坂口 恭平 エッセイ

トルネードゴムウンコ

道を歩いていても、今の東京の街のなかには何かこちらを揺さぶってくるような場所なんかほとんどないのかもしれない。そうと分かっていても僕の足は止まることを知らない。何かに会いたがっている。なんでこんなに歩きたがるのか分かりません。さて、この間も自宅から何も方角も決めず、ただ知らない方向に向かっていました。はじめはなかなかチューニングが合いません。街を歩いていてもどこを見ても焦点が定まらない。大抵そんな状態から始まる。今回もそうやって歩いてもうかれこれ3時間が過ぎようとしていた頃、空振りしてしまったなと一人トホホ状態で誰が見てる訳でもないのに少し恥ずかしくなるが、いやいやこれはこれでれっきとした自分の作業だなどと強気な慰めをしていた。そんな時、何か足でグニャと踏みつけたような感触。ガムかなにかと思って見てみたら、なんと「うんこ」だった。3時間も歩いて最後に「うんこ」かと怒りまでも頂点に達したそのとき、見つめるとそれはなんとも素晴らしい美しい「マキグソ」だった。どっからどうみても綺麗に巻いてある。おかしいと思って蹴っ飛ばすとポーンと軽ーい感じで飛んでいった。

おもちゃのウンコだった。ゴム製の。情緒ある茶色をしていて、形も素晴らしかったから本物かと思ってしまったじゃないか。手に取ってみるとやけに古い。色んなところで踏まれ驚かれ、偽物と気づかれ、蹴られ今ここにいるのかと思うと、何とも言えない気分になった。コドモ用のおもちゃなのか、大人用のおもちゃなのか。まあどちらでもいいのであるが。

こういうものに会うと、途端に世界は変わってしまう。共鳴をはじめるのだ。街は音楽と一緒だ。歩いている人間とチューニングが合っていると共鳴をはじめる。だから、歩いている人ごとで違う。同じ道を通っていてもチューニングしだいで全然違って見える。僕はそのゴム製のマキグソを道の端の方にさりげなくセットし、またふらふら歩き始めた。

2005年11月13日

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-