデオもみせる。爆笑。おいおいそんなに笑うなよ。 僕の言葉も止まらない。あっというまに時間は過ぎてった。ソカベさんも喜んでくれていた。面白いって言ってくれた。僕は馬鹿だから信じちゃいます。終ってからも学生は帰らず、僕の所に来る。CDとか、レコード、本とかいっぱい持って来て机の上に並べてたのに、何にも使わなかったから、みんななんだったんだろうと授業が終って見にくる。もっと話したかったので、暇だったらいつでも僕の家に来たら?と宣言!
来週もしたい!と思った。
授業をしながら、またひらめいた。そうです。僕はおしゃべりが得意なんです。多分誰よりも。これをやって行かなくては!スライドももっと沢山の人に見せていかないと!次のやる事が決まった。こうやってどんどん次が見えてくる。
終って、なんと芸大の裏にも0円ハウス村(!)があるらしいので児玉君と田中さんと見に行く。すごい。
今度、また会いましょうと約束してソカベさんとも別れる。授業終り頃、親父が心配して電話してくる。心配と言うか、また何か凄い事が起こっているんじゃなかろうかと思ったのだろう。はは。
帰って一人乾杯。そして次のプロジェクトのことを模索する。良い日。良い日。

2005年4月26日(火)

練馬の桜台にいって、原さんと会う。駅前のパン屋で一服。講義用に使う僕のヴィデオの複製を借りる。本物は今バンクーバーに行っている。
来年の春に行う展覧会について話す。そしてどうゆう物になるかというようなプランをゴールデンウィーク明けに原さんに見せると約束。これが現実になると凄い事になるぞ!
帰りはバスで直接高円寺北口まで。バスで体験する、練馬、杉並間。また新しい体験。世界は様々な視点で、焦点で蠢いている。これを講義のテーマにしようとひらめく。
たまにはバスにも乗らなくちゃね。その発見に、キリンのどごし生で安い祝杯!

2005年4月25日(月)

リトルモアにいって庭の写真集を返してもらう。久々の再会。そのまま新宿BERGにいってビール3杯。やっぱここいいよね。
夜飯は富士川食堂。
そのままイワンに飲みに行く。僕のゴールデンコース。フウと飲んでて途中から亮太も加わる。今日はカンさんとの話しが盛り上がる。僕の講義も凄く楽しみにしている。とても飲み屋の親父には見えない。なんか親戚みたいだ。
かかっているBGMがやばかったのでこれなんですか?と聞くと、「FISING WITH JOHN」のサントラだった。ヤバすぎる!よ!この映画は、ラウンジリザーズという80年代ニューヨークのバンドのリーダー、ジョン・ルーリーが監督している映画。僕は5年前位にヴィデオで見た。カンと僕はピンポイントで繋がっている。彼はもう70歳を超えているというのに!
そのままサントラ攻撃に遭う!次は「花様年華」。もう止まりません!ね!この映画は本当に名作だと思う。ループのマジック。ヴェルヴェットアンダーグラウンド!
気分は高揚し、みんなも満足している様子。それ見て僕も満足。

2005年4月24日(日)

よい天気。ホンマタカシ展を360°ギャラリーに見に行こうとしたが、休みだった。そのまま喫茶店「香咲」へ。ここのコーヒーはとてもおいしい。そしてホットケーキがもっとおいしい。日曜日の昼間が最高に合う場所。名建築!洋書屋「shelf」で立ち読み。ここのオーナーの人とフランクフルトのブックフェアで偶然会った。僕の本を紹介してくれていた。
家に帰ってからNEUを聴く。二枚目!これはA面を録音したあと、予算が尽きたため、裏面を既に録音していた曲の回転数を変えただけで編成したはっきりいって凄すぎる、突き抜けているアルバム。こうゆうのがあるだけで、よし、がんばろう俺も!と思える。
来週水曜日の講義用にラジカセとDVDをセットしてくれるように芸大助手の田中さんに依頼。CANとかいろいろ聞かせたいなぁなんて妄想。今度の講義はまさにライブ!というようなものをしたい。
ぐっすり。

2005年4月23日(土)

仕事終わって、そのまま表参道のNADIFFへ。友人の原さんがキュレーションを担当している展覧会のオープニング。原さんはいつも新しい人を紹介してくれる。NEW MAN CONECTION!!
みんな0円ハウス見て興奮してくれる。まずは興奮から。いずれまた会う時がくるでしょう。
小倉さんがいたので挨拶。そうすると、小倉さん、「丁度、君の事を話していたんだよ。」だって。そして紹介するよといって紹介されたのは、森美術館のゼネラルマネージャー高橋さん。NADIFFをつくるというアイデアを考えた人達の一人でもあるらしい。僕と話すと、高橋氏、お前の作品を見せろというのでNADIFFに置いてある0円ハウスを見せる。ヤバいなといってくれた。僕の話しも興味深く聞いてくれた。 しかし、そのあと彼がすかさず聞いて来た。「お前はその考えをどこでOUTPUTするつもりなんだ?」脱帽。そこです。ぼくは。そこがまだ分からないんだよ!!「わからない。」と答える。と、「分からないからおもしろい、わからないからいい。」だって。これはいい人に会った。「芸能人になった方がいい。」と。それもそうかも、とかも思ってしまった。とにかくやりまくりますからお願いしますと言って別れる。 これも運命。勝手だけどね。いつか一緒に出来る日がくるでしょう!!世の中はおもしろいことだらけ。要はこっちが解放しているか開放しているかだけだ。オープンチューニングにしろ。ロバートジョンソンはよく言ったもんだ。
そのノリノリのまま、六本木で藤川と待ち合わせ。今日はサルサの日。近くのサルサ街のサルサバーへ。熱気ムンムン。ムラムラ。ふうも乗ってきている。 藤川はサラリ-マンだけどそんじゃそこらの草臥れたサラリーマンじゃない。サルサマンでもある。やつはぼくの目の前で熱いダンスを繰広げる。おっと負けられない。こっちも踊る。いろんな人と踊る。一人一人踊るフィーリングが違う。なかなか合うコがいない。
こんな遊びがあるなんて。ふうもまんざらではない。サルサのステップは一度左足出してまた元の位置に戻ってくる。次ぎ、右足下げてまた戻る。永遠に戻る。拡散して戻る。どんなに動いても中心はSTATIC!これはあたらしいグルーヴ。興奮してホームでもデビットバーンのサルサにあわせてフウとアミーゴ。サルサバンドもしたくなって来た。来た来た来た。
タワレコで弥次さん喜多さんのサントラ聞く。ザゼンボーイズ最高。世の中は変わって来ているよ。

2005年4月22日(金)

夜8時から新宿DOINGでバンド練習。今日は僕が2年前に即興でつくった曲にきちんと音を重ねて見た。いい。どんどん曲ができている。これはアルバムができるぞ。3ヶ月後に制作をする。そしてそれを自分達の独力で3000枚売る。そしてそれを10年間毎年つくる。そこまでは決めた。それで頑張って稼いで。そのお金で今度は本も作る。他の人の本や音楽までつくる。そしてそうやって作ったものを売っている店を出す。 キッズたちは新作が出る度にチャリンコでその店にやってくる。なんか違う新しい流れを感じる。これは夢ではないただの目標。また違う所にいけるためのステップ。レッツラドン。

2005年4月21日(木)

ふうと恵比寿リューハーバー。このCAFEは感じがいいので5年ぐらい通っている。二階がいい。話す。
人間の会話をどうにかして具体的に残せないものかと考える。でも残さないからいいんだよと友人は反論する。まぁそれもそうだけど。会話という字は「会う」「言」「舌」なんだよな。言葉を媒体にして舌が会うのかぁ。なんて妄想。会話は舌のランデブー。
その後、渋谷タワレコでTIM BUCKLYのアルバム買おうとしたら、なかったので、群像の編集をしていた村上さんがのんべえ横町にバーをオープンさせたというので行ってみようと電話するとまだだったらしく、亮太とのんべえ横町のフランス居酒屋へ。白麹のイモ焼酎がうまかった。

2005年4月20日(水)

リトルモアの麻原さんから電話があり、AERAの5月16日発売号に0円ハウスについての記事がようやく載るらしい。これは嬉しい事だ。またどんなリアクションなのか楽しみ。この前の群像は案外いい返答。これからもいろいろやってみよう8。
妹の為の本完成。かなり良い仕上がり。さっそく送ろう。

2005年4月19日(火)

僕の家は5階建てのアパート。BIG SHIPという名前だ。ブライアンイーノの曲名が由来。というかアパートではなくて、一泊でも泊まれるし、一ヶ月だけ借りることもできる。ホテルでもある。僕はそこの4階の4畳半を月3万円で住んでいる。どんな人間でもいる。朝から中国人が大きな声で話し、黒人が床を掃除してる。このアパートは壁がない。ただ床が5層になっているだけだ。蔦がそのアパートを森のように囲んでいる。鳥たちも一杯住んでいる。 僕は朝起きていつも通う2階にある、CAFE渚へ。 ここは朝6時から開いている。音楽がいい。しかも、かかっている曲を教えてくれない。僕はその歯痒さを、気持ちがいいものだと切り替える事にした。モロッコの蠅のようなもんだ。そしてただただカフェクレーム飲む。
今日は3階の「蜂の巣」でデビットバーンのライブがある。彼は最近はラテンバンドとストリングスオーケストラがバックでやっているというあり得ない音楽をやっていて凄く楽しみだ。このクラブはこのアパートのどの階からも入れる。心臓みたいだ。そう心臓。ベースとバスドラムの響きは心音。ここにいればどこにも行かない。だれも。ここは一つの街だ。
何でもある。古本屋。サルサバー。指人形劇団のマスターがやっているロシア居酒屋。400円で最高のお好み焼きが食べれる「最後の2$」という店。レコード屋「SUPER SUTADIO」に置かれているレコードはジャンルでは別れていない。ただただ適当に並べられている。でも最近それが適当でない事が分かって来た。でもどんな法則で並んでいるのかは誰もわからない。店長のシミさんも分かっていないんだろう。 このアパートの何が一番凄いかって、このアパートは地面にくっついていないんだ。浮いている。しかも、ラピュタみたいに天空高く飛んでいるんじゃなくて5ミリだけ浮いている。周りの人達は浮いているのを知らない。だから屋上では5機のプロペラが回っている。だけどなぜか無音。このアパートは飛んでいる。飛ぶ家。
そんなところに僕は住んでいる。

2005年4月18日(月)

新宿ヨドバシで芸大講義用のスライドを作ってもらう。スライドってなんでこんなに可愛いんだろう。MUJIで買い物。そのまま杉並区役所へ。今回のプロジェクトのために農家を紹介してもらおうと。いって今回の話しをすると案の定「はぁ?」というリアクション。そりゃあそうだよなと。話しても話してもダメ。今度はJAに行ってみよう。公共機関は本当はもっと感覚が鋭い人間が居なきゃダメなんだと思う。 だからしょうもない公共施設が出来ちゃう。あまりにもダサイ。家に帰って来て、ハワイで撮影した写真を写真集にまとめる。 うん、これはいい。これは結婚式の記念として妹夫妻にプレゼントする。そのあと曲作り。そして日記更新。日記も大分溜まって来た。ドラクエでレベルが上がって来てHPが3けたになってなんとも言えなくなっている時の感じに似てる。続ける事のループ。これは気持ちがいいもんだ。10年続けよう。何かにはなる。

2005年4月17日(日)

昼飯は一蔵のラーメン。ここの醤油つけ麺はやばい。味付け玉子+ごはん、サービス。で600円。
そのあと近所にできた紅茶専門店、覗きに行く。いい。ワッフルも食べれる。
そのあと曲作り。
音楽:TIM BUCKLY 「HAPPY SAD」
これはなんといっていいか説明ができない。SHUGGIE OTIS聞いた時に似た世界を見せてくれる。
電気グルーウ゛の『虹」が聞きたくてツタヤで借りる。あと魔女の宅急便のユーミンが聞きたくて、荒井由美のセカンドアルバム「ミスリム」借りる。「やさしさに包まれたなら」これ凄いよ。
今日はきもちいい。もうこうなったら映画も見よう。
ウォンカーウァイ 「花様年華」
ちょっとこれは凄いよ。終らない映画とでもいいましょうか?ループを多用。しかも、別のテイク。なんじゃこりゃ。時間が一つではない事を再確認。時間軸も複数ある。焦点をいくつも見つける。

2005年4月16日(土)

新宿DOINGでバンド練習。今日も一曲完成。最近乗って来ている。
練習後歌舞伎町の中華料理屋に行こうということになって歩いていると、上山君が作家の中原昌也さんと話している。なんで?ついでに僕も挨拶。同じリトルモアから本出していることもついでに宣伝しておく。前を見ると、芥川賞作家!の阿部和重さん。挨拶。ちょっとミーハー。
その後いつもの中華料理屋へ。とりあえずビール。僕が三ヶ月後にレコードを出すと、叫んだ。みんなまんざらでもない様子。これは実現させる。
とか話してたら、やっぱり店員が寄って来て「魚、食べる?」だって。またまたサービス。いったいこの店はどうなってんの?北海道のコマイという魚のオイスター煮込み。うまっ。
午前二時に店をでる。僕がギター弾いていたら、いきなりおじさんが歌ってといってきた。なんだこの酔っぱらいと思ってみたら、手に持っているのはお茶。そしたらギターヲ弾き出して、プログレやり出す。YESかなんか。下手だったので、駄目だしして帰る。人間やるんだったら、僕こうゆうのできるぞ!とか言って中途半端にやるのではなく、聞いてる方がビビるぐらい真剣にやらないといけない。
そのままなぜか歩いて池袋の橋本の家に行く。オーネットコールマン、紹介をうける。これはコールマンも研究が必要だね。確実にバンドがまとまって来ている。もっと曲を作らないと。

2005年4月15日(金)

フィッシュマンズ「NEO YANKEE`S HOLIDAY」聴く。これはやられる。J POPぎりぎりの世界。平凡の中の、中にまみれた中での非非凡。日本語が愛おしい。そのまま触発されて自分も一曲制作。
近所の酒屋でハートランドビール。最近これにハマっている。この前のリトルモアギャラリーのオープニングで初めてみた。グリーンのボトル、ただそれだけ。ラベル無し。まるでホワイトアルバム!外国のビールと思っていたら、キリンだった。すごいキリン。栓のデザインもいい。
妹の夫が転勤決まって東京にくるらしい。楽しみ。
農地を借りる計画。農家に何軒か電話する。みんなおばあちゃん、おじいちゃんばっかり。そうだよな。話してもなかなかピンとこないようだ。そうだよな。これはなにか他に手を打つ必要がある。でもこれじゃダメとわかってよかった。とにかく手をうつ。しばし、夢をみる。農地の真ん中に僕の家が建っている。見た事もない家だ。

2005年4月14日(木)

富士川食堂のおっちゃん、おばちゃんに昨日の馬刺をお裾分け。なんか近所の店なのに家族みたいになってきたなこりゃ。ぼくは素敵な店が大好きです。

2005年4月13日(水)

熊本の小学校の時の同級生のおばちゃんから最高級馬刺送られてくる。僕の本読んで感動したと電話してくれた、スナックのママです。そんな事まで起こってしまいます。とにかく感謝。こんな馬刺普通食べれません。しかも、6、7人前あった。びびった。
そうゆう事で親父、亮太、ノブ、マコ呼び出し、僕が主催の誕生会。4月13日、僕の誕生日です。西城秀樹と同じ日です。ふうはアンディーウォーホールと一緒なのでそっちの方がいいです。
それはそれで、馬刺がヤバい。うまい!またこの人吉の醤油がいいのよねぇ。馬刺が食べれるところは、その昔、馬が交通機関だったとき、疲れた馬を、元気のある馬に交換する中継地点だったらしい。この前中野で亮太と飲んでいた時に隣りで飲んでいたベンチャーの社長が言っていた。駅という字は馬の尺と書くのも昔の交通が馬だったからだそうだ。蘊蓄いいたくなるほどうまい。
焼酎は黒霧島。芋!焼酎は暗くなくていい、やっぱ九州。泡盛もそうだが、自然に輪になっていく。

2005年4月12日(火)

ふうと神楽坂。ニンニク料理屋で飯。ニンニクパワー授かるが、食い過ぎてニンニク臭い。

2005年4月11日(月)

今日は一日休日。朝から区役所へ行く。今度、実践!!0円ハウスの為の農地を探す。農家の情報が沢山集まる。彼等に一人一人聞いて、少しのスペースを貸してくれる人を見つけよう。農地に、小さな家を建て、農作物を育てるという実験を試みようと思っている。そして、その過程をまとめて、ソローの森の生活のように本にしたい。ちょうど今すんでいる家が壊されるので家を追い出されるのでちょうどよかった。 新しい生活のあり方を実践して示せないものか?中学生でも家を建てられるようにならないか?とか少し面白そうな事を考えている。しかも、僕は夢想しない。現実に起こそうと考えている。

2005年4月10日(日)

昨日夜徹夜で仕方なくそのまま吉祥寺へ。井の頭公園は朝9時なのにもう満席。ギリギリスペースを見つけたのでそこを花見場所にする。僕は場所取り番長。とにかく寝る。睡眠、睡眠。昼過ぎても誰も来ないので昼寝、晴れ渡り、春陽気に僕は昇天。隣の花見客がビールをくれた。
3時過ぎにようやく何人か集まってくる。結局20人程きたみたいだ。知らない人もいる。カホリちゃんが手作り料理を持って来てくれる。この人の料理はホント美味しい。山田さんはくずもち。
花見は盛り上がりに盛り上がり、結局僕は朝9時から、夜11時までいた。でも疲れた。
二次会で近くの料理屋へ。ビールでしめる。帰って銭湯。今日はお疲れさん。

2005年4月9日(土)

夜8時に新宿DOINGでスタジオ練習。僕が作って来た曲をバンドで編集作業。ここのスタジオはヤバすぎる。というか普通の一軒家を改装しているだけのもの。Bスタの隣はオジさんの家になっている。中学校の放送室とかの臭いがぷんぷんする。こうゆう所では何かが生まれるものです。
上山君が最高のリフを思いつき、それでやってみる。いいねぇ良い曲できた。スタジオ一回で一曲完成をめざす。三ヶ月後にアルバムを作るという目標を設定する。なんでも設定しないと物事は進まない。というか設定すると物事は確実に進歩していく。
練習後近くの中華料理屋へ。僕たちが興奮状態であるのを悟ったか、店長の差し入れがぞくぞく届く。太刀魚の揚げ物、アジ二尾。ビールも250円。そう来なくっちゃ。
今日も僕はJポップを目指している。アングラではダメだ。最高に分かりやすくて、聞きやすいもの。それでいて聞いていくうちにとてつもなく深い所に連れて行かれる様な曲を作っていこう。他のメンバーも乗っており、とにかく楽しい。毎週一回集まると決定。

2005年4月8日(金)

夕方から岩ちゃんと会う。イワンで飲む事にした。先週も行ったのに、また行きたくなっちゃう。
小説家を目指す彼は作品ができると僕に見せてくれる。最近はさらに面白さに拍車がかかる。期待大。しかし、小説は持ち込みで出版社が受け取ってはくれず、大方が新人賞をとらなければ話にならないのが実状のようだ。それは恐ろしい競争率だろう。
イワンのコンビーフポテトが絶品。陽子さんの料理はホントおいしい。小さいイチゴもサービスしてくれる。
話は作品のテーマに絞られていく。永遠を表現したいと、岩ちゃん。僕はふいに、幼少時を思い描く。なんであの時に好きだったものは今でも強烈なのか?あの頃の登下校の道の風景は何でもないのに強烈に記憶しているのか?それらは意味をもっていない、真空だ。しかし、僕の中では必然を持っていて、なおかつ愛らしい。ビートルズの歌にも同じニオイ。 なぜストロベリーフィールズのような複雑なメロディーを、ぼくはまるで童謡のように記憶しているのか?
そんなものを自分で創り出したい。意味なんか軽く飛び越えて、ただただカッコイイもの。ただただ記憶してしまうもの、頭から離れないもの。それはまさにメロディーだ。ついつい無意識でハミングしてしまうもの。それを求めている。

2005年4月7日(木)

紅さんがご飯食べに来たらと誘ってくれる。ふうと目黒の家に向かう。グレープフルーツとスウィーティーをお土産に持って行く。夕飯は、おじやと、サラダ、と煮物、レンコン、カボチャ。この人の料理は、日本のおふくろの味とメキシコが混ざっていて、まったくそんな料理味わった事がない新鮮であり、さらに懐かしさも感じられるという不思議なものだ。そのあとのエスプレッソも素晴らしい。
最近の僕の近況等話す。彼女は僕が本など出す前からの良き理解者。
彼女の最近の仕事も聞く。かなり動いていて刺激受ける。

2005年4月6日(水)

講談社群像編集部より、群像新刊が届く。見てみる。アッ僕出てる。しかも、いい。

2005年4月5日(火)

一日中、庭の作品にとりかかる。何か乗り移ったなこれは。やった。
今回は執筆を増やそうと思っている。だから、今は鉛筆もってとにかく書く。書く。
こうゆう時は飯もいらない。

2005年4月4日(月)

この前孫さんにあって色々言われ、ずっと考えている。僕にもっと凄い可能性があるんではないか?もっと自分が気付いていなかった自分があったりしちゃったりするのではないか?
高ぶるが、手ぇ 動かず。ウイーン。なんかシャッターが閉まる。でも開けようとする。そのシャターはやたらと重い。
0円ハウスの続編では決してない、もの。それでいて自分の言っている事は同じ、そして発展、なんかそれは難しいけど、基本的にぼくはマゾなんでゾクゾクしてしまう。
庭はまだ分からないけど、やるだけやってみる。だけど、それは僕の中では枝のような役割の様な気がする。もっと根っこに向かいたい。
スマイリースマイル聴く。これはビーチボーイズの不朽の名作ペットサウンズのあとに作られた全然売れなかったアルバム。
ブライアンはペットサウンズを作った後にすぐビートルズにサージェントペッパー作られて落ち込んで、スタジオに引きこもり、作ったのがこれ。
最高ですよ。
何かのヒントになる。このアルバムの作られ方は!

2005年4月3日(日)

井の頭公園で花見の予定だったが、なんか昨日のニュースでどこも晴れないといっていたらしく、延期になったようだ。僕は絶対晴れると思いながら、早起きした。ほら晴れた。
BERGで弟、ノブ、フウと待ち合わせ。遅れてオヤジ登場。なんかもうオヤジ、普通の親友みたいになってきたな。こりゃ。僕も早めにビール。
そのまま小田急で世田谷美術館へ。瀧口修造展を見る。彼の集めていた作品やら、作品とは思えない様なものまでが、等価に並べられていて、まるで彼の家に遊びに行った様なニオイがする。こうゆうのやってみたい。自分も。おかげで刺激受ける。オヤジに感謝。オヤジが見に行こうと誘ってくれた。よく調べている。彼は。ははは。NHKの新日曜美術館がいかに人に影響を与えているかも考える。いい番組だ。
見終わって、砧公園の桜も見ながら、デニーズで昼食。久々のファミレス。海に行った日の帰宅中の雰囲気。なんでだ?デニーズはそんな場所にある。僕の中でね。
そのあとオヤジ帰って、みんなでイワンで飲もうぜぇーということになり、いってみるが店しまっている。日曜日は閉まっているのか。仕方なくその近くのレゲエバーで黒糖焼酎。
夜9時頃僕だけ、そのまま日暮里行ってまた違うカナダ人キュレーターが遊びにきて、しかも僕の0円ハウス買ってくれたらしいので挨拶に行く。日暮里の小さな中華料理屋。だけど満席みたいだ。彼はアントニーという名前。今「IMFORMAL ARCHITECTURE」というプロジェクトを主宰しているらしい。読んで字のごとく、普通ではない建築だ。僕の為にある様な企画ではないですか!!これは面白い。 しかもバンクーバー美術館のブルースとも知り合いらしい。というかいい兄貴らしい。これはまた繋がった!もうこれだけ動いていればどんな事だって起こりますよ。でもそんな感慨に浸っている場合ではありませんので残念!
制作、制作あるのみ。アドレナリンがほとばしる!今年も楽しみになってきた。遠くからやってみないかと訊ねてくれるなんてあり得ないと思っていたけどこれはありえるね。

2005年4月2日(土)

菅ちゃん家にいってウイスキーのみ。はっぴいえんどききまくる。なんかひらめく。不思議だったのは音楽聴いていたのに、音楽に関してのひらめきではなく、僕の次の庭の作品についてだった。
そうゆう事が起こるという時は、僕の場合何か起こります。これは今まできちんと統計をとっているので当たるでしょう。人はそんなことを宇宙人という。しかし、僕にとってはなんの不思議でもない、だって統計をとっているのです。
世の中に偶然は存在しません。

2005年4月1日(金)

ボブデュラン「JOHN WESLY HARDING」を聴く。これは時代でいえばナッシュビルスカイラインの前のアルバム。評論家の評価最悪。でも僕にとっては最高。
というか評論家という人達はなぜあんなに人をけなせるのか不思議である。それよりも自分が一番感動したものを恐ろしい程に評価してみろよ!と思う訳である。どうでもいいと思ったものに関しては触れなければ良いのに。だってそんな評論はまず評論された作家は見ない。そんな関係性でなにがうまくいくと思っているのか?人は誉めるだけでいい。と僕は思う。
でもたぶんその人達は本当に好きなもの、本当にプッシュしたいものがないんだろう。評論家という場所が好きなのだろう。あはは。
自分がだれにも譲れないと思う程好きなものに対して好きと言う行為、さらにそれに反応して自分も表現してみると言う行為
それだけで良いんじゃないか?
まぁちょっとオヤジ臭いかこれジャ。
それはそれでいいとして、その評論家たちには酷評されたそのアルバムがいい。ぼくにとっては。これは一見フォークアルバムだ。でも実際はフォークファンクアルバムだ。そんなもの他に聴いた事がない。
デュランは常に前進する。周りの評価に左右されない。むしろ対極に居る。それでもただ破滅的に前衛をするのではない。すべてをわかった後で、それらから遠く離れて自分だけとやり合う。かっこいいじゃあないですか。いろんな事で妥協しようがかまわない。でも自分には真剣に望む。しかも自分がどうゆう人間なのか、なんか全く気にしないで自分のやる行為だけに真剣になる。
またこのアルバムジャケットの写真がやばお。これは見なければわかりませんが。なんというか写真家が作りに作った写真なのではなく、学研の大判写真集のインカ帝国の中に入っている様なまん中の折り目ついてもいいから大きく引き延ばして、紙いっぱいに神殿を見せたいと言う気持ちが乗っている写真に近い。僕のなかではそういうものを写真と読んでいます。へたくそでもなんでもいい。撮りたいものである。人に見せたいものである。 それだけなんです。
それでこのアルバムのなかのALONG THE WATCH TOWERという曲はまさにファンクなのであるが、それを聴いたジミヘンがすぐに録音したと言うのもいい話。彼もわかっています。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-