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Journal -坂口恭平の毎日-

2004年7月31日(土)

1日爆睡。
寝た後、WIREとSLITSを弟と聞き続ける。
彼らは70年後半から80年にかけてロンドンで活躍したバンド。
WIREの一見するとコテコテのギターのカッティングのように見えて、でもどう考えても違うと思わせる弾き方に頭を悩ませて、嫉妬する。
夜から外出。今度のブリュッセルの展覧会用の映像を編集するために伊藤氏の家へ。
「移住ライダー」の方は完成する。
そのあと飲んで、悪酔いしてしまう。いかん。

2004年7月30日(金)

午前中、志村坂上の凸版に行く。
海外事業部の島田さんにあって、今度のフランクフルトのブックフェアーについての詳細を聴きにいく。
こちらの個人で売り込みに行きたいという思いを分かってくれて、いろいろな情報をくれた。
そして、凸版のブースに私の本を置いてもいいが、それよりあなたが自分自身で本を手に持って海外の出版社、書店、取次と直接話して、売り込んだほうが十分な結果を収めるのではないかといってくれた。
待つのではなく自分から突っ込めと!!そうですね!!!
帰り際、島田さんは私の年齢を聞き、若いですねいいですねといいながらさらに「燃えてるんですね」との発言。
そうです「燃えているんです」!!!
海外でのセールスが今後の自分を占うと思っているのでこれはぜひとも現地に赴き、売り込まなきゃ始まりませんな!
いざフランクフルトへ!!!

2004年7月29日(木)

夜、読書。磯崎新+福田和也共著「空間の行間」読破。
これは非常に面白い。
中でも、重源と夢窓国師についての話が非常に興味をそそった。
重源は東大寺南大門などをつくった建築家。
夢窓国師は西芳寺の庭園などをつくった庭師。
私としても今、建築家と庭師の二つが一番気になっているのですぐ入り込んだ。
彼らの特徴としては、仏道や禅道などに入り込みすぎずにその周辺をうろうろとしながら作品を作ることだけに費やしていたことだ。
伊藤ていじ著の「重源」には帰国して建築をやりやすくするために、仏教徒ではないのに中国に行く彼の姿が描かれている。
ここらへんの彼らの心理に今私は熱く注目をしている。
一休さんも。千の利休さんも同じ匂いを放っている。
彼らは、幕府にも天皇にも、つかず自由に動き回り自分の思想を具体的な建築、庭、茶室へと具現化していった。
本居宣長の「古事記」に対する思いもそれに続く。
彼らは所謂日本的な、手法から一歩抜けていた。
皆が「わび・さび」「仏教」「禅」といったものを追求するためにあると信じていた、彼らが作ったものは、本当は違う意図をもっているのではないか?
それが光琳の屏風絵にもつながる「真空性」をもっていると思う。
彼らは政治的、仏教的、金銭的な様々な要素から自由だった。
そんなものはどうでもよかったのではないか?
それよりも自分が創造した作品を完璧なカタチで実現することだけに集中していた。
そのため、彼らは動き回り、政治的な要素も自分の思考の実現のためだけに利用したのではないか?
そのようにしか私には見えてこない。
そしてそのやり方は今のこの時代に表現をやるものに対しても重要なヒントを与えてくれる。
誰にも影響されずに自分の思考を実現する。
このとてつもなく難しい難題に彼らは答え、永遠に人の想像力の「真空性」を訴えているのではないか!!!!

2004年7月28日(水)

3時30分から、有楽町マリオン朝日記念会館の談話室で週刊朝日のインタビュー。
1時間30分にも及ぶ。副編集長の矢部さんが話を聴いてくれた。
そのうまい操作で、私は楽にこの本ができるまでの自分の流れを説明することができた。
今回の話で、自分が意識していなかったことまでもが、今の自分の根っこのほうにあるということが自覚できた。
満足のいくインタビュー。そのあとポートレイト(!)撮影もあり、すこし緊張。
でもこんな形で自分の考えているコトを話せるという感動の方が確実に勝っていた。
だんだん人が自分の話を聞いてくれている。1年前には考えもしなかったことだ。
しかも、フランスのBLAST編集長のオードリーから最新号が送られてきた。
載ってました!0円ハウスが!6ページ!やってくれましたオードリー!
またまた揺れ動く一日でありました。

2004年7月27日(火)

深夜NHKで中国のリサイクルに関する番組をやっていた。
中国は今、日本から鉄くずや、ペットボトルを回収している。
それを自国へ持ち帰って安い賃金の労働者をつかって、99パーセントリサイクルしている。
日本ではお金をもらってリサイクルするのに、中国人はそれを買ってもって帰るのだから、日本人も中国人に渡してしまうのだ。
そのリサイクルされた原料はまた、日本に輸出されていくそうだ。
なにか象徴的な番組だった。中国が今強いといわれる姿を目の当たりにする。

2004年7月26日(月)

午前中、フランクフルトブックフェアーの打ち合わせのはずだったが寝坊!
仕方なく、リトルモア川井君だけ行ってもらうことに。謝罪!
その後、築地にいって友人たちに会う。(私、大学でてから1年半築地で働いてました。)
本をもって挨拶。みんないつもと変わらず。
お店のお母さんが、味噌汁とおにぎり作ってくれた。美味!
帰りに新宿の高島屋の書店に寄る。
自分の本が、日本の写真家たちのコーナーに平積みされていて、まったく現実感無し!
ボクがつくったビニールシート製のポスターも置いてくれていた。感謝!
こうなったら本当にフランクフルトではがんばらないと。
でもちょっとその件がうまくは進んでないので、慎重にやらないと。
でもまあうまくいくでしょう。楽観!
7時からは人形町で日本カメラ社のインタビューを受ける。
副編集長の吉野さんと記者の上野さん。
初の写真撮影。二人はボクの本をすごく気に入ってくれていて。話は弾む。感謝!
しかもホームページまで見てくれていて、さらに話は弾む。謝謝!
ボクも調子に乗ってしまい、本の話を越えて、自分の考え方、これからの構想にまで話は至る!
RELAX!夕飯は尾道少女(?)えっちゃんと中目黒でカレー。
画家の古武家君は個展前で忙しくて会えず。残念!
でも彼から広島米をいただく。感謝!
彼もヨーロッパにボクと同じ時期に売り込みにいっていたらしく、興味津々!
その後、えっちゃん家で同居人の尾崎君とみんなで喋り捲り、シャワーを借りて(僕は風呂無し)帰宅!!
日本カメラの反応はとにかくうれしかった。
PAPERSKYのブックレビューに0円ハウスが紹介されていた。
井出さんのおかげ。感謝!
明後日は週刊朝日インタビュー。どうなるのかな!!

2004年7月25日(日)

大友克洋監督のSTEAMBOYを新宿で観る。
画像はとてつもなく凄いが、見終わった後一体なんだったんだろうと止まる。
ハリウッドのアニメ版という感じが抜けないような気がするが・・。うーん。
そのあとは博多からきている小林兄弟が家に遊びに来る。朝までとにかく話す。

2004年7月24日(土)

ヤン・シュバンクマイエルの映画をイメージフォーラムで見る。
見たことないのばっかりで嬉しい。
いつかFILMを撮りたいものだ。自分も。
その後は、家に帰って、フジテレビの27時間テレビを見る。
今年は芸人がみんな凄いから面白い。笑いまくる。
深夜のさんまに圧倒される。彼は凄い。
笑い飯は今回はまあま。

2004年7月23日(金)

午前中近所の喫茶店に逃げ込む。
家は四畳半で風通しが異常に悪いのでね。そこで中沢新一「森のバロック」読了。
いやあ旅のような読書でした。
南方熊楠という思想家の解説書というのを通り越して、中沢氏の思想ともリンクしていった。
見事!最近は本当に熊楠ばっかりです私は。
午後7時からは千駄ヶ谷のSPECTATOR編集部へ。
編集長の青野氏、あとケイ君と3人で談話。
次号で取り上げてもらえそうなので、色々と案を練る。しかし、話は広がり続ける。
まだ時間がありそうなのでもっと思考しよう。
最近は一つの事をしていても、それをそのまま終わらせないように心掛けている。
常に次につながるように少しでも広がりそうになったら頑張ってそれを育てるようにしてる。
その瞬間は何も重要なことに見えなくても、後から気づく事が多くなったからだ。
深夜寝苦しくて起きてテレビを付けるとTVKでプロモがいっぱい流れていてそのなかでケミカル・ブラザーズの「STAR GUITER」が流れていて(!)それが凄すぎて!
普通の電車から見た動いている映像で(世界の車窓からのような)、でもよく見て行くと、流れているハウスビートに会わせて電信柱がシンバルの音とシンクロしてタタタと流れて行く!
要に、音に合わせて風景が一見すると分からないようにサンプラーのように被さっているのだ。
夜明け前の驚き。そのまま寝不足バイトへGO!!!!!!!

2004年7月22日(木)

午後6時に神保町の美術手帳編集部へ。
なにかリンクするものがあった時に取り上げてくれると言ってくれた。
出版社廻りもそろそろ終盤にさしかかっている。7月一杯で一回終了する。
そしたら、ブックフェアーと展覧会の準備、そして新作にさっそく取り掛かろうと思っている。
確実に動いてるので今回の営業は絶対にうまくいくでしょう!
動けばうまくいく。パリのときからそのことだけは変わらず!

2004年7月21日(水)

午後五時に朝日新聞社へ。
今日はAERAの崔さんと会う。
今回は、私がどうゆう人間かを説明する必要がないほど理解してもらった。
面白い!!と一言!
そして評論家の大竹昭子氏が絶対気に入るとまでいってもらい、何か企画してくれるそうだ。
これはひょっとするとひょっとするぞ!!
そのあと久しぶりにHOME編集部の長島さんと会う。
彼はホームページを見てくれているらしく、こっちは素直に喜ぶ。
夜は親父が営業してきてくれた10冊分のサインをして親父に渡す。
これは本当にありがたいです。かなり営業ははかどっているらしく感激。
掲載された記事もすべて見ていて喜んでいた。
こうゆうのはいいなあと自分も素直にサインに応ずる。
いろんなことが起きて、そしていろんな人が動いてくれる。
これからまたヨーロッパ行脚を敢行していくとさらにそれに拍車がかかる。
この本が発端になってはいるが、それだけではない状態。
夜はNHKで心の師匠、南方熊楠の事が「その時歴史は動いた」という番組で取り上げられていた。
どんどんいろんなことが繋がっていく。さあ、これで満足せずにどんどんいきましょう!!!

2004年7月20日(火)

午前中リトルモアに行く。
読売新聞の記事を見る。いい。
フラッシュの記事も川井君にも見せる。いい。
二つともとてもいい。ホウはほんとにやってくれました。
これでヨーロッパ旅行がまたできる。10月5日から23日まで二週間強。
しかも今回はまた前回と気分がぜんぜん違う。展覧会に出品できるんだもんね。
いやいやなんか凄い事になってきたぞ!しかも、日本でもリアクションはいいし・・。

2004年7月19日(月)

一日休憩。
夜はまたふーの叔父さん叔母さんと食事。荻窪の回転寿司。
叔父さんは元々NHKの「日本の素顔」という看板番組のプロデューサー兼ディレクターをやっていた人で、話を興味深く聞く。
その後、ボクの本を見せて、今度はボクがしゃべりまくる。
叔父さんは今は退職して、次は小説を出版したいらしい。
葉っぱをかけられたと、喜んできいてくれる。
75歳なのだが、その生命力にはびっくり。
深夜、コンビニで「FLASH」を見る。自分の写真とインタビューが掲載されていた。
結構いい感じの記事で大満足。
ホウから届いたとのメール。
しかも、十月にブリュッセルで行われる展覧会で、出品したいらしい。
しかも、私はその時期にちょうどドイツにいっているので完璧だ。
よしよし、動いてきましたよ。日本でも。ヨーロッパでも!!

2004年7月18日(日)

伊藤氏の家で、ホウに送る映像づくり。
世の中便利になったね。
そのままパリに送れるんだもんね。ばっちり送れる。
その後、下北のマックイーンで生姜焼き定食。2年ぶりぐらい。
夜は、戸塚でふーのお母さんに出版記念でご馳走になる。

2004年7月17日(土)

フランスのホウから、早くメールで資料送れ!
と言っていたのが判明し、今日はできないので明日友人に頼んでやろう。
はー、英語はまだまだです。
しかも、連日のいろいろでちょっとさすがに疲れた。
今日、明日、明後日は休憩を取ろうと思っている。
友人から購入したとの連絡あり。ありがとうございます!!!!!

2004年7月16日(金)

今日の朝刊の読売新聞九州版に「0円ハウス」のことが掲載された。
結構大きく取り上げてもらったらしい。らしいってまだ見てません。
さらにメールでフランスから「BLAST」のオードリーから雑誌が出来上がったとのこと。
ようやく出来上がった。6ページチャンと載っているだろうか?
これは世界中で発売されるから非常に重要な雑誌だ。
今日送ってくれるらしい。早くみたい。
昼過ぎから東横線、みなと未来船乗り継いで横浜美術館へ。
写真展のオープニングに原さんが連れて行ってくれた。
学芸員の天野さんに会う。奈良さんもちらっと見た。
そしてそのまま今度は恵比寿の写真美術館のオーストラリア写真展のオープニング。
ここではオーストラリアの面白そうなレジデンスをもっているギャラリーのオーナーに会う。
彼女はもうすでに0円ハウスをみていてくれていたようで、「いい」と言ってくれた。
久しぶりにコレクターのジョニーとも会う。
さらに親父から本をかったからサインしてくれとの電話。
自分の家で待っててと言ったら、なんとボクの家の電気が滞納で切れていて親父は入れる状態ではなく、そのまま帰っていった。
すまない。しかたないので、そのままふーの実家に今日は泊まる。なんだコリャ。

2004年7月15日(木)

クイック・ジャパン編集長森山氏と会う。感想は上々。
しかし、これから私がどういった具体的なことをやっていくのかを鋭く聞いてきた。
そうです。それが重要なんです。
この本をつくり、さらにどうそれを展開していくか、自分も色々案を練りながら考えている最中なので、なんともこういう話にはズキンとします。
しかし、それをきちんとやることでこの本の意味が変わってくる。
本だけでなく、建築、編集、写真、そして自分の考え方全てをきちんと表現していかなければいけない。身が引き締まります。
今日から全国書店で発売です。
何人か本を買ったとの電話あり。ありがたいです。

2004年7月14日(水)

phat PHOTO の安藤氏に本を見せる。
氏は1ページ、1ページゆっくりと私の説明付で聞いてくれた。
私はいつもその写真一枚一枚について真剣に話してしまう。話しすぎてしまう。
これがいいのか悪いのか?分からない。
でも分かってほしくて説明しているのとはちょっと違う。
今回雑誌社、出版社をとにかくリトルモアの川井君と回ったが、どうすればいいのかと手探りではじめたが、一緒に回って本当によかった。
そして、ヨーロッパで回っていたのとの相違点が見つかった。いい意味でも悪い意味でも。
しかし、何でも見て経験するしかないという当たり前ができてよかったと思う。

その後スタジオヴォイスに依頼された原稿を渡しに行く。
編集の鈴木氏に3年ぶりぐらいに出会う。
氏は今回の本の出版の話をしたときに快く、しかも原稿をかかせてくれるという事をしていただいた。ありがたい。
そのかえりに川井君と食事して帰宅。
フランクフルトで毎年開催されるブックフェアーについての話。
今年のブックフェアーに私は個人ブースで出品する予定だ。
決定はしていないが、こっち側はやる気満々である。
日本でも頑張るけど、もうちょっと違う場所もきちんと見ていかなければいけない。
そのためにもこのブックフェアーは非常に大事な催しである。
日本支局の方があってくれるらしい。
それで何とかできればよいが・・。どうなるかな。

2004年7月13日(火)

読売新聞社で前田氏に本を見せる。
氏も路上生活者を取材したことがあるそうで、かなりつっこんだ質問が続く。
その中で私が建築的部分に着目している点が重要であるという話になる。
ここまでこの本についてこの営業中に議論がなるのは初めてだ。
それだけにこっちも力が入る。

2004年7月12日(月)

午後五時に朝日新聞社へ、アサヒカメラ編集部。
その後週刊朝日の編集部の横を通ったら副編集長の方が見えたので、次回の打ち合わせ。
朝日新聞社の談話室でインタビューをするということになった。
ありがたい。これはほんとに面白くなりそうだ。気合いれましょう!
その後SWITH編集部へ。
編集長の猪野氏が会ってくれた。
本を細かく見てくれて、さらに僕に沢山喋らせてくれて満足のいくプレゼン!
しかも氏も快く聞いてくれた。
今回、結構営業で直接編集の人たちにあって話す機会があったが、ヨーロッパ行脚の時も感じていたが、直接会って話すと本当に何かが起こる!
この調子でイコウ!唯一の取り柄のフットワーク攻撃を畳み掛ける!

2004年7月11日(日)

今日はライブ当日。午前中練習。
その後昼過ぎからちょっと抜けて、谷中銀座へ。
キュレーターの原氏と食事。
昔あったフランソアも来ていて、嬉しかった。
変なペルシャ料理屋「ザクロ」でランチ1000円。
1000円でメニューとかなくてどんどん料理がでてくる!おかわり自由!
とにかく食べきれないくらいでるのがここのセールスポイントなので、どんどんどんどん。
しかも、まわりの客はペルシャ風の布を体に纏ってもうよくわかりません。
でも中東のノリがしっかりある素敵な店。
そして6時からライブ。
今回は前回よりお客さんも増え、やるバンドも増え、なんか進化してました。
でも自分たちの音にはちょっと不満足。反省あり。
昨日のmoodmanとの話でまた次のアイデアが出てきたので次はまた違ったものをやりたい。
来てくれた人ありがとうございます。

2004年7月10日(土)

昼過ぎに石山修武研究室に行く。
久しぶりに石山氏と会う。
氏がどんどんやれと言ってくれたおかげで、0円ハウスが生まれた。
それもあって本を渡しに行きました。
「よく、まとめた。」言って頂く。
しかし、その後は「今どうやって食べているんだ?」とか心配される。
分かっているだけに痛い。
でもとりあえずはこれだけでやっていけるようにやるだけやってみると返す。
その後、サンパウロ大学のセシリア氏を紹介してもらう。
彼女はブラジルでスラムなどの研究をしている。
日本にも隅田川の0円ハウスを調査しにきたことがある。
午後4時からはIDEEに本を見せに行く。友人の紹介でいったのでよくしてくれた。
うまくいくといいが。
その後参宮橋ゲストハウスへ。地下のスペースを視察。
広くていいのだが、展覧会をやる時に光が欲しいと思うようになってきたので、そうゆう場所がないか今考えている。
夜はトミーのイベント見にマンゴスチンカフェへ。
MOODMANはずっと7インチの80年代ロンドンニューウェーヴをかける。SLITSにしびれる。
その後彼と80年代ロンドンニューウェーヴが生まれる背景の講義を受ける。
しかも彼はSLITSのリーダーにインタビューをしにニューヨークまで行ってきたそうだ。
しかも、誰からの仕事のオファーではなくて。
帰ってきてもどこにも載せるところが無かったから自分の連載に掲載したらしい。すごい。
でもその気持ちが一番強いのに、他では取り扱ってもらえないのは変えていかなければ!

2004年7月9日(金)

今日は講談社へ。フライデーへ営業。
面白いとはいってくれたがさすがにフライデーは難しいのか?
担当の編集者はやっぱり女性を掲載したい気持ちが伝わる。それは重々わかる。
でもやっぱりそんなところにドカンと一発かましたい!とも思った日でした。
いろんな人からのメール。自分のスケッチを、ホックニーの青年時代にそっくりというメール。
素直に感動。
明日はいよいよ一部書店で発売開始!どうなることやら・・。

2004年7月8日(木)

週刊文春の児玉さんと会う。快い対応。
彼女は入社2年目の新進編集者。
企画として提案してくれるとの事。感謝。
彼女自身はすごく気に入ってもらえたみたいで好感触。
その後、福岡から上京中の若い青年、小林類が家に遊びに来る。
彼は知り合いの紹介で上京してきた特は会っている。彼は思想家を目指している。
話を聞いていると、だんだんこっちも興奮してきた。
音楽と哲学に興味を持つ。
ふたりでチャックベリーがなぜすばらしいのかという話に進み、ロックンロールに呼ばれて出てきた彼のあのギターリフは尾形光琳の杜若の図に勝るとも劣らないほどの真空性をもっている。
利休の茶にも通じる。所謂唯一無比なのだ。
利休が茶を確立していきその後も茶が続いていくわけではなく、彼が茶なのだ。琳派などはありえない。
チャックもあのテララ・・・のリフ、ラップの前世の歌いまわし、そしてあのループ。
すべて音楽というジャンルではない。チャックベリーがロックンロールなのだ!

2004年7月7日(水)

今日は週刊朝日の副編集長、矢部氏と会う。
彼女もきちんと熟読してくれる。そして反応は・・・「いい!」だった。
書評コーナーだけではなく、どこかで特集のようなものができないか検討してみるという返事が!!!やばい!!
とにかく好印象で僕もヒートアップしまくり、熱弁の嵐。
ちょっとしゃべりすぎたか?まあそれぐらい感動した。
ちょっとづついろんなところで反応が返ってきている。しかも好印象!
ひょっとしたらひょっとするかもしれないので気を抜かずどんどんイコウと思いました。

2004年7月5日(月)

今日はTBSに行く。
そこでNEWS23の鎮守氏と会う。
氏は快く会ってくれて、作品もきちんと全部読んでくれた。
そして今は選挙が忙しいけれど、それが終わったら何か考えて見ましょうといってくれた。
いいぞ!ここは結構重要なポイントなのでがんばりたいと思う。

2004年7月4日(日)

今日は飯沢耕太郎氏の奥さんが原宿で展覧会をやっていたので、行ってみる。
そこで3年ぶりぐらいでフリーキュレーターの原氏と偶然であう。ほんと偶然ばっかりだ。
ちょうどタイミングよく僕の本を二人に見せることができた。
二人とも反応は上々!!とても気に入ってくれたようだ。
そして、展覧会をやるべきだといってくれた。これはいい流れだ。
なんか最近は大きないくつかの波があちこちで発生していてそれらがぶつかり続けている。
そんな気分だ。

2004年7月2日(金)

今日、昼過ぎから日経新聞社へ。
文化部の白木氏と面会。撮影の動機などを鋭く質問される。
どう思っているのだろうか?良くわからないまま話は終わる。
とにかく本を見てほしい。見てからが本番だ。
氏とは今後また話しに行きたい。
その後夕方から、光文社「FLASH」編集部へ。
永島氏が本を見てくれる。いきなり沈黙で本を読み続ける氏。
ある程度読んだところで、13日発売号に掲載したいといってくれる。
そのまま奥の部屋でインタビュー。うまく伝わったようだ。
ページ数も増やしたいともいってくれた。面白いことになりそうだ。
今日は終始リトルモアの川井君と回る。まずまずのスタート!

2004年7月1日(木)

いよいよ本が完成しました。
出来栄えはばっちりではないでしょうか!!
いやあ長かった。でも粘ってよかった。
すばらしい本が生まれましたよ。
リトルモアで集まって浅原さん、川井君、佐藤さんと4人で乾杯!全員充実した顔。
発売日も15日に決定する。
よし、これからは営業がんばるぞと。
この本は本当にたくさんの人に見てほしい!!!

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-