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Journal -坂口恭平の毎日-

2004年5月31日(月)

ケイ君と待ち合わせ。
本を返してもらう。
SPECTATORの編集長、青野氏も僕の作品を見てくれていて、気に入ってもらえたようだ。
ケイ君は編集をやっているのだが、これからの事で面白くなりそうな話。
彼とは色々やってみたいのだが・・。
その後、マダムKの家に、パリでお世話になっていた滝田さんが帰ってきていると連絡を受けたので、目黒に行ってみる。
久しぶりにあう。
今回は滝田さんに本当に助けられた。感謝している。
今日は僕も含めて4人が遊びに来ていた。
僕の今回の旅の話などする。
全員、会話はスパークしてしまい、朝の六時半にまで及ぶ。
これからの励みになるよい集会でした。

2004年5月30日(日)

昼過ぎにスタジオで練習。
今回の編成は僕(歌・ギター)亮太(ドラム)新庄(サックス)上山(ピアノ)橋本(ウッドベース)の5人。
曲は大体この前上山君が家に来たときに作っていたのでその音合わせ。
今回の曲は色々なレコードからサンプリングしてループを作った。
サンプリングといっても、機械を使っているのではなく、耳できいてそれを生楽器でサンプリングしていくのだ。
この前聞いたキースジャレットの曲もサンプリングしている。
練習はベースをいれなかったが、大方うまくいった。
セッションやインプロビゼーションとはちょっと違う形にしたいと思う。
それでいて固定されていない音楽を目指す。
僕の主催のライブは初めてなのでどうなるのか全く見えないけど。
目的は続けることでもある。

2004年5月29日(土)

以前言っていた「TACT」というライブ大会を開催することに決定!!
第一回目は僕たちのバンド「TUNING」と友人達がやっている「NO`IN ONE」の二つのバンドのライブ。
日時は6月6日の日曜日。
場所は早稲田大学学生会館地下一階の103号室。夜7時から9時30分までやってます。料金は500円。たくさん見に来てください。
今日の夜は、トミーとヤスのDJ聴きに代官山へ。
音楽は生音でやるべきだと思いつつも、やっぱりDJのかける音楽も好きなんです。
しかし、それはまた違った聴き方をしているのだろう。
DJが流している音楽で言えば、名前も知らないレコードがかかっている時のほうが「音に気付く」事は多いように思う。
その時、僕はどうしても知りたくてDJのところに寄っていって曲の名前を聞いてしまう。
しかし、聞いてしまった途端にそれまでの得体の知らない振動が「ぴた」と止まってしまう。
知らずに家に帰るのが一番いい。
でもあのときに震えてしまったアノ曲を家に帰ってからも聴きたい!という欲望も強いのである。
結局僕は、毎回曲名を聴いて、帰ってからレコード屋で買ってきて、一人家で聴いて満足する。
しかし、家で二回目にその音を聞いたときにはもう初めて会ったときのような振動は襲ってこない。
その曲のどこがいいのかが分かってくるだけである。
僕はいつもあの初めてすごい音楽を聞いたときの振動を求めてしまう。
二回目からの聴き方とは明らかに違うのである。
二回目からは体で聴いているのではなく、頭で聴いて理解している。
しかし、初めての時は頭で聴いている暇がない。体全身を必死に使っているのである。
人間は音を耳によって聴いている。僕は耳には二つの使い方があると思っている。
一つは、会話のときのように受信する使い方。まあこれが一般的な使用法だろう。
最近私が考えているもう一つの使い方は、楽器としての耳だ。
僕には耳がサックスとかの管楽器の口をつけるところ(あれは何というんだっけ、マウス?)に感じられてしょうがない。
人間は耳から音楽を入力し、体の内部全体を使って、入力された音を増幅していく。
人間の体全体が楽器となるのだ。
その時は、音は頭で理解するのではなくて、ただ感じている。
僕が音楽を聴いていて振動を感じるときはいつもこのイメージがぴたりとあてはまる。
耳は体の外からの音楽を内にINPUTするのだ。
初めて曲を聴くときはこれだけしていることになる。
二回目からは頭もつかって聴いているのだ。耳はアンテナであり、また楽器でもある。
この不思議なパラドクスを見つけたとき、人と話す「会話」が盛り上がってきたときの事の説明ができる。
「会話」は不思議なものだ。「もの」じゃないかもしれない、「生き物」だ。
会話を続けていくうちに、興奮状態になってあるグルーヴがうまれることがある。
ヨーロッパでそうなった時は、相手があたかも日本語で喋っているのではないかとも思わせた。
それは、アンテナとして受信しかしていなかった耳が、ある境界線を越えていき、会話を「理解」するのでなく、「感じ」れたからではないか?
その時、耳は楽器へと変態していく。
そこではもう言葉の意味など関係なくなっていく、というかその「意味」すらがリズムになっていくのではないか?
体は人間の気付かないところで、様々な運動を起こしている。
まだまだ解明する事はたくさんありそうに思える。
だってまだなんで人が物を「見る」ことができるのかさえ完全には分かっていないのだから。

2004年5月28日(金)

中沢新一「幸福の無数の断片」読書。
その中のアールヌーボーに対する彼の見解が非常に興味深かった。
彼はまずそれが「芸術」であることは二次的な意味しか持たず、それはまさに「工芸」であるという点を指摘する。
それは無から有をつくるのではなく、材料である物質自身の持つ「くせ」に自分の想像力を適応させていかなくてはいけない。
アールヌーボーは最後まで謙虚な非個人性の特徴を失うことがなかったと。
ガラスや鉄や銅や石がもつ「カオスモス(カオスとコスモスが一体になった状態)」の中から職人たちは自由な動きに満ちた秩序を出現させながらも個人主義のしがらみからも自由な立場で、地下鉄やポスターや建築というような人々が日常接することのできる作品を通して表現する。
さらに彼は最後に「浮世絵」を通して日本の「無」の感覚を取り入れて発達していったとしながら後半に日本人に対する意見をこう述べる。
「日本人はかつて一度も、自分から芸術などをつくりだそうとした覚えのない民族である」
日本人はアートを単体で生み出すことはせず、常に何かの目的で作っていたらそこに突如「アート」と呼ばれるようなものが出現してくるのだと。
「工房哲学」。この点はなんかもっと探る必要がありそうだ。

2004年5月27日(木)

ロンドンの書店shipleyから連絡。
ぜひうちの本屋に置きたいとのこと。
ここの書店はアートから建築、テクノロジーなどそこら辺のアート系書店とは趣味が違うのでいい。
パリのofrからも早く本を遅れと催促。
ヨーロッパの個人書店のパワーを感じる。まだまだ印刷物も可能性あるな。
ネットがどんなに広がっていっても、人間は手に取ることの出来る「物」が必要だ。
本はその点で、ただの情報だけではない。しかしネット上も最近は僕は侮れないわけで・・。
ダモ鈴木のホームページ拝見。http://www.damosuzuki.com
コノ人は1970年代に完全に今主流になっている音楽観を予知していた「can」というドイツのバンドのvocalをやっていた日本人だ。
彼は今も「never ending tour」と題し、終わらないツアーを続けている。
ホームページはまた凄いことになっていた。
日々続けられるツアーの記録が記され、さらにダモ鈴木とチャットで会話ができるようなシステムになっている。
彼のページはまさにその人の頭そのものになっている。情報だけではないのだ。
その人の頭の構造が顕わになっている。浮き出てきている。
ホームページはこうでなくちゃいかん。
しかし、コンピューターとはなんとも奇妙だ。
自分の頭の中のものが外の空間に顕在されていく。
さらに本やコンピューターと同じように音楽も情報ではないかというような考えが浮かぶ。
しかも理解する情報ではなくて、「感じる」情報だ。音楽はひとつの予知である。

2004年5月26日(水)

ロンドンで知り合ったケンケンが製作した映画の映像を日本に持って帰って知り合いのケイくんに渡してくれと頼まれていたので、今日彼に渡した。
新宿でちょっとお茶を飲みながら談話。
自分の本の話もして、作品も見せる。
ケイくんは、「SPECTATER」という雑誌の編集をしていて、僕の作品にも興味を持ってくれたようだ。
そのまま編集室に行ってみませんかと言われたので、行ってみることに。
場所は千駄ヶ谷のマンションの一室。
狭いワンルームの部屋が編集室だ。
そこには他の編集者や、編集長もいて、すかさず本を見てもらう。
彼らも、ホールアースカタログの主宰者のスチュワート・ブランドにインタビューを試みたこともあるとか話していたので、僕の本のインスピレーションの一つに「シェルター」や「ドーム・クック」などの雑誌があることを話す。
かなり興味を持ってくれた。
日本でもヨーロッパのようにもっと色々持っていって話をすることの重要性を感じる。
これは売り込みというのとはちょっと違うかもしれない。
その後も色々話は飛び交い、その中で「trolly」というロンドンの出版社の話が出てきた。
彼らとは交流があるようだ。
そこのADをしている人が今日本にいるから会ってみないか?と言われた。
この出版社は、私がパリで会ったBLASTという雑誌の編集者がロンドンではそこに行け!と教えてくたところだった。
しかし、ロンドンに着いていってみたものの、編集長が忙しいということで会えなかった出版社だった。
それが回りまわって日本で会えるなんて・・。
世界はよく分かりません。距離感が全くつかめなくなる。
しかし、また繋がった。ちょっと時間はかかったけど・・。
ヨーロッパでの行動はまだ僕に面白い体験をさせてくれるようです!!

2004年5月25日(火)

昨日の深夜に、今井コウタ来訪。
ワイン二本買って話まくる。
彼とは今日初めて会った。紅さんが紹介してくれた。
彼は、今はサラリーマンをやっているがもうすぐ辞めて、ブラジルに飛ぶそうだ。
ジョルジ・ベンかー。いいな。
彼は24歳の若者で、画家を志している。
出会ったそばから彼話し出す。僕も応戦!
まだ自分のヤルベキ事を探している最中のようだ。
彼の印象派たちの絵画への理解は興味深い。
最近の現代アートにはほぼ興味がないようだ。
ブラックとピカソの関連について話が盛り上がる。
ブラックは直観で「キュビズム」を発明した。
しかし、ピカソの方がうまかった。と僕は思っている。
ピカソにとっては「キュビズム」は手段でしかなかった。
彼は絵画を描くということが目的ではなく、ダイナミックな生を体験するためのプロセスでしかなかったと私は考えている。
ブラックは絵を描いた。ピカソはプロセスを描いた。
どちらがいいとかではない。ただ向かっていくところが違ったのだ。
その話を進めていくうちに、今井コウタはほんとに絵が好きなのだな。絵を描いていきたいのだな。と思った。
それに比べ私はどうだろう。
自分はどこに向かっているのか?自分としては概念においては先が分かっているのだが、それは一体何なのだろう。
久しぶりに自分の事をこういう風に振り返る。
僕は断然プロセスとしての作品を作っているのだろう。それは分かる。
その先が空間認識についての事であろうというのも分かる。
でももう一つ先がいるのである。空間と空間の間にゼリー状のものがあり、そのおかげで私達には世界の輪郭がはっきりと見える。
そのゼリー状のものは、空間の中で起きる様々な化学反応をコード化する「トランス」のようなものである。
でもまだちょっとフォーカスしきれてませんな。まだまだです。

2004年5月24日(月)

昼頃、上山君から電話。
場所確保したとの事。やったね。
どういうライブになるのだろうか?楽しみだ。
まずは実験的に一回、早いうちにやってみようということで6月6日の日曜日にやる。
「TACT」という集会を開くことにした。
TACTとは指揮者がもっている、あの指揮棒のことだ。
さらにその言葉は、南方熊楠が「直観」というものを説明するときに使った言葉でもある。さすが熊楠。
その企画はまだぼんやりとしか見えてこないが、とにかく続けていけるようなものにしたい。
今は発表する、発表したい場所がない。どこも決まりきったものしか出てこない。
そのような直観を感じれるような場所を作りたいとかねてから考えていた。詳細はまたここに載せます。
人間が直観をひらめく瞬間の頭の中の構造のようなものを具現化できるようなものにしたい。
朝まで生テレビ風のようなものでもいいかもなんて考えてもいるが・・。
とにかく出版だけでなく、色んな意味での「ライブ」を催したい!

2004年5月23日(日)

三軒茶屋にある、家の中が温室になっている神父さんの家を久しぶりに訪ねる。
彼は、僕のことを憶えていてくれて、また花の話で盛り上がっている。
栽培が難しい高山に生育している花なども育てていて、毎回訪ねるたびに違う花が顔を出している。
今度、次のテーマとして「庭」を撮影しようと考えている。
ガーデニングを軽く越えていってしまったような庭を撮って行きたい。
彼の庭もその中に入るだろう。
東京という狭い住空間に住む人間はそれでもユートピアを作る。
小さい庭の中に!少しづつ始めるつもりだ。
その後は下北沢で友人の劇団「M魂」の公演を観る。
場所は「東演パラータ」。
この劇団は、全然有名ではないが、私は友人の薦めで見にいった以来、毎回来ている。
内容は、恋愛あり、サスペンス、笑いも微妙にあり、殺し合い、アクションシーン、立ち回り、兄弟愛、怨霊の登場。と書いてる僕も意味分かりません。
でもその濃密具合が癖になってます。
今回はちょっとSFものになっていて、設定がよくあるパターンで、結果もうーんって感じだった。
いつもはかなり普通の家族が、相当可笑しい事実が明るみに出てくることで大変なことになってくるという、ハードコアメロドラマなので凄かったのであるが・・。
まあ次回に期待しましょう。
深夜、音楽仲間の上山君来訪。
キース・ジャレットのピアノを生楽器でサンプリングして曲作り。3曲が出来上がる。
そのまま二人とも興奮状態に突入!
これをライブでやらねば!っという話にまで発展。
明日場所を確保するという話にまで成長し、朝方、彼は帰った。

2004年5月22日(土)

高円寺「イル・テンポ」という写真ギャラリーに行き、中里和人氏の展覧会を見る。
氏とは久しぶりに会う。
氏は小屋の写真を撮っていることで知られているが、今回の展示は、最近氏が注目している、闇の中の光の作品が並んでいた。
彼は日本しか撮らない。
しかし、その写真に映った風景は現代の日本を撮ったとは思えない。
さらに私達の記憶の中にある風景に寄ってくる。
それはノスタルジーという言葉では説明できない、人間の持つある一つの原風景を呼び起こす。
ノスタルジーではない回帰。
それは高校生ぐらいに何も分からずに買ったレコードをそれから数年たったある日、ふと聞いて衝撃を覚えるような体験に近い。
あれは一体何なのだろう?
幼児期、少年期の時に持っていた自分の直感に大人になって気づく時。
そこらへんを彼は静かに突いてくる。
昔の事を思い出すというのには二つあるということか?
ノスタルジーというものは、自分が記憶している既知の事実を思い出すときを指す。
もうひとつは、自分が幼いときに分かってはいなかったが直感として感じていた事をもう一度気付くことを指す。
レーモンルーセルという作家は後者のものを探りながら作品を作っていた(1800年後半)。
例をあげると、子供の時には皆色々な言葉を間違って覚えるものだ。
僕の事で言うと、僕の祖父は「木山」という場所に住んでて、家族で祖父の家を訪ねるとき両親はよく「おじいちゃん家」とは言わず、「木山」に行こうと言っていた。
そのため僕には「木山」というのは祖父の名字だと思っていたのだ。(勿論本当は「坂口」である。)
しかもそこは結構田舎で、木や山が見え、それだから木山という地名なのであろうが僕にとっては「祖父の名字」なので、「木山」という言葉を聞くと木山という名字の祖父が木や山に囲まれている風景を思い出すのであった。
しかし、小学生の半ば、その間違いに気付いたときはなぜかショックを受けた。
自分の頭に描いてきた風景がもろとも崩れ落ちたのだ。
そして話は変わるが、私達はよく駄洒落をいう。
この駄洒落というものは、子供の時の前述した間違いの逆流を行っているのではないか?
そのような大人がする遊びとしての駄洒落を幼児期への無意識的な回帰とは考えられないだろうか。
ちょっと深く考えすぎかもしれないが・・。
しかし、私はこの点を見逃すことができない。
幼児期の人間がつくる世界は二つあるということだ。
前述の間違いのような世界とその後の気付いてしまった世界。
私はこの二つを同時進行で広げていくことが人間にとって必要な空間感覚を身につける方法だと思っている。
人間は気付いてしまった世界が本当だと考えて幼児期の世界も半分役目を持っていることに気付いていない。
しかし、無意識では「駄洒落」を駆使することで我々はもう一つの空間に笑いながら突進しようとしている!!!!!

中里和人ホームページhttp://www.armpro.co.jp/nakazato/

2004年5月21日(金)

昨日、林氏が聴いた方がいいと教えてくれた。
キース・ジャレットの「ソロ・コンサート」を買う。
彼はケルン・コンサートがいいと教えてくれたのだが、無かったので「ソロ・コンサート1」ブレーメンで録音した初めてのフリーソロ・コンサートにした。
家に帰って聴く。いやーきましたね。
自分が求めていたものに会う時の興奮は自分に自信を与えてくれる。
凄すぎて肩落しもしたけど・・。
完全にフリーのため調子が乗ってこないとメロディーも生まれてこない。
だけど僕にはそこが一番気に入った。
次の音が出てこないため、彼はそれまでのフレーズを繰り返し弾く。
時には強く、時には弱く。
それでも出てこないのでペースを替えてみたり、ピッチを変えてみたりする。
そのようにして彼が放つ音は静電気を貯めるかのようにループを続ける。
そして、次の瞬間、軌道を描いていた宇宙船が接線方向に加速度をかけるように彼は指でキィを叩く!
貯められた電気は一気に放電し、そこに空間が生まれる。ブラボー!!
クラシックとブギウギの交差点。
黒人のブルース野郎が得体の知らない金属製のバックから、ガムテープで角を固定しているビートボックスを取り出し、アコースティックギターのリフを永遠繰り返しているような不思議な光景が目に浮かぶ。
その中のライナーノーツで、初期のクラシックの実験のようだと書いてあった。
初期のクラシックは、即興であったらしい。
それを想像するだけで近未来映画何本分にも相当するような4次元的思考をくすぶるが・・。
ベートーベンも放浪しながら、パトロンの家に行き、何時間もインプロビゼーションしていたのだろうか・・。想像は尽きない。

http://www.keithjarrett.org/

2004年5月20日(木)

岐阜で写真撮っている林弘康氏から電話。
ホームページを見てくれたようだ。
彼は私が18の時上京してきて、入った寮で一番始めに出会った人だ。
あの頃からずっと話続けている。
今日も彼は何かを発見したような声をだして電話をかけてきた。
彼は、「光」について話していた。
アインシュタインが見つけた光の運動性。
フロイトが言っていた内部閃光。
そのことに共通点を見出し、さらにそれを彼が取り組んでいる「光」を掴まえる写真という作業に結びつけていた。
さらに話を続けていくと僕も刺激され、ある知覚のモデルをイメージさせた。
人間は普段、ある対象(空間)を客観的に捉えている。
というか捉えているというふうに錯覚させている。
ある空間をその場所とは全く関係ない、「ねじれ」の位置からとらえている。外にいるのだ。
しかし、最近気付いたのはそのような外は存在しないのではないかということだ。
僕は常に空間の中のどこかに位置している。
しかも、止まっていずに微動している。
空間の中に存在しない自分というものは存在しない。
ちょっとややこしくなってきた。
常に空間を我々は体験している。(その空間は2次元でも3でも4でもあるだろう・・。)
目の前の物体はどんなコンピューターグラフィックスよりも鮮明で立体的で、聞こえてくる音はどんなサウンドシステムでも表現できないほど「生音」である。
そのように常にダイナミックでダイレクトなのである。
僕は新しい感覚とか、新しい表現なんか求めてない。
ただ毎日体験している自分の身の回りの空間をもっと直に感じたいのだ。
体験している日々とは一体何者かをしりたいだけだ。
僕がそのために作る、編集する、調律するものは、空間が何たるかを理解するための過程であるだけだ。

2004年5月19日(水)

日本に帰ってきたので会おうということになり、親父と食事。
色々話す。長々話す。
親父はこのホームページの愛読者でいてくれて、そのおかげで会ったことも無い僕の友達を良く知っている。
こういう記憶力は異常に素晴らしいので、パリでのこともホントニよく知っている。
ありがたいですけど。
親父との、家族の会話もここ最近変化してきている。
親というか同志のよう。
数少ない僕の仕事の賛同者なので助かっているが。
二人でよく行くところは「富士川食堂」という僕の家の近所の定食屋だ。
今日はそこには行かずに中華料理食べたけど・・・。
この富士川食堂にいくと僕はいつも思索にふけってしまう。
なんかバラナシのカリー屋のような、パリの古くも新しくもない、ちょうどいいぐらいのカフェのような・・そんな大袈裟でもないけれど。
狭くて、長細い店内はカウンターしかない。
店をキリモリするのはちょっと気を使いすぎて、初めて見る人にはどうみても怒っているようにしか見えないお父さんと、その横で焦るお父さんを無言でサポートする寡黙のシェフ、お母さん。
二人の居るスペースはそれはもう狭いのであるが、二人の動く軌道はしっかり定まっており、どちらも無駄な動きひとつない。
ほとんど客には干渉してこないが、時折お母さんが放つ言葉は非常に心地よい。
僕はこの店が好きだ。
古くも新しくもなく、かっこよくも悪くもなく、飯は恐ろしいほど安い。
セットばかりでなく単品も侮れず、二人の間の空間は、馴れ合いの中から生まれた新しい新鮮さを感じる。
まあ定食屋ごときにここまで興奮するのもなんですから、行ってみて確かめましょう。
南口アーケードずっと歩いてTSUTAYAが見えたら次を右折すると見えます。
焼肉定食470円也!!!

2004年5月18日(火)

DAVID HOCKNEYについて。
今日彼の作品集を久しぶりに見る。
僕は自分で持っている本を何年も繰り返し読む。
何年か置いていてまた読むと新しいことに気づけるのだ。
彼はカリフォルニアのプール、ホテルなどのポップな絵を描く画家として知られているかもしれない。
しかし、それは彼の側面にすぎず、実際彼が一番興味を持っているのは「時間と空間とは何か」ということである。
彼は1980年頃から写真をコラージュして作品を作るようになっていく。
彼が遭遇したある一場面を小型カメラでフィルム何本も撮影し、そしてそれを30分プリントに出してコラージュを行い、巨大な一枚の不思議な風景写真を作り上げる。
その風景はまさに人間の眼で見た世界がリアルに表現されている。
彼が興味を持った物体はたくさん写真に収められていて、それは微動しているが、黒いところでなく、白目のところで見たような風景の一部は静止している。
口で言ってもしょうがないので、http://www.ibiblio.org/wm/paint/auth/hockney/このページに彼の写真作品が見れるので参考にしていただきたい。(1985、と1986年の作品)
写真一枚一枚は静止しているものである。
しかし、彼は独自の方法でそれらを結びつけていくことで遠近法を抜け出た、あたかも自分が今この瞬間、彼の作った空間に飛び込んでしまったかのような体験をする。
彼はCUBIZUM(キュビズム)の可能性を再び呼び起こす。
キュビズムが生まれたのは1900年ごろ。ちょうどアインシュタインの相対性理論が生まれた年とほぼ同時である。
その時、絵画と科学は同時にそれまでの人間が常識としていた空間認識の境界を破ろうとしていた。
彼はそのところをよく研究し、作品に昇華していく。
「遠近法を逆転すると、無限大はどこにでも存在し、自分自身もその一部になれる。生命や物理的な実在に対する態度をひっくり返すことができる。」と彼は言う。
この境界線についての言及は、デュシャンが言っていた「アンフラマンス」(超薄さ)に通じていく、私が興味をもっているのも建築ではなく、建築、人間、を取り巻く環境、空間すべてである。
この点を研究していると、みんながひとつのことに向かっているのではないかと思うことがたまにある。

2004年5月17日(月)

リトルモアで打ち合わせ。
ようやく色校が出来上がる。遅かったけど仕上げは上々!
今まではプリントした写真をスキャンしていたが、今度はネガごと入稿してくれたようだ。
シャープに仕上がり、大満足。あとは印刷するだけだ。
はやく発売されるのを望む。
ヨーロッパで実感したのは、作品を生ものと思ってくれて、発表するのをできるだけ早くしようとしてくれているところだ。この点には学ぶところがある。
その後、シミさんと「参宮橋ゲストハウス」へ。
ここは小田急線参宮橋駅にシミさんが作ったアパートメントだ。
六月に完成する。ここの地下を借りて展覧会をしようと思っている。
30坪近くあるかなり広いスペース。
面白い展示ができるでしょう。
その後シミさんの友人たちと食事。
ディオゴというポルトガル人と会う。次はブラジルに行くそうだ。
次は僕も南米に行きたい。
南米の大都市ではドーナツ化現象で廃墟となったビルに人が住み着いている。それを見てみたい。
ヨーロッパでは0円ハウスはほとんど見当たらなかった。
南米はどうだろうか?日本独自の家の考え方であることをヨーロッパで実感したので、そのことについても今後調べていきたい。
民族の家の作り方と、空間認識の接点を見つけていくと興味深いものが見つかるのではないか?

2004年5月16日(日)

友人上野宅でホームページ更新。
ちょっと写真なども多く入れてみた。
まだ物足りないが・・。でももう1000人超えてしまった。
今日も何人か知り合いにあったが、ホームぺージ見てるよー、との事。
こりゃあちゃんとやらないかんですな。
もっと人間の頭の中みたいな構造にしたい。
人間の頭の中には、本棚もあるし、コピー機もあるし、映像も再生できて、音も鳴らせる!
そんな脳みその中の一部屋みたいなホームページにしたい。
デジタルとアナログについて考える。
所謂、コンピューターはデジタルなのであるが、それを使う人間は、アナログの感覚である。
私は人間には、デジタルとアナログの両方の能力があると思っている。
デジタル製品を使わず、頭だけで物事を考えているとき、人間はデジタルで物を考えているのではないか?
脳にストックしてある様々な要素をまとめていく作業はまさにデジタル感覚である。
まだちょっと説明しきれないが・・。
いずれきちんと文章にしよう。
そのあと久しぶりに友達に会いに、青山CAYへ。終始踊り続ける!

2004年5月15日(土)

南方熊楠は、世の中には「物」と「心」があって、その二つが結びついたときに「事」が起きるといっている。
これはどうゆう事かというと、目の前にりんごがあるとする。
りんご自体は「物」である。
それを私が食べようと思う。これが「心」。
そして私は食べるためにりんごを手に取る。これが「事」である。
このように、世界には、「物」や「心」は散らばっていて、それらが「縁」によって「事」となり現象として現れてくる。
彼が言っていたこのことが、パリでも頭から離れなかった。
自分で考えているだけでは何も変わらないが、その「心」をもって、人と会ったり、場面に遭遇したときに「事」、偶然が起こる。
ということは人と人が会うということは、その二人どちらもが「心」をもっているから、「物」としての自分の体が、違う誰かの体と「事」を起こす。
ということは全てが必然であるということではないだろうか?
この考え方は、最近、物理学のなかでも適応しているらしい。
原子と原子が出会う理由が「縁」という概念で説明されているのだ。
人間だけでなく、物体にはすべて「縁」が潜んでいる。
それが科学の考え方として現在では普通に取り入れられているが、そのことをチベットの曼荼羅では既に大昔に、物体と物体は「慈悲」によって出会うといっているのである。
偶然の出来事の中に、実は、世界が保たれている理由が隠されているのではないかと思う今日この頃。
夕飯は弟が手作りパスタ。深夜までみんなでワイン飲みまくり。
ながらも上のようなこと終始考える。

2004年5月14日(金)

帰国。
帰ってきて早々、リトルモアに連絡。
本の印刷が遅れている。僕が出発する前から少ししか進んでない。
遅い。ホントニ遅い。なんでだろう。大勢の人間がうごいているんでしょう?
巻き巻きで行きましょうよ!と少し愚痴です。
こっちはやってきましたよ!一ヶ月休みなく!
ばっちり成果も挙げたのに・・・。自費なのに・・。
色々うっぷんは溜まったまま、いざ漫画喫茶へ。
そうです。私はパソコン持ってません!
漫画喫茶で更新してます。
メールチェックすると、またまた返事が!
ロンドンのAAスクールからです。
いらいらも吹き飛ぶ!
彼らは早い。2日で返事してくる。
ちょっと面白いことになってきたぞ!
ロンドンの売り込みは時間がなかったので心配していたけど、効果十分だったみたいだよ。
そうするといよいよ日本の方の、出版、展覧会のことを現実的に進めないと!
日本のペースは遅すぎる!もっと巻いて巻いて!
そのあと色々みんなホームページを見てくれているらしく、懐かしい面々のメールが届く!
もうすぐ1000人!アクセスも日に日に増えてる。
さあ日本に帰ってきたので、また大暴れしないとね!

2004年5月13日(木)

飛行機の中、「解夏」みて泣く。
ワイン飲みまくる。
そのあとよく分からない映画みても泣く。
おいおい。大丈夫か。
今回の旅を振り返りながら、色々考えることあったもんなあ。と、言い訳。

2004年5月12日(水)

今日でいよいよヨーロッパの旅も終了。
最後の夜。まずはお土産を買った。
友人から頼まれていたフォアグラの缶詰。紅サンには種を買った。
今夜は今回の旅で知り合った、anthony と anayansiと居候させてくれたタンゴの4人で日本食レストラン「国虎屋」へ。
2人に日本食を食べさせたくて、納豆、冷奴、焼き茄子、味噌煮込み、梅干など普通の料理を注文する。
2人は躊躇せずに、納豆をパクリ!!「うまい!!」だって。
すごいねこの2人は。この2人にあって僕の旅はまた一層濃いものになりました。感謝!!
日本酒もぐいぐい飲むanthony。anayansiはいつものようにマシンガントーク。anthonyも負けない。
話は永遠に続くかと思うほど広がり、納豆とご飯と冷奴をぐいぐい混ぜながら食べる彼らを見ながらなんともいいがたい気持ちになる。
今回はおそらく今まで自分がしてきた旅の中で一番人に会った。
しかも、ある人は次の人に繋がり、そしてまたある人を知る。というように全てが関わっていた。
彼らと会えたのは、やはり本のおかげだし、さらに止めずに続けないと。
帰ってメールをチェックすると、ロンドンのギャラリー「WHITE CUBE」(http://www.whitecube.com)のDIRECTORから来ていた。
繋がるもんです、止めなければ。今回は本当に確信した。
出来るもんです、止めなければ!!旅で出会った人全てに感謝!!

2004年5月11日(火)    ロンドン日記最終日

今日はとことん売り込みしてきました。
しかも、まだ生まれたての新進ギャラリーをいくつも見つけ、そこのオーナーが皆若いのにはびっくりする。
ここらへんはそのうち大きなアートの波を起こすことでしょう。
red CHURCH ST. です。
一番興味を持ってくれたのは、なんとAAスクール。
あのアーキグラムを生んだところです!!(http://www.archigram.net/)
うまく展覧会ができるようにしなければ!
アーキグラムとの関連で展覧会をやってもいいと思う。
彼らが考えていた事がある意味、0円ハウスでは実現しているのだから・・・。
これにてロンドンでの売り込みは終わり、またパリに今日帰らなくてはいけない。
居候先の皆と最後にあって出発する。
3日間だけだったのに、2週間にも感じた濃密なロンドン。
でも昨日来たような気もする。不思議な時間の感覚。
でもこっちであった人たちもみんなうまく表現しようとしていた。
励まされる!!そうですよそうですよ!
やるだけやって!駄目でもよくて!またやって!
その繰り返し。そうやって行きましょうよ人生は!と勇気づけあい、別れる、再会!!
しかも、明後日帰国。
そろそろこの旅も終わりに近づいてきたようです。

2004年5月10日(月)    ロンドン日記 -PART2-

売り込み開始!
まずは本屋から攻めることに。
ロンドンは、チャーリング・クロスという書店街によい本屋は集中。
MAGMA, SHIPLEYという二つの本屋が一番がんばっているようだ。
二つともかなり好印象。リトルモアのことも勿論承知なので話はスムーズに進む。
その後は、PHOTOGRAPHER`S GALLERYとICAという二つのギャラリーにも行く。
今回は時間が短いので、DIRECTORには会えず、アドレスだけ聞いて退散。
あーこれでメール送って来週会いましょうということになるんだけどなぁ、と悔むがパリでの売込みに集中したので諦める。
その後、ナンペイと途中で待ち合わせてた健次くんと三人で、barで一杯!チアーズ。
今日は珍しくロンドンは素晴らしい晴天!
道端のテーブルに座って飲む。
夕方からは、ケンケンと待ち合わせていた。
MADGEORGE(http://www.madgeorge.co.uk/#)へ。
ここは、17世紀に作られた4階建ての建物を現代美術家のオーナーが買い取ってここを、バーと、ライブハウスと、ギャラリーのある素晴らしい場所に変えていて、とにかくいい。でもホームページには場所しかのって無い。
しかし、ここは一見の価値あり。
オーナーは一階から自宅のある4階まで案内してくれた。
その自宅がすごい。屋根裏を改装して、鳥と住んでる。魔女の部屋。
いやいやまたロンドンでもとんでもない人にあっちゃいましたよ。
帰ってきてからも、またみんなと昨日の続きで話しまくる。
なんと明日は最終日。

2004年5月9日(日)    ロンドン日記 -PART1「DENNING POINT」-

バスの中。隣はインド人。
話しかけると、彼はインドで仕事をやっているのだが出張でヨーロッパに来ているらしい。
最近のインドの発展ぶりを、肌で感じる。
そして、お前はなにをしていると聞かれたので、本を出すと食い入るように読み始めた!感謝!!
とても興味をもってくれ、そのあとドーバーン海峡を渡るフェリーでも隣の席に。
彼はバックからなんと「チャパティ」(ナンに似たものです。)を取り出し、更に瓶詰めされたカリーも出てきた。
よくインドカレーをつくっている私は、その後カレーの作り方などの話をすると彼も「お前もカレーつくるのか?」と驚き喜び、二人でカレートーク!!
さらに持参のカレーも分けて、小パーティー。
バスの中でも売り込みしてみるもんだなと納得。
ロンドンには早朝到着。
ナンペイが住んでいる「DENNING POINT」というアパートに向かう。
ロンドンの九龍城砦、DENNING POINT。
ここにナンペイという友人が住んでいて、今日から3日間お世話になります。感謝!!
久しぶりにナンペイと再会。彼はこっちで写真をやっている。
部屋は三つあり、友人とシェアしている。
「ミソ・スープ」というバンド(日本でのデビュー決定!!)をやっている、ケンケン。
美容師やっていたツックン、ロンドンで美容師やっているマッツ、熊本県出身(!!)のお騒がせフクチャン。
みんなこっちでナンペイと知り合ったらしい。やっぱり彼は人を呼びこむ。
みんなとてもよい人ばっかり、来て早々話は盛り上がり、今日は売り込み中止の、しゃべりに集中する。
みんな色々な方面でがんばっているな。
こっちももっと頑張らなきゃねと気持ちも盛り上がる!
そのまま夜更けまで話は尽きず。
何かが生まれる予感。
彼らも僕の本をくまなくみてくれる。とにかく話は終わらない・・。

2004年5月8日(土)    JJとの出会い、そして踊るアナヤンシ!!!!!

雨。でも蚤の市行く。
親からメールで銀のスプーンが欲しいとの事。
貝殻が埋まっているやつがいいらしい。
でも僕がいつもいってるヴァンブの蚤の市ってクズみたいのしかないんだよねー。
でもその中からいけそうなものを10本選ぶ。15ユーロ。
その後、紅サンが紹介してくれたJJコンビと会う。
パリの郊外に住んでいて、そのアトリエの大きさに驚く。
こっちはみんな頑張っていいスペースをみつけている。
僕は、高円寺の四畳半。うーん。
彼らは、ドイツ人とギリシャ人のカップルで、アーティストだ。
僕の本を見せると、ただちに興奮モード!
彼らの本棚から資料出しまくり、今の現代美術界で、僕の仕事に繋がりそうなものを色々紹介してくれる。
すごい盛り上がり!
僕の作品に心から敬意を表してくれているのが、ひしひし伝わり、こっちもヒートアップ!4時間喋り捲り!!
彼らといつか一緒に仕事ができるのをお互い願い、さらば!!
紅サンはいつも素晴らしい人を紹介してくれるシャーマンである。thanks!!
その後は、またアナヤンシと。この人もよくあってくれます。
シャトレで待ち合わせ。近くに好きな喫茶店があるというので、そこでミントティー。
アナヤンシはまた食べてる!!この人は、よく食べるし、よくしゃべる!健康的なパリジェンヌ!!
しかも現代のことより古いアラブの伝統ダンスやメキシコの刺繍をやってる。
今日もトカゲの刺繍をやっていた。不思議なアナヤンシ。
終始会話。終始熱弁!彼女との会話は終わらない。
でも時間がきたので、僕はバス停へ、アナヤンシは勿論アラブ研究所!
ダンスのコンサートがあるらしい。
そのまましばし、パリとはお別れ。
ユーロラインでいざ!ロンドンへ!

2004年5月7日(金)

JEROME SANSが紹介してくれた、BLASTという雑誌の編集をやっているAUDREYに会う。
編集室は非常に実験的な匂いがプンプンするよい場所。
すぐに彼女が出てきて、自分の作品を見せる。
すごく気に入ってくれて、即決でヨーロッパでの本の発売に合わせて6ページも提供してくれるとの事。
ようやく具体的な仕事の話ができ。僕も興奮する。
この雑誌は、僕がこっちで出会った人もよく知っていて、影響力もかなりありそうだ。
帰ってから資料を送る約束をして、その場を去る。
夜8時からはANTHONYと会う。
この前閉まっていたクラブに行こうということに。
このクラブは、外からみるとどう考えても洋服屋さんなのだが、奥には地下に繋がる階段があって、下りていくと小さなクラブスペースがある。
凄い雰囲気!こっちも興奮してくる。
人はあまり多くなく、みんなANTHONYの知り合いのようだ。
お酒は飲み放題。ANTHONYとは二回目なのだがそんな気がしない。
2人とも英語下手なのに、まるで日本語でしゃべっているかのように何の問題もなく会話ができる。
素晴らしい人に会えたものだ!
彼と朝まで踊りまくり、それでも足りずに二人でカフェに行って飲み話す。
彼はフランスFMのキャスターを仕事としていて、特に音楽系の番組を担当している。
なんてったって、会ったのがアート・リンゼイのコンサートで僕が踊っていたのを彼が見て話しかけてきてからだもんね。そりゃ話が合うってもんです。
そのまま歩いてふたりで帰宅する。
疲れたので、そのまま就寝。いやあ今日はよくできました!

2004年5月6日(木)

お昼まで寝る。
午後再びコレットへ。またサラは居なかった。
タイミングあいませんね。諦めて、本を日本から送ることに。
この人とは会っておきたかったが・・。
そのまま歩いて日本食材店「京子」へ。
結構ちゃんと食材が置いてあってびっくり。
味噌と醤油とふえるわかめちゃん購入。
8時から裕子さん宅へ。
高級住宅地にある裕子さんのお宅はとっても立派でした。
食事はグリンピースご飯と豚の角煮。美味い!
ここ最近美味い連発ですな。
夫パトリスとの会話、熱が入る。
僕の本についての指摘。やはり社会的見地に立った発言がないとの指摘。
これはよくフランス人から受けた。
僕なりの言葉で応戦するが納得はいっていない様子。うーん。難しい。
この点にきちんと答えれるような英語力がないことに苛立つ。
帰ったらもっと英語勉強しましょう!
でも食事は美味い!おかわり!ぜんぶ食べつくしてしまう。
ワインも二本、赤白、パトリスとふたりで飲み干す。
裕子さんは最近子供が生まれた。
「太陽」君。ほんとにいい顔!
僕の首を揺さぶる動作にはまって、僕も永遠続ける。
赤ちゃんってループが好きですね。
ジョルジ・ベンかよ!いやあ彼のループも素敵です。
そういうわけで私も首振りループ!!ループ!!
12時の終電前までお世話になり、帰宅。色々考えて寝る!

2004年5月5日(水)

12時に建築家協会へ。
展覧会の返事を受ける。
と思ったらまだディレクターが僕の本を見てないらしい。
バカかよ。憤慨!
1週間も貸していたのに。ゴメンの一つも言わない。
一応強引に見せたが、資料をもっとおくれだそうだ。
バカかよ。まずゴメンって言えよ。
いらいらしてもしょうがないので、日本で展覧会したら資料を送るという約束でその場を去る。
金はどうする?とかばっかり聞いてくる。
それより気に入ったのかどうかだけいってくれよ。
気に入ってくれたんなら、自費でもやるから・・。
なんというかノリのまったくない人でがっくり。
まあそういう人もいますよ。たまには。
最近調子が良すぎて、うまくいってたので出鼻くじかれる。
ちょっと油断したな。反省。
やっぱり自分で上の人間に直接会わなくては何も始まらないことを痛感。
勉強になりましたよ。
その後3時にパレド・トーキョーのディレクターに会う。
こっちは話通してるからすんなり会える。
なんか秘密基地みたいなところに連れて行かれて、エレベーターで最上階へ。
ウォーホールのファクトリーみたいですなこれは!
ジェローム・サンに出会う。
川崎マヨ似でちょっと吹き出してしまう。とても愉快な人。
ホウと同じように1ページ1ページ見てくれる。
気に入ってくれたようだ。
展覧会をここでしたいというと、ちょっと待てといわれる。
こっちもタイミングガいいときを探しているからと言っていた。
本ができたら色々資料を送るということでその場は終わる。
しかし、その後すぐに「お前の仕事を気に入りそうな人」といって雑誌「BLAST」の編集長オードリーを紹介してもらう。
また次に繋がった!!
さっそく家に帰って電話すると明後日会ってくれるそうだ。
早い!!携帯番号教えてもらうと!!よしとにかく会ってみよう!
雑誌で仕事をもらえたらそれはそれで素晴らしいではないですか!!
その後「コレット」にまたいって今度はきちんとサラに見せてくれと念をおして本を渡す。
まあ彼ら怪しいけどもう4回もあっているから仲良くなってきちゃった。
頼むよ!!
夜ご飯はトマトパスタ。自炊。美味い。
食べて元気つけて8時からは、「デビット・バーン」のコンサート。
場所はBATACLAN。いい感じのホール。
出ました!デビット!初めての対面。
トーキングヘッズ時代の曲とサルサ、マンボ、ワルツ、サンバ。もうなんでもあり!!
ONCE IN A LIFETIME聞けたーーー!
興奮してしまい(もういつものことですが・・。)また一番前へ!!いけーーー!
そうすると他のお客さんもみんな最前列へ、さらに座っていたひとも全員総立ち!
大変なことになりました。
またまたアンコール3回もしてくれて大満足のままコンサートは終わりました。
帰りはそこから歩いて自宅へ今メール打っています。
今日は色々忙しく疲れた。シャワー浴びて寝ます!

2004年5月4日(火)

「Piglle」で下りて、中古楽器屋へ。
探していたローランド909が見つかる。
この辺りは中古楽器屋が並んでいるようだ。
初日に行ったcafeも見つかる。「LA FORUM」。
ここが今回旅していて一番気に入った。
カッコつけすぎずに昔のままの佇まいを残している。
また入って‘カフェ・クレーム‘を注文。中は人でごった返している。
ギターを弾いている人もいる。不思議な時間が流れる。
外は、ちょっと雨がふってきた。さらに人が入ってくる。
こんな場所が日本にあったら毎日来るのにな。
でも日本の中野「クラシック」も負けちゃいないか。
ホウといった「CHARBON」もよかったな。
カフェの思い出にしばし浸る。
その後、「エロチック博物館」にも行く。
中身はまあ凄かったけど、予想よりはノーマルな博物館。
1930年代のポルノには興奮したけど・・。一人で興奮しても駄目ですな。
近くのアラブ人がやっている電気屋でカセットプレイヤーを購入。これでテープが聞ける。
居候先には音源が豊富ではないので持ってきた自分で作った音楽ばっかりきいていたので欲求不満だった。
これでジルベルトジルが聞ける。
しかも、明日はデヴィット・バーンのコンサート。
帰ってメールチェックすると、この前アートのコンサートの時に会ったANTHONYからメールが届いている。
なんかパレド・トーキョーでやるらしい。
13日?帰る日じゃあないですか!
しかも「恭平も参加しろ」だって。残念。帰っちゃうんですよ。
その後、アントニーに電話する。
今日は音楽聴けるし、ご機嫌ですよ。

2004年5月3日(月)

朝起きてケバブ。
昨日から同居人は旅行に出かけて私は独り暮らし状態。
少し部屋の掃除をする。
昼過ぎに出かける。
今日は「フランシス・ベーコン」展を見る。
けっこう高かったけど。中身はボリューム満点。
見たい絵はほとんど見ることができた。
本で見てるときから迫力を感じていたが、本物を見るともう本では見れません。
凄すぎです。
この人は、ピカソのキュビズムに対する姿勢、デュシャンの空間に対する感覚に並んで僕がとても興味をもっている画家です。
1992年に亡くなってしまいましたけど。
「時間と空間の誕生」という物理学者の本を同時に読んでいたので、更に興奮する。
人間の今見ている映像は、頭のいい脳みそのおかげで像として認識できる。
花をいつも花として見れるのは曖昧な脳みそが人間が困らないように像をカタチづくるからである。
ベーコンの絵を見るとよく分かる。
実際は人間が動いているとき、体は微妙に像を揺さぶっている。
人間にはその揺れている微妙な動きは知覚できない。
デュシャンの「階段を下りる裸体」にもそのことが表されている。
さらにベーコンは今のデジタル時代を予感しているような残像などをキャンバスの上に定着することにも成功している。
モノがある地点から次の地点まで動いたときに、ものすごいエネルギーがかかっているんだなと気付く。
ただ自分が手を動かしただけで、エネルギーが発生しているという、身近に感じる宇宙。
それを最近は日に日に感じる。
作品集をやっぱり買いたかったが本物みたんでやめにした。
帰ってきて今日はぺペロンチーノみたいなパスタを作る。
そのあとこの前買ってきたミントを使ってミントティーをのんでしばし幸福に浸る。
だいぶパリの生活にも慣れた。
ここはやっぱり生活しやすいかもしれないね。
まわりと関係ない自分だけの時間が流れるからだろうか?
「0円ハウス」制作のアイデアを練る。
展覧会にゲリラで出品することを思いついたからだ。
どこかはまだ秘密ですが。
次が見つかりまたやる気でてきました。

2004年5月2日(日)

毎月第一日曜日は国立の美術館は全て無料なので、自然史博物館に行って見る。
ここは、生物が現れてからの歴史を、数百種類の剥製を通して学べる場所で、私はこれを「めまい」という映画で見て以来行ってみたいと思っていた場所だ。
中に入ると、いきなり鯨の骨格が宙に浮いている。
二階には、動物たちがあたかも行進しているかのような展示になっていて興奮する。
一番感じたのは、その展示の美しさ。
日本だったら剥製の周りに柵を配置し、人が入れなくするが、ここには柵のようなものはほとんど見当たらない。すっきりしたレイアウト。
透明のガラスケースにまるで宙を飛んでいるかのように鳥の剥製が見える。
エンターテインメントとしても十分。研究材料としても十分。
どれも出し惜しみなくおおっぴろげに展示されてある。
これが無料ですよ!こちらの国立のものはスケールが違います!
周りの庭も素晴らしいし、来るだけで気持ちよくなれます。
こうゆうところを日本にも作らなくちゃいけません!
ほんとに大人から子供まで衝撃を受けれます。
その後ピカソ美術館も無料なので行って見ると5時で閉館していたので入れず。残念。
帰ってきてからはまたマーボードーフを調理。美味い!
ニューモーニングで[ART EMSENBLE OF CHICAGO]が来ることが判明。
しかも帰る前日に!行きましょうまた。
タイミングよく色んな音楽家が来仏してくれたのでラッキーです。

2004年5月1日(土)

今日は1日完全休暇。
本当に1日何もせず寝て過ごす。ホームページの編集だけに集中。
今回、色んな人とあって名刺を渡してきたが、ホームページのアドレスも渡しているのに、日本語でしか書かれていないので読めないことが良く考えると分かった。
それで海外の人も見れるように英語版も入れてみた。
これで日記もみんな読んでもらえる。さらにリンクを張ってみた。
もっと色んなところにこのページから行けるといいと思う。今後もっと増やしていきます。
英語版を作っていて、自分の文章を自動的にCOMPUTERで翻訳していくとどうしようもない文章になって仕上がってきた。
はじめは失敗したなと思ったのだが、よく見ると面白い文章になっていたので、(いきなり漢字がはいっていたりと・・。)そのままで読んでもらう事にした。
COMPUTERと人間の感覚の違いが如実に現れていて面白い。
微妙な感覚はまだCOMPUTERには出せないが、これをもし出せる時が来たら、人間の直感とか、勘とかのメカニズムが分かってくるのだろうか。
私はいつかは第6感も数式なんかに置き換えられるときがくると思っているのだが・・。
後、他の人のホームページも見てみる。
あまり作家の人とかは作ってませんね。まあ忙しいから作れないんだろうけど。
でも作っている人も中にはいて、見てみると、誰かCOMPUTERが得意な人に作らせたんだろうなあというものばかり。
これじゃその人本人の感覚は出せませんよ。
自分ももっと気合いれようと引き締める。
もっと自分のページも組み立てなくちゃいけない。
見てる人が立体的に思考できるように作りたいのです!
アナログとデジタルの間のアンフラマンスな(Marsel Duchampにいわせると・・。)所でこのページを見れるようにしたい。
最近はDigitalなものに対して新しい思いが出てくる。
友人はこう僕に言ってました。
「DIGITALは分けて見てみるとDIGとITALに分けれる。DIGはDIG IT!!!とか使うように(分かった!!)という意味。そしてITALは自然という意味。だから自然の秩序がわかる!!という意味なのではないかな。」
うーん。なるほど。
COMPUTERは60年代のヒッピーたちの思想から発展しています。
WHOLE EARTH CATALOGの編集者は今ではデジタルネットワークの仕事をしています。
「建築家なしの建築」の著者は、違う著作で動物の巣の研究をしていて、貝殻の螺旋の形は、COMPUTERが出てきたことによって初めてそれがとてつもなく複雑な数列から導きだされていることを人類は知ったと書いた。
まさに「自然の秩序を分かった。」のです。
もっとDIGITALについて知らなければいけない。
そしてそれを「自然」である自分の頭を使って、駆使しなければならない。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-