態度経済

坂口恭平日記

2013年6月25日(火)

朝から自転車にアオを乗っけて幼稚園へ。〇亭にて原稿。短編「躁鬱の彼」、最終調整して梅山くんへ。こちらは集英社「すばる」に気に入ってもらえたら、掲載される予定。さらに「711」も取りかかる。10日ぶりに戻って来たので、再び頭から読んでみる。さらには頭からもう一度、同じ文章を書いてみる。こうやって戻る。ヴァルター・ベンヤミンはハンナ・アーレントからhomme de lettres(オム・ド・レットル/文の人)と呼ばれていたらしい。文の人っていいな。ベンヤミンが気になっている。僕は大学時代にベンヤミンのことが気になったことが一度ある。パサージュ論のことなどを大学の先生なんかが言っていたからかもしれない。僕にとっては建築のことを文章で表現している人として認識しており、そのことに少し希望を持ったのだと思う。大学時代、今後、何をすればいいのか全く分からなかった僕は、建築を建てない、ということはなんとなく決めていたので、ならばと、建築に関することをやりながら、建築を建てていない人はいないものかと必死こいて探していた。ここには師である石山修武氏の影響も大きい。

ヘンリー・デビット・ソローの「森の生活」を読みながら、僕は自然と接するのが苦手な人間なので、森の中で自給自足をしているという行為には全く影響を受けなかったのだが、それでも必要な道具や食料などの数値を事細かに書いてあることに興味を持った。エルマーのぼうけん以来、僕はなぜかこのような具体的な数値が出されていることが好きなのである。なるほどと思った。かつ、建築を建てなくても、このように自分で何かを実践して記録し、書物なりなんなりへ変換することによって、どれだけ時間を経ても、人々に伝えることができるということを知った。ソローは鴨長明の「方丈記」に影響を受けており、その翻訳版を書いたのは南方熊楠である可能性が高いことなどに興奮した覚えがある。どちらも「生活」であり、それは同時に「経済」についての本であった。このような繋がりをどうやって表現したらよいのかを模索していたのだろう。かつ、アーキグラムやスーパースタジオなどの絵画、雑誌などの二次元情報で建築を伝えようとしている西洋の建築家たちを知り、なるほど僕は絵を描くのも好きなので、こういったのも少し振りかけたほうがいいかなと思った。それでいて、なんだかこの西洋の人たちみたいに洗練されたかっこよさみたいなものは、少し鼻につくので抑えていこう。僕はどちらかというと今和次郎や彼の弟子である吉田謙吉の絵みたいなのがいいなあと思った。僕は本の中にある挿絵が好きだったので、挿絵画家にもなりたいと小学生のころ考えていたのだ。このように僕は何にでもすぐ影響を受けて、ほぼ模倣した。完全に、その人になるのである。とは言っても、先は全く見えず、どうやって食べていくのかさえ思いつかなかった。かつ、僕は団体行動というものが全くできない人間で、人と一緒にいると、それだけで疲れてしまって、鬱屈してしまうので、一人で仕事をする環境をつくる必要があった。そんなことできるのかというのが本音であった。だから、元気満々だったけど一人になると暗かった。なんでもやる気を出してやってみたけど、その行為が終わると不安になった。それでも、既存の世界に馴染むことができないことは分かっていたので、その可能性だけを早々と消し去った。それがよかったのかもしれない。

建築も現代美術も音楽も手をつけてみたのだが、どれも合わない。さー、どうしようか。というのが19歳から23歳ごろの僕の状況だった。手元には後に0円ハウスになる卒業論文と称した手製の写真集だけ。それは僕が自分で編集した文字と写真が入ったケント紙200ページを綴じた「本」であった。僕は本を読むのはあんまり好きじゃなかったが、本を作るのが好きだった。自分が読みたいと思った本を自分で作っていた。そして今、僕は自分が読みたいと思っている本を自分で作っている。つまり、迷うことなく、その時に感じたことをやっていればよかったのだとも思う。しかし、それには十分な迂回が必要だったのだろう。今、僕はふたたび幼少の頃に、自分が作りたくて作っていた世界へと戻ろうとしている。不思議なような当たり前のような。そんな感覚を、ベンヤミンを考えるときに思う。ベンヤミンは僕がやろうとしていることに近い先人の一人なのかもしれない。ベンヤミンを読んだことがない僕はそう思う。本が読めない僕は、自分の原稿であれば読めるというどうしようもない男である。

午後3時にアオを迎えに行く。フーからメールがあり「どこかでカフェしたい」というので、家族四人でPAVAOで待ち合わせ。アオと僕は〇亭の庭から竹を一本切り取って持っていく。もうすぐ七夕だ。今日の朝、アオが幼稚園に提出するための短冊をお前も書けという。アオは「プリンセスになりたい」であった。僕は「てにあせにぎる、ぼうけんがしたい」と書いた。フーは「わたしがわたしでありますように」という謎の言葉を書いていた。フーと出会ってもう14年になるが、いまだにこの女は訳がわからない。フーも僕のことをいまだにこの男は訳がわからない、と言う。AB型の特質なのだろうか。僕ら坂口家は僕もフーもアオもAB型である。弦はまだ調べていない。別に僕は血液型診断を信じているというわけではないが、それでもAB型に特徴的なことは「人のいうことを一切聞かない」である。忠告をしても無駄なのである。自分がやりたいことしかやらないのだ。かつ、他者のやっていることにはほぼ関心がない。これが坂口家に共通する特質である。つまり、僕とフーは、娘であるアオに忠告することができない。もちろん、社会で生きる上で最低限のことくらいは伝えるが、それでもやりたくないことをさせることはほぼ不可能である。かつ、それは僕にもフーにも言えることで、言うことを聞いてもらうことは坂口家では不可能なのだ。ではどうすればいいかと言うと、基本的に他者に興味を持たない、期待しないという態度で臨むわけである。そして、褒めておけば大抵喜ぶ。適当に褒めたとしても、裏では褒めていない気分なのに褒めやがってなどとは永遠に言われない。褒めれば、ありがとうも言われることなく、ただその当人は喜ぶ。つまり、坂口家は至ってシンプルライフである。人に関心を持たず、その人個人個人がやりたいことをやり、時々、それを双方で褒め合う。これさえできていれば、あとは問題ない。イライラして八つ当たりみたいな作業がほとんどないので、女性との駆け引きが苦手な僕にはうってつけの家族と言える。ま、だから結婚したのだろうし、アオが生まれてきたのだろう。弦は果たして何型なのだろうか。一人くらい違ってもいいのかもしれない。

PAVAOで夏っぽく、ミントソーダを飲んだあと、僕だけ珈琲人にて原稿。途中、長崎書店で國分功一郎さんの「ドゥルーズの哲学原理」を購入した。ドゥルーズなんて読んだことないけど、岩波現代全書というフォーマットにつられてつい購入。読んでみたら、なんだか気になってきた。ドゥルーズといえば、佐々木中兄さんがよく飲んでいるときに挙げていた名前であり、ドゥルーズ論を書くとも言っていた気がする。早く読んでみたいな。結局、原稿書けずに読書していた。小学館の豆野さんとスピリッツの次の連載の内容について電話で打ち合わせ。ニューヨークのWall Street Journalから連絡があり、東京いるなら取材したいとのこと。サンフランシスコの映画祭に誘ってくれた女性からの紹介。こうやって、少しずつアメリカでの仕事が増えたらいいなあ、なんて思っている。独立国家のつくりかたの英訳版を7月下旬サンフランシスコへ持っていく予定である。そういえば、さっき長崎書店で見つけた「アレンギンズバーグが案内するサンフランシスコ」っていう旅ガイド本が気になった。15年ぶりのサンフランシスコなので楽しみである。

iPhone5に機種変更した。つまり、夜はカフカ的なパソコンとの同期作業。

2013年6月24日(月)

朝からアオと幼稚園へ。今日は雨が降っていたので、タクシーに乗ってった。このルーティンワークも自分の仕事を継続させていくための一つの大切な装置となりつつある。毎朝8時に起き、午前9時から午後2時半まで執筆仕事をし、アオを迎えに行き、帰ってきてからは何も考えずアオと遊ぶ。午後9時にアオが寝てからは読書。このルーティンをとにかく続けている。友達がどこかから訪ねて来てくれたときだけは酒を飲みにいくが、それ以外は飲む気にもならない今日この頃。狂気をちゃんと頭の中で転がせているのではないか。ふつふつと沸き上がってくる、衝動はまだずっと頭の中で燻っている。消えない。しかし、その火を外界へ出すと、もちろん、その火達磨な自分は、サイヤ人と化し、興味深い挙動をするので、受けはいいし、それにより僕も高揚するのであるが、その動き自体、大衆迎合的なもので、僕の中ではとくに創造的なわけではない。なので、完全にシャットダウンするのではなく、十分創作が完了した後に、次の段階へ行く間、その時に、火を外界へ出そうと思っている。人前で話をするのもこの時でいい。それ以外は、徹底して日常を生きよと考えている。僕はもっと書きたい。そんな感じである。

今日は朝から取りかかっている短編小説「躁鬱の彼」の推敲。第二稿を書く。60枚書いた初稿を20枚減らして40枚にする計画。今年に入ってから人生初の推敲をはじめて、今までやらずに本を出してきたことの奇跡を思う。よく出せたな、本当に。元々ビギナーズラック野郎ではあるが、それにしても書き下ろし5冊も書いているのに。恐ろしくもあるが、頼もしくもある。これからはしっかりと推敲していこう。毎日が日々学習である。このように学習する気になったのもはじめてのことだ。それには、横にいるアオという目下学習中の娘が影響していることだろう。アオが学習していると、こちらも耐えきれなくなり、学習したくなっていく。知らないことを知りたいと思うようになってきた。それくらい僕はものを知らない。でも、知らなくてよかったとも思っている。知らなければ知ればいいだけなのだから。といいつつ、いまだに小説は読んでいると寝ちゃう。しかし、最初の10ページくらいが今までにないくらい鮮明に頭に入ってくる。今までとはまるで違う本、文章の読み方をしている。不思議なものだ。ここにもレイヤーが存在する。本はいくつもの視点が存在する。そりゃそうだ。僕たちが読む時間の数十倍の時間が執筆にはかけられているからだ。受信するこちらの精神状態、知覚も年を経るごとにさまざまに変化する。

今度の新作「幻年時代」は幻の幼年時代の話である。

ある都市で道が分からないということは、大したことではない。
だが、森のなかで道に迷うように都市のなかで道に迷うには、修練を要する。
(…)
私は息を止めた。隠れ処では、私は物の世界のなかに包み込まれていた。
物の世界が途方もなく露になり、無言のまま私に迫ってくるのだった。
そんな風に、ひとは絞首台に立ったときはじめて、
綱とは何であり、木材とは何であるかを知覚するのだ。
ーーーーヴァルター・ベンヤミン

幼年時代を描くこと、しかしそれが私の幼年時代であってはならない。
ーーーーヴァージニア・ウルフ

幼年時代のたった一つの神聖な記憶こそ、おそらく最高の教育だろう
ーーーーフョードル・ドストエフスキー

楽園というのは、幼年時代にしかないと思います。
幼年時代の記憶に、楽園はあるんだと。
楽園をつくろうという運動はいつもあるけど、かならず挫折するのはそれなんです。
ーーーー宮崎駿

「躁鬱の彼」の原稿が午後1時半に仕上がった。梅山に送付。40枚きっかりに凝縮してみた。うまくいったのではないか。これで一度書きかけの小説「711」に戻れる。「711」を書いているとき、梅山に、この小説は無茶苦茶長くなりそうだから、短編をいくつか書いてそれで体力つけて、実験も行って、それで経験を経てやるべきだと助言を受けた。だから先日のベルリンでの体験をもとにした小説「躁鬱の彼」を伯林記の一つとして書いてみたのだ。今のところ、僕の小説は常に坂口恭平という日本人男性を主人公としている。711も僕、は坂口恭平という名前である。かと言って私小説というわけではないものを書こうと思っている。私小説が何なのか知らないけれど。僕は空間を書きたいのである。その意味では建築家的な作業である可能性も高い。日本近代文学の短編を立体読書として図像化してきたが、それもここに影響を与えている。今回の短編では、登場人物を描く練習をした。僕と、三人の女と一人の男が出てくる。一人称と三人称と一人称のまま語る人を変えるという練習をしてみた。

昔は、練習なんかしている暇がなかったのだ。それくらい僕は貧困で、何かすぐに結果がでるものばかり追ってきたところもある。なので、少しリラックスできるようになってきたのだろうと思う。時間を創出することが少しずつできている。フーが毎日、少しずつ料理をしながら上達していくように、僕も執筆技術を高めたいと思うようになってきた。なんでもないことのように見えるが、これは僕にとって今までとは全く違う変化である。

原稿を書き終えて茫然としたまま、幼稚園へ。役員会議が終わったフーが幼稚園から出てくる。フーは幼稚園の幹事としてがんばっている。フーの幹事同士のメールなどのリアクションを見ていると、とても興味深い。それぞれのママたちによる思惑、牽制、駆け引きなどを読み取りながら、サヴァイヴしているフー。なんかそれだけでまた一つ短編になりそうで、こちらは静かに見守る。まるでSF映画のような暗号によるコミュニケーション。字面だけでなく、その背後に潜む意味、意識を解読しようとするフーの藻掻きが興味深い。フーは、昔僕と出会ったころ、僕と三軒茶屋のホームで喧嘩になり、それはおそらく、今日の夜は帰らないといけないとフーが言ったことに対する、欲望を満たすのできない僕によるただの八つ当たりだったのだが、それで僕が「もう怒った。お前カエレ!」と発狂すると、フーは、

「帰りたくないけど、そんなに言うなら帰ります。。」と言い、一人で電車に乗った。電車のドアが自動で閉まろうとすると、僕はさっと飛び乗り「お前、カエレ!と言うからって本当に帰る馬鹿あるか!」とわけのわからぬ怒りの言葉を発して「??」と意味が分からなかった女性である。つまり、フーとは男女の馴れ合いによる駆け引きなど一切不可能である。フーには何も効かない。フーは字面、言葉面だけをちゃんと読み取り、そのままに対応する。帰れと言えば帰るし、帰らないでと言えば帰らない。そんなフーが、ママたちのメールに含まれている様々な思いを汲み取ろうとしている。その姿は、23世紀、人間たちの感情、癖、内奥の言葉までを完全に管理している国家から時々送られてくる、意味不明のメールを読み取ろうとしている女優に見えた僕は、再び文字の世界へと飛び立つ。アオが僕の背中から飛び蹴りした。それで、妄想から戻った僕は、坂口家の他の面々とバス停に立ち待つことにした。

家に帰ると、クラムボンの原田郁子ちゃんからメール。

「きょーへーーい。早川倉庫おるよ。あとで来れそう? 待っとるけん」

今日はクラムボンのライブ。しかも、早川倉庫で。徒歩5分のいつもいく僕の仕事場、書斎「雪烏」でライブなのだ。近所の夏祭りのような気分。普段は置いていくフーとアオも今日ばかりは楽しみにしている。フーから、僕の女性との付き合い方について教えてもらう。つまり、気になる女性がいれば、フーに会わせればいいのである。そうすれば、そこから変な方向へと進むこともない。僕は芸術を行う女性たちへのシンパシーを恋愛感情と勘違いすることがある。それでフーが困ってしまったこともある。なので、改善したい。原田郁子ちゃんはもうすでにフーと会っている。だから僕が勘違いすることもない。彼女とはシンクロニシティを感じることがたびたびある。郁子ちゃんもあるそうだ。こういう場合、大抵変な方向へ向かう。しかし、今は違う。練習を積んだ僕は、勘違いせずに彼女の創造性にただ惹かれている。

リハーサルが終わった郁子ちゃんにベルリンのお土産を渡す。早川倉庫のおっちゃんとゆうぞうにも会う。郁子ちゃんはこのツアーに僕の新刊「思考都市」を持って来てくれていた。うれしくなった。このように創造を続けている人間と話せるのは僕は本当にうれしくなる。熊本では当然だが、なかなかこのような同志に会うことは稀である。それが東京の良さであった。しかし、今は違う感情も持っている。僕は一人になるべくしてなったのだろうと思ってもいる。どこかにいる僕の創造の仲間たちを思いながら、僕は毎日せっせと熊本で創作をする。それが一番いい環境なのではないかと思ったりもしている。時々、このように会うと嬉しくて、泣きそうになる。本音はみんな熊本に来てくれないかなと思っている。しかし、そんな世界は簡単には訪れない。でも、いつかきっと早川倉庫で、毎週やばい音楽家のライブがある、みたいな未来がきっとくる。そんな夢をフーに語ったことを思い出した。僕の未来の、中心となる都市はやっぱり熊本なのだ。

郁子ちゃんと別れて、家に帰って、着替えて、フーアオ弦、タンゴとみんなで午後6時半、早川倉庫へ。クラムボンのライブを堪能する。なんだか泣けてきた。すごくいいライブだった。郁子ちゃんが熊本に遊びに来てくれたときに、早川倉庫を紹介した。それがこの夏ライブすることになるなんて。今、僕が暮らしているところはまだ未開発だけど、いいものがたくさん詰まっている。それを毎日、僕はいろいろと夢想するのだ。先週のDj HarveyがNavaroでやってくれたときもやばかったけど、なんだか熊本がエチオピアの首都アディズアベヴァみたいになってきているのではないかと妄想する僕は、坂口安吾の肝臓先生の文庫本を読みながら、気付いたら、アオと弦と寝てた。

アオと弦も今日のライブは楽しそうだった。フーが帰り際、

「やっぱり、わたしも歌いたいなー」

と言った。僕は歌っているフーが大好きだ。

明八橋という石造りの僕が世界で一番好きな橋を渡りながら、僕はフーにキスを放り投げた。

スーパームーンのお月様は、恥ずかしそうに雲に隠れている。

2013年6月23日(日)

こちらが朝に帰って来ようが、アオは構わず、日曜日という休日を充実させるために、アオ部族の宮廷画家である坂口恭平の腹に乗って朝の訪れを伝え、目を強引に見開き、本日のお題を提案した。

「余は城がほしい」
「はっ!? 城ですか?」

起き抜けの巨大な物欲攻撃にわずか三時間ほどの睡眠から目覚めた坂口恭平は、車はともかく城は買えない旨を伝える。日々物欲がエイリアンのように肥大化、暴走、増殖しているアオの腹の底が一体どんな地獄絵図になっているのかを想像した彼は、何十億円もする城が起点になってしまったら、数百万円の車なんかついついこちらも釣られて買いそうになってしまうことを重々承知していた。これが王妃の作戦であることも分かっていた。こうやって、人間は欲望の実現、さらなる欲望の創出へと向かう。購買は征服や殺人にも似た行為なのではないか、いや、むしろアオ部族が隆盛を誇っているのは、ほとんどの文明が、征服、殺人などの破壊的行動を行うなか、しきりに日本銀行券という実際には存在していない幻の交換チケットを元手に、購買という蕩尽行為へと転換できている。アオは無邪気でありながら、その実、しっかりと社会活動としての純粋さを坂口恭平に見せているのであることが最近薄々分かってきた彼は、このまま突き進んでしまっては、自らの命が危険になる。つまり、もう買えないものがでてくることが如実に明らかであった。それほどにアオ部族は、日本銀行券という幻を利用していたが、その幻への想像力も実は貧弱であり、貯金もそこまでは作り上げることができていない。王妃は知らずとも、公家たちから横槍をちょいちょい入れられている彼は、板挟みにあっており、常に買うのではなく、作れ、と創作活動の促進を要求されていたので、かつ、新しい発想というものは、常に貧するところから産まれてくるという体験を元にした智慧を巧みに操り、自分自身の創造力によってこの現状を打破する必要に迫られている。

「そう、城よ」
「あの、熊本城みたいな城なのですか? どれくらいの石垣をイメージしておられて?」
「あんなのいや。ディズニーランドみたいな城がいい」

舶来品の城。アオ王妃の要求は日に日に大きくなっている。危険を察知した坂口恭平は、機転を効かせて、こう切り返した。

「それはミニチュアの模型でもいいんでしょうか? 熊本は出島に近いといえども、南蛮からの城はさすがに船で運ぶことはできませぬ」
「パパ、何言ってるか分からないけど、いや、小さいのは嫌。大きいのがいい。大きければなんでもいい」

日本式のお城は嫌で、西洋の城。できるだけ大きいもの。しかし、アオ部族の襲来遭っている坂口家には貯金はいくばくもない。ならば、どうするか。奴隷としてアオ部族の宮廷画家に入れられている坂口恭平は、フーが待っている坂口の郷の貧しさを思い、奴隷でありながら、それでも食事は三色、かつアオ王妃の残り物、つまり良質な野菜や魚、部屋も一人部屋を与えられ、必要な和紙、岩絵具は作品のためにならどれだけ買ってもとがめられない自分自身の環境とフーを比べ、こんなところでへばってしまってはフーに悪い。三月に生まれてきたばかりの息子弦を元気にすくすく育てるためにも、本日の「城」という難題にも立ち向かっていかなくてはいけないことは分かりきったことであった。財布を確認すると、二千円しか入っていない。ここで二千円をアオ部族御用達文房四宝屋「文林堂」で使い果たすよりも、ここはゼロの精神で乗り切ることにした。つまり、これは王妃からの頓知問題であると坂口恭平は誤解してみたのである。誤解は発明の神である。誤解によってでしか乗り切ることができない社会情勢がある。今がまさにそのときだ。彼は誤解を作り出すことにした。つまり、彼には分かっていた。今から作り出す芸術品が一流品なのではなく、誤解によってイリュージョンを作り出すまがいものであることを。しかし、贅沢を極めたアオ王妃には、もしかしたら、この一段どころか二段、三段落したくらいのルーズなものを作ったほうが、今っぽい、などという評価を受け、喜んでくれたりするのではないか。そんなチープシックを具現化しようとした彼は坂口の郷へとまずは帰った。坂口家の台所へ行き、分別マニアのフーが作ったコーナーの一つ、紙塵が入った専用袋から薄い段ボールの箱を取り出した。

小箱の中に、コピー用紙、水彩絵の具などで、創作をはじめた坂口恭平を、アオは訝しげな目で見ている。

「余は、大きいものがほしいって言ったよね?」
「はい。そのようにお受けしております。まもなくできますので、少々お待ちください」

どう見ても大きな城を作っているようには見えない坂口恭平の後ろ姿をみながら、アオは、どうせ最終的には弱音を吐くのだろう、不可能の塊に潰されて涙を流すのだろうとほくそ笑んだ。その笑いの粒子を、背中で感じながらも彼には一つのアイデアがあったので、気にすることなく、しかし、あまりにも気にしないままであると、それはそれでアオ王妃の激高を呼び寄せてしまうので、できるだけ不安そうに、最終的には怒られてしまう下手にもかかわらず努力する野球部員のような素振りを見せた。アオは、unico製の安楽寝椅子に横たわり、無印良品の扇風機を自分に向けて、朝の気怠い生温さを振りほどこうとしている。ダイソンの扇風機って、羽が無くって子どもにも安全っぽいよね。かっこいいし、などと新製品の購買を行う決意をさらりとこちらに放ったりもしている。

坂口恭平は、さらに弦のお尻ふきのためのベビーコットンを取り出し、それを剥きとり、鳥の羽のようにふわふわにした。小箱には上から穴が開けられ、そこをトレーシングペーパー覆い、静かで柔らかい光が箱の中の暗闇に落ちるようにも製作している。最後に、アオが時々作るプラ板のための薄いアクリルシートを鋏でカットし、額装するように小箱の入り口を塞いだ。完成を確信した彼は、アオ部族の宮廷へ向かい、 unicoの寝椅子に横たわる、部族の女王アオの目前に立ち、膝をつき黙礼した。

「アオ部族の城が完成いたしました」
「なぬ? それは本当か?」

アオはまだ疑いの目で見ている。そこで坂口恭平は、アオを押し入れの中へと案内した。手には寒中電灯を持っている。おそるおそる押し入れの中の布団に乗ったアオに、彼は小箱を手渡し、上から懐中電灯を差し込み、こう言った。

「王妃、中をご覧下さい」
「はっ!」

アオが覗いたその小箱の中には空間が作られ、手前にはおそらく坂口の郷であるだろう、坂口家の小さな小屋が、そこから黄色のイエローブリックロードがくねくねと蛇のように伸びており、いくつかの森を抜けた一番奥に、青空をバックに、上空にはコットンによる雲を配し、ピンク色のシンデレラ城風の段ボール製の城が、聳え立っている。それは20センチ角の世界で繰り広げられている世界であった。しかし、パノラマ空間をつくることに長けている坂口恭平の手にかかると、そこは無限大に広がる、まさに人間たちが日々体験している空間そのものであった。アオ王妃には、目の前の空間よりももしかしたら、広いのではないかという妄想まで飛び込んで来ている。その城は、明らかに、誰の目にも疑いなく大きかった。その小さな小箱のなかの城は、アオ王妃自身をミクロキッズにし、そのプランクトンサイズの眼で見上げた段ボール製の南蛮風の城は、確かに巨大であった。押し入れの中に感嘆の声があがった。それは坂口恭平の、宮廷画家としての職能を果たしたことの証明であり、確実にそれは勝利をも意味していた。芸術が体制を、肥大化する欲望を、確かに抑えたのだ。

満足した二者は、宮廷料理人であるフーの呼び声で居間に集まった。昨日、アオ王家を訪ねて来た芸能の民であるタンゴもやってきた。

食後はみんなでまったり。アオ部族は雨が降ると、みなで寝るという習性がある。読書などをして、ゆっくりすごす。芸術作品をつくりあげた坂口恭平も今日ばかりはと、しばし枕に身を委ねる。夕方、アオ王妃は宮廷料理人フーを誘って夢マートへ買い物に行った。そのとき、芸能民タンゴも一緒に行っていると勘違いした坂口恭平は、昨日までのフーによる禁欲の刑に痺れを切らし、xvideoへ走ってしまった。作業を終えると、フーとアオが帰って来たのだが、タンゴは帰ってきていない。もしやと思い、提供している自分のアトリエ、一人部屋の扉を開けるとタンゴは寝ていた。坂口恭平の秘密であるはずの作業は、実はタンゴに見られていたのである。一体、こんな穏やかな日曜日に何をやっているのかと焦った坂口恭平は白痴を装った。知らぬフリをすればいいのだ。人間は常に知らぬふりをするのである。気付いていても、知らぬフリをしていれば、それは無知であるということになり、後で、問題になっても、故意に驚けば、誰も非を咎められないのだ。そんなずるい方法論を彼もとった。

夕食後、昨日会った薩摩の二人、ゼンとミーはまだ帰っておらず、また遊ぼーぜと誘ってくる。アオ王妃が寝ている姿を確認すると、フーに許可を得て、再び夜の街へ。PAVAOにてDJを行う。エチオピアの音楽を聞きながら、雨音と雨雲による涼しげな風を感じながら、僕は出会ったこともない旧友に思いを馳せた。まだ、物語ははじまったばかりである。僕には行かねばならないところがあるのだ。冒険がはじまるのだ。ムーミンパパのような冒険活劇が、待っているのだ。

深夜帰ってくると、床に小箱が置いてあり、懐中電灯がついたままになり転がっていた。

中を覗くと、遠くに、城が浮かび上がっていた。

懐中電灯のチカチカが、僕に時間の訪れを伝える。

静かに、雨の椅子に座った僕は、煙草を一服した。

そして、フーによる抑圧は解禁された。

2013年6月22日(土)

朝からミニクーパーに乗って、阿蘇へ。阿蘇にある「蕎麦や漱石」で蕎麦を食べるために。この前、行った鮮魚屋でなぜか饂飩のメニューがあり、その場合、ほぼ百%店主が饂飩マニアで、自分で一番美味しい形を表現しているので、それを注文し、もちろんその饂飩は美味しく、僕は近くだったら「野崎」の饂飩食べます、つまり、店主の一番美味しい店の名前を聞き出そうとすると、実は野崎という坂口家が最近通っている饂飩屋は、店主の奥さんの親戚であったらしく、ほうっと唸る。で、店主はどこで食べるんですか?「みのや」ですか?とか聞いてると「漱石です」と即答が返って来た。「饂飩じゃなく、蕎麦ですけど」と。へーってことで、家族で行ってみることに。僕は眠いので、親父に車で送ってもらった。漱石は阿蘇の路地入ったところにひっそりとあった。朝碾24と玄舞という二つの蕎麦の種類があるが、どちらも「もり」と「かけ」のみの超シンプルなお品書き。玄舞は手挽きの玄そばと、丸ヌキをブレンド。自然製法の天日塩で食べる。土曜日の早くから洒落た昼飯であった。

食後、阿蘇白川駅へ行き、裏手に住むアートディレクター永戸鉄也さんの家に勝手にお邪魔しにいく。気持ちよい家に坂口家と僕の親父と忍び込み、しばし永戸さんと歓談する。

家に帰って来て、また眠いので、ベッドでしばし休む。午後7時ごろタンゴが福岡からやってくる。フーが作ってくれた夕食を食べ、また眠る。午後10時ごろ起き、街へ繰り出す。鹿児島からやってきたゼンとミーと会い、焼き鳥屋で乾杯。その後、Navaroへ。今日はDj Harveyのお祭りだったので、顔を出す。で、ついつい午前6時までしっかりと踊りました。最近の僕は、朝まで飲んだり、踊ったりほとんどしないので、朝方の熊本城が珍しく、しばらくぼうっと眺めてた。東京で会ってた人とこちらで会ったり、服屋で会ってた兄ちゃんとも踊ってるときに会ったり、ビリーズバーで長崎の超能力喫茶店アンデルセンの話が盛り上がり、またあの店長によるミラクルな現象に触れたいと思ったので、みんなで行こうということになった。

なんかユニークな週末。リトルトーキョーinクマモト。

2013年6月21日(金)

昨日からよく寝ている。一日50枚以上書くと、やはり後日響く。しかし、幻年時代のときは、一日50枚を一週間続けて350枚書いたわけで、尋常ではなかったなと思い出す。そういう迷宮に入ると楽しいということを初めて知った。後で体はボロボロになるけれど。TOKYO一坪遺産が集英社文庫から文庫化されるのだが、その後日談的取材を今度、吉阪隆正賞授賞式のときについでに行うことに。表紙写真を石川直樹くんに依頼することに。石川くんに久々に電話。ちょうど時間空いてるし、家からも近いからいいよってことになった。小学生の同級生的な石川直樹。早く石川くんも書きなさい、一杯溜まっている原稿あるでしょと伝えた。いい気なもんだ、僕は。

今日のアオは幼稚園に珍しく行きたがらない。じゃあ、休めばと伝えると、休むという。しかし、アオが幼稚園に行っている間だけ、僕は鬼となって原稿を書いているわけで、あなたが休もうが、僕はニュースカイホテルに行って、執筆に励むけど、いいか?と聞くと、嫌だと言いながら、自分もスリッパを履いて、午前9時ごろ外出しようとする僕の後についてくる。パジャマで。エレベーターまで侵入し、確実に僕のやる気を損失させ、家で紙粘土などで再び遊ぼうとしている魂胆が垣間見える。しかし、午前中の僕は無敵なのであった。フーを呼び、アオと抱きつかせ、その間にさっと、閉ボタンを押した僕は、怪盗ルパンのように魔法のように地上へとエレベーターで滑り落ち、歩いてホテルへ。短編「躁鬱の彼(仮)」の原稿執筆のため。今日は推敲である。第二稿のはじまりはじまり。

最近、こちらのほうがいいと理解した店内カウンターに座り、冒頭から読んでいく。躁の僕が書いた原稿を、鬱な僕が調整していく。このように躁鬱を症状として発生させてしまうのではなく、原稿執筆の中の態度、技術として忍ばせる。そうすると、いいガス抜きになり、かつ仕事も進むのではないかと思っている。しかし、そんな簡単にはいかないのが、この病気なので、また、どうせいろいろと不都合が起き、坂口恭平は故障するだろう。まあ、それでいいのである。故障も念頭に入れておけばいいのである。F1フォーミュラと感じていた体、脳味噌は突如、エンジン崩壊寸前のクラッチの甘いシトロエンと化す。しかし、フォーミュラで路地裏を走ったり、ハイウェイでシトロエンのエンジンを修理しなくてはならない状況を作り出さなければいいのだ。ハイウェイだけでもなく、路地裏だけでもなく、時には家族も車に乗せて、ドライブすればいいのだ。つまり、その日常の中で微細に変化している道の違いをちゃんと自覚しながら、自分が乗っている車を取り替えたり、修繕したり、ここはいくぞって時にはアクセル全開踏めばいいのだ。と最近は思っている。今のところ、一ヶ月に一度で波が訪れているが、それをもう少し延ばしていきたいなと思っている。そのためには睡眠、他者との交流の塩梅、デジタルと距離を置く、よい水を飲む、などの行動をバランス良く。それでもまあ、twitterをやらないだけで、ここまで調子が良いのを見ると、一体、僕は何をやっていたのであろうかと不思議な気持ちになる。その文字作成欲はちゃんと原稿執筆というものに投射すべきであった。しかし、なんでも体験しなくては分からないというのも一理ある。それでも140字みっちり書いていた時期に原稿用紙8000枚分の練習はいつか生きてくるはずだとも思っている。

推敲しているが、眠い。カウンターでうとうとしている。少しくらい暑いくらいがちょうどいいのだろうか。家から抜け出し、クーラー完備の施設に来たが、ここでは眠い。でも暑いのも辛い。三分の一くらいしか読めない。しかし、これには僕の致命傷も影響している。僕は自分が書いた文字をもう一度読むのが本当に苦手だ。すぐに眠くなってしまう。自分の書いたものだけでなく、本全般に言えることだ。今、大江健三郎氏の本がどうこうだとか書いているが、ちっとも読めないというのも事実。本を読むと、寝てしまうし、文字がなかなか頭に入って来ないのである。本を読む時間があれば、書いた方がましだとも思っているので、なかなか落ち着いて本が読めない。僕はこのようなスタイルでやるしかないので、諦めているが、本がゆっくり読めるような人間にもなってみたいものだとも時々思う。フーはゆっくり珈琲などを飲むことができ、じっくり部屋の掃除、洗濯物を畳むなどの作業ができる。僕にはできない。僕は、何かに没頭、熱中しているという行為以外は寝てしまうのである。その体の使い方を少しくらい変えたいと思ってきているのが、最近の行動原理かもしれない。アオと一緒にいるのもそういう意図が見え隠れする。本当に、この自分の自閉症に限りなく近い集中は、もう一人の僕から見るに、大変疲れる作業であると思う。おんちゃんとは世間話ができん、と昔、嘆いていた弟のことを思い出した。最近の虫への興味は、そのあたりの奇異な集中を緩和する役目を果たしてくれるのではないかと思っているが、結局、虫の世界も顕微鏡的作業、つまり、それは集中ではあるので、一緒だとの意見もある。

電話が何本かかかってくる。今でも。僕が卒業した熊本県立熊本高校、通称「熊高(くまたか)」の学生である。彼は僕を確認すると、化学の先生であるという岩下先生に変わった。彼らと岩下先生は、一人の高校三年生が気になっていた坂口恭平の著作、映像、インタビューなどを知り、同じ高校の卒業生であることに驚き、かつ興味深い、かつ、環境指定校となった今年、非常に有益な情報を持っている可能性があると感じ、というか、会って話したい、できることなら、高校へ来て話してくれませんか、という依頼を受ける。しかし、僕は何も知らない人のところにわざわざ出向いて話をするということよりも、興味を持った人が本を実際に読んでもらったほうが意味があると最近思っているので、母校から依頼されたのは嬉しいことではあるがとお断りし、そのかわりと言ってはなんだが、〇亭にはいつでも遊びに来て良いよと伝えた。彼らは興奮し、8月4日に生徒と先生で僕の仕事場である〇亭に遊びにくることになった。こういう動きはよい。大変よい流れだと思っている。

さらに、高校生から電話。今度は女の子、神奈川から。

「坂口恭平さんのゼロセンターについて思うことがあるんですけど、、」
「はい、どうぞ」
「とても画期的なことだと思うんです」
「ありがとう。でも、別にゼロセンターとか、新政府とかってのは何か僕が実際に作ったというわけではなく、ゼロセンターとは実はただの僕の仕事場であるし、新政府というのもただのtwitterを使った広報活動ということもできるわけで、画期的というわけでもなく、実際は何もしていないに等しいんだけど」
「つまり、それがレイヤーってわけですよね、、、?」
「ほう」

なんだか真剣に聞いてくる子なので、しばらく話していた。中学生、高校生から連絡が来ることが時々ある。その時だけは結構、僕もつい真剣に向かい合う。本をちゃんと読んでくれている若い人がいると思うと嬉しくなる。何も建てないで、何も新しい機構なんて作らないでも、実行することはできる。もう、そもそも政治機関、行政など必要ない。などということは、これから大人になるに従って、そんなこと言っていると笑われると思うので、めげずに頑張ってくださいと伝えた。人間はすぐにめげるので、めげないように協力すればいい。むしろ、協力とはそれだけだと思っている。やはりやるべき思考、行動は独力でやるべきで、それができないとめげてしまう。つまり、馴染んでしまうし、最終的には物を言わぬ物質となってしまう。

SPURにて成海璃子さんが僕の音楽、つまりアルバム「Practice for a Revolution」を紹介してくれているらしい。なんだかとんでもない世の中になったものだ。ありがたいことではありますが。現在発売中の住宅建築には吉阪隆正賞受賞の言葉を寄せてます。再来月号のポパイのために熊本を取材することになった。こちらも楽しみ。などなど。

夜、ボッテガロマーナへ。父の日と母ちゃんの誕生日祝いのため。親父、母ちゃん、僕とフーアオ弦で夕食を。スプマンテに、アマトリチャーナ、カルボナーラ、穴子とズッキーニのバルサミコ炒め、豚肉のグリル焼きなど。美味。夜、帰ってくる。すぐ寝る。とにかく眠い。で、眠いときには新しいものが生まれる。これが僕の体の動きである。何が生まれるのか。それはいつも分からない。

2013年6月20日(木)

夜がどんなに寂しくても、朝は必ずやってきて、朝はいつもどおりに夜の一人で悦に入っている坂口恭平を無視する、いや、昨日の狂乱を放置してくれている麻薬中毒の友人みたいに、何もなかったかのように笑う。耳をすますと、その笑い声は、昨日、僕に膝蹴りをかましたアオである。

「ほらっ、起きろ!いくぞ!幼稚園!」

坂口恭平は完全にアオの乗り物と化している。しかし、彼は少し出来の悪いナイトライダーのようだ。昨日書き上げた原稿への力が入り込みすぎていたのか、その後の日本酒が祟っているのか分からないが、確実にエンジンの調子がおかしかった。そんな姿を確認したアオは、坂口恭平が幼稚園を送る行為を辞退する恐れがあることを見込んでか、ひょいと飛び上がり、坂口恭平の腹に落ちた。

「ぎょえ」

坂口恭平は奇声をあげ、目を覚ます。ファミコンカセットのチップ部分を口を尖らせてフーッと吹いてから、差し込むように、アオは男の腹に飛び乗り、自家用車である坂口恭平を稼働させる。さっと現状と時間を把握した彼は、二秒で着替え、昨日の残りものである餃子をチンしたものを口に放り込み、歯磨きもせずに、アオと出掛けた。もちろん、幼稚園へ。

幼稚園へ送り届けたのち、いつものように〇亭へ向かう。原稿を書こうとするも、全く文字を打つ気がしない僕は、とりあえず坂口恭平日記にとりかかる。この日記を書くという作業は、僕が執筆というただ一人の作業に没頭するために、その世界に落ちていくための、準備体操というか、なんらかの化学作用を及ぼす薬物のような効果を持っている。原稿は書けなくても、日記は書ける。果たして日記とは一体何者なのかと僕は、今まで出会ったことのない疑問と接し、気になるので、メモった。昨日起きたことを思い出しながら、といいつつ、ほとんど嘘の塊なのだが、日記を記していく。と書きながら、それはなんらかのアリバイであることも理解している。なぜならこの日記は、大抵の人のように一人で楽しむ、記録にとっておくという種類のものではないからだ。これは公開されている。一ヶ月で6万人以上の人が閲覧しているとグーグルアナリティクスによると表示されている。東京、大阪、熊本、福岡で特に観覧されている。それぞれの地域での読まれている数、その人たちが何分ほど滞在したか、僕の日記に、どのURLからやってきたか、その後、どこへ行ったかなどが事細かに記録されている。それを看守である坂口恭平は管理、監視している。なんのためか、それは分からないのだ。看守はなぜ、その目の前の囚人たちを管理する必要があるのか実は何も分かっていない。しかし、坂口恭平は言われるままに労働を続けているのである。労働とはそのような無知の力を利用する。知らないからこそ、普段できないような力の可能性を広げるのである。それを体制側は利用する。既知の人間には死んでもらう必要がある。虐殺はそのようにして行われる。つまり、無知とは或る種のサバイバル技術である。無知者が気付かないままに行っている書物への無視は、無知が自分を活かしている歯車であると気付いている、既知人間、つまり、その人間そのものの分裂を示す。恐ろしいことに、坂口恭平は僕から完全に分裂している。ならば、僕とは誰なのか?

この日記は僕と坂口恭平による二つの人間による物語である。と、僕は思う。坂口恭平はどう思っているのか分からない。

日記を仕上げると、ハザマへ送る。返信がやってきて、

「更新しました。禁欲頑張ってるねー!xvideo行きだなww」

高校時代のこの男は、金をかなり持っている。そのことだけは分かっている。しかし、口座にいくらくらい入っているのかはまだ調査しきれていない。社会が混沌としはじめたら、覆面姿になった坂口恭平はまずこの男を拉致し、銃を顳顬にあて「金を出せ」と要求するだろう。それくらいの金塊が眠っている可能性がある。しかし、僕は、高校時代の親友を装って、無償で坂口恭平のホームページの構築、更新を依頼している。彼と全く趣味が合わないのに、それでも繋がっている理由はそんなところにあるのかもしれない。坂口恭平の計算はあまりにも見え見えで、魂胆がすぐ他者に理解できてしまうので、僕はいつも怯えている。しかし、坂口恭平はそれくらいがちょうどいい。お前はなんだかよく暴露したり、隠し事がないような坂口恭平を演じておけばいいのだ。大抵の愚者は勘違いし、おれの中に存在している記号は読み取れないのだ、ぶはっはっは、と高笑いする坂口恭平と、最近は意外とうまくやっている僕は、彼が僕の後頭部に銃を押しつけながら、一緒に歩いているにもかかわらず、周囲の人には一切その姿が見えれていないほどに、一体化できている。フーにも気付かれていない。フーはどうやら、夜は一人で静かに眠れていると思っているらしい。僕はそのような優しさがある。放置して、疲れを癒し、明日へのエネルギーを補充する時間としての夜や布団、タオルケットを触らぬようにそっとしておく力量がある。しかし、坂口恭平は銃を押し付けてまた言うのだ。

「おい、フーが寝たぞ。アオも弦も寝ている。今だ、襲え」

「おい、ちょっと待てよ。ここは何の問題もないような幸福な家族の風景だぞ。坂口恭平やめとけよ」

「打つぞ。死にたくないなら、行け」

顳顬の重さを感じている僕は、坂口恭平から離れて一人で和室へ向かった。そこには布団に寝ているフー、アオ、弦がいる。みんな深いレム睡眠に陥っているのが鼾の感覚、音量で知覚できている僕は、別に忍び足をするまでもなく、一番端で寝ているフーを見つけると、忍び寄り、静かにパジャマである綿製のズボンを少しずつ下にズラしていく。時々、びくりとするので、僕も動きを止めて様子をみるが、完全に寝ているようだ。ズボンを脱がすことに成功した僕は、坂口恭平が向こうの今からオペラグラスでこちらを監視しているのを確認しながら、フーの下着の中に手を入れながら、口づけをするために顔をフーの口元のほうへ少し近づけていった。

「こらこら」

フーは実は起きていた。別に放置していたけど、すぐに図に乗るんだからと、ある一線を越えた僕に向かった、目を瞑ったまま、フーは

「止まれ」

と言いながら、瞼の奥にある眼球という銃口を抜けた。僕は完全に停止してしまった。その瞬間、オペラグラスの奥の坂口恭平の銃口も僕に向けられた。どちらにも逃げ出せない状態である。こういうとき、どう考えても優しいのはフーである。僕はフーの耳元で静かに囁いた。

「フー、助けてくれ」

フーは目を瞑ったまま、溜息まじりに言った。

「恭平、私は今、五歳ともうすぐ三ヶ月になる赤ん坊がいるお母さんなのよ。夜だっていつ起こされるか分からないんだから、少しでも時間が空けば、その瞬間に熟睡をしたいの。あなたの気持ちも分からないではないし、わたしにもその気がゼロだなんてつもりもない。ただ今は眠りたいのよ。分かってよ」

フーはそう言うと、熊本市新町にどこにでもいる妻の一人を演じた。しかし、僕はそれどころではない。今すぐ死ぬ可能性がある、スパイの一人なのだ。熊本市というよりも、ワシントン周辺、24などのテレビ番組に出てきそうなほどの諜報員なのだ。フーはそれに永遠に気付くことのないような声をしている。

「坂口恭平に脅されているんだ。ここでお前を襲わないとおれが銃で撃たれて死んでしまう」

「馬鹿じゃないの。坂口恭平はあなたでしょ。また分裂がはじまったの?」

「いや、これは分裂ではないんだ。ここで説明したいが、時間がない。今、フーから断られてしまったら、おれの命がない。本当に実行しなくてもいいから、なんらかの作業をここでやらせてくれ。説明は明日の朝する。朝ならあいつがいなくなる。だから、この場はおれの相棒になれ」

「やだ」

フーのその言葉の瞬間、リボルバーが回転し、二秒、間を置いた後、銃声が鳴り響いた。撃たれた僕は、押し入れの襖のほうに円弧を描き倒れ、月光に照らされた坂口恭平の白い歯がちらりと見えた。そのまま意識を失い、僕は布団の上で死んだ。

「ほらっ、起きろ!いくぞ!幼稚園!」

アオのその声をどこかで聴いたことあるななどと思いながら、僕は日常を暮らしている。それはどこにでもある風景だ。そうだ、僕は自転車にアオを乗せて幼稚園へ行くのであった。送ったあと、〇亭に戻り、原稿を書こうとするも、書けずに坂口恭平日記にとりかかる。その後、雑誌ポパイの連載「ズームイン服」連載第15回のためのスケッチをボールペンで描き、弟子のパーマにセブンイレブンでスキャンしてきてもらう。セブンイレブンは僕のパソコンを兼ねている。僕はイラストレーターもPhotoshopもスキャナーもプリンターも持っていない。必要ない。イラストレーター、Photoshopは弟子のヨネの担当、スキャン、プリントはセブンイレブンで十分なのである。僕はMacBookAirで原稿だけを書けばいいのだ。新しいAirを買いたいとも思うが、今の機種で何の問題もないし、容量も原稿なので、一行に重くならないので、快適さを保たせられる。僕は変化苦手だ。これは意外に思われるのだが、変化ができない。レーモンルーセルばりに。毎日、ルーティンをしたいのだ。

絵が完成したので、落ち着いて、大江先生の本などを読みながら、午後2時45分。アオを迎えにいき、帰宅する。今日は、丸一日コースで遊べる?とアオが聞いてくる。昨日、我慢してもらったおかげで、短編が仕上がったから、いいよと言うと、

「花咲つぼみ、作って」

と言う。花咲つぼみ、とはハートキャッチプリキュアに出てくる主人公の一人である。植物学者を夢見る、なんだか僕とも話が合いそうな女の子である。その子の人形が欲しいという。しかも、僕は熊本最大の二大玩具問屋「むろや」と「肥後玩具」の間に挿まれてたマンションに住んでいる。つまり、フィギュアなどと接する機会が多い。アオはそれを見逃さない。あれ買いたい、これ買いたいと言ってくる。いつもの購買欲だ。僕にはそれが多少無理があるようにも感じられる。さすがに人間は、ものを見ないままに、これが欲しいなどとは言わないはずだ。しかし、それほどに、坂口家の物を買わない感覚に納得がいっていないものだと予想できる。そこで、僕はフィギュアなら、おれ作れるよとほざいたのだ。その言葉をアオは忘れていなかった。ほれ、早く作れと嗾けてくる。

そこで、僕はフーに泣きつき、それなら、紙粘土でやってみればと応援してもらい、戸棚にある紙粘土を出してくれ、これでやってみろ、お前ならできると励ましてもらう。フーによる元気玉をもらった悟空であるところの坂口恭平は、突如気合いを入れ、外へ出て、家の出先の階段の踊り場で、小学四年生の二人の女の子たちとアオが遊んでいる裏で、こっそりと作り出した。紙粘土と竹ひごだけで、花咲つぼみのフィギュアを!

それはうまくできた。親友のかおるはそれを見て、

「とても大人が作ったと思えないいい感じがでてるね」

と貶しながらの褒め言葉をくれた。PAVAOで颱風焼きそばを食べながら、僕は悦に入る。

「おー、坂口くん!」

PAVAOにやってきたのは、ズベさんを中心としたおじさん軍団とヨネ。午後7時からPAVAOにてズベ会議。ズベさんという新政府鍛治大臣で、僕の鉄に関する全てのことを担ってくれている熊本の鉄おじさん、の展覧会を十月、熊本市現代美術館にて開催することが決定した僕らは、どんな会にするのかをこのように月に一度集まって会議している。童話から出てきたような変人おじさんばかりが集まる素敵な会議なのだ。10月13日には熊本市現代美術館で僕とズベさんのトークもすることになった。なんだか楽しみだ。

午後9時ごろみんなと別れて、長野のミネちゃんから送られてきた蕎麦と生ワサビを食べ、そのままぶっ倒れて寝た。

またできなかったと悔やむ僕は、深夜、仕事部屋でメールを開いた。ベルリンの穴丑からだ。

「恭平くん、こんにちわ。この前、穴丑だけでなく、忍者ってどんな種類があるの?って聞いてきたから、教えてあげるね!忍術は主に、『陽忍』と『陰忍』に分けられて、陽忍とは、忍者がその姿を現したままに行動し、敵中に潜入するもの。陰忍はその逆で、姿を隠す術でもって忍び込むことをさすの。忍術伝書には、陽忍こそが忍術において最も重要であると記されているのよ」

そして、忍者の種類を箇条書きしてくれていた。

  • 妖者(ばけもの)変装する忍者全般。
  • 蟄虫(ちつむし)スパイ候補全般。味方の者も顔を見たことのない(小数の幹部だけが知っている)人間。
  • 桂男(かつらお)敵中忍。平時から敵中にいる。戦争中より戦前から置いた方が効果が大きいため。蟄虫から選出される。
  • 陰士(いんし) 敵地に潜伏して普通に暮らしている味方も知らない忍者。
  • 穴丑(あなうし)↑陰士の中でも、その町に長年住み続けて地位や信用を獲得している者。
  • 九ノ一(くのいち) 体で敵を籠絡し、情報を引き出したり相手を言うがままに操ったり味方の手引きをする忍者。「隠れ蓑の術」も使う。前もって潜入していた女忍者に荷物を取り寄せさせ、その荷物の中に隠れて忍び込む術。女性が取り寄せた荷物なので、警戒されない。
  • 家忍(いえにん)個人の屋敷などに侵入する忍者。
  • 軒猿(のきざる)主に他の忍者を狩る忍者。けんえん。
  • 窺見(うかみ)土地や相手方の事情や動静を知るため、様子をさぐる。黙って隠れている偵察する忍者。
  • 鉢屋衆(はちやしゅう)祭礼や正月に芸を演ずる芸能集団、兼兵役。祝いの舞と共にだまし討ちや奇襲をする。
  • 忍犬(にんけん)忍者の任務補助のため訓練された犬。
  • 抜け忍(ぬけにん)脱走者。
  • 黒鍬(くろくわ)土木作業を行う者達。後世の戦闘工兵(忍者)候補。

ベルリンにいる忍者と出会ってしまい、僕は「躁鬱の彼」を書きはじめた。人との出会いが小説のはじまりである。だから、僕はまず人に出会おうと思うのだ。体を動かそうと思うのだ。活発に世界中を飛び回り、あらゆるものと人と出来事と遭遇し、それらを記録し、僕のあらゆる記憶たちとダンスさせる。それが僕の仕事なのではないか。僕はそのような文字による空間を描きたい。

2013年6月19日(水)

もちろん僕とアオ、ライドンママチャリ、トゥザキンダーガルデン。0亭で執筆。30枚書いた「711」が長くなりそうな気がするので、とりあえず置きまして、集英社「すばる」から依頼を受けている、短編小説「躁鬱の彼」に取りかかる。。ベルリンでの体験をもとにしているので、伯林記第一部として書いている。先日10枚書いてみて、いけると判断した僕はさらに突き進ませることに。大江健三郎先生の本「私という小説家の作り方」を合間に読みながら。これまで大江先生の本を僕は一度も読んだことがなかったのだが、しかも、この本は小説というよりも自伝に近いのだが、しかも、梅山によると大江先生の本はエッセイであっても、なんであっても、全て小説だから!ということらしく、やはり、その自伝的エッセイはまさに小説なのであった。僕はこれまで大江先生だけでなく、他の人の小説もほとんど読んでいない。というよりも本自体をほとんど読んでいない。だからこそびっくりしているのだが、なんだか大江先生と主題が近いような、それこそ文体も、書こうとしている空間も、なんだか、近いような、別にこれは実は大江先生の本が好きで、裏でこっそり読んでおいて、そのくせ、なんだか本を読んでいない、みたいな処女を装い、実は完全な模倣である可能性も、坂口恭平には少なくともあるはずなのだが、僕はやっぱり、その近似値の発見に喜び、大それたことを言ってしまえば、仲間を発見したような、この歩いてきた獣道も、実はイエローブリックロードだったんですか!みたいな、なんだか安堵してしまった瞬間、僕の目の前は、これからやっぱりどうするんだろうという大学生くらいの不安と同じくらいの大きさの塊がごろんと転がっていて、怖くなり、僕はフーの手を繋いだ。フーは、

「ほほへえええ」

と言いながら、くすぐったがっている。フーは昼間に、尻、胸、脇、手、二の腕、太もも、などを触ると、変な声を出して、勘弁してくださーい、と言う。といいつつ夜も、ほほえええいへ、と言い、やはりくすぐったいと言う。一体、いつならいいんだ!と突如の怒りに塗れた僕は、もう今日で「五日目だぞ」と強く言いながら、しかし、かといって無理強いしても仕方がないので、笑った。いつも僕ははぐらかされ続けている。そんな昨日を思い出していたら、原稿の中にフーみたいな人物が登場していた。その瞬間、穴を見つけた僕は失踪、いや、疾走した。これはいけるかもしれないという突然の扉に知覚を詰め込んだ僕は、今日、53枚も書いちゃった。通算63枚。僕は掌編「躁鬱の彼」の第一稿を完成させ、これからすべての原稿の担当編集者の前の担当編集をしてくれることになった、相棒梅山に原稿をデータで送信。とりあえず、今日の仕事はこれで終わりだ。最後のほうは、ニュースカイホテルのソファに座りながら、書いていた。充電が亡くなりそうになりながら、焦りながら、でも冒険のなかに入り込むように熱中した僕は、その先は怖いかもしれないけれど、まさかの、楽しかった!

アオを迎えにいき、自転車で家まで送り、僕はニュースカイホテルで、尾道からきている、山根大将と待ち合わせ。一緒に来ているのは同じ居酒屋団体の社長たち。山根大将は尾道で一番の実業家みたいになってしまっている。この男は、僕が19歳のとき、つまり15年前、僕が大学一年生のときに原付自転車で熊本から東京まで1500キロの道のりの旅をしたとき以来の仲である。熊本からボロボロの原チャリで、時速40キロで走っていたが、後ろから時速30キロで向かってきていた颱風に、尾道にて追いつかれた僕は、寒くなってきたので、なけなしの金でトレーナーでも買おうということになり、尾道で古着屋を探した。駅裏にあったのは鉄板焼きと古着屋が合体した謎の「いっとく」というお店で、アディダスのトレーナーを買った。

店長の兄ちゃん「お前、颱風きとるぞ。どこに寝るんかい」
坂口恭平「いや、大丈夫っしょ。どっか見つけて寝ます」
店長の兄ちゃん「……」
坂口恭平「いけるっしょ」
店長の兄ちゃん「お前、今日、おれんち泊まれや」
坂口恭平「あざーっす。ごっつぁんです」

ということで、店長の兄ちゃん、つまり山根大将の家に居候することになったのである。その日の夜、颱風は尾道にしっかりとやってきてとんでもない雨を振り落とし、びしゃびしゃになりすぎた尾道のアーケードは浸水、というよりも膝くらいまで浸かってして、なんだか水上集落みたいになっていた。僕と大将は大将の仲間を誘って、アーケードを歩いた。僕は一年後、二十歳のとき人生初の海外旅行として、インド・カルカッタ、バナラシへ行くのだが、そのときも雨がすごくて、バナラシの街が雨に沈んだ。その二つの都市が僕の中繋がっている。尾道トゥザバナラシ、沐浴を毎日していた僕は、寝ていたら、耳かきを勝手にされていて、金を取られそうになるが、僕が一枚上手だったのは、インドでありながら、僕の所持金が0円だったということだ。バナラシで、僕はホーリーマンとなっていた。サドゥーの友達がたくさんできた。お前は日本から、しかも金も持たずに、と。インドで金を持たずに生きているということは聖者であった。僕はそのときの彼らから受けた羨望のまなざしを、その光を見つけたように観られた体験を、そんな自分を忘れることができない。僕はうまれて初めて自分が聖者であることに気付いてしまったのだ、そのとき、バナラシ、つまりヒンドゥー川の畔で。僕は、そのまま、バナラシヒンドゥー芸術大学の学生に拾われ、彼らの寄宿舎に居候することになる。僕は毎日、30人くらいのインド人学生たちと熱く、これからの未来を語りあっていた。僕はそのとき、100%だったと今でも思っている。あのときの僕のほうが今よりも、鋭利で、豊かだったことを知っている。彼は所持金0円だった。僕の財布には今、二万円入っている。何に使うつもりなのだろうか、その二万円を。いや、子どもが図鑑を買いたくなってもすぐ帰るようにだ、と僕は自分に伝えようとするが、インド人学生30人はみんな笑っている。おいおい、恭平、お前さー所持金0円なんだろー、すごいっしょ。旅行者じゃないでしょ?あなた!半端ないよね。ナマステー。シヴァ神が大好きな煙草をみんなで吸いながら、僕は大人になったらどんな人間になっているんだろう、きっとこの時のことは忘れないんだろう、その記憶を持っている恭平は、今のその瞬間を、記憶であるはずの世界を、空間を今、目の前で体感して、仲間、といっても出会ったばかりのこのインド人学生たちと過ごしていることに嫉妬するんだろうなあ、とはいいつつ、おれはそんな未来の大人の坂口恭平を知らないわけだから、トントンか、できることなら、このちょっと頭がぐらんぐらんしている世界にちょいと乗っかって、今すぐおれを35歳の坂口恭平にしてくれと僕はパハリが使っている勉強机の引き出しを開けた。すると、インド綿の絨毯が出てきた。僕は引き出しの中に入り込み、熊本内坪井にいるという坂口恭平のところへ。2013年の日本へと飛んでった。

タクシーの中には、僕と山根大将と二人の居酒屋社長たち。向かうは僕の師匠であるサンワ工務店の山野さんのところへ。社長室で、山根大将による説明。来年五月、熊本で山根理事長を中心とした居酒屋グループたちが主催し、屋台による街をつくりたい、そんな大サーカスをやりたいという企画。その街原案を僕と山野さんでやってくれないかという面白そうな依頼が舞い込む。山野さんも乗る気だ。しかし、あんまり時間がない。できるのか。僕はカルカッタのオールドマーケット、ナイロビのスラム、行ったことないイスタンブール、モロッコのフェズのマーケットのイメージが出てきた。街を一日だけ作り出す。やってみたいなと思った。できることなら、製作費0円でやってみたいものだ。原チャリ乗ってたキチガイ無職と、店を一軒だけはじめたばかりの居酒屋のあんちゃんは、今、15年のときを経て、坂口恭平となり、年商5億円の社長となっていた、だから、出会いは奇跡ではないのだという、僕はただ普遍的な素晴らしい言葉を、頭の上で転がした。カルカッタの匂いがする。お香の匂いだ。体臭とまざった。あのバングラッシー。あのシタールを買った店の混沌。どんどん、僕の頭に戻ってくる。あの時の僕が。その時、僕はフーとは違う女性と一緒にいた。バラナシで聖者と呼ばれた男はホームシックになり、国際電話をコレクトコールでかけさせてもらい、その子に会いたいと泣きながら電話した。聖者はただの弱虫だった。僕はこれからの人生どうやって生きていけばいいのかを本気で思い悩んだ。どんな酩酊もただの不安しか作り出さなかった。バラナシの路上でシタールを弾き出した僕は、まわりのインド人に笑われていた。どうみても、乞食同然の男から笑われた僕は、もう誰から馬鹿にされても、気にならないなと思った、つまり、その男を一番下から必死に上から目線で見た僕の目の前で、破れた服を着ているのか、へばりついているのか分からない姿の男は、周りの綺麗なサリーを着ている女性たちから、絶大な尊敬を集め、食事を与えられていた。一体、彼は誰なのか。そして、僕は人を見た目で判断してはならぬという教訓を得た。それが僕のうまれてはじめてのホームレスと言われているような人々との出会いである。僕にはかれこそが、マスターに思えた。その一年後、僕は隅田川沿岸で、路上生活者たちの家の調査をはじめた。全ては繋がっている。そりゃそうだよ。

全ては繋がっているんだ。だから、別にそんなに驚くことはない。

バラナシの乞食の顔は変形し、梅山になった。

「短編・躁鬱の彼、おもしれえ!」」
「まじか?」」
「まだまだ冗長なところはあるが、いいぜ」」
「さて、これからどうすんの?」」
「今度のトライは、自分で推敲をやってみるという試行だ」」
「ふむ。ちょうど読んでいる大江先生の本が今、推敲とは?という項目なんだよ」」
「おー、いい状態だね。そうそう、全ては繋がっているんだ。次はできるだけ緻密に、しかも読者のことを考えるではなく、お前自身が読者になれ。説明的な部分は削除し、感情や匂い、それらをもっと具体的に書いていけ」」
「はいよ。お前、午前3時なのに、電話出てくれてありがとね」」
「いいよ」

僕は深夜の雨降る階段の踊り場で煙草を吸った。

空から、黒いスーツ姿のサラリーマンたちが雨のように落ちてきている映像が起きて見る夢として僕に迫ってきて、怖くなった僕は布団に潜り込み、フーの懐に入り込んだ。向こうの寝ているアオから膝蹴りが後頭部に飛び込んできた。

「ぎゃっ」

しかし、うちの仏さんである弦さんは、全く泣くこと無く寝ている。阿片でも吸っているのではないかと思われるほどだ。フーが、少しだけ目を開けながら言った。

「弦さん、ここ数日全く泣いてない。あの人、本当に赤ん坊なのかしら?」

弦、お前は一体何者なのか。いつも笑い、そしてすぐ寝る、ただの幸福の塊の、涙を見せない、この仏は、毘沙門天と仲良くできるのだろうか、もしくはお前が毘沙門天なのか。

「短編一本、ほぼ一日で仕上げたんだよ!今日こそは!」

フーは目を掻きながら、

「へー」

と言って、またそのまま寝た。おそらくフーの夢の中では、即寝していることに気付かず、僕の短編小説を書き上げたエネルギーに感服し、そんな人間が自分の夫であることに誇りを持ち、接吻を施し、そして抱き合っているのだろう。むにゃむにゃ言いながら、フーはいつものように何も悩みがないような顔をして眠っている。

四日目が五日目に到達してしまった。

これは一体何の苦行なのか。

教えてくれ、乞食様。

2013年6月18日(火)

朝からアオを自転車に乗せてレッツゴー。幼稚園に送り届け、そのままルーティン零亭へ。今日も書くぞ原稿を、と思ったが、ひょんなことから自分の幼稚園、つまり来月出る新作「幻年時代」の舞台となる福岡県糟屋郡新宮町にあった僕が通っていた新宮西幼稚園のことを思う。グーグルマップで確認すると、やはり、無い。今、新宮西幼稚園はなくなっているのだ。さらに僕の暮らしていた団地も衛星写真で確認するかぎり、ない、もしくは限りなく零に近い状態に縮小されている。下府840-125という住所は杜ノ宮という地名に変わっている。建て売り住宅が並んでいる。僕は自分が初めて幼稚園に通った日、つまり新宮西幼稚園の入園式がいつだったのかが気になり、新宮町役場に電話をしてみる。しかし、いい返事は返って来ない。探偵恭平はそれでは落ち着かない。ということで、さらなる行動の発展を。新宮町には現在、立花幼稚園、新宮幼稚園、新宮東幼稚園の三つの幼稚園があるようだ。西幼稚園に一番近かった新宮幼稚園に電話をしてみる。

「はい、新宮幼稚園です」
「すみません。坂口恭平というものなんですけど…..」
「どうしましたか?」
「僕は昭和58年に入園した新宮西幼稚園の卒園生なんです。それで、今、作家となって本を書いているんですけど…..」
「へえー、すごいねえ」
「今度の舞台が、入園式の日の新宮西幼稚園までの道のりでして、一体、あれが何日だったのかを知りたいと思いまして」

説明しながら、わけがわからなくなっていったのだが、幼稚園の先生というのは、小学校の先生と決定的に違う。多少、分裂症気味の僕は、幼稚園児みたいなものなので、大人とさえ思わなければ、つまり昭和59年に卒園した坂口恭平くん!と定義づけることに成功さえすれば、坂口恭平のようなキチガイ野郎の戯言も、楽しい冒険譚に聞こえてくれるのだ。それくらいの受け皿の広さを電話口の栗原園長先生は持っていた。その優しい声は、先日定年退職してしまったアオが通う幼稚園の木村園長先生にも聞こえて、彼女はいつも僕の躁状態の興奮を、その興奮のままに叙文堂に入り込み三万円の紐綴じの林櫻園先生の遺稿集などを買って脇に抱えて駆けつけ、アオをそっちのけで、熱ほとばしる言葉を浴びせても優しく坂口恭平くん、いやアオのちゃんのパパ、面白いねえと受け止めてくれた。そのことを思い出し、もうすでに半べその坂口恭平は、栗原先生に入園式の日付を調べるように依頼した。さらに、僕の担任の先生だった阿部先生の消息を聞いた。すると、 「書庫に行けば、当時の日誌が有るかもしれないから探してみるね。でも20年経ったら処分することになっているから、30年前の資料がまだあるかは分からない。ちょっと待っててね。あと、阿部先生はまだいるよ。幼稚園ではなく、新宮町の教育委員会にだけど….」

と耳寄り情報がどんどん飛び込んでくる。なんか泣けてきた。

そんなわけで、僕は電話を切り、仕事に戻ろうとした。すると、窓越しにチョウチョの姿が。ムシキングを目指す男になっている冒険野郎坂口恭平は、そのチョウチョが普段はあまり見ないショッキングスカイブルーの半端なく綺麗なチョウチョであることに気付き、しかし、今日は虫とり網を持ってきていないことにも気付き、唖然とし、何か抑えきれない衝動から、昨日の探検を共にした弟子のタイガースに、

「青い蝶を見つけろ!あれはムラサキツバメ、ムラサキシジミかもしれん!」

と命令し、僕は心を落ち着かせ、仕事に戻ることに。すると、一本の電話がかかってくる。

「あのー、こさいですけど…….」

聞き覚えのある名字だが、顔が浮かばない。僕はいのちの電話をやっていたので(実はいまだにかかってくるし、電話を取っちゃってもいるのだが)名前は記憶しているが、会ったこともない人が2000人以上いる僕は幼稚園の先生までの記憶力は持っていない。ぼんやりしていると、

「あの、つい先日、江津湖で声をかけられたコサイですけど…..」

と、オイオイお前忘れてんのか自分から声をかけたくせに感満載の声が返ってきた。瞬時に思い出した。僕は先日、江津湖を歩いているときに、見知らぬ一人の女性に声をかけていたのであった。その女性の名は確かにコサイであった。晴れた日の平日、気持ちよくシャンパンを飲んで気持ち良くなった僕は江津湖を歩きながら、幸福の塊というように、幸福とは実際に物質として体に優しくぶつかってくるのだなと実感しながら、湧き水が流れる川沿いを歩きながら、芝生の上を裸足の気持ちでトリッペンで闊歩していた。そこに一本の木。陽の光によってできた木陰にあぐらを書いて読書をしている一人の女性。その木陰使いに感銘を受けた僕はつい若い女性に声をかけた。年のころ、24、5歳といった様子。つまりは体のいいナンパみたいなものである。しかし、僕の中ではそれはナンパではないという自信に満ちあふれた異性への声かけであった。お互い、緑と水と陽光と木陰を愛す、平日暇人としての対話を求めた、僕の中ではある一つの文化交流のつもりだった。いや、つもりなのではなく、それはまさに交換留学生たちが留学した先で初日に行われるウェルカムパーティーみたいな宴での、つまりある土壌だけは仲間意識があるなかでの初対面の挨拶という類いの声かけであった。僕は下心ではなく、からっとした、陽光のようなさわやかさをもってその子に「あなた、いい木陰使いしてるね」と一声かけた。

「読書するには最高ですよ」

木陰使いはさすがのサングラス姿をこちらに向け、ニコリと笑っていることがえくぼで分かった。可愛い子であった。健気な子でもあった。手に持っているのは「スーパー合格 インテリアコーディネーター 一次試験対策テキスト」という資格のための参考書である。建築学科を卒業したこの建てない建築家などとうまいこといっている似非建築家、坂口恭平は自分の照テリトリーの中に迷い込んできた優しいカナブンを知らぬうちに仕留めた蜘蛛としての自分を一応落ち着かせ「へー、インテリアコーディネーターの資格勉強してるんだ、なんか実直かつ、働きながら別アカウントで試験勉強するなんて、ギリシア文明みたいなゆとりがあるね、自由の風が吹いているよ、君には」とわけのわからぬ褒め言葉を投げた。なんだか話は意外な方向に盛り上がり、最終的には「零亭ってのがあるから暇だったら遊びにこい」と言って、零亭の地図と電話番号を書いて、その場を去ったのである。なんとも酷い話だ。書きながら辛くなってきた。それでもいいのだ。坂口恭平日記は全てフィクションであり、実在の登場人物とは関係がないのだから。

「今、夏目漱石の旧邸のところにいるんだけど、こっから近いの?」

コサイは来る気満々である。

「うん、その横に幼稚園があって、向かいに細い道があるから、そこをまっすぐきたら零亭があるぜ」

そんなわけで、蜘蛛としての坂口恭平は、罠を仕掛けておいたら、罠をかけたこと自体を忘れてしまっていて、しばらく経ったある日、あっそういえばおれ蜘蛛だったんだ、どれどれと確認したら、カナブンがまさにこちらに向かってきているという不意の蜘蛛化を迫られた。といいつつ、いつも勘違いするのは僕だけで、社会的に見れば、別に一人の人間と出会い、その後日ただ再会しただけなのだろうとちゃんと地面に着地し、二階でパソコンをカタカタさせながら待った。しかし、実のところ別に原稿を書いているわけではなかったし、しかし、二階で来訪してくれるのを心待ちにしているのも、なんとなく負けを意味するのではないかと思い、それなりに、ぶっきらぼうに待った。コサイはTシャツにジーパンという出で立ちで現れ、サングラスなしの素顔でやってきた。二階の机に座って、向かい合って話す。なんだか、不思議なことが午前中からいろいろと起きるもんだ。魔界転生後の坂口恭平の周辺にはなにやらラビリンスが柔らかい構造体であるがゆえ、破壊されることなく、いつもそこにある。

「長丁場なナンパだったなあ」

僕はふとそんな言葉を漏らした。

「えっ、勘違いされても困るんですけど。。しかも、私、今貞操を守っていまして、一切遊びませんのであしからず」

なんだかきっぱり物を言う女性である。本棚に並んでいる「僕といっしょ」を指差し、これ私が一番好きな漫画!と叫んでいる。さらにいい子である可能性が高くなってきた。その横にあるヒミズとシガテラは読んでいないというので、まずはヒミズを貸してあげた。さらに、

「えっ、あの『イエスという男』って本、やばくない?あれも読みたい」

と言う。講談社の川治くんから送ってもらった、イエス・キリストについての面白い本を見つけたコサイはさらに偉い!ということになって、僕はご機嫌でその本たちを貸した。いつもこのように僕の家からは本が旅立つ。もちろん、返ってくることはない。それでいいのである。僕の読みたい本はいつでもなぜか零亭に届く。だから、今、人気急上昇中のコサイには持っていきたい本はすべてあげるから、どんどん持っていきなさいと、貞操を守る女であると断定するこの鉄壁のディフェンスを兼ね備えたフリーダムガールは、鞄に僕の本をたくさん詰め込んで帰っていった。

「今度、車に坂口家四人乗せて、どこかに連れて行ってよ」
「いいよー、またねー!」

笑顔のコサイはとても感じのよい女性だった。

そんな短編小説みたいな話はどうでもいい、僕は原稿を書くのだと勢い込むと、また携帯電話がかかってくる。+1と頭にある。えっ?アメリカ?

「hello, this is kyohei」
「アー、キョウヘイサンデスカ、、、ワタシ、カリフォルニアダイガク、バークリーノ、ダナデス」

UCバークリーと言えば、ジャックケルアック著「ダムマバム」のゲーリースナイダーがモデルとなった男が通っていた大学ではないか。僕は二十歳のとき、この大学の近くの蚤の市でボーリングシューズを買ったことがあるので、懐かしくなった。どうやら、来月末、サンフランシスコでの日本映画祭に出品する「モバイルハウスのつくりかた」のゲストとして僕が呼ばれているのだが、そのときに、バークリー大学に来て、ちょいと話したりしないかとのお誘い。楽しそうなので、オッケーした。

また電話を切り、そろそろ原稿を、と思っているとやはり電話が。

「はい」
「新宮幼稚園の栗原ですけど」
「あ!先生!どうなりました?」
「あのね、、、、日誌あったよ!30年前の日誌が!電電アパート1141号室の坂口恭平くんだよね?」
「はい、電電アパートの坂口恭平です!」
「入園式の日は、昭和58年4月12日だったよ」

その日は、坂口恭平、4歳最後の日であった。翌日、4月13日に僕は5歳になる。 「あと、阿部先生なんだけど、」
「はぁ、、、」
「なんと30年前なのに、覚えてくれてたよ。坂口恭平くんはお母さんの顔も覚えているって!」

なんだか涙が出てきたよ。栗原先生ありがとう!

僕は原稿執筆をあきらめ、今度は新宮町役場へ。阿部先生に電話を変わってもらう。

「阿部先生ですか!!!!」
「そうよ、坂口恭平くん。覚えてるよー。恭平くん、、女の子のことが大好きだったよね?」

冷や汗が一瞬でた。4歳のときからだったのか。

そのまま、10分ほど僕は4歳のときの自分の周辺の人たちがその後、どうなったのかを聞いたりしていた。なんだか、そこの時間はまだ生きていることを信じることができないでいる。また会いましょうと再会を約束し、電話を切る。そこで、午後2時45分。もうアオを迎えに行かなくちゃ。何も仕事をしていない坂口恭平は、なぜか大満足で日常に戻った。

アオが帰りに、

そろそろ漢字おぼえたいよー。だって、三歳のときから本当は漢字をやってみたいと言ってたんだよ。パパ、全然分かってくれなかったけど」

と驚愕のことを言い出すので、長崎書店へ駆け込み、kumonの漢字ドリル的なものを買ってみた。家にいるフーが楽しめるようにとBRUTUSのディズニー特集も。帰宅後、一人で家を出て、ニュースカイホテルのフェリーチェ、カウンターへ。梅山から一度、短編を書けと言われているので、それに取りかかる。仮タイトルは「伯林記(ベルリン記)」。8枚ほど書いて梅山に送った。なんだか、変な毎日になったもんだ。

夜、家の近くに「福のや」という品質の高い野菜を使ったレストランがあるのだが、そこをカフェ的に利用することができるのか試しにいった。アオが夜散歩、かつカフェ的な場所で一服したいと言い出したからだ。アオからの要求は坂口家に日本銀行券の急激な使用を促す。とは言っても、千円くらいなもんだけど。それでも、フーが帰りに、楽しかった、と言ってたのが嬉しかった。

なんだか、みんな、生きてるね。動物たちがざわめいている。アオは夜になり、眠くなると、満月をみたオオカミのようになる。僕に対して、徹底した攻撃を仕掛ける。朝一のあの、世界で一番パパが好き!と抱きついてくる素敵なレディーではなく、看守のように僕のふざけた行動を監視し、取り締まろうとたくらんでいる人間のようにみえる瞬間がくる夜が僕は好きとは言えないが、決して嫌いではない。それくらい移り変わる人間の様相をご覧になりながら、僕はチョウチョだと思えば、大抵のことは許せると思っている。人間よりも昆虫のほうが先輩なのだから、なんでも言うこと通りに動いてしまう人間のほうが特異な存在なのだ。

なにが起こるか分からない。それが昆虫であり、アオだ。

だから、必死に新しい朝の笑顔を求めるのである。

フーが弦と向き合っている。弦は、最近、本当に笑う。そして、笑うか、寝ているかのどちらかである。一切、泣かないのだ。本当に赤ちゃんなのだろうか。。坂口家には赤ん坊の鳴り響く泣き声が聞こえない。逆に虐待でもしているのではないかと周囲から怪しまれるほど、無音状態である。そんな弦を見ながら、フーが風呂上がりくらいのゆっくりな速度で幸福だと言った。坂口恭平は自分も虫なのかと思った。そして、弦と風呂に入った。

夜、一本の「非通知設定」と表示された電話がかかってくる。

こういった場合は100%いのちの電話である。しかも、大抵は狂人のような人である可能性が高い。しかし、僕はいのちの電話は一応、やめているが、それでも一度は必ず出て、やめたことを伝えることにしているので、電話を取る。

「はい、坂口恭平です」
「あのー、先日、電話した絶望しているものなんですけど」

僕は彼女を記憶していた。六十歳過ぎのそのおばちゃんは、30半ばを超えているであろう次男と長女と一緒に暮らしており、その二人とも精神病である。旦那はもうすでに亡くなっており、おばちゃんは夫の遺族年金20万円弱をもとに、その精神病の二人を養っている。生活が苦しい、かつその二人の世話に疲れており、今すぐ死にたいのだそうだ。僕は前回、いのちの電話をもうしないことにしたので、今回だけは相談に乗るが、もうそれ以上は話を聞けない。僕にも家族がおり、妻がいのちの電話をやめるようにーそれは一度、僕は訂正することのできない大きな過ちをしてしまったからであるがー言われているのだと伝えた。しかしそれでもおばちゃんは僕に再び電話してきた。

「まだ駄目ですか」

僕は諦めたようにそう言った。おばちゃんは力のない返事をした。僕はとりあえずここはフーの前で話せばどうにか分かってもらえるのではないかと企て、弦に授乳中の乳房を放り出したフーの前で電話をする。

「なんかとんでもない状態っぽいから、また今回だけは相談に乗るから、話していいよ」

そして、おばちゃんは話を切り出した。

「夫の遺族年金があるから、生活保護は受けられないと言われました。さらに、私には長男もいたのですが、十数年前に交通事故で亡くなってしまったのです」
「それなら、その賠償金を使って生活をすることができるのではないですか。もちろんそれはとても悲しい事実ではあるけれども」
「はい、これまではそんなお金に手をつけたくなくて放置してました。夫の名義だったんですけど、もう随分前のことで、通帳もどこにあるのか分からない状態です。こんな状態じゃもうそのお金は受け取れないでしょう」
「そんなことはないと思うよ。僕の妹が元、銀行員だから後で聞いてあげるから、あなたはその銀行に行って事情を話してきなさい。それで解決できそうじゃないですか。もういい?切りますよ」
「いや、それが問題はそんなにシンプルではなくて……」

彼女は粘ってくる。僕も諦めてさらに話を聞くことに。フーはいつもの「おいおい、話が違うよ、あなた」的な顔をしている。

「次男が騒いでいるときに近隣住民が警察に通報しちゃって、措置入院されちゃっているんです」

様々な問題と向き合っているようだ。

「措置入院に関しては、僕の主治医に聞いたら、自治体の長の命令なので、簡単には退院させることはできないらしいよ。でも弁護士を雇って裁判を起こすことはできるらしいので、その銀行に入っているはずの賠償金を使って、弁護士を雇って、次男を助け出すという方法で行くのはどうでしょうか」
「そんな複雑なことを私ができるとは思えません……」
「分かった分かった。電話だけだったら、相談に乗るから、まずは銀行へ、ね!」

そんな感じで僕は電話を切った。フーは少しだけ怒っている。

「いのちの電話やっちゃってるじゃん」
「すまん、なんかおばちゃんを無碍にできなくて…..」
「例外を許したら、なんでもありってことになっちゃうのよ。例外も駄目よ」

狡猾な鼠のように隙間を見つけたら、するすると入り込んでいく僕の癖をよく知っているフーは僕に厳しくそう言った。

世界は様々な問題に満ち溢れているのだろうか。坂口家を見ていると、そうは思えない。しかし、僕の電話口からはいつもとんでもないような大変な状況に陥っている事案が飛び込んでくる。 「みんな、坂口家に入ればいいのにね。そしたら、みんな幸福とまではいかないまでも、それなりになんとか楽しくやっていけると思うんだ」

僕のその言葉にアレルギー反応を起こしたフーは、強く僕に言った。

「恭平、約束したでしょ。思い出して」

坂口恭平躁鬱管理条約

第六条 弟子も家族も今後一切増やさないこと。

その台所に貼ってある、条約を(しかも僕が自ら書き、署名したもの)みながら、僕は反省し、フーに謝った。

同時に、もう一度、おばちゃんが電話をかけてくるのだろう、そして、僕はまた出ちゃうのかもしれないという己の鼠を頭の隅に発見した。

2013年6月17日(月)

朝から自転車にアオを乗せて幼稚園へ。アオは、幼稚園グッズの他に昨日買った昆虫の図鑑を手にしている。虫取り網を僕が持って、夏の親子の様相。アオとばいばいして、零亭へ。原稿執筆。ポパイ連載「ズームイン服」第15回目の追加原稿を書き、送信し「幻年時代」の再校ゲラを読む。これで最後だ。最後まで読み終わる。最後をまたちょいといじった。これでいいのではないか。幻年時代はできることなら、永遠にゲラ直しをしたいと思えたはじめての本だ。推敲のすばらしさ、自分が作ったものの自分の気付いていない、毎日日々移り変わる自分が書いた原稿の視点の角度の無限大に心が揺れ動く。面白い仕事ができているのではないかと少し満足できた。それでもこの本は、また新たにはじまる僕の人生の仕事のはじまりである。

大江健三郎氏の「私という小説家の作り方」を読み進める。なんだかすごい本と出会ってしまって僕は驚いている。こんなことを書こうとしている人が、他にもいるのだと知った、嬉しさと絶望が折り混ざった感情が渦巻いて、それでも僕は先人がいるけれども、仕事を進めなくてはいけないと心を新たにした。そんなときに、大江氏はまた僕につぶやく。それはこんな文章だ。

ーーーすでに小説はバルザックやドストエフスキーといった偉大な作家によって豊かに書かれているのに、なぜ自分が書くのか? 同じように生真面目に思い悩んでいる若者がいま私に問いかけるとしよう。私は、こう反問して、かれを励まそうとするのではないかと思う。すでに数えきれないほいど偉大な人間が生きてきたのに、なおきみは生きようとするではないか?ーーーーーーー「私という小説家の作り方」p.85

何か、壁なのか道なのか鍵穴なのかなんなのか分からないが、その何かと邂逅し、ぶつかっていることに僕は気付いている。それも背伸びすること無く、素直にぶつかっているような(僕自身の誤解かもしれないが、)実感がある。興奮して止められず、梅山に電話した。

「おっ、いい感じじゃん。しかし、まだまだはじまったばかりだよ。次に711を長編に仕上げるには、まず短編が必要だ。そこであらゆるこれまでの経験、知ってきた知恵、さまざまな繋がりを、一つ形にしてみるんだ。そこで足腰つけないと、711の長編の牙城はなかなか高いぜ」

僕は「711」をいきなり長編で書こうとしている。その構想もあるからだ。しかし、梅山はまたそんな僕にディレイをかけてくる。いらいらするが、この男の言っていることには従うと決めたのだ。それは結婚に近いのかもしれない。僕は梅山と結婚をした!フーとはまた違うその結婚は、僕がフーから得てきたことが踏襲されているように思う。それはただ一つ「言うことを聞く」ということだ。しかし、それはまた僕の人生の特徴でもある。

僕は恐ろしいほど自分で選択をしない。自分でも時々びっくりするほど。僕はものを、感覚を、音を選ぶことができないのである。よく相棒の磯部涼に、

「お前は本当に耳が悪いよな。センスがないというか。お前の選ぶ音楽はどれも駄目だ」

と言われる。そして、僕もそうだと頷く。いつも僕はセンスがないのである。幾千の中から何か物を選ぶという行為ができないのだ。もちろん、永遠に選択を決断できずにいるわけではない。結局いつかはどれかを選ぶのだが、それがことごとく、エンターテイメント的で、つまり大衆迎合としての選択で、芸術の感覚が分からない。もちろん悪い選択はしないんだけど、それを選んでも、何も思考が発展しないというか、既知の眼でしかものを見れないし、というか素直な選択しかできない。それはそれで嫌いではないんだけど、磯部涼が言う「センスがない」という感覚を僕はおおいに理解できてしまう。かと言って、そんな自分を恥じることもない。

でも、もしも僕に良いところがあるとすればそれはこんなことだ。つまり、僕は自分の選びとる、芸術を受信する能力はないかもしれないが、その無さを、無知を、低能をしっかりと自覚できるということだ。僕は振る舞いがおどけているので、よく自信過剰であるとか勘違いされることが多いのだが(大抵そういう人は僕の本を読んでいないが)、僕はむしろ自分の低能にしっかりと気付いている。むしろ、その低能さを気付いていることに自信過剰である。だからこそ、それが「強さ」になるときがあることを体験で知っている。そして、僕は物を選びとるセンスはほとんど無能に近いが、なぜか人間を選び取る(と付き合う?)ことに関しては、異常な能力を持っている(はずだ)。

つまり、坂口恭平は自身の無能に気付いているために、周囲に配置する人間たちの能力の有無が瞬時に判断できる。かつ、残酷なことに有能だと坂口恭平が判断した人間としか付き合わない。これは自分でも酷いなと思うときもあるが、当然でもある。それが人間の群れだと僕は思っている。もちろん能力にはさまざまな種類があるので、周囲の人からしたら低能だとしか思われない人でも僕にはその人が持つ微細な能力を感知することができるので、一緒にいる。そして、その人たちの意見を、自分の意見よりも重要視し、ほぼ百%自分の中に取り入れる。そこに僕の選ぶという能力を駆使している。蕩尽しているといってもいい。

僕は自分で服を選ばずに、シミという親友が作っている服を着る(実際はヤクザのように脅して0円で獲得している[最近はそれなりに金を持っているので購入するときも時々はあるが])。僕のウェブサイトに関しては、IT長者である高校の同級生ハザマに全任している。音楽に関しては磯部涼と梅山がいいというものは、基本的に僕も好きなので、彼らが見に行こうというライブしか見ない。料理は、細川護煕元首相の料理番だったヒロミさんが、現在は実はまだプラズマ界ではつまり僕の脳内の中では新政府総理である坂口恭平の料理番になっているので、彼女の作る天草の魚と最高品質の野菜をもとにした料理を食べている。彼女が作るものは全て美味しいのだ。熊本での人間相関図も彼女からの知恵、計らいによって成立、拡張させられている。などなど。僕は人の選択を信頼している。それしか信頼していない。というよりも、彼らは僕自身であるとすら思っている。おかげで、調べる必要性がない。僕はだからこそ、白痴のように街を闊歩することができる。知的な調査をすることなく、毎日歩いていられる。だからこそ、時間を獲得できている。よって言語をつくるという僕の仕事のためだけ費やすことができる。

だから、僕は自分に自信がないのにもかかわらず、自信過剰に生きている。自信過剰なのは、人々の自信によるものだ。だからこそ、周囲には過剰に見えるときもあるのだろう。それは僕の周囲の人の力の過剰である。このように人間は力を秘めているのではなく、日々の生活の中で実は滲み出している。しかし、大抵の人はそれを使っていないように思えるし、それに気付いてもらっていないような気がする。だから自分には何もできないなどと言ってしまうのだ。そんなことはじめから当然なのである。僕は自分には何もできないことを知っている。だからこそ、人間と出会うのだ。人間と協同するのだ。能力があると僕が判断した人間に。だからどんな場所でも同じ目線でその人が偉い人と周囲から言われていようが、話すことができる。とかなんとか、そんなことを思った。

僕の現在の執筆スタイルは、基本的に先日結婚した梅山との共同思考によってスタートする。もちろん、ビックバンは僕である。僕が何かを発想する。しかし、その発想の原点はやはり梅山をはじめとした僕の周囲の仲間たちである。彼らが語る思考の流れを、おそらく僕は彼らの中で一番把握し、構築する能力に長けている。それは僕の無知がそうさせている。僕は無知なのだが、なぜか「認識」するということができるらしい。それにより、僕は新しい「言語」を作り出そうと試みる。つまり、それは新しい作品をつくるということだ。つまり、本を書くという行為がここではじまる。僕がまず何かしらの言語構造をつくり、梅山に送る。この人は僕が付き合っている人の中で一番直接的に駄目出しする人である。かつ、彼の書物に関する、独自の観点が僕に合っている。知識も当然ながら僕よりもある。ならば、梅山自身が書けばいいじゃないかと思うのだが、そうとも言い切れないのがこの世の面白いところだ。幻年時代を僕がとてつもない熱にうなされて書いているときに、道標を出してくれた梅山が、時折話題に出してくれたのが大江健三郎氏だった。それで何か引っ掛かっていたのだ。だから、僕は蔦屋書店で昨日大江健三郎氏の本を買った。そのように僕の選択にはすべて他者からの道標がある。むしろ、他者からの案内のない人などいないのかもしれない。それであれば、僕の今まで書いてきた原稿は完全に無駄かもしれない。だからこのへんで終わらせることにする。

アオが幼稚園から帰ってきたので、零亭で約束していた昆虫採集を行う。虫が減っているというこの現代社会において、熊本の町中、それもど真ん中に位置している零亭にはなぜか緑が繁茂し、虫たち、動物たちがたくさんやってくる。虫取り網をもった坂口恭平隊長を主体とした冒険野郎Zチームは、アオ副隊長、タイガース隊員の三人。学研の昆虫図鑑と共に、さっそく草むらの中に入り込み探検をはじめた。  

昆虫採集結果:

  1. アオモンイトトンボ
  2. ツマグロヒョウモン
  3. ハンミョウ
  4. ウラゴマダラシジミ
  5. ナミアゲハ
  6. オカダンゴムシ
  7. ニジュウヤホシテントウ
  8. モンシロチョウ

8種類の昆虫を獲得した。ちなみに、オカダンゴムシは甲殻類で実は昆虫ではない。こんなに真剣に図鑑とにらめっこして昆虫と接したのはうまれてはじめてである。僕の幼少期は解像度が本当に低かった。ハンミョウとは昨日の日記に書いた忍者の毒であり、漢方であり、媚薬にもなり、中国では暗殺に使われていたというツチハンミョウの仲間である。ハンミョウを取り押さえた僕は、タイガースに掴めと命令した。もちろん隊長は死ぬわけにいかないからだ。

「タイガース、しっかりとハンミョウを掴め。おれは今から籠を持ってくる」

この時、タイガースにはツチハンミョウとこの昆虫が同じ種類であることは伝えていない。隊長への絶対服従を誓っているタイガースは無垢な目をして、ハンミョウを絶対に網から逃がさないように必死に掴もうとしている。そのときである。

「隊長!」

坂口恭平隊長は零亭の物置からガラスの梅酒をつけるガラス瓶を捕獲したため、井戸水で洗っていた。タイガースの必死の声は聴こえていたが、隊員一人くらい死んでも致し方ないというくらいの覚悟で臨んだ昆虫採集である。タイガースの一声くらいでは隊長はびくとも動かない。

「毒霧にやられました」

一瞬、ザ・グレート・カブキの毒霧のシーンが僕の頭の中に設置されたリングの上で立ち上がった。スプレーでしゅっとやったときに生じる、あの水霧の繊細さと、カブキが吐く濃緑色の毒が、脳内で散っている。上からライトがあたり、きらきらと光っている。タイガースの声を聞きながら、僕はそんな幻影と戯れていた。隊員は死んだ。それは辛いことだ。しかし、そのおかげで僕はまた一つ幻を獲得した。僕は昆虫採集という演技をしながら、実は幻探訪を行っていたのだという秘密に酔いしれていた。

「パパ!なんかタイガースが困ってるよ」

アオ副隊長のツッコミにより、瞬時にアオのパパである坂口恭平そのものに戻った僕は、タイガースが苦しんでいる虫取り網のところへ駆け寄る。ハンミョウから出された毒霧は黄色だった。タイガースは恐怖を感じ、手を離してしまったというもちろん七色のハンミョウ忍者は逃げていた。僕はもー、お前ナにやってるんだよ、、と苦情を言いながら、図鑑でハンミョウの毒霧のことを調べる。すると、ツチハンミョウが毒霧を出すので、誤解されているが、どうやらハンミョウの出す液体には何の毒も入っていないことが分かった。タイガースは気絶しているだけだ。アオ副隊長放っておいていい。こいつには毒はない。タイガースもしばらくしたらいずれ目を覚ますだろう。

そんなわけで昆虫採集が無茶苦茶面白いことに気付いた僕は、ファーブル昆虫記を読んだことがないことに気付いて読みたいと思った。かつ、ブラジル奥地にいったレヴィストロースよりも、ファーブルの行った現地調査のほうが面白いなと思った。僕の家の庭が、密林に見えた。フィールドワークをしなくてはいけない。しかも、それは仕事でありながら、アオも一緒に楽しめるかもしれない。それはお得だな。原稿執筆するから、アオに嫌がられている僕としては朗報だった。

アオと自転車にのって街へ。家の鍵がフーが外出しているので無いので、二人で彷徨う。PAVAOでミントソーダを飲みにいく。アオはチップスターをローソンで買ってPAVAOで食べるという暴挙に出た。店にいるエリナとカオルの二人の美女にチップスターを二枚ずつあげるという賄賂まで覚えて、それで堂々とカフェでチップスターを食べている。よしよし、いいぞ。そのようなふてぶてしさがこれから生き延びるうえでは重要なんだ。僕は大江健三郎先生が書いていた「生き延びる」の意味としての「outgrow」という英語を呟いた。コンクリートからoutgrowするタンポポのようなアオ。好きだよ。空想のキス。なぜなら実際にするとまた、

「パパ、髭臭い!」

と言われるから。もちろん、家に帰った瞬間、フーのすね毛処理のためのミニバリカンを使って髭を全て剃ったのは言うまでもない。

夜、再び街へ繰り出す。今度は一人で。熊本のライブハウスBe-9で「くるり」のライブを見る。BirthdayとかリバーとかSuperstarとか二人だけの編成のアコギで奇跡とかレゲエのレア曲とか聴けて嬉しかった。くるりファンの友人も行っていて、今日は演奏が下手だと言っていたが、僕は逆にキングストンの雰囲気が出てよかったと思った。

終演後、PAVAOに行き、DJの仕事。2時間ほど曲をかけて、家に帰ってくる。

今日の昆虫採集によってたくさん蚊に食われて寝苦しくなっている寝ぼけたアオから、もーパパキライっ!と罵倒された。 

でもどうせ明日の朝になると優しいアオに戻っている。自転車に乗っているとき、昆虫関係の対話をしているとき、絵を一緒に描いているとき、アオ作詞の歌をアオが熱唱するための伴奏をギターで僕が弾いているとき、つまり、遊んでいるときだけは、僕はアオの親友となり、そのアオ部族の集落にいれてくれ、歓待してくれる。それでいいんだ。

サイレースを半錠噛み、大江健三郎先生の書物を読みながら、僕はストンととんねるず生だらみたいに、眠りの奈落へと落ちた。

サイレースの国のアリス。きょーへー。

2013年6月16日(日)

メールを見ると、僕の本の読者から届いている。

「日記になってからの文章も読ませて頂いているのですが、今日6月16日は父の日とジェイムズジョイスのユリシーズの小説の一日の出来事が起こった日だったなと思ったので、不躾ながらメールさせて頂きました」

~~~アイルランドの作家ジェームズ・ジョイス(James Joyce)(1882~1941)の名作『ユリシーズ(Ulysses)』では、1904年6月16日の朝8時から翌日午前2時過ぎまでの約18時間に18の挿話が展開することから、世界中のファンから記念日の扱いをされ、主人公の名前レオポルド・ブルームから「ブルームズ・デー(Bloomsday)」と呼ばれる。~~~

ちなみに僕の次の新作「幻年時代」は一九八二年四月の午前8時半ごろから午前9時前ごろまでの20数分の物語である。何日なのか気になり、新宮町役場に電話をするが、30年前のことなので、誰も分からないという。やはり、僕はこのような日誌を娘アオと息子弦のためにも毎日記録していきたいと思っている。その日にどんな感情を持って、どんな人と出会っていて、娘と息子たちは何を口に出して言ったのか。その記録を僕の言語能力最大限の力を使って記録したい。日記の家、それが僕の仕事である。

朝起きてすぐ「日曜日ではあるが、昨日楽しく家族の団欒を催したので今日は仕事をしたい」と坂口恭平が言う。それに即時に反応したアオが「嫌だ」と断言し、本日も坂口家は四人皆で遊ぶことになった。アオの断言には、かなりの我儘でないかぎり、大金叩いて購入しなければいけないものでないかぎり、加糖製品でないかぎり、大体従うことにしている僕は、やはりアオの奔放さに、やられている。しかし、これも修行のうちだと思い、忘れて日曜日のパパという演出を施す。

「ピクニックしたい」

アオがそう言うので、僕は納戸からレジャーシートを出した。フーは洗濯をしなくてはいけないと言っている。つまり、ピクニックには参加しない意向を僕の神経中枢に伝えてくる。言葉として「行かない」などという言葉を発した場合、それはピクニックの否定に繋がるので、フーは忙しいから、とりあえずパパと二人で行こう、ついでに虫取り網でも持っていって、蝶蝶のキャッチ&リリースでもやらないかと特典までつけて、僕はアオを自転車に乗せ、まずは松石パンへと向かう。マロンスコーンとプレーンスコーンとクリームパンとマンゴージュースを購入し、近くの白川まで。河川敷の草原にレジャーシートを敷き、二人でブレックフファーストをとった。アオに連れてきてもらったおかげですばらしい朝だった。その後、いつものように蝶蝶をキャッチ&リリース、そして野花束を作り、今日は紫色を主調とした花束に仕上げ、帰宅し、フーにあげた。

お昼はどこかへ行こうということになり、友人がやっている水道町のボッデガロマーナを予約する。チンチン電車に乗って向かう。弦は今日もまたすやすや眠っている。ただただ安定している弦は、30センチくらいのところまで近づくと、ちょうど焦点が合うようで、幸福そのものであるような笑顔を見せる。これは弦が幸福なのではなくて、育てている親に、幸福であると思わせたら、より安定するだろうと感じての、反射的な機械的な運動なのではないかと思った。それくらい、完璧な笑顔がそこにはある。フーはそれを見て、うっとりしている。親子というのは、完全に赤ん坊が管制塔で、親はそこで働く官吏みたいなものだと思った。かといって、弦国家だけになってしまうとアオ部族の襲来に遭ってしまう。なので、僕とフー、二人の官吏は管制塔からの指令を受けつつ、現場主義であることも忘れずに、アオ部族からの執拗な攻撃にもちゃんと手を触れて接することを怠ってはいけないことを自覚する。子育ては困難を極める。しかし、そこには僕の仕事の萌芽がどこそこに見つけることができる。なので、子育てと僕の仕事を完全に分けるのではなく、むしろ混同し、わけくちゃわからん状態になることが望ましいことを最近知った。そしたら、アオがなかなかむずがらなくなったようにみえる。こうやって、毎日毎日が勉強である。大変だが、楽しくもある。フーは幸福であると僕に言った。それはそれですばらしいことだ。僕は次の原稿のことを考えて頭を毎日抱えている。しかし、それも幸福であると言えば幸福である。ただからだはキツいが。そして、またくる躁鬱病の鬱状態を思うと、一瞬気が重くなる。今は全体的にからだが軽い。

ボッデガロマーナで、牛すじのスパゲッティと、豚肉のリゾットを注文。アオが美味しそうに食べている。

「これからも時々、この店に来ようね」

と付き合っている彼女みたいな顔をして、僕に言う。美味しいものが瞬時に分かるアオは、僕にとって厳しめの彼女である。かと言って、値段の高い店に行くと、今度はフーが文句を言う。贅沢は敵だ、的な思想を持っているフーは一切の贅沢をしない。そのことによって坂口家は、坂口恭平の稼ぎが少ない鬱の長かった年でも金に困ることはなく運営され続けてきた。アオはその分、バランスをとっているのだろうが、宵越しの金は持たねえ的な江戸っ子の精神でもって僕に差し迫ってくる。とにかく本を書かねばならない。できればより広く社会へ浸透し、できるだけ多く金を稼ぎたいものだと僕は素直に思った。それを感じたフーが、

「お金なんか稼がなくてもいいよ。からだを無理しないほうがいい」

と天の声。フーは僕の躁鬱の波が最近、さらに加速していっていることを心配している。いつ死ぬのか分からないといった気分らしい。しかし、僕は90歳くらいまで生きるのだから、心配ない。自殺もおそらくしないだろう。もちろん鬱状態のときには何が起きるか分からないが、それでも大丈夫だと思うよ、と躁状態特有のあっけらんとした楽観主義者になってしまっている。坂口恭平は全く先のことが読めない馬鹿であることを知っているフーはそんな僕の口車には乗せられず、安くても美味しい店をたくさん知っているから、それでいい。アオには贅沢させるよりも、もっと楽しいことがあるからそれを伝えたいと言う。しかし、そのような僕とフーのなんでも手作りできるんじゃないか攻撃は、アオにより購買欲をかき立てているようだ。僕は本なら、どんなものでも何冊でもいつでもどこでも毎日でも一人でツケで買ってもいいと言った。すると、アオが言う。

「昆虫の図鑑が欲しい」

そんなわけで美味しい昼食を食べた後、僕たちは蔦屋書店へ行き、学研の昆虫の本を買った。そして、途中でジェラート屋さんへいき、マンゴーアイスを購入し、家に帰ってきた。僕はすぐに外出し、ニュースカイホテル一階ラウンジフェリーチェのカウンターへ。幻年時代の最後のゲラチェック。さらにまた改訂されており、前半部分がより読みやすく、面白くなった。午後8時半までとりかかる。すごい本ができるのではないか。そんな興奮を覚える。

蔦屋書店で昆虫の図鑑と一緒に僕がこそっと購入したのが、大江健三郎氏の新潮文庫「私という小説家の作り方」という本である。これが無茶苦茶面白かった。というよりも、大江健三郎氏の言語構造と僕の言語構造に少しだけ共通点があるのではないかと思われる箇所で溢れていた。僕は大江健三郎氏の本を読んだことがない。しかし、なぜか同じ志を持っているのではないかと思った。嬉しくなった。同志を発見した悦びだった。これは作家としてはほぼ初めての体験とも言える。書こうとしている主題が、近似値を持っていたのだ。こんなことは生まれてはじめてで僕は興奮して本を読んだ。布団に寝転びながら、半分、泣いていた。このまま、突き進んでいいんだと思えた。

「小説を書くってことは、小説を読むってことなんだ」

梅山は僕にそう言った。これまで全くといってよいほど小説など、そもそも本を読んだことがなかった僕は、最近、とにかく本を買いまくっている。アオと同じく、僕もいま、成長の過程の真っ只中なのだ。毎日、本と出会うことが楽しくて仕方がない。女の子と出会うことも楽しいが、今は本と出会うことのほうが勝っている。むしろ、女子と出会うように本と出会っている。親友と出会うように本と出会っている。読書がこんな楽しい遊びなのだとは知らなかった。アオに買ってあげた昆虫の本が、面白すぎてこちらも興奮して読み進める。

昆虫は120万ほどある地球上の生物の種のうち、3分の2をしめるという。脊椎動物なんか一割にも満たないのだ。カラスアゲハに惹かれている。いつか捕まえてみたい。昆虫は「変態」する。その中で、土斑猫(ツチハンミョウ)の説明がすごかった。ツチハンミョウは過変態といって、まず足の長い幼虫からはじまり、足の短い幼虫へと変態し、終いには足が無くなってしまう。そして、偽の蛹に一度なる!偽の、である。そして、また足のない幼虫へと変態し、本当の蛹になり、成虫へと育っていくのだ。ツチハンミョウは偽死することもでき、毒成分カンタリジンが含まれた液体を出す。日本の忍者はこれを使って毒薬を作っていた。中国では暗殺にも使われていたそうだ。またまたこれで小説ができちゃいそうだ。

アオ!ありがとう!お前のおかげでおれは成長している。

アオにキスをしようとした。アオは、

「パパ、髭臭い!」  と言って、ぱしんと僕の頬を叩いた。仕方なく、僕はフーに向かって、フーに接吻した。フーと僕の交わりを見たアオは突如、否定的な面を打ち消して、アオもチューしたいと言ってきた。弦はそれみて笑っている。僕は今、成長物語の真っ只中にいるような、そんな冒険の香りをかいでいる。四日に一度しか駄目だと諭されている僕は、解禁令を出してくれとフーに懇願。しかし、願いは払い下げされ、僕は大江先生の言語構造による建築に引き蘢った。

2013年6月15日(土)

朝から車に乗って、ゆめタウンへ。ゆめタウンは、僕がいつもアオと買い物に行っている、ゆめマートの親玉みたいなもので、つまりショッピングモールである。別にクオリティは高くない。こういうところにはほとんど僕は行かない。なぜなら、僕はモールやデパートに行くと偏頭痛を引き起こしてしまうという性癖があるからだ。小さいころからこういうところが嫌いだった。今は別に嫌いではなくなったが、それでもある一定の時間以上滞在すると、偏頭痛が出てくる。なぜ今日、行ったかというと、最近、ここ十年くらい苦しんできた偏頭痛が無くなったからである。これは僕にとって大きな変化である。幻年時代を書き終えてからというもの、体の変化を日々感じている。偏頭痛のため、EVEをよく飲んでいた僕が、今年に入ってから、ほとんど飲んでいない。幻年時代を書き終えてからだと一度も飲んでいない。この変化は何を意味するのだろうか。全く訳が分からないが、毎日の生活がより楽になってきたということは言える。そう、僕は日々、少しずつ健康になってきている。最近は、とんでもない肩痛にも悩まされていない。これは姿勢を正すという試みをはじめてからだ。足を組むということもできるだけやらないようになってきた。肩が痛くないから、偏頭痛が減ったのかもしれない。いずれにせよ、体調は良く、アオを送るので、毎日早く起きるし、朝日にも毎日当たっている。適度な運動にもなっている。アオが僕を動かしている。感謝する。鬱のとき、僕の停滞した体を揺り動かすのもアオだ。アオは何か分かっているのかしら。そう聞くと「へっ?」と猿飛佐助みたいなすっとぼけた顔をするアオの猿飛感ったらありゃしない。お前は裏でどんな思考をしているのだ。

ゆめタウンに併設されているTOHOシネマズにて「クレヨンしんちゃん」をアオと二人で観る。フーは弦を連れて、久々に一人で買い物でもしてくるとモールの中に溶け込んでいった。フーはGUにまず向かっていた。ユニクロの姉妹ブランドであるGUは、なんだか気の利いたパターンの服が並んでいる。ぎりぎりで何もしない、色もきつくなく、むしろ物足りないぐらいの雰囲気で、一瞬、ギャルソンの服かと誤解してしまいそうなものも無くもない。それもそのはず、どうやら、ギャルソンでパターンをやっていたデザイナーたちが引っこ抜かれ、ファーストリテイリングへと入っているのらしい。危ないことをやっている。斜めカットやギリギリアシンメトリーみたいな感覚を見ると、最近は少し胸焼けがする僕は、ただ素直な服が好きです。といいつつ、GUのハーフパンツを960円で、伊達眼鏡を490円で購入した。アオはRight-Onで物色したピンク色のサンダルを買えと要求している。久方ぶりに迷い込んだモールで、坂口家もしっかりと購買欲に侵されていく。肩痛を脱した僕は偏頭痛せず、むしろこの地方都市のモール感を楽しむ余裕すらあった。

クレヨンしんちゃんが始まり、僕は絵の質が平面的で、そういうアニメだといつもついつい眠ってしまう。起きたら、アオが椅子を下りて、外に出ようとしている。おいおい、お前さん、何やっているんだよ。1000円も払ったんだから、もうちょっと観てよと30分しか経っていない、落ち着きのない二人は、結局、映画館を出た。やはりピンク色のサンダルを買えないかもしれないと不安を感じていたアオは、落ち着かずエンターテイメントどころではなく、購買して安心しなくてはいけなかったようだ。僕も諦めて、980円のそのサンダルを買う。アオはご機嫌である。

アオはサンダルどころではなく、僕に自家用車を買えとまで言ってきた。エスカレートしているアオへの僕の不安をよそに、フーはその言葉を冗談だと誤認し、笑っている。いや、この娘は本気だぞ、なんだか知らないが、おれのことを億万長者だと勘違いしているんだ。億万長者のくせに、何も買わないという遊びをしていると誤解しているアオは、このように普段ほとんど購買をしない坂口家が量販店などで二つ以上連続的に購入している姿を確認すると、さらにもっとと幅を拡げようとやっきになる。本日、アオはとうとう自家用車の購入まで冒険を行った。それはアオにとってはほとんど完遂することのない無謀な冒険などではなく、坂口恭平のついついお調子に乗る躁的な雰囲気をしっかりと見逃さないでいる、狡猾なオオカミのような試行であった。しかし、三万円以上の買い物にはフーの許可が必要である坂口恭平は、アオからの金銭的な絶大な信頼を受け、坂口家首長である威厳を表現しようと一瞬クレジットカードなどを財布から出したりの威嚇を行うも、そこは現代社会、妻というものは常に王者なのであって、フーに自家用車購入を直談判されているという事実を打ち明け、あっけなくそれは却下された。当然、アオは泣き出した。無碍に。尻部をモールの床にへばりつけて、ヴィレッジヴァンガードゆめタウン店の店先で、女は泣いている。

うちにはベンツゲレンデがあるではないか、と言うと、あれはデカい、ゴツい、かつ所有権はお前のものではないし、そんなシェアライフみたいな生活は嫌だ。お金を出して、買い、所有するという、現代社会では当然とされている手段による生活を自分も行ってみたい。坂口家やだ。坂口恭平の芸風によって所有することがほとんど不可能になってしまっている坂口家はむしろ、現代社会において不自由だ。もっと購買したい。所有したい。四人家族が安定して遠出できるサイズの自家用車が欲しい。今すぐ購入した。さっき浜線バイパスにぶつかる前に、フォルクスワーゲンがあったではないか。あそこで購入したい。そんなわけで、僕は自分が子どものときに乗っていた、フォルクスワーゲンゴルフを思い出した。赤の角張ったゴルフ。これが僕が長男として所属していた先代・坂口家の自家用車であった。母方の祖父が乗っていたのは、住んでいた河内蜜柑からインスピレーションを得て、オレンジではなく蜜柑色に塗られたフォルクスワーゲンビートルであった。中学の同級生の元田は中古車屋を営んでおり、彼に電話すると、

「お前、ワーゲンだけはやめとけ。あれは壊れやすい。そのアオの要求であればダイハツムーヴで十分だ」

と一言言って、電話を切った。しかし、フォルクスワーゲン展示場を横目で見た、今のフォルクスワーゲンポロの黒ボディについ涎が出る。アオはそんな僕の空想上の、おれだけの涎を見逃さなかったのだろう。それがいい、と断言してくる。とにかく、その場をしのげというフーからの命令を受け取った坂口恭平は、

「よし、次に出る幻年時代がしっかりと売れたら、自家用車を買おう!所有しよう!」

と坂口家全体を鼓舞するかのように、モールの中で、右手をあげ、声を出した。アオは、いつもの、「時間延ばすことによって娘は忘れてくれるだろう」作戦かと諦め、絶対に忘れないよ、と脳髄に記憶の針を差し込み、落ち着きを示した。フーがお腹が空いた、と合図を打ち、僕らはゲレンデに乗り込み、江津湖へと向かった。湖横にあるイタリアン「たんぽぽ」にて昼食をとるという算段だ。

マルゲリータと浅蜊のボンゴロッソを食べ、江津湖を散策することに。僕が大好きな動物園の動物が0円で見えちゃうコースを行く。動物園の裏の駐車場に止め、正門からではなく、南門という江津湖側の入り口目掛けて歩く。道すがら、駱駝、麒麟、象を観ることができる。さらに途中には湧き水がどばどばと湧き出ており、そちらではもちろん飲むことができる。気持ちのよい散歩で、フーは坂口恭平にありがとう、気持ちいい!と言った。なんか木陰に隠れて、家族全員で抱き合いたい気持ちになった。

0円で動物を楽しんでいたのだが、購買欲が収まっていないアオは、動物園に入るという。いや、柵の外からでも動物が見えちゃっているからいいじゃないか。なぜ、動物園の中に入る必要があると0円師である坂口恭平がブータレるが、アオは譲らない。そこで、いくらぐらいするものなのかと南門へと向かう。看板には子ども料金が書かれており、小学生から有料であり、5歳は0円であることが分かった。これならいい。僕は大人二人分600円を払い、中に入った。アオの言う通り、動物園の中に入ると、確実に江津湖側から見ているのとは全く違う空間が感じられ、人間が0円と有料とに分ける理由が少し分かった気がした。アオは動物も見ずに、アトラクションにしか興味がない。メリーゴーランド、園内をぐるりと一周するモノレール、さくら新幹線発足記念でつくられた新幹線、イルカに乗って旅をするドルフィンパラダイス、など一通り乗れるものは全て乗って、満足したら、熱いと言い出したので、0円クーラーと言いながら、坂口恭平がさきほどから浸かっている、江津湖の湧き水で出来た川の中にアオも買ったばかりのサンダルを履いて入った。そろそろ夏がきている。アメンボを見ながら、アゲハチョウを見ながら、羽黒蜻蛉を見ながら、アオが昆虫のことを最近好きになってきたことを坂口恭平はうっすら喜んでいる。

フーは今日、幼稚園のタンポポ組のママさんと先生たちとの懇親会のために、宴へ行く。久々の恭平とアオと弦の三人暮らし。心もとないので、すぐに外出し、歩いて五分のところにある僕の両親、つまりジジババが暮らすマンションへ。0円ハウスの著者の両親は、坂口恭平の提言など全く気にせず、数千万円のマンションを退職金をあて購入している。かと言って坂口恭平も全く気にせず、いやー、新しいマンションというのは過ごしやすいものだなあなどと言っている。アオもジジババの家が好きだ。夕食を食べさせてもらう。ジジが作ったカレー。ババが作った春雨のピリ辛炒めなど。午後10時半ごろ、それまで楽しそうだったアオが、映画「おくりびと」の死者のふりをした人間がくしゃみをして、死者じゃなかったと分かるシーンで、びっくりしてしまい、そのまま恐怖のどん底に陥れられ、家に帰る、いや、フーがいないことが一番の問題だ。飲み会など言語道断、すぐに呼んで返してくれと言うので、フーに電話をかけるも、盛り上がっているのだろう。出ない。アオはさらに泣く。こういうときは場面変更したほうがいいと感じた坂口恭平はすやすや眠る、本当に全く手のかからない僧侶のような弦をベビーカーに寝かせ、アオと手を繋ぎ、夜の新町を歩いて家に帰ってくる。フーは午後11時頃帰ってくる。ついつい遅いので、坂口恭平怒ってしまった。

普段は自分が連絡もせずに飲み会などに行っては遅く帰るのに、フーが少し遅いだけで怒る自分をなんと心の狭い人間なんだと思いながらも、その不思議な独占欲があることに、興味を持った。僕はフーが他の男の人とお茶などしていても、たぶん大丈夫だ、などとフーの前で言うことがあるのだが、それ、完璧無理じゃんと一人で突っ込んだ。自分の独占欲に驚いた。改善しないといけないと思った。自分の独占欲と、自分の行動範囲の広さが釣り合っていないのだ。しかし、フーには恥ずかしくて言えない。だから、このように日記の後半に書く。フーは僕の日記が長過ぎて、読めないと言っている。この女性は嘘をつかないので、読めないと言っているときは本当に読んでいない。といいつつ、先日も坂口恭平のアカウントのGmailに侵入されたわけで、本当はどうなのか分からない。いや、もう他者のことを分かろうと思うことなんてやめよう。どうせ分からないのだ。何を考えているかは。だから、自分の感情のまま、嫌なときは嫌だと言って泣き出し、嬉しいときはすぐに抱きついて一緒に寝転んべばいいのだ。アオを見ているとそう思う。いや、僕は大人なのだからもう少しわきまえなくてはいけないはずだ。しかし、僕は感情のままに動いてしまう。

夜、しばらくすると、心が落ち着いた。珈琲を飲みながら、届いたばかりの「幻年時代」の再校ゲラを眺めている。まだ読みはしない。上から下から眺めている。3回推敲し、2度目のゲラ。過去最高に読み返している本がもうすぐできる。アオは車の夢を見ているのだろうか。

2013年6月14日(金)

朝から自転車にアオを乗せて幼稚園へ。送った後、零亭へ。坂口亭タイガースとパーマに与えている原稿の締め切りなので、見せてもらう。とは言っても僕は一切読まないが。量しか確認しない。出来上がったら、自分で編集者に見せればいい。それしか方法はない。そのへんよく人は勘違いしている。僕に原稿や作品を見せにくる人がいる。僕はそれを見ても、社会に出すことはできない。僕は編集者やキュレーターではないからだ。作品は作家に見せるのではなく、編集者に見せる。それでしか作品はうまれない。若い作品を見ても、大抵は粗が目立つわけで、つまり駄目だしを言ってしまう。それで自信を失っても仕方がない。だから、弟子の作品も見ない。量を確認する。それだけでいいと僕は思っている。

二階の書斎で、はじまった新作書き下ろし小説「711」の続きを書く。2時間で10枚書いた。これで累計30枚。毎日10枚で三日目。このままいけるかな。いい調子である。講談社の川治くんと、梅山に原稿を送った。概ねいい感じとのこと。 「幻年時代で分かったと思うけど、お前の第一稿は一筆書きなので、勢いのままやっていいよ。どうせ三分の二くらいには減量させることになるから」

と梅山。一稿目はあんまり考えすぎず、洗練させすぎず、潜ることを意識して、ぶっとばせと伝令。なるほど。了解。こうやって少しずつ執筆が変化していくのは興味深い。独立国家のつくりかたを書いていたときから考えると、ありえないほどの変貌である。面白い。

執筆後、熊本西税務署へ。申告の間違いがあったということで、追加の税金を払いにいった。僕は確定申告を自分でやっている。なので、よく間違いを犯す。それでも、少ししか間違いを犯していないことをむしろ確認しているような作業である。税理士に丸投げするよりも、僕の場合は自分が関わっておいたほうが気持ちがよいので、一人でやってきた。そろそろ満足したので、税理士に依頼してもいいかなとも思っているが。

年金事務所にも行く。ここには毎月行っている。年金事務所がなんだかヘンテコで興味深いからだ。フィールドワークでもある。僕は年金を払ってはいるが、遅いので、こうやって、よく徴集を受け、お金を直に払っている。こうやって顔を見せ合いながら金を払わないと僕は気持ちが悪い。面倒くさいが、年金事務所の所員たちと会話をするのは大事な作業でもある。しかも、担当者の40歳代くらいのマヒちゃんは新政府国民、つまりフォロワーでもある。なんだか不思議な社会である。希望を僕は感じるのである。

「マヒちゃん、、、」
「なんですか?」
「やっぱ、年金とかっておかしいよなあ」
「そんなこと言ってもみなさん払ってくれているんですから、お願いしますよ」
「だからこうやっていつも来てるんじゃん」
「はい。ありがとうございます。こちらは差し止めもすぐにできますからね。坂口さん、お金持ってるんだから」
「僕の口座、今、四つあるんだけど、いくら入っているか知ってるってこと?」
「ええ、、、まあ」

マヒちゃんは正直で面白い人だ。

幼稚園が終わったアオを家に送って、家でゆっくりしていると、南阿蘇からUAさんのCDジャケットなどをデザインしたりしている永戸鉄也さんから電話。

「おっ、久々に市内に降りてきたから遊ぼうよ」

永戸さんも震災後に東京から熊本・阿蘇に移住してきた。二人で僕の住んでいる新町古町周辺を案内する。日本で一番豊富に和紙を保持している「森本」にも連れて行った。ここは本当にすごい。社長は88歳で、生きる文化、である。この人を隅田川の鈴木さんのようにフィールドワークしたいと思い始めている。僕は、京都の間合という土を含んだ巻物用の和紙と、本美濃の障子紙を購入。しめて一万円。

夜しか開いていない大好きなケーキ屋でお土産を買って、坂口恭平御用達の料亭Kazokuへ。今日は熊本に生きる文学、思想の士である83歳の渡辺京二氏と熊本日日新聞の僕と渡辺さんの担当編集波床さんと三人で食事会。渡辺京二さんと会うのは三度目であるが、食事をするのは初めて。熊本日日新聞の連載は毎月読んでくれていたそうだ。

渡辺京二さんは、熊本在住の文学者である石牟礼道子さんの作品「苦海浄土」の担当編集であり、今も20年以上もの間、石牟礼さんの夕食を作ったりお世話をし続けている公私共々の関係である。渡辺さん自身も宮崎滔天や北一輝の評伝など思想史家としてもたくさんの作品を残している。この二人の文学者、思想家が熊本にいるというだけで、僕は少し安堵したりする。かつ、僕もやらねばと気が引き締まる。

渡辺さんから終始質問攻めであった。僕は宮崎滔天や北一輝の研究はほとんどしてはいないが、何か似ているものも感じているので、その話も。お前は何か不足しているものを感じない。不安定な精神を持つ人間には見えない。金も持っているから問題がない。素直だ!と言われました笑。。喜んで言葉をいただくことにした。何か必要な教えを求めたときは協力しますと言ってももらった。ありがたい人がまた味方についた。

僕は欠けている。僕は不安定である。しかし、僕の周辺にはフーや、Kazokuのひろみさん、梅山、そして、数人の深い繋がりのある信頼する編集者、今はウィーンにいる世界で一番ぶっとんでいながら最高位に常にいるパフォーマンスのディレクター、おばちゃんであるフリーライセン。バンクーバーにいるキュレーター原さん、などとにかくサポーターの力が半端無い。僕の懐には別にたくさんのお金はないが、絶対に飢え死にさせないと言ってくれる、大蔵省担当をしてくれている人たち。など、知らぬ間に無限大になった僕に協力してくれる仲間がいる。その人たちの存在の気配が、その安定に繋がっているのかもしれない。かつ、僕は不安定でいられるのかもしれない。ありがたいことだし、つまりは、僕はすばらしい仕事をしなくてはならない。恐ろしいプレッシャーも感じる。でも、基本的に楽しい。そういう感じである。最近は。楽しけりゃなんでもいい。

夜、渡辺京二さんを送った後、タクシーでPAVAOへ。僕の夜担当の主治医である精神科医雄介とばったり会って、最近の僕の精神の扱い具合についてしばし話す。この人も僕にとって大きな力だ。しかも0円ドクターww。今度、飯奢ります!

一杯飲んで、ひろみさんにもらった幣立宮の湧き水と天草イサキの刺身をお土産にもらったので、それをもって家に帰る。

2013年6月13日(木)

朝7時に目を覚まし、朝から戎亭に同居しているミネちゃんとシンゴらと話す。途中からショウちゃんもやってくる。ミネちゃんが最近てがけた雑誌なども見ながら。新しい雑誌を僕らで勝手に作りたいね。これがいつも僕がみんなといるときに妄想してしまう構想だ。これらはいつもフーちゃんらにより、妄想だからやめたほうがいい、という話になり、僕は収監され、アイデアは捨てられる。毎度、僕はそれでいい、何も悪くないと思う。僕は収監されればいいのだ。このような絶対に服従しないような人間は社会に放つことなく、ただ収監し、外へ一歩も出さなければいい。それで何も問題がなくなるのだ。文句を声にあげることのない不満を持つ人間たちは、坂口恭平のような人間をみると、同期し、己の感情と合体させ一つの運動となったりする可能性がある。そんなことになるよりも、収監、だ。そうすれば、その匿名の不満分子は、全く動くことはない。働けと言えば、働き、金を払えと言えば、文句を言いつつも、やはり怯えて結局は金を払う。かと言って、根こそぎ、そのような或る種の煽りを全て消してしまうとそれもまた異常事態ということになり、多くの人間の不安を高めてしまうことになるので、時々は開放し、暴れさせる。どうせ絶望は自殺という形で処理されるので、それは政府の責任であるとは言われない。絶望は個人の問題なのだ。共同体にとっての問題ではない。6割ほどの人間をある程度、働いて金を払えば、最低限度の生活ができるように設定しておけばいい。あんまり贅沢させると碌なことが起きない。かと言って貧困にすると、人間は結束する。そのギリギリの塩梅がうまく機能すると、今のような状態になるので、坂口恭平のような男は収監しておいたほうがいいが、それはそれで面倒くさいので病気ということにする。監視する人間を増やしつつ、ある程度は自由な状態にさせる。フーという坂口恭平が完全に信じてしまっているアンドロイド監視員がいるから、我々はとても安心している。この人間(女)のようにみえる人間型ロボットFU-Jitaは坂口恭平を完全にコントロールできている。

お昼前にポパイ編集部からフリーの井出くんがやってくる。次回の連載の催促と次々号の特集のための打ち合わせ。連載だけでなく、特集記事もなんかやってみないかとの話。面白いなので、乗ってみた。その後、戎亭でゆっくり。ジャークチキン屋でうまいところがあるというので、ジャークポークを持ち帰りで食べた。美味しかった。石黒景太a.k.a.DJ 1drink氏が来戎。少し話して、僕は有隣堂で手塚治虫「火の鳥鳳凰篇」をなぜか買って読みながら羽田空港へ。熊本へ帰る。有意義な東京出張だった。しかし、今、僕には東京は一泊二日で十分ということでもある。なんだか変な気分になるのだ。別に放射能はもはや関係ないと思う。松戸市発表の江戸川のうなぎのセシウム半端無かったら、放射能関係ないとは実は思わないけど、もう人々に言うのをやめた。完全にやめた。変化できない人間に言うのは酷であるし、言えば言うほど勘違い野郎と思われてしまう。かと言って体がどうなるのかは分からない。だから、僕は放射能の問題はただ自分の中に留めることにしている。もちろん、このように原稿に書いているわけなので、漏れ出ているのだが。このあたりは家族のことだけを考えようと思う。家族なら、あとでお前が移動したおかげでなんだかんだとか文句言われないで済む。でも、それも洗脳の一部だ。僕は家族を洗脳しているとも言える。だって、分からないのだから。でも日本自体も洗脳であるし、家族というもの自体が成立していることすら洗脳だ。今更何を言っている。ただ自分が生きているということにおける外部に与える影響、被害を最小限に抑えようとすればいいのだ。711書き始めているが、その影響が日記にも忍び寄ってきている。これは面白いことだ。日記では心のおもむくまま、ただひたすら推敲せずに、やっていくつもり。

熊本空港へ到着し、羽田空港で見つけた麒麟の絵が描かれたじゃがりこ東京限定カレー味をアオに渡す。ハクスリーのすばらしい新世界が送られてきている。福岡に住むフーの親友であり、僕と出会わせてくれたキューピッドでもあるタンゴから「くるり」の熊本ツアーのチケットが送られてくる。行けなくなったから、あげる、とのこと。ありがたい。楽しみだ。来週の月曜日。

さて、また熊本に帰ってきたので、明日からは執筆である。「711」。500枚書くぞ。今のところ20枚。毎日10枚ペースを守りながら、ぶっ飛ばせるときはどんどん一筆書きでいこう。どうせ原稿は半分に減るのだ。僕の第一稿はそんなもんだ。躁の衝動が内奥でがんがんがんがんと共鳴し、倍音まで発生しながら、強大になっている。フーもそれを分かってくれている。僕が肩を叩いて、お願いするとフーはうんと頷いた。とにかく荒ぶる精神を抑えないといけない。エネルギーをどこかしこへ放出させるのではなく、集中していかなくてはならない。サイレースとリチウムの錠剤を飲んだ僕はゆっくりと枕の谷へとずり落ちていった。

2013年6月12日(水)

朝早くアオに起きてもらって、早めに幼稚園へ自転車で送ったあと、バスで空港へ。アオは行くなと行った。しかし、おれは坂口家という部族の首長であるから、獣を倒して食料にしないと駄目だからお前が止めても行くと言ったら、かましで、二度ほどぐずり、演技をしていることを僕に暗に伝えて、納得し、何回寝れば恭平に会えるのかと聞いた。僕は「一回」と言い、納得したアオは頷いた。お土産は「麒麟」と一言。この頓知講座は僕の栄養分となり、芽となり花となり、それは力となり、自転車を漕ぐ僕の足の筋肉の動力となり、アオと一緒にいる時間の創世記へと繋がる。そうだ、東京へ。僕は行く。熊本空港から飛行機にチンチン電車の気分で乗り込んだ僕はジョバンニの「穴」を熟読のままやっぱり即寝した。

羽田空港に到着すると、土曜社の豊田さんが待ってくれていて、そのままマーケットプレイス三階の赤坂離宮へ。炒飯を注文。もちろん大盛で。豊田さんも大盛にしちゃって食べれなくなったから、もらった。年内には出版しようと目論んでいる2004年からの日記の完本「坂口恭平のぼうけん(仮)」全7巻セットの打ち合わせ。誰が読むのか分からない代物ではあるけれど、僕の今書いている坂口恭平日記は毎日2000人、土日も平日も変わらずきっちり2000人読んでくれている人がいるので、その人たちに届けるような形で出せればいいのではないかと思っている。ディアゴスティーニ方式でやれたら面白そうだなあ。なんてことを考えながら。

豊田さんと別れ、神保町、集英社へ。集英社新書の千葉さんと8月下旬発売予定の「モバイルハウスのつくりかた」の初校ゲラ直し、最終調整の打ち合わせ。全ページの校閲から出された疑問点について二人で考える。途中、集英社文庫の飛鳥さんが、すばる編集部の吉田さんを連れてきた。飛鳥さんとは10月か11月ごろ出る予定になっている「TOKYO一坪遺産」の文庫化について加筆分をどうするかの打ち合わせ。もう一度会いたいと思っていた人に追加取材を入れてみようかということに。最近、パラパラ雨のように降ってきている長編、短編のプロットを話していたら、すばるに30枚書いてみないかと打診されやってみることに。「伯林紀行」という題名のイメージが浮かぶ。ベルリンでの旅行記の体で、短編を三つくらい詰め込んだ30枚くらいの短編を書こうと思っている。さらに長編で今書いている「711」の次に書きたいと思っている長編小説「リベスキンド」というベルリンを舞台にした話のプロットを話したら、なんか面白そうですねと。どうなるのか分からんが、横のモバイルハウスのつくりかたのゲラとのギャップを楽しんでいる僕がいる。今年はこれまでと違う、今までのものを全部捨てたような作品を作りたい。言葉で音楽をつくりたい。空間をつくりたい。時間をつくりたい。と思っている。絵も音楽も新しい作品をつくるのを今、止めている。今は文字へ。向かっている。

初台で降りると、僕は高校時代の親友ハザマのマンションへ。彼は今、読んでいる坂口恭平日記をはじめとした僕のウェブサイトを全てデザイン、システムを作ってくれている男である。無償で。1億円を稼いだら、1千万円を払うことになっている。つまり出世払い。2006年からやってくれていて、もう7年になる。ハザマに、今度はゼロセンターではなく、Drop the " Z"、つまり坂口恭平のエロセンターなる、文字だけのエロサイトを作らないかと妄想の発注。僕は最近、一人で悶々としているとき、卑猥な画像ではなく、文字を読んでいる。もちろんxvideoも手放しはしないが、文字に寄ってきている。そういうサイトあったらいいなと思える、文字エロサイトあったら、健康的なんじゃないかなあと。最近の僕は、スワッピング体験記などを書いている人々のサイトを覗いている妄想族である。

神宮前までタクシーで。twiggyで髪を切る。くみちゃんと久々に会う。みんなとも挨拶。僕の大好きな美容室。くみちゃんがまだ完全なスタイリストになっておらずカットモデルから始めたから、もうかれこれ10年以上通っている。二人ともずっとなんかやっているねえと話した。やめなければいい。僕はいつもそう思う。すごいかすごくないかなんてどうでもいい。センスなんかあとでどうにかなる。やめなければ自分で獲得できるようになるのだ。やめるな。永遠に運動をとめるな。そう念じている。貯水タンクに棲むという処女作を作ったのが、20歳。今、15年である。もっとやっていきたい。これを50年続けたい。いまだに、人々に自分の仕事はなんですか?を説明することのできないただのモラトリアムはその悩んだままの状態で疾走してます。

隣のワタリウムに寄って、寺山修司展が迫ってきているワタリ姉弟氏と会う。クレーやシュタイナーなどについて熱く語る。幻年時代楽しみにしてるよーと言ってくれて、嬉しかった。鈴木成一さんから本文の組みデータが上がってきた。超かっこいい。シンプルで狂っている。楽しいことになりそうだ。タクシーで渋谷パルコ前へ。wwwにて「うみのて」のライブ。梅山と待ち合わせ。ボーカルの笹口くんのお母さんとおばあちゃんと会う。お母さんと話すと、どうやら熊本在住で、僕も熊本から来たんですよ!という話に。その後、ライブをみる。3曲聴いた。渋谷の盛り上がりの素が、結構危ないことになっているなあと感じる。

磯部涼も混じり合い、渋谷駅前の「さつまや」で梅山と三人で飲む。なんか久々に話していたら、二人の会話のスピードについていけなくて、東京に住まないとスピードが鈍ることを実感。僕としては、今、その光速スピードのレールからちょいと降りている。そんな実験をしてみている。変化するのは怖いかと思ったら、別にそうでもないということが多いので、いつもブレていけばいいと思った。しかし、磯部涼と梅山は相変わらず早いね。この二人と一緒にいて、話をしているだけで、思考の筋力がつく。僕にとっては願ってもない0円ジムである。もちろん酒代はかかるけど。午前4時まで飲んで、恵比寿ガーデンプレイスにある戎亭へ帰宅。

2013年6月11日(火)

朝からアオと自転車に乗って幼稚園へ。鬱になると全く自転車に乗れないわけで、僕にとってはこの単純な親子の義務のような作業が、とても大切な自分にとって欠かすことのできない行為なのだと実感する。自転車に乗れているときは、僕は穏やかな精神でもって、世界を見ている。たとえいくつか、辛いことがそこに重なったとしても、それでもできるだけまっすぐ世界を見ることができるくらいの腰の強さを持っている。僕は本当は強いところもあるはずだと思える。これが底に落ちると、全く思えない。フーはいつだって、僕にそれを教えてくれる。

「あなたはなんだかんだ言ったって、やっぱり強いところもあるよ。弱さも全開だけど、力強さも負けてないよ」

僕のいいところにちゃんと光を当ててくれるのはフーだ。僕の才能に光を当ててくれる人はもちろん他にもいる。彼らは僕にとってとても大事な友人たちであり、仕事仲間である。僕の「いいところ」だけは、フーが担当してくれている。それにより、僕は生きながらえている。だから、フーが嫌なことはできるだけしないように生きているつもりだ。フーは滅多なことでは怒らない。しかし、今日、あることで僕は怒られた。すみませんと謝った。僕が馬鹿だった。訂正し、もう一度やってみることにした。フーは本当に怒らない人だ。僕はフーと喧嘩をほとんどしたことがない。するときは、大抵僕がおかしくなっているときだ。僕は他者から見れば、本当に無茶苦茶なところもあるのだろうが、フーはほとんど何も言わない。苦情がない。今日はあったが。だから謝った。

零亭で執筆に入る。昨日からとうとうはじまった新作書き下ろし本の執筆の続き。初期設定を今、窺っているところだ。今回はまだどうなるのか分からないし、完全な決定ではないのだが、いろいろとフォーメーションを考えている。今度、7月21日に発売される予定の新刊「幻年時代」は著者はもちろん僕、そして、編集者が二人付いてくれている。一人はフリー編集者であり、九龍ジョーというライターでもあり、ゼロから始める都市型狩猟採集生活という僕が変化したきっかけの本の担当編集者でもある梅山景央。僕は原稿を部分的に書き上げると、まずは梅山に送付した。それに対し、原稿をいじるのではなく、書き方、潜り方などを指示された。初稿を脱稿して、幻冬舎の編集者竹村さん、隅田川のエジソン、という僕の三作目の著書であり、初の小説である本を文庫化してくれた人である。実は竹村さんには以前、多摩川文明について書いた300枚近い原稿を送っている。結局それは日の目を浴びず、まだ沈殿している。さらに、語り下ろしのような本もやろうとしていて、その原稿も百数十枚くらいある。で、その過程でひょんなことから、不思議なことに幻年時代の執筆が開始されたのだ。僕にとって、それは不思議なことに、としか形容することができないくらい、これまでと全く違う姿勢で書かれている。

で、次の「711」は講談社の川治くんと(つまり彼は「独立国家のつくりかた」の担当編集者なのだが)やってみようかなとふと思って一応声はかけている。どうなるのかはわからない。こういうとき、僕はそれではできませんとか、ものを見てから考えますとか、なんか僕にとってはよく分からない会社的な観念は全て省く。省くというか元々ない。僕は次は、梅山、そして、川治くんラインで原稿を書いてみようと勝手に思っているだけで、僕にとってはそれは変化するのかもしれないのだが、はじめに決めておくということが重要、というよりも、決めないと書けないのである。だから、初稿までは梅山とマンツーマンで付き合い、脱稿後、川治くんにも渡すという前回と同じ手法、そのような生産方法を継続してみることにした。とにかく今は原稿を書きたい。かつ、これまでよりもさらにさらに書くのが苦しくはなってきている。体を使う、脳味噌を使う。つまり体力的にだけきつくなってきている。精神的には、とても幸福である。書いているときだけ、自分の空の容器に、自由の風が吹く。幻年時代は、うまれてはじめて絵、カット、写真が一枚も入っていない、ただの文字の羅列による本である。711もそうなるだろうと思っている。

711は幻年時代よりも原稿の抽象度は抑えめにしようと思った。少し愚鈍にさせる。ストーリーの骨組みはもう頭の中でしっかりと出来上がっているので、梅山はまずは平面図を書いてくれと言っていたが、それを無視して、とりあえず書き進めることにしたのだ。梅山に電話をすると、「やっぱり、お前はトレースじゃなく、ドローイングのほうだね」

と言って、諦めてくれて、まずは書け、ひたすら潜って書け。現代の匂いのままではなく、その書こうとしているその世界の匂いのままで書けるくらい潜れと僕の手綱を引く。

今回の小説は500枚くらいを目処に考えている。つまり、これまでで一番長い本になるのではないかと感じている。これらも決まっているのではない。しかし、まずは決断しなくてはならない。僕の仕事はこのような永遠に決まることのない未来を、あらかじめ、完全にフィックスしていく作業から始める。もちろん、そこから変化していくのは大歓迎なのだ。しかし、まずは完全に決める。そこからしか僕は始めることができない。

500枚の原稿。それは小説のような形になりそうだ。つまり、僕の完全な事実をもとにした物語ではない。しかし、それでも僕の経験でしか書かないようにしようと思っている。昨日はヒロインの名前、そして、他の登場人物四人の名前が決まった。毎日10枚ずつ書こうと決めた。幻年時代では一日に50枚書いた日もあった。つまり一週間で初稿は書き終わっている。しかし、今回は50日間かけようと決めた。

次作「711」は小説の形態で、講談社から出版され、担当編集はいつものように梅山、そして、講談社現代新書であるはずの川治くんにさらにお願いする。原稿用紙500枚程度の長編もの。毎日10枚をノルマ。それを超えて書きたくても、次の日の執筆のためにしっかりと温存すること。50日間で書き上げること。つまり、八月下旬が締め切りである。舞台は熊本。登場人物は僕、つまり、今回も一人称の物語である。絵、カットはなし、文字だけの建築。プロットはすでに完成。それをもとにした図面等は思考都市のほうには仕上がっている。できるだけヴィジュアル化せずに、文字の中でだけで空間をつくることを目的とすること。毎日、午前9時から午後2時半までのアオが幼稚園に通っている間の執筆にすること。つまり、家族に迷惑をかけないこと。毎日、アオを幼稚園に送り迎えすること。つまり、家族との時間も大事にすること。しかし、午前9時から午後2時半までの間は鬼と化すこと。飲み会はどこかへ移動する以外には極力避けること。晩酌は禁止。日々の生活をするかわり、原稿執筆ではとにかく目一杯自由に生きること。原稿執筆はちゃんと構造として設計し、書いていくこと。それで疲れたら、坂口恭平日記で鬱憤を晴らしたり、楽しんだりすること。それ以外の原稿は、一時的にストップし、書きたいものはプロットにしていくこと。

現在、書きたくなってプロットを書き終えたものだけで12本ある。一体、僕はまたどこへ行くのだろう。

本日の十枚を書き終え、すっきりさせた僕はアオを迎えにいく。アオが川沿いに行きたいというので、白川沿いへ。草むらの上で寝そべって、途中にある長崎書店で買った「電車のたび」という絵本をアオに二人で寝転びながら、川辺で読み聞かせる。そのあと、野花束つくり、小石投げして遊ぶ。帰りに、江戸時代からの家の目の前の駄菓子、玩具問屋の「むろや」で、アオが欲しがっていた虫取り網を購入。自転車で裏山のお墓の周辺へ行き、小さな蝶蝶を追いかける。三匹くらいアオは捕まえた。もちろん、キャッチ&リリース。アオは大満足。僕も原稿をすでに書き終えているので、リラックスしている。夜は二人で菊の湯へ行った。夕食を家族四人で食べる。何回か小突かれたけど、優しいフーは一応、機嫌を直してくれて、アオが寝てから、二人で楽しく談笑する。嫁とは議論するな。談笑しろ。常にこれで言っている。議論は梅山とやればいいのだ。薩摩のタビトとやればいいのだ。僕には議論をいつでもしたくなる男たちがたくさんいる。彼らと議論はする。フーとは談笑。芸術的な刺激は素晴らしい才能を持った女性の芸術家たちから獲得する。そう、フーと笑いながら話す。ほんと、このおかっさん、末恐ろしい人だわ。フーって。

夜、幻冬舎の竹村さんから、装丁家の鈴木成一さんによる、本文組みのデータがあがってきた。凄くかっこよくて、気持ちよくなった。楽しみだ。早く書店に並んでほしい。

土曜社の豊田さんから、2004年から坂口恭平日記を2011年まで全7巻のセットで売りたいというアイデアが、いよいよ固まってきたとのメール。予算、予定などのファイルと共に。年内にやってみたいとのこと。今年の秋頃へ向けて、調整していきたいとの旨。こちらも一体どうなるのか。分からないから、僕はまず書くのである。

ポパイの井出くんから、熊本の旅、面白そうだから、詳細教えてとのこと。なんか動くかな。興味深い。いろいろ進めてみよう。僕は原稿を書けばいいのである。ただそれだけだ。最近は絵も描かなくなってきた。一つに集中しようという僕の一番やっちゃいけないと思っていた道へ向かっている。でも、その文字の中で狂えばいいのだ。踊ればいいのだ。それをやってみたいこれからの二、三年といったところ。とは言っても、僕の人生、一寸先は常に闇なので、何が起こるかは分からない。

それでも僕は決める。

決めることが好きなんだろう。かつ、決めないと行動ができないのだろう。

7月下旬に行く、サンフランシスコの映画祭の詳細も決まってきた。楽しみだ、15年ぶりのサンフランシスコ。映画祭には西川美和さんなどもいらっしゃるらしい。というか、これ結構本格的な映画祭ってことじゃないの?僕なんかが行って大丈夫なのかと思って、サイトみると、僕の写真がどでかく映っていて、冷や汗。何が起こるのよ。まあ、いい。時間はどうせ流れていく。だから抗わず、僕はただ原稿を書けばいいのだ。ほれ、書きなはれ。どんどん毎日を生き、人々と交流し、新しい知見と出会い、疑問を放置せず、永遠に考え続けれるように、ちゃんとたまには金も稼ぎ、家族との時間も大切に、かつ刺激は忘れずに、夢ではなく、ただの幻としか思えないような自由をちゃんと胸に抱き、僕はMacBook Airのキーボードをレイチャールズ並に叩きたい。書いている、今、僕は、生の実感がある。いつかは消えて、鬱になるだろう。それは僕の人生にとって永遠に避けられない、四季みたいなものだ。四季がある日本に対して、どうして四季なんてものがあるのだろうかとは誰も疑問を持たない。なのに、僕は自分のこの、自分という大自然に巻き起こる四季に対して、疑問をぶつけている。なぜ、おれがこんな目に遭わないといけないのかと。

だから疑問を持つのをやめた。己への疑問はどうでもいい。緑の葉っぱに対して抱く、虫に、人に、世界に、社会に、夢に、希望に、絶望に、家族に、共同体に、お金に、それらに対して疑問を持つ。自然という現象自体に疑問を持たないで、生きる。それが今、僕が実験しようとしている、物の見方である。今のところ悪くない。いい線行っていると思う。人の目がほとんど気にならなくなった。自分がやるべきと思うものをさらに進めようと覚悟が決まってきた。怖いけど楽しい。そんな刃の上を飛び踊りながら、歩いている。そう、歩け。書け。自転車を漕いで、風を掴め。

明日は、集英社新書「モバイルハウスのつくりかた」の打ち合わせのため、東京へ久々に行く。こちらの本は、8月21日、幻年時代が出版されてちょうど一ヶ月後に出る予定。さて、静かに、ゆっくりでいい。でも、確実に、人々の首根っこ掴んで、心臓ぶち抜けるような、優しくてぶっとぶ本を送り届けたい。本を読めなかった男は、今、本を書くことが天職かもしれないと思えてきている。日本語のタイプライターを設計する男の短編を書こうとしているのだが、本当はそれが欲しい。手書きじゃちょっと僕の場合は違う。タイプしたいのだ。

タイプでダイヴする鯛のような変態坂口恭平。

この変体動物であるおれは、今、フーから早く寝なさい、十二時過ぎたでしょと向こうの部屋の布団の中から声をかけられているので、まず寝ます。明日から一泊二日のドタバタ江戸への旅である。どんな珍道中になることやら。

今日も忘れずに、サイレース。そしてリチウム400mg。ジョン・C・リリーに松岡正剛氏がインタビューするという昔のNHKの半端ない番組を観ながら眠りにつく。NHKのコメンテーターが、LSDとかコカインとかビタミンKとかは私はどうも….とか言っているその懐の深さが豊かだなと思った。

今は、みんな恐れている。言ったら怒られること決して言わないし、やったら失敗することは失敗するのが怖いというよりもむしろ失敗したことにして、試しもしない。どうせ駄目でも修正なんかいくらでもきくのにと、いつも試みては失敗ばかりする、下手な鉄砲数打ちゃ当たる坂口恭平は思う。弟にそう言われたのは、高校生のときだ。

「おんちゃんのやり方はずるいよ。なんかいっつも成功してるように見えるけど、結局、下手な鉄砲数打ちゃ当たるだもんね。でも、それでいいんだよなあ人生なんて」

弟は早くから僕の本質を理解していた初めての男である。

あったりめえじゃん。失敗はしても見せなきゃいいんだよ。うまくいったら、誰よりも大きい声でそれを伝える。おれのやり方はただのシンプルだよ。全ての失敗を体験し、それを忘却し、数少ない成功体験を、最大限に拡大解釈して、己の多幸観増量に努める。どうせ僕のやっていることなんか、人が捨ててしまっているものを拾っているだけなんだから誰にも迷惑かけやしない。だから好きに生きればいい。生きとし生けるものへの讃歌を声高らかにうたえばいいんだ。長嶋茂雄大先生だって、カレンダーの日付に、負けたら小さく黒い点、勝ったら、枠一杯に○印を描いていたらしいぞ。つまり、5メートル離れてカレンダーを見たら、白星しか見えないんだ。さらに、僕は勝った負けたじゃ空間性がなさすぎて退屈だから、それを全部捨てて、芸術をやっているんだ。芸術は空間性が、そのイリュージョンがどれだけ深度があるかが基準になるからね。面白いのよ。誰にも迷惑かけずに、全ての人の脳味噌を勝手にぶち壊す。それが僕の高校生時代の目的だった。

その目的に少しずつ近づけているかもしれないと思えている今日この頃。

薬が効いてきた、僕は、弟に昔、もらったGILBERTO GILの最高のライブ盤「AO VIVO」を聴いている。

感謝。

よしここまでで、一日分の日記原稿が一時間で完成。原稿用紙にして17枚ほど。711は筆致遅いけど、坂口恭平日記はべらぼうにはやい。この使い分けをする。自分を操作する。この混沌の荒ぶる躁鬱病患者をどうにか稼働させる。フーが潤滑油である。アオがバグである。弦というアキラ、エネルギー源が発光寸前の発酵を毎日行っている。どうなる坂口恭平!どうなる坂口家!ただただ平穏な日常が通り過ぎていくが、おれの頭の中は、Just Dream Timeです。

celebrate your life。

2013年6月10日(月)

今日も半端ないライフがおれに襲いかかってくる。人から見たら、静止しているようにしか見えないであろう、この片田舎の35歳のおやじは、ただただ運動、振動、金土だけでなく、九曜全てを連動させて、身体の運動を続けているんだと思い込むことにしたんだよ、と朝方の夜型のフーに言うと、

「んっ?なんて?」

とのリアクション。フーはそれでいい。そのままでいい。いや、そのままがいい。アオが水色の横っ面に「over the rainbow, animals are living」とグラフィティをしたヘルメットを持って、靴を履いている。

「パパ!いくよ!ほらっ、早くぅ!」

そうだ、今日も僕とアオは自転車に乗って、幼稚園まで。僕はカローラⅡに乗って、の替え歌で、アオと自転車乗って〜♪と歌いながら、朝の熊本を、新町を、段山越えて、熊本城の上熊本寄りの桜並木を擦りながら、ペダルを漕いでいる。アオは自作の「アイデア」という、前野健太の伊豆の踊り子という歌のこれまた替え歌を歌っているその日常に、僕は「松」と名付けた。

アオを送ると、僕は零亭でしばし、事務処理をMacBook Airで行い、空中戦を繰り広げた後、雨が止んだことを忘れて、自転車じゃなく、オーケータクシーに、

「ゼロセンターまで一台お願いします」

といつもの塩沢トキさんみたいなお母さんである連絡員に電話をかける。このタクシー会社は世界で唯一、ゼロセンターまで!と伝えて、ハイヤーを寄こしてくれる、素晴らしいタクシー会社である。タクシーに乗って、向かうは青明病院。もちろん、僕の専属の精神病院である。少しだけ恥ずかしがりやの僕は、青明病院の手前にある江南病院までお願いしますと、言ってしまう。そして、いつもそこから歩いて青明病院に行くのだ。その数十メートルの徒歩に、僕と社会との関係性を具現化した何か物体を感じる。視界は良好。煙草を外で吸っている入院患者らしき親父を横目に、僕は病院の塀の外に平行に並ぶ、枇杷の木に盛りを過ぎたものの、誰もとらずに放置されているしょげた枇杷の実を見て、奄美を思い出す。しかし、奄美に行ったことがないことも同時に思い出し、これではいかん、と両手で両頬をぱしっと叩き、病院の入り口の自動ドアの前に立つ。

未来の風景のように、自動的に開いた硝子戸の先には、先日、あまりにもかわいくて写真を撮ってもいいですか?と聞いてしまった、受付の女性が今日もまた立っており、こちらはそこまでの躁状態でなかったので、恥じらいがしっかりと手に残っており、ぎゅっと握りしめながら、先月の自分とは他人のオレである自分自身を作り出し、平然と挨拶をする。向こうも、どう見ても、先月のキチガイなのだろうが、先月とは様相が違うので、今月は鬱なのか、と慣れた顔つきで、業務用の挨拶を僕に投げてくる。よし、これでいいんだ。これが社会だ。社会というのは、そのような先月見たあの猟奇的な世界を全て忘れたことにするという約束なのだ。約束と使命とミサイルが、ラテン語では全て同じ語源をもとにしているということを、隣の病人に伝えたとしても、ここでは平然と頷いてくれるのだ。保険証を出してくださいと言われ、僕は丁寧に財布を取り出すと、盛りに盛られた、領収証の塊が保険証と一緒になって、ぼとっと受付台に落ちた。このようなハプニング的な音の鳴りは、先月の狂乱を思い出させてしまう。一瞬だけ、先月の二人になった、僕と受付嬢は、不倫関係にある女子高生と教師のような妄想へとスライドし、こらっと妄想のフーがこれまたしっかりとハリセンもって僕の頭上8センチのところで、構えているので、はい、すいません、と空言葉を投げキッス。

坂口恭平は、受付番号39という人格に変貌し、名前を千尋のように忘れてしまった僕は、2番という番号札のかかった診察室のドアをさらにスライドさせ、そのスライドの滑りの良さにびっくりした僕は、かけている力が、ネジを回すくらいの勢いであることを突如思い出し、そのドアが一度一番向こうの壁にぶつかり、再び戻ってくるのをスカッシュみたいにさらに跳ね返そうとしたが、そこは大人であるので、静かに、その衝撃を右手の掌で吸収し、内蔵への振動へと変換し、つまり、見た目には何もなく、少しだけ、ドアが壁に強く当たって音がしただけの日常へと戻した。橋本医師に久々に出会うと、先生は開口一番、

「どうでした?今月?」

といつもの質問。何度も、この診察室に戻ってきているような錯覚に陥る。ここの時間は停滞している。何度もこの時間から、あらゆる季節、あらゆる年月日へと飛び、体験後、また橋本医師の前に戻ってきているかのように、彼女はDr.チェアに座っている。ボールペンで僕の口述を筆記している。ドストエフスキーの妻はこのようであったのかと思いながら、5月10日に前回の診察を終えた十日後に鬱が訪れ、そのまた一週間後にドイツにて鬱が晴れたことを伝えた。

「なんか、短いね。サイクル。ラピッドサイクルだよ〜坂口さん。。。リチウム合わないのかな。。。」

と訝しげに見るが、その瞳は輝いている。だから、僕はその過程でまた10本分くらいの短編、長編を含んだ小説なのか事実なのかよく分からないが、書きたいと思った本のプロットのようなものや、登場人物の名前などが空の上から降ってきましたと言った。それはもちろん口述筆記され、カルテらしき、原稿用紙に書き込まれている。それを欲しい、もしくはコピーが欲しいと思ったが、なぜか積極的なはずの坂口恭平は黙り込んだ。患者になりきった。

とりあえずいつも先生は笑っている。楽しい人生ですね、と言われる。体は心配だけど、今月は一度も落ちないように頑張れと言われる。早寝早起き朝ご飯。アオが通う幼稚園の合い言葉である。それを遵守しますと伝えた。

今日も20分ほど話を一方的に聞いてくれて、リチウム一ヶ月分のお薬まで出て、710円だった。

「なんか安くないっすか!????」

と美人であるあの受付の女性に聞くと、彼女は今度ばかりは徹底的に冷静に、

「あの、先月も同じ値段ですよ」

とさらりとした言葉はまるで梅酒のように甘かったとは思わなかった。ただただ厳しい人間の、社会の縮図を体験させてくれた遊園地の乗り物みたいだった。僕は9割カットらしい。精神障害者だからという。しかし、障害者手帖はあげられないと熊本市長から直々に書類が送られてきた。これは熊本市長選を目論む坂口恭平を知っていて、そのような手帖というものをもって、もし市長選に負けてしまっては、自分のプライドが傷つくなどという不安が的中しているのではないかと今日の日記で書こうなんて妄想を抱いていると、またフーのハリセンが飛ぶ。

「恭平、早く帰ってきな。もー」

タクシーに乗って、内坪井のセブンイレブンまで。次の小説「711」はこのセブンイレブンが舞台となる。そこから歩いて「てんてまり」へ。いや、その前に古書屋「叙文堂」へ立ち寄ったのだった。そこで、アラビアのロレンス、松本清張著「半生の記」、江藤淳「漱石とその時代、上下巻」を全て100円で購入。そろそろ立ち上げたい、零亭のツリーハウス内で始めようと思っている「ポアンカレ書店」の仕入れということにする。同時にそれは僕は読まないので、弟子たち二人への栄養ドリンクのような役目も果たすだろう。てんてまりでは、広島焼を食べた。帰りに、サンワ工務店が手がけている、家の近くの美容室の現場を視察。いい感じだった。社長と顔を合わせる。僕の世界は半径300mで回っていく。

家に到着し、原稿を少しだけ書こうとしたが、結局、ドイツの友達とSkypeしてた。原田郁子ちゃんから「そろそろ熊本いくよー」と電話をもらう。郁ちゃんに早く会いたい2013。6月24日、しかも坂口恭平の書斎「雪烏」がある、早川倉庫に、クラムボンとして郁ちゃんはやってきて、僕たち坂口家四人はそれを見に行く。精神の姉であるところの郁ちゃんにしばらく会っていないので、音楽の話をしたい。僕ははっぴいえんどの大好きな曲「春らんまん」を電話口で歌った。

「沈丁花を匂わせて、おや、まあ、ひとあめくるね」

途端に雨がぱらついた。ひやっとした。冷房装置の夏が来た!

午後2時45分、幼稚園内でたんぽぽ組が終わるのを園舎の外で心待ちにする僕を見つけた、たんぽぽ部族たちが騒いでいる。すいません、僕、心だけやはり4歳のままで。と先生に謝る。園児たちから、飛び蹴り、パンチ、局部に拳をくらう。僕はこの部族ではアフリカン的に言えば、とても好まれているらしい。日本的に言えば、いじめられているのかもしれない。もー、困ったな顔のアオは、その騒ぎには加わらず、また、水色のヘルメットに手をつけ、さ、行くよ、パパ、と言う。そうだ、僕は今日、鹿児島に行かなくてはいけないのであった。

急いで、自転車を漕ぐ。家に着く。アオはヘルメットを脱がない。もしや…….?

「まだ、自転車に乗ってたい。パパ、仕事やめてよ」

娘の声に一瞬揺るぐが、僕は意外にも経済観念だけはしっかりとしているので、パパは狩りにいくから、しばらく待っててよ。おみやげどっさり!とどうにか説得後、僕はそのママチャリに乗って、熊本駅新幹線口にある駐輪場へ。

新幹線に飛び乗ろうと、思ったが、30分後しか来ないというので、しばしホームで待つ。3号車自由席の前で待っていると、無人で、荷物が置いてある。竹で編んだ大きな籠が二つ。てっぺんには取っ手のようなものが取り付けられ、太い紐で結ばれている。

僕は、中に鳥がいることはすぐに分かった。

しばらくすると、トイレか何かに行ってたのであろうおっちゃんが、二つの籠の真ん中に立った。僕の前に並んでいたということを承知で。

「おっちゃん、その籠どんな鳥が入っているんですか?」
「軍鶏だよ」

おっちゃんはさらりと言葉を放った。その放った言葉はほんのり梅の薫りがした。それは確かだった。

「軍鶏売りにいくんすか?」
「んな、馬鹿な。大阪で闘鶏やりにいっとったったい」
「!」
「でも、九州の軍鶏は強かけんね。誰も相手しきらんかった。電車代の損たい。八代に戻るところ」

そこから、おっちゃんへの軍鶏インタビューが始まった。新幹線が来なくて感謝である。軍鶏には上鶏と下鶏の役目があり、上がオフェンス、下がディフェンスであるそうだ。食事はアスリートにしなくてはいけないので、太らせたら駄目で、おっちゃんは麦を軸にさまざまな調合を施した食事を与えている。訓練は実践あるのみで、80匹飼っている軍鶏をそれぞれ闘わせるそうだ。今日、連れてきた上鶏は80匹の中の王者であるらしい、槍、という軍鶏の足の爪が半端なく鋭く、殺傷能力もあるという。実践を一度させたら、二週間は休ませる。熊本には二カ所闘鶏場があり、しかし、これは賭け事なので、場所は秘密であるという。一口35万円くらいで賭けているという。軍鶏界の話を書きたい一心に僕はメモをとったら負けだと思い、耳で鼓膜を震わせてメモった。

そんな気分で新幹線に乗ったら新作書き下ろし小説「711」の「序」の部分で、糞詰まりになっていたものがぶっと抜けて、書き始めた。記念すべき日、六月十日。「711」の執筆がスタートした。原稿用紙5枚を鹿児島中央駅までの一時間で書ききる。いい流れだ。また潜る作業がはじまる。苦しいけれど、結局楽しいし、好きなのよ、あなたは、とフーは言う。

「あなたは書くことが何よりも好きなのよ」

確かに、僕は書いているときはフーに求めることが急激に減る。そのときは、フーにとっては体力を温存する大事なときらしい。このほとんど獰猛な動物と過ごしている飼育員フーは、一体、何のためにぼくと一緒にいるのだろうか。もしかして、勤めているのだろうか。この動物園に。たまたま僕の担当になった飼育員だったらどうしようと思うと不安になり、フーに携帯で電話をかけるも九州新幹線は山に穴を掘りまくっているので、電波が八代以南、途切れてしまい、連絡がとれない。それすらも、この僕の知らぬ動物園の企てであると妄想してしまう僕は、とりあえず書き上げた原稿を隣の席へ置き、江藤淳の漱石本に手を出す。そこには、熊本に到着した漱石の様子が描かれていた。

明治二十九年(1896)四月十三日、後の漱石・夏目金之助が池田停車場(上熊本駅)に降り立つ。漱石満二十九歳。

四月十三日と言えば、泣く子も黙る世界初のテロリスト、ガイ・フォークスの誕生日であり、ヘンリーダーガーの命日であり、坂口恭平の誕生日である。漱石、半端ない。焦って、フーに電話する。奇跡的に繋がった。

「おい、フー、大変なことが起こった。。。。」
「またーーー。どんな関係妄想??wwww」
「漱石が熊本に到着した日がやはり四月十三日だったよ」

すると、フーがとんでもないことを吐いた。

「それ、前、言ったじゃん、、京町にある石碑に書いてあったよって」

僕にはそのフーの言葉を全く覚えていない。もしかして、僕はフーの言葉をほとんど聞き流しているのかもしれない。ちょっとだけ、頭が弱いところもあると思っていたフーが突然、ギリシアの哲人のように思えてきた。電話口なので見えないフーはどんな顔をしているのだろう。もしかして、それはフーという概念だったりするのか。電子信号によって作られた坂口恭平養成キットとしてのフーが、僕を笑う。僕は突然、この世界で一番自分の近くにいるはずの、ほとんど本など読まない、妻が、ただの偉人に思えてきた。怖くて、あっそう、とさりげない言葉をお返しし、僕はすぐに電話を切った。

鹿児島中央に着くと、そのままINDUBITALYのデザイナーである女性と出会う。ポパイの取材。すすむ屋茶店という新しくできたお洒落な茶屋でインタビュー。なんだか、とんでもない方向へ飛んでいった。原稿を書くのが楽しみになった。そのまま、その女性と一緒にチンチン電車にのって、コペンハーゲンのぶっとび華人であるTAGE ANDERSONの元で、コペンハーゲンで修行をしていた華人の店NOGEL、デンマーク語でオイルと読み、鍵を意味する、半端ない花屋へ行き、親友であり、おれの千利休であるタビトと久々に再会する。おもしろいスウェットを作るデザイナーの情報などをもらう。タビトからはいつももらう。

なんかいろいろとすごいことになったのだが、そんなこと書いていたら、日記というか物語になってしまうので、このへんで割愛して、もう寝るわ。おやすみ。

現在、2013年6月11日午前1時57分。モレッティというイタリア麦酒を飲む。カエターノの「ESTRANGEIRO」を聴きながら。

開いた花は爆発のように見えた。スローモーションのダイナマイト爆発のシーン。

その飛んでいく、彼方の小石を拡大顕微鏡で覗くと、それは、僕自身だった。

小さな僕は、どこかへ飛んでいった。

アオと弦とフーが同じ顔して、同じ角度で、寝ていた。

寝顔をiPhoneでパチり、三人が音に反応し、微動した。

なんとなく、ではあるが、手を合わせて、のんのん、した。

菩薩、弥勒、4666。これがおれの携帯番号。

celebrate your life。

2013年6月9日(日)

朝から、師匠の山野潤一氏と大津の「新政府寶の山」へ。ここは1500坪の敷地で、日本全国から集められたあらゆる都市の幸、つまりゴミ屑たちが集合して保管されている。僕のモバイルハウスの材料も大抵はここにあるものを使わせてもらっている。師匠である山野さんが何十年もかけて集めてきたものだ。ここにはなんでもある。秘密の場所である。高野山にある毘沙門天像の写真をズベさんにもらう。みんな、本当によくしてくれる。だからこそ、僕も頑張らないといけない。これはかなり恐ろしい、贈与地獄なのだ。贈与をもらうかわりに僕は諦めずに、自分の仕事を進めて行かなくてはならない。もちろんそれは幸福なことだ。しかし、同時に恐ろしい刃となって僕の首筋にあてられてもいる。だから、僕は毎日、筆を進める。キーボードを叩く。楽しくもあり、諦めることが永遠にできないという恐怖でもある。しかし、そんな状態にいることはやはり幸福だよと僕は、フーに言った。

「わたしも幸福よ」

フーも言った。躁鬱病の波の乗り方を少しずつ覚えてきた僕、そしてそれを見守ってくれるフー、アオは、それぞれの方法で、僕のこの地獄と付き合ってくれている。その人間たちの動き、その軌跡自体がもしかしたら幸福なのではないかと僕はふと思ったのだ。

「僕は幸福だと思う。もちろん、明日なのか、何ヶ月か先なのか、分からない、躁鬱の地獄が訪れることも含めて」

「わたしは、恭平が鬱だろうが、躁だろうが、かまわない、家族で一緒にいれるだけで、幸福よ」

フーが僕に幸福を教えてくれたように思う。幸福なんてものがあるものかとずっと思ってきた僕が、一転し、最近は、ふとこんなことを感じている。ま、それもいつかまた躁が終わり、鬱がはじまれば、終わる。でも、その完全に以前の記憶がなくなってしまっても、それでも欠片くらいは感じられるように、僕は今、この坂口恭平日記を書いている。つまり、これは僕自身に書いている。人々に書いているというフリをしながら。もう一人の僕、それは恐ろしい悪魔みたいで、世界で一番弱い人みたいで、とそんなふうに僕は思うのだが、フーは、

「あの、恭平も好きなんだけどなあ」

と言う。フーは二人の坂口恭平と付き合っている。日々生きている。僕は愛おしくなってしまい、

「あの、一緒に布団にでも入って、なんかごちゃごちゃできないか?」

と誘った。するとフーは、

「最近、授乳で、疲れていて、ごめんね。ちょっと今日は、、、」

と優しく、しかし、実直に硬く断った。それでいい。僕はいつも断れるのだ。それでいい。僕は家を出て、長崎の佐世保へ向かうことに。今日は、親友であり、日本蜜蜂研究家であり、刀剣研究家でもある郵便局員、野元浩二氏が、韓氏意拳の師範である光岡英稔氏、身体技法の研究家である甲野善紀氏らと主催している「今を生きる人の集い2013in佐世保」が行われているところへ顔を出すことになっている。新幹線さくらに飛び乗り、まずは新鳥栖へ。

村上春樹で僕が今でも唯一読める「遠い太鼓」を読みながら、僕も海外へ移住し、原稿でも書きたいなあなどと夢心地になったはいいものの、そのまま寝てしまった。最近、力を抜くと、速攻で寝てしまう癖がある。疲れてもいるのだろう。それが躁の僕の体の動きである。気付いたら、博多で駅員に起こされた。あららと、思い、そのまま向かいの新幹線で、鳥栖へと思って飛び乗って、再び遠い太鼓を読むと、また寝てしまい、気付いたら、熊本だった。ふりだしに戻ってしまい、あぜんとしてしまった僕は、もちろん心の友、フーへ電話をした。

「フー、今、熊本に戻ってきた」
「えっ?なにしてるの?恭平……もしかしてまた寝た?」
「うん。野元さんに会いたいんだけど、なかなか長崎へ行けないんだ」
「どうするの?」
「もう家が恋しくなってきて、帰りたくなってきた」
「どはっはっっはっはっ!」

フーはいつもの大笑いを電話の向こうで繰り広げている。
「カステラでも食べたいよ。また行きなよ」

こういう時、フーは残酷な虎の親と化す。僕がいつもへこたれて家に帰りたいとか、死にたいとか、原稿書けない、才能がない、つまり、もうこんな仕事なんかやめて、どこかへ勤める、とか言い出すと、優しいフーは突如、虎と化す。そして、僕を突き放すのだ。まるで、我が子のように、しっかりとここでしつけないと後々、甘えるということが自明なのを知っているフーは僕に強く、しかし、強引ではなく、ちゃんと僕が判断し、決断できるように、選択の余白だけは僕に預けて、ちゃんと目的を果たせと言ってくる。

諦めた僕は、もう一度、えいやっと新幹線に飛び乗った。喫煙室へ向かい、立って遠い太鼓を読みながら、煙草も吸わず、30分間の魔の睡眠感と闘った。無事に新鳥栖に着いた僕は、新幹線を折り、特急みどりに乗り換え、無事に二時間後、佐世保に着いた。長崎は何度か行ったことがあるけれど、佐世保はおそらく初めて足を踏み入れた。

スタッフの人が車で迎えにきてくれて、世知原の少年自然の家へ。野元さんと久々の再会。ゆんさん、ゆうこちゃんもいた。関根先生の竹笛つくりのワークショップに参加し、小刀使って、うぐいすの鳴き声など数種類の鳥、虫が表現できる竹笛を自分でも作ってみた。楽しかった。幸福を感じた。その後、光岡氏にも挨拶し、懇親会では、トークと、さらには魔子よまで歌わせてもらい、夜9時に新幹線に飛び乗った。今度も遠い太鼓を読みながら、すぐに寝たのだが、終点が熊本だったので、安心だった。駅員に起こされ、家まで歩いて帰る。

「フーちゃん、今日、僕はふと幸福を感じたよ」
「また鬱になっても、私は何も気にしないから、大丈夫よ。なんでもいいの。どんな状態でもいいの。みんなでいれれば、なんでもいいのよ」
「お前は菩薩なのか」
「いや、私はふつうの人間という動物よ。何言ってるの」
「なんか、むずむずしてきた。今日の夜はどうですか?」
「恭平。毎日言われても、ごめん、今の状態は、ちょっと疲れれて、付き合えないわ」
「あっ、すみません。どれくらいの頻度だったら対応が可能なんでしょうか?」
「そうね…..」

フーはしばらく考えて言った。

「四日に一度だったら、なんとか…..」
「分かった」

そうして、我慢強い僕は、ぐいっと歯を食いしばって、自分の書斎へ戻った。そして、パソコンを開いて、己を鎮めた。

明日は鹿児島である。ポパイの取材のため。九州を動いている。島へ行きたいと思った。

己を始末した後、フーのところへ行く。

「島に行きたい」
「ハワイ行きましょうよ」
「行きたい…..でも弦が首座るまでは無理なんでしょ?」
「無理よ。もうちょっと待ってよ」
「じゃあ、来年か…….」

そんなことを考えていたら、また次の書き下ろし本のためのプロットなどが出てきた。

フーは今日、僕たち夫婦の友達である二つの家族たちとお好み焼きパーティーをしてきたらしい。植木の家族の日本一甘い西瓜を一つもらってきていた。フーがぼそっと言った。

「今日、あやちゃんに『旦那は女たらしだから、フーちゃんに浮気させたい』って言われた」
「どっはっっはっは!」

僕はつい吹き出した。なんだか、幸福なようで混沌としてもおり、そこには様々な感情が入り乱れている。僕はその自然な営みを感じ、輪郭線などない、分子の集まりである、僕、四人の家族、そして友人たちに思いを馳せた。こんな片田舎で何が起こっているのか。それは素晴らしい運動だと思った。二人で笑った。そして、フーの隣に寝ると、またいろいろと運動がはじまりそうなので、僕とフーはいつも通り、アオを軸に線対称に布団に寝た。また、いつか来る鬱のことなど僕には信じられない。そんな地獄なんて、まるで無いかのような平穏な家族の風景である。僕は想像できない。しかし、フーの日常には常のその危険も察知されているはずだ。僕は一番近いはずのフーが少し遠くの人のように感じられた。

夏の前のこの季節の夜。なぜか胸がぞわっとする。何かの予感がする。

この幸福を守ることができない、という坂口恭平の鬱による、坂口家への攻撃を前提とした我が家の世界は、もしかして、それは強いのかもしれないと思えた。僕らには幻想はない。どうせ、坂口恭平はすぐに壊れる。崩壊する。瓦解する。インセプションのように崩れ落ちる。概念自体が小さな粒子となって奈落の底へ全てくだけ散っていく。それでもフーは、それを日常の一部として、今の幸福の幻想に引っ張られることなく、含み入れている。しかし、それでも、それを足しても、そんな僕にとっては余計だと思っているものを計算に入れても、それでも、楽しいとフーは言うのだ。僕はフーから少しずつ学んで行っているような気がする。その絶望を含み入れることが分からないにせよ、フーが理解していることを理解しはじめている。それは僕にとっては大きな前進である。

僕も、フーと同じように、

「どうなっても、へっちゃらだ、みんなでいれば楽しい」

と思えるように、少しだけではあるが、感じられるようになってきている。

その実感。それが僕にとっては幸福であるのではないかと思った。何かを獲得した、己の才能が認められた。そういうことではなく、フーの、どんな状態でもへっちゃらなんだということを体でもって体感すること。

それは大きな力だ。 

フーにはとてつもなく、大きな力、太陽のような力が湧き出ている。フーにそれを言うと、

「どこから?笑、、、、、、、わたしよく寝てばっかりいるけど、、、、ぶっはははははっは!」

その乾いた笑い声が月も出てない闇雲に響き渡る。僕はサイレースを半錠飲んで「ベストセラーの小説の書き方」を読みながら、作ってきたばかりの竹笛を小さく吹き、うぐいすを坂口家に登場させた。虫籠の蛍が光っている。フーは、弦におっぱいをうつらうつらあげている。アオは僕たちと正反対になり、弓のように体をうねらせ、全ての毛布どもを蹴散らし、ただ素に寝ている。風呂場の換気扇の音が静かになっている。

そんな家族の風景。

明日もまたアオの送り迎えだ。寝よう。

僕はまぶたを閉じた。サイレースは静かに僕を眠りの世界へころころと転がしていく。

2013年6月8日(土)

朝からアオとゲレンデに乗って外出。今日は、幼稚園の父母参観の日。リズム体操をやっているアオをみながら、僕も参加する。高校の同級生たちがお父さん、お母さんになって、一緒の幼稚園に娘たちを通わせている。だから話す。不思議な感じだ。幼稚園の役員になっているフーとタッチして、僕はフーのママ友の娘で今は小学二年生の女の子まゆちゃんが、零亭のツリーハウスのことをアオと同級生の弟が言うもんだから、気になって仕方がないと言うので、連れて行く。本が好きだというので、畑正憲さんの無人島の本や、トムソーヤの冒険や、僕のTOKYO0円ハウス0円生活などをあげて、ツリーハウスで一人で読んでもいいよと言って放置し、僕は向いの零亭の書斎にて原稿。月刊スピリッツの「鼻糞と接吻」連載第13回。すぐに書き上げて、フーのところへいき、弦を引き取って零亭でしばしゆっくり。子どもたちが零亭に集まってきている。楽しいことだ。大人はもう僕にとっては面白くもなんともないけれど、子どもは楽しい。レーモンルーセルやマイケルジャクソンみたいに子どもたちだけと遊ぼうと思った。零亭は子どもは入っても良いけれど、大人はもうこれ以降、新しい友達は作らないでおこうと思った。子どもはちゃんと僕の言葉をまっすぐ聞いてくれる。笑いながらも。大人は駄目だ。現実が、、、とかなんとかいうもん。もう無視して、僕はどんどん自らの道を進もう。クルトシュヴィッターズの作品を見たいので、またベルリンに戻ろうと試みようとしたりしている。もしくはニューヨークのメトロポリタン美術館へ行きたい。僕が芸術だと確信した作品をちゃんと生で見なければいけないと思っている。そんな冒険をしたいと思っている。フーのママ友たちが零亭にやってきた。アオちゃんのパパは、ちょっと頭のおかしな、でも楽しい人だと言われてます。誤解されていない感じが面白い。この幼稚園は。とても不思議な幼稚園なんです。みんなが家族のような。素敵な日常を日々感じる。

その後、ママ友たちとうどん屋「野崎」へ。ここは本当に美味しいうどん屋。かけうどんあつあつに、牛肉と鳥天をトッピング。僕とフーとアオと弦とあやちゃんとぶんたろうとひさひろとひさひろのままと、ともゆきとともゆきのままとまゆと11人で御飯を食べたら、楽しくなってきた。その後、車で僕とフーとアオと弦で、宮本武蔵が五輪書を書いた金峰山へ。ココペリというかわいいカフェで一息。そこで育っているヤギや鶏と遊ぶ。僕が先日、天草で大量の蛍をみたことが気になっており、蛍を見たいという。金峰山は蛍の里でもあるので、じゃあ夜再び来ようということになった。

音楽家の岡村靖幸さんから突然のSMS。女優の成海璃子さんと対談した際に、彼女が僕の音源を大推薦してくれていたそうで、岡村さんも聴いてくれたとのこと。よかったですと感想までもらい泣きそうになる。成海璃子さんは本気で愛聴してくれているらしく、とても嬉しいし、とても不思議な気持ちです。ありがたいので、最近作って、全くリリースはする気がない、セカンドアルバムと10年前につくったゼロアルバムを送り届けたくなった。岡村さんとは今度、またお酒でも飲みましょうということに。僕の音楽活動は本当に謎である。己が一番謎である。でも歌うのは何よりも好きです。世界で一番好きなことは歌うことです。さらに成海璃子さんは他の雑誌でも僕のアルバムを推してくれているとの情報も出版社のほうから入り、謎は深まるばかり。でも嬉しいです。ありがとうございます。

午後6時に新屋敷の僕が通っている料亭Kazokuの料理人ヒロミさんを車で迎えにいき、僕が生まれ育った十禅寺にある焼き鳥屋「炭屋」へ。もう26年前からあるという。久々に行く。食後、雨が降っていたが、アオが譲らないので、金峰山へ。すると、雨にもかかわらず、蛍がいました!しかも無数に!しかもヒロミさんの天才的な技術によって蛍を一匹つかまえた。アオが育ててみたいというので、いただくことに。アオの手の中で光る蛍。五歳の女の子はどんなことを思うのだろう。蛍の光って本当にすきです。今、ダンゴムシと蛍の入った虫籠をみながら、アオは見惚れている。生き物にとにかく興味があるらしい。金峰山はほんとうに素敵な山でした。

明日は長崎へいく。石牟礼道子さんの主著「苦海浄土」の担当編集であり、僕の大好きな宮崎滔天、北一輝などの狂人たちの評伝を書いている思想家渡辺京二さんから、食事をしようとお誘いを受ける。とんでもないことだ。今週、料亭Kazokuへ案内することに。今週は鹿児島と東京にも行くことになった。なんだか、静かにしようとしているのだが、それでもやはり毎日何事か動いている。それでもアオ、フーとは一緒にいれている。家族と一緒にいれれば、多少忙しくても我慢できる。今は、とにかく家族と一緒にいよう。弦の成長もしっかりと目に焼き付けよう。そんな気持ちでいる。

2013年6月7日(金)

朝から自転車にアオを乗せて幼稚園へ。その後、零亭で集英社新書から八月頃発売予定の「モバイルハウスのつくりかた」の初校ゲラ読み。お昼前に、ニックへ行き、ニックセットAを食べ、喫茶店焙炉へ。珈琲飲みながら、またゲラ読み。その後、最近、PAVAOと同じビルの三階にオープンした、ゆきちゃんのタイ古式マッサージ屋「めだかや」へ。一時間半4500円でやってもらう。ゆきちゃんは本当に毎日、上手になっているので、みなさんもぜひどうぞ。一応、女性限定のお店とのこと。僕は恭子として行ってます。椅子の座り方を整えたので、大分、凝りが減ってきた。書き物中心の生活になってきているので、姿勢をちゃんとしないと、年とってとんでもない状態になってしまって仕事できなくなっても辛いので、今のうち。腰の痛みも減ってきた。

午後三時にアオを幼稚園へ迎えに行き、幼稚園の先生たちから、アオちゃんパパの仕事についての質問などに答える。なんか面白そうなことをやっているのは分かるんだけど、何やっているのかは全く分かっていないようで、よく質問を受けます。その都度、真摯に答えているつもり。これが幾らで、こうやると幾らになりますとか、お金のこととかもへんに詳しく説明してます。

アオと零亭でフーのために野花束つくりをして、セブンイレブンで苺ポッキーを買って、家に帰ってくる。フーが梅酒つくりしたいというので、ゲレンデでyou+youへ。梅と桃と西瓜を買って帰る。ここは本当に美味しい野菜が売ってます。県外の人もFAX注文とかできるので、気になる人はチェックを。家に着いたら、アオをお風呂に入れる。なかなか仕事はできません。二人も子どもがいたら。それでもいいやと思っている。できるときに集中してやる。そうやって、乗り切ってきた。お風呂に入れて、夕食を返上し、ニュースカイホテルへ。ラウンジで、さらに「モバイルハウスのつくりかた」のゲラ読み。午後8時に読み終わる。訂正部分も完成。セブンイレブンへ行き、着払いで原稿196ページを集英社へ送付する。一坪遺産の文庫化についての電話を集英社の飛鳥さんから受け取る。こちらは9月以降分になるようだ。新刊刊行が続いているから、少し間が開いているくらいがよいだろう。

夜、家で原稿。小学館月刊スピリッツ連載「鼻糞と接吻」分。こちらは今回、熊本での生活を書こうと思っている。来月のポパイでの連載「坂口恭平の服飾考現学」のための取材の日取りを決める。次は鹿児島でアクセサリーを作っている不思議な女性を取材します。翼の王国の連載三階分の原稿にも着手しなくてはならない。さらに、10本分の新作小説のプロットもちゃんと育てないといけない。なにやら、溢れ出てきている。さあ、また来たね。作る時だ。鯛が空から降ってくる。桶もって外へ出よ。掴もう。しっかりと深く潜って。急ぐな。時間をしっかりと贅沢に使え。お金は使わなくていい。時間を贅沢に。自分の作品へ向けて。筆で和紙へのドローイングも続けている。何か面白くなってきた。 

MOODMANの新作MIXがとにかくやばいっす。聴きながら、アオを寝かせたので、僕は書斎に籠っている。リベスキンド関連の資料を覗く。静かな時間が訪れてきた。ゆっくり休んだので、そろそろ仕事モードをあげていこう。

2013年6月6日(木)

朝から散歩。そして、旅館のおっちゃんに船に乗せてもらう。そして、内緒で、船を運転してみた。面白い。産まれて初めての体験。浴衣姿で自分でクルージング。なんか不思議な光景である。その後、朝食を食べて、鯵の一夜干しに衝撃を受けて、崎津教会へ。ここは隠れキリシタンの里であり、日本のポルトガルの港町みたいな場所である。ミネちゃんとそこでほぼ迷子のように、止まった時間の街を歩く。おばちゃんたちから声をかけられる。ひじき、と、テンクサと鯵の一夜干しと、あおさ、などを買い込む。その後、何人泊まっても一泊8000円というとんでもない古民家旅館を発見し、案内してもらう。ここで合宿とかしてみたいな。天草をしっかりと堪能し、シティに帰ってくる。ミネちゃんを送って、帰宅。穴の本とDVDが届いていた。温泉上がりと疲れで、眠気眼でぼうっとする。ゲラもミネちゃんに渡した。よし、これで休憩は終了。次はモバイルハウスのつくりかたのゲラチェック。そして、新作にとりかかる。次は小説である。「711」。どんなものになるのか全く予想はつかないが、自分としては無茶苦茶楽しみなので、もうこの波に乗ることにした。やりたいことをやってみよう。いのちの電話が最近、頻繁にかかってきているのが気になる。一応、今は受け付けていない。とはいいつつも、すぐに切るわけにもいかず、しばし話す。65歳の女性が、40歳の息子ともうちょっとしたの娘をまだ養っていて、子どもは二人とも精神病で動けず、夫は亡くなり、その遺族年金で生きているという。もうどうしたらいいのか分からない。死にたいとの電話。僕にもどうしたらいいのか分からない。本当に行政というものは受け皿を作るのが下手だなあと思う。そして、今の社会に仲間を全く持っていない人が多すぎることに驚いている。どうすればいいのかを僕はまだ考えないことにする。まずは僕の仕事である執筆に集中しよう。それが僕が選んだ道である。

2013年6月5日(水)

朝からアオを幼稚園へ車で送り、そのまま天草方面へ。三角西港へ行き、一服して、本渡の奴寿司へ。河豚、アラ、カンパチの炙りなどの寿司を食べる。その後、イルカウォッチングfrom漁船。息峠窯へ寄り、岡田さん、ゆうこちゃんと久々に再会し、岡田さんの庭の梅、岡田さんが作っている蜂蜜を、昨年の分と、6月に採ったばかりの分の二つ、笑平が天日干しで作った塩をお土産にもらう。そして、下田温泉湯の華へ。まずは水着に着替えて、妙見峠の岩場でダイビング。今年初めて海で泳ぐ。様々な魚が泳いでいるのを眺める。洞窟にも行く。海底にはなんと隠れキリシタンのマリア様がいると、湯の華のおっちゃんが言う。そこまでは確かめられず、旅館に戻り、温泉に浸かり、ミネちゃんと乾杯し、夕食。

比目魚、えんがわ、伊勢エビ、イサキの刺身、天草のロザリオ豚のサラダ、雲丹など豪華な夕食を食べ、途中、おっちゃんに連れられ、河岸へ。すると、そこには無数の蛍が。なんだか、とんでもない旅になった。最後にもう一度、温泉に浸かり、ミネちゃんはご満悦で寝ている。僕はその後、ゲラを取り出し、幻年時代の最後の仕上げ。読み終わり、ほっとし、今、日記を書いて、布団に入る。CANのFLOW MOTIONを聴きながら、爆音でドライブした。いつかまたみんなで来たいな、天草。明日は崎津教会へ行くことに。

2013年6月4日(火)

サンワ工務店の社長、山野さんと朝会って、自動車整備場へ。日産プリンス初号機のレース仕様のものや、オースチンを修理している現場を覗き、ゲレンデに乗って家に戻り、アオを幼稚園へ送る。そのまま、熊本空港へ。思考都市の装丁、アートディレクションを全面的に担当してもらったデザイナーであり、戎亭の主の一人でもあるミネちゃんが熊本へ初めて降り立つ。車で、一緒にまずは江津湖へ。二人で気持ちのよい空気を吸いながら、シャンパンを飲む。もちろん僕はノンアルコール麦酒。いつものお礼にと熊本案内。湖周辺の西海岸を感じる散歩道を歩く。途中で、動物園の象と遭遇、二人で象を逃がす計画を立てる。そして、そういう小説描いても面白いなあと思う。お昼は魚よしで、そして零亭へ。アオを迎えにいく。PAVAOにも顔出し、ミネちゃんは自分の子どもの初めて切り落とした髪を持ってきていたので、近藤文具店で筆を作ってもらう依頼。そして、家に帰り、フーが作ってくれた御飯を、フーアオ弦、ミネちゃんと最近、東京から帰ってきたシホちゃんと六人で食べる。

食後、パーマネントモダンのかずちゃんとたまちゃんも参入し、みんなで夜しか開いていないケーキ屋へ行き、不思議な船上パーティーのような時間を過ごす。その後、ビリーズバーへ行き、熊本案内初日シティ篇を終える。午前1時に帰宅。

2013年6月3日(月)

鬱が明けて、ドイツから帰ってきて、アオが待ちに待っていた、僕と二人での自転車での幼稚園への通園。アオが心待ちにしていた、おれの鬱明け。お前のために鬱を明かしたよ。おれは調子にのって嘘をついた。そして、深い深海へ潜って、また半端ない新しいインスピレーション、しかも10個ぐらいの次の本の構想となって水面にあがってきたよ。右手を高く、二人であげながら、いえーい!と叫び、おれとアオは自転車で風を切る。僕は本当は涙がちらりと流れた。このように、なんでもない日常への関心、感動、気付き、それが僕のこの躁鬱病というプレゼントの雫だ。このいつも考え方が変わる、まるで定点観測できない、男をアオは好きだと言ってくれる。今すぐ抱きしめたいと思うのだが、幼稚園の定刻まであと10分。僕は急いでペダルを漕ぐ。そう、漕ぐよ。いつか、どこか遠くまで自転車で行って、夕暮れ時になったときに見つけた宿に泊まり、温泉入って、刺身食べて、帰るみたいな旅しない?って誘ったら、ママも一緒がいい、弦も一緒がいい、とアオが言った。家族思いのアオにまた涙が流れる。流れよわが涙、と坂口恭平は言った。

零亭で、届いたばかりの新作「幻年時代」の初校ゲラ読み。献辞から気合いはいってまっせ。読み進める。面白い本になったと思う。佐々木中さんと電話。骨折したらしく、松葉杖で歩いているという。大丈夫かしら。なんか最近書いているものの変化が訪れた、どのような変化かという説明をして、何か果物みたいなビタミン下さいと言うと、メルヴィルの白鯨と、みすず書房から出た、ホイットマンの草の葉の初版のままの復刻版を読めと言われた。贅沢なビタミンである。磯部涼に7月6日のパーティー、まぼろし、中止のお知らせをする。ごめんねという。お前は固い文学者になるのは嫌だから、ハンタートンプソンのヘルスエンジェルスちゃんと読め、お前は体が動いてないと面白くないぞという最もな話を。そして、再びゲラに戻る。

昼過ぎ、アオの通っている幼稚園のタンポポ組、つまり、アオの仲間たちが30人で零亭に再び現れた。今日は零亭の庭に繁茂している枇杷の実採集の日。200個くらいなっていたので、一人3個までとっていいと言って、坂口恭平お手製の階段、さらにモバイルハウス初号機の屋根に、映画「モバイルハウスのつくりかた」のおれのように乗って、枇杷をとる。その子どもたちを見ながら、泣けてきた。僕のことを彼らだけはオズの魔法使と思ってくれている。僕は大人からしたら毎日遊んでいるようにしか見えない、どうしようもない暇人だが、僕は本当は文字を書いていて、この静かな自然で溢れている零亭で、毎日、人々に向けて、言葉を作り出しているんだ、それでいいんだ。そのまま生きろ。坂口恭平よ。と彼らが僕に言っているような気がした。

アオを迎えにいき、家に戻り、僕だけ、ニュースカイホテルへ。午後6時までゲラ読み。100ページまで来た。今回は165ページ。今までの本の中では一番短い。それでも濃度は一番濃いと自負している。

夜は僕の家の隣の、師匠であるサンワ工務店山野潤一設計の料理屋「ソウルキッチン」にて、オープンレセプション。山野社長、鍛冶屋ズベさんをはじめ、たくさんの仲間が集まり、楽しいパーティー。家の横にこんな場所ができて、僕は幸福だ。熊本に70年代、サンタナを呼んだ、祭師、高辻さんもきて、初対面。熊本で一番気合い入っている人間として、紹介してもらった。そう、僕は世界一気合い入っているつもりだ。ま、勘違いかもしれないが、それでもいいじゃん、がんばれよ、とフーはいつも言ってくれる。高辻さんと熱く語り合う。熊本にはまだ伝説が生きている。そのままの姿で、肩肘張らず、そのへんに生きている。そんな空気がいいよ。夢のような宴。フーアオ弦も連れて行く。家族で参加するパーティーは格別だ。本当はずっと家族でどこにでも一緒にいたい。そしたら、女の子に声なんかかけないんだ!と言い訳を言うと、フーに頬をはじかれた。フーは強い女だ。そして、優しい女だ。女の人ってのは、なぜ、このように素敵な曖昧さと余白を持っているのだろうかと思った。一瞬、フーが自分の嫁でなかったらを思った。一人の女としてフーを見た。フーは十分、ゴッドマーザーとしての道を歩んでいるのではないかとふと思った。本人には何の自覚もない。今日は、山野潤一師匠も奥さんを連れてきていた。そして、フーと奥さんが話している姿が美しかった。僕は本当にどうしようもない人間だ。山野師匠もどうしようもないところもある笑。。似た者同士の妻たちの語らいを見ながら、未来の熊本を勝手に妄想する。悪くない、と思えた。よし、このまま進もう。僕はギターをとり、山野師匠の59回目の誕生日であるこの夜に、家からもってきたガットギターをかき鳴らし、涙目で魔子よ、を声張り上げて、歌った。声は、熊本の空の月に吸い込まれてった。坪井川に光が揺れている。明八橋で煙草を一服。僕はベルリンから熊本のこの新町という僕が住む町の軸線を、勝手にシナプス上で引いた。それは一本の弦楽器となり、ぼろ~~~んと音が鳴った。

2013年6月2日(日)

起きると、午前11時。電話をみると、着信があった。早稲田時代の後輩の光嶋からだ。そういえば、昨日、熊本に着いたから会いましょうということになった。零亭でしばらく話す。彼は、かの大先生であり、僕と以前大喧嘩をして、さらにちょっとだけ意地悪く言えば、後に僕に謝罪した内田樹氏の自宅を設計した若き建築家である。光嶋は、建築家になろうとしているのに、つまらんことばかりするので、僕は全く評価していない。ちゃんとまじめに設計するなら、ちゃんとおれらの師匠である石山修武氏が29歳のときに幻庵を作ったことを真剣に考えて、ちゃんと建築作品で勝負しろと伝えた。彼には才能はないが、天性の人付き合いの良さは確かにあり、それは建築家になるには最低限必要なことで、それは確実にクリアしている。それがクリアできずに仕事がなく苦しんでいる建築家の卵と比べたら、それは問題無くずば抜けているのだが、やはり建築家として見ると、まだまだ、というか、このまま誰からも注意、批評されずにいると、おそらく建築家としては死ぬだろうと思っている。だから、とにかく必死に集中して最高傑作を作り上げろ。これは仕事のない他の建築家からの中傷や僻みではないから、ちゃんと耳で聞いてくれと伝えた。僕は今、会いたいと言われても、人に会わないことにしている。なぜなら興味がないからだ。僕が会いたい人にだけ会いたい。それが人生だと思うようになったのだ。だけど、光嶋は会ってみた。会って良かったのかどうかは分からないが、僕が昔から彼に言っていることがいつ伝えわるのかなあと思う。周りに素晴らしい友をつけないと、みんな最後は地獄に落ちている。ちゃんと批評空間のある友人関係。これこそが芸術家の生き延びるための技術である。まあ、厳しいことを言ったが、許せ。そういうもんだ。しかし、光嶋はふむふむと僕の話を聴くことはできるのだが、体に染みていかない。それは欠点でもあり、しかし、実は長所でもあるのかもしれない。僕なんかと付き合わなければいいのだ。作品をいつもいいですね!と言ってくれる優しい仲間といればいいのだと思う。僕といると人々は悲しむ。文句しか言わないから。よく、電話して今から会いたいとかいろいろと言う人がいるが、今は知らない人には全く興味がないので、一切そういう電話はかけないでもらいたいなあと思ったりする。僕は会ったり会ったで、サービス精神旺盛だから、いろいろと案内しちゃう。そういうことを今、したくない。原稿に閉じこもりたい。僕は親友たちと真剣な芸術の対話をしたいのだ。それだけだ。それでいいよ、とフーが言う。

その後、アオと自転車でうろうろする。アオと自転車に乗るのは久しぶりだ。鬱状態のことを説明できないので「悪魔くん」が背中に乗っているから起きれなかったと伝えた。すると、アオは悪魔くんに会いたいと言う。僕はまた鬱状態になるのが嫌なので、嫌だと言った。そして、アオは1歳のときに友達だった、ユリコという女の子の存在を教えてくれた。もちろん、イマジネーションフレンズ、見えない友達である。一歳のときの記憶を5歳になったばかりの女の子が話す。これはとんでもないことだなあと思った。アオは本当に繊細な女の子だが、フーの教えが素晴らしいので、僕なんかよりもずーっと丁寧に人生を生きている。その姿に嫉妬する。お前みたいにおれも生きたいよ。

その後、家にアオを置いて、歩いて、街へ。PAVAOへ行き、お土産を渡す。小説の構想が止まらない。「711」の話のプロットを考え続ける。その後、熊本市現代美術館へ。現在、坂口恭平が作ったモバイルハウス、試作機の作品が展示されてる。横尾忠則氏、日比野克彦氏などと並んで置いてあり、不思議な気持ちになる。作品の前に座っている、監視員のおばちゃんから、
「あなたの作品、素晴らしいからずっと座って見てます。幸せです」
と言われて、泣いた。作品のことをこんなに愛してくれている職員の人たちに囲まれて、僕は幸せである。その後、受付のおばちゃんたちとも話す。「坂口さんは女にモテるよ!」と太鼓判を押していただいた。こうやって、街の人々に愛されること。これが僕の目指すところだ。熊本の可能性を強く感じる。長崎書店に行く。僕とフーの友達の女の子の娘さん小学2年生の子が、僕はとても好きで、それはまずいことに、娘さんとして好きなのではなく、対等の女性として好きになってしまっているのだが、その子はこの前、アンネの日記にはまっているというので、本をたくさんあげた。その子がアンネの日記にはまったあげく、ナチスの魔の手に取り憑かれたという噂を聴いたので、僕はその特攻薬を探した。結論、買ったのは、岩波文庫から出ている、シモーヌヴェイユ著「自由と社会的抑圧」という本である。巻頭の言葉がいい。

人間にかかわる事象においては、笑わず、泣かず、憤らず、ただ理解せよ   スピノザ

理性をそなえた存在は、あらゆる障碍をおのが労働の素材となして、有効に活用することができる   マルクス・アウレリウス

これを読んだ僕は、長崎書店の社長を呼んで、これを購入した。

「次に出る幻年時代の発売、楽しみにしてます!!!!!」

社長は本当に優しい人で、郷土作家である僕を心から応援してくれている。

「ここの本の並び、抜群です」

と言いながら、僕は感動した書棚のコーナーと本の並びを、一つ一つ批評させて、褒めさせてもらった。

「僕、今度でる本の出版記念はここでやりたいんです」
「えっ?まじですか」

シェクスピア書店からジェイムスジョイスが本を出したように、熊本の本屋で熊本の作家が本を出し、その発売記念講演をする。素晴らしいことだと思う。7月21日の発売に合わせて、実施してみたいということに。詳細は後日。楽しみである。僕はギャラいらないので、80人限定で買ってくれた人はサイン付きの幻年時代を手渡す。そんなハッピーで穏やかな会にしたい。これから、僕は全て熊本でやりたいと思っている。バウハウスを体験した今、僕はここで政治ではなく芸術によって、変革運動を行いたいと心から思っているし、僕にはそれしかできないけど、もしかしたら、それであれば実現化できるのではないかと思っている。

その後、早川倉庫で7月6日に「坂口恭平のがっこう」という私塾のような、講演会のような、講義のような、落語のような、ライブのような、がっこうを始めることにした。毎月一回、僕がその月に研究したことを黒板を使って伝える。5メートル×2メートルの巨大な黒板を使って、講義をしてみたい。第一講はもちろん「バウハウス」。バウハウスとは何か?それが熊本でいかに適応できるのか。芸術による変化とはなにか。教育とは何か。僕が考えていることを伝えたい。これは一年間続けられ、12回の講義となっている。1講座1500円、毎回100人限定の講義。若い人を育てたい。育てなくてはいけない。しかし、僕は一人で原稿を書きたい。でも、月に一度くらいだったらいいかもしれない。そして、早川倉庫を月に一度使うというのも重要だ。ここでしかしたくない。東京のどこかでトークショーするなんてのはもう飽きたし、意味もあまりない。熊本に人を呼ぶ方が僕にとっては大きな力になる。フーにも梅山にも伝えたが、了承してくれた。ということで、坂口恭平のがっこう、がはじまります。

家に帰って夕食。そして、小学二年生の女の子と電話。

「おい、ネチスに追われてるんだろ」
「うん」
「怖い?」
「うん」
「それを追っ払うために、今からスピノザっていうおっちゃんの言葉あげるから、よーく聴いとけ」
「うん」
「人間にかかわる事象においては、笑わず、泣かず、憤らず、ただ理解せよ」
「どうだ?意味分かった?」
「うん」
「そうだよ。アンネは死んだ。でも、その事実に悲しんだり恐れてはいけないんだ。お前は将来、本を書く人になると思う。きっと。それならば、スピノザ先生がいうように、ただ理解するんだ。アンネが受けた傷の事実を。苦しいけれど、それをやらないと次にいけない」
「うん」
「でもさ、、、、」
「、、、、、」
「お前、楽しいんだろ?本を読むのが?考え事をするのが?ナチスは怖いけど、怖がっていることさえも楽しいんだろ?本当は?」
「、、、、、うん!」

二人で笑って電話を切った。この子に本を送ってあげることにした。素敵な女の子だと思う。素直な子どもってのは、なかなかいないもんだ。

夜、幻冬舎から幻年時代の初校ゲラが届いていた。活字になっている、新作の原稿を読み、泣いた。でも泣いてはいけない。スピノザ先生のいうとおり、ただ理解する。原稿を読む。おれは完成させる。7月21日の発売へ向けて。世界に届く、作品になっていると思う。これこそが僕の処女作である。ここから僕は新しい新生・坂口恭平がはじまる。装丁の天才、鈴木成一さんが表紙のデザインだけでなく、本の文字組までも、つまり、本の全てをデザインしてくれることになった。こんなこと異例中の異例だ。とんでもないことだ。原稿を読んで興奮してくれたという。気合いが入ってきた。とうとう明日から、ゲラを読む仕事が始まる。命をかけて、すごいものを作ります。みなさん、どうかどうか、楽しみにしていてください。

2013年6月1日(土)

羽田空港に午前八時に到着。羽田空港だと楽である。そのまま乗り継いで熊本空港へ。バスで急いで家に帰り、アオと再会、強く抱きしめる。アオはおれにポニョばりに飛びついてきた。泣けてきた。この娘のことが僕は本当に好きなんだなと思った。それは自分の子どもだから当然であるという事実を超えていた。フーともハグし、フーアオ弦の三人にお土産を。フーにはワイマール地方の最高品質のお皿1950年代のもの。喜んでくれた。アオには、ワイマール地方の木のおもちゃの村で作られた積み木、インド人から4ユーロで買ったジーパン地に黄色の熊の刺繍が入った帽子、パウル・クレーの指人形の写真集、リスの置物。大変喜ばれた。弦にはワイマール地方の木の車。いつか喜んでくれるかもしれない。久しぶりに家族でゆっくり。これからのことを話す。次はニューヨークのメトロポリタン美術館でアルフレッドスティーグリッツの研究をするために、ニューヨークに行きたいことを伝える。フーは、気分がいいときに行きたいところへ行くのはいいんじゃない?と許してくれた。もっとすごい芸術を世界中飛び回ってみたいと思っている。とりあえず来月はニューヨークに行きたい、と思いつつ、7月末はサンフランシスコに行くから、それに合わせて行くか?とか考える。ベルリンに坂口恭平探偵事務所を作りたい話にはフーは笑いながら、たまに行くのがいいのよ、と言った。そうだ、坂口家は今、熊本のことが世界一好きなのだ。美味しい魚と野菜と、先日、国連から世界一の水の取り組みを評価され「生命の水」コンテスト、世界最優秀賞を獲得したという、熊本市がとても好きなのだ。だから、僕は熊本にいようと思う。でも、世界中へ旅に行きたい。今年は弦がいるから、駄目だけど、来年からは家族4人で世界中へ遊びに行こうと誘った。どんどん好きなことを好きなだけ、好きなように、好きなやりかたで、好きな人と一緒に、行動する。これが人間だったのだ。これが社会だったのだ。これが文明だったのだ。それが集落であり、部族であり、それが個人の生き方だったのだ。そう僕は今、思う。あらゆるものから、僕は今、一人で隔絶している感覚がある。そのものから自由だ。もっと原子になって、文字を書き連ねよう。熊本で毎日、一人で部屋にとじこもって原稿を一日8時間書き続けている生活と、たまにいく世界中の楽しい場所での友人たちとの芸術に関しての夢の対話。時々、美女、毎日、大好きな家族。そんなアンバランスな均衡をふらふらと揺れ動く心としての坂口恭平。それでいい。と思えた。この三日間一睡もしなかった。バルザックじゃないんだから、、、とフーに突っ込まれて、フーに背中トントンしてもらいながら、僕は深い眠りに就いた。熊本が僕を、家族が僕を、温かく包み込んでいる。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-