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Journal -坂口恭平の毎日-

2004年6月29日(火)

リトルモア川井君より7月分の持ち込む出版社、テレビ局の日程がメールで届く。
彼も気合入れてくれて、本当に力を入れてくれている。
これは私も頑張らねば。7月は宣伝に専念。
みんなに本を手にとってもらいたいもん。

2004年6月28日(月)

14時30分から日吉の東京総合写真専門学校で飯沢耕太郎氏の授業に参加する。
そこで話をしてほしいと言われたのだ。
すぐ僕の話をしてくれということになり、本をつくる動機、持込時の詳細、編集時のやりとり、そして印刷、さらに海外売り込み話と・・、僕としては今回のことは語りつくしても尽きないので次から次へと話は止まらない。
飯沢さんも苦笑い。でも半分ふんふんとうなずいてくれる。
そこに来ている生徒たちは、やっぱり写真家としてやっていくことに漠然としたイメージしかなく、そのことがある「不安」を彼らに作っていた。
僕としては自分の話をして、彼らの気持ちが少しでも高ぶってくれればという気持ちでとにかく喋り捲った。
意外といい反応で授業が終わってもそのまま喫茶店にみんなで場所を移してまた話。
みんなも次第に打ち解けて面白い話が飛び出す。
飯沢氏も気に入ってもらえたみたいでいろいろなところに持って行きなさいと連絡先を教えてくれた。
感謝。いやあ面白い授業でした。
その後はリトルモアで打ち合わせ。今回は営業担当の人も一緒に話をする。
書店からの注文はかなり面白いことになってきた。作ってきた販促グッズもそれなりに面白いと言ってもらえたのでよかった。
男5人で打ち合わせたのだが、なんか頼もしい。
ほんとにみんなで一丁やったるか!という感じになってきている。
川井君も出版社周りに本腰を入れていて闘志を感じてしまう。
よっしゃこうなりゃやらねばね!!

2004年6月27日(日)

今日は一日、制作活動。
書店用の販促グッズを作る。簡単なものなんだが、意外と面白いかも・・。
明日リトルモアに持っていってみよう。
書店もいくつかはありえないことに結構おいてもらえそうなので、ここは私もその気持ちを無駄にせぬようにしなければ・・!
いよいよいろんなことが動いてきて面白くなってまいりましたよ。
夜は7月11日のライブのための打ち合わせ。
まだ出演バンドも完全には決まってないので、ちょっと焦り気味。
しかも発売日と完全にカブッテいるのでどうなることやら。
まあいくつか曲のスケッチは固まる。こっちも面白くなりそうだ。

2004年6月25日(金)

林さんに頼まれていた本の制作終了。
今回も結構いい本ができた。やはり自分としては編集の方の仕事も重要な側面を持っていることを再確認。
しかし、この感覚をどのような手段をつかって表現するかが非常に難しい。
僕の本は単に写真集ではなくて、編集していくときの頭の思考回路が感じれるものになっていると思う。
そこまでに持っていくことが自分にとっての「表現」なのである。
出来上がったものは問題ではない。
人が本を入り口にして思考の渦を体感できれば幸いである。

2004年6月24日(木)

書店の注文が意外にも好評なため、書店用販促グッズとして何かできませんか?とリトルモアの方から提案があり、面白そうなのでアイデアを練る。
0円ハウスの1/10の模型を作ることにした。それなりに素材も同じものを使って作ってみよう。
タミヤのプラモデルみたいに箱まで作ってみようかな。
ちょっと面白そうなので本腰入れてやってみる。

2004年6月23日(水)

先週まで岐阜の友人、林さんが家に遊びに来ていた。
彼はまた今まで撮っていた写真を持ってきていた。
私は彼に頼まれてそれらの写真を選び本を作った。これで彼の本は2冊目だ。
彼は写真をやっているのだが、今回話しをしてみるとそれが微動していることが分かった。
捉われずにやろうとしているのが伝わる。
こうゆう話は実に有意義である。こっちも頑張らなくてはと思う。
自分の作り上げた感覚を無視せずに固定しない。この微妙な按配が必要だと話し合う。
林さんの友人で文学をやっている岩田君もやってきて、久々に青春談義のような光景。
やろうとしている人間はまだいる。そしてそれを表現として、表、社会に出すことの重要性を感じる。
やっぱり考えていることがあるのなら、表面上に浮き出していかなければいけない。思っているだけではだめだ。
いまさらながらそんな単純なことを思い返す。
やらなければいけないし、それを伝えなければいけない、変化をもたらしたいのなら。

2004年6月21日(月)~22日(火)

印刷立会いの日。
初めて凸版印刷所を訪れる。インクの匂いが凄い!
今日で全てが決められる。
朝一で印刷ホヤホヤの一枚目を凸版印刷部の若手のホープ桑原さんが持ってくる。
それを僕と、編集者の浅原氏と、デザイナーの宮川氏の三人で色を一枚一枚チェックしていく。
その僕たち側からの提案がうまく通っていくのかが始まる前の僕の心配事だったのだが、それは職人さんたちの顔を見た途端に消えうせた。
職人さんたちもこの「0円ハウス」を見て、とても気に入ってくれていたのだ!!
これには僕も参りました!!
製版の杉山さんは印刷担当ではないんだが、心配になったのか立会い室に顔を出してばかりいた。
3回目ぐらい顔を出したときは、千布さんという製版の相棒も連れてきて、二人で挨拶に来てくれた。
その時に、この本に対する凸版の職人さん側からの思いを感じることが出来た。
そんな事起こってしまうんだなあと思った。
彼らは色んな写真を全て記憶していて、さらに文字も全部読んでいて、ほんとに面白いねと言ってくれた。
これは浅原さんと僕にとって予想できなかった。
それだからこそ、本に対する自信が強まった!
いやあホントニいろんな人が関わって、感動してくれて本が出来ているのです!
この気持ちは紙面上に絶対に乗ってしまうような気がする。
書店からの注文も順調のようだ。
なんとなく面白い波みたいなものを感じながら進んでいる。
そこに今日の職人さんの気持ちも入ってきたというのはすばらしい。
ホントニいい本を作ろうとしてる気持ちが完全に伝わったという実感が強まる。
立会いは無事終了。
かなり感動的なフィナーレ!帰りに浅原氏とちょっと乾杯!

2004年6月18日(金)

一日自家用版「0円ハウス」案のスケッチ。
これがなかなか難しい。
僕としてはシステムにできない不確定なものを図面化していきたいのだが、そうするとすぐスケッチは拡散してしまい、掴み取ることができない。
路上で拾えるもので家を作っていくことが重要なのだが、それでは毎回毎回全然違うものになってしまう。
そこに小さい何らかの規則を作ることができれば、さらにそれを超えていく「例外」をうみだせるのだが・・。
まあもうちょっと続けてみよう。

2004年6月17日(木)

ボブ・ディランの歌の作り方。
かれは詩からつくるのでもなく、曲からつくるのでもない。同時につくるのである。
まず彼はギターを持って思い思いに歌を歌う。
それはきちんと言語化されてないものだ。
さらに彼はまた同じようにその歌をうたっていく。
そうするうちにそれらの言葉のような音に焦点が合ってくる。「FOCUS」していくのだ。
その音たちは次第に言語化され、いつかそれは完成し、「歌」となる。
彼はそのように一昨日のピカソの話のように思考の動きに注目する。
ここで僕がどちらにも感銘を受ける理由が分かった。
要は思考そのものなく、思考の「運動」が問題なのだ!!!!!

2004年6月16日(水)

今日は昼から雑誌「paper sky 」の副編集長の井出氏と会う。友人の紹介で会った。
paper skyが最近作った「246」とい青山一丁目にある本屋で話す。私の本を見せる。
彼も以前、大阪の西成の方に住んでいたらしく話はスムーズに進む。
その後、展覧会の企画の話をする。
彼の友人の持っているスペースでエキシビジョンをやっていこうという話が出ているのを聞いていたので、ぜひそこで私の展覧会をやりたい。
それも写真展のようにただ写真を並べるのではなく、僕が作った「0円ハウス」や、自分で撮ったドキュメンタリーを流したりできるような、複雑な人間の思考の動きを体験できるような展覧会を。
その話を井出氏に話すと彼もすぐ理解してくれて、考えてくれるそうだ。
面白くなってくるといいが。

2004年6月15日(火)

フィリップ・ソレルス「例外の理論」を読む。
序文には創造の行為が行われるときにその内側から行為を覗き込みたいという彼の願望が描かれ、聖書と「アヴィニョンの娘」が並列しているという刺激的な文章が続く。
それらはジャンルに縛られることのない、「例外者」だと彼は説く。
私の頭もスッキリしていく。
ピカソの文章が引用されている。
「わたしが絵を描くのは他の人が自伝を書くのと同じことだ・・。わたしには思考そのものよりも、思考の動きのほうがずっと興味深く感じられる。」
また「造形の行為そのものは二次元的なものにすぎない・・・。大切なのは、行為そのもののドラマ、つまり宇宙が逃走しておのれの崩壊に遭遇する瞬間」と!!!
限りない個人というリアリティ。
それこそが全く人と異なる自分にとっての表現となる!
私も止まらず、このままで突っ走ろうと誓う。今日は収穫!

2004年6月14日(月)

深夜、NHK「夢/音楽館」で松浦あややのライブを観る。
彼女は凄い!
今日はいつもと違ってバックには生ビックバンド!
しかし、彼女はどんな状況でも自分の歌を100%出せる!
彼女の音楽に対しては僕は殆ど関心がないが、彼女の歌声は人を魅了するものがあると思っている。
そして、なにより僕が感じるのは、彼女が歌を歌っている時に彼女から発生する万能感だ。
今彼女は何をやっても自分の力が100%出せるのであろう。
少しも気負わず、さらに油断もしていない。
この姿は非常に参考になる。
いいぞ!あやや!

2004年6月13日(日)

中目黒のart bird booksという僕も非常に頼りになっている写真集屋に本を見せに行く。
店長は加藤氏という方で、本を見せるととたんに表情が変わり、しだいに興奮状態へと突入!!
僕が意図している新しい記録写真のコンセプトをすぐに理解してくれた。
この人の写真集のコレクションには尊敬の念を持っていたのでいい評価をしてもらい単純に喜ぶ。
そして氏は、写真評論家の飯沢耕太郎氏に電話をかけて紹介してくれることに。いい流れだ。
その後、自分からも電話をかけると、会ってくれると言ってくれた。
日程を決めている時に、氏は東京総合写真専門学校の講師をしているのでそこに来てということに。
しかも何か学生に喋ってくれないかとも言われる!面白くなりそうだったので快諾する。
日時は6月28日。今日は人の流れがかなりスムーズな1日でした。

2004年6月11日(金)

フランスのblastからメール。
雑誌に載せる写真を早急に送れとの指示。
友人宅で慣れないパソコンでどうにか送る。
六ページ分掲載してくれるそうだ。7、8月号に載ります。
この雑誌は、ヨーロッパ、アメリカ、香港、東京で発売されるのでかなり色んな人からの反響が期待できる。
その後、編集長のオードリ-からギリギリで間に合ったとの返事。

2004年6月10日(木)

柄谷行人氏の「隠喩としての建築」を読む。
その中にマルクハーンという批評家の言葉が載っていてそれがすごく気になった。
「彼は初期印象派の絵画はテレビの画面を先取りするものだ」と書いてあった。
いずれも点の集積で画像をつくるからだ。
つまり、近代絵画や文学はテクノロジーと関係しているどころか、それ自体テクノロジーなのである。これは非常にショッキングな言葉である。
芸術家らしい、それっぽい作品が多く作られる今、この言葉はすごく意味を持ってくると思う。
新しい感覚を私たちがそれらの作品から感じたとき、それは新しいテクノロジーを意味するのではないかということだ。
この視点で歴史を振り返るととても興味ぶかい結果がえられるのではないか?
非常に新鮮な気持ちになる。
午後はリトルモアで打ち合わせ。
再来週には印刷の立会いができそうだ。
その他、詳細もほとんど決まり、後は営業頑張ろう。
できるだけ多くの人にこの本を見て欲しい。
そのための最善は最大限に尽くそうと話し合う!!

2004年6月9日(水)

「超ひも理論」研究中。
1980年代に生まれたこの物理理論は、相対性理論と量子論を結ぶ重要なものである。
超ひも=super strings。
これは原子を形成する素粒子の元になっているものは、点のように二次元的なものではなく、ひも状になっていて多次元的に広がりをもつという考え方であるが、そのことの感想は読了後することにする。
僕が今読んでいて、「ひも」という言葉に何か頭の中のジグソーパズルが出来上がったかのようなスッキリした感覚を抱く。
「ひも」は弦楽器を想像させ、音楽的なイメージを呼び起こす。
古代ギリシャ、ピタゴラスたちは、数学を研究する時、音楽のハーモニーを参考にしていた。
弦楽器、例えばギターを二本用意する。どちらも同じ調律をしているとする。
一方を鳴らし、もう片方に近づけるとその鳴らしていない方のギターも、完全に調律が合っている場合のみ音を鳴らす。いわゆる「共鳴」だ。
彼らはこの音楽の「共鳴」には地球的規模の法則があると確信していた。
それらの音は1度、2度、3度と数字で表している。数字、数学によって地球と共鳴しようとしたのではないか?
この両方の相反しそうな音楽と数学を古代ではむしろ同時に考えていたのはとても興味深い。
彼らはその他の建築、天文学、医学などすべての学問が地球と共鳴するためのものとしてかんがえていたのではないか?
今の細分化している状況とは真逆だ。
目的のための手段であるテクノロジーは細分化することには厳密に考えると意味があまり無いように思える。目的に向かおう。
そのために様々な技術を駆使する時が来ているのである。

2004年6月8日(火)

次のライブの予定を立てる。次回は来月の中旬になる予定だ。
今度はもうちょっとバンドを増やしていこうと思っている。
何か例外者たちのライブのようなものになればいいと思っている。
どこのジャンルにもそぐわない者たちの表現の場。
ただ、音楽のイベントを今行う必要性があるという直観はあるのだが、それがどこに向かっているのかがイマイチはっきりしないのは確かにある。
それは僕が音楽をやる理由にも繋がる。
まだ自分が行っている仕事の一貫性を完全に感じきれてない。
しかし、こうゆうことはじっくり時間を経たある日気付いてしまうというような体験はある。
とにかく大事なことは前に進ませることだ。そのうち分かることだ。

2004年6月7日(月)

午後6時より新橋ヤクルトホールで福田和也vs柄谷行人の公開対談を見に行く。
題目は「21世紀の世界と批評」。
物質と観念の二項対立のものだった世界が、情報によって壊され、物質も観念も情報に取って代わってしまったという話から始まる。
そのことはハイデガーが言っているのだが、コンピューターの出現で哲学が死んでいく。
そのまま話はナチス時代にドイツに協力していたフランス人(コラボと呼ばれていた。)につながり、ハイデガーはその時の書簡にナチスがアメリカ二ズム、グローバリゼーション(ハイデガーも一時ナチスにコミットしていた。)に抵抗できる可能性のあるものとみていたと書いているらしい。
市場経済におけるグローバリゼーションは個人を希薄にするもので、それに対抗するするものとして完全な個人性として何があり得るのかという話に変化していく。
1930年代は資本主義にたいして文学や国家が抵抗していたが、現在はグローバリゼーションの波を受け、国家というものも消え、文学で抵抗するというのももう無理があると。
それでは何かというと柄谷氏は(普遍)宗教と語る。
どのような宗教かというのには今回触れなかったが・・.福田氏は暴力についてアルジェリアの思想家のファノンを取り上げる。
「黒人は白人によって受けた迫害の傷は、‘暴力‘によって抵抗した時に回復する。」
この言葉は今の世界情勢も物語っている。
じゃあそのなかで文学が出来ることは何もないのか?
そこで福田氏は、小説は、小説にしかできない事を、映画が登場してから始めたことを言った上で、小説にできるのは、映像化できない、人間の内面、認識の運動の時間であると言う。
内面を通過する時間。
ドンキホーテのような叙事詩は完成された世界で全て物事が成立しているために内面の世界が存在しない。
しかし、近代文学はこわれた世界に住む、こわれた人間のこわれた事物を扱っているので内と外が顕在化し、偽善が存在する。
村上春樹についても話し、彼の作品は、内面と外面の区別が無い状態であるという。
しかも、そのスタイルも形式化することで社会も現実も存在しないような状態になり、彼のスタイルがそうなることにつれて、世界中で彼の作品が読まれる(グローバリゼーション化)ようになった。
本居宣長の話になり、彼のいっていた「大和心」と「唐心」のことの説明。
そこで宣長の「大和心」とは、好きな事をして、食べたいものを食べ、好きな女性と遊びまくるというような意味だったらしい。
理性を超えていく超感性のことだ。
ハイデガーはニーチェの「神が死んだ」という言葉を神が本当に死んだという意味ではなく、神と物質の境界線が死んだということであり。
神の中に物が存在し、物の中に神が存在する。
そしてそれらをそう現すのは「情報」であるという事も彼は指摘する。
人間ではないのだ。人間はそのネットワークのインターフェイスでしかない。(ボルツ)
そのような情報化時代の日本を福田氏は年の差のギャップが希薄になっている状態であるという。
そのような時代は以前にも一度あった。
それは皆が浮世絵、歌舞伎、相撲を見、十代の少年が40歳の中年に勉強を教えたりしていた「江戸」である。
現代日本の「江戸化」。話は、世界自体も「江戸化」が進んでいるというところで終わった。
かなり興味ぶかい話だったが、批評家が今現在の文学を批評しない対談とは、これからどうなるのか彼らも分からないのだろう。

2004年6月6日(日)

「TACT」開催日。
まさにTACT(直感)だった。
自分たちで機材、照明を配置し、場所も大学の中。
完全に手づくりで場合によっては最悪の状態も免れないなと思いながらのぞんだ。
結果は予想以上の展開。みんな音楽を欲していることに気付いた。説明できない。
しかし、今回の動きはムーブメントに成長していきそうなくらい手ごたえがあった。
一緒にやってくれたNO`IN ONEがまず、一発目にドカンと凄い音をだしてくれて、来てくれた人たちもなんか異常なことが始まってたような予感を感じる。
そして僕たちのライブ。
僕も興奮状態に入っていて、バックのみんなもそれにうまく乗ってきてくれた。
今まで練習してもいないような音たちがポンポン出てくる。
お客さんも振動しているのが分かる。久々の一体感。
こんなライブやりたかった。それがやれた。
興奮状態のまま、お客さんも交えて次は神楽坂居酒屋竹ちゃんでさらにセッションは続き、至福。
次も来月に開催することをその場でみんなで決める。
よし、色んなことが絡んできた。もっと面白い音楽家を集めよう。
そして、ポスターは今井コウタに頼む。今度は伊藤に映像も頼もう。どんどん広げていこう。

2004年6月5日(土)

ケン・ラッセルの映画「ソング・オブ・サマー」を観る。
ケン・ラッセルはあの「アルタードステイツ」という映画を作った監督で、彼がBBCのテレビ監督だったときにつくった音楽家の半生の映画です。
ここには一人の芸術家の創造の過程が描かれている。
音楽家の名前はフレデリック・デリアスというひとで、彼は梅毒のため失明し、体も思うように動けなくなっている。
そこに、ラジオで彼の音楽を聞いて感銘を受けた青年が、彼の手足となって作曲を手伝いたいと訪ねてくる。
そして、デリアスとその青年は二人で作曲を始める。
そこで青年はデリアスが本当に真の姿で自然にぶつかっていき、音楽を自然から得ていることを発見し、青年はさらに発奮し作曲をしていく。
この映画はその光景をその人物にクローズアップするのではなく、作曲の過程を通じて表現している。
まだ売れっ子になる前の頃の作品だが、僕は一番衝撃を覚えた。
そしてかれが描いているデリアスのような正直な、真っ直ぐぶつかる表現者になりたいと思う。

2004年6月4日(金)

藤森照信氏の雑誌の文章を読む。
彼は、建築が他の技術と比べてかなり遅れていることを指摘する。
飛行機、橋、船舶などは常に効率のために最先端技術が利用されているのに建築にはそれらのほとんどが実際は利用されていない。
というか「建築」というものは実はそれらの技術を駆使するような分野とは完全に違うものである。
ここは非常に重要なことであるように思う。
技術としての建築の発展は、今後あまり期待できない。
かといって芸術と称し、絵画のような建築をつくるというのも、ちょっと違う。
その間にごろんと寝転がっているものなのだ。
彼は、その見出しに、「これからは、アウトサイダーといわれている人たちが、建築を作っていく」と書いてある。
これはどうゆう意味なのだろうか?
僕が考えたのは、まず人間みな実はアウトサイダーであるということだ。
人間個人個人を見ていくと、それぞれ違う趣向、性格を持ちながら生きている。
しかし、大抵の人間は自分はインサイダーであって、社会に順応している、その社会全体の一部であると感じている。
しかし、それは全くの幻想であって、個人個人はそれぞれが部分でしかない、それらを集めたような「全体」と呼ばれるものは実は存在しない、一昨日も書いたように、勝手に人間が輪郭を描いているに過ぎない。
そのため、私たちは、インサイダーではなく、アウトサイダーであるとも言える。
しかも、中心点が存在しないので厳密に言えば「イン」と「アウト」では区別できない。
そのことを自覚したときにこそ自分独自の斬新でも革新的でもなんでもない自分だけの「建築」「生活」「環境」が生まれるのではないか?
彼はそれを逆説的に「アウトサイダー」と言っているのではないか?

2004年6月3日(木)

リトルモアで打ち合わせ。
今日は表紙と、カバー、裏表紙、帯の色校が出来上がる。出来映えは上々!
いつも時間は予定より遅れてしまうことが多いが、その分、仕上がりは抜群にいい。
これで全ての色校が揃い、調整を済ませるといよいよ印刷が始まる。
今回は、印刷所の見学もできそうなので、いい体験になりそうだ。
はやく出来上がった本を見たい。
まあここまできたら焦らずやらなくてはね。

2004年6月2日(水)

夜、音合わせ。
よくまとまってきたのだが、まとまったら駄目なのだ。
下手くそに意識的にやるのではない。
自分自身に対してだけ素人であることだ。
自分自身をまだよくわからない未知の存在として認識する。
とても難しい作業だが、僕としては日常をこのような感覚で送りたいと思っている。
それが音にも現れてくれば面白いことになるだろう。
今回は全員集まって練習することができた。
しかし、練習といっても僕たちは毎回やるごとに新しい曲をやっているので厳密に言えば練習ではない。
既知と未知についてだが、旅行で成田空港に行くときに、なぜかいつも乗っている山手線から見える風景が未知の風景に見える。これはいつ体験しても興奮する出来事だ。
これはどうゆうことを示すのだろう。
私はいつもこの時の「目」を使って日常を生きたいと望む。
すべてを初めて見た時のように見る。なぜ違うのか。
すぐ人間は慣れる。慣れるということは輪郭を描いてしまうということだ。
輪郭など実際には無いと思っている。
それぞれの細部が揺れ動くことで物体は安定している。
むしろ不安定だからこそ、それは生存している。
旅行に行くときなどは、日頃の感覚がリセットされるために、いつもは簡単に架空の輪郭を描いて周りの風景を見ていた目が、すべてが部分部分の集合だと気付く。
それが風景を見たときの印象を劇的に変えるのだろう。
そのためには、常に全体を描かず、部分の集合であることを意識することが大切である。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-